コストの代償と、能力の性能はほぼ比例する。
つぎ込めばつぎ込んだ分だけ効果を発揮してくれるMTGのカード達には、当然ならそれ以外の―――代価と結果がアンバランスなカードも存在していた。
その代表が、黒。
ライフを、手札を、クリーチャーを、山札を、行動ターンを。
差し出せるものがあるのなら、黒のカードはそれらを覆す。
先程の『死の門の悪魔』は9マナという膨大なコストの対価として、数体の黒クリーチャーと、自身のライフを捧げた。
―――今から呼び出すものは、やはり黒のクリーチャー。けれど、コストはたった1。
しかしそれは捧げるものが無くとも、現状では圧倒的な制圧力を持っている。
コスト1にして、13/13というMTGの中でも比類無き最高の【マナレシオ】を誇っていた。
『マナレシオ』
パワーとタフネスの平均を点数で見たマナ・コストで割った値。 クリーチャーの強さを評価する際に使われる指標の一つで、基本的には値が高いほど良い。ただし、当然ながらこの値が高ければ必ずしも優秀というわけではなく、あくまでも目安の一つである。
けれど、そいつは当然ながらデメリットを持っている。
自分の体力が多ければ多いほど、そいつの力は減少する。
つまりは、俺が瀕死であればあるほどに力を増すのだ。
そのデメリットを、今の俺は相殺している。
風前の灯である自分を頼もしく思うのは、そうそうある事ではないだろう。
俺のライフの総量が幾つあるのかは分からないが、ここまでくそったれな死体一歩手前状態なのだ。
これで先の悪魔より弱かった日には、目も当てられない。
そんなクリーチャーの名は【死の影】
俺の死が濃ければ濃いほどに、この影は強く、巨大になるようだ。
簡潔にして名は体を表すを体言するソイツは、俺の影からぼこりと湧き出てきた。
全身風のように黒く覆われていて、体の中央には赤いコアのような球体が見て取れる。
それに彩を添えるかのように、骨だと思われる肋骨が何本か、コアの周りに存在していた。
まるでクワガタのような真っ白い牙を二重三重にも供えている死の影は、一瞬にしてその体を巨大化させる。
死の門の悪魔よりもさらに膨れ上がったその体は、輪郭が霞むように周囲の闇に溶けながら、空ろな風貌を完成させた。
「なっ……!?」
八坂の驚く声と、その場から退避しようとする気配が窺える。
―――だが遅い。
瞬時に死の影はその巨大な手で、まるでそこにある闇が硬さを持つかのように周りを取り囲むように捕縛し、八坂の体を捕まえた。
体が地上から持ち上がる。
もはやそれは握りつぶさんとするほどの力であり、到底抗えるものではない。
しかし、流石は上位の神というところか。
神気を使い、拘束を解こうと対抗してきた。
両の手で全力を込めるよう命令するが、八坂はそれを弾き返さんと神気をまとう。
ここで逃せば、俺はもう八坂に何も出来なくなる。
コスト1のために維持する力は微々たるものだが、元の力がゼロに限りなく近いのだ。
後数分、いやもっと短いかもしれない。
それだけ経てば、俺の意識は―――命は失われる。
このままでは握り潰せない……ならば。
ばくん。
私の頭上から、冥土への門が開く音が聞こえた。
油断。
その一言に尽きる。
もはや相手に抗う力など残っていないと思い近づいた結果がこれだ。
押し潰さんと籠められる力に、自身が持てる力の全てを当てる。
ここまで接近されては能力も使用困難になり、例え使えたとしても、使おうと他所に気を回した瞬間に圧殺されるだろう。
故に、今私は全力で神気を放出し、魔の手から逃れられるようにすることだけ。
幸いにも余力はまだ残っている。
そして召喚者の男は瀕死。このままなら、こちらが耐え切れば決着が付く筈だ。
先の見えた勝負に、思わず口元から笑みがこぼれる。
―――いや、こぼれ様とした所で、頭の上から、何かが開く振動が感じられ、思わず空を仰ぐ。
黒。
それが私が見た色。
私を握っているこの影人間は、その昆虫のような二重三重にもなっている巨大な牙を持った口を開放したのだ。
口内には無数の白く鋭い乱杭歯。
(……あぁ、私を喰おうというのか)
ゆっくりと、黒い口が迫ってくる。
拘束を解くことも、ここから逃れる術も今は無い。
(―――まさかこうも早く終わりが来るとはな)
達観した感想を洩らし、次に来るであろう事態を考え、口をあけて近づく影人間を不敵に笑いながら睨む。
誰が目など背けるものか。誰が絶望などするものか。
その瞬間の来る時まで、睨んで、睨んで……。
一向に来ないその時に、一瞬思考が停止した。
(止まっ……た……?)
疑問が駆け巡る。
大きく開いたその口は、今にも噛み千切ろうとする風貌のままに固定され、僅かにも動く気配がない。
まるで時が止まってしまったような光景に、内心首をかしげる。
瞬きを一度。そして浅い呼吸を何度か行い、今ならば大丈夫かと思い深呼吸をしようとした矢先―――こちらを喰い殺さんとしていた影人間は、その口を閉じ、ゆっくりと私を地上に降ろした。
今までとは正反対の、壊れ物でも扱うかのような振る舞いで開放され、またも考えが止まる。
そして、その事を問いただす間もなく、影人間は消えていった。
一風。
曇天の空も晴れ渡り、夜空には星の照明が輝き大地を照らす。
影から生まれし者は影へと帰るのが自然だとでも言いたいのか。
つい今まで生きるか死ぬかの決戦があったことなど夢のよう。
そこに残るのは私と、もはやピクリとも動かない洩矢の眷属。
そして。
「―――八坂の神よ。……私の願いを……聞いてくれぬか」
体をオンバラシラで貫いた、洩矢諏訪子の神のみである。
(やった、やったぞ……! 捕まえた、捕まえたぁ!!)
子供のように心の中ではしゃぐ。状況と相まって思考が狂人の域だが、こうでもしないと意識を保てない。
もう逃がさない。
絶対放さない。
この命、尽きようとも。
パワーやタフネスの数値なんて気にしている場合じゃないし、気にしてもいられない。
どんな値だろうと、もうやるしかないのだ。
やらなければ―――この怨みは晴らせない。
死の影に握りつぶす様、指示を送る。
パキン、パキンと。ガラスが砕けるような音が聞こえるのは、八坂が何かバリア的なもので防いでいるせいだろうか。
青白い火花が散っているのがぼやけた黒い視界からでも分かる。
拮抗。
ここまでしてこの程度なのか。
ここまでしないと対等にはなれないのか。
……圧殺がダメなら、他のやり方を。
手がダメなら足。
足がダメなら―――口がある。その、見るからに凶悪な、クワガタの顎のようなモノが。
幸いにも八坂は死の影の手から逃れることで精一杯のようだ。
ならば、これはもう必勝の行動。
もぎたての果実に齧り付くかのように、その命を刈り取ろう。
原作キャラが何だ。
女だから何だというのだ。
奴は―――八坂神奈子は、俺の大切な者達を奪っていった。
だから奪う。
復讐なんて上等なもんじゃない。単なる八つ当たり。
けれど、やる。
今の俺にはそれが全てだから。それしかないから。
それすら出来なかったら……俺は、俺でいられなくなりそうだから。
(いけ、【死の影】)
地獄への門が開く。
洋画の地球外生命体を思わせるその光景に、俺は八坂の死を確信し―――
「―――つくも、やめて……」
俺の目の前。
血だまりにその身を沈め、石の柱に胸を貫かれていた、洩矢諏訪子が語りかけてきた。
「え……?」
生き……ている……?
同時、ピタリと死の影の行動が止まる。
俺の意思なのか影の意思なのか。
時が止まったかのような静止像が完成した。
「諏訪、子……?」
「九十九ったら……とうとう敬称まで抜けちゃって……」
「えっ……あっ、す、すいません。じゃない、えっ、あれ? 諏訪子、さん……生きて……?」
動揺しまくる俺に対して、囁く様に語りかける諏訪子さんの声はとても優しく、神様というよりは恋人か母親のようだった。
「ちゃんと生きてるさ。神に死って概念があるかは分からないけど、間違いなく、私は私のままで、今ここにいるよ」
そう言いながら、咳き込むように呼吸を始める。
器官にたまった異物を吐き出しているようだ。
体は冷たくなって心臓の鼓動も聞こえなくて、何より息をしてなかった筈なのに、こうして会話が成立している事態に、これは漫画でいう死ぬ間際の最後のセリフなのではないかと嫌な予感が頭を過ぎる。
「そんなボロボロになっちゃって……。二十日は帰って来るなって言ったじゃない……」
「俺のことはいいです……。ぐっ! ……はは、きっついなぁ……。諏訪子さん、死に際の……捨て台詞とかじゃないですよね……?」
「あまり話すな九十九。……安心して。私は時間をかければ回復するから。問題はお前だよ。その傷―――自分の体がどうなっているのか分かっているの?」
安心した。
なんで生きてるのとか、その手の疑問は置き去りにする。
だって、生きているのだ。
それ以外で、彼女に何を望めというのか。
「ははは……もう、秒読みだって事は、何となく……。一度、体験……してますからね」
視界が黒で埋まる。
モザイクすら見えなくなった目には、何となく諏訪子さんの心配する瞳が向けられている気がした。
「そっか……。うん、大丈夫だよ。九十九は、私が助ける。だから、その八坂の神を放してあげて」
「……何故ですか。コイツはみんなを、勇丸を―――何より諏訪子さんに害をなしたんですよ。祟り神の頂点が、なんでそんなこと言うんですか」
親しい人に言われた受け入れられない言葉に、怒りから来る気力で滑舌が回るようになる。
何故。後一歩なのだ。
もう一秒もしない内に、俺は八坂に一矢報いることが出来るのに。
「九十九、ここで八坂を倒してしまったら、洩矢の国は終わる。…いや、私の国だけじゃない。戦の主神となった2人が消耗したことで、周りの妖怪や盗賊にしてみれば、この二国は格好の餌食だ」
「……分かります。分かりますけど……」
頭では分かっている。
今日本という国は盛大なバトルロワイヤルが行われていて、そのトップクラスの二国が激突し、疲弊しようとしている。
攻めるなり略奪するなり、どうにかしたいのなら、この時をおいて他にあるだろうか。
守り神の居なくなった神の国など、妖怪達から見ればご馳走だ。
俺はまだ見たことはないが、鬼や天狗といった日本固有の強力な魑魅魍魎が、美味しいケーキを切り分けるかのように国を分断させていくのだろう。
「ごめんね九十九。みんなを守れなくて」
諏訪子さんが謝っている。
別に何も悪いところなど無いというのに。
「ごめんね。帰る場所を失ってしまって」
まるで全ての非が自分にあるかのように、謝罪の言葉を紡ぐ。
それは俺への謝罪の意味もあり―――自身の力が及ばなかった事への無念さを悔やむ声でもあった。
「―――ごめんね、勇丸を守れなくて」
その言葉で確定してしまった。
自分の相棒の、死。
きっと何か特別なことが起きて、繋がりが感じられないだけなのだろうと思い込もうとした。
だけど、それも終わってしまった。
悲しみで涙がほろほろと頬を伝うのが分かる。
また召喚出来るのだからと言い聞かせ、何とか自制心を保つ。
これで記憶を失っていたのならどうなってしまうのだろうかという不安を胸に押さえつけながら、ならせめて、と勇丸の最後を訊ねてみる。
「―――勇丸は、どうでしたか」
言葉足らずな自分のセリフに、我ながら馬鹿だと思ったが、諏訪子さんは俺の聞きたかったことを理解してくれたようで、ぽつぽつと、けれど簡潔に、その光景を話した。
「雄々しく戦ってくれた。次々と相手の人間達を蹴散らして、最後は、二体目の八咫烏と、相打ちに」
八咫烏―――神の使いとされ、太陽の化身なんてご大層な役職に就いていた奴だったか。
仮にも太陽の象徴の一端を担っていたのだ。
実際の戦闘は見ていないが、とてもじゃないけどただの2/2である勇丸が対処出来るとは思えない。
おまけに相手は鳥。空を飛ぶ相手に、地上を這うことしか出来ない生き物がどう対抗するのだろう。
けれど、二体。
きっと、あらゆる限りの知略を尽くして屠っていったのだ。
良くやったと褒めてやりこそすれ、何故逝ってしまったのだと嘆くのは、全て終わってしまった今となっては虚しい限りではないのか。
分かってはいる。分かってはいるのだ。
しかし、頭で理解しても、心がそれを受け入れてくれない。
辛い、悲しい、憎い。
心が押し潰されそうな中。
ふと、では諏訪子さんはどうなのだと考えた。
……苦しいのは俺だけではない。
むしろ俺以上に感情をうねらせているのは、このボロボロの小さな神様な筈なのだ。
幾年もかけて築き上げてきたものが崩れていくその光景を前に、蹂躙されていくそれを見続けるしかなかった無力な神様。
正直、そんな考えなどクソ食らえだと思っていた。
他の人も辛いのだから我慢しなさいなど、他の場面ではいざ知らず、恨みを晴らすだけのこの場においては、火に油の言葉でしかない。
―――諏訪子さんに話しかけられる前までは。
周りを、他人を、全てのものを怨み、けれど何より無力であった自分を最も責めるかのような謝罪に、隠し切れない恨みと後悔と、それらを覆い隠すほどの悲哀が混ざっているのが理解出来た。
それを押し殺し、この国を奪おうとする者を倒さないでくれとは、一体どれほどの葛藤と決断力がいるのだろう。
「……良いんですね、本当に」
「構わないよ。もう、決着はついた」
言葉の裏に様々な感情が透けて見えるが、それが諏訪子さんの決断だというなら、その気持ちが痛いほど分かる今の俺は、従うしかない。
俺がもし最後の一歩を踏み出してしまったのなら、もうこの小さな神様に救いは訪れないのだから。
【死の影】に、掴んでいた―――いや、飲み込まんとする勢いで広げていた口を閉じさせ、八坂を地面に下ろす。
生憎と顔が見えないが、きっと驚いているはずだ。
「はは、は……参ったなぁ……」
―――これじゃあ、本当に無駄死にじゃないか―――
言葉に出さず、飲み込んだ。
閉じられた目の隙間から、ポロポロと大粒の涙が零れる。
鼻水も出てきて嗚咽も止まらないこの姿は、情け無いを通り越し、哀れの類だろう。
全く、原作様々だ。
確かにこの流れなら、俺の知っている東方プロジェクトのキャラ像に向かっていく事が予想できる。
屈服した諏訪子さんが負けた事にもめげず大和の国の為にと尽力して、それを八坂が評価し二人は仲良くなっていくのだろう。
本当に……これでは道化もいいところだ。
一人で空回りをして、勇丸を死なせて、自分まで瀕死になって。
……いや、笑いも取れないとなれば、もはや道化にすら及ばない。
ぐずぐずと、えぐえぐと。
大の大人が恥も外聞もなく、声を押し殺し、鼻水垂らしながら泣いた。
なんて、無様。
B級映画の脇役ですら、もっとマシな最期だろうに。
「本当に、ごめんね。そして、ありがとう」
ふわりと、俺の残った右の掌に暖かい感触が触れる。恐らく諏訪子さんだろう。
さっきまでは冷たかったのに、今では人並みに暖かい。
これは本当に、体の方は大丈夫のようだ。
(安心した、ら……意識、が……)
唐突に、意思をつなぎ止めていた最後の線が切れそうになる。
我ながらタイミングの良過ぎる思考電源OFFに、何もこんな場面で主人公属性を体験したくなかった、と軽く現実逃避。
せめて逝ってしまうのなら、もっとカッコつけたかったなと、内心で苦笑する。
一度死んだ時と同じように、どうやら俺はカッコつけられない生き物のようで、理解するのに二度も死ぬ羽目になるとは、我ながら巡りの悪さに呆れつつ。
「―――ゆっくりお休み。後は、私が何とかするから」
その日俺が最後に聞いた言葉は、眠る我が子に言い聞かせるような、諏訪子さんの優しい声だった。