「お疲れ様、お陰で無事に完成したよ。……どうもありがとう。助かった」
自分の半分ほどの背しか無い、彼―――スロバッドであった。
頭を下げるのにも限界があるので、自然と手を取り、しっかりと包み込みながら、力強く握る。
咄嗟に思いついた頭を下げる以外の感謝の表した方が、それであった。
そういえば、こんな事をするのは生まれて初めてで。
自分でも恥ずかしいと思うのだが、どうやら彼も恥ずかしいようだ。
手を離した後、照れたように鼻を掻いて、そっぽを向いてしまった。
シャイな所はあるものの、情に厚く、涙脆く、仲間を大切にする人物。
それが、こうしてやり取りをする中で彼に対して思った感想である。
「はいはい。友情を深めたいんなら、もう少し待ってからやって頂戴」
手にグラスを持ったまま、輝夜はこちらを見て、そう言った。
茶化すような声ではない。
純粋に、それは後でやるべきだと言ってきているのが分かる。
「ん、すまん」
そう理解した為、素直に彼女の言葉に従った。
中央へ立つ永琳さんへと姿勢を直し、向き直る。
「面倒な話しはやめましょう。今は楽しむ事に一分一秒を惜しむ時。―――それでは、九十九さんの無事を祈って」
彼女の背後には、やけに達筆な文字で『祝! 地上への帰還決定! 九十九!』と、一体どんな心境で書いたのか疑問の尽きない垂れ幕が、壁の上一面を横断していた。というか書いたの誰よ。
それぞれがグラスを手に持つ。
座して待つ一同は、数えるほどしか、この場に居ない。
司会進行役だと思われる八意永琳。
何が面白いのか、目を輝かせて周囲を見回す蓬莱山輝夜。
高御産巣日は禁固刑で参加出来ず。
『俺って場違いじゃ』と恐縮気味になっているスロバッドと、同じく、『私って場違いじゃ』と恐縮……どころか萎縮してしまっているレイセンに。
静かに周りを見渡している綿月依姫と、目を閉じて瞑想でもしているかのような印象を受ける、その姉。綿月豊姫であった。
「では―――乾杯」
皆がジョッキやらグラスやらを頭上へと掲げる。
あれからまだ一ヶ月も経っていないのに、こうして地上へと帰る俺の返済の目処……あ、いや、もう既に返済分は終えているのだそうだ。
これも【宝石鉱山】の影響によるところが大きいのだが、何より問題の解決の決め手となったのが、レイセンの為に出した【森】であった。
『あの【森】……是非、調べさせて頂きたいのだけれど』
そう畏まった口調で永琳さんから言われた時には、『何事!?』と焦ったものだが、事情を聞くに、そも自然と呼べるものがここ月では稀な存在であり、広範囲に渡って繁殖させるにはコストが見合わず……とか何とか色々言われたが、詳細は覚えてないです(汗
とりあえず、決して金では買えないものの一つであったようだ。
それが大層、月の人達の興味……どころか『今月で最も熱い場所!』なんてマスメディアが取り上げたらしく、市民や軍人のみならず、貴族達ですらも、
『頼む! あそこへ連れて行ってくれないか!(要約)』
と。
永琳さん……は思ったよりも少なかったようだが、八意や蓬莱山の性を持つ者よりは比較的話し掛け易かった綿月家へ、あらゆる者達が連絡を入れてきたそうだ。
俺が、ここ月でやらかした事態は、貴族や軍隊の間に留まらず、市民や玉兎達の間でも恐怖の対象であったそうなのだが、それが切欠で、どうも弁護する意見が巻き起こっているのだと、輝夜から聞いた。
そういや民衆などの周囲の声は一度も聞いた事が無かった。と、その時初めて分かったんだが、俺の与り知らぬところで全ての片が付きそうになっていたのは驚いた。
それでも一応、悪い流れではない事から、終わり良ければ(略、と自己完結する事にした。
(いやでも……森って原作じゃあ存在してなかったか? 林レベルっぽかったけど。後、海とか)
きちんと月の土地を見て回った訳ではないので、その辺りの知識の誤差が俺を悩ませる。
(しっかし……)
今俺を最も悩ませているのは、そんな蚊帳の外で巻き起こっているあれやこれではなく、今居るこの“場”自体に他ならない。
帰還記念的な打ち上げを開いてくれたのは嬉しい。
高御産巣日は来ていないが、それでも身内だけの集まりっぽい場所に、理由や経緯はともあれ、こうして参列しているのは、何となく彼女達月のメンバーとの距離を一歩縮めた風に感じられるから。
料理も良い。
俺の知識外の、月で振舞われているであろうあれやこれの様々な酒肴が、所狭しと足の短いテーブルへ並べられている。
酒だって、独特の風味があって、初めて飲み口あって驚いたけれど、これはこれでどんどん体が欲してしまうような絶品だ。
問題は、それらを行っている場所。
この室内―――の造りだ。
(これって……何処の飲み屋だよ)
この狭いスペースを如何に安っぽさを隠しながら豪華に見せるか、というセンスは、決して月の人達じゃあ考えられないだろうと思う。
だとするなら、新しく造ったに違いないのだが……。
和○か、月○雫か、それとも金○蔵か。何を参考に造りやがったんですか。馴染み深すぎて、ちょっと涙腺緩みそうですよ。
屋形船を丸々借り切って宴会でもしているような錯覚に襲われながら、ちらっと、これを仕上げたであろう異種族の緑色の小人へと、目を細めながら訴えかけた。
え、何、断れなかった? 誰に?
「私がお願いしたのよ。あんたの故郷のような宴を催したいってね」
疑問が顔に出ていたのか、その原因が犯行声明を出してくれた。
声のする方に顔を向ける。
酒や料理こそ、全て月独自のものであったが、せめて内装くらいは、と、出来る限りの郷土を再現した結果のこれらしい。
ビックリしたのが、これが輝夜の発案だと言う事。
大体の理由は察する事が出来るが……これが嬉しくない訳がない。
既にグラスは手から離れ、代わりに漆塗りな雅な杯を片手に微笑む輝夜に、俺は内心で熱い吐息を漏らすものの、それを決して表に出す事はしない。
くそぅこの残念美人め。俺の心を弄びやがってからに……。
今なら竹取物語で帝すら、輝夜の居ない永遠など要らぬ、と蓬莱の薬を焼き捨てた気持ちが分からんでもない。
例えそれは、弄ばれていると分かっていても、なにものにも変え難い甘美な一時であろう。
それと比べてしまえば、ただ安穏と生きていくだけの人生など、死んでいる様なものだ。
だが、
(甘い! 俺はお前クラスの超絶美人を、たんと知っているのだ!)
名を上げればキリが無い……というか、逆に、出来の宜しくない顔、というキャラは、東方世界には居ない。少なくとも、俺の感性においては。
今はまだ見ぬ、あれやこれのキャラ達の事を思えばこそ、俺は、こいつが取得しているであろうスキル『傾国の美女』を食らっても無事なのだ。
ふふふ。伊達に頬っぺたにチューしてもらっちゃいねぇんだぜ! 俺だってちょっとは耐性も出来るわい!
……最低でも『傾国の美女』スキルを持ってるっぽい奴、後一人居るんだよなぁ。尻尾がいっぱいあるお方が。今でさえこんなに動揺してちゃあ、もし出会っちゃったらどうしたものか。
「ちょっと、何か言いなさいよ。つまらないじゃない」
ぬ、こっちが置いてけぼりでしたか。
俺の何かしらの生意気な反応が欲しい様子が、その表情からしっかりと読み取れる。
しかし、これに関してこちらはムキになる要素が皆無なのだ。
幾ら発案者が微妙に気に入らないとはいえ、こうして故郷の風土を再現してくれた事に対して沸き起こる感情など、一つしかない。
「ああ。……ありがとう、輝夜。スロバッド。これは……その……結構嬉しいわ」
「っ!」
自分の緊張を自覚する前に、感謝の言葉と共に笑顔を向けた。
『そう言って貰えるなら、がんばった甲斐があった』と照れ臭そうに酒を飲むスロバッドとは対照的に、輝夜は反対側を向いてしまった。
くそ~、何だよも~。
結構恥ずかしかったんだから、それなりのリアクションしろってんですよ。このボケ殺し~。芸人としてやっていけないぞ~。
『今のはやばかった』って、何がよ。声が漏れて聞こえてくるが、俺の笑顔はそんなにキモかったか。
へんっ! お前に認めてもらわんでも良いもんね! 俺には諏訪の! 洩矢の! 大和の人達が居るんだから!
……ちょっと一人になりたいなぁorz
「スロバッドさんと色々話したのでしょう? 日本という国の出身で、たまに仲間内で酒を酌み交わしていたと聞いたの。それで、どうせなら九十九さんの馴染み深い雰囲気だけでも、って、皆で考えたのよ」
そう言って卓の前で、永琳さんは僅かに頬を朱に染めながら、優しく語り掛けてきた。
そういや、スロバッドと雑談に花を咲かせていた折に、そんな話もしたような。
料理だけは月オンリーなのだが、基準がアジア系なせいか、殆ど違和感なく長テーブルな食卓に溶け込んでいる。
「ありがとうございます。すっごい嬉しいです」
こちらの言葉に満足したように頷く彼女はとても綺麗で、ともすればそれを見続けるだけで、日が暮れてしまいそうである。
と、永琳さんが姿勢を改め、少し真剣な様子で尋ねて来た。
「けれど、本当に良いの? 提案した私が言う台詞ではないのでしょうけれど、あの【マリット・レイジ】さんを常駐戦力として提供してくれるというのは」
「ええ。というか、彼女でないと少し厳しいと言いますか(体力的に)。むしろ彼女である事が救いだと言いますか(【トークン】的な意味で)」
「本音を言うと、彼女が味方になってくれるのは有り難い。あの力が味方として働いてくれたのなら、これほど頼もしい事もあるまい」
白い徳利と手に持った依姫が、俺の声に応えた。
「そりゃお前、マリさんの力を拝借出来るんだから、単純な力技なら彼女ほど向いているクリーチャーも居ないしな」
「そういえば、もう封印っていうのは解いたんでしょ? なら、今彼女は何をしているの?」
疑問に思った輝夜が尋ねて来た。こいつはその辺りの経緯を知らない。
それに答えたのは永琳でも依姫でも、ましてや俺でもなく、琥珀色の液が注がれているグラスを持ったレイセンであった。
ビクビク……としてはいなかった。
酒が入った事で、少しだけ心の壁が取り払われたようだ。
得に気負った様子もなく話す彼女を見るに、いずれは素面でもこうなってくれれば、と思わずには居られない。原作を知る立場からして。
「今【マリット・レイジ】様は、四方を氷に囲まれた窪地にて熟睡……冬眠……? えっと……お休みになっておられます。心音が大地を僅かに揺らすだけで、寝息すら聞こえません。安眠出来るように視認不可の結界を張りましたので、地上からは勿論、月からですら、光学に頼った方法では、あの方の存在は確認出来ないでしょう」
「分かったわ、ありがとう」
ニコリと笑みを向ける輝夜に、照れた様にレイセンは俯いた。
うむ。可愛いのぅ。心が洗われるようだぜ。
……あ、こっちを向いたと思ったら微妙な感じで睨まれた。
俺にはツンオンリーか。終いにゃ泣くぞゴルァ。咽び泣く男の見苦しさを思い知らせてやろうか。自爆技だが。
「九十九。彼女って普段は何を食べているの?」
……え、何だろう。分からん。
唐突に投げ掛けられた質問に、ちょっと呆けてしまった。
食べ物って……それは……俺も知りたいかも。
ただ、あの巨体なのだから、生半可なものじゃあ満足はしないだろうが……。
一応、何でそんな事を言われたのか、の理由が思い当たるので、そういった疑問だよな? との当たりをつけながら、質問に答えた。
「何も要らない筈だ。ものが食べられないって訳じゃないが、俺が無事な限りは、衣食住の住だけ用意しておいてくれれば問題ない。と思う」
「そう。それならこっちとしては助かるけど。彼女を防衛戦力として提案された瞬間、食料生産プラントの数を倍にしようか。って考えてた位だもの」
あれだけの躯体を維持するのは決して楽なもんじゃないだろう。
言われて、俺も気になったので念話にて彼女へと確認してみる。
距離的に大丈夫かな~? とも思ったが、一応は連絡が付いた。
付いたのだが……
(『Zzz……』……うむ。超寝てる)
まぁ無理に起こす事も無いか。と、疑問を無かったものとした。
「もし起こす時には、それなりに派手にやってくれ。じゃないとマリさん、気づかないっぽい。……けど、遣り過ぎるなよ? 最悪、寝起きの不機嫌さMAX状態になって敵味方関係なく……なんて展開も。うん」
「永琳! 本当に彼女で大丈夫なの!?」
こりゃまずいんじゃないか。との考えが透けている輝夜が、堪らず永琳へと尋ねた。
「ええ。最終手段は、九十九さんに直接起こしてもらう手筈だから」
……あら初耳。
俺、地上に戻る予定なんだけど……発信機とかそんな感じのもんでも付与されるんだろうか。下手したら強制転移? こっちに来た時と同じ様に。
え~……。いざとなったら俺こっちまでワープしに来るんですか? プライバシーガン無視じゃない? ねぇちょっとそこの美人なお姉さん。
「九十九」
ずいとこちらに身を乗り出して、我慢出来なくなった、と言わんばかりの依姫が近づいて来た。
「どした」
「もういいだろう。いい加減、もったいぶらずに教えて欲しい」
そう言って、視線を部屋の隅へと向ける。
鈍く反射する光沢は、それが金属のようなものであると教えてくれる。
別にもったいぶってたつもりは無いんだが、興味の比重が違うんだろう。
全部で三点。
それぞれが兜。盾。剣の形をしているそれは、MTG界の武具の一つ、【カルドラ】シリーズ達である。
『カルドラ』シリーズ
【伝説】の【アーティファクト】であり、【装備品】と呼ばれる、これ自身を破壊しない限り場に残り続ける代物。
それぞれ、
装備した者と盾自身を破壊不可能にする【カルドラの盾】
装備した者に+5/+5の修正を与え、ダメージを与えた相手を【追放】する【カルドラの剣】
装備した者に様々な特殊能力を付与する【カルドラの兜】
の三種からなる品。
これを使用して名を残したデッキは無いのだが、それでも【伝説】の名は伊達ではないようだ。
無造作に立て掛けられた【伝説】の武具達。
カードとしてのイメージが強過ぎるのだが、少し視点を変えてみれば、エクスカリバーやら草薙の剣やらが飲み屋の壁に並べられているようなもんだろう。
ただそんな浅い考えも、こうして実物をまじまじと見つめてみれば、その考えはとても愚かであったのだと実感する。
鈍い輝きは畏怖を、溢れる存在感は荘厳を。
あれは決して、有象無象が造り上げられるものではないのだと思わせるだけの力を纏っていた。
―――カードを消した場合にも、そのカード達が巻き起こした現象や爪痕は消える事はなかった。
【ジャンドールの鞍袋】から取り出した食べ物が消えないように。
【マリット・レイジ】誕生の地である、【暗黒の深部】の氷の大地の窪地が、未だに残っているように。
【宝石鉱山】から切り出した貴金属が存続し続けるように。
それらの理由から、ゴブリン種である彼、スロバッドが造り上げた品も、残り続ける事になる……筈だ。多分。
本当はきちんと発表する前に何度か実験をして、『やっぱりダメでした』といった肩透かしを回避したかったのだが、《月面騒動》の一端を担った俺が、ただ『場所貸して』、なんて言っても通る訳がない。
永琳さんや輝夜に事情を話し、何度も『失敗するかもしれないからね!』と弱腰MAXでしっかり逃げ道を用意しておいたのだが、それは杞憂に終わった。
こうして完璧に仕上げてくれたスロバッドに対して、疑って悪かった、と謝ったものです。
『ゴブリンの修繕屋スロバッド』
2マナで、赤の【伝説】【ゴブリン】のクリーチャー 1/2
やや珍しいタイプ【工匠】を持つ。
【アーティファクト】一つを消費し、一ターンの間、他の【アーティファクト】一つを破壊されないように出来る能力を持つ。
カードゲームとしての性能はそれ程でもないが、原作の彼は、過酷な運命を切り開いていった勇気ある者である。
『槍の前と後ろが分かれば昇格する』、と、あまりに(頭が)壮絶な種族であるゴブリン族に対して、あるまじき有能さを秘めており、自分の非力さを人一倍理解していたので、それ以外の方面で、ゴーレムや武具などの、様々な【アーティファクト】を使用し、活躍した。
ここは月。
東方プロジェクトの世界において、ここより進んだ文明は無かった。
転生前の文明よりも遥かに進んだ、科学の真髄とも言える技術の数々を目にしていく内に、思ったのだ。
―――既存の技術や材料を使って、この世界に、MTGのモノを作れないか、と。
ここで作ったものなら、当然、維持費など発生する事も無い。
それらの前提には、まずそれら【アーティファクト】なり何なりを作らなければならないのだが、そこは月の科学と、スロバッドの知識と技術によって解決した。
彼、スロバッド―――の種族、ゴブリンは、MTGでも知能の低い種族して扱われる存在なのだが、彼に対してそれは当てはまらない。
この【カルドラ】シリーズには製作にこそ携わっていないものの、これの仕組みを理解し、隠された能力を発動させるまでに至る経験を持っている。構造の殆どは、既に理解しているらしかった。
他にも幾つか、強力な【アーティファクト】の作製に関わっており、何より大切な者達には、時に命すら対価にするだけの信念を持つ者。
造れる武具の性能を初め、その人柄も、彼をこうして呼び出した理由の一つとなっている。
ここでは入手不可能である材料―――MTG界にあるもの―――は、俺が【宝石鉱山】やら様々な【土地】を出し、そこから採取する事でクリア。
他に用意出来るものは月に……というか綿月家やら八意家やら蓬莱山家の人達の勅命に近い形で発注して貰ったものを使用して、難なく補填。
そうして、たった数十日程度で、ものの見事に【装備品】の中でもかなりの性能を誇る【アーティファクト】がこの世界に蘇った。
もう少し余裕が出来たら、他の何かも造ってもらおうかな。
「これは【カルドラ】シリーズ。名前はまんま【カルドラの剣】【カルドラの盾】、んで、【カルドラの兜】だ」
それも聞きたい事ではあるが、もっと聞きたい事は別にある。
そう依姫の顔に書いてあると分かるのは、彼女が分かり易過ぎるからだと思う。うむ、俺が作った訳でも無いのに、結構優越感に浸れるもんだな。割と楽しいぞこれ。
「まずは盾からいくか」
置いてあった盾を手に持つ。
小型ではあるものの、ズシリと手応えを感じ、思わずそのまま倒れてしまいそうになるほどの重さはあった。
「これは【カルドラの盾】。所持した者のダメージをほぼ確実に防いでくれて、これ自身も同様の効果の効果が掛かってる。……あれだ。俺が【ダークスティール】の円盤を出してた時の状況と同じになる。と考えてくれて良い」
食い入るように【カルドラの盾】を凝視する依姫を、一歩引いた状態で見守る永琳さんや豊姫さん。そして、輝夜。
レイセンだけは、緊張で顔を引き締めていた。強張っていないところを見るに、どうやらある程度の肩の力は抜けてきているようだ。良かった良かった。
本当はそれなりにリアクションは取って欲しいもんですが、仮にも今後の月に何らかの一石を投じる品物なのは間違いない。
んなもんだから酒が入っているこの場とはいえ、こうして真面目に話しを聞いてくれているんだろうが、
(ちょっと怖いなぁ、この視線)
猛禽類に囲まれた兎のようだ。
……レイセン、お前ちょっとこっち来い。ポジションチェンジしようぜ!
「で、次は?」
「お、おう」
おおぅ、よっちゃん急かし過ぎ。
「じゃあ次。【カルドラの兜】。こいつは使用者に様々な能力を付与してくれるもんだ」
「様々な……。具体的には?」
「……それはこれから試す」
あ、輝夜の頭がガクっと下がった。
「とりあえず戦闘面で有利になる力を持たせてくれる兜、とでも思っておいて」
ごめんなー。その辺りを試した後で発表したかったんだが、何せ時間無くて。
「んじゃ、最後は、これだな」
最後の一つ。
鈍い光沢を放つ剣へと手を伸ばす。
「(あれ? 重い……)これは【カルドラの剣】。所持した者に力を授けて、これによってダメージを与えた……傷付けられた者は―――」
「……者は?」
「者……は……」
そういや【追放】ってこういう場合にはどう作用するんだろうか。
除去系の究極に位置する【追放】。
【暴露】を使用した時には対して気にしなかった問題なのだが、実際これをクリーチャー……対象に使ったらどのゆな事態になるのだろうか。
「ちょっと失礼」
近場にあった、魚の焼き物に手を伸ばす。
皿ごと足元へ置いて、スイカ割りの時みたいに【カルドラの剣】を構えた。
僅かな緊張。
この気持ちを皆が共有でもするかのように、ゴクリと生唾を飲み込んだ後、
「よっ」
ケーキ入刀よろしく、ゆっくりと【カルドラの剣】使って魚を切った。
しかし、
「……あれ?」
何の変化も起こらない。
真っ二つになった焼き魚に、俺は効果に対しての疑問から首を捻り、月の人達は『何やってんの』的な様子で首を傾げた。
「……これが、どうかしたのか?」
「えーと……もう少し色々と驚く現象になるって思ってたんだけど……」
って、あ。
(これって【装備品】だったじゃんよ)
この【装備品】という代物は、自軍のクリーチャーを対象に付属されるもの。
そして、取得させる―――クリーチャーへと装備させる為には、殆どの場合、マナという対価を払わなければならない。
場に出す事と、それを対象の存在に所持させる事は別扱いなのだ。
(【カルドラの剣】……本来なら4マナで召喚出来る【アーティファクト】で、それを対象に装備させるのに必要なマナコストは……確か、同じく、4)
その理屈で言うのなら、この【カルドラ】シリーズに対しても同様に、マナを支払わなければならない事になる。
造ったのがスロバッドである事による所有権問題やら何やらに色々と疑問が浮かんでは消える。
(えぇいままよ!)
けれど、既に若干のアルコールの混入した頭では、長考という選択肢は消え去ってしまっていた。
よって、強引に4マナを使い装備させる感覚を巡らせながら、再度この剣を握る手に力を込めた。
(あ、ちょっと力抜ける……)
どうやら成功したようだが、カードの能力を使う場合にも、やはり体力は奪われるみたいで。
4マナ使った割りには体力を奪われ難くなったのは、何かしらの進化なのか、制限の緩和なのか、悩む所である。
途端、手にした【カルドラの剣】が軽くなり、羽の如き存在となり、先程までの重量感は嘘のように取り除かれていた。
この分では、しっかりと効果を発揮しているようだと実感出来た。
――― 一瞬だけ、こちらを見る目のガラリと変わった彼女達には、微塵も気づく事は無く―――
(うっし、リベンジ)
真っ二つに切り分けた焼き魚を再度捉え、もう一度。今度は四分割にする勢いで、ゆっくりと剣を落とす。
すると、
「げっ」
スロバッド以外の全員が驚いた。
焼き魚は当然として、下にあった皿にまでも、その刃の餌食となってしまったからだ。
だが、それだけでは終わらない。
切断と同時。
一瞬、刃で切断した箇所に揺らめきを見たかと思えば、まるで夢か幻か。魚も皿も、霞のように消え去ってしまった。
「……九十九」
「……うん」
依姫の声色が強張っている。
そして、俺もその意図するところを察する事が出来た。
細心の注意を払って、【カルドラの剣】を、そっと床へと寝かせる。
この刃に何者も触れられないように、その上から、近くにあった座布団を何枚も被せた後、俺はその場にへたり込み、
「―――めっちゃこえー!」
騒ぐように声を出した。
「あんたが造らせたんでしょうが!」
輝夜の突っ込み(豪腕)が俺の後頭部に振り下ろされる。
だが、
「甘いっ!」
かぐや の こうげき は はずれた!
「なっ」
「よっ、っと!」
俺が避けるとは思わなかったんだろう。
スカした腕が空を切り、輝夜はバランスを崩した。
それを好機と取った俺は、無造作に振るわれた腕を掴み、関節的にこれ以上曲がったら不味い位置へと固定し、背後へと回る。
これでも高校の時には体育の成績は中々良かったのだ。その頃は持久力が無いので、スポーツの試合なんかでは戦力外な場合が殆どだったけれど。たまに人数合わせに狩り出されたのも良い思い出になっている。
ただ、こうしたんなら体が密着する流れになるのをすっかり失念していました。ちょっと感情が揺らぐのだが、何せこいつは残念美人。思うところは間々あるが、全て意思の力で抑え付けられる範囲のものだ。
「甘い! 甘いぞ、ぐーや! その手の突っ込みなど俺は既に予想していた! 二次のテンプレのようなものだからな! 突っ込みは、愛なくして成り立たん! 俺は基本受身だが、ただの暴力には頑として抗議するものであります!」
「ちょ、ぐーやって私の事!? 後、そんなカミングアウト要らないわよ! それはいいから、この手を離しなさい!」
「ははは! やだね! お前にゃあの時(兵器実験場で)のお礼をしなきゃならんしな!」
「―――あんた、たかだか間接一つ極めたからって、私が対処出来ないと思ってるの? 技は勿論、力のみでも脱出出来るのよ? あんまり怪我させたくないから言ってあげたのに。……そう。そういう態度に出る訳ね」
「ふふふ……抜かりは―――無い!」
言って、背後から彼女の顔へと、もう片方の空いた手を伸ばす。
顔面で静止した俺の手を疑問と不安で見つめる輝夜の横顔に満足しながら、俺は切り札をチラつかせた。
「―――レイセンの時には鼻の入り口を塞ぐだけだったがな……」
「……なっ、あんたまさか」
ふふん。やっと理解したか。
しかし遅い! 今なら何をやっても間に合わんぞ!
「動くな蓬莱山輝夜。さもないと―――お前の顔面鼻フック姿をこの場の全員が見る羽目になるぞ!」
初めて聞く単語である筈だが、言葉のニュアンスで、何となくどんな状態になるのか予想が付いたのだろう。
多分、彼女の頭の中ではレイセンにやった鼻の穴に挿入事件がより醜い状態となって再放送されているんだろう。
顔を青くさせたかと思えば、憎々しい程の目線をこちらに向けて来た。
うんうん。今はその視線も心地良いぞよ。
「月の至宝、敗れたり。……ぐふふ。美しいものが穢される様は、実に愉快なものよのう」
「キモッ! 今の声何処から出したの!? あんたの背後に肥満体の脂ぎったブタ男が見えたわよ!?」
……結構傷つくなそれ。急に酔いが醒めて来た気がする。
「―――はい。そこまで」
俺の背後に、先程まで座っていた筈の永琳さんが、こちらの首筋に手刀を突き付けていた。……え、首?
肌に感じる熱は確かに温度を持っているのに、それが堪らなく冷たいと思えてならないのは何故なんだろうか。
「ごめんなさいね、九十九さん。仮にもこの子は私の教え子であり、月の主になる役目を担っているのよ。もしやるなら私の眼の届かないところでやって頂戴」
他でならOKよ。な台詞な割りには、声が冷たい。
というか、あなたの場合、眼の届かない範囲というのがあるのかどうなのか、是非尋ねてみたい気もします。はい。
何とか事無きを得て、元の場所へ戻る。
不満気に元の席に着く輝夜を横目に、同じく席に着きながら、俺は内心で『助かった』と思った。
よく考えてみれば、輝夜は能力使えば時を止めるような効果があったのを、すっかり忘れていた。
全然優位でも何でもなかったんだが、その辺りはあいつがこっちに合わせてくれたんだろうか……。だとしたら、結構ノリの良い奴なのかもしれない。
「それで、九十九さんとスロバッドさんは、これを造り上げた訳だけど……」
永琳さんが、目線で【カルドラ】シリーズを指しながら、酒で唇を湿らせながら話す。
『これどうすんの?』と言いたいんだろう。
……んじゃ、当初の目的を果たすとしましょうかね。
「それはですね。―――豊姫さん」
「……何でしょう」
我関せずを貫いていたお方に声を掛けるのは、非常に勇気が要るもんだ。
「これ、あなたに差し上げます」
「……はい?」
あ、その驚いた顔は綺麗です。見惚れそう。
―――正直、出来れば他の人達には聞いてほしくない。
あまりに恥ずかしい……というか、情けない事を言おうとしている自覚はあるから。
グラスの中にあった酒を一気に煽る。
酒の力を借りなければ言えない弱気が情けない。
だが、だからといって何もしないでいられるものか。
もう切欠は作ったのだ。
後は野となれ山となれ。
「自分なりに考えたんです。でも、俺、豊姫さんが何を望んでるのか全然分からなくて……」
俺に対して腹を立てているのは手に取るように分かるのだが、それ以外では殆ど接点も無いせいで、趣味趣向の類がサッパリ理解出来ないまま、今に至る。
時間を掛ければ解決出来そうな問題ではあるものの、一応、俺の帰りを待ってくれているであろう人達の顔がちらついて。
すぐに帰りたい。贖罪をしたい。
この二つの間で揺れに揺れた結果―――
「ただ、一つだけ。永琳さんや依姫。そして、輝夜の事を大切に思っているのは良く分かりました。それに対して奔走している事も。……俺は、ここでの人間付き合いのイロハは分かりません。だから、もう単純に、例え何があっても身を守ってくれるものを用意したつもりです」
「……それが、この【カルドラ】シリーズだと仰るので?」
「はい。俺が使う相手を決めない事には、ただの金属の塊みたいなもんですが、一度契約してしまえば、効果は先程みてもらった通り。攻撃においては全てを貫く矛となり、防御においては決して傷つく事の無いであろう盾になる。戦闘においては、まず傷つくことは無いでしょう。また、もしそれが嫌だと言うのなら……」
床へと置いてあった武具達が宙に浮く。
驚く一同を他所に、それらは空中で固定されたかと思えば、一瞬にして形を持つ存在を呼び出した。
二メートルをゆうに超える―――ジェイスに勝るとも劣らない身長の青く薄みがかった体は、幻想のように揺らめく。けれどその存在は屈強な戦士以外の何者でもないと思わせるものであった。
スパルタ人の戦士を幻影と成したら、このような姿になるであろう予想図の具現化が、そこにはあった。
盾、剣、そして兜。
この三種の神器、【カルドラ】シリーズが出揃った場合にのみ発動出来る能力。
それを、今ここで起動させた。
この三種が場に存在している場合、1マナを使用する事で4/4の【伝説】【アバター】【トークン】を生み出し、それにこの三種の装備品を所持させる事が出来る能力を持つ。
「―――【カルドラチャンピオン】。そこいらの妖怪を歯牙にも掛けない圧倒的な力を持ち、破壊されず、攻撃を与えた対象を消滅させる、伝説の戦士です。彼に掛かれば、あの【マリット・レイジ】すらも―――」
ここまで言えば分かってくれるだろう。どれだけ有効性があるのかを伝えるのには、これが一番だと判断した。
実質9/9。破壊されず、ダメージを与えたクリーチャーを【追放】し、その他各種、戦闘面において有利になる力を保持した、恐るべき存在。
力では【死の門の悪魔】と同等だが、その他の性能が違いすぎるほどの高性能である。
青き陽炎の如き体に繋がれた兜、剣、盾の三つを構える存在を前に、一瞬、俺とスロバッドを除く誰もが顔を強張らせた。
念話で彼……? へは説明済み。
物の様に扱ってしまうというのに、それでも快く引き受けてくれて、むしろ【アーティファクト】に気配りをする俺に珍しがられ、面白い奴だと、何故か気に入ってもらえたのは幸いだった。
「私が提案するのは、この二つ。拠点防衛、拠点破壊、殲滅戦に向いている【マリット・レイジ】と、小回りの効き、汎用性に富んだ【カルドラ】シリーズ含む、一騎当千の実力を持つ【カルドラチャンピオン】。―――以上が、俺が永琳さんと、豊姫さんに対する……謝罪の気持ちです」
物で釣る。
そんな言葉が頭を過ぎった。
(……何を今更。スロバッドを呼んだ時から分かり切っていた事だろうが)
既に大いに嫌われているのだ。もう、中途半端に好かれようとするんじゃない。
無い頭振り絞って考えた結果の、これだろう。
相手の大切なものが守れるのなら、俺がどう思われようが関係ない。
もし間違っていたのなら、その時に改めろってんだ。何もしないままでいるんじゃない。
実行あるのみ。
駄目な男は駄目な男なりに、最後まで―――。
「……その【カルドラチャンピオン】……さん、は、こちらの指示は聞いて頂けるのかしら」
豊姫が訝しげに尋ねて来た。
「はい。俺……私が指示すれば」
優先順位は俺だけれど。
沈黙が続く。
瞳を瞑り、何かを考えているような、心を落ち着かせているような静寂の後で。
「―――分かりました。私、綿月豊姫は、あなたの謝罪を受けます。以後は禍根なく、幾久しく、我が綿月家含む、この月の友として、友好を築ける間柄となりましょう」
深く息を吐いた後、豊姫はその目を開く。
俺の正面へと周り、互いに直立で向き合う形となった。
永琳さんも、輝夜も、レイセンも、スロバッドも。これを見守るように眺めていた。
「全く……。意固地になり続けている私が馬鹿みたいじゃない。あなた、仮にも被害者なのですよ? 裁判での決着も付いたし、こうして贖罪する必要も無いですのに」
「そうかもしれませんが……。大切なものを傷付けられた時の感情は、裁判とか法律とかで整理の付くものじゃないと思いますから」
「―――っ」
豊姫が目を見開いて、驚いた表情を作る。
ぐふぅ、胡散臭過ぎて引かれたか。
このままビンタでも飛んできたらどうしよう(汗
―――と。
彼女は、すっと、片手をこちらに差し出して来た。
「ここまでお人好しですのに、どうしてあの時にはそれが現れてくれなかったのかしら。演技だとしたら、この月でも最上位の役者になれますよ?」
困ったような……それでいて、何かがスッキリしたような、不思議な表情。
「それじゃあ、蟠りも取り払われたようですし……主に私の……な気はしますけれど……。今宵は無礼講、という事で。精一杯楽しむと致しましませんか? ―――九十九、さん?」
途中でボソボソと言っていた事は聞き取れなかったが、全体で見ればそれは、俺に対する印象の変化があったのが伺えた。
初めて名を呼ばれた気がする。
正確には何度も呼ばれてはいるのだが、それはこちらの名などではなく、単なる固体名称―――番号や記号としての意味合いでしか無かったのだから。
「―――はいっ!」
その手を握る。
両の手でしっかりと掴んだその手は、凄く―――ただの温度などではない暖かさを伴っていた。
―――で。
「あの……依姫、さん?」
「如何しました?」
「(如何……しました?)……えっとですね……何か近いな~? と思いまして」
「これくらい傍に居りませんと、九十九さんのお世話が出来ませんので」
「おせっ……。……いえ、あの、もう充分にして頂きましたんで」
「……もしや」
潤んだ瞳。
「お嫌でしたか?」
「いえいえいえ! こうして至れり尽くせりな状態なんて初めてでしたから! 依姫さんも俺の世話なんて気にしないで、今を楽しんで欲しいなって!」
よしっ!
我ながら良い方向に回避経路を見つけたものだ。
「それでしたらお気になさる心配はありません。私は、今こうしている事が楽しみでありますので」
しかし まわりこまれて しまった!
「―――九十九さん」
「と、豊姫さん……」
挟撃!?
「あなた、依姫ちゃんの何処が気に入りませんの?」
「近い近い! もう少し離れて下さい! 完全に酔ってるでしょう!?」
「いえいえ、そんな。まさかまさか。ただのアルコール如きで私達月の民が屈する訳ないじゃないですか」
その割には目元がとろんと垂れているのは、それがデフォルトなのか酒の影響なのか、大して付き合いのない俺には判断が付き難い……のだが……。
というか、それなら高御産巣日が酔っ払っていたのは、何と説明してくれるんだろうか。
(ぜってー酔ってるもんよ。足腰に力入らなくなってんじゃん。立ててないじゃん。這ってるじゃん)
何だかどっかの呪いのビデオから出て来た幽霊みたいにこっちへと擦り寄ってきた豊姫は、どうやら絡み酒を嗜んでいるらしいと分かった。
―――思えば、輝夜が余計な一言を言ったのが原因だった。
『あんたのとこの酒飲みたい』と、ほろ酔い状態で言ってきたまでは良かった。
永琳さんの家でお世話になっていた頃に、乗り気で俺の出した料理……というか食材やらを自慢げに話す永琳さんに、皆、何度か付き合わされていたらしく、前々から興味はあったようだ。
んで。
折角だからと、こうして全員に振舞ってみれば……。
何か変な物質でも入っていたのか、先程の楽しい宴は何処へやら。
永琳さんはスロバッドと談笑し……時折笑みが黒いのは見なかった事にする。翻訳機器を使っても会話不可能であった筈なのだが、どうやって会話しているのか……。は、もはや聞かない。
輝夜は酒豪の部類に入るようで、実に美味そうに、微塵も気品が崩れる事無く。手にした酒を煽り続けている。
意外であったのは、あのレイセンもその部類であったようだという事。
輝夜に付き合って酌をし、時に返杯を受けて、それを顔色一つ変えず、事も無げに一気に飲み干すのだから、見掛けに騙されちゃあいけないと、マジマジと見せ付けられている。
今度飲み比べとかする機会があったら、絶対に回避すべきであると決めた。
……で、一転して変わってしまったお方が一人。綿月の妹さんこと、依姫である。
何と言うか、幸せに恐ろしい。
変な言葉なのだが……とりあえず順序立てて述べると、だ。
ほろ酔いの依姫が俺の出した酒を飲み、一定時間が経過した後、ふと気づけば俺の隣で静かに鎮座する存在となっていた。
ここまでは良い。
恨みがましい目をしていた訳でも、不満を溜め込む存在になっている訳でもなく、本当にただ、そこに自然と、空気の如く佇んでいただけだったのだから。
だが、グラスが空になれば酒を注ぎ、各種大皿に盛り付けられていた品々を摘もうとすれば既に小皿に装われて手元にあり、手を拭こうと思えばお手拭を渡されて、テーブルの上には零れた料理の欠片どころか、水滴一つとして存在していない。
(……何でこんな高待遇されてんの)
行った事は無いが、多分、毎夜数百から数千万が使われてるという銀座やら日本橋やら薄野やらのキャバクラですら、ここまでのものではないだろう。
この分では厠にすらついて来そうな雰囲気である為に、膀胱に只ならぬ違和感を覚えながらも、こうして席を立てずに居る。
流石にこのままでは色々と不味い。と声を掛けてみれば、先程の台詞が返って来た。
『それでしたらお気になさる心配はありません。私は、今こうしている事が楽しみでありますので』
楽しい? 楽しいって何が? 俺の世話が? 何で?
初めて会った時の凛とした武人のような姿など見る影も無く、どちらかといえば彼女の姉のような、良妻賢母ってこんな感じか? とか思えるだけの人格と言葉遣いに豹変していた。
俺の後を三歩離れた距離から、影を踏まずに両手の掌を静かに重ねつつ、ついて来そうな雰囲気である。
(……そういえば、原作の口調って、どっちかといえばこっちよりだったか?)
少なくとも『だぞ』とか『だな』とか語尾にはついていなかった。
となるとあれか。
いずれはこっちの方にその辺が変わっていくんだろうか。
「九十九さん」
豊姫さんが唐突に呼び掛けてきたかと思えば、
「は、はい。何でしょガボァ」
口に何か硬い物が。
俺の胸には、それはもう柔らかな物体が押し付けられているのだが、それを楽しむだけの余裕などある筈も無く。
「あなた、まだ正気なのですね。―――つまらないです。我を忘れなさい」
「がばごば……ごぼぼっ!(それって俺が出した一升瓶『月の輪 大吟醸』……って、体が動かねぇ!)」
ここは月で、仲良く“輪”になってハッピーだね。的な名前としての“和”と掛けてみたのだが……何とも嫌なワになってしまった。
ガッチリと両腕を肩からしっかりホールドしてくれやがってるのは、獲物を見つけた目になっている輝夜と、今がチャンスとばかりに赤い瞳を滾らせているレイセンである。
(お前らいつの間に!?)
豊姫さんもそうなのだが、何より微動だにしない程に腕を体へ押し付けられているので、必然、こちらも男の浪漫を楽しむ機会が巡って来ているのだが、秒単位で毒素(アルコール)が流し込まれている脳内には、それを味わうだけの感覚が麻痺していた。
……というか、実際に血流が止まって腕が麻痺していた。
あれ、おかしいな……俺の腕ってこんな青い色してたっけか。
(そ、そうだ。【カルドラチャンピオン】! ちょっと―――)
ってダメだー! 『ちょっと僕対処出来ないよ』ばりに手を前へと突き出した状態で首を左右に振っていらっしゃる!?
(え、何? 『私は空気が読める』? ―――違うから! じゃれてるように見えるかもしれないけど、微妙にヤバい状況だから! というかお前関わりたくないだけだろ!? 一升瓶を一気とか死ねますよ!)
……あ。
(―――あれか! さっき『和室にスパルタ人っぽい姿とか違和感バリバリwww』とか言ったからか!)
あ、薄く笑いやがった。その通りかよ!
すまんかった! あれは酔っぱらってからなんだ! 普段はそんな事、口が裂けても言わない男ですよ俺は!
(『思うには思うんだな』って……そりゃ……ねぇ……?)
今のは嘘を突き通すべきだったか。……正直過ぎるのも考えもんだぜ。
あかん。こっちを助けてくれる気が微塵もねぇ。自業自得だが。
(じゃ、じゃあスロバ―――)
―――熟睡しておられる。―――ははは、こやつめ(笑
……駄目じゃん! マリさん……は無理だ。助けを求めた時点でこの空間消滅する。……MTG勢の味方全滅!?
くっ、背に腹は変えられんか! なら、何故かこっちに優しくしてくれてた依姫に……
「良い? 依姫。良い女というものは、男性の顔を立てて、見せ場やコミュニケーションの邪魔をしてはダメなのよ?」
何、楽しそうに吹き込んでるんですか永琳さーん!
(なら最後の手段! 【プロテクション】使ってアルコール耐性を……)
……アルコールって色に部類するなら何なのよ。
いやいやいや、そもそも【プロテクション】でアルコール防げるんだろうか。
もういっそ、何か別のカードを使って……。
(って、あ……ダメだ……意識が……)
勇丸よ。お前さえ居てくれれば……。
新入社員歓迎会で馬鹿やった時以来か。
あの時は同僚に迷惑を掛けたなと思いながら、ミスター・リバース。あるいはザ・ハイドロポンプの称号を冠しないよう願いつつ、俺の意識は頭から離れていった。