所々に体が寒い。
けれど正面だけはとても暖かで。
温もりを求めて体を摺り寄せると、その暖かさはもそもそと動いた。
(―――あぁ、これ勇丸だったか……)
寝起きながらも状況ははっきりと分かった。
過去嗅いだことのないほど濃厚な土と木の匂いの交じり合う、ここ隠れ家の中。
勇丸にも匂いってあるんだろうかと思い、嗅覚に集中するが、全く嗅ぎ分けることが出来なかった。
多分、匂いについての記述のないクリーチャーとかは、全てそうなんだろうと、段々と意識が覚醒していく中で結論付ける。
そう考えると、昨日のバッパラや、これから召喚する予定の天使やゴブリン、ゾンビにドラゴンなんかは大半が無臭なのではないか、と残念3割、安心7割の心境で判断した。
だって良い匂いの奴なんてそうそう居ないだろうし、居たとしても『良い匂いの強いクリーチャー』ってカテゴリに入る奴はまず居ないだろう。ってか俺が知らない。
先にデメリットの方から考えるなんて、相変わらずネガティブな思考してんな、と我ながら呆れた。
さて、いい加減目を開けなきゃなぁなんて思うので、何とか瞼を抉じ開ける。
思考のハッキリしない寝起きの為か、もうやる事なす事の初めに『初』なんとかなんて付ける気はない。
視界に飛び込んできたのは、白。
予想通り勇丸の背中なのだが、コイツは寝そべりながら首だけを起こして、出入り口に警戒を続けていたようだ。
(一晩中ずっと警戒してくれてたのか……?)
睡眠とか要らないのかもしれないと考えてみたけれど、完全徹夜を経験した時の自分と今の勇丸を重ね合わせてしまい、申し訳なさと感謝の念がこみ上げる。
そうとなれば、この気持ちを伝えておかないと。
「おはよう。警戒してくれて、ありがとう」
首をこちらに向け、勇丸は目を細める。
―――お気になさらずに。
言葉や行動ではない、言うなればニュータイプみたいな、心で分かる感覚が俺の中に届く。
どうも、このクリーチャーって奴は、心で気持ちを通わせることが出来るようだ。
言葉を話せそうな人間タイプの奴はどうなんだろうかと思いながら、別の問題を考える。
(バッパラや勇丸もそうだけど、俺への忠誠は無条件で付いてると考えても良いのかな)
あたり前だとは思うが、この前提条件がなければ俺はこの世界でやっていけない自信がある。
“召喚したのだから俺に従えー”なんて、何とかの使い魔で出てきたサイト状態だったら目も当てられない。
なんてったって、パラメーターだけ見ればただの人間なのだ。
間違いなく、最低ランクのクリーチャーでも殺される自信がある。
(初めに出した攻撃力のあるクリーチャーが勇丸で良かったのかもしれないな)
体に被った藁を押しのけて、服に付いたそれらを払う。
朝日の差し込む唯一の出入り口の扉を開け、勇丸を先に行くよう思いを伝える。
二メートル近くある大型犬なせいか、勇丸が歩くだけで幻想的な光景が視界を埋めた。
(こりゃ、大型コストのクリーチャーとか見た日にゃ卒倒するかもな)
誰もいなくなった隠れ家内部に目を向けるが、これといった感情は沸かない。
恐らく何度も利用するんだろうなと思い、逡巡。
【隠れ家】の能力を思い出した。
(そういえばそんな能力あったな……どうなるんだろ)
実験に近い気持ちで、誰も居なくなった隠れ家の扉を閉める。
そのまま数秒。
何の変化も起きないことに、俺は内心ガッツポーズをする。
―――【隠れ家】には無限のクリーチャーを内容出来る能力があるが、その収容されたクリーチャーを開放するには、【隠れ家】自身を生贄に捧げなければならないのだ。
そして今回、内包されたクリーチャー(俺もか?)を放出し終えた今でも、【隠れ家】は依然としてそこに存在している。
(デメリットはある多少無視出来るっておっちゃん言ってたけど、これホントにどこまで無視出来るんだ?)
使う側になった為、ご都合主義万歳派になった俺だったが、このデメリット無視がどこまで通用するのか確認しないことには足元をすくわれかねない。
(これから、手札を捨てる、ライフを支払う、ターンを前払い、なんてデメリットの検討もしていかないと……)
やる事は山積みだが、今はそれよりも優先して調べたい事を思い出す。
それは、クリーチャーについているパワーとタフネスが、こちらの世界でのどの程度のものになるのか、という事だ。
バッパラは0/1。
これは攻撃力が皆無の、タフネスは最低ランクという事。
対して、勇丸は2/2。
攻撃力が2のタフネスが2という事だ。
一番分かりやすいのは、何かと戦わせるか、同じく何かを破壊してみればいい。
そう思いながら、目の前の隠れ家を消す。
お世話になりました。と、宿家になってくれた木に感謝しつつ、林を先導する勇丸の後を追い、初日にいた草原へと戻った。
「さて、まずは今いる場所の確認をしてみますか」
思い、役に立ちそうなカードを思案する。
するのだが……
「……ダメだ、さっぱり思いつかない」
ダメでした♪
……うん、音符つけてもキモさ倍増するだけだな。以後自重しよう。
脳内wikiに検索をかけるも、そこまで容量がある訳ではないので、ゲームの対戦として使用頻度が低ければ低い程に、俺のギャザに対する知識は霞んでいく。
「仕方ない、周囲の散策をしてくれるクリーチャーでも呼びましょうかね、っと」
分からないのなら、分かるようにするだけだ。
例え効率が悪くとも、停滞するのはいただけない。
それに、カードを扱う良い練習にもなるのだと思い、探索に便利そうなキャラを思い浮かべる。
探索……機動力がある……足が速い……地形無視……空……
うん、鳥―――というか飛行系だ。
今度はバッパラのような攻撃力のないもじゃなくて、しっかり攻撃出来る奴を出してみよう。
コストゼロの隠れ家は出したし、コスト1のバッパラや勇丸は出したから、次は2で。
そして、どうせならと、あまり使われる事のない、少し捻ったクリーチャーを召喚する事にした。
「イメージイメージ、っと。来い!【エイヴンの遠見(とおみ)】!」
3回目ともなると慣れたのか、イメージもすんなりと形を成す。
そして現れる【エイヴンの遠見】。
人と鳥が融合したのような外見。
顔が鷹……だと思う。
手は大空を駆けるための翼がついていて、人間どころか牛やゴリラといった大型生物でも楽々と捕食出来そうな鍵爪が見て取れた。
天使を思い描くより、鳥人間といったコセンプトの方が合っている印象。
1/1に飛行能力と、ちょっとした能力が付随されているのだが、そのちょっとした能力はこの場では無関係なので省略。
能力には表記されていないが、遠くを見渡すことに長けている筈だ。名前的に。
召喚と同時、ドッと体力を奪われる感覚が俺を襲う。
百メートル全力疾走しましたと言わんばかりに俺は荒い息を吐く。
(こりゃ3マナとか出したら立てなくなるかもな)
幾ら運動不足だったとはいえ、結構疲労するなぁ、と思いながら、召喚したエイヴンを見る。
俺をゆうに越えるその躯体に、思わず息を呑む。
これでガチンコの戦闘をしたら勇丸の方が強いというのだから、MTG内では不思議な現象も起こるものだ。
……そして、その不思議現象をこちらに当てはめて考えるのはやや危険。
おっちゃんが『カードの効果が必ず効果を発揮する訳ではない』といっていた。
これは恐らくパワーやタフネスといった数値にも関係するのだろう。
カード上では戦闘行為は足し算引き算の結果だが、実際は経験や技術、その場の状況に運といった様々な事象が関わってくるのだ。
目安の一つにするならまだしも、絶対だと思い込むのは避けておこう。
そう思いながら、エイヴンを見上げる。
(うわぁ……マジこえぇ)
ギンと睨む眼光に、俺の股間が竦みあがる。
きっと目つきが悪いだけだ、と強引に考え、遠ざけるかのように周りを探索するよう言葉をかける。
「今ここにいる地点を中心に、探索を始めてくれ。ただし、人型の生き物を見た時は報告しに戻ってきてほしい」
一瞬。
しゅばっ、っと離陸して、彼は瞬く間に空の彼方へ偵察に出かけていった。
見届けると同時、緊張と疲労も合わさった疲労感を回復させるべく、すとんと地面に腰を落とす。
雄大に大空を駆ける彼に憧れを抱き、機会があったら何かの呪文を使って空を飛ぼうと心に決めた俺だった。
(いつかは10マナ以上の召喚とかやってみたいねぇ……世界終わりそうだけど)
漠然と、視界から小さくなっていくエイヴンを見ながらそう思う。
10マナ以上ともなると、神みたいなクリーチャーが多い。
元々、MTGは次元世界を題材とした作品だ。
ギャザの神がどの程度の存在なのかはイマイチ掴めないが、間々、次元崩壊で星一つどころの話ではない事態が起こっている。
そんな事象を引き起こす存在を召喚出来るかもしれないというのだから、そりゃあテンションも上がるってもんよ!
俺TUEEEとか誰もが1度は夢みる出来事な筈だ。
ただ俺の体力がそこまでもたないので、気の長い話ではあるのだけれど。
(1マナが鳥とか犬で10マナ以上が神クラスだとしたら……単純に2マナだから1マナの二倍強い、とかって訳でもないんだろうな)
その辺りは今後分かるとして。
お日様も真上に昇ろうかという時間帯。
クリーチャーとして召喚されたせいなのかは分からないが、周囲を警戒している勇丸は空腹なることはないようで、尋ねてみるも、大丈夫だという意思が返ってくる。
食費は掛からなくていいなぁと漠然と考えながら、勇丸の様子を観察しつつ、何をするでもなく周りの風景を眺めながら、考える。
クリーチャー二体。1マナと2マナの計3マナ維持とは、中々に大変であることを実感した。
感覚としては、やや早歩きをし続けている位の疲労感。
一応は体を休めながら行っているのでそこまで苦ではないのだが、いつかは体力でもレベルでも何でもいいから上げて、召喚出来る範囲を広げていきたい。
考えをまとめつつ、ごろんと大の字に体を横たえる。
見上げた景色は一日目と同じで、青い空に白い雲。緑の絨毯はふかふかで、昨晩お世話になった林には、鳥達が時折飛び出す様子が窺えた。
(―――平和だ)
心からそう思う。
能力の把握とか、これからどうするのかとか。
そんな思いすら、この景色の前では豆粒のような考えなのだと実感させられる。
ここは『東方プロジェクト』の世界だとおっちゃんは言った。
だが、だからといって別にそれらに登場するキャラクターに遭遇しなくても良いのではないか。
教えられた時には『原作介入ひゃっほー! 俺好みのストーリーにしてやるぜぇ!』なんて脳内で息巻いていたのだが、今の俺には飽きることのない感情と、何でも食べられる能力が備わっている。
ぶっちゃけ、体調さえ崩さずに篭れるのなら、幾年だろうと問題ない。
何かカードを使って、日が昇っている間は大地を、夜は星を眺めている状況を作るだけで、今の俺は満足なのだ。
それに、原作には原作の流れがあり、こと東方プロジェクトには悲しい出来事は多少あるが、幻想卿に集う時には、大体が円満になっている。
―――原作に限らず、世界では悲しい出来事が多々起こっている。飢餓や戦争も、当然の事ながら。
だが、俺にはそれらは興味の対象外なのだ。
そこに俺がいなくてもなるようになるし、ならなかったら滅んだり、他の人がどうにかする。
世の中、そんなもんだった。
たかだか数年社会に出ただけの俺だったか、そんなもんだったのだ。
情もなく、思い入れもなく、繋がりもない何かの為に、少なくとも俺は動けない。……いや、動きたくない。
『力を持つ者の定めだー』とかクソ食らえ。
それは他力本願というものだ。
頼ってきたのならいざ知らず、こうべき、なんて押し付けがましい考えは、受け入れられない。
だから、このままゆったりと自然の流れに身を任せて―――
突如、座っていた勇丸が四肢を広げ、何かを威嚇しながら、俺の前に盾になるかのように立ち塞がる。
低く唸り声を上げる勇丸に、俺の思考は一気に警戒を最大値に引き上げた。
氷柱を背中に入れられたように、一気に背筋が凍る。
天気の良い、ただの見晴らしのいい草原。
そにれ寸分違う事無く、俺の視界には、ただの草原しか映っていない。
けれど、勇丸は何もない筈の一点に顔を向け、全身の毛が逆立っている位に警戒をしている。
(何かが……来ている……!?)
見えない何か。
俺が―――人間が知覚できない存在。
決して真っ当な生き物ではないだろう。
(くそっ! 東方の世界ならば、妖怪やら精霊やらが普通に跋扈(ばっこ)していたのを失念してた!)
思うや否や、チグハグながらも何とか思考を戦闘方面へと切り替える。
(正体不明。攻撃……は不得策。防御を最優先に)
敵の正体を見破るのは後回し。
(今の状況で使えそうなカードは……強化……【エンチャント】か? よし、あの二枚でいこう)
『エンチャント』
呪いや魔力の付与などの具象化された魔法のイメージ。個別と全体に効果を及ぼすものがあり、前者は加護や呪縛、後者は結界や聖域といったイメージが似合う。
(カード、【不可侵(ふかしん)】【鏡のローブ】選択。対象は俺!)
共に【エンチャント】呪文であるそれは、前者は付けた者は受ける全てのダメージをゼロにし、後者は装備したクリーチャーを呪文や能力の対象から外す……対象に選ばせない能力を持つ。
本来プレイヤー(俺)とクリーチャー(勇丸)は別扱いなのだが、クリーチャーのみを収容する隠れ家へ入室出来たことを考えると、俺はクリーチャーでもあり、プレイヤーでもある性質を持っているのか、それともそういった仕様は無視なのか。少し首をかしげるが、今は無視。
で、前者は俺の知る限り、アニメとか漫画じゃよくある能力かもしれないが、後者は東方世界にとっては致命的の部類に入るかもしれない。
相手を燃やしたり、境界を操ったり、破壊したりなど、他に方法はあるだろうが、こちらに干渉する手段をかなり減らされるのだから。
無効化などといったレベルではない、それを選択肢に入れることが出来ないのだ。
その能力名は、MTGでは【被覆】。
あるいは、決して触れられないことを意味する【アンタッチャブル】と呼ばれている。
ただMTGではそれすらも割と簡単に対処する方法が多々あるので、安心は出来ない。
というのも、一番楽な方法として、単体ではなく全体に効果を及ぼすものにはこの【被覆】は効力を発揮しないからだ。
相手がどの程度の力量なのか不明だけれど、もし個別の俺を狙えなかったのなら、やけっぱちの全体攻撃とか無差別攻撃みたいなのをやられて、その攻撃が通用してしまうかもしれないので、油断は禁物。
【不可侵】は外見上の変化はないが、【鏡のローブ】は名前の通り、所々が鏡面になったローブだ。手鏡を縫い合わせた服、といっていいかもしれない。
……ただこのカード。この手の戦闘では致命的な欠点があるのに気づくのは、もう少し先の話。
傍から見たら、突然衣類を着替えたように見えるであろう俺に、近づいてきた姿の見えない何者かはどう思うのだろうか。
不気味に思って立ち去ってくれるのなら良し。
仮に襲い掛かってきたのなら、個別のクリーチャー破壊カードで対応しよう。即死にはならずとも、それに近い効果が見込めるハズだ。
しかし、疲労感がマジやばい。
【不可侵】は2マナ、【鏡のローブ】は1マナ。
計3マナの連続使用で、クリーチャー分も合わせるとそのさらに倍の6マナになる。
切羽詰った体力は、俺への死を否応なしに連想させる。
(きっつ……仕方ない、エイヴンには悪いけど、戻ってもらって余力を稼がないと)
今は目前の事態を解決するのが最優先。
念話も届かず、いつ戻ってくるかも分からない状況では、何の足しにもならないのを痛感する。
心の中で謝りながら、エイヴンを戻すイメージを実行。
どこにいたのかも不明だったが、先程召喚した時から続いてた疲労感の一端が消えるのが分かった。
これならもう少し粘れると思いながら、勇丸が見つめる先に目を凝らして、けれど俺はその場から動けずにいる。
というのも、状況の問題もそうなのだが、疲労が限界近くに達していた
今の俺は荒い息を繰り返す、まさに突けば倒れる存在だ。
鼓動が煩い。
ドクドクと、心臓の音が痛いくらいに耳に響く。
唸り声を上げ続ける勇丸の後ろに隠れて数秒。……いや、数十秒だろうか。
時間の感覚が分からなくなっていたが、カードを使ってから少し間が開いた。
勇丸がずっと唸り続けているのだからまだ目の前には居る筈なのだが、やはり俺には姿を見ることは適わない。
(解析系のカードってあったかな……)
望遠鏡とかメガネとか、そんな感じのカードが解析系なのだろうか。
それともゲーム的な視点で考えて、相手の手札を見る系?
守りのカード二枚が展開されている状況の為か、自身のスナミナと相談しながら、先程よりはゆっくりと思考を巡らせる。
―――いや、巡らせようとした。
まるで、そんな思考を遮るかのように、
「ここへ何用だ、人間」
……俺の胸に届くか届かないかという所か。
小さな体からは想像も出来ないような威圧感を放ちながら、黄金の稲穂を思わせる髪を独特な帽子の隙間から覗かせて。
何も無かったその空間。
さも当たり前のように、
(くそっ! なにが『あーうー』だ。ネタに走った奴出て来い! そんな存在じゃねぇぞ!?)
土着神の頂点との二つ名を持つ、日本最高クラスの神が1人。
『洩矢 諏訪子』が俺の前に降臨した。