状況が状況だけに大声は出していないが、いつものように、脳内カードを使用する。
俺にとってはいつもの事だが、劇的に、そして一瞬で世界の一部が変わってしまった事実に、その他大勢であるあちら側の人達は、それはもう蜘蛛の子を散らしたような……まではいかないが、目に見えてわたわたしてくれているのが面白い。
(おぉ、驚いとる驚いとる)
やっぱり足元が突然変化したとなれば、そのインパクトはかなりのものに違いない。
遠目でも相手の動揺が手に取るように分かるのは、状況の緊迫感を差し引いても、少し愉快なものがあった。
唱えたのは、とある【土地】。
【特殊地形】の一種であるそれは、けれど、土地らしからぬ存在でもあった。
マナを一切生み出さないのである。
マジック・ザ・ギャザリングとは、マナを使って呪文を使う。
【ピッチスペル】といった例外もあるが、基本はそうなのだ。
本来マナを生み出すべきものが、その役割を果たさない。
つまりは、それだけのデメリットを抱えても価値が―――有効性があるカードという事だ。……大概は。
その例が、過去に一度だけ使った【隠れ家】という【土地】カード。
あれは、自軍のクリーチャーであるのなら、マナと時間を掛ければ、無限に【隠れ家】内部にそれらを内包出来る能力を有していた。
―――ならば、今回使用したカードは、どういった性質のものなのか。
簡単だ。
とあるクリーチャーを、一体だけ生み出すのである。
しかしその生み出されるクリーチャーは、若干の欠点こそあるものの。
極めて強力で、MTGでも1~2を争う攻守を備えており、さらに少量ではあるが、特殊能力を保持している。
だが当然ながら、そんなものがそう簡単に呼び出せる訳が無い。
それを使うには、3マナを使う事で開放される封印が、10も付いていた。
率直に考えるのなら、合計30マナも使用しなければ召喚する事が出来ず、そんな事をするくらいならば、他のカードを使った方が戦術や勝算がある……と、ネタとして存在していたカード。
(っしゃ。ビビってくれてる、今のうちに……)
けれどそんなネタカードも、あるクリーチャーの登場で一変した。
そのクリーチャーが、ある特定の要素のみを取り除く事が出来る能力を有していたからである。
この場合の要素とは―――少々難しい為、要約すると―――封印。
その【特殊地形】に存在する封印を、一瞬にして全てを取り払う事が出来た。
しかもそれは、たったの2マナ。
召喚した後、生贄に捧げなければならない故に実質一回しか使えないが……逆に考えれば、一回は相手に妨害でもされない限り発動するのである。
使い所の難しいカードではあるけれど、それが登場した当初から、その【特殊地形】カードとの【シナジー】は注目されており、そしてそれに答えるかの如く、一部大会では脅威を振りまき、コンボとして確立した。
唱えた瞬間、俺の目の前には黒衣に身を包んだ女性の後姿が出現した。
例の如く体力を奪われる感覚が襲って来て、過去の召喚と合わせてジェイスの魔法使用時の消費もプラスされ、ちょっと足元が覚束なくなったが、そこは気合で乗り切る。
黒皮で出来た、背中全開のドレスを着ており、その体には何らかの意味合いがあるのだろう……血で描かれた様なラインが幾本か見て取れた。
美しかったであろう黒髪を、細めのドレッドヘアにして纏め上げ、振り向いたその顔には、薄い黒紫で口紅が引かれていた。
【吸血鬼の呪詛術士(じゅそじゅつし)】
それが、このカードの名前である。
『吸血鬼の呪詛術士』
2マナで、黒のクリーチャー 2/1
戦闘面で有利になるメリットを一つ保持し、それとは別に、これ自身を生贄に捧げる事で、特定の条件や制約を無効化する能力を有している。
暗黒の魔女、というフレーズが良く似合いそうなこの女性は、その容姿が先に召喚した【霊体の先達】よりも、別の意味で凶悪だ。
ボンテージドレスが体にピッタリと貼りついており、脚部のスリットから覗く太股と、その膨よかな異性の特徴を強調している。
(わぁ……外人サイズやぁ……)
吸い付くような肌の質感が―――触ってはいないが―――よりそれらを際立たせていた。
何と言うか……露骨にエロい。
特にその胸元。谷間に空いた握り拳程のその穴は、一体何の為に空いているというのだ。
デザインか? デザインなのか? MTG界ではファッションだとでも言うのか? ……作った人、グッジョブ。
……喫茶……って柄じゃないから……キャバクラ『ぎゃざガール』とかいずれ出店して……ゲフンゲフン……。
神奈子さんといい、永琳さんといい、グラマラス超美人達と生対面する機会が頻繁にあるのは、男冥利に尽きる。
しかし、そんな俺の煩悩など、見知った良くある出来事だと言わんばかりに、【吸血鬼の呪詛術士】は妖艶に微笑した。
『しょうがない坊やね』と幻聴とか念話が聞こえてきそうな表情に魂を抜かれ掛かるが、何とか我に返って要望を聞いてもらう事にする。
「すいません、あの……出て来てもらったばかりで申し訳ないんですが……この大地に例の能力を使ってもらえませんか……?」
彼女単体でも、大和の国で相手をしていた雑多な低級妖怪なら楽勝の戦力なのだが、今回呼び出したのは、下で埋まっている存在を掘り起こす為だ。
具体的な名前は分からないが、こっちは念話という、言葉のみならずイメージすら伝えられる術を持っている。
あれ、とか、それ、と言うだけで、伝えたい内容がダイレクトに届くのは、とても便利だと実感出来た。
状況が状況だけに、あんまりうかうかしてもいられないのだが、どうも目のやり場に困って意識がバラ色に……と羞恥心が働くのは、しょーがないと思いたい。
ただ、そんな色気を醸し出しているお方は、俺の葛藤など何処吹く風。
微笑みながらこちらへとその手を伸ばし、俺の頬へと優しく手を添えた。
タイトルを付けるなら『あら、可愛い子ね』な感じだろうか。
いきなり何するんだとも思ったが、その優しい……悪寒を伴う楽しそうな表情に気圧されて、全く動く事が出来ず。
スッ、と。彼女の指は、俺の頬へと薄い切り傷を作った。
じんわりと浮かび上がる血液。
あれ、何か分かんないけどこれって俺ピンチ? とも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。
ゆっくりと彼女の顔が迫ってきて、そして……。
「―――っ!?」
舐められた。
唖然としながら、頬へと自分の手を伸ばす。
一瞬だけだったが、それでも頬に残る暖かさと粘液は残っている。
そういや前に、大和の国で似たようなシチュエーションを見た事があるな、とフラッシュバックした思考を慌てて掻き消しながら、どういう状況になったのかを考え直そうとして、
(……あ、彼女の【タイプ】って、カード名にもある名の通り、吸血鬼だったか……)
何となく、彼女がこの行動に及んだのかが分かってしまった。
満足気に舐め取った血液を舌で唇に塗り付けるかのように、ペロリと一周させる。
堪らない色気と、ゾクリとするような寒気を同時に感じ取りながら、俺は今、どのような表情を浮かべているのだろうかと、漠然と思った。
「あ、あの……それに一体何の意味……が……?」
確か能力の起動には、血液を必要とするコストは含まれていなかった。
東方世界で能力を発揮するにはそのような行為が必要なのかと思いながら尋ねてみると、
―――『気分』。
とても完結で……実に楽しげな感情が、念話と共に伝わって来た。
(き、気分っすか……そうッスよね、吸血鬼ですもんね。トマトジュースと血液大好きはデフォですもんね)
……って、ちょっと待て。
何故俺は傷ついている。
今俺は【ダークスティール】化している筈だ。
時間も、まだ半日すら経過していない。効果は切れていない……筈なのに。
「ギャグよ」
あぁ、そっか。それなら納得だ。
あのコメディパートなら何でもかんでも許される……ん?
「おいこら! お前喋れんのか!?」
疑問と理不尽の混ざり合った突っ込みを入れるものの、満足したのか、彼女は目を閉じ、楽しみで胸がいっぱいだと言うような表情を浮かべながら、風に吹かれて、光となって足元―――氷の大地へと溶けていった
……何でもありだなコンチクショウ。
ふざけてやるのか真面目にやるのかはっきりしてほしいですよ、全くもう……。
……いい感じに振り回されてしまったが、けれど、それに若干の心地良さを感じながら、再び意識を目の前の事へと集中させた。
―――ま。
何はともあれ、気を抜ける時間はこれで終わりだ。
後は何処までいっても犯罪者と月の軍隊との、正義と悪との討論があるのみ。無論、言葉の入る余地は……既に、無い。
予想外ではあったけど、良い気分転換をさせてもらった。
ジェイスを守ることと、自分の命を守ることと。
一つの事でもいっぱいいっぱいどころか持て余してしまう自分では、その責任に……正直、ついさっきまで押し潰されそうになっていた。
テンション上げて何とか押し切ってしまえと思っていたが、いやはや、どうしてこう……呼び出すカードの方々は、俺に良くしてくれるのだろう。
(ここまで大勢の思ってくれる人達が居るってのは……まぁ、何だ……恥ずか……嬉しいねぇ)
照れ隠しをしてみるものの、どうせ誰にも分からないだろ、と、素直に心中を洩らす。
ツンデレツンデレ。わっはっは。
そう、おちゃらけながら、軽く短く、鼻から息を吐く。
丁度、【吸血鬼の呪詛術士】の効果も終わったのか、彼女は完全にその姿を消していた。
そうして、光が地面へと吸収されていってから、数拍の間。
世界は―――変貌する。
「―――」
言葉が無い。
それどころか、呼吸をする事すら忘れそうになった。
それほどまでに、この光景は圧倒的で……。
今までの人生の中で、これ程までに心震える出来事は無かった。
ひび割れ、亀裂の入った氷河から、その存在が姿を現す。
絶対零度の狭間から、一つ、また一つと、腕を、体を浮上させ、その全貌の一部を見せ付ける。
灰色がかった黒い躯体。
巨大な体に見合うその牙は、俺一人よりもさらに大きく、口を開けば海のギャングと呼ばれるシャチや、陸上で最大の巨漢を誇る象ですらも、丸呑みに出来そうな程。
畏怖すら感じるその体から生えている触手―――と言えばいいのだろうか―――は、硬質な茨や鉄条網を無作為に植林した様な、もはや『あれだけには触れてはいけない』とすら催す程の禍々しさを漂わせている。
目と呼ばれるであろうそれは、過去に召喚した【死の門の悪魔】と同等か、それ以上の数があるかもしれない。
ただし、あちらが濡れるような血のような色だったのに対し、こちらは幾千光年の先から届く星々の光のような……鈍く輝く、底冷えのするような“寒”の色彩だ。
どの様な地球上の生命体とも比較は難しいが、あえて強引に例えるとするのなら……大樹と―――蛸と―――鯨の頭を持った化け物……と、言えるのかもしれない。
全長、ゆうに数百メートルは達しているであろう、見る者の、魂を押し潰す、その存在。
今ここに。
この東方プロジェクトの世界に、MTG界をおいても最高クラスの攻守を備えた存在―――【マリット・レイジ】が息を吹き返した。
『マリット・レイジ』
黒の、【レジェンド】クリーチャー【トークン】 20/20
【飛行】と、【破壊されない】能力を有する。
【特殊地形】の一種である【暗黒の深部】より生み出された存在。
【トークン】である為、実際のカードとしては存在していなかったが、そのあまりの特有さからか、後にカードとして製造されてしまった代物。
とある世界の海底で眠りについていたが、氷河期の訪れと共に、そのまま封印に近い形で永眠する羽目になった―――らしい―――という経歴を持つ、うっかりさん。その存在の強大さに惹かれてか、いつの間にか荒ぶる神として祭り上げられていた存在でもある。
だが、そう呼ばれても当然だと思えるだけの能力を有しており、【ダークスティール】と同様の破壊不可効果を持ち、【飛行】能力を保持し、何より特筆すべき点が、その攻守の高さ。
20/20という、一瞬目を疑うような数値であり、これと比肩する存在はおらず、僅差である存在も居ない。2位以下を大きく引き離し独走するその力は、圧巻の一言に尽きる。
一応女性型らしく、“女神”とする存在でもあるようだが、真偽は不明。その余りの力量から、一説には【プレインズウォーカー】である、という者もいる。
『暗黒の深部』
マナを生み出さない【伝説の土地】と呼ばれる【特殊地形】の一つ。【伝説】故に、場に一枚しか存在する事が出来ない。
3マナで一つ解除する事の出来る封印を10個持ち、それらを全て取り除いた時点で、この【土地】を生贄に捧げる事で、【マリット・レイジ】【トークン】が召喚される。
「ぉ~……」
漏らした声は小さく。それはもはや意味を成さない、単なる雑音。
人間、あまりにショッキングな出来事に遭遇すると、声と言うより、ただの音に近い―――獣のような発音しか出来なくなるらしい。
あんぐりと口を開けた姿は格好悪いだろうが、今だけは見逃して欲しい気分だ。
数十メートルも視線の高くなった現状に加え、足元には荒ぶる神と比喩される程のお方が一人……一体? どうカウントすれば良いんだこのお方。
ゴツゴツとした足に伝わる感触に、背筋がざわめき立つ。
仮にも神として扱われていた存在を、召喚したからとはいえ足蹴にしている現状は、どう捉えたら良いものか。
とりあえず謝罪か、挨拶か。
何はともあれ、まずは意思疎通をやってみましょうかね。
「こ、こんにちはー……」
問いに対する回答は、一言。『何?』と簡潔に返答を頂きました。
よ、良かった。一応対話は出来ましたよ。
思ったより声色が可愛い気がする……。見た目はあれですが。
「えっと……実は……」
現状の説明を簡単にして、今やって欲しい―――ちょっとやらかして月の軍に追われている事。 ジェイスが瀕死で、彼が回復するまで攻撃を防いで欲しい事の、二点を伝えた。
その間、彼女―――マリさん(暫定)は終始無言。
聞いてるんだか聞いてないんだか不安になったが、常に触手がゆっくりとウネウネしているので、意識はちゃんとあるっぽい。
初めて対面している……対面?
まぁいい。対面しているお方なだけに、あのウネウネがいつこちらに来てベチン、とか蚊の如く叩き潰されるのではないかとヒヤヒヤしております。
そうして話し終えてから数秒。
マリさんは『分かった』と、これまた簡潔に返して下さいました。
二言しか彼女の意思を聞いていないが、何となく女性特有の暖かさと、さっきまで寝てました、な怠惰を感じさせる感情が流れてくる。
見た目ゴツいけど、結構愛嬌があるお方なのかもしれない。
一気に視線の高くなった視界に多少ビビりながら、改めてカードであった彼女の能力を思い返す。
【回避能力】の一つである【飛行】を有し、【ダークスティール】と同等の能力である【破壊不可】を備え、それらの能力が霞んでしまう程のパワーとタフネスを持ったクリーチャー。
過去に出した最高値は9/9。
だが今回は、それらを一気に置き去りにして、20/20という、『チート乙』とか付けたくなる数値である。
おまけ……というか、これが1~2を争う位に重要なのだが、こんなマリさんは【トークン】として召喚される。
コスト表記がゼロである事と、前に身に付けた『トークンの維持費の減少』スキルの効果によって、全くと言っていいほどに体力を消費していないのだ。
【土地】や0マナで使用した【薬草の湿布】は除外して、ジェイス3マナと【暴露】4マナ、そして【吸血鬼の呪詛術士】計9マナを消費している計算だが、遠くの地にいる勇丸と、現界し続けているジェイスを含めても、現在の維持費は4マナ相当。
辛いという感覚はあるが、それでもこれ位なら数時間は余裕で耐えられる。
召喚による土壌変化の規模が規模だけに、頻繁には使い難いだろうが、もっと早く思いついておくんでしたよ……。
これを諏訪大戦の時に考え付いていれば、また違った結果が見えてきたのだろうか。
一瞬、ありもしない未来を想像したけれど、現状の大和の国になんら不満は無いのを思い出して、
(なら、これで良いじゃん)
そう一言、内心で呟く。
自分で下した結論に満足しながら、自問自答を完結させた。
前に【ハルクフラッシュ】で出した30/30の……いや、30/30以上“であった筈”の【屍肉喰らい】はその性能を発揮しなかったものの、あれは【パンプアップ】と呼ばれる増強効果―――ドーピングでの数値であったから、の可能性が高い。
だって、過去に召喚したカード達は、その数値通りの攻撃力やらを見せ付けてくれていたのだ。
0/1の【極楽鳥】だって、2/2の勇丸や【霊体の先達】だって、9/9の【死の門の悪魔】や、それ以上であったかもしれない【死の影】だって。
恐らく【パンプアップ】では上限が決まっているのだろうと思うが、そこを検討する時間は無かった。
しかし、それでも俺は信じられる。
この存在が……足元で君臨している世界の強者が、今までのカードとは比較にならない力を持っているという事に。
鉄壁ディフェンスどころか、虐殺すら可能にしてしまう戦力なのではと思い、『こりゃアカン』と思考を切り替える。
行動を起こす前に言っておかないと、例え正当防衛であったとしても、やり過ぎたのなら過剰防衛の線でアウトになりかねない。
「マリさんマリさん……ちょっとやり難いとは思うんですけど、あっち側に一人も犠牲者を出さないで欲しいのですが」
いけますか? と尋ねてみると、『やってみる』と短く返答が来た。
『出来る』と答えてくれなかったのは不安だが、象に、蟻を踏まずに歩いてくれ。と言っているようなものだ。
肯定的な返事が来ただけでも良しとしておこう。
……最悪、とある系統のカード達を使えば、対処出来る問題なのかもしれないのだから。
視界に広がる、地割れを起こし、その所々から触手が出現しているツンドラ地帯。
地平線を覆うように点在している戦車やら円盤やらは、まるで最終面に突入した勇者達(数は多いが)を彷彿とさせる光景だ。
そう、気分はどこぞのRPGのラスボス。ただし、俺が弱点、みたいな。
(剥き出しのクリティカルポイントとか、ボーナスも良いとこだな。何処かに隠れておこうか……)
……さて、意図せずラスボスの(弱点の)地位についてしまった訳だが、こちらにばかり意識を向けている訳にもいかない。
虎の威を借る狐さんの気分になりながら、月の軍を一瞥。
―――正直、先程から興奮が収まっていない。
目を閉じ、大きく息を吸い込んで、腹に力を入れる。
自分の中で堪りに堪った感情を、言葉に乗せて叫ぶ。
今にも爆発しそうであった感情は、人生で最大級の大声となって、星の空へと放たれた。
「人が下手に出てりゃあ、付け上がりやがって! 地球人舐めんなよ! 単体戦力最強“候補”の一角、存分に味わうがいい!」
どうしてこんなに興奮しているのか自分でも明確な答えは出せないが、彼女が氷の大地から出現してから、まるで痙攣のように、いつ弾けても可笑しくないとばかりに全身が脈動していた。
ジェイスを守る為? 自分が助かりたい? 圧倒的な力を持つ者を従えている事に酔った?
多分、それらの感情の全てプラス、この月での対応諸々の細々とした何かがミックスされ、合体事故でも起こしたせいだろう。
でなければ、何が悲しくて歌舞伎の演目を読み上げるような真似をしでかしたのか。
一体自分がどういう感情で動いているのか、それこそ今の説明不可能な感情に任せるままに。
俺の切り札その2。
【Hexmage Depths】が、その全貌を現した。
『Hexmage Depths(ヘックスメイジ・デプス)』
名前はそれぞれのキーカード、【暗黒の深部/Dark Depths】と【呪詛術士/Vampire Hexmage】の一部から流用したもの。
【暗黒の深部】にある封印を、【吸血鬼の呪詛術士】を使用して一気に取り除き、【マリット・レイジ】を召喚し、殴り勝つコンボデッキ。
MTGではプレイヤーの初期ライフ―――HPは20と設定されており、20/20である【マリット・レイジ】の攻撃が通れば、事実上、一撃で相手を負かす事の出来るギミックであると言える。
そのキーカードの少なさから、【ハイブリット】デッキと呼ばれる、一つのデッキに複数のギミックを組み込む事が出来る。例えるならば、【ハルクフラッシュ】にもこの【ヘックスメイジ・デプス】は組み込める。が、それを行ってしまうと、大概のデッキは器用貧乏になり易く、中途半端にしか効力を発揮しない場合が多い。
MTGでは複数の道筋を作っておくよりも、一つの道を強固にする方が勝率が高い為、滅多な事では【ハイブリット】デッキを作ることは無い。しかしこの【ヘックスメイジ・デプス】は数少ない【ハイブリット】デッキの成功例でもある。
事実上、2しかマナを必要としない為、デッキの構成上、【ハルクフラッシュ】よりは若干劣るものの、その攻撃速度はトップクラスに位置している。
【マリット・レイジ】を対処されてしまうと途端に手詰まりになる為、勝率の安定性はやや欠けている、とも言えるので、それを上手く補えるかどうかが、このデッキを使う者の腕の見せ所である。
―――【マリット・レイジ】が動き出す。
まるで世界を磨り潰さんとするかのように、静かに、静かに、ゆっくりと。
速さなど必要無いと体現するかのように移動するその光景―――自分以外の存在など考慮に値しない、とばかりのその動きは―――まさに神と呼ばれる者に相応しい。
その様子に何かのスイッチが入ったのか、月の軍はキビキビと、けれど何処か慌てたように動き出した。
四足歩行戦車の砲身がこちらを捉え、大小の円盤達が、いつでも戦闘に移れるとばかりに、高く飛翔する。
歩兵の玉兎達は改めて銃口を構え直し、戦隊をしっかりと組んでこちらに一歩踏み出した。
(上等!!)
俺の意思に呼応するかの如く、【マリット・レイジ】が、その巨大な顔を上げ。口元が開き、そこに真っ白な灯が燈る。
低音から徐々に高音へと聞こえる音は、まるで何かを……そう、あれは銀河の彼方へ放射能除去装置を取りに行く戦艦の主砲のチャージ音のようだ。
牙と牙の間から漏れる光は、彼女の頭上にいる俺ですらも視認出来る程に眩いものへと増長して。
もうこれ以上、高音になり様が無いと判断した時。
「お前らのせいだかんな! 当方、土下座の用意ありぃぃぃー!!」
恨み辛みと謝罪の言葉。
同時に放たれた、恐らく対極に位置するであろう言葉は、敵対者の耳へと届く事は無く。
【マリッド・レイジ】の攻撃力、20という数値。
それを目の当たりにした時。俺は―――
無機質な、けれど何処か可愛らしい電子音が、控えめにではあるが、辺りに鳴り響く。
本人の望むものでは無かった―――しかし、姉が薦めたものだから、と、彼女のそれに登録されてから、一度も変更された事は無い、連絡端末。
そんな不本意なものながら、けれど愛着心のある音が耳を振るわせた時、彼女は1コールが終わろうとする暇も与えずに、その音を拾い上げた。
「私です」
簡潔で、それでいて有無を言わせぬ気迫の篭った声には、並みの月の民ならば息を呑み、言葉を失っていた事だろう。
「あぁ、至急、郊外の×××の、○○○ポイントまで向かってくれ」
だがそれに応答するのは、百戦錬磨の月の司令官。
全く気にした様子も無く、ただ淡々と報告をする。
「そこは―――例の地上人が潜んでいた場所……でしたか……。捕縛の終わった兵達に、激励の一つでもしてやれ、と?」
少しうんざりするような口調で、彼女―――依姫は答えた。
だが、これで事態は好転する。
あの青い者を捉えたのなら、後は如何様にでも言う事を聞かせて、永琳様と姉上の意識を目覚めさせるのだ。
自分の手で出来なかったのは些か、ちょっと、まぁまぁ、それなりに、そこはかとなく、少しだけ心がささくれ立つが、それも今後の月の為を思えば耐えられない事は無い。
どんな言葉を掛けよう。
こういった場面で飛ばす檄とはどういうものだったか。と、頭を捻っていると、
「……いや、違う」
いつもの司令らしくない、酷く……歯切れの悪い言葉に、依姫は僅かに眉間に皺を寄せた。
「では、何です。まさか事後処理をやれ、とでも仰りたいので? 破壊されない能力だから。と、盛大に大規模火力でも使用したのですか?」
自分の能力は汎用性が高い。
戦闘面のみならず、そういった、開墾事業でもその力を―――
「もはや時間が惜しい。綿月依姫。至急指定された場所へ向かえ。―――自身の最大戦力を持って、だ」
通常の者ならば、ここで疑問の声の一つでも上げているだろう。
一体何故? どうしてですか? 理由を教えて欲しい。問いかける疑問の声は多々あってもおかしくはない。
しかし彼女は、月の軍における、単体最高戦力にして、最強存在。
それも、昨日今日になったのではなく、数千どころか、数万年単位での。
当然、それに付随するよう、教育は受けてきている。
―――特に、ここ数百年からは、あの月の頭脳たる、八意永琳に。
「はっ!!」
携帯端末から、宝物庫へと連絡を入れる。
そこには歴々の品々が収められており―――彼女の“本来の”武器である品も、封印されていた。
強すぎたのだ。依姫は。
だからこそ自身の力に制約をかけ、鍛錬と称してはそれらを行って来た。
―――それを、今、解禁する。
向かうは転送装置の置かれた部屋。
そこへと例のものを持って来るよう、宝物庫を管理する者へ指示を出す。
距離が伸びれば伸びるほどに消費エネルギーの増すその装置は、しかし目的地―――あの青い者がいる場所へならば、そこまで負担にはならない。人一人だけ、となれば、尚更だ。
……最も、それでも何の準備もされていない状態からの転送は、消費されるエネルギーは馬鹿にならないものなのだが。
「転送室! 私が向かうまでに、これから送るデータの場所への転送準備を終えておけ! ……何? 民間世帯の一部がエネルギー供給不足になる? 馬鹿者! 優先順位を履き違えるな! 最優先事項だ!」
事情が伝わっていないとみえる管制室を一喝し、足早に目的の場所へ。
もはや彼女の思考に、疑問など入り込む余地は無い。
あるのはただ一つ。目的の完遂のみ。
カツカツと、ブーツと床の固い音が連続する。
決して走る事は無いが、時計の針の如く規則正しく響くそれは、自己の心を落ち着かせ、より先鋭な―――研ぎ澄まされてゆく、一振りの刀のようになってゆく。
能力によって呼び出す神々を厳選しながら、彼女は細々とした装備品を転送室へと持って来るよう、端末を使い、武器庫を管理する者に要請した。
誓うは必勝。
運命を操り、数百年規模で動乱の中世ヨーロッパを生き抜いてきた吸血鬼レミリア・スカーレットをはじめ、その従者である―――時を止め、加速させ、それに付随して空間の膨縮も可能な、超絶的な異能を持つ、十六夜咲夜。
数百年後の話ではあるが、この両名を片手間で完封してしまえるだけの実力を有する存在だ。
それが今、たった一人の相手に対して全力を振るう。
粛々と、長い通路を絶対強者が進む。……ギシリ、ギシリと。床や壁、天井のみならず、建物全体が軋みを上げ。
彼女が通った空間には、並々ならぬ闘気が漂っていた。
だから。
「……お前が……」
覚悟はしていた。
自分が最大戦力であたる事態になったという事は、それまで任についていた者達が、行動不能になっているからだと。
色々な理由が考えられたが、戦力を期待されての召喚だ。悪い方の予想は良く当たる。
なればこそ、この光景は当然の範囲内であり―――決して許容出来る展開では無かった。
転送された先。
見渡す限り砂と岩と星空であった筈の光景は、所々に変化が見られた。
煌々と照らし出される、拉げた鉄屑の数々。
凍った湖でもあったのだろうかと思われる、粉々になった氷塊の群れ。
各所に見られる巨大な大穴と、同じく散り散りに点在している、心が折れ、あるいは、もはや戦力として換算出来ぬ、何の装備も持っていない兵達。
そして、膨大な範囲に渡って続く、真っ赤に溶解した溶岩の川。
それがまるで、敵と味方の線引きの為に造られたかのように、その存在を主張していた。
まごう事なき敗北。
撤退していく兵達が、視界を通り過ぎていく。
依姫の事が視界に入らないとばかりに、無言か、あるいは敗走している、といった表現が適切であってしまう姿で。
その屈辱をくれたであろう人物が見受けられないが、代わりに、この事態を引き起こしたと思われる怪物ならば、一目で分かった。
―――山。そうだ。あれは、地上でよく見られる、山と呼ばれるものだ。
色と大きさこそ違えど、巨大な姿に禍々しい茨の木々が生えているそれは、彼女が何度か地上の資料で目にしているものに酷似していた。
「お前がやったのか……」
零れるように呟かれた言葉など、この悲鳴と怒号の飛び交う戦場では、相手に届く事など無い。
殆どの者が、同僚であり、顔馴染みであり、家族のようなものだ。
ここは軍で、鉄の規則があるとはいえ、ここまで散々たる結果に何も感じないなどありえない。
苛立ちや不満、煩わしさは何度も経験し、抑制する術を心得ているが……。
「―――許さん!!」
感情が燃え上がる現象―――怒りに対しては、全くといっていいほどに、耐性が無く。
「愛宕(あたご)の神よ、その神域たらしめる所以の灯火を、ここに再現し給え」
ともすれば、味方すら巻き込みかねないものを呼び寄せた。
地球の内部温度に匹敵―――あるいはそれ以上になるかもしれない超高音度の炎が、依姫の体を包む様に燃え上がる。
途端、彼女の足元が、赤く……否、白く色付いて来た。
あまりの温度に耐え切れず、地面が融解をし始めてたのである。
火の本質は、創造と破壊。
その後者を遺憾なく発揮する為に、彼女は腰に据えてある、一振りの刀へと集約させる。
山が、こちらに顔を向けた。
口……だと思われる隙間から、青白い光が漏れ、それが強まっていくのが分かる。
この惨状を造りだした者が、今、こちらを見据えている。
どうやら、こちらを排除の対象だと認識したようだ。
(上等だ!!)
奇しくも敵対者と同じ思考を有する事になった彼女には、もはや目の前の相手しか見えていない。
―――抜刀。
渾身の力と技術を以って振りぬかれた刀身から、白熱した炎が放たれる。
赤白い道を造りながら飛来するそれは、まるで太陽が道を敷いているかのような光景であった。