奇妙な感覚であったのは、前々から、薄々感づいてはいた。
ただしそれは、いつもよりも疲労の度合いが激しい。といったものでしかなく、それ位の感覚ならば慣れ親しんだもので、大して気に掛ける程度の事ですらないだろうと判断していたのだが。
(なるほど……あやつが使った能力には、こういう狙いがあったのか)
戦闘中、不意打ちとばかりに使われた、地上人の力。
龍神との戦いの最中に使われたそれは、その場では何の効果か全く不明であった為に、記憶に留めるだけにしておいたのだが、なるほど、これは面白い力だと考える。
―――体力が、回復しない。
初めはただ疲労の度合いが極端に上がっていただけだと思い、『体力の消費を増進させる』といった力かとも思ったが、随所にあった体を休められる間に全く回復が行えなかった事で明確になり、今し方振るわれた力によって、それは判明した。
(あれがこちらに向けて指を回すだけで、こちらの疲労が一気に蓄積されてしまった……そろそろ、まずいな)
『ぐるぐる』
1マナで、青の【インスタント】。
クリーチャーか【アーティファクト】か【土地】を一つ対象とし、それを【タップ】、あるいは【アンタップ】する。
相手のクリーチャーを攻撃前に【タップ】させる事で攻撃不可能に。攻撃が済んでいるクリーチャーを【アンタップ】させ、奇襲防御に。効果を使い終えた各種カードを再起動させ使用するといった、数々の使い処がある……器用貧乏なカード。
使い処は多々あるのだが、及ぼす効果が弱い事や、MTGでは一極集中型の方が性能が強い傾向にあり、あまり使用は見られなかった。
しかしながら、マナコストが1という軽さ。【インスタント】呪文である事が理由で、呪文を多く唱える事がメリットへと繋がる【コンボ】デッキ、【ぐるぐるデザイア】と呼ばれるデッキでの使用が確認されている。
『タップ&アンタップ』
MTGの基本ルールの一つに、【タップ】【アンタップ】と呼ばれる行為がある。
これらはカードを横(【タップ】)にしたり、横になったカードを縦に戻したり(【アンタップ】)する行為を指す。
これによって、【クリーチャー】の攻撃の有無が一目で判断出来たり、【土地】がマナを出したかどうかが分かるのである。
余談だが、カードを横にしたり戻したりする行為(タップ&アンタップ)。実は特許が必要。権利はMTGの生みの親が持っていたりする。
何の力も感じられないままに、初めの頃と同様に、既にこちらには、何かしらの力の影響を受けていた。
ただ我武者羅に動かしていた四肢も、とうとう限界が来たようで、こちらの命令を全く聞き入れてくれない。
それでも何とかあちらの攻撃を回避し続けてくれているが奇跡のようなものだった。
だが……。
「っ!!」
突如吹き上がる大地。
五種ある首の中で、最も機敏に動く緑の瞳を持った頭が、大地ごと、こちらを上空へと跳ね上げた。どうやら、大地の中を掘り進み行ったようである。
辛うじて奴の顎からは逃れられたものの、同時に巻き上げられた大小様々な礫によって、体のあちらこちらを強打した。
空高く放り投げられた体は、どの箇所にも神経が繋がっていない。
どうやら、今の衝撃で全ての伝達回路が切断されてしまったようだ。
僅かに動く首を回して、龍神の方へと視線を向けた。
睨み付ける、五つの頭。十の眼球。
後数瞬の後、私の四肢はバラバラに喰い千切られるのが、容易に想像出来た。
―――仕方ない。
身体の隅々まで神経を行き渡らせ、僅かにこびり付いている体力を掻き集める。
全体から見れば、そこまで上位の神では無いが、この状況―――私が瀕死であればあるほどに、あれを呼び出した時の力は増す事だろう。
ただし、その力には、ここ月では禁忌とされる影響も伴っている。
それ故に今まで一度として降ろした事は無いが……状況が状況だ。後で処理をがんばろう。この際は仕方の無い事だ、と、自分の中での正当性を、自身に向けて主張した。
しかし。
(―――もっと鍛えておけば良かったなぁ)
そうすれば、もっと“今”を味わえたというのに。
楽しかった。
一瞬先に死が待ち受けているかもしれない状況にも関わらず、場違いな思考に笑いが込み上がる。
気兼ねなく全力を振るえる相手がいるというのは、こうも心が躍るものであったのかと。
同期の者達では話にならず、姉上相手でも、輝夜様相手でも、何処か本気にはなれなずに、完膚なきまでに敗北を期した永琳様ですら、心の何処かにストッパーがあった事は否めなかった。
何せ、私の力はそこまで繊細なものではない。
一歩間違えば命の百や千など簡単に吹き飛ばしてしまえるだけのもの。
(……ぁ)
……そもそも、威力や反映速度の訓練は行って来たが、精密さに関しては全く手付かずであったのを、今更ながらに痛感する。
(祇園様が……確か細かな攻撃を行いやすい力を持っていた、か……)
今から呼び出したる神と同じく、その神は懇意な間柄ではあったのものの、全く力を借受たる事は無かった。
改善案は山の様に。
また自分の新しい面を発見出来た喜びに目覚めながら……。
「―――この意に答えよ。この意に応えよ。そして示せ、その力」
成功だ。
依り代となる慣れ親しんだ感覚が、慢心創痍であった身体を動かす。
指一本どころか瞬きすら億劫であったというのに、そんな状況とは裏腹に、この身は別の力―――借受たる神の力によって、突き動かされて行く。
隅々にまで行き渡る、黒い力。
食い殺さんと顎を開く龍達に向けて、私は―――
成功したようだ。
地面から、【大祖始】の頭が大地を巻き上げながら出現する。
先程とは打って変わり、明らかに機敏性を失った依姫の体が巻き込まれ、宙に放り投げられた人形みたいに打ち上がった。
『つまずき』
青で2マナの【ソーサリー】
プレイヤー1人を対象とし、そのプレイヤーがコントロールするクリーチャーを1ターンの間、【アンタップ】フェイズに【アンタップ】させなくする。
上手く決まれば相手のクリーチャーを全て1ターンの間行動不能にする威力を秘めているが、そんな状況になる事は稀。意図的にフル【タップ】させる方が確実である。
//足に目はついておらぬ。
―――サプラーツォの諺//
一定以上の効果があった【ぐるぐる】に満足しながら、最後の一歩まで追い詰めたであろう彼女の様子と、それを食い殺さんと睨みを利かせる【大祖始】の姿に、数秒後に起こるであろうスプラッタ映像を連想し、慌てて静止の言葉と意思を送る。プレイヤーでもありクリーチャーでもあるという俺の性質は、しっかりと他の相手にも当てはまっていたようだ。
(【大祖始】! ダメ! 待って! 殺人カッコワルイ!)
そういや何気にこれが初めのコミュニケーションか。と今更ながらに後悔の念が過ぎる。
だからだろうか。返って来る意思はなく、言葉も無い。
これは最悪の状況を考えて、送還も考慮しないとダメかなと思った矢先……。
宙に浮いた依姫の体から、真っ黒な―――何処か慣れ親しんだ力が溢れ出るのが分かった。
(……あれって)
けれど、その事を最後まで考察する間は無かった。
全てが依姫の方を向いていた【大祖始】の首の内、突然、緑と白の瞳が俺の周囲を取り囲み―――。
「―――」
呼吸が止まる。
緑の眼の首が俺の体を持ち上げ、白の瞳の首が周囲を囲むように、壁になるように展開したと思ったら、
(白い……蛇……?)
大きさはまちまちだが、水道ホース程度の慣れ親しんだものから、ビルの5~6階分はあるんじゃないかと思う【大祖始】程では無いにしろ、大樹を思わせる大きさのものまで、大小様々な蛇が地面から生え、こちらに襲い掛かってきたのだ。
恐らく依姫の……最後の一手であろうこの現象は、悲しいかな、【大祖始】の前に何の効力も発揮しないまま、地面を埋め尽くし、俺を守護している存在に掠り傷一つすら与えられずに、蠢くだけに留まっている。
―――と。辺りを黒い風が吹き抜けた。
白い瞳の首が張ってくれたバリアのような障壁をなぞる様に……ガラス越しに台風でも眺めているかのような心境になりながら、何一つ生命の居なかった月の大地が……黒い風の吹き抜けた後には、無機物ではありえないというのに、腐敗臭を撒き散らす存在へと早変わりしてしまった。
そんな死ね死ね風の影響を直で受けたというのに、白い蛇達は未だ健在。
体を揺らすだけで同胞を無数に踏み潰している【大祖始】に向けて、愚直な攻撃を繰り返し行っていた。
(リアル【疫病風】みたい……)
黒で9マナの【ソーサリー】である、広域クリーチャー破壊呪文を思い出す。あれは自軍以外に効果を及ぼすものであったけれど、これもそのような感じなのだろうか。
今度は一体何の力なのか。
それを確認すべく俺の頭上へと首を動かし、この現象を引き起こしたであろう者を視界に収めた。
(うげっ、何という暗黒闘気ッ!!)
先程の、纏うように体の随所から噴き出していた炎が、今度は変わりに黒いガスへと変貌していた。
留めるような、拘束されているかのような黒い気に気圧されながらも、宙に浮き続けている依姫は、その表情を苦悶のものへと塗り替えて、やっとの思いで力を使っているのだと、その顔が物語っている。
【大祖始】の赤い瞳を持つ首から神速の雷が放たれ、碌な防御もしないまま直撃した依姫は、少し離れた位置へと吹き飛んだ。
地面を擦りながら着地した彼女は、立つのもやっと。と、力の抜けた体に鞭打ち、こちらへと向きなおる。
けれど周囲へと漏れ出す黒い気は、その力を増していた。
傷つけば傷つくほどに、感じる脅威は増えてゆく。
(【死の影】的な能力、って考えとくと良いかな……。って……あれ……?)
ちょっと待った。
少し状況を整理してみよう。
白い蛇、黒い風。瀕死であればあるほどに増す、その力―――の方向性。
「……ぁ」
……何というサプライズ。
もはや疑問の挟む余地の無いそれは、確信に到達した。
どこぞのヒーローなら力を使われた初めの段階で気づくんだろうが、こちとら、その手の感覚は一般人。
むしろこの僅かの間で、この怪獣大決戦の最中に気づけた事を褒めて欲しいくらいだ。
―――満身創痍の依姫が動く。
その力に押し潰されそうになりながら、片手を上げて、例の腐敗風を放とうとでもしているのだろうか。
彼女の前方に、黒い塊が集まっていくのが伺える。
―――満身創痍の俺が動く。
今までの疲労など忘れてしまったかのように―――なんて事は無かったが、指一本動かせないでいた筈の体には、何とか歩行出来るだけの活力が沸いて来た。心の持ちよう一つで、力というのは結構湧くものだな、と。現金な自分の性格に苦笑しながら。
【大祖始】に命じて、俺の行く手を阻む一切合財を除去してもらう。
誰に頼ることもせず、自分の足で、一歩一歩、確実に距離を縮める。
今度はこちらの意志を汲んでくれたようで、返答こそ無いものの、俺と依姫との間に居た白蛇達を排除し始めた。
足元に湧き出るものは蒸発し、道中に出現したものは、五つの首の内のどれかが噛み砕き、あるいは各々の力を使って取り除いて行く。
そんなに距離は無い。それこそ【大祖始】の首の長さ程度のものしか。
こちらに攻撃の意図があれば、そこれそすぐに決着がついてしまうだろう。
そんな距離を、ふら付く足元を叱咤しながら、一歩一歩距離を詰める。
依姫との距離が半分を切ったところで、黒い風が再びこちらを襲って来た。
腐り落ち、腐敗の煙を上げる大地。
鼻がもげそうな臭いを『良い気付けになる』と思いながら、またも【大祖始】によって守られた道を、一歩一歩、確実に。
再び力を使う体力は残っていなかったようで、とうとう依姫がその場へと膝を突いた。
顔こそこっちに向けているものの、瞼すら重く閉ざしているようで、開く気配は無い。
それでも闘気だけは轟々と体中に滾らせているのだから、いやはや何とも―――尊敬に値する女性だと思う。
一週間程度。
時間にしてみれば、たったそれ位。
それがいやに長く感じられ、つい昨日の出来事であったようにも感じられ。
時間の認識なんて、気分一つてコロコロと変わるもんだと思った。
―――依姫の前に立つ。
本来の彼女なら、それこそ瞬きをする間にこちらを捻ってしまえるだけの距離だ。
【死への抵抗】による【ダークシティール】化もしていない俺では、無抵抗のままに全てが終わる距離。
しかし、依姫は動かない。
こちらと同様。荒く呼吸を繰り返し、クラウチングスタートみたいな体勢で固まっている。回復しない体調と闘っているようだ。
「……降伏でも促しに来たか?」
呼吸すら満足に行えないであろう状態だというのに、こちらの気配に反応でもしたのか。伏せた顔はそのままに、依姫が言葉を投げ掛ける。
「まぁ、そんなとこ。……どうする? とても続行出来る状態じゃあ無いと思うが」
後一分もしない内に、俺の体力は底を尽きる。経験による確信めいた未来予知だったが、多分当たっているだろう。
切羽詰っている様子など御くびにも出さずに、こちらは絶対強者を装う。我ながら、面の皮が厚くなった……演技力が上達したものである。
だから、余裕の仮面が剥がれ、昏倒という名の素顔を晒す前に、色々と済ませておかなければ。
「確かにお前の言う事は尤もだ。今の私は精魂共に尽きかけて、顔を上げる事すら、億劫―――。だが、まだ折れた訳じゃない。最後の一手を下せ。それで決着が付く」
白黒はっきりつけましょう。止めを刺せ的なニュアンスなんだろうか。……なんだろうな。戦闘中はそんな顔してたし。
「とりあえず、だ。……依姫、こっち見ろ」
数十倍に重くなった頭を持ち上げるかのように、依姫が顔を向ける。
上下する肩。球のような汗。喘ぐ様に漏れる、荒い息。
濡れるような瞳には、俺の姿がしっかりと映り込んでいるのが分かる。
「……なん、だ……!?」
疲労で音量こそ控えめだが、依姫が驚愕の声を上げる。
それはそうだ。
だって、本人の意思とは全く無関係に、ピクリとも動かなかった両の手がゆっくりと持ち上がってきたのだから。
けれど当人の困惑とは別に、俺の心には当然の流れだ、という確信があった。
そも、この予感が無ければ、こんなにも無防備に依姫へと近づいていない。
(あぁ……やっぱり間違いじゃなかった……)
何だったかな、この気持ちは。
少し前までずっと心にあった筈なのに、今こうしてその気持ちを目の前にすると、随分と懐かしい印象を受けた。
「くっ! これはどういう……」
「なぁ、依姫」
何をした、と疑惑の目線が俺を射抜く。
だが、それは誤解だ。
何かしたのは俺ではなく―――。
「普段はこんな事、絶対にしないんだが……。恨むなら、俺と戦った事。最後に呼び出した神が不味かった事。何より、負けた自分を恨んでくれ」
「それはどういう……」
すまん。もう返答する体力が残っているのかも怪しいんだ。そんな僅かにしか残っていないものは、俺の望む事に有効活用しなければ。
一歩前に出る。
互いの距離はほぼゼロに。
それぞれが手を伸ばせば互いの体に触れられる、間。
依姫が疲労の極みにある体に鞭打って、足腰は立たずとも、何とか両の手だけはこちら掴もうと伸ばされる。神託を授かる神父かシスターみたいな格好だった。
それに応えるべく、俺も自分の腰を落とし……そのまま腰砕けでぶっ倒れそうになった体を、他の誰でもない―――依姫が優しく包み込む様に、こちらを支えてくれた。
互いが互いを抱き合うような形になりながら、当の依姫は言葉にこそ出さないものの、困惑の色を示す。
何かに操られる様に四肢が動く感覚に、どうすれば良いのか模索しているかのようだ。
けれど、そんな依姫に構っている余裕は無い。
多分、後数十秒で意識が途絶しそうなのだ。それまでには……。
「何だ……何故……体の自由が効かない……」
混乱する彼女を他所に、事態は刻々と進行中。
綿月依姫、神々の依り代たる能力は―――なるほど、こういう使い方もあるのだと納得する。
抱き合う依姫の体から、先程と同じように、絡み付く様な怨恨の力が漏れる。
だが、それは害意を持ったものでなく、この場に降り立つ際に、どうしても零れてしまう力の一端なのだろう。
―――八百万の神々を呼び出す者は、恐らく初めて、呼び出した神によって、その体を奪われた。
降したる神は、怨念の統括者。
恨み辛みの象徴であり、最も暗き感情の代弁者。
それはとても怖いものであり、忌むべきものであり―――。
こちらを包む依姫の腕が、よりいっそう力を増した。
憎しみを込めて……なんてものではなく、こちらを二度と離さない、との意思が煤けて見えるような抱擁だ。
それに応えてこちらも腕に力を込めれば、触れる感覚は依姫の筈なのに、その後ろにとても懐かしい存在を感じる事が出来た。
「―――久しぶりだね、九十九」
「お久しぶりです。―――諏訪子、さん」
耳にした声は、宿主のものではなく、宿を借受たる者。
交わす言葉には、周囲に漂う邪な気配を微塵も感じさせない。
そこには、ただただそれらと対極の熱を持った感情があった。