貴族な勇者様6
俺の頭はかつて無い激情に沸騰しそうだった。
此処まで頭に来るのは何時以来だったか。中々体験する事が出来ない憤りだ。
顔面は偉い事になっているだろう。全身の血液が急速に集中している感覚がある。
ビキビキと血管が浮き出て、少し突いただけで忽ちに破裂するに違いない。既に何本かはブチ切れているんじゃないか。
基本的に、自分の沸点はそれ程低くは無いとは思う。だが、聖者の様に深い労わり心がある俺にも我慢できない事がある。
貴族に取って平民に愚弄される事程屈辱的な事は無い。それが、自分より格下であれば当然の事だ。俺より上の人間など数える程だが。
噛み砕かんばかりの勢いで歯軋りしながら、目の前の女を睨み付ける。視線だけで殺せるなら100は下るまい。
一切の武器を持たず、無防備にも両手を広げる女。抱き締めてとでも言わんばかりだ。
とても今が戦闘中だと思えない程に気を抜いたこの女は。不愉快極まりない妹と全く同じ顔でこう言った。
「片手でお相手致しましょう」
どうだ? 女に、それも普段散々と扱き下ろしている奴に舐め腐られたんだ。
アレアとか名乗った女魔族。普段の俺なら仕方ないと割り切れただろうが、余りに偽善勇者と類似した容姿が俺の思考を鈍らせる。
切れるなと言う方が無理があるだろう。俺に残された数%程の理性が必死に抑えようとするが全く効果が無かった。
罠? 挑発? 知った事か。今の俺の頭に占める感情は唯一つだ。
ぶっ殺してやる。俺の足下に跪かせ、命乞いをさせてやる。
引き攣りつつある表情筋を何とか動かし、俺は如何にか笑みを形作りながら剣を握る握力を強めた。
「上、等・・・! 精々、言い訳を考えてやがれぇぇぇえええええええええ!!」
ピオリム、バイキルトを何重にも重ね掛けする。俗に言うアクセラレータだ。
効果が切れた時の疲労感は半端じゃ無い。大乱交に明け暮れた翌日以上に何をするのも億劫になる。
だが、構わない。この女の表情を歪められるなら、その首を刎ね飛ばせるなら。
絶叫しながら突撃。剣を腰だめに構え、四足獣の様に地面を踏み駆ける。
数百メートルはあった間を一瞬で詰めた俺は、思い切り良く剣を突き立てる。
アレアの顔面を串刺しにする予定だった刃。だが、俺の期待した未来をアレアは簡単に打ち砕く。
剣の腹に軽く手を添えて勢いを削ぎ、全体重を掛けていた俺の身体のバランスを崩す。
元の体勢が余り良く無かった為に、ガクンと前のめりになる俺の身体。アレアはその隙を見逃す事は無かった。
地面にダイブ仕掛ける俺の顎にスラリと伸びるしなやかな右足。このままだと俺の言語機能に障害を残す事になる。
天より与えられた滑舌を壊されては堪らない。俺は剣を突き立てて身体を支え、それを軸に逆立ちをする。
ひゅぉ、と漆黒の疾風が駆け抜けた時には既に俺の両足は天に伸び、地面を抉った蹴撃の餌食になる事を避ける。
アレアが脚を引き戻す頃には俺の身体は天に浮かんでいた。剣先に魔力を注ぎ込む事で一時的にブーストしていたのだ。
「行け!」
呪文はとうに詠唱済みだ。掌に拳大の火の玉が幾つも浮かんでいる。
選択した呪文はメラ。呪文の威力としては最低クラスだが、術の展開速度は最も早い。
赤い礫が音速となって飛んで行く。この距離ならまず避けられない球が頭、両手足にバラけて迫る。
倒せるなんて思っちゃいない。僅かな隙ができれば良いと思っていた。だがアレアの反応は俺の淡い期待を再び叩き潰す事になる。
「シッ―――」
ボクシングスタイル。拳闘と呼ばれる格闘技独特の構えをとったアレアは、上段三つのメラを弾き飛ばした。しかも律儀に片手だけで。
ならば足下だけでも慌ててくれればと思ったが、これも見事に外れる事になる。
何故ならアレアの両足は地べたから離れていたからだ。ジャブを放つと同時に俺目掛けて飛び上がっていた。
常軌を逸した跳躍力で俺の目の前に迫ったアリア。間を置かずに渾身のストレートを放つ。
とんでも無いスピードだ。およそ人間では反応が追い着かない拳速に、俺の顔面が潰されるのは確実と思える。
俺は特に反応しようと思わなかった。言い訳では無く、純粋に防御する必要が無かったから。
ドカンッ。まるで大砲が直撃したかの様な轟音が響き渡る。
「つっ―――」
だが、ダメージを受けたのは俺では無い。痛みに顔を顰めているのはアレアだ。
笑い転げたくなる衝動に駆られたが、それはこいつを踏み躙る時まで取って置く。零れ落ちた機会を無にしてはならない。
思わず拳を引っ込めたアレアの懐に潜り込み、たっぷりと魔力を染み込ませた愛剣を振り下ろす。
「―――バギマ剣」
風を味方に付けた俺の剣は空気抵抗をほぼ除外する事に成功し、脅威的な速度を生み出す事が出来た。
流石の魔族も今度ばかりは完全回避とは行かなかったらしい。ザシュッ、という音が物語る様に、血飛沫が服の切れ端と共に舞って行く。
何とか身体を捻る事で上半身と下半身が分離する事は避けた様だが、皮一枚と言う訳じゃ無さそうだ。傷口を押さえ、思わずアレアは後退する。
「中々、面白い芸をお持ちですね」
相変わらずの微笑を浮かべながらアレアが言う。だが、先程までの「超余裕ッスww」的な様子は無い。
此処で俺は確信する。この女、どうやら魔術に精通したタイプの魔族では無い事を。
魔術師型の魔族だったらあっさりと見破っただろう。その上で、直接物理攻撃を仕掛ける事は無かった筈。
どうやら俺は、魔族に相対した恐怖と妹と同じ面と言う事で相当に縮こまっていたらしい。相性次第では、魔族とも渡り合う事が出来そうだ。
思わぬ収穫を得た俺は少しだけ機嫌が良くなる。頭の沸騰度合いが70度位には下がって来てくれた様だ。
冷静さを取り戻した事で、俺は自分のアドバンテージを自覚する事が出来た。
ガチの戦闘力では俺はアレアには及ばない。が、こと魔術の面ではその構図は逆転すると言う事だ。
恐らくだがこいつは魔術の素養が無い。手を抜かれているという事が無くも無いが、あれに気付けない事から間違いあるまい。
それならば事は容易い。要は、強化版アリアと思えば良いのだ。
規格外の身体能力を有するが搦め手には滅法弱い。それ故にあいつは俺には勝てない。そして、多分この女も。
俺の構築した術が理解できていない今が絶好のチャンスである。これを利用しない手は有り得ない。
今度切れるのはてめぇの番だ。俺はニヤニヤとそれは憎たらしい笑みを浮かべ、
「ぶぁぁあああか! 誰が言うかってーの!!」
無防備に飛び込む。素人の様な身体運びで隙を丸出しにして。
当然、強烈なカウンターが帰って来る。今度は拳では無く、蹴りにシフト。弾丸の様な連蹴りが立て続けに襲い掛かる。
当たったら内臓破裂所じゃ済まないだろう。ヒットする度に肉片が飛び散りそうだ。
―――あくまで、当たればだが。
アレアの攻撃は再び阻まれる事になる。俺の身体を薄く覆う、見えざる壁によって。
「ちっ、何が何やら・・・」
舌打ちしながらも攻撃を止めないアレア。だが、無駄だ。
そんな小技をどれだけ積んでも意味は無い。こいつは衝撃緩和では無く、無効化なのだから。
マホカンタと言う呪文がある。魔術に携わる人間なら誰もが知っている対呪文障壁だ。
こいつは効果持続時間中、一切の呪文を跳ね返すと言う効力がある。魔術師を相手にするなら極めて効果的な呪文である。
凡人なら、ああそうか便利だなで終わらせる所だろう。が、俺はその先を考えた。
(何故、対物理障壁は無いのか?)
考えて見れば当然の疑問だろう。魔術を返せる呪文が創れるなら、その逆も出来るのではないか。
それを実現したのがこれだ。俺を無敵せしめている魔力の壁、差し詰めアタカンタとでも命名するべきか。
一定時間中、あらゆる物理攻撃を無効化する。
勿論限度はあるだろうが、俺を舐め切って素手で挑んで来る馬鹿女では絶対に破れない。
どれだけ迅かろうが、重たい衝撃力を備えていようが当たらなければどうと言う事は無い。
俺は繰り返される蹴りの軌道を分析し、次のインパクト瞬間を計算する。そして―――
「此処かなぁ?」
見事に腹にヒット。正確には腹の上の壁だが。
完全に読んでいた俺はアレアが脚を戻す前にガッチリと掴み取り、逆手に持った剣で斬り返した。
「あっ・・・」
今度は逃がさなかった。片足を抑えられていたアレアは身体をのけ反らせる事しか出来ず。
目の前が鮮血で真っ赤に染まる。柄を握る手に残る感触は、間違い無く魔族の肉を斬り裂いていた。
勝った。俺は勝利に向かって確かな手応えを得ていた。
遠く無い勝利に向かい、着実に手を進めている実感が俺にはあった。