異世界トリップ中に手違いがあった話です。
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我輩は、こぬこである。名前はまだ無い。
「とりあえず…呼び名はポチにでもしておくか」
訂正しよう。我輩の名は、ただいまをもってして『ポチ』とあいなったらしい。
何故こぬこの名がポチなのかという重大なような些細なような疑問を抱きながら我輩が視線を斜め上に向けたならば、そこにはふよふよ微妙に揺れながら浮かぶプラスチックの板っぽい半透明のメッセージウィンドウ。
“貴方の名は『ポチ』に決定しました”
我輩は、こぬこなので人の言葉は喋る事が出来ない。故に頭の中で言葉を思い浮かべる。
(ステータスウィンドウ・オープン)
…いや、たとえ話すことが出来たとしても、これはわざわざ口に出したりはしないだろうが。
人前でそんないかにもゲーム妄想じみた単語を口にするのは、どうにも羞恥心が働いてしまうのであるからして。
『
プレイヤー名:ポチ
種族:こぬこ 性別:不定
職業:のらねこ 称号:時と世界を駆ける子猫
HP:3/5 MP:25/500
筋力:ふつうの子猫程度
敏捷:素早い子猫程度
知力:人間並み
器用さ:ふつうの子猫より少し器用
生命力:病弱な子猫
精神力:タフな人間程度
物理攻撃力:生まれたての子猫程度
魔法攻撃力:あと少しで神様
物理防御力:紙より薄い
魔法防御力:魔人クラス
スキル:
こぬこの心得【常時発動型】
精霊魔法(LV:∞)【現在精霊と契約をしていないため使用不可】
儀式魔法(LV:∞)【猫の手では魔方陣が描けないため使用不可】
多言語理解(LV:∞)【いかなる言語も全て理解可能】
持ち物:
なし
状態:やや空腹、魔力欠乏
』
…………………………………………………………。
我輩は、こぬこになるまではこんな話し方はしなかった。当世若者風らしい、いたって軽い口調が常であった。
無論、一人称も『我輩』ではなかった。
そこをあえて、無理をしてでも、かつてのような口調で一言だけ叫ばずにはいられない。
『どんなバグキャラだぁぁぁっ!!!』
「にゃあああああああああっっ!!!」
しかし、現在こぬこである我輩の口から実際に出るのは鳴き声のみであった。
無念である。
職業が野良猫にも関わらず、餌を貰った。そもそも名前をつけられたのに飼い猫と野良猫の差は何なのだろうかと内心で疑問に思いつつも疑問が多すぎる現状では着実に増えていく疑問に溺れてしまいそうだと我輩は嘆息した。
混乱も行き過ぎて妙に落ち着いてしまったようですらあるのだが、うっかり錯乱でも始めてしまう前に現状を確認してみるべきだろうか。
我輩はオタクな大学生であったはずである。
ゲームを買いすぎてあまりに寂しい懐具合を嘆きつつも、インターネットで様々な物語を読みふけっていた。
「くっそ、また広告か……」
好みの二次創作の作者がサイトを作ったと知って読みに行ったものの、ページを切り替える度に出てくる広告にサイトの内容は気に入っても段々と面倒に思い始めた頃、それまでとは一風変わったウィンドウが開いた。
まるでエラーメッセージのような灰色のウィンドウに英字がつらつらと。
心当たりは無いのだがと首を傾げつつも下部にあった日本語部分のみに目を走らせると。
“プレイヤーとして異世界に移動しますか?”
「………………」
ロマンである。トリップ補正がつくのかという好奇心だの、実はこれは新手の架空請求への誘いだったなんてことだったら凄すぎるだの。
こんなメッセージを見たオタクなら概ね思いそうなことから思わなさそうなことまで真っ白になった脳裏に駆け巡る。
「だが断る!」
興味はあってもうっかりトリッパーアンチ的な苦難は嫌だという思いのままに、キャンセルボタンもいいえボタンも無い、OKボタンのみのウィンドウを右上端の×をクリックすることで閉じようとした。
この手の行動をしたトリップ小説にあるような、うっかりちょうどそのとき手元が狂ったなどということも起こらずにウィンドウを閉じると。
“転送に失敗しました”
ぽんと出てきたメッセージの意味を頭が理解するより先に意識が落ちた。
次に意識が戻ったとき、体がうまく動かないことに焦りつつも意識が落ちる前のことを思い出した我輩は、一時期読み漁ったゲームトリップ物を思い出して試しに頭の中に『ステータスウィンドウ・オープン』という言葉を思い浮かべてみた。
本当に出てきたウィンドウに驚き、名前が無しで種族が人間で無いどころか『こぬこ』というある種限定されまくった首を傾げたくなるような代物であることに驚き、体が上手く動かなかったのは猫の体を意識していなかったためで一度意識してからは猫らしく動けることに驚き、手がちゃんと前足だったことに驚き、思考の中での口調が『我輩』口調になっていたことに驚き、通りすがりの人影にひょいと摘み上げられたことに驚き、まもなくついた部屋で名付けられたこととその名前といきなり名付けられたのにそれで決定されてしまったことに驚き、今現在初めて称号以降のステータスまでまじまじと読んでそのあまりの使えなさに驚き。
さてはて。一体我輩はどうすれば良いのだろうか。
気がつけば体が勝手に自分の毛づくろいをしていたことに『これが“こぬこの心得”の一端か』と困惑しつつ、この先をいかにすべきかと途方に暮れていた。
困惑顔で毛づくろい中の我輩をじっと見ているのは我輩をこの部屋に連れてきた、恐らく人間(違うファンタジー特有な類似種族でなければ)と思われる相手。
我輩を拾ったのは妙齢の女子(おなご)ではなく、妙齢の男子(おのこ)であった。無念である。
無念ではあるが、路上でなく曲がりなりにもベッドの枕元というそれなりに寝心地の良い場所を提供してくれるらしいことには感謝すべきであろう。
「にゃあ」
感謝の証として、にくきゅうぱんちをしてやった。
「ほんっとーに、コレが特異点なのか……?」
「にゃ?」
眉間に深々と皺を刻んで重苦しく呟くその内容に何かのフラグらしきものを感じた我輩はフラグ破壊を目指し、こぬこらしく小首を傾げておいた。
ちなみに翌日、部屋の中を荒らさないよう注意しながら駆け回ってみたところ、『スキル:こぬこダッシュ を取得しました』というウィンドウが現れた。
…転送エラーというのは果たしてどこからどこまでがエラーなのだろうか。
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こんな話があったら面白いかもしれないと思った。
予想より更にカオスな話になって描いた本人が驚いた。
発端はテンプレを目指したのだと言って、誰が信じてくれるだろう。