『明日の朝、八時頃には出発しますので、それまでに宿の入り口に集まってください』
宿に到着し、各々の部屋に荷物を置いた後、クラインは一度解散を告げた。
「あの四人は、大丈夫かの?」
襲撃をやり過ごした後、ずっと俯いていたルーフィンは、クラインが姿を消すと同時に宿を飛び出していった。
慌てて追いかけるレティシアを尻目に、カレドは二階の部屋へと引上げている。
リディーは、相変わらず何を考えているのか分からない様子で、これまた街中へとフラフラと姿を消した。
そんな四人の様子を思い出し、ギルバールが難しい表情を浮かべた。
「さあな」
「最悪、彼等が使い物にならなくても、私達三人で馬車は守れるし」
「……お主ら」
興味なし。そんな内心を隠そうともしないアルトリートとレクターの反応に、ギルバールが低い声を出した。
ジロリと二人を見て、彼は口を開く。
「アヤツらは、確かに未熟じゃ。じゃが、それでもアヤツらなりに努力はしておろう。
先達として、手を差し伸べてやろうとは思わんのか?」
「…………」
「……よく分かった」
沈黙を返すアルトリート達に、ギルバールは頷いた。
静かな、押し殺した声に怒気が混じる。
「ワシは、アヤツらを馬鹿にする気にはなれん。見放そうとも思わん。
ワシにも駆け出しの頃はあったし、人には言えぬような失敗も数多くやらかした。
……お主らとて、そうじゃろう?」
ギルバールの言葉に、アルトリート達は咄嗟に言葉を返せない。
その反応をどう受け取ったのか、彼はため息をついて二人に背を向けた。
「何度もしくじったワシを、その度に怒鳴り、諭し、導いてくれた先達がおったから今がある。
無論、ワシの未熟を嘲笑うだけの者もおったがの。
……じゃが、じゃからこそ、ワシは、煩い、お節介、と言われようと後進に手を貸してやりたい」
お主らに押し付けるつもりはないが。
そう締めくくって、ギルバールはルーフィン達の後を追うように立ち去った。
「……誰にでも駆け出しの頃はある、か」
「私達にとってみれば、今がそうなんだけどね。……忘れていたけれど」
ポツリと呟いたアルトリートに、レクターが苦笑を浮かべた。
ギルバールの話は的外れだ。
アルトリートとレクターには、『しくじった経験』など、ない。
『怒鳴り、諭し、導いてくれた先達』など、いない。
そもそも、二人は『熟練者』ではない。力があるだけの『駆け出し』なのだ。
「未熟を嘲笑う、だって」
「……耳が痛いな」
レクターの言葉に、アルトリートは目を閉じた。
ギルバールの指摘は的を射ている。
アルトリートとレクターは、カレド達四人を見下していた。
自分達を『熟練者』、彼等を『駆け出し』の位置に置いて、上から目線でその未熟を嘲笑っていた。
パーティーとして上手く機能していない彼等を馬鹿にして、その力をあてにせず、言葉を交わすことさえ放棄していた。
―――今は、彼等と自分たち、七名で一つのパーティーであるハズなのに。
「……最悪だな、おい」
「恥ずかしすぎるね」
赤面ものの勘違いだと、二人はため息をついた。
「どうする?」
「とりあえず、ちょっと頭を冷やしてくるよ」
少し、考えをまとめないと。そう続けて、レクターは宿の外へと出て行った。
相棒が消えた扉をしばし眺めて、アルトリートはため息をつく。
「……で、お前は俺に何か用か?」
「ちょっとツラ貸せよ」
アルトリートが一人になるのを待っていたらしい。
二階からコチラを窺っていたカレドは、敵意に満ちた目でそう告げた。
ギルバールがその姿を見つけたのは、街の北側―――これから伸長される予定の街道の起点になるであろう場所だった。
小さな川を跨ぐ橋の下で、身を潜めるように少年が蹲っている。
「…………」
ギルバールは、ゆっくりと彼の所へと近づく。
鎧が立てる音に気がついたのか、少年が顔を上げた。目が合う。
「……あ」
「隣に座るぞ」
固まっているルーフィンの意見を聞くことなく、腰を下ろした。
橋が陽射しを遮っているため、薄暗い。加えて、空気が少し湿っている。
ギルバールは僅かに顔をしかめた。
「むぅ。気分が更に落ち込みそうな場所じゃの」
「……あの、何かご用でしょうか?」
「うむ。言っておくが、『気にするな』などという慰めを言うつもりはない」
むしろ説教をしに来た。そう続けるギルバールに、ルーフィンは僅かに身を硬くした。
「……僕には、適性なんて無いですもんね」
「お主が冒険者になった理由は何じゃ?」
「はい?」
「お主が、冒険者になった理由じゃよ。何ゆえ戦士として、前に立つ役割を負うことになったのかの?」
「……父が元冒険者で、小さい頃から剣や盾の扱いを教わっていたからです」
ギルバールの問いに、ルーフィンは消え入りそうな声で答える。
小さい頃から教わってきたはずなのに、自分は一向に上達しない。やはり才能がないのだと彼は自嘲した。
「それで、なぜ冒険者になったのじゃ?」
「え? いや、だから」
「前に立つことを選んだのは、多少はあった心得を生かすためというのは解った。
じゃが、そもそも冒険者にならなければ、苦手な剣を扱う必要もなかったであろう?」
「それは……レティと、カレドが冒険者になるって聞いて、そのし、心配に」
レティシアとカレド、ルーフィンは幼馴染らしい。
ある時、カレドが冒険者になると言い出し、心配だからとレティシアがそれに同行を宣言、ルーフィンもそれに乗ったのだそうだ。
「なるほど。二人を守りたいと思うたのか」
「はい。その、父から冒険をする時には、前に出て壁になる者がいると教わっていたので……」
「なるほどのぅ」
顎に手をあてて、ギルバールは頷いた。
リディーとの関わりはよく分からないが、それを今、あえて聞く必要はないだろう。
「お主の適正について、どうこう言うつもりはない」
「え?」
「お主の動きは、適性がどうとか、そういうことを語る以前の問題じゃ。
何じゃ、あのへっぴり腰は、その辺のゴロツキでももっとマシな動きをするぞ」
「ぁ、う」
ギルバールにバッサリと斬り捨てられ、ルーフィンが項垂れる。
その背中をバシリと叩きながら、ギルバールは説教を続けた。
「それがイカン。自分の悪いところを指摘されて、落ち込む暇があったら改善するために努力せんかっ!!
そこで腐っていては、全く進歩が生まれんじゃろうが」
「あ、その……はい。すみません」
「じゃが、基礎は出来ておった」
「は?」
目を丸くするルーフィンの顔を見て、ギルバールは笑う。
ボガードソーズマンの剣撃を、数度に渡って防ぐことなど素人には不可能だ。
ルーフィンが双剣を凌ぎ続けることが出来たのは、逃げ腰ながらも最低限必要な部分を押さえていたからだろう。
「そして、お主がカレドを助けようと動いたことは、ワシは評価しておるよ」
「え、と」
無論、敵から目を逸らすなど言語道断だが、そう続けながらも、ギルバールの口調は柔らかい。
目を白黒させる少年に、ギルバールは頷いて見せた。
「仲間を守ろうとする意志。それは、お主やワシのようなパーティーの盾たる者には絶対に必要なものじゃ。
怖くて当然。弱音を吐いても良い。じゃが、それでもその思いだけは捨てるな」
「…………」
その意志を捨てて逃げ出せば、仲間が死ぬ。そう告げるギルバールの言葉に、ルーフィンは息を呑む。
レティシアが斬られそうになった瞬間でも思い出したのか、見る見る内に顔色が蒼褪めていった。
「でも、僕なんかじゃ」
「自分の力が足りないと思ったのなら、助けを求めよ。
お主と共に戦う拳闘士は、仲間を見捨てるような外道かの?
お主の背後に立つ神官は、ただ守られるだけの無力な娘かの?」
「ち、違います!!」
「ならば、お主は彼等から力を借りて、彼等を守る盾となれば良い。
……助けられた分だけ、その手で守ってやれ」
自虐を遮ったギルバールの言葉に、少年は己の手を見下ろした。
「僕が、皆を……守る」
「そのために、お主は冒険者になったのじゃろう?」
「……はい」
頷くルーフィンの顔に、再び血色が戻ってきていた。
声から自虐の色が消えているのを確認して、ギルバールは頷いた。
「ま、先ずは皆に心配を掛けたことを詫びねばなるまいの?」
「……あ」
レティシア嬢ちゃんあたりに怒鳴られると良い。
意地悪く笑った古株の戦士に、若き戦士の卵は顔色を再び蒼く染め上げた。
夕日に赤く染まった街中を歩く。
“果ての街”フォリマーは、小さいながらも活気に満ちた街だ。
通りを歩けば、一日の疲れを癒そうと酒場に向かう工夫や、自分と同じ冒険者の姿が目に入る。
その光景に、この街が街道の伸長工事を見越した職人や、北西に位置する遺跡“大水門”に挑む者達の拠点となっていることを思い出す。
「……この街は綺麗な人が多いという話だし。
本当なら、色々と声を掛けて回りたいところなんだけどね」
さすがにそんな気分にはなれないと、レクターはため息をついた。
と、見覚えのある女性神官の姿を見つける。以前の元気な姿はどこにいったのか、酷く落ち込んだ様子で佇んでいた。
傍らに、ルーフィンの姿はない。
「ルーフィンはまだ見つからない?」
「え? あ……レクターさん」
背後から声を掛ければ、レティシアは驚いた表情を浮かべて振り返り、すぐに目を伏せた。
コクリと、小さく頷く。
「……街の外には出ていないようだし、ギルバールも探してるようだからすぐに見つかるよ。
良かったら、私も探すのを手伝うけれど」
「……すみません。ありがとうございます」
二人で並んで歩く。
「……あの」
「うん?」
相当にヘコんでいるらしく、俯きがちに歩いていた少女が唐突に足を止めた。
こちらを見上げる。
「私は、私にはあの時、何ができたのでしょうか?」
「…………」
何かやるべきことがあったのではないか。そんな彼女の問いに、レクターは沈黙した。
ギルバールの言うとおり、彼女もまた必死に考えている。
「君は、カレドやルーフィンが戦っている時、癒しの魔法以外に何かしたかな?」
「……いいえ」
少女は首を横に振った。
「必ずしも効果があるとは言えないし、マナとの相談もあるから、これが正しいとは言えないけれど。
例えば“バニッシュ”を使ってみるとか」
「“バニッシュ”……蛮族やアンデッドを退ける神聖魔法でしたよね」
「うん。アレ、結構使えるんだよ。私はそれで命拾いしたこともあるし。
他にも“フィールド・プロテクション”を使って、前衛二人に護りの加護を与えることも出来たんじゃないのかな」
「……考えもしませんでした。普段、偉そうなことを言っているのに、私、全然駄目ですね」
レティシアが俯いた。
その泣きそうな表情を見ないようにして、レクターは話を続ける。
今は、安易な慰めは口に出来ない。
「レティシアは、カレドとルーフィンの戦いをちゃんと見てた?」
「え? あ、はい。見てました」
「うん。で、どう思った?」
「どう……って」
首を傾げる彼女に、レクターは微笑んだ。
「率直な感想でいいんだよ。危なっかしいとか、そんな感じで」
「……見ていて凄く怖かったです」
「それは何故かな?」
「カレドは、一人で前に出すぎるし、ルーフィンは何だか頼りないし」
「なら、それを変えるのは君の仕事だ」
「え?」
レクターは静かに告げる。
目を瞬かせるレティシアへと、指を一本立てて見せた。
「前衛というのは、意外と周りが見えてないんだよ。
何しろ目の前の敵に全神経を集中してるからね。
退がる敵を追いかけている内に、気がついたら突出して孤立していた、なんてことは決して珍しくない」
だから、全体を見回せる後衛が、時に注意して引き戻す必要があるのだと、レクターは続けた。
「ルーフィンは頼りない。へっぴり腰で戦ってて、見てるこっちが不安になるよね。
でも、彼は仲間の危機に恐怖を忘れるくらいには、皆のことを大事に思ってるんだよ」
使い魔の視界を通して見た光景を思い出す。
囲まれたカレドの危機に、目前の蛮族の存在を完全に意識から飛ばした少年。
彼は、誰かを守るためなら、恐怖など物ともせずに戦うことができるだろう。
「だから、レティシアはルーフィンにそのことを意識させればいい。
お前が抜かれると背後の仲間がピンチになるぞって、もっとシャキっと戦えって、後ろから発破を掛けてやればいい」
「…………」
レクターの言葉に、レティシアは沈黙したままだ。
「あまり声を掛けすぎると、今度は集中を乱すことになるから、状況を見極める必要があるけどね。
『よく見て、よく考える』こと、それが私たち後衛に一番大事なことだと思う」
「よく見て、よく考える」
口の中で繰り返し呟くレティシアに、レクターは苦笑した。
「ま、あくまで私の考えだけどね。
後は目的を見失わないことかな。例えば、人を探すのに俯いていたら、見つかるものも見つからなかったりするよね」
「え?……あ、そう、ですね」
悪戯っぽく笑う魔術師の言葉に、神に仕える少女は頬を赤く染めた。
街の外れ。
夕暮れを受けて赤く染まった世界の中で、アルトリートはため息をついた。
「……仲間を放っておいて、お前は果し合いか?」
「フン。ルーフィン追いかけて、『お前は悪くない。悪いのは突出したオレだ』とでも言って慰めろってか?
アホらしい。オレ達は遊びで冒険者やってるワケじゃねぇんだ」
仲良しゴッコで傷を舐め合うような真似はゴメンだと、カレドが地面に唾を吐き棄てた。
手甲を帯びた拳を打ち合わせて、彼は無手のアルトリートを睨む。
「抜けよ」
「抜かせてみろよ」
短く告げたカレドに、アルトリートは鼻先で笑って返した。
結局、自分には説教や助言など出来そうにない。強すぎる鼻っ柱を叩き折って、退くことを覚えさせるくらいが関の山だろう。
(それさえ、何か逆効果になりそうだが)
ギルバールに怒られそうだ。
苦笑を浮かべたアルトリートを見て、カレドのまなじりがつり上がった。
「馬鹿にしやがってっ!! その上から目線が気にいらねぇ!!」
「そうか」
怒鳴りながら突っ込んできたグラップラーの拳をかわす。
ストレート、アッパー―――ニ連撃を上半身の動きだけでかわし、直後に放たれた蹴りを後退することで空振りさせた。
「まだまだっ!!」
カレドは咆哮して、拳を振りかぶった。
相変わらず、見え見えの大振り。それなりに速いが、それでもアルトリートからすれば止まっているも同然だ。
身を引いて、突撃してきたカレドをかわすと同時に背後へ回り込む。
「……突っ込みすぎるそのクセ、直さないといつか死ぬぞ」
「余計な、お世話だっ!!」
振り返りざまの裏拳を掌で弾いて、アルトリートは大きく後方へと跳躍した。
広がった間合いの先で、体勢を整え直すカレドを見つめる。
「く、そ……何で当たらねぇ」
「根本的な速度と、経験の差だな。少なくとも、俺の方が速いし、お前よりも潜った修羅場の数も多い」
「…………っ」
カレドが舌打ちをする。
その表情を眺めながら、アルトリートは構えた。
ゴブリン程度なら、何の苦もなく殴り殺せる拳を握り締め、地を蹴る。
「はぁっ!!」
「…………っ」
当てることを優先し、全力で振りぬくことはしない。
左拳を脇腹に、右をコメカミのあたりに引っ掛けるように叩き付けた。カレドが呻き声を上げながらよろめく。
「どうしたグラップラー」
「っ、このっ!!」
打ち上げるように振るわれた右拳をスウェーでかわす。直後、顔面めがけて真っ直ぐに左が放り込まれた。
咄嗟に顔を傾けるがかわし切れず、頬を掠める。
直後、放たれた蹴りを腕で受け止めて、アルトリートは数歩後退した。
「ハッ!! どうしたセンパイ!! 格闘は苦手か?」
「……当たり前だろ、俺は剣士だぞ」
ようやく当たった一撃に、カレドが口の端を歪める。
その言葉に、アルトリートは舌打ちをした。蹴りを受け止めた腕がわずかに痺れている。
負け惜しみと取ったのだろう。カレドの笑みが深くなった。
「ハン! だったら剣を抜けよ」
「お断りだな」
肩を竦めて、アルトリートから仕掛ける。それをカレドは真っ向から迎え撃った。
―――数十秒後、グラップラーの少年は、仰向けに倒れていた。
「くっそ……」
「……もう少し相手を見るようにした方がいい。あと、無策で突っ込むな」
傍らにしゃがみ込んで告げれば、少年は「うるせぇ」と一言呟いてそっぽを向いた。
自覚はしているらしい。そのことを確認してアルトリートは立ち上がった。
「ルーフィンが敵を背後に通したのは致命的だ」
彼は、守りの要だ。
それがあんなにアッサリと敵を通しては、背後の術者達は安心して魔法を扱うことができなくなる。
「だが、その原因はお前が一人で突っ込んで囲まれたことにある」
「…………」
もっとも、カレドが無謀な突撃をやらかした理由は、自分にあるのだろう。
最初の襲撃の後から、カレドはずっと自分の感情をアルトリートにぶつけ続けていたのだ。
それを、取り合うに値しないと鼻で笑って無視されてしまえば、怒りが収まるはずがない。むしろ増大する一方だっただろう。
延々ぶつけられている敵意にイライラが溜まっていた自分と同様、いや、それ以上に彼は鬱憤が溜まっていたハズだ。
それを遠慮なく叩き付けられる相手が現れれば、思わず周りが見えなくなったとしても仕方がないのかも知れない。
(……何をやってるんだろうな、本当に)
相手の気持ちなど、全く考えていなかった自分に呆れて物も言えない。
内心でため息をついて、だが、そうした思考を表に出すことなく、アルトリートは言葉を続けた。
「レティシアには、癒し以外にもできることがあった」
効くかどうかは分からないが、“バニッシュ”を試みても良かっただろう。
少なくとも、何もせずに前衛が傷を負うまで見ているよりはマシだ。
「よそ事を考えて警戒を怠った俺や、やるべきことをやらなかったレクターは論外だ」
「……何が言いたい」
カレドの問いに、アルトリートは首を振った。
「……別に、慰め合いをしろなんて言うつもりはない。
しかし、何が拙かったのかを検証して、これからどうするかを考えるのは必要なことだろう?」
「…………」
「そして、それは一人じゃなくて、パーティー全員で行うべきことだ」
でなければ、何のためにパーティーを組んでいるのか。そう続けたアルトリートに、カレドは何も答えない。
しばしの沈黙の後、舌打ちをして、身を起こした。
「……帰る」
憮然とした表情のまま、アルトリートに背を向けた。街の方へと向かって歩き去る。
その背中を見送って、アルトリートは深い深いため息をついた。
「……何を偉そうに」
夕暮れ時で本当に良かったと思う。今の自分は、きっと耳まで赤くなっていることだろう。
あまりの恥ずかしさに、アルトリートは思わず顔を覆った。
リディーは、木の上にいた。
十メートルほどの高さにある枝に腰掛け、柔らかく吹きぬける風に長い金髪を遊ばせている。
「そう。そう……ありがとう」
時折長い耳をピクリと動かしながら、目を閉じて小さな友人達の話を聞く。その内容に彼女は微笑んだ。
リディーは、今回のことを特に心配していない。
あの三人は、この程度のトラブルで壊れるほど弱くないことを知っているからだ。
だから、気に懸かっていたのは、偶然、一緒に仕事を行うことになった三人の冒険者達。
特に、自分達を軽く見ていた二人のことを彼女は懸念している。
「でも、大丈夫みたい」
彼等は彼等なりに、自分達のことを考えてくれているらしい。
そのことを妖精達の囁きの内容から判断して、エルフの娘は笑った。
ならば大丈夫。この仕事もきっと上手くいくことだろう。
確信して、エルフの妖精使いは木の上から飛び降りた。反省会に遅れたら、きっと怒られる。
森の中を、青白い閃光が走り抜けた。
木々の合間を縫うように迸った雷が、潜んでいた蛮族達を貫いた。
「……行って帰るだけで、何で三回も襲われるんだか」
運良くレクターの“ライトニング”から逃れた者達を斬り伏せながら、アルトリートは小さくぼやいた。
右側の森は全て片付いた。反対側の森も、随分と静かになっている。アチラも終わったのだろう。
「さて、じゃあ加勢に向かうか」
夜の闇を退ける“サンライト”の光に目を細めながら、アルトリートはカレド達の元へと向かった。
三度目の襲撃。
それはカナリスへの帰途の途中―――野営中のところに行われた。
もっとも、いち早く蛮族の接近に気がつくことが出来たため、不意打ちとはならず、逆に大打撃を与えることが出来ている。
レクターが左右の森に“ライトニング”を連射。
討ち漏らしをアルトリートとギルバールが森の中で掃討。
辛うじて街道へと出てくることが出来たのは、わずか四体の蛮族だけだった。
ボガードコマンダーとボガードトルーパーが一体ずつ、ボガードソーズマンが二体という組み合わせだ。
それを、カレド達四人が迎え撃つ。
「―――っ!!」
振り下ろされた剣を盾で受け止めて、ルーフィンが歯を食い縛った。
彼の盾は、レティシアの神聖魔法によって強度を増しているものの、蛮族の放つ斬撃はやはり恐ろしい。
攻撃を防ぐのに必死で、反撃など出来そうにない。
だが―――
「ウルァ!!」
「……ギ!?」
横から走ったカレドの拳が、ボガードソーズマンの横っ面を捉えた。
斬撃を打ち込んだ直後、体が硬直したところに入った一撃だ。蛮族の体勢が大きく崩れる。
「“友よ、アイツの足をつかまえて、転ばせて”」
“スネア”
リディーの澄んだ声が響く。その声に応えた妖精たちの力によって、ボガードソーズマンは転倒した。
「よっしゃ!!」
「って、馬鹿! ルーフィン!!」
「大丈夫!!」
倒れたボガードソーズマンへと追い討ちを掛けるため、カレドが踏み込む。
その様を見たレティシアの声を聞きながら、ルーフィンは彼をフォローするように立ち位置を変えた。
もう一体のソーズマンの剣を受け止める。
「あ、悪ぃ!!」
「気にしないで。カバーするから」
「おうよ!! 任せた!!」
倒れた蛮族に止めを刺したカレドが、バツの悪そうな表情を浮かべる。
そちらを見る余裕はないが、ルーフィンはハッキリと傍らの友人へと告げた。
気にせず戦えというルーフィンの言葉に、カレドは愉快そうに笑いながら気合を入れた。
「どういうことかしら」
今彼等が戦っているのは、ボガードソーズマン二体のみだ。
両拳にナックルを填めたボガードと剣と盾で武装したボガードは、少し離れた場所からこちらの様子を窺っている。
まさか、余裕というわけではないだろう。
どう考えても蛮族側が劣勢だ。それにも関わらず動く様子のない二体に、レティシアは眉をひそめた。
「……駄目ね。とりあえず、伏兵だけは気をつけましょう」
「うん」
傍らのリディーに注意を促しながら、レティシアは目を細めた。
アルトリート達が周辺の敵を掃討した時には、カレド達はボガードソーズマン二体を葬り終えていた。
残るボガードコマンダーとトルーパーは、なぜか動く様子を見せずに佇んでいる。
カレド達も蛮族に仕掛けることはなく、膠着状態となっていた。
「……オレたちじゃ、まだ勝てない」
「剣と盾で武装してる方なら、何とかなるだろうけどな」
悔しげに呟かれたカレドの言葉に頷きながら、アルトリートは蛮族の姿を見据える。
こちらが合流したのを見て、二体の蛮族が各々の武器を構えた。
「ふむ。こっちを待っていてくれたということかの?」
「死に方を選んだとか?」
ギルバールとレクターが首を傾げる。
その言葉を肯定するように、蛮族達は雄叫びを上げた。
『我が最期の敵は、貴様としたい。双剣の剣士よ!』
『我が相手は貴様だ。ドワーフの戦士!』
妖魔語で伝えられた内容を、レクターが通訳する。
いきなりの指名に首を傾げながらも、アルトリートは剣を構えた。
「悪いな。オイシイところをもらう形になる」
「…………」
一瞬、カレドと目が合う。
少年は、舌打ちをしながら視線を逸らした。小さく苦笑する。
「レクター、返答をよろしく」
「うむ。頼んだ」
「任された。ちょっとカッコイイ感じで返しとくよ」
レクターが頷くのを確認し、アルトリートとギルバールは各々の相手へと駆け出した。
『相手にとって不足なし!! その挑戦、受け取ったっ!!』
“水晶の欠片亭”には、今、四組のパーティーが所属している。
うち一組は、エルリュート湖北西の遺跡―――“大水門”に挑んでいる関係上、最近はカナリスで姿を見ること自体が稀だ。
だが、他の三組はそんなことはない。ひと仕事を終える度に、店の一階で宴会をしている姿を見ることができる。
「お疲れ様」
「ええ。中々に胃に悪い仕事でしたよ」
今も、一つ仕事を片付けて、店の一角でジョッキを片手に笑い合っている若者たちがいる。
その姿を見るのは、リッタ・ハルモニアにとって最大の喜びだ。
今回も無事戻って来てくれたことに感謝しながら、彼女は傍らの青年に目を向けた。
「で、どうだったかい?」
「ええ。信頼に値すると思いますよ。力量も、人柄も」
「そっか。うん、そうだろうね」
リッタは柔らかく微笑んだ。
その手には、照明を受けて煌く首飾りの姿がある。
青い水晶の欠片をあしらったペンダント。言うまでも無い、“水晶の欠片亭”のエンブレムだ。
「ありがとう。このお礼は、あたしの手料理なんてどうかな?」
「それは勘弁してください」
女将の笑顔に、青年―――クラインは苦笑しながら首を振った。
その胸元で、青い水晶のペンダントが揺れている。
「あっさりと断るわね。いいけれど。
さて……それじゃ、あの子達が酔い潰れてしまわない内に、これを渡しておこうかしら」
リッタは宴会中の若者達へと近づいていく。
―――その手には、七つのペンダントが握られていた。