個室を出た時には、店内は穏やかな空気を取り戻していた。
結局、酒を飲む気にはなれなかったのだろう。初老の男と取り巻き二名の姿はすでにない。
ついでに言えば、先に出たハズのロランの姿もない。ドアが揺れているところを見ると、その足で飛び出していったらしい。
(まあ、別にいいが)
宝石を買いに行ったのだろう。見知らぬ宝石店の主に同情しながら、カウンターに戻る。
目の前にグラスを一つ置かれた。
透き通るような透明な酒が注がれている。
「これは?」
「私の奢りです。店内の騒ぎを速やかに鎮めて頂きましたから」
マスターの厚意をありがたく受け取る。
口にすると、先程飲んでいた酒に比べて随分と優しい味が広がった。
「“ピュア・スピリッツ”という銘柄です。カッタバの村の名産品ですが、如何ですか?」
「……美味い」
蒸留酒であるらしく、村で口にした酒に比べると少しキツイ感じがする。しかし、それでもこの口当たりの柔らかさは特筆に値するだろう。
カッタバという名前に特別な思い入れのあるアルトリートでなくとも、一口で惹き込まれる味と香りだ。
「これって、凄く良い酒なんじゃないのか?」
何でまた、と問うような視線にマスターは笑う。何でも、ロランのことを彼も知っていたからだそうだ。
もっとも自分が一方的に知っているだけだと続けた言葉に、アルトリートは首を傾げた。
「ロランって、有名人?」
「いえ。そうですね……一部の人間には良く知られている、といったところでしょうか」
「一部の人間」
「同業の宝飾師と、あとは彼の作品のファンといったところです」
ちなみに私は後者の方です。そう続けたマスターに、なるほどとアルトリートは頷いた。
「ロランの腕ってどのくらいなんだ?」
「力量自体は普通だと思いますよ。ただ、時々目を見張るような作品を作ることがありますが」
それが楽しみでファンをやっているのだと、マスターは笑った。
その答えに、形振り構わず一直線に突き進む彼の言動を思い出し、アルトリートはため息をついた。
「……何となく分かる気がする。突発的に物凄い作品を作るタイプなのか」
「ご明察です。それに彼にはちょっとした噂話もありましてね」
「噂話?」
「ええ。彼の作る宝飾品には、不思議な力を宿したものがあるそうです」
例えば、真珠の耳飾り。
離れ離れとなる恋人のために作った二つ一組のソレは、どんなに遠く離れた場所にいても、耳飾りを通じて声を届けあうことが出来たという。
例えば、銀の首飾り。
危険な森へと猟に出かける夫を持つ女性の依頼で作ったソレは、運悪く遭遇した蛮族を追い払い、夫の命を救ったという。
例えば、白水晶の指輪。
病弱な恋人への贈り物という依頼で作ったソレは、身に着けているだけで力を与え、ついには病を克服させたという。
例えば―――
(おいおい。いくらなんでも……)
「無論、すべて噂話です。本当の所は分かりません」
アルトリートの考えを読んだのか、マスターは静かに首を振った。
耳飾りについては、件の二人がオルミにおらず確かめようがない。首飾りや指輪は単なる偶然かも知れない。
他の品も本当かどうかを確かめることが出来ず、結局、単なる噂話に留まっているらしい。
ちなみに、とある魔術師が無粋にも“センス・マジック”を行ったらしいが、それには反応しなかったという。
「普通に考えればありえない。しかも、そうした品は突然出来るようですから」
「仮に本当だったとしても、それをハッキリと示すことができないと」
「加えて、当人にもその自覚はない。
結局、妙な噂も特に広がることはなく、彼は一部の者にのみ知られた宝飾師という位置付けに留まっているのです」
「なるほどねぇ」
アルトリートは頷く。
さすがに酒場のマスターは事情通だと褒めると、彼は恐縮ですと笑いながら、空になったグラスにおかわりを注いだ。
ふと、気になったことを聞いてみる。
「ロランがご執心だった娼婦。その身請け人ってどんな人なんだ? 確か大きな商会の主って聞いたが」
「私が知っている身請け話と同じなら、テソロ商会の主です。オルミで一番とは言いませんが、五指に入る大きさですね」
「へぇ。それは凄いな」
「はい。もっとも―――」
あまり大きな声では言えないがと、少し声を潜めてマスターは話を続ける。
「最近、テソロ氏は人が変わったという噂があるので、少し心配なのですが」
「人が、変わった?」
「はい。以前は積極的に商談に飛び回り、街中でもよくお見掛けしていたのですが、最近は屋敷に閉じこもってあまり出てこないと……」
しかも、屋敷には見覚えの無い風体の輩が出入りしているという。
「加えて言えば、テソロ氏は商売一辺倒の方ですから……言い方が悪いですが、娼婦を妻に迎えるような、と」
「なるほど」
世間体としては、決して良いとは言い難いだろう。ワザワザ商売敵に付け入らせる隙を作るようなものだ。
その不自然さに、街の人間も首を傾げているのだと聞いて、アルトリートは僅かに顔をしかめた。
『最近、人が変わった』
そのキーワードは、酷く嫌なものをアルトリートに想起させる。
本当に妙なことになった。
レクターはため息をつきながら、椅子に腰掛けたまま頭を振る。
(どうしてこんなことに)
背後に視線を向ければ、ランタンの明かりを頼りに作業台に向かう青年の姿があった。
傷の手当てもそこそこに、懐から大事そうに取り出した袋を持って作業台に向かったロランに、どこか鬼気迫るものを感じてレクターは声を掛けられずにいた。
おかげで、未だに手紙を渡すことができていない。
(……それにしても)
傷の手当てをしていた時とは気配が違う。
方向性は全く異なるが、かつて相手にした騎士と同等の重圧を感じてレクターは呻いた。
(15レベルの職人? あの歳で? そんな馬鹿な……けど)
何かに取り憑かれているかのような彼の様子に、レクターは畏怖の念を覚えた。脳裏に浮かぶ考えを否定しようにも、部屋を覆う気配がそれを許さない。
「やれやれ」
これは、当分戻れそうに無いとレクターはため息をついて、椅子に座り直した。
することもないので、先程の連中のことを考える。
物盗りというには剣呑過ぎる気配を放っていたゴロツキ共。
(……明らかに殺す気だったよね)
むしろ、あの状況でロランが生きていることの方が不思議だ。四対一で、しかも相手は剣で武装している。
それこそ、レクターが割って入る前に、そして割って入った後でも、ロランを殺す機会はあっただろう。
(逃げる時に、一刺ししていけば良いわけだし……)
レクターはため息をつく。
もしかしたら、何かの加護でもあるのかも知れない。鬼気を放つ背中を見ていると、そんな馬鹿げた考えさえ浮かんでくる。
狙われた理由については全く分からない。
ロランに心当たりがないのなら、自分がいくら考えても無駄だろうと、レクターは思考を打ち切った。
「…………」
沈黙が支配する部屋でレクターは目を閉じる。
眠れるような状況でもないが、他にすることもない。誰か何とかしてくれと内心泣き言を漏らしながら、時間が過ぎるのを待った。
一時間か、二時間か―――それとも、実は大して経っていないのか。
何にせよ、レクターの主観としては一晩に相当する時間が経過した頃、ロランが声を上げた。
「出来た!!」
疲労の滲む、しかし達成感に満ちたその声を聞いて、レクターは目を開いた。
「出来た!! 完成ですっ! レクターさん、本当にありがとうございました」
「う、うん。それは良かった」
完成したばかりの装身具を手に、ロランは飛び跳ねんばかりの様子を見せる。
完成した品を見せてもらえば、それは三日月をモチーフとした髪飾りのようだった。
精緻な彫刻が施された銀のフレーム。中心に青い宝石を置き、さらに周囲を小振りの真珠が彩っている。
「……“月神”シーンの聖印?」
「はい。彼女も信仰しているという話でしたし」
“月神”シーンは、“太陽神”の妻であると同時、娼婦達の守護者としても知られる大神だ。
その加護の元、彼女が幸せになれればと呟くロランに、レクターはため息をついた。
自分が持ってきた手紙は、恋文の類ではなく別れの挨拶であったらしい。預かっていた手紙を渡すと、ロランは少し複雑そうな表情で笑っていた。
自分に手紙を渡した人物が、明後日、大きな商会の主に身請けをされるのだと聞いて、レクターも何となく複雑な気持ちになる。
「それで、お祝いとお世話になった感謝を込めて、この髪飾りを送ろうと思うんですが……」
「まあ、ロランさんの思うようにするといいんじゃないかな」
単なる贈り物としては重過ぎる気がするが、それを今の段階で口にするほどレクターは野暮ではない。
ただ、一つだけ気になったことがあると、口を開いた。
「私は、あまり宝飾品とかいったものを見る目はないんだけど」
「はい」
「その、これは本当に、『おめでとう』と『ありがとう』の気持ちだけで作ったものなのかな?」
「え? そ、そうですけど」
「……他に、もっと大きな気持ちが込められているような気がするんだけど」
「…………」
沈黙するロランの表情を見るまでも無く、レクターは彼が抱いている気持ちを察している。
今更、どうすることも出来ないことだ。だが、それでも―――
「これは、個人的な意見で、全く考慮する必要の無いことだけど」
そう前置きをして、レクターはロランの手の中にある髪飾りを見つめる。
「その気持ちは、ちゃんと告げるべきだと思う。相手にとっては迷惑なだけだったとしても」
「…………」
この髪飾りを見れば、そこに込められた気持ちは嫌でも伝わるだろう。ならば、ちゃんと口にした方がよいとレクターは告げた。
ロランは答えない。
「何にしても、後悔だけはしないようにね」
そう続けながら、レクターはロランの家を後にしようと玄関へと向かい―――
「……へっ!?」
唐突に破られたドアに目を丸くした。
反射的に飛び退くことが出来たのは、僥倖だったと言えるだろう。
眼前に走った銀光に冷や汗を垂らしながら、レクターは目を細めて闖入者達を見据えた。
「……さっきの」
ドアを破って入ってきたのは、先程のゴロツキ共だった。
一人一人の顔を覚えているわけではないが、その手に握られた剣を見てレクターはそう判断する。
(一人増えてる)
ただし、数は四ではなく五。
一旦退いたのは、リーダーを呼びに行くためというところか。
「先程は、俺の弟達が世話になったようだな」
「ずいぶんと来るのが遅かったけれど、道にでも迷ったのかい?」
腕組みをしながら男が笑う。それに薄い笑みを返しながらレクターは奥へと下がる。
「レ、レクターさん」
「……奥に下がって。可能なら、窓からででも外に逃げるように」
背後で目を白黒させているロランを庇いながら、レクターは唇を噛む。
ロランの家はあまり大きくはない。玄関を開ければすぐ作業場兼務のリビングがあり、その両脇に部屋が二つあるといった具合だ。
逃げ回れるだけの広さは当然存在しない。
(マズイ。賦術なしだと先制も取れない)
剣で斬りつけられてしまえば、呪文の詠唱を続けることは無理だろう。
このままでは、何も出来ずに袋叩きにされるとレクターは焦りを覚える。
「言っておくが、両脇の家には誰もいない。助けは期待するだけ無駄というものだ」
「…………」
その言葉に、レクターは舌打ちをする。
「……レクターさん、お願いがあります」
「今、忙しいので却下」
「この髪飾りを彼女に届けてください。僕がいなければ、逃げられるのでは?」
「……冗談」
背後のロランの言葉に、レクターは鼻を鳴らした。
悪あがきを見届けようというのか、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている五人組を睨んで、レクターは覚悟を決めた。
「それは、私ではなくロランさんが自分でやるべきことだよ。
それに、この程度の危地を潜り抜けられないと思われては、私の沽券に関わる。そこで大人しく見ているといい」
最悪、腕の一本くらいはくれてやる。そのつもりでレクターは左腕を五人組へと向けた。
(少しは保ってくれれば良いが)
あまり太いとは言えない自分の腕を見て思う。
始めるかと、レクターは口を開いた。
「真、第―――」
「させるわけがないだろう。馬鹿者め!!」
詠唱を開始したレクターを嘲笑いながら、男が剣を構える。横薙ぎに振るおうとしているのを見て、レクターは内心で罵声を飛ばした。
面白みのない奴。天井に剣を引っ掛けるくらいの愛嬌が欲しい。
(刃を無理やり掴んで止める)
無理があり過ぎることは承知の上だ。
レクターは、詠唱を開始した口を止めることなく動こうとし―――
「―――っ!?」
直後、己の背後で生まれた魔力の波に目を瞬かせた。
「あ゛、ぎ……ぁあああああ―――っ!?」
男が剣を取り落とし、悲鳴を上げながら蹲る。他の四人も同様の反応を見せていた。
直後、その姿が歪み―――彼等は“変身”した。
筋肉が膨張し、四肢が伸びた。身に纏っていた衣服を引き裂きながら、見る間に膨張した体は二メートルを優に超えている。
顔立ちも変わり、角が生え、伸びた犬歯が口元から覗く。その肌は、人ではありえない浅黒いものへと変わっていた。
「ば、ばんぞく!?」
裏返ったロランの声を聞きながら、レクターは口の端を歪めた。
唐突に訪れた好機を無駄にすることなく詠唱を終える。選択していたのは、短い詠唱で確実に相手を無力化できる呪文だ。
「ささやき、誘い―――“眠り”」
蹲る蛮族達を、解放された魔力が眠りへ誘う。
「お休み。次に目が覚めたときには、きっと拷問部屋だね」
そう告げるレクターの言葉に反応すら見せず、蛮族達は抗うことの出来ない眠りへと堕ちていった。
小さく息をはいて、レクターは振り返った。
「……で、今のは何?」
「さ、さあ」
顔を見合わせて首を傾げる。
ロランの手の中で、“月神”の加護を願って作られた髪飾りが、優しい煌きを放っていた。
闇に溶け込むように、アルトリートは疾走する。
向かう先はテソロ氏の屋敷だ。
一旦宿に戻ってナイトゴーグルを引っ張り出し、マスターからそれとなく聞き出した住所と、脳内に広げた町の地図を元に夜のオルミを駆け抜ける。
(絶対酔った勢いで行動してるよな、俺)
誰かに見咎められたら言い逃れのできない格好で、アルトリートは薄く笑う。
暗がりから暗がりへと移動する今の自分は、どう見ても不審者だ。
「何事もなければ、そのまま帰ればいいんだし。大丈夫大丈夫」
視線さえ通るのなら、自分の姿を覆い隠してくれる闇は都合のよい存在だ。
暗視能力を持つ蛮族にはあまり意味がないが、蛮族に見つかる分には別に困らない。エルフやドワーフ、ルーンフォークとかだとかなり困るが。
「……あれか」
しばらく走れば、高い塀に囲まれた屋敷が目に入る。
再度、住所と街の地図を照らし合わせて、テソロ氏の屋敷であることを確認すると、アルトリートはそのまま裏手へと迂回した。
周囲に人がいないことを確認。
「―――っ」
塀の高さは三メートルほど。
それを、助走をつけた跳躍で難なく飛び越えて、アルトリートは敷地内へと入り込む。
着地の衝撃に顔をしかめながら、即座に近くの庭木の陰へと入り、アルトリートは周囲の様子を窺った。
(何か、普通に起きてないか?)
アルトリートは首を傾げた。
幸いにも近くに人はいないようだが、気配を探れば屋敷内を動き回っているものが幾つもある。
ちなみに今は二時過ぎだ。未明といって良い時間帯であることを考えると、ひどく違和感がある。
「何か、嫌な予感がさらに強まった気がする」
ため息をついて、アルトリートは音もなく移動を開始した。
男は上機嫌で、一人、酒を口にしていた。
程度の低い連中を上手く使いこなし、あと少しで目的を達成するところまで来たからだ。
「明日には、第一段階が終了する」
ほくそ笑みながら、娼婦の姿を思い浮かべる。
心臓に関しては後日やってくる予定の上役に渡さなければならないが、それ以外の部分は自分がもらっても良いだろう。
旨そうな肉をしていた。その柔肌に牙を突立てる瞬間を想像して、彼は舌なめずりをした。
「ククク。オルミへの浸透はここを拠点に、カナリスへの浸透もあの女の姿を使えば上手く行くことだろう。
そうなれば、オレは此度の第一功間違い無しだ」
その勲を以って、劣等種のレッサー共ではなく、他のオーガ達を従える立場になる。
さらにウィザードの位階に登り、さらにさらにバーサーカー達を上手く使いこなし、戦陣でこの智謀を駆使して人族共を蹴散らす。
やがて、王と呼ばれ―――
そんなばら色の未来を胸に抱いたまま―――彼は、背後から首を刎ねられて絶命した。
倒れた中年男の骸が、筋骨隆々とした蛮族のものへと変化するのを確認して、アルトリートはため息をついた。
「…………」
何となく、釈然としないものを感じる。
「……なんで自分の悪事を一人でベラベラ喋ってるんだか」
しかも、交易共通語―――人族の言葉で。
かといって、オーガ語を使われていたら、何を言っているのか分からないので、それはそれで困るのだが。
独白の内容からすると、どうやらこの屋敷はすでに丸ごと蛮族に入れ替わっているようだ。
未明にも関わらず、気配が動き回っているのはそのためかとアルトリートは納得する。
「若干、気になることを言っていたよな」
カナリスへの浸透とか。上役に心臓を、とか。
背後に何らかの蛮族の組織があり、侵攻作戦の一環としてオルミへの潜入を行っていたようだがと、アルトリートは倒れたオーガの死体を見下ろす。
(だとすると、下手にここの連中を逃がすわけには行かないな)
唐突にドアが開く。
そちらへと視線を向けながら、しかしアルトリートはその場から動かない。
「隊長、明後日の、いや明日の? ……って、何だ貴様はっ!?」
「さあ、何だと思う?」
室内へと入ってきた男が、倒れているオーガと傍らに立つアルトリートを見て目を剥いた。
部屋に充満する血の匂いの中、アルトリートがニヤリと笑って双剣を見せると、男は即座に本性を露わにした。
「侵入者だっ!!」
「呼び込みご苦労」
レッサーオーガが声を張り上げるのを聞き届けた上で、アルトリートは床を蹴った。
一足で間合いをゼロに。
蛮族は反応すら出来ていない。剣の腹で頭部を殴り付ければ、白目を剥いて床に倒れた。
意識を完全に喪失しているのを確認してアルトリートは、よしよしと頷く。
「情報源確保」
先程の叫びを受けてだろう。一〇近い数の気配がこちらへと向かってくる。
全員がオーガ系であるとして、魔法の存在が若干厄介だが、障害物のある屋内でなら何とでもなるだろう。
障害物を使い、さらに壁や天井を足場に照準を散らし、当たる端から斬り刻んでいけばいい。
「さあ、とっとと片付けようか」
もう一、二体は生かしたまま確保する必要があるだろうが、それ以外は問題ないだろう。
やはり酔っているらしい。剣を軽く振りながら、ひどく好戦的になっている自分に気が付いてアルトリートは笑った。
その日。オルミの町の警備隊詰め所は、大騒ぎになっていた。
未明に起こった二つの事件。
その両方に蛮族が関わっていたからだ。それらに関わった冒険者から通報を受けて、隊員達は慌しく町中を走り回っている。
「人手が足りないのは分かるが、だからって取調室に放置しなくてもいいだろうが」
ウンザリとした表情で、アルトリートはため息をついた。
テソロ氏の屋敷を後にしたアルトリートは、その足で警備隊の詰め所へと赴いている。
他にも大きな事件があったらしく、慌しく動き回る隊員を捉まえて簡単な経緯を話すと、事情聴取のためと取調室へと案内されてそのまま放置されてしまった。
何やら罵声と感謝の言葉を天に捧げていた姿を思い出すに、人手が全く足りていないのだろう。
『申し訳ない。すぐに戻るので、少し待っていて欲しい』
そう言って飛び出していった隊員は、未だ戻ってくる気配がない。
待ちくたびれて、アルトリートは天井を見上げながら欠伸を噛み殺した。
結局、隊員が戻ってきたのは、夜が完全に明けた後のことだった。
それから事情聴取を受け―――屋敷への不法侵入に関しては、今回は目を瞑ってくれることになった―――解放された時には、昼前になっている。
「うぇ……眠い」
燦燦と輝く初夏の太陽に目を細めながら、アルトリートは詰め所の前で伸びをした。
パキパキと背骨が小気味良い音を立てる。
「やれやれ。堪らないね、全く」
別の事件で事情聴取を受けていたのか、背後からアルトリートと同じくウンザリとした声が聞こえる。
何となく振り返ってみて―――
『あ』
疲れきった様子の相棒と顔を合わせることとなった。
「…………」
「…………」
しばし沈黙。
眠気に目を瞬かせながら、アルトリートは口を開いた。
「何やってんだ?」
「……そっちこそ」
レクターが充血した目でこちらを見据える。
二人は同時にため息を付いた。揃って口を開く。
『色々とあったんだよ』
―――蛮族がテソロ商会の主の姿を奪っていた。
どこから話が漏れたのか。一夜があけて昼が過ぎる頃には、その話は町中に知れ渡っていた。
一歩間違えれば蛮族達に内側から攻撃をされていたかも知れないと、人々は不安げに顔を見合わせる。
また、そうした不安を払拭するため、事態を未然に防いだという冒険者を口々に讃えて笑い合う。
かくて、事件に関する噂話は、尾ひれや背びれを付ながら急速に広がっていく。
そんな感じで静かに揺れるオルミの町を、アルベール・ロランは走り回っていた。
汗で額に張り付いた髪を鬱陶しそうに掻きあげ、乱れた息を整えもせずに町の北側―――カナリスやアエドンへの定期便が泊まる船着場へと急いでいる。
『彼女? ああ、うちの店にはもういないよ』
“水面の誘い”の人間から聞いた言葉が脳裏で渦を巻いている。
事件の事情聴取を終えて向かった娼館には、彼女の姿はなかった。
聞けば、昨夜の事件の関係者として警備隊より事情聴取を受け、その後“水面の誘い”から外に出されたのだという。
『アンタも物好きだね。あの娘は蛮族と交わったんだろう? よくそんなのを―――』
オーガに抱かれた女がいては、店の評判に影響する。そんなことを口走った相手をぶん殴り、ロランは町中へと飛び出したのだ。
町から出るのなら、東西にある門をくぐるか、北の船着場から船に乗るしかない。
門の衛兵に聞いてみたが、彼女らしき人物は見かけていないとのことだ。
ならば、後は一箇所だけ―――
(……間に合ってくれ)
そこに居てくれと、必死に念じながらロランは走る。
昨夜、奇しくも別々の冒険者から言われた言葉を思い出す。
『気持ちをちゃんと伝えた上で、渡すべきだ』
髪飾りに、当初の名分はすでにない。
彼女の身請け話はなくなり、そして彼女はこの町に居られなくなった。
お祝いはもちろん、感謝の言葉さえ、彼女を傷つけるかも知れない。
それでも、ロランは髪飾りを彼女に渡したいと思う。
「―――っ!?」
足がもつれる。
転倒しそうになるのを何とか堪えて、ロランは船着場の近くで足を止めた。
膝に手をついて、息を整えなおす。
「ゲホッ!! ゴホッ!? ……ぅぐ」
せき込みながら、足りない酸素を求めるように喘ぐ。そんな自分の姿を見咎めたのか、誰かが小走りに近づいてきた。
地面に映った影を見ると、どうやら女性のようだ。
「もし……大丈夫ですか? あ、あら?」
「は……はい。すみま――――えっ!?」
何とか息を整えて、ロランは顔を上げ―――そこで固まった。
どうやら、アルベール・ロランは幸運の女神に守られているらしい。