黒を基調とした服の上から、袖の無い上衣を着込む。
黒地の布で織られ、同色の糸で目立たないながらも複雑な刺繍を施されたその上衣には、魔法による打撃を軽減するという働きがある。
もっとも、ゲームのルール上、アルトリートがこの装備を身に付けることは本来許されない。
それをゲームマスター裁量によって特例的に認めてもらったのだが、その裁量上でもランク効果―――この装備が保有する特殊能力の恩恵については受けることはできないとされている。
(実際のところはどうなんだろうな。そもそも布製の衣装を着込むのに技術なんていらないとも思うが……)
たとえゲームマスターが許したとしても、現実で装備できないものは何をどうしたって装備できないだろう。
だとするなら、防具を装備するのに戦闘特技の有無は関係ないという結論となる。その場合、ランク効果の恩恵も戦闘特技に関係なく受けられると言えそうな気がしてくるが……
(しかしその場合、俺の戦闘特技ニ枠はどういう位置付けになるんだ?)
全くの無駄だろうか。それはそれで切ないものがある。
答えの出ない疑問に首を傾げながら、翼の刻印が施されたブーツに足を突っ込む。
跳躍力を高める働きを持つその長靴からは、重さというものをほとんど感じることが出来ず、身軽さを売りとするアルトリートにとって大変ありがたいものだ。
「……よし」
身に付けた衣服やブーツの具合を確かめるように、少し体を動かしてみる。
違和感なく動けることを確認して、一つ頷いた。
その後、首飾りやピアス、指輪などの装身具を身に付けた後、残ったゴーグルを手にとってアルトリートはしばし考える。
ナイトゴーグルという名の魔法の品だ。
マナを消費することで暗視の力を装着者に与えてくれる代物なのだが、これを常時頭に装着しておくのは何となく躊躇われた。
(これを身に付けて歩き回ると、通報されそうだな)
顔の半分が隠れるゴーグルを身に付けた黒ずくめの男。どう考えても不審者だ。
無論、使用しない時は額の方へとズラしておくのだが、それでもやっぱり怪しげな印象がある気がする。
しばらく悩んだ後、アルトリートは袋の中へと仕舞っておくことにした。必要そうな局面になったら取り出せばいい。
最後に二振りの長剣を見つめる。
一方を手にとって鞘から抜き放ってみれば、闇色の刃が姿を現した。
“絶望を識る者”アトカース。
両刃直剣。
ペルセヴェランテと同じ拵えの、だが似ても似付かぬ刃を持った長剣。
仮に“不屈の正義”の銘を冠する剣を光の剣と呼ぶのなら、こちらは正しく闇の剣だ。
吸い込まれるような漆黒の剣身は、ただそこにあるだけで周りが暗くなったような錯覚を見る者に与える。
「…………」
抜剣しているだけでマナを喰われる―――正真正銘の魔剣。
柄や刃に異常がないことを確かめると、アルトリートはすぐに鞘へと納め直した。小さく息をはく。
それからもう一方の剣、ペルセヴェランテについても同様に点検を行った後、左右に一振りづつ、剣帯を使って腰に吊るした。
外套を羽織って振り返れば、すでにレクターは装備のチェックを終えていたらしい。
銀の長髪をオールバックにした青年は、寝台に腰掛けてこちらの作業が終るのを待っていた。
緋と黒を基調とした少し派手目な長衣を羽織り、左右別々の腕輪を填めた手で黒い長杖をいじっている。
アルトリートの準備が終ったのに気が付くと、寝台から立ち上がる。クイっと、眼鏡の位置を調整して彼は小さく肩をすくめた。
「……そろそろ行こうか」
「ああ」
頷いて、エクトル夫妻へ挨拶に向かおうと部屋を出る。そこで、アルトリートは足を止めた。
玄関先で、話し声が聞こえたからだ。
見れば、エクトルとエルフの青年が話をしている。
「お客さん?」
「みたいだな。出直すか……って、人の頭に腕を乗せるな」
「ごめん、つい」
邪魔をしても悪い。
そう考えたアルトリートは、背後から人の頭越しに玄関の方を覗う相棒を払い除けようとし―――
「……帰ってきていない?」
硬い響きを伴った声を耳にして、動きを止めた。
山へと登ったまま、若い猟師が帰ってきていない。
予定では、昨日の昼には戻るはずだった彼は、夜が明けて、さらに昼前になっても帰ってこなかった。そのため、近くに住む友人が相談に来たのだそうだ。
青年が屋敷から立ち去った後、アルトリート達がエクトルから聞いた話はそんな内容だった。
ちなみに戻ってこない若者はヘクセンといい、その名前はアルトリートにも覚えがある。
なぜなら、山中でアルトリート達を見つけたのは、そのヘクセンだからだ。以前、そのことをエクトルから聞いて、アルトリートは礼を言うために彼の家を訪問している。
頭を下げるアルトリートに、照れたような笑みを浮かべて手を振っていた姿を思い出す。
エルフのイメージとは若干異なる、よく陽に焼けた肌が特徴的な、実直そうな青年だった。
「ヘクセンさんって、確か俺達を見つけた……」
「ええ」
エクトルが頷いたのを見て、アルトリートは目を細める。
ぱっと見ではあったが、そのしっかりとした身のこなしからは、相応の力量を持っていることが窺われたのだが。
「これから捜索隊を編成しようと思います」
先程青年が飛び出していったドアを見ながら、エクトルが深刻そうに表情をゆがめた。
ヘクセンの力量を考えれば、山中で迷っているということは考えにくいそうだ。
となれば、事故や熊などの大型動物との遭遇といった可能性が思い浮かぶ。嫌な想像をしてアルトリートは顔をしかめた。
最悪、蛮族と出くわしたということも有り得る―――……
「その捜索隊……俺たちも参加させてもらえませんか?」
「あなた方が?」
レクターと一瞬視線を交わし、アルトリートはそう提案する。
「あまり説得力がありませんが、俺たちは冒険者です。これでも、山歩きは慣れている方ですから」
「本当に、全く説得力がありませんが、その通りなんです。是非、手伝わせて下さい」
何しろ山中で力尽きていたところを拾われた身だ。説得力があるわけがない。
それでも、とレクターと二人してエクトルに頭を下げる。彼はしばし虚空に視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
そう告げて、カッタバの村長は二人に頭を下げた。
カッタバの村の南に連なる山々は、ルーフェリアの南の国境線を構成するものだ。
その麓を西に向かえば、“キプロクスの森”やルーフェリアの玄関口たる宿場町オルミへと至り、その尾根を伝って東へと向かえば、アルトリート達にとっての因縁の地“絶望の檻”や“大破局”によって滅び去った小国の遺跡群などに行くことができる。
エクトルの指示を受けてから、二時間後、アルトリート達はそうした山中の獣道を登っていた。
ヘクセンが戻ってこない理由が、もしも大型の動物や蛮族との遭遇ということであったなら、中途半端な対応は危険だ。
そう判断して、エクトルは、まずは本当に山に慣れた少数で捜索にあたることを決めた。
数は五名。
アルトリート達に加えて、相談に来ていた青年、そしてさらに二人―――各々一頭づつ猟犬を連れたエルフの猟師達で編成されている。
今回、捜索を行うのは、ヘクセンが普段猟場としている辺りとなる。
『日没までに見つからないようであれば、村中総出で山狩りをしようと思います』
つまり、タイムリミットは夕方まで。そのことを念頭において、一同は周囲へと呼びかけの声を上げながら山中を進んでいた。
「上からは何か見えるか?」
「今のところは、何も」
アルトリートの問いに、レクターが首を振って答える。
一同が険しい表情で山を登るその上空には、鴉が一羽舞っているハズだ。
名前はクルーガー。外を出られない間に契約したというレクターの使い魔である。
今のレクターは、閉じた片目の視界を上空の使い魔と共有している。空から異変の痕跡を探るためだ。
もっとも上空から見てハッキリと判るような異変―――山中の木々がなぎ倒されている等―――があった場合、ヘクセンの無事は非常に危うくなる。
そういう意味では見つからない方がよいと、何となく複雑な気持ちでアルトリートは山の斜面を踏みしめた。
と。
「……?」
足を止める。何か、違和感を覚えたのだ。
周囲がこちらを振り返るのを無視して、アルトリートは違和感の正体を探る。
(目に映っている物におかしいところはない。人の声が聞こえたというわけでもない。じゃあ……)
一つづつ、五感が捉えているものを検証して、程なくアルトリートはその正体に気がついた。
「……血の匂いがする」
土や夏草の青臭さに混じった鉄錆の匂い。
それは本当に微かなもので、気付けたことが奇跡に近い。だが、それもハッキリと意識してしまえば、気のせいで済むようなものでもなかった。
直後、猟犬も同じ匂いを嗅ぎ取ったのか、二頭ともが弾かれるように同じ方向へと走り始めた。
何ゆえ猟犬より先に気がついたのか、という疑問が一瞬脳裏を過ぎるが、とりあえずは気にしない。
(まあ、レンジャー技能の補正と考えておこう)
何にせよ、今はヘクセンの身の安全が大事だ。
これがヘクセンの血の匂いである確証はどこにもないが、仮にそうだとすると彼は怪我を負っているということになる。
一同は猟犬の後を追って、山中を走り始めた。
「あそこだ!!」
少し急な斜面に差し掛かったところで、アルトリートの目が人らしき影を捉えた。
先行していた猟犬二頭が、様子を窺うように鼻先でその体を突付いている。特に反応が見られないところからすると意識を失っているのか、それとも―――
「おいっ、大丈夫か!?」
「待て、不用意に動かすな!」
相談に来ていたエルフの青年―――エルマーが男の体を揺さぶろうとする。それを慌てて止めながら、アルトリートは意識を失っているヘクセンの様子を確かめた。
(ひどい格好だな)
何度も転倒したのか、身に付けている服は土塗れだった。他にも草の汁がこびり付き、さらに何かに引っ掛けたのか、所々裂けている部分もあった。
手や顔など、露出している肌にはいくつもの擦過傷が見られ、左足に至っては妙な方向に折れ曲がっている。
が、一見したところでは、命に関わるほどの傷は見当たらず、熱が出ているのか―――若干荒いながらも呼吸もしっかりしている。
「大丈夫。ちゃんと生きてる。左足以外はそれほど大きな怪我も見当たらない」
「そ、そうか。良かった」
アルトリートの言葉に、エルマーが安堵の息をはいた。他の二人も同様の様子で、顔を見合わせて少し笑みを浮かべた。
山に入ってから始めて、少しだけ空気が緩んだ。
「……レクター」
「うん。“アース・ヒール”は私がやるよ」
気付け用のポーションが入った缶を取り出すアルトリートの横で、心得たとばかりにレクターが意識の集中を始める。
元々、怪我の可能性を考慮していたため、添え木などの準備も万全だ。猟師の一人が荷物から適当な長さの棒を取り出すのを横目に、アルトリートはヘクセンの顔へと缶を近づけた。
少しづつ、その顔にアウェイクポーションをかける。
「……っ!? ごほっ、げほっ……ふ、ぐ」
「あ、やべ」
鼻に入ったらしい。
ヘクセンが、咳き込みながら目を覚ます。苦しそうにもがくその体を支えながら、アルトリートはこめかみに冷や汗を垂らした。
もっとも、少量だった関係上、それほど大事にはならなかったようだ。涙目になりながらも、彼はすぐに落ち着きを取り戻した。
「……ぅ」
「ヘクセンっ!!」
「ごほ……エルマー? それにアンタ達は……そうだっ、蛮族、アイツ等は!! ……痛っ!?」
意識を取り戻したヘクセンは、エルマーやアルトリート達を見て目を瞬かせた。
状況が分からない、と困惑した表情を浮かべ、直後弾かれるように体を動かして顔を歪める。コロコロと目まぐるしく顔色が変わるヘクセンを抑えながら、アルトリートは背後へと視線を向ける。
「足が折れてるから動くな。……レクター」
「操、第二階位の快。地精、治癒―――“地快”」
呪文に応えて、一瞬ヘクセンの体を柔らかい光が覆う。大地の活力を取り込んだことで回復したのだろう。光が消えた時には、彼の顔に血色が戻ってきていた。
だが、骨折自体は直っていない。そのことに気が付いて、アルトリートはヘクセンの足に添え木を当てた。しっかりと固定する。
(“アース・ヒール”で出来るのは、体力の回復のみか)
細かな傷も消え去っていないのを見て、アルトリートは魔法の効果をそう理解した。
どうやら、傷を癒そうと思った場合は“キュア・ウーンズ”などの神聖魔法が必要となるらしい。妖精魔法でも癒せるのかは分からないが、何にせよ“アース・ヒール”では傷は塞がらない、そう頭の片隅に書き込みながら口を開く。
先程、聞き捨てならない単語を聞いたためだ。
「蛮族って? ゆっくりで良いから話を聞かせてもらえるか?」
「ああ。実は―――」
アルトリートがワザとゆっくりとした口調で尋ねる。
その甲斐があったのか、治療の間に気持ちの整理がついたのか、ヘクセンは落ち着いた口調で話を始めた。
木々の合間を縫うように、蛮族の一隊が草を踏み分ける。
数は六体と二頭。先頭を進むのは、斥候に長けたボガードソーズマンと二頭の狼だ。その後ろを普通のボガードが二体、そしてボガードトルーパー、さらに普通のボガードが二体という隊列となっている。
(リーダーは、トルーパーか)
剣と盾で武装したボガードの姿に、アルトリートは目を細めた。
前後を歩く者達とは二回りも違う大きな体躯を誇るその蛮族は、先程から何やら指示を飛ばしていた。
アルトリートは妖魔語を解さないため、何を言っているのかは分からないが、「早く見つけろ」とか、そんな感じだろうか。
(……よく逃げ切れたな)
あれが追っ手と見て間違いないだろう。
彼が倒れていた場所から程近い藪で見つけた蛮族達の姿に、アルトリートは間一髪だったかも知れないとため息をついた。
山の中で、蛮族達の砦を見た。
説明を求めるアルトリート達に、ヘクセンは端的にそう告げた。
キッカケは、いつもの猟場で発見した足跡だったそうな。
獣のものとは明らかに異なる足跡に、一瞬、数日前に見つけた二名の遭難者のことが脳裏を過ぎったらしい。
もっとも、すぐにそれが人間の足跡でないことに気が付いたのだが、蛮族の類であれば大変とヘクセンはそのまま追跡を行い、猟場から随分と離れた地点でその砦を見つけることとなった。
「我ながら、軽率だった」
ヘクセンは自嘲気味に顔を歪める。
蛮族のものと思われる足跡を見つけたのなら、一旦村に引き返し、村長に相談をするべきだった。そう反省の言葉を呟いて、彼は話を続けた。
見つけた蛮族の砦は、廃墟を改造したとようなチャチなものではなかった。
傾斜のない平地部分に、周辺から切り出した木々を用いて築かれた砦。
ボガード達の指揮の下、多数のコボルド達が今まさに完成させようとしているソレを見て、ヘクセンは戦慄を覚えたという。
このことを知らせるべく、慌ててその場を離れようとし―――
「そこで、蛮族に見つかったと」
「……連れていた猟犬が時間を稼いでくれなければ、そこで俺も死んでいただろう」
遭遇したのは、哨戒中の蛮族達だった。
斜面を転げ落ちるように逃げる彼の前に姿を現した蛮族の一隊。ヘクセンはその時点で、死を覚悟したという。
せめて一矢報いよう。そんな悲壮な覚悟を固めたヘクセンを、だが連れ歩いていた愛犬が遮ったそうだ。そして、主を逃がす時間を稼ぐように、たった一頭で蛮族達に挑んだという。その話を聞いて、エルマーと二人の猟師が小さく祈りの言葉を捧げた。
「……アイツが稼いでくれた時間を無駄にしないために、必死に山を駆け下って……もう少しって所で足を滑らせてこの様だ」
最後の最後に油断したと、悔しげに表情を歪ませるヘクセンの肩を軽く叩いて、アルトリートは頷いた。
「けれど、俺達はヘクセンさんを見つけることが出来た。
そして、とても大事な情報を知ることが出来た。貴方と、そしてその犬のおかげで……」
「…………」
「もう大丈夫。ここから先は、本業の冒険者が引き受ける。蛮族の集団くらい、すぐに蹴散らしてやるさ」
「……すまない。ありがとう」
その言葉で緊張の糸が切れたのだろう。嗚咽を漏らし始めたヘクセンから離れ、アルトリートはレクターへと視線を向ける。
相棒は心得ているとばかりに頷いた。
「他の人は、私が連れて帰ろう。そっちには、クルーガーを付けるということで」
「頼む。俺は、追っ手を探す。もし見当たらなければ、先行して砦を偵察する」
「では、後でね」
「ああ」
もう一度頷き合って、二人は各々の仕事に取り掛かった。
少し距離をとった位置から、蛮族達の姿を眺めてアルトリートは考える。
生かして返すつもりはない。が、数が多い。
戦闘で負けるなど絶対にありえないが、一体でも取り逃がせばコチラの負けだ。
(……不意打ちで半分にしたいところだが)
「半分は私が請け負いましょう」
「……!?」
悩んでいると、肩に止まっていた鴉が耳元で囁いた。
肩が跳ねる。思わず上げそうになった声を堪え、視線を向けるとクルーガーがこちらを見ている。
(か、鴉が喋った……しかも魔法文明語!? え? 何で……?)
「私はこれでも上位の使い魔ですから。己の意志もありますし、言葉も話せます。ご存知なかったのですか?」
動揺に目を白黒させるアルトリートに、クルーガーが首を傾げるような仕草を見せる。
鳥であるため表情は分からないが、何となく呆れられているような気がした。
そう言われれば、とアルトリートは“ファミリアⅡ”の効果を思い出し、平静を取り戻した。
「自意識あり。視界を主と共有できる他、主の魔法の中継点になることができる……だったっけ?」
「はい。概ねそのようなものです。当然、魔法の行使は、主との意識同調が必要ですが」
アルトリートの言をクルーガーが肯定する。
意志ある使い魔の説明を聞いて、アルトリートは首を傾げた。それなら、一番手っ取り早い方法がある。
「“スリープ”の魔法で一掃できないか?」
「……可能です。が、できればアルトリート様に数を減らして欲しいと主が申しております」
「何で?」
「私を通じての魔法行使は始めてであるため、仕損じる可能性があるから、と」
出来れば負担を減らして欲しい。そう続けたクルーガーの言葉に、アルトリートはもっともな話だと頷いた。
「じゃあ、俺から仕掛けよう。そちらの準備は?」
「大丈夫です」
クルーガーを肩から近くの枝へと移して、アルトリートは双剣を抜き放った。
「では、とっとと片付けよう」
音もなく地を蹴って、伸び放題の草に隠れるように蛮族達への距離を詰める。
ある程度近付いた段階で、アルトリートは口中で唱え終えていた呪文を解き放った。
「……っ!?」
蛮族達が動揺したような声を上げた。
辺りを魔法の霧が包み込む。
“ダーク・ミスト”―――操霊魔法の初歩の初歩、突然周囲を覆いつくした遠近感を狂わせる魔霧に、ボガード達は動きを止めて周囲へと視線を巡らせる。
うかつにも足を止めてしまった一団を嘲笑いながら、アルトリートは大きく地を蹴って中空へと体を躍らせた。
そのまま、立ち並ぶ木々を足場としながら、矢のような速度でボガード達へと肉薄する。
狙うのは隊列の真ん中だ。
(最初に、頭を潰す)
ボガードトルーパーと目が合った。
上から襲い掛かってきた人族の姿に、蛮族の戦士が叫びを上げながら盾を翳す。
その盾を左のペルセヴェランテで叩き斬りながら着地、間髪入れず右のアトカースを振るった。
「……っ!?」
血飛沫が上がる。
逆袈裟に斬り上げられた傷口から、大量の血を噴出して仰向けに倒れるトルーパー。
それに目もくれずアルトリートは再び地を蹴った。
愕然とした様子で立ち尽くしているボガードを、通行の邪魔とばかりに斬り払っだ先にはボガードソーズマンの姿がある。
その手にあるのは、アルトリートと同様に双剣だ。
まだ思考が止まっているらしきその姿に目を細めながら、アルトリートはさらに速度を増して―――
「―――ちっ!?」
仕掛けようとしたところを、立ち塞がった狼に邪魔されて舌打ちをした。
飛び掛ってきた一頭の首を刎ね、もう一頭の眉間を断ち割る。
そうして、再び意識を向け直した時には、蛮族の双剣士はすでに体勢を整え終えていた。
「シャアッ!!」
鋭い息吹を放ちながら、ソーズマンの双剣が奔る。速い。相応の手練れでなければ、何も出来ずに斬り倒されるだろうニ連撃。
だが、それでもアルトリートの目には止まって見える。
一太刀目。
頭を狙って横なぎに振るわれた右の剣を、身を低くして掻い潜る。
二太刀目。
振り下ろされた左の剣を、右手に握ったアトカースで払い除ける。
「はぁっ!!」
アトカースを振った勢いを殺さずに、左足を前に出す。
前進した勢いを乗せて、ペルセヴェランテをソーズマンの胸へと突き込んだ。
(残りは、ボガードが三体)
崩れ落ちるソーズマンから剣を引き抜き、振り返る。
そこに、聞き慣れない声が響き渡った。
「真、第二階位の幻。ささやき、誘い―――“眠り”」
レクターとクルーガー。主従の声が重なり合ったかのような奇妙な声で唱えられた呪文は、“スリープ”だ。
いつの間にか蛮族全員を見下ろせる枝に留まっていた鴉から、魔力が解放される。
結果は言うまでもない。
「…………」
一瞬で昏倒した蛮族達の姿に、アルトリートは深く息をはいた。
「さて……」
気分を変えるように首を振りながら、双剣を納め、クルーガーの下へと歩く。
閉じていた両目を開いて、レクターは村長に頷いた。
「追っ手については、アルトリートが片付けたようです」
その言葉に、その場に集まっていた者達からため息がこぼれ落ちる。
とりあえず、これでヘクセンを追って蛮族が村までやってくることはないだろう。
(他にも別働隊がいれば話は別だけど、そんな様子もないみたいだし)
それにしても、とレクターはため息をつく。
ピンボールの玉の様に、木々を蹴って一瞬で移動するアルトリートの姿を思い出したのだ。
キャラクターコンセプトは確か『NINJA』だったか。かつて聞いた気がする内容に苦笑しながら目を閉じた。
視界を使い魔のものへと切り替えれば、尋常でない速度で後ろへと流れていく山中の風景が飛び込んできた。
「…………」
アルトリートの肩に留まっているクルーガーが、何やら悲鳴じみた思念を送ってくるのを黙殺して、レクターは再び目を開いた。
あちらは当分放っておいて大丈夫だろう。
一つ頷いて、レクターはエクトルへと視線を向ける。
「村長さん。これからの対応について教えて頂きたいのですが」
「……先ずは国境神殿の神官戦士隊に連絡。彼等の到着までは、戦える者達で警戒を行います」
その他の者や今この村に逗留されている方々については、安全が確保されるまで酒蔵の方へと集まってもらおうかと」
「さかぐら?」
「ええ。あの建物が最も頑丈なのですよ。広いですしね」
予め、こういった事態の対応を取り決めているのだろう。
淀みない口調で答えるエクトルに、レクターは少し安心した。
(よかった。パニックが怖かったけれど、これなら)
心配はいらないだろう。そう考えて、レクターは己のすべきことを見極めようと、口を開いた。
「神官戦士隊が到着するのは?」
「……早くて三日後といったところでしょうか」
「三日」
微妙な数字だとレクターは迷う。
砦に近づく者を排除するため、真っ当な哨戒活動をしている蛮族達だ。
当然、ヘクセンに対する追っ手には、追跡のタイムリミットを告げていることだろう。
万が一、ヘクセンを取り逃がした場合、近隣の集落を速やかに潰して情報の伝播を防ぐか否か。その判断を下すために。
(だとするなら、この三日で村が襲われる可能性がある、ということだよね)
実際には、そこまで考えてなどいないかも知れない。
だが、それでも、この村に危害が加えられる可能性があるのなら、レクターはそれを見逃すつもりはない。
相棒もそうだろう。
それこそ、砦の一つや二つ、真っ向から叩き潰すくらいのつもりでいるに違いない。
そして、それはレクターの意思そのものでもある。
「村長さん。一つご相談があります」
レクターはエクトルへと静かな口調で切り出した。
蛮族の砦に、アルトリートと二人で攻撃を仕掛ける。
そう告げたレクターに対する周りの反応は、概ね予想どおりのものだった。
つまり、『死にたいのか』というものだ。
「無論、私もアルトリートも死ぬつもりはありませんよ。
勝算があるから、ご提案しているんです」
「……しかし」
エクトルが首を振る。
その反応はごく当然のものだろう。たった二人で砦攻め。常識で考えなくとも、壮大な自殺以外の何者でもない。
我ながら無茶苦茶を言っていると、レクターは内心苦笑する。
エクトルが自分達の力量をどの程度に見積もっているのかは分からない。
たとえ14レベルの真語魔法を使って見せても、その難度を具体的に知らなければ、二人に対する印象が劇的に変わるわけもない。
そして、神聖魔法ならともかく、真語魔法を目にする機会など普通の生活を送っている限り早々あるとも思えない。
(まして、第一印象は山中で遭難してた二人組だろうしね)
ちょっと腕の良い冒険者。
仮に、村長が自分達をそう見ているとしたら、絶対に首を縦に振らないだろう。
(ごく一般的な―――プロと呼ぶに相応しい技量の冒険者がレベル5から6くらい。
仮にそのレベルの冒険者二人で砦攻めをしろというシナリオを組んだら、リアルファイトになるかもね)
トルーパーが分隊の長ならば、砦にはおそらくボガードコマンダーがいる。
取り巻き込みで戦闘になれば、二人では袋叩きに遭ってオシマイだろう。
エクトルの判断はとても常識的だ。そう頷きながら、レクターは話を続けた。
「何も、砦を陥落させようとか、そういう話をするつもりはありません。
例えば、ちょっと火を点けるとか、そんな程度のものでも良いんですよ。
要は、これから三日間、蛮族達を警戒させて砦に釘付けにできる程度の被害を与えられれば、それで」
「……う」
「私とアルトリートの二人だけなら、皆さんを連れ帰ってきたように“ディメンジョン・ゲート”でこの村に即座に移動できます。
大人数では、かえって動きが阻害されますし―――これは私たちの提案ですから、私たちにやらせて下さい」
「…………」
レクターはエクトルを説得する。
このままでは、村が襲われる危険性があることを説き、自分達も無理をするつもりはないと話をする。この村を護りたいのだと泣き落し、どうしても駄目なら勝手に動くと脅しまで入れる。
―――村長が折れたのは、それから一〇分ほど後のことだった。
黄昏時。
茜色に染まった空を見ながら、アルトリートは小さく伸びをした。
目の前にあるのは、蛮族の砦だ。
周辺の木々を伐採し、その結果生まれたスペースに建てられたその砦は、まだ完成ではない。
四方に組まれた櫓は完成しているが、それらを繋ぐ木の外壁の一部がまだ不完全だ。もっとも、それも今日明日には完成しそうな様子だが。
「さて……レクター?」
「準備はできてるよ」
振り返れば、半眼になって佇む相棒の姿があった。
その声に抑揚はなく、表情はどこか虚ろだ。
賦術“コンセントレーション”の効果もあって、極度の集中状態を維持しているその姿に、アルトリートは一瞬気圧されるものを感じて頭を振った。
味方に気圧されてどうすると、苦笑しながら偵察の結果を思い浮かべる。
指揮官であるボガードコマンダーの下に、分隊長格のボガードトルーパーが四、ボガードソーズマンが四、ボガードが十六、大型の狼が六。
コボルドを含めれば、敵の数は全部で五〇弱。かなりの大所帯だ。
もっとも戦闘員はボガードのみで、コボルドは砦建設用の人員だろう。
組織としては、コマンダー直属の部隊が一つ。それとは別に四グループが交代で砦の見張りや周辺の見回りなどを行っているのではないか。
現在の砦の状況や合流までの間に砦を出入りした部隊、そして先に殲滅した連中の構成から、アルトリートはそう推測する。
ちなみに、現在、哨戒に出ている部隊はない。
先程、哨戒を終えて帰ってきた部隊と交代で別の隊が砦を出発することはなかった。
その代わり、砦内が先程から騒がしくなりつつある。追っ手として放った隊が帰ってこないせいだろう。
砦の存在を隠しておくために、何らかの対応を考えているのだろうとアルトリートはそう推測する。
(……蹴散らすだけなら簡単だ)
自分ひとりでも出来る。だが、ここにいる連中が蛮族勢力の尖兵という位置付けであった―――つまり、背後に本隊がいる可能性を考えると、そちらも叩く必要がある。でなければ、一つを片付けても別の場所に砦が築かれるだけだ。延々とイタチゴッコを続けることになる。
無論、本隊を叩くところまで自分達で行えるとは思わない。それらは国境神殿の面々の仕事だろう。
「だから、彼等の邪魔はしないように、カッタバの脅威を取り除く」
この砦が陥落したことを知れば、本隊の動きが変わるかも知れない。その結果、国境神殿の神官戦士達に迷惑がかかる可能性があるのなら、やるべきことは一つだ。
皆殺し。
情報を外に出させぬよう、徹底的に殲滅を図る。
それが、砦の状況を見て、レクターと二人で出した結論だった。
「はじめようか」
「……ああ」
レクターが静かに杖を掲げる。邪魔をしないよう少し離れて、しかし周囲への警戒を最大限に行いながら、彼の魔法を見守る。
先制は、少しだけ派手に。
「真、第十五階位の攻―――」
選択した呪文は、真語魔法最強の魔法だ。
ゲームでも早々お目にかかれない大魔法を、レクターは静かに詠唱する。
「強化、召喚、衝撃、破壊!―――“隕石”!!」
“メテオ・ストライク”
レクターが解放した魔力に応え、夕日に染まった空が一瞬白い閃光に染まった。
「…………っ!!」
アルトリートは身を低くして、耳を塞ぐ。
―――直後、轟音を伴って真紅の火線が砦に降り注いだ。
冷え冷えとした声が、夜気を乱す。
「私は、嫌がらせ程度の攻撃を仕掛けてすぐに帰ってくる。そう説明を受けたような気がするのですが?」
「……はい」
「貴方にとって嫌がらせというのは、空から星を落すことなのでしょうか」
「い、いえ」
カッタバの村。
村長エクトルの家に、アルトリート達はまだ逗留していた。否、させられていた。
静かな声に、肩を縮こまらせてレクターが答える。
その姿を少し離れた位置で眺めながら、アルトリートはため息をついた。
どういう説得をしたのかは知らないが、レクターは蛮族の砦を攻めるにあたり、ちょっと攻撃を仕掛けて戻ってくる程度と説明していたらしい。
(まあ、事前に言わずにあれだけの魔法使ったら……怒られるよな)
アルトリート達がカッタバに戻った時、村は大騒ぎになっていた。
“メテオ・ストライク”の魔法。
一時間以上をかけて準備をした場合―――ルールブックの記述を信用するのなら、直径一キロメートルにも及ぶ広範囲を吹き飛ばす―――は無論のことながら、今回のように即時行使を行った場合であっても、その効果は正しく天変地異の類だ。
知らぬ間に築かれていた蛮族の砦。予想される襲撃。
そうした恐ろしげな話を聞いて不安に思っていたところに、轟音を伴って降り注ぐ流星を見れば、それを蛮族の仕業と考えても無理はないだろう。
かくて、村は大パニックとなり、エクトルはその収拾に奔走することとなったらしい。
村に帰ってきて事情を説明した時の、エクトルの笑顔はしばらく夢に見そうだ。
背筋が凍るような笑顔のまま、レクターの首根っこ引っ掴むとその足で自宅へと戻り、その後、一時間以上もああして叱り続けている。
もっとも、今回に関しては、レクターにも若干同情の余地はあるのだが。
彼が認識する“メテオ・ストライク”の威力と、実際の威力の間には文字通り桁一つ分の差異があったからだ。
ルールブック上の記述では、効果範囲は直径一〇メートルを超える程度だった隕石召喚の魔法は、実際のところその一〇倍近い範囲を一瞬で吹き飛ばしていた。
衝撃に舞い上がった土砂や砕かれた木材の砕片が雨となって降り注ぎ、あたりを嘗め尽くした爆風がそよ風程度にまで減じた時、蛮族の砦は影も形も残っていなかった。
その光景を、二人して唖然と眺めた後、何か背後関係が分かるモノはないかと周辺を掘り返すこと約二時間―――そんな物が都合よく見つかるわけもなく、完全に日が暮れたため、村へと戻ってきたのだが―――
「大人しく叱られてあげて下さい。
流星が降り注いだ後、あなた達が帰ってくるまでの二時間、あの人は随分と苦しい思いをしたでしょうから」
「…………」
そっと夫人から耳打ちをされた内容に、アルトリートは押し黙った。
混乱を招いたことではなく、すぐに戻って来なかったこと―――エクトルが激怒している理由がそちらだとするならば、それは甘んじて受けなければならないだろう。
「アルトリートさんもこちらに来なさい!!
あなたにも言っておきたいことがありますっ!!」
「はい」
「何が面白いことでもありましたかっ!?」
「……いえ、全く」
本気で叱ってくれる人がいる。
そのありがたみをかみ締めながら、アルトリート達は夜が更けるまで平謝りに謝り続けた。