カッタバから南に広がる山岳地帯。
その一角に、突如として姿を現す要塞がある。
中央に大きな塔がそびえ立ち、その四方には物見塔が築かれている。
四つの塔を結ぶ形で築かれた外壁は、石造りの堅牢なものだ。
その要塞の内側―――中央の塔を囲むように、蛮族達が集結していた。
銅鑼の音が鳴り響く。
ゴブリンの唄に合わせて、ボガードが足を踏み鳴らす。
トロールの戦士達は、互いの武運を祈り合い、拳を打ち合わせて笑い合っている。
熱気を受けて幾つもの旗が翻った。その真紅の布地には、黒で十字剣を象った紋章が染め抜かれている。
“戦神”ダルクレムの聖印だ。
「我が神ダルクレムよ、御照覧あれ!! 御身にこの戦を捧げましょう!!」
「真紅の御旗に大いなる栄光を!! 御身が僕の戦に大いなる祝福を!!」
『―――大いなる祝福を!!』
ダルクレムに仕えるトロールの神官が、高らかに声を張り上げた。
その声に、周りの者達が口々に祈りの言葉を叫ぶ。
―――月明かりの下、戦意と狂気が吹き上がる。
それが、塔の中にまで伝わって来て、ヴィカーズは口の端を吊り上げた。
「……時間、か?」
「はい。すでに外には忠勇なる戦士達が集まり、御身の号令を心待ちにしております」
「そうか。ならば、あまり待たせるわけにもいかんな」
アデプトの名を冠するダークトロール―――ベルケが恭しい仕草で礼をする。
それに頷きながら、ヴィカーズはゆっくりと立ち上がった。
「この戦いが終わった後、御身は“タイラント”の名を冠せられて語られることになりましょう」
「さて、どうだろうな。“武王”の称号を得られれば、大変な名誉ではあるが……」
ダークトロールの中でも特に優れた力を持つ者達は、ブラッドトロールと呼ばれる。
その中でも更に突き抜けた―――武技を極めた者達のみに与えられる称号が“タイラント”だ。
部下の言葉に、ヴィカーズは苦笑を浮かべながら傍らの愛剣を持ち上げた。
「オレは、その称号よりも挑むべき強敵の方が欲しい」
呟きながら、自身の身長に匹敵する大きさの大剣を見つめる。
“狂える巨刃”―――仮初ながら不死の力を与えてくれる魔剣だ。
戦の気配に悦んでいるのか。マナを与えたわけでもないのに、剥き出しの諸刃が鮮血のような赤い光を帯びていた。
「それも見つかりましょう。そのために、此度の戦いに乗ったのですから」
「そうだな。そのとおりだ」
ベルケの言葉に頷いて、ヴィカーズは大剣を背負う。
塔の外では、ニ千にも上る戦士達が集っている。
彼等が発する闘気が、夜の空気を震わせた。
高揚する戦意。灼熱する狂気。怖じそうになる心を踏み潰す、未知の強敵への渇望。
戦に臨む前のこの感覚。
―――これこそが、生きる喜びだ。
「……急ごう」
「はッ」
知らず足早になるのを誤魔化すように呟けば、傍らのベルケが高揚した声で頷く。
(さて、彼等にどのような言葉を…………何だ?)
突然、背筋を駆け上った悪寒に足を止める。
「ヴィカーズ様? どうかされましたか?」
怪訝そうな表情を側近が浮かべる。
直後、空を切り裂くような音が聞こえて、閃光と共に世界が裏返った―――
窓から外を見てヴィカーズは絶句した。
「これ……は」
隣でベルケが呻き声を上げる。
もうもうと立ち上る土煙のせいで、ハッキリと状況は確認できない。
だが、何が起きたかは一目瞭然だった。
「……そんな馬鹿な」
山中で見つけた塔。用途も何も分からない魔法文明期の遺跡。
その周囲を石の外壁で囲み、四方に物見塔を建て、兵舎などの施設を作り―――拡張を重ねることで要塞化した自軍の拠点。
それが変わり果てている。
無事なのは外壁くらいだ。それとて、大半が崩壊しているが……
(“メテオ・ストライク”か)
破壊しつくされたその惨状を見て、そう推測する。
自分達がいる塔に大きな被害がないのは、こうした強力な魔法攻撃を想定して、何らかの処置が施されていたからだろう。
ここを拠点に選んだことは、正しかったと言える。今の状況では、何の慰めにもならないが。
「敵の攻撃に備えろと、生き残っている者達に伝えよ」
「……っ!! はッ!」
ベルケが塔の下階へと向かって走っていく。
その様を見送って、ヴィカーズは踵を返した。
「まさか、始める前に兵を失うことになるとはな」
これまでの苦労はなんだったのかと、凄まじい徒労感を覚える。
だが、それ以上の高揚が体中を満たしていた。やって来るのは人族か、それとも蛮族か。
どちらでも良い。
「オレを失望させてくれるなよ」
これまでの苦労を台無しにされたのだ。
それに見合うだけの代償を貰わねば気がすまない。
己が玉座にて、ヴィカーズは怨敵の到着を心待ちにする。
結論を言えば、一瞬で我が軍を壊滅させたのは人族のようだった。
階下から伝わってくる剣戟の音を聞きながら、ベルケは玉座の間へとやって来た五名の人族を睨む。
迎え撃つこちらは六名。
主と自分、そして親衛隊所属のダークトロール。その中でも選りすぐりの四名―――セドメ、ブレダ、ブルノー、ネゲヴとなる。
「やってくれたな。まさか、進軍前に全てを失うとは思わなかった」
ヴィカーズがゆっくりと言葉を発する。
人族でも分かるように、あえて彼等の言語―――交易共通語で話しかける主に、銀髪の人間が答えた。
「貴方が、あの軍団を?」
「そのとおりだ。名乗っておこうか、オレの名はヴィカーズ」
「……っ! あの“金剛剣”!?」
「そう呼ばれることもあるな」
「ディルフラムから姿を消したって聞いてたけど、こんな所にいたんだ」
リオス東部で轟かせていた主の雷名は、ここルーフェリアにも伝わっていたらしい。
神官の女が、驚きに目を丸くしている。
(当然の話だがな)
そうは思っても、女の反応は嬉しいものだ。
礼として、我が拳で叩き潰してやろう。ベルケは内心でそう呟く。
「名を尋ねても良いか?」
「……アルトリート」
アルトリート。レクター。ギルバール。イーリス。ルネ。
自分達の戦を、始まる前に終わらせた五人組。
その名を脳裏に刻み込む。
「では、はじめようか」
「―――っ!!」
主の言葉と同時に、親衛隊の四名が動いた。
各々の手に持った大剣を振りかざし、一息に間合いを詰めようと飛び出す。
だが、人族はさらに速い。
いつの間にか、レクターの周囲にカードが展開されている。
「“パラライズミスト”“クラッシュファング”」
「くっ!!」
その言葉と共に、二枚のカードが弾ける。周囲にマナが溢れた。
同時に体の動きが鈍る。痺れたような感覚に、ベルケは舌打ちをした。
「王国を守らんとする勇者達に、女神の加護を!! あと、水の盾もお願いします!」
先ずは守りを固めようというのか。ルネの祈りに応えて、柔らかな光が五人を包み込んだ。
さらに、各々の周囲に薄い水の膜が形成される。
「“マギスフィア起動、ショットガン・バレット装填”」
銃声が二つ轟く。
ばら撒かれた弾丸に、前衛四名の足が止まった。
そこに、神聖魔法の支援を受けたギルバールが突っ込んだ。戦槌が振るわれる。
「ぬぅん!!」
「―――グっ!?」
咄嗟に剣で受けたセドメが後方に弾かれる。圧倒的な体格差をモノともしないその膂力に、思わず目を見張る。
「……くっ!」
完全に機先を制されたと、ベルケは舌打ちをした。
先ずは四名が受けた銃撃の傷を癒そうと、戦神に祈りを―――
「これで、一体目」
視線の先で、セドメが血飛沫を上げながら崩れ落ちた。
その傍らには、双剣を持ったアルトリートの姿がある。いつ接近したのかさえ分からなかった。
わずか数秒で、こちらの前衛が落ちた。その事実に戦慄する。
「……ベルケよ。オレは敵を見つけたぞ」
背後から歓喜に震えた声が掛けられる。
振り返れば、ヴィカーズが爛々と目を輝かせてアルトリートを見ていた。
「連れて行く。スマンが、ここで別れとなろう」
「―――はッ!! 聞いたな、貴様ら!」
「応っ!!」
あまりの事態に愕然としていた三名が気勢を上げた。
萎えかけていた戦意を取り戻し、己の心を奮い立たせる。その様を見てベルケは頷いた。
そうだ、何を恐れる必要があるだろう。彼等こそが、待ち望んだ強敵だ。
そして、主が「敵を見つけた」と言ったのだ。ならば、自分の役割は一つしかない。
「“命ずる。咎人は地の底へ”」
この遺跡を拠点とした理由。
遺されていた魔法装置―――強制テレポーターを起動させる。
「一緒に来てもらおうか、アルトリート!」
「―――なっ!?」
突然、床一面に浮かび上がった赤い魔法陣。
そこから伸びた無数の光鎖が、ヴィカーズとアルトリートに絡みつく。
直後、二人の姿が消失した。
「ご武運を」
送り出した主へと小さく呟いて、殺気立っている四人の冒険者に告げる。
「……主の戦いの邪魔はさせん。しばらくの間、我等に付き合ってもらうぞ」
生涯最期の戦いとして、全く不足のない場所と敵。
その両方を得られたことに、ベルケは戦神に感謝を捧げた。
不出来な主だと思う。
ベルケの忠心に感謝の念を抱くと共に、ヴィカーズは自嘲した。
“タイラント”などおこがましい。自分は単なる戦闘狂で、王たる器ではない。
だが、そんな己のあり方に誇りを持っている。だから、このあり方を変えるつもりは毛頭ない。
眼前で、油断無く周囲の様子を窺う人族へと口を開く。
「ここは、塔の地下第六層……最下層だ」
「…………」
四方を石で囲まれた部屋。
一辺の長さは五十メートルほど。天井の高さは、十メートルでは収まるまい。
床全体を使って巨大なひし形の魔法陣が描かれており、それが放つ青白い光のおかげで部屋全体が明るい。
無論、昼間のようにとはいかないが、暗視の力を持たないアルトリートがそれで力を減ずることはないだろう。
出口らしきものは見当たらない。テレポーターを使って出入りするのだから、当然だ。
「この塔を見つけた時、この場所には魔神が眠っていた。
おそらくは奴の動きに支障が出ないようにした結果、この広さになったのだろうよ。用途については全く分からないが」
「……よくそんなところを根城にする気になれたな」
直立したドラゴン。そう表現するのだが妥当だろうか。
この場にいた魔神に問おうにも、言葉が通じなかったせいで結局用途が分からないままなのだ。
ヴィカーズの言葉に、アルトリートが呆れたような声を発した。
「先程のテレポーターを使えば、確実に一対一の状況を作り出せるのだ。
その利点に比べれば、得体が知れない程度のことは瑣末事でしかない。さて……」
アルトリートの言葉に、ヴィカーズは笑う。
左腕に填めていた腕輪を放り投げる。甲高い音を立てて、腕輪が床の上を転がっていった。
「……?」
「オレを倒した後は、アレを手にして『我は咎無き者。ゆえに地の上へ』と魔法文明語で唱えればよい。
それでここから出られるハズだ」
「……俺が、戦わずに逃げ出すとは思わないのか? それだけで、お前を労せずに封じ込められるが」
「別に構わんよ。ただ、その場合、貴様は戦士としての誇りを全て失うことなるがな」
「別に、誇りなんて大層なものはないが……」
そんな風に言われたら、逃げ出せなくなるなとアルトリートが笑った。
それで良いと、ヴィカーズも頷く。
「さて、では、改めて始めようか」
「そうだな」
大剣“狂える巨刃”を構えてみせれば、アルトリートも双剣を構える。
直後、その姿を見失った。
「―――っ!?」
悪寒を感じて、反射的に後方へと飛び退る。
一瞬前まで自分のいた位置を黒剣が走り抜けた。下から上へと、青白い光跡が空間に刻まれる。
飛び上がりざまに斬り上げられたのだと、理解する。
避け切れていない。自身の胸から血が噴き出した。
「そうだ。こうでなくてはっ!!」
「はぁッ!!」
中空にいるアルトリートが身を捻る。
間髪入れぬ第二撃。
左の白刃の切っ先が、こちらの心臓を狙って突き込まれる。それを、大剣を盾代わりにして受け止めた。
反動を利用して、数歩分ほど離れた位置へとアルトリートが着地する。
それで間合いを外したつもりかと、ヴィカーズは笑った。
「我が神ダルクレムよ。仇敵を討ち果たす一撃を!!」
祈りを捧げると同時に、右足で石の床を踏み鳴らす。
直後、ヴィカーズを中心に周囲へと衝撃波が広がった。アルトリートの体が後方へと吹き飛ぶ。
「……っ!! 今のは」
「アレを耐え切るか」
自身の手札の中で最強の神聖魔法“フェイタル・エクスプロージョン”
その直撃を受けたハズのアルトリートは、表情を歪めているものの、致命的な傷を負った様子はなかった。
強靭な精神力ではね退けたのか。それとも身体を包む小神の加護のせいか。どうやら思ったほどの効果を発揮しなかったらしい。
「本当に挑み甲斐がある。今度はこちらからいくぞ!!」
「誰が先手をくれてやるかっ!!」
前に出ようとした瞬間、アルトリートが間合いを再びゼロにする。
速すぎる。動きを殆ど捉えられないことに舌打ちをしながら、連続して振るわれた双剣に後退する。
「フンッ!!」
真横に大剣を薙いだ時には、標的はすでにその場にいない。
離脱と同時に太腿を斬り裂かれている。痛みに顔をしかめながら、一瞬で間合いを外した人間の剣士を睨む。
(おかしい。いくらなんでも、全く動きが鈍っていないだと?)
神聖魔法を用いて傷を塞ぎながら、目を細める。
“フェイタル・エクスプロージョン”は、頑健なトロール族であっても一撃で昏倒させ得る威力を誇る。
脆弱な人間が、その直撃を受けて普段どおり動けるはずがない。治癒魔法でも使っていれば話は別だが―――……
「―――チっ!?」
アルトリートの姿を再び見失う。
死角から斬撃が放たれる。対応出来ない。
苦し紛れに大剣を振るうが、当然ながら捉えられるハズもない。
「我が神ダルクレムよ!!」
全方位攻撃ならば避けられまい。
そう考えて、再び周囲に衝撃波を放つ。
だが―――
「空撃ちしただけか」
すでに効果範囲外へと退避されている。
十メートル近い距離を置いて、こちらの様子を窺う剣士の姿にヴィカーズは舌打ちをした。
傷を癒しながら、認める。
(地力で負けている。一撃離脱を繰り返されれば、オレに勝ち目はない)
マナが底をつき、傷を癒すことが出来なくなれば、後は良い様に斬り刻まれる未来しかない。
そこまで考えて、ヴィカーズは思考を止めた。
「……ク、フフ、ハハハ、フハハハハハハ―――ッ!!」
哄笑を上げながら、ヴィカーズは大剣を振りかぶった。
『傷を癒すことが出来なくなれば』
そんなことを考えているから攻撃が当たらないのだ。
様子見はおしまいだ。これ以後、傷を癒す必要などなくなる。マナを喰らって、魔剣の刃が眩い赤光を放った。
魔剣が与える仮初めの不死。
それを以って、ヴィカーズは咆哮しながら突撃を開始した。
ギルバールの戦棍が、ダークトロールの体を捉えた。肋骨を砕き、内臓を押し潰す。
同時に撃ちこまれたイーリスの“レーザー・バレット”が、激痛に歪んだ蛮族の顔に風穴を開けた。
糸の切れた人形のように、ダークトロールの巨体が崩れ落ちる。
(これで、残り二体)
レクターは残る二体へと視線を向ける。
魔力を解放―――雷の矢を放つ。走り抜けた雷光が、こちらへと間合いを詰めるダークトロールを撃ち抜いた。
だが。
「我が神ダルクレムよ!! 戦いを続ける力を彼の者に!」
与えたハズの傷が癒される。
元々、非常に高い回復力を持つトロール族だ。それが、魔法の支援を受ければこうなるに決まっている。
倒すのなら、単発では駄目だ。一気に畳み掛ける必要がある。
「ま、足止めになれば十分なんだけどね」
「微妙に負け惜しみ?」
「……うん。実は」
フリーになったギルバールが、ダークトロールの前へと立つ。それを見ながら呟けば、隣のルネが小首を傾げながら反応した。
中々に辛らつな一言。苦笑を浮かべながら頷いた。
「大丈夫だよ。アルトリートって、一対一じゃ負けそうな印象がないもん」
「同感だけどね。……随分と高く買ってくれてるね」
「うん。君のことも同じくらい買ってるよ」
「それは、どうも」
妹の方と違って少しやりにくい。
外見と口調にだまされると酷い目に遭う。そんな予感を抱きながら、レクターは呪文を唱え始めた。
(焦っても仕方がない。アルトリートなら大丈夫)
ブラッドトロールは確かに強力だが、それでも一対一でそうそう負けるような相手ではない。
持っていた魔剣の力が気になるが、それを言うのなら相棒の双剣も規格外だ。
「大丈夫。君の相棒は、とても強いよ」
「言われるまでもなく、私が一番良く知ってるよ」
ルネの言葉に頷いて、レクターは魔力を解き放つ。
“エネルギー・ジャベリン”
純白の槍がダークトロールを貫いた。直後、ギルバールの戦棍が蛮族を捉える。
イーリスの銃弾が頭を撃ちぬき、ルネが駄目押しに“ゴッド・フィスト”を叩き込んだ。
「これで、残り一体」
一瞬でズタボロになって倒れ臥した蛮族の骸から視線を逸らし、レクターはダークトロールアデプトへと視線を向ける。
敬虔なダルクレムの司祭は、倒れた同朋へと小さく祈りの言葉を捧げ、その拳を構えて見せた。
「投降するつもりは?」
「あるわけがないだろう」
ギルバールの言葉に、ダークトロールアデプトがニヤリと笑って手甲を打ち鳴らす。
彼は、胸を張って四人と対峙する。
「我が名はベルケ」
「……覚えておこう。トロールの戦司祭よ」
頷いて、ギルバールが突っ込んだ。
戦棍を叩きつける。それを紙一重でかわしたベルケが拳を振るおうとし―――
「“マギスフィア起動、グレネード射出”」
イーリスの魔動機術により、ギルバールを中心に吹き上がった炎にその身を焼かれた。
「ぐぅ!!」
ベルケが呻き声を上げる。そこにギルバールの戦棍が再び唸りを上げる。
“剣の加護―――炎身”
ドワーフは炎に焼かれることはない。振るわれた戦棍は狙い過たず、今度こそベルケを捉える。
「―――ガハッ!?」
ダークトロールアデプトの身体が後方に弾かれる。
骨を砕かれ、内臓が破裂した。口から大量の血を吐き出し、それでも彼の瞳は力を失わない。
「……我が神、ダルクレム……よ」
「ルーフェリアよ、その御手にて我が敵を討ち払い給え!!」
放たれた“ゴッド・フィスト”の衝撃が、ベルケの祈りを中断させる。
倒れまいと必死に体を支えるベルケの姿を見据えながら、レクターは呪文を唱える。これがトドメの一撃となるだろう。
「真、第十一階位の攻! 電撃、電撃、滅殺、迅雷―――」
「……ヴィカーズ、様」
一瞬だけ、ベルケと目があった気がした。
「ご武運を……」
「―――“豪雷”!!」
走り抜けた雷撃が、最期まで退くことをしなかったトロール族の司祭を貫いた。
振り下ろされた大剣を、紙一重でかわす。
「―――甘い!! 我が神ダルクレムよ! 我が敵に破滅の鉄槌を!!」
不可視の衝撃を受けて、アルトリートは後方へと吹っ飛ばされた。
(“ゴッド・フィスト”をよけるのは無理だな)
痛みを堪えながら、アルトリートは一旦間合いを外してヴィカーズの様子を観察する。
全身に傷を負いながら、まったく堪えた様子のないブラッドトロール。
その手には、鮮血の色に染まった大剣が握られている。
魔剣を発動させてからの彼の動きは明らかに変化していた。防御を捨て、傷を負ってもひるむことなく猛攻を続けてくる。
「面倒な」
その代償として、ブラッドトロールはすでに何度となく致命傷を負っている。
だが、彼は倒れない。傷を負う度に魔剣が赤い光を放ち、瞬時に傷を塞いでいるためだ。
「常時回復……いや、“イモータル”か?」
よく見れば、傷そのものが無くなっているワケではない。
傷口を赤い光で編まれた糸が無理やり繋ぎ合わせている。そのことに気がついて、アルトリートは魔剣の力の正体を推測する。
“イモータル”
操霊魔法の最高位に位置する魔法だ。
その効果は、仮初めの不死を与えるというもの。
さほど長い時間ではないが、いかなる傷を負っても倒れることなく戦い続けられるようになる。
おそらくヴィカーズの魔剣は、それと似たような効果があるのだろう。
「ぬんっ!!」
「……ちっ!」
間合いを詰めてきたヴィカーズの剛剣を、横っ飛びにかわしながらアルトリートは舌打ちをする。
仮に、彼の魔剣の力が“イモータル”に準ずるとして、問題はその効果時間だ。
ヴィカーズが魔剣の力を解放してから、すでに三分近く経っている。
「……ああ、クソっ!」
大剣を振るうヴィカーズの左腕を、右のアトカースが断ち切った。
だが、剣は止まらない。断ち切られた腕を、骨も含めて魔剣が一瞬で繋ぎ合わせる。
その力に悪態をつきながら、斬撃を左のペルセヴェランテで捌いた。
「戦神ダルクレムよ!! 我が敵に破滅の鉄槌を!!」
「―――っ!!」
“ゴッド・フィスト”の衝撃を受けて、アルトリートの体が傾ぐ。
間髪入れず、大剣が唸りを上げて横に薙ぎ払われた。双剣を交差して受けるも、その威力に後方へと弾き飛ばされる。
剣を握る手に僅かな痺れを覚える。息を整えながら、アルトリートは舌打ちをした。
「凌ごうなんて考えたら、多分負けるな」
ヴィカーズは、この戦いを生涯最期のものと考えている。
その覚悟を前に、後ろ向きな気持ちで挑めば結果は火を見るより明らかだ。
「レクター達が居てくれれば、何とでもなるんだろうが」
ポツリと零れた呟きに、アルトリートは苦笑を浮かべた。
一人で戦うのは恐ろしい。それは、紛れもなく自分の本音だ。正直、逃げ出したくなる。
だが―――
「…………」
乱れた息を飲み込んで、アルトリートはヴィカーズへと突っ込んだ。
双剣を振るう。マナの輝きが青白い光跡を虚空に刻み、赤い輝きを纏う大剣と噛みあった。
「ぬ、ガ、アアアアアアアア―――!!」
「あああぁぁぁぁぁ―――!!」
速度と手数を最大限に生かして、その体を細切れにする勢いで双剣を振るった。
ヴィカーズの不死を支えるのが魔剣であるのなら、その魔剣ごと斬り刻んでやるとアルトリートは吼える。
「時よ止まれっ!! お前は―――っ!?」
アトカースの力を解放しようとし―――その途中で、ヴィカーズに起こった異変に目を見開く。
反射的に後退したアルトリートの目の前で、その全身から一斉に血が吹き出した。
「なっ!?」
「……ここまでか」
ブラッドトロールを守っていた不死の鎧が剥がれ落ちる。
次々に傷が開いていく。腹が裂けて内臓がこぼれ落ちた。繋いでいた腕が落ち、握り締めていた大剣が床に転がった。
無理やり堰き止めていた死が、溢れ出す。
その体が崩壊していく。
「礼を言う。もう少し続けていたかったが、まぁ良い」
ヴィカーズは全身を赤く染め上げながら笑う。
口から、鼻から、両目から―――……大量の血を流しながら、それでも彼は明瞭な口調で言葉を発した。
「我が神ダルクレムよ。感謝いたします」
信仰を捧げし戦の神へと、無上の悦びを伝える。
ブラッドトロールの男は、最期まで満面の笑みを崩すことなく血の海に沈んだ。
塔の中に残っていた蛮族達は、誰一人として投降することはなかった。
残敵の掃討後、負傷者の治療や戦死者への祈りが一通り終わったのを確認し、アルトリートは空を見上げた。
そろそろ夜明けだ。
白く輝く山の稜線を見つめながら呟く。
「さすがに、疲れた」
「……同感」
傍らに立つレクターが同意してため息をついた。
周囲を見回せば、生き残った神官戦士達の姿を見ることが出来る。
ごく一部の例外を除き、皆、一様に疲労困憊という様子で地面に座り込んでいた。
「……レクターは、もう一仕事残ってるぞ」
「とりあえず、あと半日くらいは魔法を使うのは無理」
この後、レクターには“ディメンジョン・ゲート”を使う仕事が残っている。
意地悪くそのことを告げたアルトリートに、相棒の魔術師は頭を振った。
魔法を制御するだけの精神力がないと、彼はウンザリとした表情で弱音をはく。
「あ~っ!? レアちゃん、怪我してるじゃないか!?」
「ね、姉さん……これくらい、大したことないから」
「駄目だよ! 戦傷って放っておくと、後が怖いんだからっ!! ほら、そこに座って!!」
「いや。あの……」
「座りなさいっ!!」
「……はい」
元気の良い声に視線を向ければ、ルネが腰に手を当ててレアの前に立っている。
恥ずかしそうに肩を狭くする妹に、姉が甲斐甲斐しい様子で手当てを始めていた。
そんなフランセット姉妹の様子に、レクターが苦笑を浮かべる。
「彼女は、まだ元気みたいだね」
「そうみたいだな」
「正直、私は彼女のことが少し苦手かな」
「俺はそうでもないが」
「へぇ!! アルトリートって、もしかしてロ……何でもない」
「……まったく」
視線一つで相棒のたわ言を黙らせる。
苦笑混じりにため息をついて、アルトリートは両腕を空に向けて伸ばした。
「ん~」
しばし、息を止めて体勢を維持した後、一気に脱力する。
(……とりあえず、これで一件落着、かな?)
―――そんなことを考えたのが悪かったのだろうか。
突如、休んでいた神官戦士達が一斉に立ち上がった。その顔が一様に強張っている。
「何かあったのか?」
「分からん」
「……もしかしたら」
瞬時に空気が張り詰めたのを感じて、二人は仲間達と合流する。
首を傾げるギルバールの隣では、イーリスが何かに思い当たったような表情を浮かべていた。
「イーリス?」
「いえ。それは、彼女から聞いたほうが良いでしょう」
ルネが駆け寄って来る。
「……今、本神殿から“神託”が飛んできたよ」
硬い表情を浮かべた彼女は、一度小さく息を吸ってその一言を告げた。
―――ルーフェリアに対し、蛮族の軍勢が侵攻を開始した。