(くぅッ! 多いッ!)
雑霊――そこらにいる低級の霊が瘴気を吸い、悪霊となり群れを為した存在だ。
一匹、一匹はたいした事は無い。だが、こうも量が多いと愛衣には手に余る。
愛衣は今までチームを組んでの戦闘しか経験が無かった。本来、魔法使いは弱点である詠唱時間などを、お互い補い合いながら戦う。
しかし、今の愛衣には悠長に詠唱を行なう時間など無く、その時を守る仲間もいない。無詠唱の魔法、もしくは魔力そのものを霊にぶつけて、どうにか凌いでいるのが現状だ。
「魔法の射手(サギタ・マギカ)ァ!!」
魔力の練りこみが浅く、手から出たのは一本の魔法の矢。それとて雑霊の群れを浄化する力も無く、群れを少し散らせる程度だ。
雑霊が攻勢を強め、雪崩込むように愛衣へ襲い掛かる。自らが持つ魔法障壁に、出来る限りの魔力を注ぎ込むも、先程の魔法により、一時的に魔力が枯渇している。
(――あっ)
勢いに押され、愛衣は後ろに弾かれる。
幸い地面は草に覆われ、衝撃は少なかったが――
「だ、だめッ!」
目の前には愛衣を飲み込まんと、雑霊が視界を覆っている。
恐怖が身をすくませた。
そして――。
「え――」
愛衣の横を、一本の槍が通り抜ける。
槍を持つのは信じられない長さの髪の人影。その横顔を愛衣は知っている。
雑霊の群れに、槍がずぷりと埋まる。
次の瞬間、槍を中心に悪霊の群れの中央が弾けた。まるで風船が空気の入れすぎで破裂する様に。
愛衣はその光景を見ながら、雑霊に突っ込んでいく人物を見つめる。
「さ、佐天さん……」
◆
涙子の頭に巡るのは獣の槍という存在の知識、そして技術。
体に満たされた力――万能感――に陶酔しつつ、目先の彼方にいる雑霊に狙いを定めた。
(いけるッ!)
涙子の意識には、獣の槍に対する忌避感はもう無い。自然と存在を受け入れ、ただ自分の手足として扱う。
果たして〝どちら〟が手足なのか――。
「ふっ!!」
短い呼気と共に、涙子の足元が爆ぜる。
涙子の脚力に地面の土が抉られていた。
獣の槍の力により、涙子の髪は常以上に伸びている。それが彼女の軌跡をなぞる様に尾を引いていた。
手足は細いままだ。されど、その筋繊維は膨大な密度となり、涙子の体の動きを助けてくれている。
自らの一足で、まるでジェットコースターにでも乗ってるように、風景が外側へ流れていく。
そのまま速さにモノを言わせ、黒く巨大な群れへと槍を突き入れた。
「うりゃああ!」
槍はそのまま雑霊の群れを貫き、破裂させる。群れの中央にいた霊は跡形も無く塵となった。
だが、群れの外側にいた霊は無事だ。そのまま散り散りとなり逃げようとする。
涙子もそれを消し去ろうとするも。
「わわわわわ!」
群れに突っ込んだ勢いそのままに、広い庭の隅まで突っ込んでいた。
予想以上の脚力に、自分の体が制御できなかったらしい。
槍を地面に突き刺してなお体は止まらず、勢いに引きずられ、庭を横断した。ゴチリと塀におでこをぶつけ、やっと止まったぐらいである。
「痛たたたたた……」
愛衣は涙子の突然の行動に、大口を開けてポカンと見ている。
その間に残った雑霊は再び群れを作り、学園都市の街並みに逃げた。
「うわわわ、ど、どうしよう~~~」
愛衣が気付いた時にはもう遅い。視界から雑霊の姿は消えていた。
とりあえず、ぶつけたおでこを撫ぜている涙子に走り寄ってみる。
「さ、佐天さん~!」
「佐倉さん。良かった、無事みたいね」
何から聞いていいやら、目をくるくるさせている愛衣に対し、涙子はエヘヘと笑っている。
涙子が槍を無造作に担ぎ、戦闘の意志を解くと、伸びた長髪がバサバサと抜け落ち、普段の髪の長さに戻った。伸びていた爪や、見えないが肉体の強化なども元に戻っている。
そんな状況に、愛衣はギョっとしながら、更に慌てるのだった。
◆
「獣の槍、ですか」
愛衣は涙子に今までの経緯や、先程の涙子に起きた現象を一通り聞いた。
二人の姿は未だに薄暗い屋敷の庭にある。
というのも、涙子の手にはバカみたいに長く物騒な槍があり、とても大通りを持ち歩けないからだ。
「うん、そうらしいよ。この槍が教えてくれた」
「教える? それはアーティファクトの管理人格、もしくは制御用の精霊の類でしょうか?」
どうにもちぐはぐな応答をしつつ、愛衣はそれなりの結論を出していた。
(これはおそらく高位のアーティファクト、もしくは霊具でしょう。何かの封印に使われていた程のアイテム)
チラリと獣の槍を見る。形はどこか古代の中国を思わせた。まるで”剣の切っ先に柄を付けた”様な槍だ。そして何より禍々しい気配も感じる。
(妖怪や霊といった存在は、精霊魔法に対しての抵抗力が強いはず。そのため効率的に除霊するためには専門のスキルや道具が必要ですが、この槍はその”比”じゃない)
たった一撃だが、愛衣はしっかりと雑霊を塵に還す槍の威力を見ていた。
(一撃、触れただけであの威力。幾ら低級霊だからって、多少の残留思念なりが残るはずなのに、それすらも残さない。少なくとも、私は見たことがありません)
愛衣は麻帆良学園で、学園の”裏”の警備を任されている。裏――魔法などの秘匿すべき力の凌ぎ合いだ。麻帆良は世界中にネットワークを持つ『魔法協会』の極東の一大拠点だ。そのため日夜、侵入者との戦いがある。
そんな折、悪霊や妖怪などといったモノを使役し、害を為そうとする者も多い。愛衣とて歴戦とはいかないものの、麻帆良ではここ数ヶ月程の警備へ参加していた。
そこで数度、悪霊などと戦っている。もちろん一人ではなく、信頼する先輩や教師などと共にだが。
少なくとも、愛衣がその数度で体験した中に、あのような悪霊の消え方は無い。
愛衣の魔法使いとしての卓越した才能が、獣の槍の異常さを早くも察知していた。
(使用者を”獣”に変える魔槍。素人の佐天さんでさえあの威力。き、禁呪級かもぉぉぉぉ)
慌てふためく愛衣を他所に、涙子は槍を面白そうにぶんぶん振り回している。
(でもどうして槍が佐天さんの元に。佐天さんは”コッチ”の住人じゃない……はず。なら、これまでの過程は不可解です。絵? 羽生? それにこの屋敷にだって、軽い認識阻害がかかってる。普通に考えれば”佐天さんがここに来るのは不可能”。なのに――)
「そういえばさ~」
愛衣の思考は、涙子の何気ない一言で吹き飛んだ。
「佐倉さんって魔法使いなの?」
「……へ?」
ピシリ、と愛衣が固まった。
「槍の知識では、大陸の術が云々ってのがあるんだけど、なんか魔法使いっぽいよね。まぁ超能力者がいるご時世だし、魔法使いがいても不思議じゃないけど。ね、ね、私にも使えるかな、魔法?」
ウキウキと言った感じの涙子に対し、愛衣の顔色は蒼白だ。
愛衣が所属する魔法協会には掟がある。それは『魔法の秘匿』だ。この背景には中世での魔法使いの迫害や、魔女狩り。様々な要因が重なっているが、とどの詰まり『魔法がバレたら大変だ』という事だ。
具体的な罰則としては『オコジョ刑』なるものがある。動物のオコジョに強制変身させられ刑務所へ収監されるという、大変重くいや~な感じの罰だ。
されとて、魔法なんてものを使わざる得ない状況で、完全に秘匿するのは難しく、それなりの対処マニュアルが作られている。
少なくとも魔法学校卒業時には、必須のスキルとして覚えさせられるものだ。
記憶の忘却。
魔法により、相手の記憶の一部分を剥離させる。忘却とは言っているが、その記憶そのものを認識出来なくなる魔法だ。
愛衣は混乱しながら、そのマニュアルを思い出す。
「あわわわ、さ、佐天さんすいませんッ! メイプル・ネイプル・アラモード……」
魔法の『始動キー』と呼ばれる詠唱を始め、ブツブツと何かを呟き続ける愛衣。
「おぉ、どうしたの佐倉さん。ん、何かの術?」
愛衣の周囲が薄っすらと光るのと同時に、涙子は槍から様々な感覚を得ている。どうやら愛衣には聞こえない様だ。
詠唱をし終わったのか、愛衣は手に溜まった光を振りかぶる。
「ささささ佐天さん、私の事は忘れてもらいますッ!」
そう言いながら、テニスボール程の光の塊を、涙子の頭目掛けて投げる。
「お、おわ!」
すると、突然槍が動き、涙子は体勢を崩した。槍の穂先が塊に当たり、パリンというガラスが割れるような音と共に光が消える。
「「え……」」
二人して槍と消えた光を見つめた。
◆
何度か愛衣は魔法を試すものの、その都度槍に邪魔される。
愛衣は地面にうな垂れ、よく状況を理解してない涙子の質問にぽつぽつと答えを返し始める。
「ははー。つまり佐倉さんは本物の『魔法使い』なんだ。それで魔法使いの決まりで、魔法を隠さないといけないと。だけど、私に魔法は効かないんで困ってる」
「うぅ、記憶の操作をしようとするなんてごめんなさい。でもこうしないと、私オコジョにされちゃうんです~」
(オコジョ??)
多少腹は立つものの、涙目で訴えてくる愛衣を見ると、どうしても怒れない涙子だった。
「でもなんで魔法効かないんだろう……」
そう呟いた途端、《槍》から知識が湧き出た。どうやら《獣の槍》はあの程度の術なら霧散させてしまう力があるらしい。
涙子は愛衣に、槍の知識を伝える。
「うぅ、幾ら私の魔法だとしても、あそこまで簡単に術式を崩されるなんて……」
愛衣は魔法世界の中でもかなりの才女だ。十三歳と若いながらも、アメリカの魔法学校への入学経験もあり、かなりの実力を誇っている。
自信過剰な方でも無いが、それでも今の状況に自信を失いかけていた。
「で、どうしよっか。さっきの雑霊だっけ、あれも逃げちゃったし」
「そ、そうです! うぅ、幾ら雑霊とは言えあの量。なにか起こる前に退治しないと。はわわわ、どうしよう~」
愛衣は頭を抱えつつ、うんうん唸る。
涙子に魔法を知られ、更に記憶操作も失敗し、禁呪級のアイテムをも発見し、あまつさえ雑霊を取り逃がす。
幾つもの失態が愛衣の頭をよぎり、混乱の極みとなっている。
そんな中、涙子は手の中にある槍を見ていた。
(獣の槍、か)
涙子が使ったのはほんの数秒だ。だが、その数秒でもこの槍のすごさが分かった。
まるで超能力を使っているような気分だった。たった数歩走っただけの体験を、涙子は何度も反すうする。
今の涙子に、この槍を手放す、という選択肢は無い。
何の偶然か、手に入れてしまったこの力を、涙子は心の底から喜んでいた。
(んー、でもどうしよう。槍なんて置く場所無いしな)
そう思った途端、また《槍》の知識が涙子に流れ込んだ。
「おぉ、こんな方法があるとは――」
「あの!」
呼びかけられた声に顔を上げると、何か真剣な目をした愛衣が、涙子に話しかけようとしている。
「ん、どうしたの?」
涙子は愛衣に対応しながら、知識のままに槍の穂先を手の平に近づける。すると、スルリと涙子の体の中に槍が入っていく。二メートル程あるはずの槍が、それより小さい涙子の体にすっぽりと入ってしまった。
「あぁーーーッ! さ、佐天さん、何やってるんですかぁ!」
「あははは、すごいでしょ。なんか収納まで出来るみたい。便利な槍だねぇ」
「いいですか! こ、この槍は恐らくかなり危険な霊具です。どんな副作用があるか分からないんですよ!」
そんな言葉を流しつつ、涙子は愛衣を促し、帰路を進む。その間も愛衣の説得は続くが、涙子には馬耳東風と言った体だ。
とりあえず今日は帰宅し、明日改めて落ち合う事を約束する。
バスに揺られながらも、涙子は自らが拾った力にほくそ笑み、愛衣は事の重大さに頭を抱える。
この時、愛衣は沢山の事が起きすぎて、事の真相を探ろうとしなかった。
所々の違和感に気付きつつも、その断片を見るだけで精一杯だったのである。
槍があった部屋に何が仕掛けられていたのか。誰が涙子に干渉したのか。それすらも蚊帳の外に置いてしまったのだ。
◆
愛衣は学園都市が用意した、マンションの一室に帰宅した。
ここで愛衣は、姉の様に慕い、魔法使いの先輩でもある高音・D・グッドマンと同居している。
玄関で靴を脱ぐも、室内も廊下も明りは付いていなかった。玄関には高音の靴があり、帰宅しているはずなのに、部屋のほとんどが暗いままだ。
(おかしいな……)
この所、高音はいつも忙しそうにしていた。
『学園都市』に来てから、新生活でてんてこ舞いのはずなのに、ほとんどの時間を調べ物をして過ごしている。
何を調べているのか、それとなく聞いたこともあったが、毎回はぐらかされてしまうのだ。
それでも――。
(お姉さまに相談しないと。魔法の秘匿に、禁呪。それに雑霊についても)
現在、麻帆良は様々な案件を抱え、只でさえ少ない魔法使いの人材はいつも忙しい。そんな折、愛衣が気兼ねなく魔法に関して相談できる相手は高音か、もしくは麻帆良での師と言えるガンドルフィーニぐらいだ。
麻帆良に連絡するのか、もしくは自分達で独自に処理するのかの判断を、愛衣一人で下すのは難しい。
高音の部屋の方から何やら音が聞こえる。どうやら、ちゃんと帰って来ているようだ。
愛衣はキッチンに今日購入した紅茶などを置きつつ、高音の部屋に向かった。
軽くドアをノックする。
「あの、お姉さまよろしいですか?」
「愛衣? どうぞお入りなさい」
愛衣がドアを開けると、何やらバッグに色々と物を詰めている高音がいた。
引越しから浅く、部屋はまだ綺麗に片付いたとは言えない。
そんな中、片隅にあるパソコン端末のモニターはしっかりと灯っている。
(まほネット……あれってガンドルフィーニ先生の出張先……)
まほネットと言われる、魔法使い達による独自の情報ネットワークがある。インターネットを隠れ蓑に、魔力を行使しないと閲覧できない独自の暗号プロトコルを配信しているのだ。
魔法使いとは言え、しっかり近代化してたりする。
愛衣がチラリと見たモニターには、そのまほネットが表示され、自分達の師とも言えるガンドルフィーニの出張先の施設情報が表示されていたのだ。
「あの~、お姉さまは何をやってるんですか?」
「愛衣、二日ばかり留守にしますわ。転校してきたばかりのこの時期に、一人にして申し訳ないですが」
「え? る、留守ですか? お姉さま、留守って何処へ?」
そう言ってる間にも、高音は荷造りを終え、端末の電源も落とした。
「ちょっと《学園都市》の外に用事があるのよ」
「そ、外って、申請とかしたんですか? してもすぐに下りるとは思えませんけど」
「不本意ですが、魔法を使って外へ出ますわ。出来るだけ早く戻りますから、しっかりとね、愛衣」
高音は愛衣の頭を撫ぜた。愛衣はくすぐったそうに目を伏せる。高音はそのままバックを持ち、玄関へ向かう。
「愛衣、ご飯はしっかり食べなさい。私が居ない間、もし困った事があったら学校の先生や麻帆良を頼りなさい。いいわね」
「は、はい。お姉さま、まかせてください! 私、しっかりとお留守番の役目、果たします!」
愛衣のその返事に、高音はにっこり笑顔で返し、玄関を出て行った。
(お姉さま、やっぱり何かを調べてるんだ。話して貰えないのは寂しいけど、せめてしっかりと支えなきゃ)
うん、と握りこぶしを作り、愛衣は気合を入れなおした。
高音に相談をし忘れたと気付いたのは、それから三十分後だった。
◆
学園都市の陸路の玄関口である、東京方面に開くゲート。そのゲートに隣接する様に、学園都市の外側に一つのビルが置かれている。
学園都市は技術漏洩を防ぐため、とても閉鎖的だ。観光客などの受け入れも行なっているが、その出入りはとても厳しい。
このビルはそんな〝外〟との折衝を行なうための施設の一つである。
ビルの一室に、一人の男が居た。来賓室だろうか、高級そうなソファーに背を預けず座っていた。
背はスラリと高く、高級なスーツをピシリと決めている。顔立ちはやや濃いが、ハンサムだ。髪を背中まで届く長髪にしているが、不思議とこの男には似合っている。
部屋のドアが開かれ、一人の中年男性が挨拶しながら入ってくる。男もその中年男性に合わせ、立ち上がり挨拶をした。
「遅れて申し訳ありません。《学園都市》の外交部主任を務める船田です」
中年男性はそう言いながら、名刺を取り出す。
「いえ、こちらこそ急な申し出への対応ありがとうございます」
男も名刺を取り出し、斉藤へ向けて渡した。
「私、国際警察機構超常犯罪課日本支部所属の西条です」
国際警察機構、超常犯罪課――通称オカルトGメンという名で知られる組織の名前であった。
第三話 END