《飛頭蛮》と対峙した鳥坂だったが、内心は穏やかでは無かった。
(うむ、マズイのである)
目の前の生首から感じられる只ならぬ威圧に、鳥坂の本能が警鐘を鳴らす。
破壊された車両の先頭からビュンビュンと風が入ってきているのに、鳥坂のこめかみには大粒の汗が雫を溜まっている。
鳥坂は先日にも、この生首と似たような黒い影と対峙した事があった。
安っぽい映画に出てきそうな、人に憑りつく悪霊の様な存在だったが、鳥坂のバットの一振りでいとも容易く散らす事が出来た。
鳥坂はその黒い影と似た印象を、目の前の生首に持った。
だが――。
(桁が違うな)
鳥坂がバットを叩きつけた先程の生首も、ほとんど無傷といった状態で浮いている。その下には大怪我を負っている運転手がいた。
揺らめく《飛頭蛮》にバットの切っ先を向けつつ、鳥坂は背後に大声で呼びかける。
「さんご! どうにかして乗務員に連絡を付けろ! 〝絶対にモノレールを止めるな〟とな」
「止めるな、って――」
さんごは半泣きの表情で声を上げる。人込みが未だにパニック状態で、隣の車両への避難はまだ続いていた。さんごはその波の中から、必死に顔を出している。
人込みに噛みつかんと、《飛頭蛮》が奇声を上げながら向かってくる。
「くぉの! えぇい、さんごよく考えてみろ、ここは〝モノレールの上だ〟。こんな所で止まったら、私達は格好の的だぞ!」
向かってくる《飛頭蛮》にバットで対応しつつ、鳥坂は説明する。現在モノレールが走ってるのは、名前の通り単一のレールの上だ。場所は高所、これだけの人数がスムーズに逃げられるとは思えない。
部長の意図を悟った部員達は、目で合図を出し合い行動を開始した。
「あ~るッ!」
「あい」
鳥坂の呼びかけに、アンドロイドであるRが答える。天井部分の荷物棚を器用に伝い、鳥坂の前に飛び降りた。
一人で五つもの生首を相手取れない事を悟った鳥坂は、Rを呼び寄せたのだ。
《飛頭蛮》は意気揚々とRに噛み付くも、噛み付いた後に顔が陰る。Rの制服の下は特殊合金製の装甲が体を覆っている。《飛頭蛮》はガチガチと噛み砕こうとするが、Rのボディの表面が僅かにへこむ程度で終わる。
「痛い、痛い」
Rが囮となっている間に、鳥坂はバットを振り回しながら生首の横をすり抜ける。
一直線に倒れた運転手の元まで走った。そしてバットを持たない手で、傷ついた運転手の襟首を掴み、引っ張る。
「ぐぅぅ!」
「えぇい、男なら我慢しろッ!」
鳥坂の乱暴な扱いに悲鳴を上げる運転手。鳥坂はそれを気にせず、力の限りを絞り運転手を投げ滑らした。血の跡を床に残しつつ、運転手は背後に控えていた光画部部員にキャッチされる。
投げた隙を突き、鳥坂に向かってくる生首が一つ。首を捻り歯牙の一撃は避けたものの、鳥坂の頭部と生首が衝突する。
「ガハッ!」
鳥坂の視界がたわむ。
そのままバランスを崩し、地面に倒れた。
「鳥坂先輩!」
部員の悲鳴が上がる。
鳥坂の肉を貪ろうと、《飛頭蛮》が飛んでくる。
「えぇい!」
咄嗟に近くに置き去りにされた乗客のバックを掴み、生首の口に突っ込んだ。
その隙に、床をゴロゴロと回りながら後ろに下がり、体勢を整えた。
体を見れば、腕は二の腕まで細かな傷が目白押し、ジーンズにも裂け目がたくさん増え、血が滲んでいる。
「くっ、長くは持たんぞ。次の駅まで何分くらいだ?」
「あと、三分くらいかと」
光画部女子部員の堀川椎子が、時計を見ながら答える。
「三分か……」
内心に不安が過ぎるものの、鳥坂は不敵な笑みを止めない。
《飛頭蛮》の力は圧倒的だ。一つ一つが鳥坂を越える力を持ちつつ、更にそれが五つもいる。
現在、狭い車両内にいるのが救いだった。ビュンビュンと空中を飛ぶ生首も、狭く邪魔の多い車内では力を思う存分に発揮できない。
だが、三分は長すぎる。
チラリとRを見れば、生首から必死で逃げていた。学ランはボロボロになり、体の表面に幾つものへこみがある。
Rは一方的に逃げていたかと思うと首をグルンと回し、奇妙なポーズを取った。
「外道照身霊波光線」
Rのかけ声と共に、目が懐中電灯の様にピカっと光る。
「あ、あのバカモン!」
以前、部活のコンパで見せた一発芸だった。鳥坂はRのアホさ加減に舌打ちするが。
『グァァァァ……』
「は?」
カクン、と鳥坂の顎が落ちる。見ればRの発した光が、《飛頭蛮》の表面を炙っていた。生首は光を避ける様に距離を取る。
Rもその隙にと、鳥坂の隣まで逃げていた。
「ぬぅ……あ~るよ、いつの間にそんな機能が」
「嫌だなー、鳥坂先輩。僕には最初から除霊機能があるって言ってたじゃないですか」
Rがヘラヘラという。確かに以前、部活で生霊騒ぎがあった時、そんな事をのたまってた気がする。が、腹が立ったので、とりあえず鳥坂はRを一発殴っておく。
「痛いじゃないですか」
「うるさい! 黙れ!」
そんなやり取りをしている間も、《飛頭蛮》は動きを止めない。目の前に餌があるにも関わらず、喰らう事の出来ない苛立ちが、怒りとなって現れる。
『ニンゲンがぁぁぁぁぁぁ!』
生首の一つが、鳥坂の頬を浅く抉る。
鳥坂は手に握ったバットを、《飛頭蛮》の顎に向けて振り上げるが空を切る。
「チィッ!」
鳥坂の事を無視し、一つの生首が人込みに向けて一直線に飛ぶ。
「キャァァァ!」
乗客のパニックが増す。
生首に向けて缶ジュースやペットボトルが投げられるも、どれも効いた様子は無い。
「この生首野郎!」
光画部の男性部員の一人が、持ってたカメラ用の三脚で《飛頭蛮》を殴りつける。
辛うじて《飛頭蛮》の軌道が反れるも、三脚は曲がり、男性部員の手には金属でも殴った様な痺れがあった。
パニックになった乗客の押し合いにより、一人の少女が人込みから押し飛ばされる。勢いを殺せず尻餅を付いた少女は、見るところ五・六歳といった所か。人込みにより親とはぐれたのだろう。顔は青ざめ、転んだ痛みも後押しし、泣き出す一歩手前だ。
そこへ――。
『エサがァァァァァァ!!!』
殴られた《飛頭蛮》が地面を這いずる様にして少女へ近づく。
「あ、あ、あ」
少女は目を見開き固まる。唯一出来た事は、恐怖から逃げるために目を瞑る事だけだ。
瞳を閉じ、恐怖に体をすくませる。
「えぇい!」
少女に衝撃が走る。横合いから何かに突き飛ばされたのだ。
薄っすらと目を明ければ、少女は自分が誰かに抱えられていたのが分かった。
佐天涙子だ。
涙子は、少女が《飛頭蛮》に襲われる直前に飛び込み、彼女と共にゴロゴロと床を転がったのだ。
そのまま壁にぶつかったお陰で、背中がジンジンと痛む。涙子は泣きたいのを堪えながら、生首を探した。
「ひっ――」
慣れない悪寒に悲鳴が漏れる。生首はズリズリと地面を這う様に滑りながら、自分達を喰らおうとしていた。
だが、生首の後ろから鳥坂がバットを振り上げて飛びかかる。
「てぇりゃぁぁッ!」
涙子はそのバットが薄い光の膜に包まれているのを見た。
ガツン、とバットは床を叩く。
《飛頭蛮》は紙一重でバットを避け、仕返しとばかりに鳥坂に襲い掛かる。
鳥坂はシャツを破られながらも、辛くも直撃を避けた。
そして、涙子と少女を庇うように鳥坂は立つ。
「よくやった! おぜうさん!」
少しだけ振り向き、ニヤリを笑みを見せる。
そんな鳥坂の振る舞いに、涙子は疑問を持つ。感謝の言葉すらスムーズに出ず、ただ問いかけが口から溢れた。
「なんで、なんで私達を助けるんですか?」
喧騒の中、涙子の小さな言葉を鳥坂はしっかりと聞いていた。
「ちぇい! そんなの決まっておろう、おぜうさん!」
バットを振りながら鳥坂は答える。
「かっこいいからだ!」
「かっこいい?」
鳥坂のバットの先端が曲がる。ついに《飛頭蛮》の堅さに耐えられなくなったのだ。
「ちっ! あぁ、そうだ。今の私はかっこいいだろう! 往年の昭和ライダーを彷彿とさせるかっこよさだ!」
苦境に舌打ちをしながら、叫ぶようにして答える。
涙子の胸の中では、抱えた少女が震えながらも拳を必死に握り、希望に満ちた目で鳥坂を見つめている。それが眼鏡越しに見える鳥坂の瞳とダブった。
(あぁ、この人も――)
鳥坂は子供なのだ。何かに憧れ、それを未だに持ち続けている。
きっと多くの人が馬鹿にするだろう。
それでも、彼の《行動》こそが、今この場所にいる人達を救っている。
人は《行動》により試される、そこに至る思惑がどうであろうと。
抱えていた少女を床に下ろした。
そして、涙子は膝をつき立ち上がろうとする。
流れるような所作。体が自然と前に向かおうとしていた。
今までに無い、芯と呼べるモノが涙子の背を貫く。まだ〝ソレ〟は限りなく細い。しかし、これからの時間でしっかりと幹を伸ばし、頑丈な柱となるだろう。
靴の裏が床を踏みしめる。
目の前では鳥坂が生首に吹き飛ばされた。乗客から悲鳴が上がる。
「お兄ちゃんッ!」
隣から少女の声も聞こえた。
涙子は前を向いたまま、手で軽く少女の頭に触れる。
「大丈夫」
言葉少なく早口ながら、どこか力強さに満ちていた。
涙子の目がギョロリと丸くなり、髪がゾワリと蠢く。
少女を撫でたのと逆の手を、車両の壁に向かい突き出して開く。
倒れた鳥坂に向かい、都合四つもの生首が殺到する。Rが相手しているのは一つだけであった。
鳥坂を助けようと、何人かの男性が飛び出すも、間に合うとは思えない。
ほんの数秒の時間が、スローモーションの様にゆっくりと流れる。
その時の流れの中、涙子だけはしっかりと突破口を見つめていた。
頭にこびり付く力の知識が、涙子の予想を確信へと変えた。手の中に未だ感触が残っている。
たった三日。だがその三日の間に、涙子に注ぎ込まれた〝ソレ〟の《技術》と《知識》は数千年分に上る。
きっとあの言葉を告げ、手を握り締めれば、〝ソレ〟は確実にあるだろう。
だから――。
「《槍》よ、来い」
涙子は言葉をそっと紡いだ。
◆
ゴミ捨て場の金属コンテナの中、《獣の槍》は回収車にも拒否され、ただ一つだけポツンと放置されていた。
槍の柄には、回収業者からの注意勧告の貼り紙が為されている。
『粗大ゴミの業者にしっかりと申請して、有料で回収してくれ』という旨の内容だ。
《槍》はただ待ち続けていた。
所詮道具であり、主の意向に従うしかないのだ。己の中に燻る妖怪(バケモノ)への怨嗟の声が木霊する。それでも、この道が一番の近道だと感じていた。
そして、遠くより一つの意志が掠める。
――キィン。
槍が小さな金属音鳴らせた直後、金属コンテナが内側から破裂する。飛び出すのはもちろん一本の《槍》だ。
日差しをキラキラと反射しながら、空を切り裂かんばかりに飛翔する。
真上に向かい飛んだ後、今度は弧を描きなら軌道を変えた。《槍》に結ばれた紅い布の装飾が激しく揺れる。
高層ビルの隙間を縫い、ジェット機も真っ青の速度で《槍》は突き抜けていく。
ビリビリと建物の窓ガラスが揺れ、通行人は耳をつんざく音に驚く。
《石喰い》の残した妖気に群がった雑霊や低級霊も、槍の残す余波により一瞬で霧散する。
所詮道具。道具はただ主の意向に従うのみだ。
故に――。
ぐんぐんと速度を増し、見えてくるのはモノレールの姿だ。先頭車両が不自然に破壊されている。
《獣の槍》は道具である、故に愚直なまでに主の意思に従うのだ。主が必要としたのは、《槍》の力。
ならば、《槍》は主の手元に無ければいけない。
単純な帰結であり、《槍》にはそれが可能だった。
◆
爆音が響き、車両が激しく揺れる。
先程、《飛頭蛮》が現れた時より強い衝撃だった。
鳥坂の危機に悲鳴を上げていた乗客も、何事かと音のした方向を見る。
壁の一部に穴が開いていた。
あの恐ろしく強い生首も、モノレール先端の風防を壊し、車両内のドアを歪めた程度だ。
それぐらい、この車両に使われている金属は最先端であり、強固なのだ。
なのに、その金属が使われている壁が破壊された。破壊痕の脇には一人の少女が立っており、何かを握っていた。
《槍》だった。古くみすぼらしい槍。刃には小さな傷がいくつもあり、柄にはボロボロの紅い布が巻かれている。
おせじにも綺麗とは言えず、素人目には価値があるとも思えない。
そんな汚い《槍》を少女――涙子は片手にしっかりと握りこんでいる。
たかが半日触れていないだけなのに、酷く懐かしい感触だ。
一度は手放したはずなのに《槍》は素直に手元まで、まさに字の如く飛んで来てくれたのだ。
涙子の風貌が一変する。
髪が一気に伸び、彼女の顔も体も覆い隠した。手足の爪は獣の如く鋭くなり、体の筋肉はより強固に作り変えられる。
目に闘志が宿り、鳥坂に向かう《飛頭蛮》を見据えた。
横目に、座っている少女が自分を見て驚いてるのを捉え、涙子は自嘲の笑みを浮かべた。
だが、もう止まらない。
「うあぁぁぁぁぁぁッ!!」
鳥坂に救援に向かう乗客の頭の上を、涙子は叫びながら一気に駆け抜ける。
狭い車両の中、涙子は一秒にも満たない時間で、《飛頭蛮》に突進した。
生首は涙子の出現に驚きながらも、直撃するはずだった《槍》の切っ先を歯で受け止める。
『ケモノノヤリだとぉぉぉぉ!!』
《飛頭蛮》の一つが叫ぶ。
涙子は切っ先を押さえられたまま《槍》を振り回そうとするものの、思いのほか力が強くて動かない。
「このぉぉ!」
あえて槍はそのままにし、柄をしっかり握り〝軸〟にして膝を振り上げた。強化された筋力をバネに、生首の一つの鼻先を膝蹴りで潰す。
勢いを殺さず、涙子は《槍》に噛り付いた生首を足裏で踏み抜いた。
《飛頭蛮》が奇声を上げる中、向かってくるのは残り二つ。
刃を振るのが間に合わないと悟り、今度は刃の逆側、石突で《飛頭蛮》を殴りつける。
「早く下がって!」
三つの生首をなんとか迎撃し、涙子は鳥坂を叱咤しながら距離を取る。
鳥坂も、涙子の突如の変貌に驚きを隠せない様である。
それでも、せっかく出来た隙を逃さず、鳥坂はなんとか背後へと転がった。
もはや後顧の憂いは無い。
車両内は狭い空間ながら、《獣の槍》には関係のない事だった。
本来の槍であれば、その得物の長さにより苦戦するであろう。
だが《獣の槍》は意志一つで、妖怪(バケモノ)以外を切らない事もできる。
「はぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
裂帛の声。
向かってきた最後の《飛頭蛮》に、涙子は《槍》を思い切り横薙ぎに振りぬく。
《槍》は座席もつり革も車内にある全ての物体をすり抜け、振るうスピードを殺さぬまま《飛頭蛮》の一つを真っ二つにした。
『グギャァァァァァァァァ!!』
甲高い奇声。今までに無い生首の反応である。
《槍》が持つ破魔の毒により、《飛頭蛮》は塵になって消えていく。
涙子はビュンビュンと威嚇するように槍を振り回した後、構えを取った。
一瞬、静寂が車内を満たす。
モノレールの速度が増し、風が勢い良く車内を抜けていく。涙子の髪も尾を引くように棚引いた。
乗客達は涙子の常軌を逸した容貌に、声を無くした。今、確かに彼女に助けられた。しかし、彼女があの生首の仲間では無いのか。そんな不安が過ぎる。
目の前に起こった出来事に対する喜びと不安が、乗客達の内心でせめぎ合った。
だが――。
「お姉ちゃん、がんばれ!」
先程助けられた少女の一声が場を変えた。
「そうだ、あの子は俺たちを助けてくれた」
「がんばれ! お嬢ちゃん!」
「あんな小さな女の子ばかりに頼ってられるか!」
絶望に満ちた車内に、少しづつ希望が溢れ始める。
目の前の異形に震えていた男達も、涙子が立ち向かう姿に勇気を貰い、腕まくりをしながら一歩を踏み出す。
槍を構えて対峙する涙子、その背中に向けられた言葉は温かかった。
(あぁ……)
髪に覆われた顔は、嬉しさで泣きそうな表情をしている。
涙子には償うべき罪があり、抗うべき責任がある。ぶつけられるのは非難と罵倒でもおかしくないのだ。
それでも今この時、背中に多くの人を守る涙子の姿は、まぎれも無く……。
第九話 END
あとがき
新年二回目の更新。チラ裏引越し後は初めての更新です。
相変わらず過疎ってる作品ですが、この話からどんどん上げ調子でいくつもりなので、感想頂けたら嬉しいです。