◇
泥のような眠りだった。
深く積もった枯れ葉が毛布のような役目を果たし、体に溜まった疲労はすっかり抜けていた。
顔に当たる木漏れ日に、ゆっくりと意識が浮上していく。
腕の中の柔らかい感触の正体を考えることもなく、ぼんやりと目蓋を開けると、鼻先で、黒髪の少女が無表情にこちらを見つめていた。
「お……」
しばしの硬直。
横向きのまま十秒ほど見つめ合ったあと、秋人はゆっくりと、少女を抱きしめていた腕を離した。
腕から開放されると、マヤは服の枯れ葉を払って、何事もなかったように立ち上がる。
その姿を見ながら、ようやく秋人の認識が追いつく。
温もりを求めて無意識にか、隣で寝ていたマヤに抱きついていたらしい。マヤの方は目覚めたあとも、されるがままになっていたのだろう。
(…………)
なんとなく微妙な気分になりながら身を起こし、周りを見回すと、三人ともすでに起きていた。
ガッシュは横倒しの大木に腰掛けて、森の様子を眺めている。グエンは近くの木に寄りかかって、あたりを見張っていた。ユエルはマヤの向こうで膝をつき、両手を組んで、祈りを捧げている。
寝ている間は何事もなかったようで、『睡眠不足』は全員解消されていた。
秋人の頭も、霧が晴れたようにすっきりとしている。
眠る前のどろどろした感情は消えて、体に活力がみなぎっていた。
(今は何時ぐらいだ? 太陽が見えればな)
木々の天蓋に遮られ、森の中は薄暗い。昼は過ぎていないだろう。
お腹が鳴った。
(あー……)
自覚してみれば、強烈な空腹感がある。
『マヤ、《遠目》で警戒してろ。残りの三人は、昨日の奴らの死体から使えそうなのを剥がせ』
森の中を駆けまわって戦ったため、冒険者たちの死体も散らばっている。グエンとユエルが回収に向かい、昨日囮にした五人の死体の方は、ガッシュが向かった。
死体はすでに《幻覚》が解けて、元の無残な姿を晒している。ガッシュがその装備を剥ぎ取り、隣に積み上げていった。
(やっぱり気持ち悪いな……)
やはり死体には嫌悪感を感じる。犬猫の死体だって、秋人は触りたくない。
しかし、生きるためだ。
秋人自身、自分の中に、これほどの生存欲求があるとは思わなかった。
日本では飢えることも、命の危険もなく、生きたいと強く願うこともなかった。
しかし、今は必死で生き延びようとしている。
そこに余計な葛藤はない。
(やっぱり生き物なんだよな……)
余裕ができれば、また人間らしい生活もできるだろう。それまでの我慢だ。
途中、グエンが弓矢を拾って帰って来たので、ガッシュに狩りに行かせた。グエンも弓は使えるが、ガッシュの方がスキルが高い。
ガッシュと交代して、グエンが死体の剥ぎ取りを続ける。ユエルも、散らばった道具を持ってくる。
火をつけるための火口箱に、五メートルほどのロープ。
マントと、小物入れ付きのベルト。バックパック。
六十センチほどの、使いやすそうな山刀。投げナイフ四つ。
半分ほど入っている革袋の水筒が三つ。干し肉が蔓で縛られて束になったもの。青色の小さな宝石がいくつか。
(なんというか……人間って、宝の山だな)
特に、社会から弾き出された者にとっては。
かき集めてきた金は、銀貨二五枚、銅貨六十枚になった。
おそらくこれだけあれば、五人分の食費でも半月は持つだろう。
盗賊、山賊の気持ちが、なんとなくわかってしまった。
血と傷でいくつか駄目なものはあったが、三つほど使えそうなマントが残ったので、自分と、マヤ、ユエルに着させる。
ゲームでは、ステータス異常に病気もあった。体力のことを考えても、寒さを防ぐマントは後衛に回したい。自分が貧弱なことは言うまでもない。
しばらくして、ガッシュが戻ってきた。その手には、小さな茶色の兎がぶらさがっていた。どうにか捕まえてこれたらしい。
調理スキルは、当然のように誰も持っていない。火口箱も、火打ち石と鉄片で何度か試してみて諦め、マヤの《発火》で枯れ枝に火を起こした。地面を掘って簡易かまどを作り、ガッシュが剣に突き刺してあぶる。さすがに人を斬った剣では抵抗があったので、予備に買っておいた小剣だ。
しばらくして、
(……これ、食えるのか?)
目の前には、兎の丸焼きがある。
脂がしたたり、表面は黒こげになっていた。
(……先に毛皮を剥ぐんだったっけ)
何かおかしいとは思っていたのだが。
ガッシュが短剣で表面を削ると、湯気の立つ肉が現れた。内臓を避けて五つに切り分け、それぞれが口に運ぶ。
(まずい……)
味付けも何もない。動物臭い肉だ。
それでも空腹が飲みこませる。
食べられる場所はかなり少なかった。骨をしゃぶるようにそぎ取り、水筒の水で流しこんでいく。
兎と干し肉を五人で分けて食べながら、秋人は思った。
(森で暮らすのは無理だな)
グエンもガッシュも猟師ではないし、食べられる野草や木の実の見分け方も知らない。何が毒かもわからない。
ゲームでは、筋力や耐久など、前衛系のステータスが高いほど、腹の減りも早かった。それに準拠すると……いや、普通に考えても、優秀な戦士である二人は、大量のカロリーを必要とするはずだ。
お腹が空いたら、食事をする。
日本ではただそれだけのことだった。
しかし、ここでは違う。
体力は無限ではない。体が動くうちに、食料を獲らなければならない。飢えて体が動かなくなったら、それが最後だ。誰も助けてはくれない。
森の中の食物連鎖に組みこまれれば、生き延びるのに必死で、他に何もする余裕はなくなるだろう。
もし秋人一人なら、それでも森の中に留まったかもしれない。
しかし、今はこの四人がいるのだ。秋人がうまくやりさえすれば、街に出ても、彼らが状況を打破してくれるはずだ。
(体が動くうちに、どうにかして人間社会に入りこまないと)
モラルを抜きにすれば、街道を通るキャラバンを襲うこともできるだろうが、それでは人間社会を敵にまわしてしまう。討伐隊が来たら、また逃亡生活だ。秋人の死のリスクがある以上、狙われることは避けたい。
体制が敵に回ったときの厳しさは、あの都市でよくわかっている。
(街中では呪文を使うのもなるべく控えよう。やむを得ないときか、絶対にばれないときだけだ。魔女狩りなんてされたら終わりだ。なるべく正当な手段で、どうにか生活基盤を作らないと)
ある程度余裕ができたら、キャラクターたちにサバイバル用のスキルを習得させて、隠遁生活をしてもいい。
ゲームのAIに準拠するなら、最初は下手でも、ずっと狩猟をすることで、だんだん上手くなっていくはずだ。
(畑をしてもいいか。四人を鍛えて、大工やら栽培やら覚えさせれば、森の中に家を作って暮らせるかもしれない)
安全と生活の糧を確保できたら、また帰還の道を探る余裕も出てくるだろう。
誰も来ない森の奥を切り開き、家と畑を作って、のんびり暮らすのだ。馬でも飼って、近くの街で行商をしてもいい。材料さえ手に入れば、マヤの調合や魔道具スキルで、アイテムも作れる。
流浪の今とは比べものにならない、平穏な生活だろう。
秋人はぼんやりと、そんな光景を夢想した。
◇
次の街までは二日かかった。
少しずつ齧った干し肉はあっという間になくなり、非常食としてバックパックに詰めておいたキノコや木の実、青臭い匂いのする若芽を食べるハメになった。
火を通してからガッシュが毒味をし、ステータスで毒にかかっていないか確認してから、他の四人も口に含む。渋みのある酷い味だったし、しばらくは腹の調子もおかしかった。
救いは、途中で小さな川にぶつかったことだ。水を我慢しないで飲めるということが、これほど有り難いと思ったことはなかった。
夜は、道からギリギリまで離れて野営した。マントを繋いで一枚の毛布のようにし、固まって眠った。
寒さは凍えるようだった。体は眠りを欲しているのに、冷えきった手足のために眠れないのだ。
たき火を起こそうにも、草原にはたまに灌木が生えているだけで、枯れ木も何もない。生の草木では煙が出るだけだ。
森で食料を採るということは頭にあったが、薪を集めて持ち歩く、という考えはなかった。野外生活に慣れていない秋人のミスだが、言っても仕方がない。獣の遠吠えも聞こえる中、くっついて風を防ぎ、手足をこすりながら、気絶するようにして眠りに落ちた。
そうして三日目、陽が傾きはじめたころ。
秋人はようやくその街にたどり着いた。
一面の畑の中に、家がぽつぽつと現れはじめ、やがて通りになっていく。その奥に、門と、横に広がる城壁があった。
脱出してきた都市に比べると小さいが、どことなく秩序だった印象を受ける。門に通じる道以外は、水堀が走っていた。
門を通ろうとしたとき、秋人たちは番兵に呼び止められた。一瞬ひやりとしたが、腰の剣や、背中の弓を見とがめてのことらしい。秋人たちは大人しく従い、横の詰め所に連れて行かれた。
羊皮紙の広がる机の奥に、兵士が座り、こちらに質問を投げかける。
「家族かね?」
秋人はうなずく。
秋人たち五人は、森から出るときに《幻覚》で姿を変えていた。
秋人は中年の男に、ユエルは中年の女に、残りの三人はそれぞれ、顔や髪を地味なものに。
夫婦に、息子二人、娘一人という構成だ。
万が一子爵の目に止まらないように、念には念を入れての変装という意味でもあるし、家族なら怪しまれることも少ないだろう、という判断でもある。四人とも容姿が容姿なため、歩いているだけで目立つ。性別を変えるならともかく、容貌を多少変えるだけなら、《幻覚》も見破られにくい。
それが当たったようで、秋人たちはいくつか質問を受けただけで解放された。
出身地について聞かれたときはひやりとしたが、とっさに、森の奥を切り開いて暮らしていたこと、畑がダメになったので街に出てきたと、適当に言うと、かえって同情される始末だった。
仕事のあてはあるのかと聞かれ、首を振ると、救貧院のことまで紹介してくれた。
しかし、武装については、ナイフや短剣は許されたが、長剣や弓は持ち込めず、封印処理をされ、後で返されることになった。封印後も、許可のない者が持ち歩くと処罰されるらしい。
兵士の手際は慣れていて、次々と手続きが進んでいった。武器がまとめられ、目印の札がつけられる。
(なんか制度が整ってるというか……街も綺麗だな)
詰め所から出たあと、奥に広がる街並みを見て、秋人はそう思った。
あまりゴミが落ちていない。家々も古くはあるが、よく手入れがされていて、道端に物乞いを見かけることもない。
逃げまわっていたあの都市は、確かに活気もあったが、どこかから聞こえる怒鳴り声や、うらぶれたスラム、盗品とおぼしきものを売る露天商など、殺伐としたところもあった。
それに比べてここは、秋人でも暮らしやすそうな、明るい雰囲気がある。通りがかる人たちも清潔に着飾っていて、土埃と垢で汚れた秋人たちの方が、じろじろ見られている。
途中で通りがかった広場で、食欲を誘う匂いのする屋台を見つけて、秋人の腹が鳴った。五人分の銅貨を財布から取り出し、秋人はそちらに向かう。
街ではお金があれば、すぐ食料が手に入る。荒野で飢えに苦しんだあとでは、それは素晴らしいことに思えた。
(まず腹ごしらえだ。腰を落ち着けて、それから仕事探し)
手元には、日付の刻まれた滞在証がある。三日以上留まる場合は、役場で手続きをしなければならないらしい。そこで武器も返して貰えるという。
心理的にはもう少し子爵の都市から離れたいが、とりあえず当座の金が稼げるまでは、ここで過ごそう。秋人はそう決めた。
◇
救貧院は神殿付属の施設らしく、L字型の、二階建ての大きな建物だった。灰色のローブに、胸元に鎖をつけた神官たちが管理していた。
宿泊と朝食が無料で、朝にはパンと野菜スープが配られる。
利用は二週間までで、それ以上は有料。
宿泊所は大きな広間で、プライバシーはなきに等しいが、屋根があるだけでもありがたい。
中央には囲炉裏があり、木造の床でマントにくるまって眠るだけでも、野営と比べれば天地の差がある。
秋人たちの他には、若い母親と女の子の母子と、中年の男が泊まっているだけだった。特に関心もなく、荷物に見張り番をつけて関わらないようにしていたが、男の方から秋人に声をかけてきた。
髪のやや後退した、四十台ぐらいの男で、にこやかな笑みを浮かべて言った。
「こう寒いとたまらんねえ。こっちに来て火に当たっちゃどうだい?」
当然ながらAIたちは反応せず、黙々と就寝準備を進めている。
見た目的にも、自分が家長である。仕方なく秋人は応答した。
「……いや、遠慮しとくよ。眠いんだ」
「まあそう言わずに。お近づきの印だ」
そう言って、懐から何かを取り出す。酒のつまみになりそうな、ドライソーセージだった。よく見れば、右手にはエール入りらしい革袋が握られている。
食料を出されると弱い。秋人はしぶしぶ腰を上げ、囲炉裏のそばに座った。差し出されたソーセージを齧りながら、話を聞いた。
「外から来たのかい?」
「ああ」
「仕事を探しに?」
「まあ、そうだ」
男は声をひそめ、小声で言った。
「儲け話があるんだが、どうだい?」
「儲け話?」
「ああ。あんたは信用できそうだから、こうやって打ち明けてるんだがな。内密の仕事なんで、人手が足りなくてね。お上に叱られるような仕事じゃないから安心しな。ただし、家族にも秘密だ」
その言葉に、秋人はじっと考えこむ。
金は欲しいが、どう考えても不審だ。
この男が救貧院にいるのも、金に困っていそうな人間を見つけるためだろう。ろくな手合いではない。
必死の思いで街に到着して、すぐに犯罪者になるつもりはない。
「すまないが……」
「心配するこたないぜ? 俺が保証するからよ!」
お前の保証が何のあてになる。
そんな言葉を飲み込み、秋人は黙って首を振る。
それを見ると、男は急に冷淡になった。
「そうかい。ならいいや。せいぜい気張って働きな」
それきり会話は途切れた。
無言の気まずさはあったが、壁際に戻り、他の四人と一緒に横になると、すぐに睡魔が訪れた。三日ぶりの熟睡だった。
翌朝。すでに男の姿はなかった。
朝食のあと、救貧院の人間に、仕事を探していると伝えると、ちょうど人足の仕事があった。新村開拓のための物資の切り出しだとか。
秋人、グエン、ガッシュの三人はそちらに向かい、マヤとユエルは荷物番をしながら、神殿と救貧院の手伝いをすることになった。
AIに仕事をさせるのはかなり不安だったが、遊ばせる余裕もない。
常にモニターしておくことにして、秋人たちは仕事場に向かった。
◇
終わってみれば、相当な重労働だった。
肉体労働をしながらモニターもしていたので、精神的な疲労も激しい。
グエンとガッシュは秋人の近くで働いていたので、フォローは簡単だった。砂を詰めた袋を運んだり、切り出した石を馬車に乗せたりといった作業だ。飛び入りで勝手がわからないので、言われるままに運搬だけをしていた。
問題は神殿組の方だ。
最初は井戸のそばで、たらいと洗い板で洗濯をしていたが、手の動きがぎこちない。その次は掃除だが、やはり手際が悪く、かなり時間がかかった。
ゲームでも家事スキルというものはあったが、家の清潔度に影響するだけで、ほとんどフレーバー的要素でしかなかった。当然二人ともゼロだ。
二人が元の令嬢のような見た目なら、まだ違和感はなかっただろう。
しかし、今は農家の母娘という格好である。それが家事ができないとなれば、当然、奇異の視線で見られてしまう。
最後には、中庭で豆を日干しする仕事を与えられていた。黙々と豆の殻を剥き、地面の上に広げた布の上に転がしていく作業だ。
荷物をそばに置いて、母娘で手を動かすその光景は牧歌的ではあるが、日常生活で役立つスキルがAIにほとんどないというのは、はっきりしてしまった。
(何かスキルを活用して金を稼げればな。ユエルの治療院とか……まず建物が必要か。その元手がない。なら辻治療は……確実に神殿に目をつけられる。今日見た感じ、こっちの神官もそういう商売をしているようだし。常識知らずが横から割りこむと、ろくなことにならないだろうな……。商売するのに、領主の営業許可が必要とかありそうだし)
マヤの調合も材料が必要だし、ポーションを売るためには、地道な営業活動もいる。信頼度ゼロの人間が作った謎の薬を、いきなり買おうとする者はいない。
結局、キャラクターの力で手っとり早く稼ごうと思うと、荒事になってしまうのだ。
(襲ってきた奴らを返り討ちにしただけで、あれだけ稼げるんだもんな)
今日の労働の報酬は、合わせて六銀貨といったところだ。神殿組は食料をわけてもらう約束だから、現金は入らない。
パンがだいたい二銅貨なので、五人で三食食べれば、一日で三十銅貨だ。銀貨換算で三枚、賃金の半分が飛んでしまう。パンだけで生きていけるわけもないので、もっとかかるだろう。
それに引き換え、男たちから奪った金や、武器、宝石、道具類を売り払えば、一ヶ月は楽に食べられそうだ。山賊が割がいいのもわかる。
商売の環境さえ整えば、マヤとユエルも無限の可能性を秘めている。
しかし、その環境を整えるのが難しい。
秋人が金策について思いを馳せている中、ようやく注文した食事が届いた。
テーブルの上に、湯気の立つ料理が大皿で並べられていく。
平べったい黒パン。豚肉と野菜がごろごろ入ったスープ。刻みキャベツの漬物に、ベーコンと茹でた豆の付け合わせ。
周りの席の喧騒をよそに、五人とも、味を噛みしめるように、黙々と食べていく。
昼の仕事仲間に教えられた食堂で、肉体労働者御用達の、味より量といった雰囲気の場所だが、きつい労働の後では、今まで食べたどんなものよりも美味しく感じた。
なにしろ仕事の休憩では、硬いパンを一個食べただけだ。
もともと料理の味に頓着する方ではなかったが、食事が一番の楽しみ、という人間の言葉も、今ならわかる気がする。
(料理はやっぱり必須スキルだ)
マヤとユエルに、料理を覚えさせることを決意する。
ガッシュとグエンは……まあいいだろう。いくらAIとは言え、どうせ食べるなら見た目美少女の手料理の方がいい。
料理を食べ終わり、満足して顔を上げると、とっくに食べ終わっていたガッシュが、隣の席を見つめていた。その視線を追うと、シチューのような煮込み料理がある。パンをつけて、すくって食べるようだ。
(……食べたいのかな?)
あらためて観察すれば、どことなく物欲しそうな表情にも見える。
秋人は苦笑して、グエンの分も一緒に注文をした。
前衛組は腹が減るだろう。
追加の料理を猛烈な勢いで食べはじめた二人の様子を、秋人はほのぼのとながめる。
(父親の気持ちってこんな感じか? 妙に生ぬるい感覚だ……。二人とも、今日は頑張ったもんな)
彼らには何度も助けられている。秋人一人だったら、とっくにあの世だろう。
AI相手に借りを感じるわけではないし、秋人自身は彼らを道具と割り切ってもいるが、欲求を満たすぐらいのことはしてやりたい。
愛用の道具を、感謝を込めて丹念に手入れする、そんな感覚に近いだろうか。
(なにか割のいい仕事でも見つかれば)
安定した食事ができるだけ野外よりマシだが、今のままではろくに貯金もできない。
食事が終わったあと、再び金策に頭を悩ませながら店を出ると、ふと目に止まるものがあった。
通りの向こうを、救貧院で見かけた男が歩いていた。隣に、うつむいて歩く女の姿もある。
(あれは……救貧院で見かけた母親の方か)
昨晩の、男の儲け話とやらを思い出す。
秋人に断られたあと、母子の方にも声をかけたのだろう。よほど切羽詰まっていたのか、女はそれに乗ったのだと見える。
(やめておけばいいのに……まあ関係ないか)
秋人は視線を逸らし、歩きだした。
◇
救貧院に帰り、宿泊広間に入ったところで、秋人は面食らった。
昨日の五歳ぐらいの女の子が、部屋の隅に一人で座っていたのだ。
確かに母親が出かけているのだから、一人なのは当たり前だが。
(不用心な)
そう思ってしまう。
女の子は無言で、じっと膝を抱えて座っている。表情はなく、床に視線を落としたままだ。
一人で母の帰りを待つその姿に、秋人はなんとも言えないものを感じる。
(なんだかなあ……)
飴玉でもあればいいのだが、そんな気の利いたものはない。
(非常食に買ったビスケットぐらいか。美味くもなかったけど……まあ、ないよりは……)
『ユエル、これ、あの子にあげてこい』
中年のおばさんである今のユエルなら、小さい子を怖がらせることもないだろう。
ユエルはうなずき、とてとてと近づく。
女の子は足音に顔を上げたが、無表情に近づくユエルに、びくっと怯えてしまった。
『ユエル、怖がらせるな。笑顔だ。笑顔』
その指示に、ユエルはぎこちない笑みを浮かべる。女の子は戸惑ったようにそれを見上げ、差し出されたビスケットに気づく。
本当に貰えるのかと、ユエルの顔とビスケットを見比べる。
ユエルがこくこくと頷くと、女の子は恐る恐る、ビスケットを手に取った。
少しずつかじりはじめるが、お腹が空いていたらしく、あとは一気に食べてしまった。
『もういいぞ。戻ってこい』
こちらに戻ってくるユエルを追って、女の子の視線がこちらに注がれた。
物足りなそうである。
(ビスケットは非常食だし、こっちにも余裕はないんだ。そう何枚も……)
女の子はしょんぼりしながら、指についた細かなかけらを舐めとりはじめた。
(…………)
葛藤が襲う。
(……まあ……もう二、三枚ぐらいなら……)
ユエルに指示を出そうとしたとき、広間に入ってくる者がいた。
荒っぽい雰囲気の、二人組の男だ。
二人は広間を見渡すと、女の子に目を止め、近づいた。
「こいつか?」
「歳はあってる。行くぞ」
そう言うと、怯える女の子の腕を掴み、引きずり上げた。
「おい、何してる」
思わず、秋人は立ち上がって言った。
男たちは無言で秋人たちを眺め、そのまま女の子を引きずって行こうとする。
『あいつらを止めろ!』
グエン、ガッシュが立ち上がり、男たちに飛びかかった。
「んだこらあっ!」
男たちの怒声があがるが、二人ともすぐに床に転がった。屈強な戦士に関節を極められ、床に押さえつけられて、苦痛にうめく。
怯える女の子は、ユエルが後ろに守っている。
「……なんでこの子を連れて行こうとしたんだ」
「てめえらには関係ねえだろが!」
実はこの男たちは母親の使いで、女の子を迎えにきた、という可能性も考えていたのだが、それもなさそうだ。
あの男の儲け話とやらに、こいつらも関係があるのだろう。
母親もどうなっているか。
震えて怯えている女の子を見て、秋人は深く息をつき、外出するためにマントを羽織りなおした。