◇
「何……冷たい……?」
寝起きのぼんやりした思考のまま、秋人はつぶやいた。体の下にある冷たい石床の感触から逃れるように、緩慢な動きで手をついて、身を起こす。
まだはっきりとしない視界で、あたりを見回した。
そこは薄暗く、地下室のような場所だった。遠くに燭台のような炎の揺らめきがあり、それがかすかな光源となっている。
その明かりに照らされて、自分の他にも倒れている人影がいくつか見えた。
突然、近くで男の声がした。
「おお! こっちは意識があるぞ!」
その声に、周囲が騒がしくなった。
近づいてくる人の気配。
秋人は状況も掴めないまま、ぼんやりと周囲の暗闇を眺めていた。
◇
それから三日。
◇
「はあ……召喚……」
「はい。我が教団に伝わる救世の儀式によって、勇者様を召喚させていただきました。なにとぞ、この国をお救いください」
ということだった。
ベッドから半身を起こした秋人の前で、少女がひざまずいている。確か巫女と名乗っていた。名前は長ったらしくて覚えていない。
巫女。
みこ。
秋人は脳内でその言葉を反芻する。
(どうも……夢じゃないな、これは)
三日をかけて、秋人の精神はようやく現実に戻ってきた。
あの地下室に連れてこられてから、さまざまな人間が、さまざまなことを、秋人に向かって話しかけてきた。
それらの大半を秋人は覚えていない。まるで夢のような、ふわふわした記憶があるだけだ。ほとんど茫然自失の状態だった。
明らかに現代の日本とは違う、中世然とした館の中で、瞳の色も髪の色も違う人間たちに取り囲まれ、なぜか通じる日本語で、怒濤のように情報を詰め込まれ、あっけなく精神がオーバーフローした。
かすかに頷いたり、うめき声をあげるだけの秋人を見て、彼を召喚した人間たちは、何か問題が発生したと思ったらしい。
ベッドに押し込められ、使用人と医者にかしずかれながら、秋人はベッドの中で、ただひたすら呆然としていた。
そうして三日。
目が覚めたあと、窓の外に写る空を見て、ぼやけた視界の焦点が合うように、精神のピントがすっと合った。
理性の戻った彼の瞳を見て、使用人の一人が、目の前の巫女を連れてきたのだ。
話が通じるのは、召喚の儀式に、自動翻訳のような効果があったためらしい。そんなことを言われた記憶が、この三日の中に、かすかにある。
秋人は、視線を巫女の方に戻した。
(普通の状況なら、一目惚れしてるだろうな)
そんな、目の覚めるような美少女だった。
しかし、現実感の薄いこの状況では、他人事のような感想しか抱けない。
秋人はぼんやりと言った。
「帰りたい……帰れませんか?」
巫女は顔も上げず、無言で応える。
勇者、という言葉に、得体の知れない気持ち悪さを感じる。
それはファンタジーの言葉であって、現実に、この身に降りかかってくる言葉ではない。
巫女が口を開いた。
「我々の力では、元の世界にお返しすることはできません。天から星を落とす術でありますれば……星は天には返せませぬ」
もともと答えは期待していなかった。他人を否応もなく拉致したのだ。返すわけがない。
「そうですか……」
嘆息した秋人に、巫女は言葉を続けた。
「ただ……北の魔王であるリッチは、様々な魔法の品を所有しているとか。それらを手に入れれば、あるいは、天に渡ることも……」
(そうきたか)
帰りたければ、戦えと。
わかりやすい手ではある。
しかし、話が早すぎる。ほとんど脅迫だ。あまり説得の必要性を感じていないのかもしれない。どうあがいても、従うしかないと。
「魔王というのは、そんなにたやすい存在なのですか」
「……なんと?」
「俺は戦えませんよ。ただの学生です。人と争ったこともない。そんな人間に倒せる存在なのですか?」
巫女は顔を伏せ、
「……申し上げておりませんでしたが、この儀式で、何の力も持たない者が召喚されることはありません。少なくとも、魔王を倒せる可能性を持った存在を、その力の重さによって、天から呼び落とす術にございます」
暗に、嘘をつくな、力を隠すな、と言っているらしい。
しかし、秋人は正真正銘の、ただの大学生だ。秘めた力などない。断言できる。
(可能性……なんだ? 可能性なんて、誰にでもあるだろう。大きいか小さいかの違いで……いや、今の時点で考えても無駄か)
戦うつもりはない。そんな力もない。
だが、それを目の前の巫女に言うつもりはなかった。
勇者、という枠に当てはめようとする、嫌なプレッシャーを、周囲から感じるのだ。
自分を守ってくれる存在はいない。機嫌を損ねれば、どうなるかわからない。今は媚びるしかないのだ。少なくとも反抗すべきではない。
「そういえば……」
ふと思い出す。
「召喚されたのは俺だけですか? 他には?」
あの地下室には、倒れている人影が複数あった。そして、『こっちには意識があるぞ』という、あの言葉。
巫女は無言のまま、じっとひざまずいていた。顔を伏せているため、その表情はうかがえない。
沈黙は長かった。
教えるべきかどうか、迷っていたのかもしれない。あるいは、この沈黙の間に、誰かと連絡を取っていたのか。
そういった魔法的な物の可能性を、秋人はすでに考えに入れはじめていた。
巫女がようやく口を開いた。
「今回の儀式では、五人の勇者様が、召喚に応えられました」
ということは、自分の他に四人。
予想外に多い。日本人だろうか?
会いたい。
急激な欲求がわきあがってきた。空気の肌触りさえ違う場所に連れてこられて、気づかないうちに孤独感を深めていたらしい。
わけのわからないことばかりで、地に足がついていないのだ。人と、同じ世界の人間と、会話がしたい。そうすれば、状況を受け入れられるかもしれない。
「会わせてください」
「……それは」
「今すぐに」
秋人の目を見て、引かないことを悟ったのか。
巫女は無言で、部屋を出て行った。
◇
期待は、失望で迎えられた。
目の前のベッドには、光のない目で虚空を見上げる少女が横たわっている。
巫女は言った。
「召喚の儀式から、ずっとこの様子で……。召喚に応えきれず、精神と肉体の繋がりが切れてしまったのではないかと……」
眠っているわけでもなく、ただ心の動きがないのだと。
四人とも、そうらしい。
全員が、日本人ではなかった。
二十代の男が二人、十代後半の少女が二人。
髪の色も様々だ。全員が整った顔だちで、男は凛々しく、少女は美しかった。
そんな彼らを見て、秋人はなにか引っかかるものを感じた。
その容貌は日本人のものではないが、西洋人とも違う。
なのに、どこか馴染みのある……
「あ」
秋人の声に、巫女はいぶかしげに、
「何か?」
「い、いや……なんでも、ない」
適当に誤魔化しながら、秋人は考えこむ。
(そういうことなのか? それなら、こいつらに意識がないのもわかる。召喚、召喚か……。そんなのまでアリなのか? わけのわからん魔法だ……)
考えこむ秋人に向かって、
「勇者様だけが、最後の望みなのです。なにとぞ、我が国をお救いください」
巫女の言葉に、秋人は沈黙で応えた。
◇
その夜。
ベッドに寝ころびながら、秋人は、空中に浮かぶ四つのウインドウに目を走らせていた。
名前:グエン 性別:♂
レベル:87
クラス:パラディン
AI:休眠
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名前:ガッシュ 性別:♂
レベル:92
クラス:ウォーロード
AI:休眠
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名前:マヤ 性別:♀
レベル:95
クラス:ハイウィッチ
AI:休眠
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名前:ユエル 性別:♀
レベル:87
クラス:ハイプリースト
AI:休眠
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『詳細を見る』に意識を走らせると、さらに他のステータスが表示される。
名前:ユエル
HP:150/150
MP:327/327
筋力:20
知力:42
信仰:90
体力:40
敏捷:45
≫スキル ≫アイテム
「なんでこいつらが来てるんだ」
ウインドウを見ながら、秋人はつぶやいた。