〜〜〜〜〜〜 夕食後、桜田邸・洗面所 〜〜〜〜〜〜
「サファイア、敵情を。エメラルドは皆の持ち物を確認なさい」
「ヤー・サー」
「ほらほらー、ちゃっちゃと袋から出すですよっ」「うぃー」「これだけたくさん持ってきたから忘れ物なんてないかしらー」
「何ちんたらやってんのよ、置いてくわよぉ」
「暫く待つのだわ。団体行動とは手間の掛かるものなのよ」
「──大丈夫。マスター達まだ部屋に居るみたいだ」
「そう。では早急に出立するとしま……」
「あーっ、これ昨日食べ損ねたクッキーなのぉぉ」「なんですってぇ、ちょっとアンタ何ガメてんのよ」
「やけに少なかったと思ったらそういうからくりですかっ」「な、長丁場になるなら腹ごしらえが必要だと思ったかしら……」
「だからって独り占めはズルすぎですぅ」「お仕置きが必要だよねこれって」「テンチューなのぉ」「ピェェェー……」
「……本当に、とことん手間の掛かるものなのだわ……」
〜〜〜〜〜〜 桜田ジュンの部屋 〜〜〜〜〜〜
何やら階下からドタバタと騒ぐ音が聞こえて来る。どうせ八時からの番組のチャンネル権争いであろう。こっちの気も知らんと脳天気な人形どもである。
無駄に防音機能の高いドアを閉め、さて、と部屋の中を見回す。
部屋の備品というか、恐らく真紅のためにジュン君が通販で買ったのだろう丈の低い卓袱台を囲んで、お三方が座っている。
改めて考えると奇妙な風景だった。つい先日まで同級生や知り合いだった人が、半分ほどの背丈になってちんまりと集っている。
どれだけ人間に近いといっても、薔薇乙女さん方はドールだ。これまでさして違和感なく接してきたのは、残念人形どもと数カ月も過ごしてきたお陰でスケール的な、あるいは人形が勝手に動いて喋ることのあれこれに関して耐性が付き過ぎているからに違いない。
ジュン君と入れ替えられてしまったのは、そういう点で入れ替えても問題が少ないと見られたからなんだろうか。判らん。
いずれ機会があればキラキーさんに訊いてみなければいかん、と思いつつ床に腰を下ろす。
「──やっぱり時間で区切りをつけて欲しいです。そうでないと何かあった時に……」
「ネジが切れるときまで粘らなければ邪夢君に同伴してもらう意味がないよ」
「そりゃそうですけど、万が一何かあったら……取り返しがつかなくなっちまうです。邪夢を連れてくだけでも大変ですのに」
「ピチカートだけでもここにいれば、連絡させることが出来るのに……」
「それはもう何度も聞いたですよ。人工精霊が居たらどんなに捗るかなんてみんな判ってます」
「そうね……無い物ねだりだったかしら」
どうやら翠星石の仕切り屋に似せた我儘というかゴリ押し気味な態度は昨日のまま変わってないらしい。
昨日は専ら矛先を向けられる役だったからそれどころじゃなかったが、こうして見ると相当焦っているように思える。
残るお二人の方は対照的だった。蒼星石は一応指摘する分には正面から向き合う姿勢でいるものの、金糸雀は受けるというより流している。
一方、当の本人は調子を変えようとしていない。何やら空周りが目立ってしまっていた。
焦って当然ではあるんだけな。自分のマスターさんの中に別人が入り込んでて、肝心のマスターさんの意識は行方不明なんだから。
ただ、焦ってもしょうがないと残りの二人が見切っているのに、翠星石だけがバタバタしている理由はイマイチ判らない。
性格なのか、それとも何か特殊な事情があるのか……あ、恋愛関係なのか? やはりジュン君を一刻も早くって気持ちが大き過ぎて……そいつも大いに有り得る。
一刻も早く探したいが、肝心のジュン君のボディに危険を冒させる訳にも行かない、ってか。それならば苛々するのも無理はない。
「念の為に持ってくくらいお安い御用だぜ? 腕時計はないらしいが、枕元の目覚ましでも。あの不思議時空の中でも時計が動くんなら、だけどな」
「時計がなくても私達は時間を知ることが出来ますけど……」
「何があるか判らないもの、持って行ってくれると助かるかしら。大丈夫、機械式の時計は時を刻んでいたわ」
「了解っス」
「くれぐれも時計を過信するなです。正確に動いてくれるかは判らないのですから。食い違っていたら蒼星石に従うのですよ」
「そいつも了解。まあ、無いよりゃマシだろ」
「後は連絡する役がいれば万全かしら」
「全然万全じゃないですけどね。やっぱり私か金糸雀がついて行くのが……」
「それは断ったはずだよ。どちらかと言えば二人に待っていてもらう方が安心できる」
「で、でも──」
なんだ、また堂々巡りか、とうんざりしかけたところで、ドアの近くから意外な声が割り込んだ。
「──その役……私が務めましょう……」
〜〜〜〜〜〜 第九話 薔薇は美しく散る(前) 〜〜〜〜〜〜
ここで新ヒロイン登場、であれば漫画か何かならさぞかし盛り上がったところだろう。この場に未だ顔を見せていない薔薇乙女の誰かであれば興奮は最高潮だったに違いない。
例によって現実は散文的というか、ごくありきたりなものだった。
「ぬお、居たのかばらしー。居間でテレビ見てるとばかり」
「部屋の隅で本読んでました……」
「気付かなかったわ。このカナの目を欺くとは凄い技かしら」
「ふっふっふっ……実体を見せず忍び寄る白い影……です。……ぶい」
「やめい。この状況で科学忍者隊の口上は流石に洒落にならんぞ」
「あぅ……すみません」
「まあまあ、怒らなくてもいいかしら。貴女はnのフィールドに出入りしたことがあるの?」
「……鏡抜けなら、何度か……」
そういやそうだったな。
うちに来るときは歩きだったが、少なくとも残念人形どもに連れられてうちの高校に観光に来たときは鏡抜けを使ったという話だ。
思えばあれがこのゴタゴタのもうひとつの発端だった。石原美登里──翠星石に呼び出されただけなら、例のドールショップに立ち寄ることなど思い付きもしなかったはずだ。
それは置くとして、あの鏡抜けの特技はnのフィールドを利用した行き来だった訳だ。当時人形どもが動いていたからくりやら、ばらしー自体の製造というか改造の経緯を考えれば頷ける話だった。
いやしかし待て。あの時は人工精霊の欠片が埋め込まれていたが、今のコイツ等は何を動力源にしているのか判らん状態である。鏡抜けのからくりは人工精霊のパワーだったってオチはなかろうな?
「大丈夫です……試してみました……みんなで」
「なんだと、何時の間に」
「皆さんがお休みになってから……洗面台の鏡からこっそり……多分今も……」
「ちっ、試すなら一言言ってからにしやがれってんだ。しかも何も今日やらんでも」
「……一昨日から毎日です」
「……なんてこった」
コイツ等が宵っ張りなのは知ってたが、まさか夜な夜な遊びに出掛けてたとは。訪問先で阿鼻叫喚の地獄絵図が……と、それはないのか。僅かな慰めだな。
しかし物置部屋にでかい鏡があるのに、わざわざ洗面台かよ。僕の家じゃあるまいし。
まあ、何処から出撃しようと構わんが、頼むから窃盗その他の犯罪を犯すことだけはしないでくれ。お兄さんとの約束だ。
微妙な空気が流れる中、蒼星石がばらしーの顔を覗き込む。
「君は、何処の扉に戻れば何処に出るか、感知できるのかい」
「はい……凡そは……。黒いお姉様や青いお姉様達よりは……確実だと思います」
「クリ子は最初の頃、襲撃に来るのに毎回迷っとったからなぁ」
「青いお姉様と緑のお姉様は……全然無関係のおうちに……」
「うむ。そのお陰で無辜の市民に精神的大損害を与えた。返り討ちでサファ子も見事にバラバラにされたが」
「ばれんたいんのチョコ……渡して……チャラにしたと言ってました」
「なぬ。あの板チョコはあいつの所に持ってったのか……いや、それはどうでもいいんだが」
いかん。真剣な場面だというのに、人形どもが絡むとどうも脱線ばかりになってしまう。
ばらしーのマイペースさは伝染しやすいのである。特に僕のようなフラフラした奴には。
翠星石の視線が実に冷たくなっておる。取り敢えずこれ以上話をこじらせないよう、ばらしー共々暫く受け答えだけに専念することにして、お三方には話を本題に戻してもらった。
ぶっちゃけ、本人形が言うほどばらしーがしっかりしているとは思えない。
他の人形どもよりは数段素直かつ有能(僕の家を自力で探り当てる程度には)とはいえ、ばらしーは所詮人形だ。トランスフォームした際に見た目が派手なだけの能力を身に付けたのも、それが普段の生活に何の役にも立たんことも他の連中同様であった。
ついでに言うと、こっちとしてはばらしー以外の人形を小脇に抱えて行く方が気が楽なのである。
今晩の遠足に危険が伴うなら尚更同行させたくない。素直な子だからなるべく辛い目に遭わせたくない、というのもまぁあるが、大きな理由はその来歴にあった。
今はなんとなく僕の所持品という扱いになっているようだが、ばらしーは元々サイカチが目玉の飛び出るような額を支払って購入したドールなのである。もっとも、金と時間をたっぷり掛けられたそのボディは既になく、遥かに高性能なガタイに変化……というか乗り換えたというか、そんな形になってはいるのだが。
ともあれ、以前のようなお客さん扱いはしてないものの、こっちとしてはあまり手荒に扱う訳にも行かないのである。出来うればこの姿のままサイカチの手に返してやりたい。となれば、幾つかの意味で多少粗略に扱っても良さそうなガネ子やらプリ子辺りの方が、何の役に立たなくとも持って行くには気楽なのであった。
揉めるか意見を求められたらそんな話をするつもりでいたのだが、幸か不幸かその機会は訪れなかった。
何故か蒼星石はばらしーを同伴させることにえらく乗り気で、その後の会議というか話し合いはそれが前提のまま、えらくあっさりと進んだのである。
ばらしーが気に入られた理由はよく判らん。ただ、これまで一週間近く一つ屋根の下で暮らしてきた各人形の性格を蒼星石が把握しているなら当然の反応かもしれない。
天然ボケが発揮されるのか茶目っ気を出すのか、たまに妙な行動を取ることはある。しかしそれを割り引いても、人形どもの中で無難に「お仕事」をこなしてくれそうなのはばらしーだけであった。他の連中のレベル、推して知るべしである。
自ら赴く蒼星石が前向きとあってか、他のお二人も表立った反対は唱えなかった。
翠星石はあまりいい顔をしなかったが、連れて行かないよりはマシだと自分自身を納得させたようだった。金糸雀も幾分冴えない表情ではあるものの、自分が言い出した連絡係をどうにか務められそうだと思ったのか、小刻みに何度か頷いて同意を示していた。
何やら気圧されているようにも見えなくもない。それは大分穿った見方かもしれんが、昨日に続いて話し合いを蒼星石が仕切っていることは間違いなかった。
──ひょっとして二人にとっては、蒼星石がこんな風に仕切ること自体意外なんだろうか。
ふとそんなことを思う。
石原葵としての蒼星石しか碌に知らない僕にとっては特に感慨はない。クラスメートとしての葵は普段それほど出しゃばって発言する方ではなかったが、言うべきことははっきり言う方だったし、必要なら(指名されたりすれば)クラスの音頭を取ることもないではなかった。
ただ、それは姉妹といたときの蒼星石にはない姿だったかもしれない。金糸雀にとっては、言い方は悪いが彼女は何処までも双子の妹の片割れであり、翠星石にとっては自分の半身のようなものだったろう。
キラキーさんを除く姉妹六人揃った時には、音頭取りは水銀燈か真紅がやっていたんだろう。あの店で垣間見せたように──
あれこれ考え始めたとき、その蒼星石の素っ気ないほどあっさりした宣言で、短い話し合いは終わった。
「──そろそろ始めようか」
「あいよ」
「……はい」
結局こと細かな確認まで含め、会話は全て薔薇乙女さん達の間の意見調整のようなものであり、僕に話が振られることはなかった。ばらしーに対しても、念押しで一度だけ同行の確認があったきりだった。
まあ、だからどう、ということはないと思うのだが。
腰を上げ、さて持って行くか、とベッドの上の目覚ましに手を伸ばす。時刻を見ると、午後八時を回ったところだった。
ばらしーが同行を申し出てから十分かそこらしか経っていない。話し合いといってもその程度の内容だった。
物置部屋に降りて行くと、既に人形どもの気配はなくなっていた。
その代わりに洗面所のドアが半開きになっている。ばらしーの言ったとおり、今日は僕等の起きている内から行動を開始したらしい。とことん勝手な連中である。
ばらしーだけ連れて行かなかったことに何やら不穏な理由がありそうな気もするが、それはまたお互いに戻ってからのお楽しみとしておこう。
薄暗い中、でかい鏡に向かい合う。弱い逆光の中、イケメンになることが予定されている可愛い系入った中学生が立っており、数歩後ろに小さな女の子達が並んでいる様が映し出されていた。
映画みたいだな、と思ってしまうのは左右反対になっているせいだけではあるまい。慣れてきたとはいえ、この物置部屋、いや桜田邸の家屋自体が僕の感覚では日常よりも映像作品の方に近い雰囲気を持っていた。
ばらしーがとことこと歩み寄り、ちょんちょんと鏡に触れる。鏡抜けできるかどうか試しているつもりなのだろうか。
僕もつられて鏡面に手を触れてみたが、冷たい平面ガラスの感触しかなかった。中の人にマエストロパワーがないからなのか、あっても無理なのかは知らんが、僕単独でこれを移動手段に使うことは不可能らしい。
蒼星石はこっちが何を考えているか読んだように苦笑すると、僕の脇に並び、小さな手を鏡面に添わせる。それで漸く鏡は普通でない反応を示し始めた。
手を当てていたところから同心円状に波紋のようなものが広がっていく。蒼星石が息を整えて少し前に出ると、その腕がずぶずぶと鏡の中に飲み込まれ始めた。
そのままずるりと入り込むのかと思ったが、蒼星石は片腕を鏡に突っ込んだままの姿勢で僕を振り仰ぎ、にっと笑うと今度は後ろのお二人を振り向いた。
「それじゃ、行って来る」
「頑張って行ってらっしゃい、かしら」
「ちょっとでもなにかあったら必ず戻ってくるですよ」
「うん」
笑顔で片手を振る金糸雀と心配を隠そうとしない翠星石、仕種は対照的な二人をそれぞれ安心させるように蒼星石は頷いた。
もう一度僕の顔を見上げ、僕の空いている方の手を掴むと、波立つ鏡の中に足を踏み入れる。
僕も後ろを振り向き、それじゃ、とお座なりに頭を下げる。ばらしーも同じようにぺこりと頭を下げてから僕の服の裾を掴んだ。
僕等は一応ひと繋ぎと言える状態で鏡の中に入り込み──
「──っ!」
「ひゃう」
「うおっ寒っ」
国境のでかい鏡を抜けたらそこは雪国であつた。底が白くなったかどうかは知らんが、少なくとも昼間じゃない。
雪は降ってないのだが、とにかく寒い。まるで少し前の季節に逆戻りである。
その上真正面からやたら吹きつけて来ている。襟がバタバタ鳴るほどの強い風だった。なんなんだ一体。
首を竦めてコートの襟を立て、一歩前で正面から通りを吹き抜けて来る風に耐えている蒼星石を抱え上げる。ばらしーは……えらく機敏な動作で屈み込んだ僕のコートの懐に自分からよじ登ってきた。前から思っていたが結構ちゃっかりしたヤツである。
それはともかく、この風どうにかならんのか。この間とはえらい違いである。
大体、風景からして全く別物じゃねえか。
なんとなく見覚えがあるような、どこにでもある住宅街の一角。上下の感覚もあれば気温の感覚も(寒いと感じてるのだから当然)ある。匂いは……うん。蒼星石がいつもの香水らしきものを付けてるのはわかる。
あの日の暗黒空間との共通点と言えばやたら暗いこと程度だが、今の時刻を考えたら何もおかしなところはない。有り体に言って、ドアを開けて戸外に出ただけのような案配だった。
「転送失敗で外に吐き出された……か?」
「いいえ……ここはnのフィールド……だと、思います」
「うん。向かおうとしていた領域とは違う所だけどね」
「なんと……面妖な……」
「それはそれで一大事じゃねーかよ。大丈夫なのか」
「元々、こういう不確定さのある場所なんだ。ある程度予期はしていたけど……やはり、君と一緒に潜ったことが原因だろうね」
「案の定、お荷物だったってことか。道理で翠星石のやつが嫌がったわけだ」
「あはは……。お荷物というよりは、僕の方が邪夢君に引き摺られたと言うべきかな。ここは君の第0世界だから」
「ん、んん? 僕の世界?」
「そう。ここは裏から見た現実世界。その意味では鏡のあった位置から全く移動していない。
君自身の身体の視覚器官でなく、少し深いところの意識を視点にして、さっきまでいた世界を擬似的に見ている、とも言えるね」
「……ほぉほぉ、なるほど」
「あの……よく理解できないのですが……」
「安心しろ。こっちも一応相槌打ってみただけだ」
「ふふ。そうだね……僕の舌足らずな説明よりも、自分が感じたものを受け容れればいい。ここはそういう場所だから……自分の姿を見てご覧、邪夢君」
と言われても鏡があるわけでもない。
誰も居ない街路の真ん中で、取り敢えず手足を確かめてみる。何の変哲もない僕の身体としか思えなかった。
よく短いと言われる手指、いつもどおりの胴長短足。今時流行らんレンズ面の広いメタルフレームのメガネも健在、靴は季節お構いなしの履き古しのスニーカーで、制服の上に野暮ったい古いトレンチコート──
──おい待て。これじゃあまるで僕の恰好じゃないか。
鏡を潜る前の僕は、僕であったけれどもジュン君の姿だった訳で、トレードマークのパーカに靴下という出で立ちだったはずだ。メガネもちょっと高級そうなセルフレームで、掛けたままでも判るほどレンズの形が違う。度の入り方も多分違っていた。
いや、そもそもこんな純日本人的体型ではなかった。これも鏡を見るまでもなく、体型やら手の形だけで一目瞭然である。
どういうことだ。不思議空間のせいで元の鞘ならぬ本来の肉体に戻った? あるいはこれもゴルゴムならぬキラキーさんの罠なのか。ならば彼の肉体はいずこに掻き消えたのか。
片手で抱き寄せたままの姿勢でゴソゴソやっていると、こちらの混乱を見透かしたように蒼星石は笑った。
「ここはそういう空間なんだよ。少し深いところの認識が強く現れる。周囲に対しても、自分自身に対しても。
君は自分に対する認識が強いのだろう。
ジュン君の容姿は仮のもので、あくまでその姿こそ本来の自分だ、と思っているんだろうね。ずっと」
「じゃ、これは錯覚ってことか。今ンとこジュン君の身体のままで、僕には元の姿に見えてるってやつか」
「そうだよ。現実世界に帰ればジュン君の姿に戻るはずだから、錯覚と言ってもいいかもしれない。
ただ、ここは肉体があまり意味を持たない領域だ。
僕達から見ても今の君は実際にその姿をしている──そうだね、変身したと思って貰えばいいかな」
「変身……! かっこいいです……」
「おい、変なとこに食い付くな。むしろ変身が解けたって思いたいところだぜ、こっちは」
「あ……確かにこの方が……いろいろ弱そう……」
「いやいやいやいやいや、そういう意味で言ったんじゃねーから。否定はできんが」
「ははは……」
蒼星石の笑い声は若干引き攣っていた。無理もあるまい。天然さんの斜め上のコメントでシリアスなはずの場面が台無しである。
済まんなぁこんなんで、と内心で手を合わせて謝っておく。人形どもで一番マシとはいえ、ばらしーも所詮この程度なのであった。
ちなみに、僕とは結構ウマが合ってしまうから始末が悪い。
ノリが合うというか同レベルというか、他人がいても会話が果てしなく脱線していってしまうことがしばしばである。裏を返せば僕自身人形並みであるともいう。情けない話ではある。
まあ、何にしても今後はなるべく慎むようにせねば。案内人の士気がだだ下がりになってしまうかもしれぬ。蒼星石は石原葵だった頃から、主題を外れた会話が好きではない方だった。
まさかこっちの考えてることが伝わった訳じゃないだろうが、蒼星石は抱かれたまま身をよじり、僕の顔を見上げて苦笑した。
すぐに前に向き直ると真面目な口調に戻り、この風景もそうだよ、と冬の夜の街路にしか見えない周囲を指し示す。
「これは君の記憶にある街並みでも、完全な幻影──想像の産物でもない。肉体的な視覚でなく、君の意識を通して見た現実世界と言えばいいかな」
「ほぉ。よう判らんが、光学センサーじゃなく赤外線とか超音波で探ってるようなもん、てことか」
「飲み込みが早くて助かるよ。ただ、君の場合は視覚に依っている部分が大きかったようだ。視覚的現実にフィルターを掛けたような雰囲気だね」
「背景だけCG合成みたいなもんか……」
「きっと……特撮です……! その内に伊福部音楽と共に奥の方からF86F似の戦闘機が二機連なってそうまるでレールに沿ったような動きで……」
「待て待て待て」
「あの街角の向こうには電線越しに自走メーサー砲車の勇姿が垣間見え……!」
「待たんかオイ。赤いの──じゃなかった、ガネ子みたいな妄想で喜ぶんじゃありません」
片目を爛々と輝かせて妙に滑らかな口調になり、どうかすると怪獣大戦争マーチの口笛でも吹き始めかねない勢いのばらしーに、一応釘を刺しておく。このままでは単独で脱線していきかねない。
時代劇に詳しかったと思ったら今度は懐かしの東宝怪獣映画か。サイカチのヤツはどういう教育をしとったんだ。
まぁ、それは置くとして。
「まだ上手く飲み込めない、かな」
「まあなんつーか……なんでまたよりによって冬真っ只中なんだよ」
寒過ぎてやっとれんぞこりゃ。
そもそも僕はどっちかと言ったら冬より夏の方が数倍は好きなつもりだ。冬の間に限っては。
フィルターを掛けてるのが僕自身なら、街灯に漏れ無く虫がたかっているような、暑苦しい夜の風景の方が似合ってるんじゃないのか。まあ春でもいいし秋でもいいが、この景色だけはねーよ。
せめて雪でも積もってりゃ情緒もあるんだろうが、ただの冬枯れた街角じゃ風情もヘッタクレもない。
「季節の選定は君の心を反映している」
「傷心が嵩じて凍てついてしまうほど哀しんでいる、ってか」
「……あまり、そういう風には……見えませんけど……」
「若しくは僕のハートは冬の夜の如く冷酷であるとか」
「すごく……ラスボスっぽいです……」
「そこは美形悪役に負からんか」
「拒否します……全力で……」
「残念だけど、どっちも違うよ」
今回は笑い声も立てずに、蒼星石は首を振った。
すまん。真面目にやるつもりが、ついそっちに走ってしまった。
まあ茶化さなくてはやってられない気分だとでも思っといて欲しい。自分の内心を覗くってのは結構きつそうな気がするんだ。
「表向き、君は今の──他人の、しかも別世界の身体の中に心を入れ込まれた異常な状況を難なく受け入れている」
「難なくってのは否定したいぞ。それこそ全力で」
「そうだね……迷惑と苦労をかけてしまっているのは事実だ。
神経の細い人なら心が壊れたり自暴自棄になっていても不思議のないところだと思う。
だけど君は現状を受け容れ、僕達に協力まで申し出てくれた」
「乗り掛かった船だしな」
「そうさ……いいってことよ……お嬢ちゃ……んがくく」
「はいはい、ちょーっと口閉じてような、ばらしー」
「あはは。そんな風に適当に受け流してくれているから、君はとりわけ心の強い人かもしれないと思い始めていたんだよ」
「まあマスターさん達みたいに繊細じゃねーのは自覚してる。ビビリってのも自覚してるけどな」
「マスター達にも例外はいるさ」
「加納さん、じゃなくてみっちょん氏とか、か」
「それはご想像にお任せかな。ただ、僕が君の強さだと思っていたものは、どうやら違っていたみたいなんだ」
「上げて落とすなよ」
「はは、ごめんごめん」
この風景は君が今日歩いた街並みを夜景にしたものだけど、季節は君が居たあの街、あの日、あの晩の寒さそのままなんだよ、と蒼星石は暗い街路を指し示した。
いつもどおりのちょっと達観したような、フラットな態度だった。
ただ、その淡々とした中に、なんとはなしにあの世界から舞い戻ってしまったことへの寂しさというか遣る瀬無さみたいなものが見え隠れしてるような気がする。
いや、それは流石に自意識過剰ってやつか。
蒼星石は蒼星石で、自分のマスターの中身が僕であることを再認識させられてしまったのかもしれん。それが何処か寂しそうな姿に繋がってることも有り得る。あるいは、寂しそう、ってのが全然見当違いだったりすることも。
いずれにしても蒼星石は淡々と解説を続け、僕としては時折少し理解の足りてない合いの手を入れるばらしーを制しつつ、なるほどと聞き入るしかなかった。
学術用語なのか薔薇乙女さん達の術語なのか知らんが難しい単語がちょくちょく出てくる説明だった。要領を得ない訳じゃないがこっちの理解力が低すぎるのがネックなんだろう。
判らんなりに掻い摘んで言うと、僕は表面的には現状を受け容れているが、内心ではここに居るのは異常なことだと割り切っている、というようなことらしい。
無意識の防衛機構ってやつなのか、表面に近いところで思考停止しているから、パニックに陥らずに済んでいる。逆に言うと、内心ではこっちの世界を拒否しているのだとか。
僕が自分でも意外なほど、元の体に戻るなり元の世界に帰るなりすることに焦りを感じていないのは、そんな理由があってのことらしい。そう言われてもいまいちピンと来ないのは変わらないのだが。
「君は自分の居場所は元の世界にしかないと思っているのだろう。……仕方ないことだけど」
説明の〆にそう付け加えて、蒼星石はひとつ息をついた。顔を見なくても残念がっているのがはっきりと判る声だった。
悪いが、そりゃ当たり前だ。こればっかりはどうしようもない。
時間軸も違い、まあ場所も同じとは言えない。細かな差異はこれからも増えこそすれ減ることはない。この世界では僕はどこまでも異邦人なのである。
そもそも、僕の精神というか意識はここにあるが、肉体の方は他人様のものだ。僅か一週間ほどでこんな宙ぶらりんな状態に完全に馴染んでしまい、こっちが僕の住処だなどと考えられるヤツが居たら、そいつの適応力の方がどうかしてる。
ただ、こっちとしては傍観者を気取ってるつもりはない。薔薇乙女さん達から見りゃ本気度その他足りないところは多かろうが、僕、というか僕等も足りないなりに何とかしようとはしているのである。
「取り敢えずそれは置いといて、どっか移動しようぜ。ここは寒くていけねえや」
「賛成です……怪獣の動きもないようですし……」
「いい加減そこから離れような」
「了解しました……離脱準備……!」
「だからそーじゃねーって」
って、まーたコートの中に潜り込むんかい。僕はお前の乗り物かなんかか。だんだん馬脚を現してきたみたいだが、まぁ、暴走されるよりゃマシだと思っておこう。
また風が吹き付けた。帽子を押さえる蒼星石に、早く移動しようぜ、と言ってやる。
このナントカ世界はもういい。僕のインナースペースだとすれば、探し物、というか探し人はどうせここには居ないのだから。
案内頼むわ、と続けると、蒼星石は一呼吸置いてから首を振った。上手く行かないね、とあっさり白旗を上げる。
「ここは君の領域だからね。別の場所に移動するには、僕でなく君自身の意思が必要になるのだろう」
「そりゃ、ここから離れたいのは山々なんだがな。寒いし変わり映えせんし」
「それだけでは足りないのさ。何処か行きたい場所、見たい世界を具体的にイメージしなくては」
「こういうときに水先案内人の蒼星石さんが宜しくやってくれるんじゃないのかよ」
「そのつもりだったんだけどね……君の影響力はかなり強いみたいだ。人工精霊を持たない僕が弱体化しているのかもしれないけど」
「むう。儘ならんもんだな」
「人生とは……常に儘ならぬもの……ですから」
「判るわー。まさに僕の人生儘ならぬことばかり」
「……そうでしょうか……」
「異論があると申すか」
「……お父様は仰ってました……『ブサメンの癖に女子受けが良い、しかも全員美人とは許し難い』……と」
「あはははは、そうかもね」
「ぬぬぬ、サイカチめ……」
逆恨みも大概である。つーか、女の子受けが全てかよ。何か間違ってる気がするぞオイ。しかも実際にモテてた訳でもないんだが。
まあ、周りに美人が多かったことだけは認めるけどな。特にここ半年は。
但し、それはもう過去のことである。
元の世界に無事戻り、あの店で集まっていた時点から再び時間を重ねられるとしても、もうそこにあのときの彼女達は居ない。
特に森宮さんは、真紅という存在の記憶を受け入れて、あの騒動の直前の段階で既に変わってしまっていた。
彼女はブロックされていた記憶を取り戻し、本来の──真紅としての役割を果たすことを望んで、実行した。
ブロックされていた記憶には、桜田潤ではなく桜田ジュン君(というか、森宮アツシ君と言うべきか)への想いも含まれている。姉弟だったときからブラコンの気があったのだから、以前の感情を取り戻せばどうなるかは明らかだ。
それは喜ぶべきことなんだろう。ただこっちにしてみれば、仮にもう一度森宮さんだった人と顔を合わせたとしても、僕のことを好きだと言ってくれた女の子はもうそこには居ないのだ。
いや、回りくどい言い方は止そう。要するに振られただけの話である。
記憶を取り戻す決断をしたのは真紅ではなく、あの時点の森宮さん自身の意思だったのだから。
最後の最後で僕に対して告白したのは、森宮さんなりのけじめだったのかもしれない。さようならと言う前のよくあるアレだ。
やはり人生とは儘ならぬもの、現実は厳しいものなのだなあ。
「心なしか周りが暗くなってきたような気がするね」
「冷え込みも……うぅ」
「あースマンスマン」
流石は単純極まる僕の世界と言うべきか。反応がダイレクト過ぎる。
このまま暗い方に考えが落ちて行ったら南極並みになるんだろうか。自分の心の中で凍死とは斜め上過ぎて笑えんぞ。
とにかく移動しよう。ここ以外の何処かに。
熱いコーヒーとうどんがあれば言うことないが、この際灯油缶で廃材燃やしてるところに手をかざすだけでもいい。柿崎のおやっさんの手伝いしてた時はあれが随分有難かった。
「目的地を心に描けば、そこへの扉が現れる」
「だから具体的にってか。便利なのか不便なのかよう判らんな」
「使いやすさを追求した新商品、って訳じゃないからね」
「ちぇっ。開発元に苦情言っといてくれよな」
「善処するよ」
僕の腕の中で蒼星石はくすりと笑った。
これまでの呆れ半分の笑いとは若干違った笑い方だった。
暫く前まで毎日接していた、軽口を叩き合ってる時の石原葵みたいな……。あの頃と全く同じとは言い切れないが、まあ、そんな感じだ。
──居なくなったのは森宮さんだけじゃない、ってことか。
美登里も変わったし葵も変わった。別人て程じゃないが、学校なり街中なりで当たり前に顔を合わせていた二人とは違っている。付き合いが無いに等しかったから比較のしようがないが、多分金糸雀も加納先輩だった頃とは異なる性格になっているのだろう。
もちろん、こっちが言わば素の彼女達なのである。
これまでは平凡な人間の生活に馴染んでいただけのことだ。ちょっとばかしフィルターのかかった彼女達しか見てなかったのが僕なのであって──
ああ、止め止め。風が音を立てて吹き付けやがった。全く以て正直というか抑えの利かない場所である。
いい加減本当に移動せんといかん。我が世界ではあるらしいが、ここに長居は絶対にしたくない。
行きたいところをイメージする、といってもドラえもんの道具じゃないから何処ぞの絶景やら観光地にご案内という訳にはいかんだろう。覗いてみたい自分の心象風景や記憶、近くにいる人、または自分が深く求めている人の夢の世界、てなところか。
いや待てよ。ひょっとして頑張ったら──
「──どうよ」
「何も……変わりません。……すごく力んでる……のは、判ります」
「ぬぬぬぬ。やっぱ無理か」
「ここは、あくまでも君の領域だからね。直接遠く──繋がりの薄い場所には行けない」
「そんなことだろうと思ってたぜ」
「最初はもっと近くでいい。場所が変われば僕が先導できるだろうから、あまり無理をしないで」
「無駄に欲かくなってか」
「ふふ、まぁそういうことだね」
それでも一応、念を込めるってのを実践したつもりなんだが。素人の付け焼き刃でしかなかったか。
なおも暫く、一番ツラを拝んでみたいと思ってる奴を二人ほど必死にイメージしてみたのだが、成果は上がらなかった。周囲の風景が変わるでもなければどこでもドアが出現するでもなかった。
──悪いな、蒼星石。とことん使い物にならん同級生で。
お前の親父さんにも、お前のボディを組み立ててくれた(ついでに人形どもに要らん知恵と動力をつけた元凶でもあるが)マエストロさんにも、凡俗の念力じゃ到達できないようだ。
まあ、所詮無茶な話ではあった。
片方に至っては顔も声も一切知らない相手なのだから、関係もヘッタクレもあったもんじゃない。もしかしたらどっちか一人くらい僕等を監視しているんじゃないか、だったら逆に辿って行けるかもしれんとふと思っただけのことである。
もっとも、蒼星石のほうでは僕が何処に行こうとしてたかなんて大して気にもしてないだろうが。
寒さにぶるっと体を震わせ、気を取り直してもう一度整理してみる。
遠い場所、ってのは他人のインナースペースのことだろう。物理的な距離は意味を為さないから、繋がりが薄ければ薄いほど遠くなるって理屈だ。それくらいは判る。
逆に最も近い場所、一番繋がりが濃いところは自分自身の心。それも恐らく普段意識していない深い部分だ。この第0世界とやらの風景を作り出してる大本とも言える。
他人様の顔じゃなく、僕自身の記憶に残った光景なり関連しそうな風景なりを思い描けば、そこには割合簡単に行けるんだろう。夢を見てるのと同じようなものだ。多分さほど危険もなく、帰り路を迷うこともない。
さっきの蒼星石の発言も、そんなニュアンスを含んでいるのかもしれん。
ただ、助言は有難いんだが、自前の空間を彷徨っていたのでは埒が明かない。目的自体は耐久テストみたいなものとはいえ、僕の夢判断をするために鏡を潜った訳じゃない。
さっきのように、いきなり見も知らぬ他人様の心に潜り込もうとするのは論外だろう。ただ、こっちのことを気に懸けてくれている人の心と接する辺りくらいなら僕にも移動可能かもしれない。
確か漫画にも、真紅か誰かが説明していた場面があったはずだ。心の領域の端の辺りには、その人に近しい人の心が流入している場所がある、と。いつどういうシチュエーションでの描写だったかは忘れてしまったが。
直にその場所に向かえと言われても無理な話だ。何しろ漠然とし過ぎていて、実感が湧かないこと夥しい。
だが、気に懸けてくれている相手のことを強くイメージすれば、そっちの方向に行けそうな気はする。
問題はその相手だが。
へくちっ、と可愛いくしゃみが懐の奥から響き、考えはそこで途切れた。
ばらしーよ、お前ひょっとして人形のくせに風邪まで引くのか。一体どういう不可思議ボディに変身させられてしまったのだ。
サイカチは大喜びするかもしれんが──いやいや、それは置いとこう。
今は集中、集中。意味は無さそうだが目を閉じて。
今現在近くに居て、こっちと心が触れ合っていそうな人物。
考えるまでもなく無茶苦茶少ない。その内で最も親しいと思えるのは、一人に絞ってしまっていいだろう。
その人物の心に潜り込むのは不可能でも、触れるくらいのところまでなら──
「──扉が……!」
「成功したみたいだね」
「……おお」
明らかにどこでもドアっぽい不自然な扉が眼前にいきなり現れていた。
違うところは質感か。ペンキ塗りたてのピンク色っぽいドアではなく、それなりの歴史を感じさせる扉である。
もっとも、それが尚更不自然さというか異物感を醸し出しているのも事実だった。通りの真ん中に、頭突に何処ぞの屋敷のドアだけが立っているような案配だ。
ばらしーがもぞもぞと動いて背中に回り、器用に僕のコートのボタンを外して襟を広げ、二人羽織宜しく肩のところから首を出した。
忍術を極めたと言うだけある謎の技術である。しかし口にしたのは実に残念な内容であった。
「モスラの歌……歌おうと思ってた……ところです」
「召喚シーンで歌なんか歌っとったのか? 取り敢えず笛吹くくらいにしといてくれ」
「それは……マグマ大使……!」
「そういうのもあったのかよ……」
いかん、やはりどうも緊張感が欠けている。こっちまで伝染してくるから性質が悪い。
所詮人形──というかコイツ等だから仕方がないと思うことにしておこう。赤いの改めガネ子だったら魔方陣でも書き出してたかもしれん。どっちにしろ未遂で何よりであった。
さて。
少し高めの位置のドアノブに手を掛ける。どうでもいいことであるが、この扉も桜田邸と同じく海外規格のようだ。僕の世界だという話なのに見慣れてないドアとは、中々洒落た趣向である。
「……せっかくだから……この……」
「へいへい」
多少なりとも高まりかけた緊張感が、まただらだらと緩んでしまった。今日のばらしーは妙にテンション上がりっぱなしである。
やや気が抜けたままノブを回すと、ドラマの効果音そのままのガチャリという音が響く。引くのか押すのか一瞬迷ったが、軽く力を入れると扉は向こう側に開いてくれた。
扉の動きにつられるようにして、僕等はその中に足を踏み入れた。
〜〜〜〜〜〜 数日前、何処か 〜〜〜〜〜〜
「翠星石と蒼星石はずーっとずーっと一緒でした」
「そうだね……何処に行っても僕達はずっと一緒だった。でもこれからは……」
「何を言っているのですか。これからもずーっと一緒に決まっています! 変なこと言うなです!」
「でも、それで良いんだろうか? 僕達はそれぞれ別の──」
「──おんなじなのですぅ。姉妹の中でも特別な、かけがえのない双子なのですっ。ですからぁ……」
「……双子っていうか、クローンじゃないのぉ?」
「同じ型で作られた人形同士だから、そっちの方がイメージとして合ってるかしらー」
「えー? 髪の毛とか服とか別だから、全く別の人形なのー。それに同じ型だから全員クローンだーとか言ったらバービー人形とかキモいことになるのよー」
「何万体ものクローン……並列処理……人類への反乱……一斉蜂起……!」
「ああ……なんてこと……なんてこと……! 皆バスティーユを目指しなさい! 自由は私達の手に!」
「くーさーむらーにー……」
「あ、ボク、アンドレ役くらいならやってもいいかなって」
「変な方向に突っ走ってんじゃねーですぅ! アンタも乗っかるんじゃねーです!」