〜〜〜〜〜〜 朝・桜田ジュンの部屋 〜〜〜〜〜〜
「ジューンー、地図開いて何やってるなの?」
「む、ツートン、じゃなかったプリ子か」
「プリ子……なんかまた短くされてるのぉ」
「アプリコットだからプリ子だろーが。あんまり長いと呼ぶのに不便だからな。まぁニックネームだと思っとけ」
「うー、名前まで効率最優先なんてエーベルバッハ少佐みたいなの。部下AとかBなんて味気ないのよー」
「なんじゃそりゃ」
「何でもいいのよー。それでそれで、何やってるなの?」
「下調べしとるんだ、今日回ってくる店の位置とかな」
ツートン改めプリ子は買い物と聞いて途端に目を爛々と輝かせ、飛び跳ねんばかりの勢いで机の上に乗っかってくる。左側で良かった。右側だったらマウスが吹っ飛んでたかもしれん。
そのままぺたんとお尻をつけ、PCのモニターを覗き込む。今、住所から検索したこの桜田邸の位置をズームしているところだった。
こっちの世界にもオンライン地図サービスがあって良かった。名前やら細かい仕様は違っているのだが、ほぼ互換の類似品だと思えば使えないことはない。
何せ全く土地鑑がない(というか家の外そのものが全く未知の世界である)ので、買い物に出るにも一々先に場所を把握しておく必要があるのだ。ズーム自在で航空写真と切り替えが利く地図がなかったら、ばらしーの如く住宅地図でも買ってくるしかなかった。
本当のことを言えば散策しながら徐々に覚えるか、多少迷うのを覚悟でぶっつけ本番とばかりにチャリで走り回るのが正解だろう。
しかし我等がマエストロサクラーダは柄にもなく徒歩行動に重きを置いていたようで、この家には彼用の自転車というものが存在しない。のりさんのものは彼女が通学に使っているので在庫はゼロである。
かと言って、散策がてらぶらり旅をするには中学校の定期テストの期間という時期があまり宜しくない。
昨日の巴ちゃんの訪問時刻からみて、午前の授業時間をテストに充て、午後は給食の後に掃除をして下校という日程だろう。部活動は無しだろうから、全校か全学年か判らんが中学生が一斉に街に溢れる訳だ。
既に一年近く引き籠りを続けているジュン君である。後ろ指を差されるくらいは致し方ないが、ジュン君だと知って話しかけて来る生徒が居たら非常に厄介だ。是非ともそれまでに帰宅しておきたい。
そんな訳で、プリ子を脇に侍らせつつ店舗の位置を確認する。
コンビニ、スーパーマーケット、100均に本屋にレコードショップ。服飾関係は……ご本人の分についてはあまり気にしなくて良さそうだな。
例の白くてまあるいうにゅーとやらを売っている菓子屋だの、住宅地の外れにあるでかい屋敷だのも粗方見当はついた。
隣駅から遠くないところに中古PCを扱う店があったのはラッキーだったが、残念ながらドール関連の店は近隣に見当たらなかった。エプロンやら何やらは……まあ通販のお世話になるとしよう。
そうそう、中学校と大学、それに市立図書館の場所も確認しておかねばならん。
地図をプリントアウトし、マーカーでポイントして予定経路に線引きしてみる。実際に辿ったことがないのは気懸かりだが、今日のお出掛けについてはどうにか時間内に収まりそうだ。
うむよしよしと頷いたところで、細く開けたドアの向こうから朝食を告げる翠星石の声が聞こえてきた。
「──二階の寝坊ども起きやがれです、早く来ないと全部片付けちまいますよっ」
「はーいなのー!」
「ったく、いちいち大仰な言い方しやがって……」
内心ほっとしながら、口だけは毒づいてみる。少しはジュン君らしい物言いになってるだろうか。
昨日の今日だからと若干心配していたのだが、どうやら取り越し苦労だったらしい。少なくとも声だけは常の翠星石と変わらない張りを持っていた。
プリ子がひょいと机から飛び降り、どたどたと駆け出す。あんな軽い体重で何故こうもドタバタできるのか不思議に思いつつ、僕はパソコンの電源を落としてそれに続いた。
〜〜〜〜〜〜 朝食後・桜田邸リビング 〜〜〜〜〜〜
「それでそれで? 誰を連れてくです〜?」「楽しみだなー」
「はーい! 行きたい行きたいのー!」「あなたは飛べないからだめかしら。いざとゆーときのために、ここは飛べる私を連れて行くべきかしら!」
「アンタ傘開いてふよふよするだけじゃなぁい。いざって時に高速飛行できる私の方が便利よぉ」
「あの……目立つことに変わりはない……と思います……ここは……甲賀隠密の術を体得した私が適任かと……」
「人混みの中なら誰でも同じことなのだわ。どうせバックパックの中で退屈な時間を過ごすのが関の山でしょう」
「それ以前に誰ぞ連れて行くなどと言った覚えはこれっぽっちもない訳だが」
できれば外出するときまで黙っていたかったのだが、プリ子のリークにより情報は駄々漏れとなってしまった。メシの後、こともあろうに居間で大声で喋りやがったのである。のりさんが家を出た直後だったことだけが不幸中の幸いであった。
案の定と言うべきか、人形どもの食い付きは良好であった。
あの不自由な残念ボデーの状態でさえ、人目を憚ろうともせず放課後の高校に大挙侵入したような連中である。買い物、それもひと駅とはいえ電車に乗っての移動ともなれば、眼の色が変わって当然というものだろう。
但し、こちらとしては人形どもを連れて行く気はない。
細かく挙げていけばそれぞれについて原稿用紙一枚ずつくらいの論評を書く破目になりそうなので割愛する。要約するとどいつもこいつも大人しくしていそうもないからであった。
赤いの改めザクロ、じゃなかったガーネットの言うとおりなのだ。大半の時間はバックパックなりバッグなりの中で黙って待機していることが求められる訳で、連中がそれに耐えられるとは思えない。
ついでに言うと連れて歩くメリットも思い浮かばない。僕一人では捌き切れないような突発的な事態に対処できるほどのタマじゃないのは分かりきっておる。残念人形であった頃ならば護身用に持ち歩く手もあったかもしれんが。
むしろ同行して欲しいのは──
「──僕達は無理かな、体格的に……いや、そういえば君達はジュン君に運んでもらったことがあったね」
「……ええ。翠星石を運んだのはのりでしたけどね。真紅と雛苺の二人分のバスケットを持ち歩くのは、体力無しのジュンにはきつかったみたいです」
「みっちゃんはカナを抱っこして歩くのを苦にしなかったけれど」
「愛の為せる業ってやつですよ、だいたい普通はドールを抱いて表を闊歩なんてしません」
「そこの黒いのは頭陀袋に入れられてたな、そういや」
「それはちょっと……豪快かしら」
「恵のやりそうなことです」
「はは……袋に入るにはちょっと大変そうだね、僕達だと」
「中に入れても袋詰めで移動は遠慮したいかしら……」
「あちこちぶつけられそうですし」
「巻かなかったジュン君みたいな、でかいリュックでも持ってればいいんだろうけどな」
ぱっと思い付くのは、以前翠星石達が蒼星石の元マスターの家……薔薇屋敷に行った折に収まったというでかいバスケットくらいである。
せめてチャリ移動なら荷台にバスケットを括りつけ、揺れるのを我慢してもらう手もあるんだが。いや、そこまで無理をさせるほどの意義はないわな。
それに、皆さんにはそれぞれ昼間の仕事がある。
金糸雀は例の巡回を続けているし、蒼星石は薔薇屋敷の庭の手入れを黙々とこなしているらしい。翠星石は急に増えた家族及び人形どものメシの支度やら細々とした家事やらの合間に蒼星石を手伝いに行っている。
給料も出ないのに感心なことだ、と言っては失礼だろう。彼女達にしてみれば、それぞれのマスターに対して現状出来得る限りのことをやっているのだから。
まあ、順路はだいたい覚えたし、大丈夫だろう。買い物に行くだけなんだから。
ボロが出そうになったときはその場でなんとか対応を捻り出せばいい。生来そういう機転が利かない方なのは、この瞬間は忘れておこう。
〜〜〜〜〜〜 第八話 ドレミファだいじょーぶ 〜〜〜〜〜〜
暫くぶりの外出は楽しかった。見慣れた街でないのがちょっとした旅行気分さえ味わわせてくれる。
季節も悪くない。秋真っ直中で寒くもなく暑くもなく、高い空は何処までも青い。ぶらつくには最高だった。
これで体力が元通りで、小粋な自転車でもあれば時間を忘れてあちこち走り回ってたかもしれん。
幸か不幸かジュン君の身体は疲労しやすく、自分の立場を忘れさせてはくれなかった。多少早足で歩いたせいもあるが、遠目に学校の位置を確認し、図書館の前を通り過ぎて最寄り駅に着く頃には(といっても三十分と経っていないのだが)足を止めて自販機のコーヒーで一服するほどだった。
大丈夫なのかこれ。まるで老人じゃねーか。一年間の引籠り生活は伊達じゃあなかったってことか。
いくら自宅近くで殆どの用向きが足りてしまうとはいえ、ここまで鈍りきっとるのは色々まずい。腕立てだけじゃなくジョギングを始めるか、妄りに外出するのがやばいってことならルームランナーでも買った方が良さそうだ。
「マスター……だいじょうぶ?」
「ああ、なんとかな。これから電車移動だから暫く静かにしとれ」
「了解ですっ!」
「阿呆、声がでかい」
缶コーヒーを持ったまま、空いている方の手で、ぼすっ、と後ろ手に背中のナップザックを軽く叩く。鋏改めサファイアは返答の代わりにもそもそと動いてみせた。少なくとも拒否の意思を示したわけではないらしい。
結局人形どもに何故か薔薇乙女の皆さんからの口添えまで加わり、籤引きで一体同行させることになったのだが、それがこいつになったのは良かったのか悪かったのか。
従順で言いつけを守るのは悪くない。反面これといって知恵のある方でもないので、何か役に立つかと言われると首を振るしかないのも事実である。ついでに、常に行動したくて仕方ないというのも今回は悪い条件である。
できれば翠星石に同行して貰い、昨日はどうにも噛み合わなかった案件をサシで落ち着いて話し合いたかった。先輩……いや金糸雀とでもいい。蒼星石でも。それぞれに訊きたいことは、考え始めればいくらでもありそうだった。
まあ、それはそれ。要らん知識と同様に口数と好奇心の過多な赤いの──ガネ子であったり、到底落ち着きそうにないメル子だのうぐいすだのであったりするよりは扱い易いだけマシである、と思っておこう。
隣の駅まで電車で三分。時間とチャリがあれば自分の足で行き来できる距離だよな、などと考える間もない。時間帯のせいかまばらな乗客の中で扉の近くに立ったままの味気ない移動である。
それでも後ろの擬似蒼星石は、ザックの本体と蓋というか隙間から外を覗いて大分興奮した様子だった。一応言い付けを守っているつもりなのか、抑えた声で頻りに感嘆している。
考えてみればこいつの性格付けはいまいち判らん。
初見参のときは何やら良からぬことを考えていたらしいが、一方で僕のことをマスター呼ばわりし、喜々として他愛もない命令を遂行するところは、到底腹に一物抱えているようには見受けられない。妙に大人びた仕種を見せることもあれば、ツートン、じゃなかったプリ子のごとく素直で従順な子供っぽい面を表にしていることもある。
裏表なんてものは誰にでもあるんだろう。しかしどうにも軸がぶれてるような気がするのだ。
コイツ等の場合、性格付けを行ったのはあのドールショップの店長氏──「巻かなかった」ジュン君であるから、畢竟彼の手落ちか、あるいはわざとそうしたことになる。
いずれ会うことがあったら、真意を問い質す必要があるかもしれない。質したところで納得できるかは保証の限りじゃないが。
初めての駅で降り口を間違えてしまいそうになり、冷や汗をかきつつお目当ての中古PC屋に向かう。
時刻は十一時を回っていた。初めての街だけに、もう少し余裕を見ておいた方が良かったかもしれぬ。
幸いそれ以上迷うこともなく、駅前通りからほど近い横丁の店舗に辿り着いた。
背中の怪奇自動人形が頻りにまだ喋ってはいけないかと問い掛けて来るので、店に客が誰も居なかったらな、と少々無茶な条件を付けて了承してやる。はいっ、とサファイアは良い返事を返してきた。
まあ、流石に誰も居ないことはないだろう。知らぬが仏とはよく言ったものだ、などと考えていたが、本当に中古屋には客が居なかった。
ついでに言うと思っていたより規模は小さく、そしてPCだけ扱っているわけでもなかった。
今日日値下がりの激しいPC関連だけではやっていられないのか、中古のコレクターズアイテムやら玩具なんかも売られている。面積を比べれば、むしろそちらの方が広いかもしれない。
それでも陳列棚二つをノートパソコンに割いているのは、それなりに売り買いされてはいるということだろう。
もっとも、今時の売れ線だからか流通量が少ないからか、黒いのが欲しがっていた超小型は見当たらなかった。子供の頃見た覚えがある妙に横長の画面の骨董品はあったが、流石にインターネットで捜し物をする役目には使えない。
代わりに、台湾だかどっかのメーカーが格安で出しているモバイルPCが棚の隅に置いてあった。
僕が居た世界では、2008年の夏から秋くらい──二年半くらい前に出た型だと思う。動画見るには非力だが探し物程度なら何とかこなせる、所謂ネットブックというやつである。
「それにするんですか?」
「他にこれってのがないからな。つーかザック片側に寄せて前見ようとするの禁止な。不自然さバリバリだから」
「大丈夫だよ、誰も見てないから」
「……直接はな」
残念なことに、この種の店舗は往々にして監視カメラが店内隈なく監視しているのである。両手フリーだし品物には手を伸ばしてないから、中身がずれたくらいに思ってもらえることを期待するしかない。
目を付けられない内に買い物を済ませてずらかるとするか。
改めてネットブックを眺める。元の世界の品物とどこか違いがあるかと思ったのだが、よくよく考えれば僕は現物を子細に検分したことはなかった。せいぜいキーボードのアルファベットやらひらがなの並び具合は変わってないなぁと確認できた程度であった。
取り敢えず、スペックと価格を確認する。懐かしの我が家のオンボロPCよりも低性能なのは言うまでもない。
二年落ち、しかも元値が格安だった割には、値札はちょっとばかし割高だった。しかしこれくらい小さければ……まぁアイツでもキーボードの端まで手が届かんことはあるまい。
ジュン君、済まんな。ちょっとばかし大きな「負け」だが、必要経費という事で許していただきたい、と心の中で手を合わせてみる。
イメージしたジュン君の姿は現在毎日鏡の中で目にする少年ではなく森宮さんの弟君であった。流石に自分に向かって謝るのも変なものだから、その辺もご寛恕願いたいところである。
返すことができるならいずれ返却するから、と思いつつレジに向かおうとしたところで、背中の人形がごそごそ動き出した。タイミングの悪い奴である。
「んー、なんだ」
「マスター、あれ。左の方の棚……」
「ああ、玩具コーナーな。欲しいもんでもあるのか?」
「あのね、向こうの壁際の一番上の、こっち側」
「指示語ばかりで判らんぞ……どれどれ」
その場で身体を捻ってみたが、サファイアの視界は後方半分、対してこちらは前方半分なのでどうも勝手が悪い。仕方なくそちらに回り込んでみる。
玩具コーナーの隅、あまり人気がないらしい中古の食玩だの、揃い物でない(多分人気がないキャラクターの)フィギュアだのが雑然と並べられている中、僕の背丈では手の届かない一番高いところに、透明なガラスのケースに入れられてそれは鎮座していた。
六頭身か七頭身。全高は人形どもと同じくらい──六十センチ前後。赤を基調にして、ブーツと胴回りに銀色のパーツをあしらった、ドレスというか鎧というかよく判らん衣装。長い白髪は赤いリボンでツーテールに纏められ、でかい三角旗を持って佇立している。
見事な出来栄えのキャラクタードールだった。あんまり衣装がデカすぎて、ポーズ崩したら重さでヘナヘナになりそうにも見えるが、まあディスプレイされてる分には問題あるまい。
しかしまぁこうして見ると、頭の小さいことよ。というより、人形どもの頭がでかいのだな。あまり気にしてなかったが、肩幅に比べて頭が大きすぎるかもしれん。アニメ体型ってやつか。
それはいいとして、だ。
「見たことないやつだが、アニメキャラかなんかのドールだろ。これがどうかしたのか」
「ボクは覚えてる。これ、『暁のヴァンピレス』のアデライドだよ」
「へえ、知らんアニメだな。それとも漫画か? こっちの世界でも同じのがやってるって寸法か」
ガネ子が聞いたら歯ぎしりして悔しがるに違いない。ヤツのお気に入りだった番組はかなりの率で放映されてないからだ。
深夜アニメはそもそも知らんが、本人形曰く「コナンと金田一のないテレビなどただのモニターに過ぎない」らしい。
いや金田一は元々やってなかっただろうが。てか何年前の話だよ。それとも「事件簿」でなしに八つ墓村とかのアレの方か。
そう言いつつチャンネル争いでは仁義なき戦いを繰り広げるところがヤツらしいのだが、最近やたら漫画買って来いと五月蝿いのはテレビ離れにも原因があるのは間違いない。
ちなみに、再放送を合わせると週に何回も放映されているほどの人気番組、例のくんくん探偵に関してはあまり好評ではなかった。僕が二度ばかり眺めたところでは、コナンと似たか寄ったか、あるいはもう少し凝った推理物に見えたのだが。
まぁ二度ともガネ子は途中で犯人とトリックを言い当てていた(と、ツートン改めプリ子が口を尖らせて言いつけてきた)から、もしかしたらそっくりな内容の番組を既に見ていたのかもしれん。そりゃ見る意欲も失せるだろう。
とはいえ、全部のテレビ番組及び漫画等、更にありとあらゆる物が似たような別物に変化しているのであれば、ガネ子にしてもまだ諦めもついたはずだ。
皮肉なもので、少なくとも殆ど変わっていないものの方が多い。さっきのネットブックにしても、僕が見た範囲での変化はなかった。多分型番も同じだろう。
ただ、同一の製品でもこちらに来る直前と寸分違わず同じもの、連載中の作品なら先週の続きがそのまま読めるという訳でもない。
今回もその伝──というか、もう少しばかり特殊なケースだった。
「どっちも外れだよっ。同人企画なんだ」
「ふむ。また妙なところ突いてきたな。同人誌のキャラクターのドールねぇ」
そんなもんが作られて、しかもこうやって中古で店頭に並ぶとは。
しかもガネ子ならともかく、そういった趣味に強くないコイツが知ってるとは珍しいこともあったものだ。
「ただの同人企画じゃないから……」
「なんだそりゃ。大物でも噛んでるのか」
「大物って言うのかなぁ? 企画してるのは──」
サファイアが口にした名前は、つい声を低くするのを忘れて、ほぉ、と感嘆の声を上げてしまうのに充分なものだった。
慌てて声を潜め、なるほどな、と言いながらもう一度ドールを見る。元はスーパードルフィー辺りだろうか、すらりと恰好の良い体型だ。
同人を企画していたのは、僕等の居た世界では「ローゼンメイデン」を描いていた漫画家だった。
確かに、それならサファイアが知っててもおかしくはない。コイツ自身はともかく、黒いのとガネ子はそっち方面の情報収集に積極的だったからだ。
柿崎は人形どものルーツを調べ上げようとしていたし、黒いのは黒いので、うちに殴り込みに来て一戦交えた後、エネルギー切れから回復するまでの間「しゅごキャラ」がどうのという話をひとくさりしていったことがあるほどだ。
元々黒いのとコイツの仲は悪くない。共謀して何やら悪さを企んでいたほどである。そっち経由の情報で、コイツがあの漫画家の他作品に詳しくなっていても驚くには当たるまい。
それはそれとして、同人の企画ねえ。
「いくらドール好きの有名漫画家の企画って言ってもな。ドールまで売り出すほど売れてたら、逆にどっかがアニメ化とかコミカライズとかやらかしそうなモンだが」
「うーん、向こうではドールは売ってなかったと思う……」
「じゃ、誰かが自作したやつってことか」
「その可能性もあるけど……あ」
「どうした」
「こっちの棚見て。背中の方、えーと、五時の方向、中段右」
「なんだ、今度はやけに細かいじゃねーか」
振り向くと、こちらはショーケースの中に揃い物のフィギュアが並んでいる。売れ筋なのか、さっきのドールが並んでいた棚とは違って作品別に小奇麗に整頓されていた。
店側の正直な気持ちを表しているようで何とも言えない気分になりつつ、指示された辺りに目を遣り、僕は思わず眉間に皺を寄せた。
あのドールと同じ衣装のフィギュアが、同じ旗を持ったポーズで立っている。
同じシリーズと思しいフィギュアがそれを取り巻くように並んでおり、その前には店が書いたと思しき手書きの説明書きが添えられていた。
──放映終了からそろそろ二年、漫画はまだまだ継続中!『暁のヴァンピレス』、定番ポーズの吸血姫全五種類をまとめて! 美品2セットのみ早い者勝ち!
なるほどな。
向こうじゃ同人だったが、こっちではアニメ化されてる人気タイトルってわけだ。もしもドールが市販された品物だとしたら、当時の人気はかなりのものだったってことだろう。
女の子向けなのか──いやいや、いまどき日曜朝の番組ってことはあるまい。当然深夜アニメだ。まるであの番組のように。
いや、それどころか、多分放映日時やら放送局まで同じなのだろう。
だから何だ、という話ではあるのだが、僕は一分ほどの間、その場から動くことができなかった。
今まではっきりと認識していなかった何かが、何処かを刺激し始めている。
幾つかのものが入れ替わっているだけで、この世界は案外僕等のいた世界に近い。そして同時に、思っていたよりもずっと遠いんじゃないか──そんな根拠のない想像が、頭の中で回り出していた。
考えてみれば、それ自体だからどうしたという事柄ではある。遠かろうが近かろうが、自力ではこの世界から抜け出せない(同時に脱出する方法を持った知り合いの居る)身分の僕には然程違いがある訳ではない。
しかし、その得体の知れない不安のようなものは会計を終えて店を出てからもまだ、意外なほど手酷く、僕の足りない頭を引っ掻き回し続けた。
帰り道、寄る予定だった店を忘れずにいたことが信じられないほどだ。ハンカチを買うつもりが間違えてフェイスタオルを買ってしまったことくらいは許して欲しい。
〜〜〜〜〜〜 午後・桜田ジュンの部屋 〜〜〜〜〜〜
「ほれ、クリ子。お前だけ先ってのも贔屓っぽいが、例の頼まれモンだ」
「あら、気が利くじゃなぁい……ってクリ子って何よぉ。クリームヒルトって呼びなさいってば」
「クリームなんちゃらだからクリ子で良かろう。ニックネームだと思っとけ」
「あっそ。ま、貰える物は有難く頂いとくわぁ」
「礼はスポンサーのジュン君か、のりさんにでも言ってくれ。何か知らんが結構なお値段だったぞ」
「ふぅん……そんなに値の張るもんなの? これって。よくわかんないわぁ」
「元値が高いからではないの? 古物半値の五割引きという言葉もあるのだわ」
「それは意味が違うだろーが」
「今時中古の価値なんてそんなもの、という意味では真理なのだわ」
「つーてもな。四倍どころか、今日の値札を倍したら軽く新品の値段を超えちまうぜ」
「あら、それは意外ね」
「ねぇねぇ、立ち上げてみてもいいわよねぇ? もう私の物なんだしぃ」
「あー、ちょっと待て」
テンションの高まっているクリ子を制し、ついでに買ってきた有線LANのケーブルを繋いでやる。
電源コードの方は、と見ると、既にガネ子が(常日頃のヤツの態度からすると)驚くべきヤル気を発揮して接続していた。なんだかんだ言って興味はあるらしい。
そんなに目新しいものかねぇ。ジュン君のデスクトップの方が余程性能もいいし、そのネットブックでできることは(持ち歩くこと以外)全てできるんだけどなぁ。
まあ、サービスで小型マウスも繋いでやるか。あのサイズの手でどうやって操作するかは別として。
連中のサイズ基準では巨大な、ツイスターゲームでもやれそうなキーボードの前に陣取ったクリ子とガネ子に他の連中も加わり、人形どもはネットブックを囲んでぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎ始めた。無駄に仲の良いことである。
クリ子だけ先に要求品を支給されてずるいだの、自分たちの分はまだかだのといった文句が上がらなかったのは、モノが人形どもには縁の薄い品物だからか、あるいは個人形用としては大き過ぎるサイズのためか。どっちにしても幸いであった。
やれやれと肩を竦めていると、お疲れ様、と苦笑混じりの声が部屋の入口の方から聞こえてきた。
振り向くと、蒼星石が扉の陰から顔を覗かせていた。薔薇園の手入れを午前中に切り上げ、昼食後は階下で寛いでいたはずだが、開け放したまま煩くしているのを聞きつけたらしい。
わざとらしく、どうぞ、と言ってやる。蒼星石は苦笑しながら一礼し、行儀悪く胡座をかいている僕の隣にやってきた。
「ネットブックか……」
「非力だしちょいと大きめだけどな。他に選択肢がなかった」
「いや、調べ物をするには丁度いい品物だよ。それにしても彼女、凄いね。当たり前に起動させて使ってる。翠星石より慣れてるかも」
「まぁ所詮柿崎仕込みだから、どうせ大したことは出来ないだろうけどな」
「恵が……ということはあのビスクドール姿の頃から?」
「おう。両手っつーか両腕の先でタイプして、自前で手紙書いてたんだぜ」
「驚いたな。そういえば、そんなこと言ってたね……」
ふふ、と笑い、蒼星石は適当な箱を引き寄せて僕の脇に腰を下ろした。
ぴったり寄り添った訳ではなく、ごく自然に間が空いている。意識してしまうと現金なもので、昨日みたいな位置じゃないのが残念だった。
「彼女に記憶と動力を与えたマスターも、こんな姿は予想してなかっただろう」
「そりゃあ、まさかあのオンボロ人形にくだらん知恵を付ける奴が居るとは思わんだろ」
「でも、彼女に知恵の種……好奇心を与えたのは彼だよ」
「流石はマエストロ様、ってところか」
「……うん。少し暴走気味だったのかもしれないけど」
なんだよ、やけに優しい目をするじゃねぇか。
当たり前ではあるんだろうが、どうも引っ掛かるのだ。もちろん蒼星石の態度に不審を抱いてる訳じゃあない。
いま蒼星石がマスターと呼んだのは、中学生のジュン君ではない。こいつが直接契約したのは「巻かなかった」方のジュン君──つまり、塩入とかいう偽名でドールショップを開いていた方である。
漫画では有耶無耶の内に契約相手は中学生のジュン君の方に変わってしまっていたが、実際はどうだったのか詳しくは聞いていない。案外まだ「巻かなかった」ジュン君がマスターなのかもしれない。
どっちにしても、蒼星石がごく短期間とはいえでっかい方のジュン君と契約していた過去があるのは間違いない。その当時を懐かしく思い返すことがあっても当然ではある。
──まぁ、嫉妬しているだけなんだよな。判ってる。
ま、そっちは置いといて、彼が遣り過ぎってのはよーく判っとる。お陰でこっちは振り回されっぱなしだ。
人形が潰し合ってるのを見せるために人工精霊の破片を入れ込んだ、ってのはまぁいいとして、ここまで極端な性格付けする必要はあったのかね。全員脳天気な、ぶっちゃけギャグキャラじゃねーか。
案外、何か裏がある、とかな。
皆さん方、とんでもない内容の割に結構あっさり受け入れた訳だが、彼の語った人形どもへの工作の一部が出任せだったとしてもおかしくない。何しろ、全ては検証しようがない内容なのだから。今のところは。
「冴えない顔だね」
「そりゃ元から……いや、人形どもが言ってるみたいに素が出てきたんだろ、ジュン君の顔に」
「それは良くない兆候だ。本当だとしたら」
「妙なトコで真面目になるなよ。今のところは冗談だから安心しろ」
「ふふ」
判ってるさ、と言われたがどんなもんだか。知ってるか? 今のお前の顔でマジになられるとちょっと怖いんだぞ。
美人すぎるというのも良し悪しである。ローゼンさんの美意識は僕とは相容れないのかもしれん。
それじゃあRosen工房さんの方に近いのか、と言われたら、それはそれで全力で否定したいが。
このままでは表情が益々冴えなくなりそうなので、話を元に戻す。
「そういや、中古のネットブックのくせに結構なお値段だったが、あの機種はそんなに人気あったっけか」
「さあ……人気はあったと思うよ。幾らだったの?」
値段を言ってやると、蒼星石は片手を顎に遣った。軽く頷いて、そういうものだよ、と笑う。
「詳しい相場は通販価格の一覧サイトで見れると思うけど、妥当な額じゃないかな。まだ発売されたばかりの機種だから」
「出たばかり、だって?」
「うん。まだ数ヶ月ほどだろう。初代の、あの画面が小さいタイプが売りだされたのが……そう、今年の年初めくらいだからね」
「今年なのか……」
「この後、同じような性能のネットブックが沢山の会社から発売されることになるんだよ。そしてノートパソコン全体に低価格化が進む。二年半くらい後には、今の倍くらいの性能のCPUが搭載されたものが主流になっていたよね」
「……そうか、そうだったな」
どうしたの、とこちらを見上げる蒼星石に、なんでもねえよ、と言ってみる。もちろん口だけだ。表情が本日一番冴えてないのは間違いない。
なんでもない訳じゃないが、心配されてもどうしようもない。
帰る道すがら延々と燻っていたものが、またちろちろと小さな炎を上げ始めた、とでもいうのだろうか。こちらに来てから数日以上、何故か殆ど意識して来なかった点に、改めて気付かされただけの話だ。
この世界はやはり、僕の居た世界とよく似ていて、そして決定的に違っている。
それは時間のズレやらテレビ番組の編成の違いだけじゃあない。キラキーさんというバケモノじみた巨大な存在によって積極的に手が加えられているか、そうでないかが根本的に異っている。
今はまぁいい。二つの世界の違いに辟易するのも楽しむのも些細なことだ。
しかし、雪華綺晶が誰かに倒されてしまったら、あるいは他の理由であの世界が彼女のコントロールを離れてしまったら。
あの世界にキラキーさんが加えた手の痕跡はそのままなのだろうか? それとも、イレギュラーを嫌うという世界自身の意思によって、綺麗サッパリなかったことにされてしまうのだろうか。
あの漫画やアニメは、そのファン達は。帰ったとして、そこは僕が知っていたあの世界と同じ場所だと言い切れるだろうか?
そして首尾良く帰れたとしても、なかったことにされてしまったとき、僕等の記憶はどうなってしまうのか。
記憶を消されて、あるいは改竄されて、僕は僕だと言えるのだろうか。
いや、今までの記憶が改竄されていないものだとどうして言い切れる?
根拠は、キラキーさんは僕のようなモブキャラ以下の存在にそんな手間の掛かることをしないだろう、という高を括ったものだけである。逆に、周囲には十数件もの改竄の実例があるのだ。
ネットブックに群がっている人形どもにぼんやりと目を遣る。改竄された最大の例、と言ってしまっていいだろう。
アイツ等は自分達に何の疑問も持っていない。人形だからだ。この点、実にシンプルである。
視界の隅で、蒼星石が前を向く。
彼女も偽りの記憶を入れ込まれた一人だ。少なくとも「巻かなかった」ジュン君の説明ではそうなる。
自らも人間の記憶を操作できる彼女は、どう考えているのか。悩んでいるとすれば、薔薇乙女であるという誇りか何かが、前向きになる芯になっているのか──
「──不安かい」
「まあ、そりゃな」
「ふふ。nのフィールドに入るって言い出したのは君自身だよ」
「……そーなんですけどね。悪かったなヘタレで」
「いや、その方が君らしくて安心するよ」
「僕らしい、ねぇ……」
まあ、そうだわな。
何処まで行っても僕は所詮僕である。改竄されているとしても、間違ってもその前身がスーパーヒーローだったりはしまい。
現にこうして、かつての同級生の見当違いの一言で気分が軽くなるのだから。つくづく単純なものである。
「まぁ一応元気付けられたと取っとくぜ。ありがとな」
「どういたしまして。よく判らないけど──」
「──あー、なんか変な表示出たのー!」
「アンタ無駄なポップアップクリックしたでしょ! それ広告だからって言ったじゃなぁい!」
「ううー、悪気はなかったのかしら、面白そうだったからつい動かしただけで……」
「やはり鼠係は私に任せるのだわ」「ええー? 勝手に動かしてたから役目御免になったんじゃないか」
「字ばっかりで退屈ですぅー、もっと動画見たいですぅ」「……事故動画は……もう結構です……」
「チームワーク最悪だなあいつら」
「楽しそうで何よりさ」
「いや、それじゃ拙かろう、流石に……今なんか変なリンク踏んでたし……」
「あら、画面が動いてないのだわ」「カーソルが砂時計のままかしらー」
「ジューン! 固まっちゃったわぁー」
「修理班召集ですぅー!」「えーせーへー、えーせーへー!」「それはちょっと違うんじゃ」
「ああもう、何踏んだんだよお前等っ」
記念すべきかもしれない、恐らくこの世界初の自律人形達によるネットブックの使用は、ものの三十分と持続しなかった。
僕と蒼星石に、騒ぎを聞いて上ってきた金糸雀(先輩は何気に結構詳しかった)の手も借りて復旧に努めたものの、結局リカバリを走らせるしかなかった。再度使用可能になったのは夕食前のことであり、取り敢えずクリ子は本日の使用は中止すると宣言したのであった。
夕食時、のりさんは非常に嬉しそうだった。
いつもありがとう、と書いた紙(筆跡が真似できないので印字したもので恐縮であったが)を付けて勉強机の上に置いといたフェイスタオルが気に入って貰えたのなら幸甚である。
僕等全員、彼女にはどれだけ感謝しても、謝罪しても足りないと思う。──とはいえ、ジュン君であれば死んでもやりそうにない事柄かもしれん。そこはひとつ、大目に見て貰いたい。