~~~~~~ 某所 ~~~~~~
「……聞いたことはこんな感じだったよ。大体判って貰えたかな」
「オッケー、ばっちり。その怪しげなオッサンの店に突撃して、手の込み過ぎのドッキリの証拠を掴んでやりゃいいんでしょ」
「だからドッキリかどうかは判らないと言っているのだけど」
「そうだったっけ? ま、本当だったら尚更面白いじゃん。是非ともこの目で見てやらないとねぇ、ヘッヘッヘ」
「なんかヤニ下がってるのー」
「典型的な「悪事を思いついた小悪党の顔」ってやつかしらー」
「それにしても、このことあるを予期してボディの中に予め盗聴器を仕込んでおくだなんて……流石はあの子の家主、恐ろしい発想、まさに悪魔の知恵なのだわ」
「知っててこの人間の手先になってるアイツもアイツですぅ。衣装のとおり真っ黒の悪党です」
「この姉妹一の策士ですら思いつかなかった深謀遠慮かしらー。何の役に立つのかいまいち判らないけど」
「ちゃんと役に立ったからいいじゃん。仕込んでみたの昨日の今日だってのに」
「あ、そんな最近だったんだ」
「色々台無しなのー」
~~~~~~ その日・続 ~~~~~~
会話が途切れた。全員が息を呑んだように、緊張感だけがこの場を支配している。
店の外で、おっさんバイクが走って来て近くで停まる音がした。配達かなんかだろう。とうに暗くなってるのにご苦労なこった。
耳を澄ませば人の声やら車の走ってる音も聞こえて来る。店の外は相変わらずの春まだ来たらぬ世の中である。
そして、この場のご一同さんの関わる話はそれら俗世と隔絶したところにあるらしい。
勝手に覗き込んでしまった僕と、勝手に小道具に使われてしまった哀れな人形どもだけが、俗世間の存在ながら中途半端な立場でここにいるって寸法だ。
「私が……ローゼンメイデン?」
「君だけではない。この場に居る君の同年生二人もそうだ。そして、金糸雀の契約者も居る」
「ここに、ねっ」
「美登里と葵、美摘さん……確かに似たところはあるけれど。でもあれは漫画の中の出来事で」
「それが事実ってやつなんですよ、真紅」
「うん。少なくとも、僕達はそういう記憶を持っている」
「……三人とも、なのね」
「私達だけじゃないわよー。カナも知っているし、真希ちゃん、いえ水銀燈ちゃんも、ね。他のマスターも記憶は持ったまま」
「……知らなかったのは私だけ、ということなの」
店長氏の、ドッキリにしても異常な内容の話に驚愕を感じている暇もない。
更にとんでもない話になってしまった。僕を除く全員が、森宮さんのみならず自分達まで漫画の中の登場人物ってトンデモ話をさも当たり前のように交わしている。
なんだこりゃ。
予めちょびっとずつ匂わされていたとはいえ、ここまでぶっ飛んだ話、それも周りが揃って重要人物だらけとなると、正直言って感覚がおかしくなってくる。
嘘だろーとか本当かよってな気分から一周半くらい回って、この場が演劇みたいに思えてくるというか。自分以外の誰かの方に感情移入始めたくなってきた。
そして、僕にとってはその対象は当然ながら一人しか居ない訳で。
片手に重ねられた森宮さんの手に力が篭るのを感じながら、空いている方の手で黒いのをつつき、そおっと引き摺り寄せる。暴れなかったことに一応感謝しておく。
その間にも、皆さんの深刻な対話は続いている。店長氏は暫し休憩ということなのか、今は葵が主に説得役というか、多分当人にしてみれば解説役を引き受けていた。
「すぐには信じられないわ。いくら似ていると言っても……」
「確かに漫画の登場人物っていうのは荒唐無稽に感じるかもしれないね。でも、君は薄々気付いていなかったかい? 自分を取り巻く環境のこと……」
「環境……」
「そう。僕と美登里を含めた、一見君とはあまり接点が無いはずなのに、いつの間にか君の周囲に集っていた女子のこと。それに、君の弟ということになっている存在のこと……」
「アツシが……」
主人公、「巻いた世界」の方の桜田ジュン君、だったって訳だ。ファーストインプレッションどおり、ってやつか。
ならば森宮さんと彼の姉弟ながらのラブラブぶりも判ろうというものである。
確かあの契約指輪ってのは結婚指輪と同じで左手の薬指に嵌めるもんだから、つまりは元々そういう御関係だった訳だ。厳密に言っちゃうと重婚どころか三重婚してる訳だが、そこはマエストロ様たるもの、一夫一婦制などという俗世の制度には囚われないのだろう。
なんだ、すると僕は第一夫人に頼まれて浮気の真似事の片棒を担いでるチンピラって役柄にでもなるのか?
そいつぁー楽しすぎるぞおい。どんだけ小悪党なんだよ僕。
頬がひくひくと引き攣りそうになるのを堪えつつ、黒いのを膝の上に載せてやる。やはり今回も黒いのは素直であった。
店長氏の脇に視線を遣り、ばらしーにもちょいちょいと手をこまねいてみる。
ちょうどこっちを見ていたばらしーは、くっつけるように並べられた椅子の上をずりずりと横に動いて僕の隣に来た。頭を撫でてやると上半身をこちらに凭せ掛けてくる。中々愛いやつである。
可愛くはあるのだが、他の残念人形どもでは、たとえ本人形がやりたくてもこうは行かない。胴体に球体関節が仕込まれているからこそできる芸当だ。
もちろん、正面に座っておる石原姉妹がそうだったと主張しているローゼンメイデンさん達なら、漫画の設定どおりならば身体が人間同然に柔らかくなってるから、苦もなくできる仕種ではある。あちらはまさに次元が違う。
考えてみれば、何と言うか。
片や最高に美しいアンティークドールの生まれ変わり(?)。此方偶々目を付けられて後から動力源を埋め込まれてしまった、何処までも残念なお人形。
作った人物の姓が一文字違うだけで、酷い話もあったものである。いや、それぞれの腕前とかは今更言うまでもない訳だが。
~~~~~~ 第十七話 慣れないことをするから…… ~~~~~~
部外者である僕の勝手気侭な考察などに全く関わりなく、他の方々は尚も暫く問答を続けた。森宮さんは未だに半信半疑ながらも、どうやら自分が漫画の登場人物の生まれ変わりか何かって前提で話を進めることには同意したらしい。
まあ、ぶっちゃけ有り得ないレベルの話ではあるんだが、周囲の状況というか人物関係が見事に嵌り過ぎなのだからどうしようもない。僕ですら信じかけている訳で、そういう話が元々好きそうな森宮さんが納得してしまうのも仕方がないところだ。
ただそれはそれとして、彼女としてはまた別の疑問があるようだった。
石原姉妹に真っ直ぐに顔を向けて尋ねる姿は、肚が決まったのだろうか、いつもの堂々として物怖じしない態度が半分くらいは戻って来ているようにも見える。
「私だけが記憶を持たされなかったのは、何故なのかしら」
「それは……判らないのです」
「考えてみれば、変な話よね。留美ちゃ……真紅ちゃんだけが記憶を持っていないなんて」
「可能性は幾つかある。だが、僕達は推測しかできない。もし正解を知っている人物が存在するなら……」
葵はそこで言葉を濁した。
皆さんの目が店長氏に向く。あれだけ知ってますアピールをしてきたんだから当たり前か。
視線を向けられた方は相変わらず仏頂面のまま、だんまりを決め込んでおる。
っていうかだな、何者なんだ店長氏。中華ドールを魔改造してばらしーを製造したのはともかくとして、自己主張するところを信じるなら人工精霊なる怪しげなブツを分解して人形に仕込んだり、事情をまるっと承知していたりとやたらハイスペックである。
誰なのか判らんが全部知ってるんならなにか言って遣ればいいだろうに、などと思っていると、彼より先に葵が言葉を継いだ。
「塩入さん。貴方はさっき、彼女が真紅で、まだゲームの盤上に居ると言ったけれど」
「ああ」
「……でもそれは、僕達の知っている過去と食い違っている。アリスゲームは終わったはずだ。もう、とうの昔に」
「あ! そ、そうです。おかしいですよ。私達みんな人間になってるのは、アリスゲームが終わったからじゃないですか」
「そうねー。みんな生まれ変わってマスターの家族になったんだから、ゲームはもう終わってないと──」
「僕達の敗北でゲームが終わったから、お父様に依頼されたラプラスの魔が──」
「まだ続いているんじゃ辻褄が合わないですよ──」
「……話がもっと見えなくなってしまったわ。お願いだから順を追って説明して頂戴」
聞き手をほっぽってざわざわし始めてしまった三人に、森宮さんは溜息をついてやれやれと首を振った。
全面的に同感である。話が込み入り過ぎて何が何やらよう判らん。
生まれ変わりとかって話なら漫画だけでももう少しまともに読んどくべきだったか。いや、森宮さんも理解できてないということは、例のアニメを全部見ていて、尚且つ漫画を雑誌で追っていても理解できない内容ってことかもしれん。
言わばこの現実オリジナルの展開ってやつか。いや、この場合原作は現実であり漫画とアニメが派生作品なのか? ううむ面倒くさい。
要するに店長氏の言ったことと、石原姉妹達が知っている内容に齟齬があるということなのだな。それは判るんだが、肝心の石原達の認識している内容を知らないのでどうにもならない。
店長氏にしても石原姉妹、というより葵にしても、説明不足が過ぎるだろう。美登里と加納さんに至っては茶々入れしているだけのようなものだ。内輪話は結構だが、もうちょっと部外者並びに記憶喪失者(?)にも理解できるような解説をして欲しいものである。
一喝された訳ではないのだが、本来の聞き手である森宮さん(いや元々の聞き手は僕のような気もするのだが)の言葉で、三人は取り敢えず静かになった。
混乱させて済まないね、と葵が真面目な顔で軽く頭を下げる。割に珍しい表情と仕種だが、案外こっちの方が素に近いのだろうか。
「記録は何一つ残っていないから、僕達にとって過去の事柄は自分達の記憶だけが頼りなんだ。それも、もう何年も前の」
「でも、記憶してる内容はみんな同じなのよねー。ドールだった子も、マスターも。誰かが一人だけ全然食い違う出来事を記憶してるとかいうことはなかったの。今まではね」
「なのに店長さんの話が全然違ってたので……焦ってしまったのです」
「それはいいの。大体理解しているつもりよ。ただ、私には貴方達が持っている共通認識がないの。忘れてしまっているのか、最初から無いのかは判らないけれど」
「そうでした……ついいつもの調子で喋ってしまって。ごめんなさいです」
その後三人がてんでに喋ったところを纏めると、どうやら石原達の記憶している内容ってのは、昨日森宮さんに見せられた例の同人誌の小説そのまんま、ということらしい。
もちろん、書いたのは森宮さんでなく葵だった。
内容は視点を大学生の(「巻かなかった世界」の方の)ジュンに変えたりと細工して一部脚色してあるものの、漫画でトレースされていない部分の自分達の顛末をできるだけ平易に書いたつもり、らしい。
まあ、と森宮さんは口許に手を当てる。
僕も額に手を当てたい気分だった。よりによってあの「第二部完」だけ読まされたアレかよ。
森宮さんは原作を読み込んだ上で全部通して読めばきっと感動する大作みたいなことを言ってたが、よりによって僕は未だラストを見せられただけだぞ。感動も何も、推理小説のネタバレだけ知らされたような気分である。
ラスト近辺までは大筋が漫画に沿っているらしい。が、漫画をもっぱら残念人形対策の資料として扱ってきた僕としては、漫画にしろアニメにしろ筋立てさえもうろ覚えな訳で、細々としたことを理解するためにはうちに帰って全巻改めて読み返してみなければならん。この場の役には立たないということである。
なお、重ねていた手は森宮さんが口許に手を当てたときにあっさりと離れていった。残念だと思う反面、彼女が落ち着いてきた証拠だと考えれば悪くないような気もする。
「僕達の認識では、アリスゲームは雪華綺晶の勝利で終わってしまっていた」
「雪華綺晶はローザミスティカを必要としないドール。だからローザミスティカは形を変え、私達の命になったのです」
「それを取り計らったのは、みんなのお父様の生まれ変わりだったジュンジュン……おっきな方のね」
「中学生のジュン君にも、お父様たる素質はあったのかもしれない。だが、巻かなかった世界の彼がお父様となることで、こちらの彼は他のマスター達と同じように、名前を変えて自分の契約したドールと家族になった」
「私達は生まれ変わり、偶然か必然かは判りませんけど、こうしてまた顔を合わせたのです」
「ま、……そう思っていたんだけどね、今までは」
リアルみっちゃん、というか話が本当ならまさにみっちゃん本人である加納さんがそう締め、三人は店長氏に視線を向けた。
言いたいことは流石に判る。あの同人誌に書かれたことが葵達にとっての真実なら、確かに店長氏の言ったこととは矛盾してるよな。
店長氏の言い分を全部は信じられない。ただ、ばらしーみたいな人形を作るのみならず怪しげな動力ユニットを仕込んだと称している上に自分達の秘密事項を知っている訳で、単なる嘘つきとも思えない。元々の知り合いでもあることだし。
自分達の手の内は晒してみせた、次はアンタが何者なのか、知ってるのはどういうことなのか自分の口から教える番だぞ、ってなところだろう。
なるほどなぁ。上手いやり口である。流石は石原(葵)が噛んでるだけのことはあるな。
三人で会話の主導権を握ったまま店長氏の種明かしを先送りにしてしまい、さんざっぱら言いたいことを言い終えてから、さあ喋れとばかり彼にお鉢を回してみせているって寸法だ。
僕ならば真っ先にアンタ何者なんだと店長氏を問い詰めていたところだ。それでツンツンした雰囲気になっていたことは間違いない。
そこは流石海千山千の強者達と言うべきか、オンナ三人集まれば何とやらというか。すっかり自分達のペースに持って行ってしまっている。
敢えて理屈を付けるなら、正面から追及しなかったのは、これから存分にツッコミを入れるぞという宣言なのかもしれん。これまでの問答を見るに、勿体を付けるのは得意だが口の方は達者でなさそうな店長氏が気の毒にさえなってくる。
ちなみに僕と人形どもにお鉢が回って来る気配は一切ない。既にこっちはどうでもいいというか、殆ど存在すら忘れられているようだ。
まあこっちはこっちで、話が一段落したら言ってやりたいことは肚の中になくもない。そのタイミングがあればの話だが。
店長氏はこほんと咳払いをして口を開いた。悠然とタイミングを計っていたような態度をしているが、案外口を出せる雰囲気じゃなかったのかもしれん。
初めてなんとなく親近感が湧いた。なんつってもこの場では唯一の男性なのだよなぁ。女性陣のパワーに圧倒されるのは致し方ない。あ、僕も居たか。まあ居ないのと同じことだが。
しかし、口を開けばその言葉には全員が耳を傾ける。こっちと違って、あちらが重要人物なのは間違いない。
「……君達の認識している過去を全て否定するつもりはないが、全てが事実ともいえない。その共通認識には偽りが含まれている」
「偽り、ですか」
「そうだ。まだアリスゲームは終わっていない」
「僕達を騙そうとしている者が居るとすれば……雪華綺晶? 自分が勝利したと思い込ませて、不戦勝を狙っているということだろうか……?」
「で、でも、こんなに長い時間かけて工作する必要なんてあるんですか。生まれ変わってからもう何年にもなってるですよ」
「そっちが事実なら、まだカナ……いえ、みんなに勝てる機会が残されてるってことですよね?」
「全員ではない」
店長氏は沈痛な表情で、加納さんの、これまでとはちょっと違った(ちょいマジな感じの)トーンの声に首を横に振った。
美登里がはっとして葵の顔を見、葵は曖昧に微笑んだ。加納さんは、しまった、という顔になって下を向く。
微妙な空気が漂った。
んん? 特定の誰か、例えば森宮さん(皆さんの話によれば真紅ということになる)だけにゲームを続ける資格があるってことなのか? わからん。
──事実は酷なものかもしれない。この場の何人かにとって。
ひょっとして、あれは森宮さんが知らなくてもいいことを知ってしまうってことじゃなくて、この件を指してたのか? この中の誰か、石原姉妹のどっちか、それか加納さんの妹、はたまた水島先輩。誰か既に資格を喪失してる人がいるってことなのか。
いや、そもそもアリスゲームをすること自体、そんなに嬉しいことなのかどうか。凡百の人間なんぞ本来興味の対象にもしてなさそうな皆さんが、ここで僕と同じように忘れられている残念人形ども(特に黒いのとばらしー)のように嬉々として壊し合いに臨むような単純明快な思考を持ってるのか? それも皆目判らん。
ええい、鳥海でもサイカチでも、いやこの際柿崎でも構わん。事情通を呼び寄せて随時副音声で解説をさせたいものだ。多分漫画を読み込んでいれば大凡の見当が付くはずの場面である。
ここに来る途中でばらしーの帰りが遅くなるとサイカチに電話を入れたのだが、奴は何やら昨日の森宮さんの一言でばらしー用の新たな調度品を選ぶのに忙しいとかで、製造元を訪れるのをパスしてきおった。
無理にでも呼び寄せておくべきだったか。店長氏にも森宮さんにも何となく顔を合わせづらいのだろう、などと気を回して強いて誘わなかったのが裏目に出たなあ。
すっかり観客じみてきた僕の内心など当然知る由もなく、店長氏は石原姉妹、多分美登里の方に顔を向ける。
「君達は、雪華綺晶に囚われた後の経緯をどう記憶している?」
「──白い霧の中で、蒼星石と出会って……でもそれは偽物で」
「その後、お父様が翠星石を助け出して、翠星石は真紅達の元に向かった。そこで僕も呼び戻され、僕達は雪華綺晶を退けて「巻いた世界」に全員で帰還した……水銀燈だけは、自分のマスターの行方を追って行ったけれど」
「そこまで、みんな同じ記憶を持っているのです」
「僕達は暫くの間、「巻いた世界」で平穏な日々を過ごした。雪華綺晶によって心を連れ去られた僕の元マスターやオディール・フォッセーさんの意識が戻ることはなかったけれど、雪華綺晶の影は見当たらなかった」
「ジュンは中学に復学するために準備を進めていました。私達は家の中のことをお手伝いしたり、おじじの家に行って薔薇をお手入れしたり」
「合間を縫ってみんな揃って雪華綺晶を探索もした。彼女は見付からず仕舞いだったけれど……」
「でも……それは偽りの世界でした。雪華綺晶が居なくて当たり前なのです。全部、雪華綺晶が作った箱庭の中だったんですから」
そこからの解説は、またも三人による追走曲状態になった。
その大掛かりな芝居がバレたのは、ジュン君(森宮さんの弟の「アツシ君」のことである)が登校を再開して暫くした日だったらしい。
不登校になった経緯が経緯だけに、周囲はそれぞれに心配していたのだが、学校で彼が一年前の事件を含めて不登校になった経緯に触れられることはなかった。逆に新しい友人もできて、再登校はまずまずの滑り出しだったという。
彼は最初の日曜日には翠星石(つまり美登里である)を連れ出して学校見物をさせる、という大胆なことまでやってのけた。それなりに本人も緊張を解き始めている証拠だったのだが……。
翠星石とのデート? の翌日の月曜日。彼は唐突に現実を突き付けられた。
仕掛け人は水銀燈(概ね水島先輩であろう)のマスターである柿崎めぐ(ええと、多分水島愛毬さんということになるなこれは)。重い心臓疾患のため入院中であったはずの彼女は、何故かジュン君の同級生として、彼の再登校開始の数日前に転校してきていた。
もちろんその時点ではジュン君はめぐさんのことなど知る由もなかった。……らしい。そういえば漫画でも二人に接点は無かったような気がする。
だが、彼女の方は全てを知っていた。
クラスでちょっとした事件があって濡れ衣を着せられそうになったジュン君を彼女は庇ってくれた。そこまでは良かったのだが、お礼を言いに彼女の後を追ったジュン君が聞かされた話は、とんでもない内容だった。
──このセカイはね、全部茶番なの。本物の貴方も私も水晶の棺の中に囚われていて、楽しい夢を見ているだけ。
──ねえ、とっても絶望できる話じゃない? 私達みんな、白い悪魔の掌の上で滑稽な踊りをさせられてるだけなのよ。
信じられない、と首を振る彼に、彼女は畳み掛けた。
ここは現実にしては優し過ぎる。
不治の病だったはずの自分がこうして全快している。去年の文化祭の直前に全校生徒の前で秘めていた趣味を暴露され、全校集会で吐瀉物をばら撒いた貴方が、陰から冷たい視線を浴びることもなければ腫れ物のように扱われるでもなく、その件を忘れ去られている。
こんな都合のいい話があるはずがない。
彼女は気付いてしまった。全ては作り物なのだと。
このセカイに実際に存在しているのは僅かに数人のローゼンメイデンとそのマスターに過ぎない。後は都合の良いハリボテとマリオネット。その証拠に──
──ほら、見なさいよ。貴方がクラスメートだと思ってたモノ。
彼は恐る恐る背後を振り向く。いつの間にかそこに居並んでいたのは、何本かの白い吊り糸で操られた、等身大のマリオネット達だった。
恐怖と絶望が襲ってきて、彼が声にならない絶叫を上げかけたちょうどその時。二人を騙していたセカイは薄いステンドグラスのように割れて壊れ去った。
もう一人の彼……「巻かなかった世界」のジュン君が、雪華綺晶のからくりを見破ったのが、まさにその瞬間だったのである。
なるほど、そこから例の「第二部完」に続くって寸法なのか。大したスケールのお話であった。
柿崎が昨日語った残念人形の話などとは最早比較にならない。流石はローゼンメイデンさん達である。
特に雪華綺晶さんとやらのパワーは凄まじい。「巻かなかった」ジュン君のいる世界をねじ曲げて罠を作り上げ、一方では「巻いた」ジュン君達を一網打尽に絡め取ってハリボテの中に……
……あれ? なんか変じゃないか?
観客たる僕が首を捻っている間にも話は進んでいる。
店長氏は石原達に軽く頷き、君達が認識している経緯はそうだろう、と言った。
「……では、もう一つ尋ねよう。君達が認識している中では、君達はいつから偽りの中に入っていた?」
「それは……多分、私が真紅達のところに向かったとき……」
「雪華綺晶が前振りを始めたのは、翠星石と真紅が捕えられたときからだと思う。そして金糸雀とジュン君が罠にかかるのを待って、巻かなかった世界全体を使った仕掛けを発動させたんだ」
「nのフィールドに繋がってしまったのりとでか人間も、一緒に引きこまれてしまったはずなのです」
「そうしてみんなを閉じ込めておいてから、雪華綺晶は僕の最後のマスター……いや、お父様であり、巻かなかったジュン君でもある人の心を奪うことに専念した」
「わざわざ蒼星石ちゃんを復活させたのも、みんなを一度は巻かなかった世界に呼び入れて戦ったのも、それが現実であり自分が負けたと錯覚させて油断させるため……よね。それにしても久々に聞いたわー、翠星石ちゃんの『でか人間』って呼び方」
「ご、ごめんなさいです。何年かぶりについ……」
でか人間って、みっちゃん(加納さん)のことだったのか。それほど背が高いようには見えんし、どちらかと言えば小顔で、身体の横幅に関しても標準よりかなりスレンダーな御姿なのだが。まあ、アツシ君であるところのジュン君よりは背が高い、か。
いやいやそれはどうでもいい。肝心なところが二つばかり引っ掛っているのだ。
ひとつは、石原姉妹の説というか昨日の同人誌の内容が正しいとしたら、どうにも雪華綺晶のやってることがグダグダに見えてしまう点だ。
雪華綺晶は「巻かなかった」ジュン君と自分の作り上げた世界でイチャイチャしていた。なおかつ、さっきの話の内容によれば同時進行でもう一つ別の世界を作り、そこに姉妹と契約者さん達全員を放り込んで騙すほどのスーパーパワーを持ってることになる。
随分張り込んだもんじゃねえか。というか姉妹の方々と比べて能力が段違いもいいところである。同時に世界をまるまる二つ、破綻しないように維持管理するなんて、そりゃ至高の少女どころか神様も真っ青の所業だ。
その雪華綺晶が、その前段階でえらくまだるっこしい方法を取った意味ってなんなんだ。
随分と手が込んでるというか、どえらく無駄の多い遣り方にじゃあないか。一旦捕獲したものをわざとリリースしてみたりとか、負けた振りをしたりとか。
蒼星石本人を名乗る葵の前でなんだが、全部を全部コントロールできてるなら、復活させてしまうリスクを冒して蒼星石のボデーをちらつかせたのも腑に落ちない。なんかこう、もっと効率良く進めて良かったんじゃないか?
その辺は凡百の人間なんぞには判らん理由が裏にある、でバッサリ切り捨てるとしても、もう一つ疑問がある。
経緯を追って説明してもらったお陰ではっきりしてきたのだが──
「その筋書きは一見、理屈は通っているように見える。だが、雪華綺晶の行動で矛盾する部分に気付かないか」
「矛盾するところ、ですか」
「判らないな……重層的に過ぎる罠だとは思ったことがあるけれど」
「それは重要な視点だが、矛盾点は別にある」
「矛盾……うーん、ちょっと思い付かないなぁ……みっちゃんの頭脳じゃ限界かも……」
あれあれ、皆さん降参なのか。っていうか加納さんの一人称、みっちゃんだったっけ?
店長氏は結構露骨にヒントを出したように思えたんだがなぁ。
加納さんの向き不向きはよう知らんが、常日頃、少なくとも僕よりは頭の回転が速いことを見せ付けている葵と美登里が両方ギブアップとは意外である。
こういった推理、というか辻褄合わせは苦手にしてるのか? それとも、頭の良い人特有の考え過ぎ症候群か何かなのか。
何なら僕が言ってやろうか、と考えていると、暫く黙って話を聞いていた森宮さんが口を開いた。
「矛盾、と言い切って良いのかは判らないけれど、おかしな点はあるわ」
「判ったのですか!」
「記憶を失っていても流石は真紅、というところだね」
「それは、まだ自覚がないのだけれど……」
なにやらすっかり昔に戻ってしまったらしい石原姉妹……いや、もう開き直って翠星石と蒼星石と言ってしまうべきなのか?
口調やら態度まで若干変わってしまっているような気がする。いつもの二人に共通の、ちょっとばかし偉そうな、というか年齢相応の落ち着きが消えて、素直な子供みたいに見える。こっちが素の二人ってやつなんだろうか。
とにかく、二人の素直な感嘆の声に複雑な表情を見せつつ、森宮さんは店長氏に向き直った。
「雪華綺晶が最初から「巻かなかった」ジュンを篭絡する目的で居た、そして世界自体を改変していた。それが美登里……いえ、翠星石達の話してくれたシナリオだけれど」
「ちょっと視点が違うんだね、僕達とは……。記憶を失っている君の方が物事を客観的に捉えることができているのかな」
「でも、外れてないですよ。そういう見方もできるし、間違ってもいないのです」
「ありがとう。……でも、そのシナリオではパラドックスが生じてしまうのだわ」
「パラドックスですか?」
「ええ」
森宮さんは美登里に軽く頷き返し、落ち着いた口調で話し始めた。
葵達の記憶が正しいものだとすれば、雪華綺晶は姉妹全員を鹵獲した後で、「巻かなかった世界」を舞台に大掛かりな茶番劇を繰り広げた、ということになっている。
裏を返せば、一旦は罠に嵌めることに成功したものの、姉妹達に対しては依然として警戒していたということになる。慎重で周到だと言えなくもない。
しかし、実は鹵獲したのは無意味どころか、彼女の構想にとって有害だった。姉妹達がその場に居ない方がより有利に物事を進められたはずなのだ。
雪華綺晶が最初から「巻かなかった世界」のジュン君をターゲットにして、アリスゲームそっちのけで彼とイチャラブすることだけを目的にしていたのなら、何も姉妹達を鹵獲して「巻かなかった世界」送りにする必要はない。自分だけでこっそり楽しめば良いことだ。
ところが、彼女は雛苺に干渉して解体し、蒼星石のボディを持ち去り、元マスターの老人を昏睡させてしまった。
逆に言うと自分から姉妹達と積極的な関わりを持ってしまったわけだ。
但し神出鬼没の彼女はその後も他の姉妹には全くシッポを掴ませなかった。そのまま遁走していれば追跡は不可能に近かったはずだ。
雛苺を襲った上、蒼星石のボディまで持ち去ったという行動自体もイチャラブ目的なら不可解ではある。自分から波風を立てようとしているようにしか見えない。
仮に行動の裏に何か別の意図か窺い知れない事情があったとしても、自分一人で「巻かなかった世界」にサヨウナラしていれば、以後関わりを持つようなこともなく過ごして居られたはずだ。
そうして彼女は哀れな姉妹達を尻目に、安全な場所で「巻かなかった」ジュン君と思う存分イチャイチャすればよい。何も全員集めて叩き潰すことはないし、まして幻影を見せて騙す必要など全くないのだ。
畢竟、わざわざ他の姉妹にまで手を出したということは、雪華綺晶にアリスゲームを遂行する意図か、姉妹を全員確保したい事情があったということに他ならない。
だがそれならば尚更、邪魔な姉妹なぞ居ない間に二人きりで関係を深めておき、時機を計っておもむろにコトに乗り出した方がより安全で効果的だったのは言うまでもない。
姉妹達を呼び寄せて茶番を始めるより前に、そのときは未だ覚醒していなかった「巻かなかった」ジュン君(=お父様)とさっさと契約し、自分の影響下に置いてしまった方が効果的なのである。ゲームの面でも、姉妹を確保する面でも。
最終的に彼女の目論見は成功したものの、予め契約を結んで関係を育てていればもっと確実だったはずだ。もう一つ言えば、複雑で大掛かりな茶番劇も省略できただろう。
つまり、葵たちの認識しているとおりに物事が進んでいたとしたら、雪華綺晶はわざわざ手の掛る方法を選択し、何故か自分の目的を達成しにくいように行動し続けていたことになる。
言い換えれば彼女の実際に採った策と、目的としたはずの物事の間には大きな矛盾が生じている。しかも彼女が大掛かりな舞台装置を前から用意していたとすればするほど、「巻かなかった」ジュン君を以前からターゲットにしていたとすればするほど、その矛盾は大きくなる。
ならば、最初に立ち戻って考え直してみたらどんなものか。
雪華綺晶が「巻かなかった」ジュン君に目を付けたのが、早くとも一旦全員を拘束した後だったと考えれば、すんなりと話は繋がる。もし「巻かなかった世界」を改変したのだとしても、そのとき以降であれば納得できる。
天動説ではどうにも複雑怪奇だった惑星の運動が、地動説ならごく単純な楕円軌道周回で説明がつくようなものだ。推論自体でなく前提をも一度は疑って掛ることが重要なのである。……と、森宮さんは石原姉妹に説いた。
「──シンプルに考えるのなら、少なくとも「巻かなかった世界」での出来事までは、皆が認識していた世界は彼女の制御下の幻影ではなかったとすべきでしょう。漫画として私達の目の前にあり……いえ、貴方達の記憶にあるとおり」
「だとしたら、今現在の僕達のこの状態は……?」
「せ、説明がつかないです。だって、みんな人間になってこんなに長いこと生きて来ているのに──」
「そうねぇ、カナがみっちゃんの妹で、翠星石ちゃん達は石原さん、じゃなくて結菱さんのお宅の子で──……」
「他の姉妹も皆、新たな名前と家族を得ているんだから──」
三人はてんでに言いたいことを言い始め、たちまちの内に主導権はそちらに移ってしまった。
意識してやってる訳じゃないんだろうが、やはり口数の多い三人が束になっているのは手強い。敢えて悪く取れば森宮さんの考えを総力を挙げて否定せんとする雰囲気にさえ見えてくる。
森宮さんは視線をテーブルの上に落とした。こちらは大分士気が低下しているようだ。無理もない。
三人に同時に否定されたから、ってだけじゃあるまい。言い出してはみたものの、やはりそこから先は言い辛いんだろうな。
やれやれ。どうやら惨めなただの人間にも口を挟んで良い機会が与えられたらしい。
これが森宮さんのフォローとなるものでなければ有難迷惑としか言えんところである。
「……反対だとしたらどうだよ」
「潤……」
「どういう意味だい、邪夢君」
「黙ってたと思ったらいきなり何言い出すんですか、アンタは」
「口を挟めるような内容じゃねーだろがよ。いきなり漫画と現実ごっちゃごちゃになって」
「そうよねー。びっくりするよね、普通は」
「まあ、僕は主役級の皆さんと違って普通っていうか多分背景に居るモブとか、下手すると絵から省略されてる方なんで。で、その存在が否定されてる奴が言うのもナニなんですけどね」
「嫌味はいいから、ちゃっちゃと続きを言いやがれです」
「あーはいはい。要するにさ、薔薇乙女の皆さんが今居るこの世界の方がキラキーさんの作った幻で、皆さん適当にだまくらかされてこの中に住んでるような錯覚に陥ってるだけだとしたらどうなのよ、ってこと」
三人の反応は、意外にも三者三様だった。
加納さんは完全に虚を突かれたといった様子で、あ、という形に口を開けたまま固まっている。葵は(元々さっきから硬い表情になってはいたが)あの、今朝から時折見せていた無闇に真剣な表情で、僕ではなく店長氏を見た。結構鋭い眼光だった。
美登里は──さっきまでの勢いが一瞬で消えた、という感じだった。まるで、判っていたが臭い物に蓋状態だった事柄を改めてほじくり返されたような、閉店時刻直後に店に入ったら店員にすみませんが閉店ですと言われたような、落胆を絵に描いたような顔になって下を向いてしまった。
なんだ、なんだってんだよ。
覚悟はしていたものの、凄い罪悪感が湧いて来る。まあ、森宮さんに言わせるよりは良かったと思うしかない。
その森宮さんは、三人と店長氏の顔を窺ってから僕に視線を向けた。
もうちょっとソフトな言い方をするつもりだったに違いない。怒ってはいなかったが悲しげな表情だった。
なるほど。店長氏の予言はムチャクチャ正しかったよ。
僕はこの場の少なくとも二人以上の面子に、多分半端無く辛い思いをさせてしまった。それも店長氏の口を借りずに、自分から言い出して。
慣れないことをするもんじゃないよな。ていうか、計画性の欠片も持ってないとこうなリますよっていういい見本だ。慎重な奴ならほんの数十秒間でもよく考えて、言葉を吟味しているところなんだろうよ。
如何にも僕である、としか言いようがないぜコンチクショウ。しかし、言い出したからには後には引けぬ。
もちろん不退転の決意を以て臨むとかいう立派な話ではない。あとの後悔先に立たずというやつである。
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長くなり過ぎたのでこの辺で以下次回。
もはや内容そのものが期待されてないこととは思いますが、以降毎週金曜日辺りに更新したいなと。