~~~~~~ その日の前日 森宮邸前、別れ際 ~~~~~~
「──判ったよ。要するに付き合い始めた振りをすれば、周りがきっとリアクション起こすってことか」
「ええ。……みんなを騙すことにもなるけれど」
「別に構わないじゃんか。みんな何か森宮さんに隠しごとをしてるんなら。それだって立派な嘘つきだ」
「……きっとそれは優しい嘘なのだわ。私が知らないか、思い出せない何かがあって、それを……でも」
「でも、優しい嘘で作った殻の中に居るのは厭だから……?」
「……真実が欲しいの。私にとっての真実が。優しくなくても、納得できたらそれだけで。今のままでは、まるで深い霧の中に居るようだから」
「Not even justice, I want to get Truth.……か。なんかのアニメであったよな。僕は、どっちかっていったら真実よりも事実が知りたいけど」
「どう違うの、貴方の中での真実と事実は」
「真実は一人一人が作るものじゃないかって思うんだ。事実はそのまま、単純に起きた出来事そのまま」
「真実はそれぞれの心のなかに……」
「うん。誰かの真実はその人のものだから、そいつはそれで構わない。ただ、僕の真実の材料にはできる限り事実に近いものが欲しい。誰かのフィルターの掛った真実じゃなくて、洗ってない生のままの、泥のついて汚いやつ」
「……そうね。事実を知らなければ、何も始まらないのかもしれない」
「うん。だから僕は、森宮さんの『殻』の事実を引き出すために協力する。そのためにちっとばかし嘘が混ざることなんか気にしない」
~~~~~~ 現在 ~~~~~~
ちょいと恰好付けてそんな話をしたものの、まさかあんなに早く現実になるとは思わなんだ。
もう少しじわじわと効いて行くモンだと思ってたんだよな。当然ながら。
僕は『殻』ってのは単純に人間関係のことだと思ってた。多分森宮さんもあの時点では同じだったはずだ。
森宮さんには、本人の知らない過去か何か、ともかく本人には明かしたくない不都合な事実がある。それを周囲のみんなは全員よく知っているが固く口を閉ざしている。
それが彼女の『殻』だ。
『殻』の中に居る限り、森宮さんは暖かくて安全だ。しかしそれでは良くない、と彼女は言った。僕も承知した。
真実を見付け出すにしろ事実を突きつけられるにしろ、自分の中で落とし所を見付けたいと思うことに変わりはない。青臭いとか言われそうだが、まさにそういう年頃なのだから仕方がない。僕達二人とも、隠し事をされてることが判って仕方ないなと納得できるほど老成しちゃおらんのである。
打ち明けられた森宮さんのプランは大したものじゃなかった。実際に起きたことに比べたらおままごとみたいな工作だった。
森宮さんがよりによって桜田なんかと付き合い始めました、ってのが次第に人伝に広まって行く。
弟くんが僕に「こないだの話と違うぞ」って怒鳴り込んできて、そこでこちらから種を明かし、逆に森宮さんが疑問に思っていたことを根掘り葉掘り聞き出す。何なら直接姉弟対決をしても構わない、というか森宮さんはそうするつもりだったようだ。
今まで何度か正面から尋ねても明かしてもらえなかった秘密を、慣れない芝居までやらかしても聞き出したいと思っているのだとアピールしたかった、と言ってやるつもりだったらしい。
もちろん、上手いことそういったドラマ仕立てに段取りが行くとは限らない。
もし不発に終わっても、僕という「外」の視点から、一歩中に踏み込んで自分(森宮さん)を取り巻く状況を観察することはできる。そうすれば何か歪な部分が浮かび上がって来るはずだ、というのが森宮さんの言い分だった。
ならば親しい友達のままでも構わんのでは、と思うのだが、アツシ君はじめ近しい人々に揺さぶりをかけるには、彼氏と思わせることが必要なのだと言う。
何やら少女漫画から影響を受けたっぽい、イマイチ感が溢れる作戦ではあったが、僕は同意した。これといって対案が出せるほど頭の回転が早くもない。
まあ正直なところ、彼氏って話が嘘から出た真になるってことも何万分の一かはあるかもしれない訳で、それは素直に魅力的だった。難易度の高そうな話はさておき、そっちに期待してしまったのは否定できない。
実際に、そういう風にコトが運んでくれたらどんなに良かったか……まあ繰り言だよね、うん。
ああ、そうだ。
そういえば、ここは森宮さんの慧眼を褒めるべきところかもしれない。
確かに僕は「外」の「人間」だった。完膚なきまでに、森宮さん達の狭いけれどもディープな世界とは無縁な。
~~~~~~ 第十六話 嬉しくない事実 ~~~~~~
さて、あの日の朝方からの僕を取り巻く……じゃないな。実際には森宮さんを取り巻く人々の行動は、案外森宮さんの意図を敏感に察知した上で、それに呼応したものだったのかもしれない。
えらく大人数で登校したことも、もちろん石原(葵)の妙に真剣な顔も、そして美登里が僕を呼び出したこともひっくるめて、である。
そして、それら諸々の中に僕と人形どもはまさにアイテム、あるいはガジェットというのか、とにかく舞台装置の一環として出てくるだけだった。予想どおりで今更って感じは否めないが。
そうだなあ、アイテムとかガジェットにしても、でっかい立派なモノじゃあないよな。瑣末で矮小なただの石っころみたいなものって言えばいいのか。向こうから見れば。
まあそっちの話は置くとして、僕が自発的に店長氏にこの話を尋ねた件だけは、彼にとっても予定外だったと思っていいだろう。
別に深い意味はない。単に舞台装置に過ぎないはずの僕が言い出して皆さんが乗っかったから、というだけのことである。店長氏がそこまで予測、あるいは予定して段取りを組んだ上の出来事だったとは、あの時の態度を見た限りでは考え難い。
舞台の上の演者の皆さんにとっては僕がーとか人形がーとか一切関係なくて、単にイレギュラーの一つってやつなんだろうけどさ。
ただその辺はあくまであちらさんの事情であって、その矮小かつ瑣末な存在である僕にしてみれば、思うところは色々とあった。
そして、それはこうなってしまった今でも依然として残るどころか増えつつあるのである。
~~~~~~ その日 ~~~~~~
店長氏は紅茶を啜り、少々意外にも僕の質問に直接係る部分から話し始めた。
僕が話を聞きたいと言い出したことがイレギュラーだったからかもしれん。ゲージツ家肌というか、神経質で計画どおりに行かないことが苦手っぽいし。
まずは人形どもの由来に関して。
柿崎が集めて来た情報は概ね正しいものだったらしい。人形どもは十九世紀末から二十世紀初頭頃、米国の某零細メーカーの製作だった。店長氏は言及しなかったが、恐らく柿崎の調べたRosen工房ってメーカーのことだろう。話の続きからして間違いなさそうだった。
工房は潰れてしまったが、その最晩期の製造物に二十五インチのオールビスクドールというものがあった。その成れの果て、というかそのものがここに居る黒いの(どういうつもりか、店長氏の横で不定期に身体の向きを変えておる。そわそわしているのか何なのか知らんが、どうにも不気味である)を含めた六体の残念人形どもである……と、ここまでも柿崎の調査と一致している。
違っていたのは、そこからだった。
人形どもが動力源たる謎の物体ロザミを埋め込まれたのは、制作時点ではなかったという。
時系列で言うとごく最近、人形どもが「目を覚ました」と認識している時点から少々遡った、大体去年の夏頃らしい。少々曖昧なのは店長氏が明言しなかったからである。
ふむ。ばらしーの完成引渡し時期と合致しておる。
黒いのも赤いのも、ばらしーが偽物の姉妹とか言って疑っておったが、あまり意味はなかったのだな。同時に柿崎の語った「第七ドール崩壊消滅事件」なるものは、ホラーならぬホラ話に終わった訳か。
「偽物じゃなくて、元々別モノだった、ってことねぇ」
「……うぅ……でも……姉妹で……」
「いや、そりゃ最初っから見た目だけで判ってたろ。同じ謎の動力ユニットが胸だか腹ん中に収まってる同士って意味じゃ紛れもなく兄弟分だろうがよ」
「……はい……!」
「そーだけどぉ……」
かなり嫌な兄弟分だけどな。特にばらしーにとっては。
つーか黒いのお前、自分達の覚えてた内容の肝心な部分がしれっと否定されたのによく平気で居られるな。いや、もしかしたらお前の記憶全部、店長氏が漫画の設定と事実を適当にアレンジして混ぜ合わせて入れ込んだブツかもしれんというのに。
図太いというか何と言うか。人形と人間のメンタルは違うのであーる、と言われてしまえばそこまでなのだが。
しかし、そうすると、だ。
動力ユニットを埋め込んだのが店長氏ということになると、漫画を真似てコイツ等にバトルロイヤルを命じたのも店長氏であり、その目的及びバトルの結果何が生成されるかも当然知っている訳である。あと、ついでにロザミの副作用についても。
結局のところこっちが訊きたいことはそれだけであり、森宮さん達に関わりのある部分は全くないはずだ。仮にあっても上手く話せば触れないで済むような気がする。
冒頭であれだけ緊迫感を以って念押しされ、僕以外の連中が店長氏以上の緊張でそれを受けたのはどういう訳なのだ。ううむ。『殻』とは一体何なのだろう。
何か釈然としないものを感じつつ、取り敢えず続きを聞かせていただくことにする。
「全ての欠片を揃えたとき、新たな存在が生まれる……」
紅茶で喉を潤した店長氏は、そっちの方に話を飛ばした。
順序からしてロザミの実態というか具体的な内容、古人形にそんな剣呑なモノを埋め込んだ目的について語るものとばかり思っていたのだが、その部分の説明は後回しらしい。
こっちの関心が向いているのがバトルの結果方面だと見て取って気を回してくれたのか、などとつい都合の良い方に取ってしまう僕であった。
後から考えるとお笑い草というか、大外れもいい所だった訳だが、生憎この時点の僕には知る由もなかったのである。
「どんなブツなんですか、そいつは」
「至高の少女よお。決まってんでしょ」
「人形と人形ぶっつけて、瓦礫の中から蘇るライガーならぬ至高の少女かよ。さっきも言ったが飛躍し過ぎだってばよ」
「なら、何だったら納得すんのよあんたはぁぁぁぁぁ」
「それが判らんから聞いてるんだろうが。取り敢えず、茶々入れは後回しにせんかい」
「……判ったわよぉ」
まぁ諌めてはみたものの、黒いのが苛々してるのは判る。いよいよ自分等のゲームの核心に触れるんだからな。
むしろここまで長いこと冷静でいる方がおかしい、とまで言うと言い過ぎだが、珍しいことではある。知識というか世間一般の雑学はひととおり習得しており、たまに理性的な判断をすることはあるが、普段は大抵気が短くて怒りっぽいのが黒いのの特徴なのだ。
今も僕の一言で引き下がったが、いつもならもっと早めに激発していて然るべきところだ。店長氏の前だから、ということなのかね。
そういや、漫画やらアニメの水銀燈とは口調以外大して似てないのだなあ。
もし店長氏がコイツ等の性格まで作り上げたのだとしたら、どんな技術かは知らんがかなりいい加減というか粗雑というか、好き勝手に設定したものである。半端に似せるくらいなら、せめて漫画版の怖いけど一途なお姉さん的な感じにして欲しかった。
とまれ、一先ず僕達が落ち着いたとみたのか、店長氏は漸く話を再開した。
「確かに、至高の少女は行き過ぎだ。何処かで情報が錯綜してしまったのだろう」
「ええっ!?」
「そんな……ひどいです」
「まーそんなトコだろうと思ってたけどね」
「ただ、七つを一つに戻して生まれるものがあるのは嘘ではない」
「それが、この子達のローザミスティカの元……ということですか」
「ああ」
店長氏は問い掛けた森宮さんに頷いてみせ、それからやや言いづらそうに続けた。
「そして、それは本来君のものでもある」
「私の、もの……?」
森宮さんはぎくりとして目を見開き、周囲を見回した。
救いを求める、って雰囲気じゃなかったことは、彼女の名誉のために言い添えておくことにしよう。むしろ、森宮さんは周りの連中の反応を確かめたかったんだと思う。
そして、意外にも他の面々(というか石原姉妹と加納さん)の反応は、自分達も知っているぞ、ってものじゃなかった。一様に店長氏の話の続きを気にしていて──そうだな、自分達の与り知らぬところに話が向かいそうだという不安と謎解きの期待がない混ぜになった顔で店長氏と森宮さんの顔を見比べていた。
僕はそんな森宮さんと三人のことをちらっと見てから、黒いのとばらしーに視線を移した。
ばらしーが片目を瞬いて僕を見返してくる。黒いのがぐりっと目をこっちに向けるのも、今だけは耳の後ろがざわざわすることもなく受け止められた。
なんとなく理解してしまったのだ。多分人形どもも判ってしまったんだろう。
僕達がメインのお話はここまで。これからは、彼等にとって実に重要であり、同時に僕達にとってあまり愉快なものでない「事実」とやらの話になるのだと。
そして、その予想は正しかった。悪い予感だけはよく当たる、の法則はこのときも全開で発動してくれた訳だ。全く碌なもんじゃない。
「長い時間を掛けて漸く見付け出した貴重な品物だ。しかし分割して隠すほかなかった」
店長氏は森宮さんを真っ直ぐに見詰めた。
「人工精霊ホーリエ。その構成要素を七つに割ったものが、この人形達の胸に収められた物の実態だ」
僕は多分一座の中で一人だけ、ぽかーんと間抜けな面を晒していたに違いない。
どえらくシリアスな場面になったところで、後ろから膝カックンされたような気分だった。
もう少し離れた所に座っていたら、脇にいる黒いのをつついて尋ねていたところだ。
人工精霊が例の漫画に出て来るチカチカ光る光の玉か虫みたいなモノってことは知ってる。ホーリエって名前も見たような気がする。
はて、しかし。どのローゼンメイデンの持ち物だったっけ? 最近あの漫画をパラパラめくることもなくなってる僕は、そんな細かいところまでまともに覚えてない。
何にしろ、アレだ。なんでこの、多分森宮さんの『殻』が云々って大事な場面で、またあの漫画の話が出て来るんだ。それとも僕が例によって妙に意識してるだけで、なんか別の話なのか?
──真紅。ローゼンメイデン第五ドールですよ。邪夢は漫画の中の登場人物としか思ってないでしょうけど、実在するのです。
いやいや、まさか。
メジャーな週刊漫画誌で現在連載中の漫画ですよ。神話に元ネタがあったとか、伝説の事実はこうだったってな話じゃない。
店長氏が人形に仕込んだら自動で動き出すようなヤバいブツを作るか入手できたことは判った。だが、いくらなんでもそこまでは──
──しかし、それがもし事実なら。
恐る恐る顔を上げ、他の人々の顔を見回してみる。
周囲は一瞬で凍りついていた。
いやそれはオーバーか。とにかく、空気ががらりと変わっていた。
一呼吸置いて、森宮さんは店長氏に顔を向けたまま、重ねた僕の手にまではっきり伝わるくらい震え始めた。石原姉妹と加納さんも、何故か酷く驚いた顔をしている。
多分、店長氏の言葉が実に意外なモノだったのだろう。それは判るんだが、判るんだが、ちょっと待て。
そんな態度を取られたら、店長氏の話の方はともかくとして、信じたくなっちまうじゃないか。
名前が偶々似ているだけの僕達には無関係に、リアル真紅様、リアル庭師姉妹(byサイカチ)の方に関わる物語が文字どおり実在しているとしたら。
柿崎が同じ病室に入院することになった循環器系の悪い女の子と、その姉貴にあたる水島先輩。
このテーブルに着いているリアルみっちょんと、弦楽器の類稀な才能を持った妹の加納先輩。
園芸が趣味の双子である石原姉妹。いや、それだけじゃない。今朝顔を合わせた、ちっちゃくて元気なヒナって名乗った一個下の女子も。
そして、あまりに似過ぎている森宮家の家族構成。どう見てもリアル桜田ジュンとしか言えない、森宮さんの弟くん。
彼等に関わるディープな世界が、実際にあるとしたら。
──全てを話して、真紅の覚醒を促すのです。
森宮さんに関する、『殻』っていうのは、僕達が想像してたようなその辺に転がってるような秘密じゃなくて。
彼女の失われた──
「──私は……」
「そうだ。真紅」
店長氏は、緊張を一段高めたような仕種で頷いた。
「今は忘れていても、君は誇り高き薔薇乙女だ。真紅、ローゼンメイデン第五ドール。そして──」
ちらっと視線を逸らす。いや、テーブルの向こうの石原姉妹に目を遣ったのだろう。
反応を見るような間を置いてから、また森宮さんに視線を戻した。
「──ゲームは終わってはいない。まだ君はその盤上に立っている」