~~~~~~ 十数分前、文芸部部室 ~~~~~~
「やあ。勉強は進んでいるかい?」
「……あら、葵……ええ。でも、作ってみないことには始まらないのだけれど」
「ふふ、そうだね。でも邪夢君は君の作ったものなら何でも美味しいって言うと思うよ」
「そ、そうなのかしら。でも私、お料理なんて授業以外にしたことがないから」
「大丈夫。丁寧に、思いを籠めて作れば、それはきっと伝わるから」
「……そういうものなのね」
「うん。……ところで、美登里を見かけなかった? うちの部室にも教室にも見当たらなくて」
「さあ……ここには来なかったけれど」
「そう。忙しいところ済まなかった」
「いいえ。少し安心できたわ。ありがとう」
「どういたしまして。じゃ……」
「あ、待って。私も探すのを手伝うわ。もう帰るところだから」
~~~~~~ 現在、二年二組教室 ~~~~~~
美登里はすぐには目を覚まさなかった。もう暗くなるってのになんたることだ。やはりこの人形どもが絡むと碌なことにならん。
それはともかく、残念人形どもを廊下に出しとくのはやばい。被害の拡大の恐れがある。
都合七つの危険物体どもを全て教室の中に呼び入れ、これまでの経緯を訊いて僕は頭を抱えた。
「学校が懐かしくなったって……せめて夜中とか休日とかにせんかお前等」
「私はそう言ったんだけどぉ」
「仕方ないかしら。ばらしーがお家に帰る前に見てみたいって言うのだもの」
「ばらしーの家の門限を考えたら長くは待てんのですぅ」
「門限まであったのかよ」
「嫁入り前の……娘です……から。ぽっ」
「いやいやいやいや、なんか違うだろ、それは。それと表情変えられないからって口で言うのやめなさい」
サイカチの過保護ぶりには呆れ返る。っていうか、そもそも最初にうちにご訪問されたときは既に真っ暗だったぞ。
大体作ったのは奴ではなくて、例の駅前のドールショップの店長だろう。奴は嫁入りされた方じゃないのか。それとも娘という認識ってことは養子なのか。ううむ。
それはそれとして、学校といって僕の通う高校をピンポイントで狙う辺りに作為を感じる。近隣の小中学校で構わんではないか。
まあ、この近くのトイレの鏡を使ったんで美登里以外に犠牲者が出ていないらしい(と本人形どもは主張している)のは良いことだ。この上廊下が死屍累々であったりした日には目も当てられない。
そういえば美登里のやつは赤いのの覚醒が云々言ってたが、覚醒したらどうなるというのだ。
赤いのが覚醒して、これまではじっと姿を見なければ被害が出なかったところを常に瘴気を放つ謎物体にランクアップ……ううむ。考えるだけで身の毛がよだつ。なんてことを。
いや、いやいや。美登里はちょっと不思議ちゃんなところはあるが、概ね平和な奴だ。なんか別の進化を遂げるのであろう。そう願いたい。切実に。
「何ぶつぶつ言ってるのよぉ、一人で」
「マスター、人前で独り言が出るほど追い詰められていたなんて……」
「不気味なのだわ、ブサメンだけにより一層」
「なんか怖いのー」
「よりによってお前等に言われたかねーよ!」
発声器官も発声装置らしきモノも見当たらんのに喋ってる怪奇物体はどっちなのだ、と言ってやると、怪奇物体どもは一斉に抗議を始めおった。
テレビから電話からと次々に「喋るもの」を引き合いに出すのはいいが、それら全部スピーカー付いてるだろ。ついでに言えば自分で判断して音声合成してるわけでもない。
いい加減こいつらも自分の妙なところに気付くべきなのである。動力がどうなってるのかとか、何処で考えて処理してるのかとか。ちなみに頭の中身は空っぽであり、入ってるのは精々砂埃と蛾の死骸程度なのは知ってのとおり。
何をどう抗議されようと、コイツ等が怪奇物体であることは紛れもない事実であり、ついでに言うと奇怪な物体であるに相応しい外見も備わっている。あと、まあこう言っちゃなんだが根性の方も大概である。
そもそもここで教卓に凭れて失神している少女を見よ。
美登里が一発で気絶してしまったのは、喋って動いてるお貞をまともに見たからではないか。つまり、いくら僕がブサメンでも真似できんレベルの不気味さということなのだぞ。そこをきちんと理解して──
「──邪夢君? 美登里も居るのかな? 随分賑やかな話し声が……」
「あ、葵、入るのは待った方が……良くてよ」
「え? どうして」
廊下で、というか今閉めたばかりの引き戸の向こうで何やら聞き慣れた声がした、と思ったら、がらがらと引き戸が開かれて見知った顔がひょいと覗いた。石原だった。
こっち見るのは止しとけという警告をする暇も、人形どもにどっか隠れとけと命令する時間もなかった。
「え、なに……人形が動い……て……」
こっちを指差し、振り向いてもう一人に何か言いかける。それで止めておけばいいものをご丁寧にもう一度こっちを向いて、ふるふると首を振って……くたくたとその場にしゃがみ込んだ。
「……だから待った方が良いと言ったのに……」
石原の後ろに居た誰か──森宮さんが大きく溜息をつき、戸口に姿を見せた。
僕は何が起きたのかイマイチ理解できず、ただ、これで犠牲者は倍に増えたのだなぁと妙なことを考えていた。
~~~~~~ 第十四話 嘘の裏の嘘 ~~~~~~
失神してしまった葵を美登里の隣に運び、ここまでの経緯を簡単に話すと、森宮さんはちょっとばかし不満そうな顔になった。
まあ当たり前だよな。普通なら怒るなり冷めるなりされても仕方ないとは思う。付き合い始めた当日に他の女の子に呼び出されて、ホイホイ出向いてた訳だからなぁ。
ただ、相手が結局美登里だったこと、内容がどうも残念人形の件らしいということを聞いたせいか、特にそれ以上の反応はなかった。……まあ、それも当たり前なんだけどさ。
並べてみたものの、二人共まだ失神したままなので、森宮さん側の話も聞く時間を持てた。
森宮さんが言うには、葵(石原が二人居て面倒なので当面こう呼ぶ)は美登里を探していたらしい。何でも下校時間からこっち姿が見えなかったとか何とか。
僕がこの教室に来たのは放課後大分経ってからだから、案外美登里はずっとこの教室の中に居たのかもしれん。用もないのに他人様の教室に居座るとは暇なやつである。
ていうか、二組の教室なんて言わずにうちの教室とか自分のトコの部室にでもしとけばすんなり見付かったのではないか。何を考えていたのか知らんが面倒臭いことをしたものである。
案の定というか葵は美登里がまさか別の教室に居るとは思わず、この教室はスルーしてしまったらしい。
下校した様子もないので、部室から花壇まで探してみたが見当たらない。仕方なく立ち回りそうな先を巡って文芸部室に顔を出したところ、帰り支度を始めていた森宮さんと会った、と。ううむ。
「……それで二人で探してた、ってことか」
「ええ。見付かったのは良いのだけれど……」
「コイツ等が顔を出さなきゃ万事スムーズに進行したんだろうなぁ」
「責任を丸投げするのは良くない傾向かしらー」
「勝手に学校内をうろついといて丸投げもクソもねーだろが。しかも妙な勘違いしやがって」
「うー……でもでもぉ……そこの女の子がジュンをゆーわくしたら、ルミちゃんが悲しむと思ったのですぅ……」
「え……?」
一瞬不思議そうな顔をした森宮さんの顔が、ぽーっと赤くなる。
こちらは暗くなりかけでも、口で言うまでもなく即座に判ってしまう。何やら良い雰囲気になるべき場面であるのだが、残念な人形どもはそれを許してはくれないのであった。
そもそも台詞を口にしたお貞からしていかん。びーびーけたたましい泣き声を上げ始めおった。
「ほら、泣かないで翠星石……」
「わぁぁぁん! そーせーせきぃー」
「あーっ、ジュンが泣かしたなのー」
「なーかした、なーかしたーかしらー」
「忘恩の徒、恩を仇で返すとはこのことなのだわ。翠星石はジュンとルミのことを思ってしたことなのに」
「意外に高周波なのねぇ、耳に響くわぁ」
「かなり……キンキン来ます……」
「あー判った判った! 僕が悪かったから取り敢えず泣き止め、鎮まれっ」
何やらこちらが悪者っぽくなってしまったので宥めてみる。泣くとか泣かないとか以前に表情も何も変化がない訳だが。つーか黒いの、耳って何処だよ、耳って。
森宮さんもちょっと赤くなりながらとりなしてくれて、お貞は結局森宮さんに抱っこされることで泣き止んだ。何やら最初からそっちを狙っていたように見えないでもないが、敢えてそこは不問に付すことにする。
騒ぎが落ち着いたところで、森宮さんの言い付けで教卓回りの照明を点ける。
僕等四人だけならばともかく、姿を見ただけで犠牲者が出ることが明らかになっている危険物体が少なくとも六つ(ばらしーは除いております)ばかりこの部屋に集っていることは知られたくないような気もするんだが。ただ、薄暗闇の中に失神した女の子を二人置いておく訳にも行かないのも確かだ。
何より暗いままでは、目を覚ましたときにまたもや似たような──
「──ひゃああああっ! に、人形が動いてっっ!」
「──うわぁぁぁっ! しかも何体も……」
「待て、落ち着け、落ち着かんか」
「だ、大丈夫よ二人共、この子達はちょっと見た目は残念だけれど悪いことはしないのだわ」
例によってと言うべきか、対策を取る間もなく石原姉妹はお目覚めになられた。
あと森宮さん、それ全然フォローになってないって。僕が同じことを言ってたら明日の朝はローズの香りの顔パックの刑確定のところである。
同時に目を覚ますとは流石双子……じゃなくて、急に明るくなったからだよな、どう見ても。しかしあれだけ大騒ぎしてても起きなかったのに、明かりが点いたらいきなり起きるってのはよう判らん。
まあそれはどうでもいい。お馴染み過ぎる厭な展開に、もう大声を出す気力も湧かない。
全く、どうしてこう毎度毎度間が悪く、尚且つ大騒ぎになるのか。いや、原因はどう見ても人形どものせいである。しかも今回は図に乗って仮死状態にすらならずにギシギシカタカタ動いているから始末が悪い。
取り敢えずごたごたを収拾させ、妙に残念人形耐性のない石原姉妹を落ち着かせる。
幸か不幸か巡回の教師も用務員のおっさんも姿を現さない。第三者に人形を見られて話がややこしくなることがない代わり、割り込みが入って上手いこと説明をスキップできるようなこともなかった。
ともあれ、森宮さんのフォローと目の前で現物がガサゴソ動いていることもあって、理解は割合早かった。
こういう事態になるとやはり葵の方が適応力がある。モノに動じないというのか、すんなりと状況を受け入れてくれた。
まあ、美登里にしても僅か十分程で残念人形が単に残念な人形でなく類稀なる全自動怪奇物体であることを納得させることができたのは……あれ?
そうだ。あまりに立て込んでいて忘れかけていたが……。
「ちょっと待て、美登里」
「なんですか邪夢」
「お前確か、赤いの……じゃなくて真紅の覚醒がどうとか言ってたよな」
「うっ……」
「んで、コイツ等のロザミについてもなんか結構事情通みたいだったよなぁ」
「……そ、それはそのですね、ちょっと違って──」
「──邪夢君」
「ん? そう言えば葵のほうも事情を知ってるとか知らんとか言ってた覚えが」
「あーっ、えーっと、それはですねぇ、あのその──」
「──ごめんっ!」
いつもは立て板に水式に言葉の出てくる美登里がどうにも煮え切らないというか、何やら言い逃れようとしているのが丸判りな様子だのぉ、などと思っていたら、いきなり葵ががばっと頭を下げよった。なんなんだ急に。
どうしたのかさっぱり判らんと言ってやると、実はね、と言ったきり、らしくもなく言い辛そうに口籠ってしまう。
ただ、別段何か話すに話せない事情とかいう訳ではないらしい。美登里が何やら口を挟もうとすると、それをまあまあと片手で制してこっちを向いた。
それも僕の方っていうより、森宮さんの方を見てるのは何故なんだか。
「本当に間が悪くて済まないんだけど……美登里は、ちょっと君達をからかってみようとしただけなんだ」
「……へ?」
「まさか邪夢君の家に、本当にローゼンメイデンを名乗る人形がこんなに沢山居着いているなんて思わなかったから、ややこしくなってしまったけど」
「……お、おう」
「今朝からずっとその気で考えていたみたいなんだ。森宮さんと邪夢君を冷やかすついでに、えーとね……邪夢君に、森宮さんのことをもう少し神秘的に捉えてもらおう、って」
「は!?」
それって、要は森宮さんを真紅、って設定にしたかった、てことか。
するってーと石原姉妹が関係者、ってことは「星石」のつく双子とかの設定で、僕を引っ掛けようとしてたってこと?
まー確かに、それなら若干おかしいけど美登里の言ってたことは繋がる……か。
しかしなぁ。そりゃーないだろ葵さんよ。
昨日ちょろっと似たようなことを考えたが、冷静にならんでもネタとして杜撰過ぎ。ていうか元ネタが神話とかならともかく連載中の漫画だぞ。
いくら森宮さん宅の家族構成が似てるからって無理があり過ぎだろ。まず大きさが違うし、人形でもない。おまけに石原姉妹は森宮さん家とは全く別の家庭に住んでて多分行き来もない。
ドッキリにしても引っ掛けにしても、そういう話をある程度真面目にやっつけるなら、少なくとも片方が森宮さんの家に厄介になるなりして状況を整えてからにして欲しいもんである。
こっちは双子だから翠星石と蒼星石です、あっちの子は家族構成が似てるから真紅です(ってか真紅はそもそも桜田ジュン君の姉貴ではなく居候もしくは婚約した人形な訳だが)、じゃ妄想かトンデモ本レベルだ。
騙しやすい奴になら効果があるかもしれんが、美登里が僕を引っ掛けるために話すような内容か?
柿崎の台詞じゃないが、こっちは基本的に見たもんしか信用しないヒネクレ者である。中学時代からの付き合いで、美登里もその性格は重々承知してるはずだ。そんな強引過ぎる作り話を、それもわざわざ放課後に待たせといて僕にするとは考え難いんだが。
裏になんかあるだろー。これは。とはいえ具体的に何かってなると、情けないことに皆目見当は付かない。
ただ、以上は僕の内心であって、森宮さんは割にあっさりと葵の言葉を信じてしまったらしい。
「神秘的なんて……私は普通の高校生に過ぎないのだわ」
「いやいや、僕にとっては結構神秘的っていうかなんて言うか」
「そんなことはなくてよ、魔法のステッキも可愛い使い魔も持っていないし、巫女の資質も呪われた血脈も──」
「──ま、まあそこは置いておいてくれないかな、二人とも。とにかくそれで僕は止めた方がいいって言ったんだけど、ね、美登里」
「う……はい、です……」
「だから、探していたんだけど……。悪気はなかったってことで許してくれないかな。ここは、僕に免じて」
ううむ。僕は許す許さんとは別の意味で腕を組んでしまった。
確かにそれなら、朝方からの葵の妙な振る舞いの説明は一応つく。
森宮さんと付き合ってるのか、と訊いて来た時の真剣な顔やら、その話に突っ込んだときにはぐらかそうとした理由やら、後はまぁ……ここに森宮さんと二人で顔を見せた理由も。
だがなんか、なーんか引っ掛るんだよなあ。美登里の態度といい、どうも見事にハマり過ぎてる感じがして仕方がない。後付けで大急ぎでその辺を纏めたような不自然さがあるような気がする。
大体、さっきの美登里は堂に入り過ぎてた。あの間合いの取り方とかその後の説明のあれこれなんか、まるで実際に残念人形どもを知っていたようにしか見えなかった。
何にも知らない状態なら、僕の話を頭から否定して、用意してた話をしてみせたって同じだったはずだ。こっちの話に合わせる必要なんてないんだが──
「──私は構わないわ。美登里も中学からのお友達同士、お祝い代わりのような軽い気持ちでしたことなのでしょう」
「そ、そうですそうなのです。邪夢はともかく、留美を悲しませるつもりなんてなかったですから」
「むむむ……」
「邪夢君の気持ちは判るけど、森宮さんもこう言ってくれてるし、ね」
「ジュン男らしくないのー」「それは今に始まったことじゃないのだわ」「スパッと許してあげるかしらー」「まーそんな都合良く許せないですよねー」「男見せなさいよぉお馬鹿さぁん」「マスター、寛容なところを見せて」「……ふぁいとっ」
後半の雑音は概ねどうでもいいのだが、なんか釈然としない。逆にだんだんボロが出て辻褄合わせというか言い逃れが見え見えになってきてるんだが……。
だけど、確かにここで一々突っ込むのもなあ。
図書館で会った水島先輩の言葉じゃないが、追い詰めるのは良くないよな。これは多分本気で僕を言いくるめようってんじゃなくて、「これ以上追及しないでくれ」って葵のサインなんだろうし。
……仕方ない。いずれ真相は教えて貰うからな、石原姉妹よ。
「判った。森宮さんが許すと言ってくれてるんだし、結局未遂で終った訳だし」
「ありがとう、邪夢君。さ、美登里からも謝って」
「……むぅ……悪かった、です」
「まぁ今後はあんまし大掛かりなのは控えてくれ。おちょくりも程度によるってやつで」
「うっ……おちょくった訳じゃ……はい」
美登里……うーむ、やっぱし何かあるんだな。
森宮さん絡みじゃなければいいんだが。いや、ここは石原姉妹の個人的な何かか僕関係であることを祈ろう。
そのどっちかなら、後で時期が過ぎるか、本格的にどうにかなったときは向こうから教えてくれるだろうし。
そんなことを考えてると、葵がぱんぱんと手を鳴らした。これでおしまい、って合図のつもりらしい。
「さて……大分遅くなっちゃったけど、帰ろうか」
「そうね。もうこんなに暗くなってしまったし」
「あ、僕達が送って行くよ。丁度、絵のことも見ておきたかったんだ」
「石原……いや葵、送ってくってお前も女子なんだが」
「あはは、そうだね。でも用事があるのは同じだから、帰り道にお邪魔させて貰ってもいいかな、森宮さん」
「ええ。美登里もいらっしゃい。お姉様がたまには顔を出して欲しいって言ってたわ」
「はい。そう言えば暫くぶりですねぇ」
そうか。三人は例の同人誌のことで用があるのだな。美登里はおまけらしいが。
森宮さん一人なら家まで送って行きたいところだが、三人居るとなると微妙だ。しかも不用意に顔を出せばまた今晩も晩飯をご馳走になってしまう訳で、それは有難いのだがちょっと後ろめたくもある。
どうしたもんか、と考えて時計を見てみる。結構ドタバタした割には、まだ午後六時にもなってない。
ふむ。
もう一度三人の方を見てみる。美登里はまだびくびくしているが、葵は早くもばらしーに手を伸ばして髪をなでなでしてやっており、適応力の違いを見せ付けていた。
森宮さんはさよならする前に、と言いながら黒いのの服(念の為に書くと僕謹製の手抜き貫頭衣ではなく、水島愛毬さんの作ったツヤあり黒のスモックである)を直してやっている。こちらはもうすっかり慣れたらしい。案外最初はアレだったが僕より適応は早いんじゃないのか。
などと考えていると、ばらしーはちゃっかりと葵に抱っこされてしまった。美人は得である。一方赤いのや鋏などはさっさと教室から出て行こうとしており、それはそれで分を弁えているというか、自分達から遠征してきたくせに興味がなくなるとあっさりしたものである。
そういや、ばらしーだけなら誰かの目に触れても問題はないのだなあ。
纏わりついて来るお貞とツートンにお前等も帰り支度をせいと言ってやり、森宮さん、と呼ぶ。黒いのを手近な机の上に下ろしてやっていた彼女は、何かしら、と小首を傾げながらこちらを見た。
「駅前のドールショップって、今日まだ開いてるかな」
「ええ。定休日は水曜だし……会社帰りの人が寄って行くから、夜八時くらいまでは開けているけれど」
「そうか。ありがと」
「これから寄って行くつもりなの?」
「うん」
僕は葵からばらしーを受け取りつつ頷いた。
ゴタゴタし過ぎて忘れかけてた。サイカチがばらしーをオーダーメイドで発注した件。実は駅前の、例の店だったんだよな。
昨日は森宮さんを送って行く途中ということもあって見送ったが、今日は森宮さんもこうして学校に残っているし、多分加納さんも仕事で店番のバイトはしてないだろう。塩入さんとかいう店の主人本人が居る可能性が高い。
結局美登里も残念人形のことは知らないか、知っていてももう聞き出せるような雰囲気ではなくなってしまった。となれば、謎の物体ロザミとゲームの先にある恐怖の物体Xについては、ばらしーを作った人本人に話を聞くくらいしかないだろう。
どうせウチには門限も何もなく、メシを作り置いていてくれる人など当然おらん訳で、店さえ閉まっていなかったらじっくり話を聞いて帰りが遅くなろうが別に構わない。パスタを茹でる手間が惜しくなったら帰り際にスーパーで三割引の弁当でも買って帰ればいいだけのことだ。
「それなら、私も一緒に行くわ。店長とお話するなら私が居た方が良いでしょう?」
「え、そりゃ有難いけど、先約はどうするんだい」
「ごめんなさい葵、絵のことはまた明日でいいかしら」
「あ……どうしようかな」
葵は美登里と目を見交わした。何秒間か無言の遣り取りがあって、二人が揃って森宮さんの方を向く。
アイコンタクト、目と目で通じ合うってやつか。何度見てもこれは羨ましいというか僕には多分一生真似できない境地なんだろうなと思わされる。
まあ、こういう芸当ができる割に意見が衝突したり、今日のように片方がもう一方を探し回ったりすることもあるのがよく判らん部分ではあるが。
「私達も一緒にお邪魔してもいいですか?」
「ええ……それは構わないけれど……」
「その後で時間がまだあったら森宮さんの家に寄らせて貰うことにするよ。家には遅くなるって連絡入れておけば大丈夫だから」
「デートにならなくてすいませんね、邪夢」
「いや、元々一人で行く予定だったんで……」
「痩せ我慢しなくてもいいですよー」
にっと笑う顔は、すっかりいつもの石原美登里に戻っている。
なんだかなぁ。さっきのアイコンタクトで実は物凄い量の会話が成立してたとでも言うのか? 地味にこういうところで常人離れしたところ(僕が他人様より劣ってるだけかもしれんが……)を見せる石原姉妹である。
ともあれ、かくして僕達は下校がてら駅前の店に赴くことになったのであった。
店の名前は「ニセアカシア」である。……なんか行きつけのスナックに呑みに行くみたいで気が抜けること夥しいのだが、生憎とドール専門店であった。
流石に廊下に出ただけで空気が冷えてきているのが判る。今年はいつになったら暖かくなるのかね。
晩飯は帰り道でラーメン屋にでも寄って食べることにしよう、とこのときの僕は考えていた。