~~~~~~ 五年前、春四月、某所 ~~~~~~
「まさか、同じ中学に居るとは思わなかったよ。それも二人も」
「三人かもしれませんよ。こっちの同級生にも居たのです。名前は違ってますけど……」
「ふうん……この分だと全員オリジナルに相当する人物が居てもおかしくはないね。彼等には関係のないことだけど」
「創作物になってるくらいです、何が起きてももう驚かんですよ」
「……そうだね。偶然の一致かもしれないし、僕達は僕達でここに存在しているのだから、その存在が揺らぐようなことはないだろう」
「それは分かりませんけど……。でももう、全部終わってしまったんですからしょうがないです」
「過去に向き合えって事かもしれないな。僕達はそういう存在なのだから、忘れてはいけない、しっかりと生きるんだって」
「……はい」
~~~~~~ 現在 ~~~~~~
同人誌原稿を突っ込んで大分でかくなった頭陀袋に本人形の主張どおり黒いのを顔だけ出して詰め込んだものを手渡すと、柿崎はひょいと肩に引っ掛けてバスの昇降口に足を踏み出した。片脚が固まってることに慣れきってる様子で、手を貸さなくてもひょいひょいと乗り込んでしまう。
松葉杖を渡しながら、本当はコレ必要ないんじゃないのか、と言ってやると、にっと歯を見せて笑った。がきんちょそのものの良い顔だった。
器用に座席に陣取り、窓から機嫌よく手を振りつつ去って行くのを見送ってから僕は家に戻った。最後に何か言っていたようだったが、気付かなかったことにしておく。どうせ碌なコメントではあるまい。
それはともかく、せめてバスの中では他人に見付からないで欲しいものだ。森宮さんの反応も過剰らしいということは判るんだが、僕や鳥海レベルが一般的な感性だとしても、薄暗いバスの車内、逃げ場もないところであんな怪奇物体が微妙に動いてる様など見たら確実にトラウマになりそうである。
やれやれと言いつつ玄関の引き戸を開けると、賑やかな喋り声が聞こえて来た。また客間に人形どもが集まっているらしい。
「お帰りなさいジュン」
「のわっ、ただいま」
「人を裸に剥いて吊るしておいて酷い反応なのだわ……」
「風呂に沈んで脱出できなくなってたのはどこの人形なんだ。薔薇の花びらとか浮いてたってことは、相当じたばたしても出られなかったんだろ」
「仕方がないでしょう。人間サイズの浴槽は私達には貯水槽も同然の深い池なのだもの。汚い残り湯に薔薇の香りが移って良かったと思いなさい」
「はいはい。何やってたか知らんが、粗方乾くまではそのままだからな。その後、ストーブの前に置いてドライヤーでじっくり炙ってやる」
「ああッ、なんてこと! 鬼畜の所業なのだわ! 鬼! 悪魔!」
なんとでも言え。お前のボデーまでカビが繁殖したらたまったもんじゃないのだ。呼び名をツートン(2号)に変えなきゃならなくなるだろうが。
ギャーギャー喚く声を尻目に風呂場を覗く。洗濯が終わっていたら衣装も干してやるか、と思ったのだが洗濯機はまだ唸りを上げて脱水しているところだった。
~~~~~~ 第九話 優しきドール ~~~~~~
さて。
気懸かりなのは客間である。本人が大丈夫だ問題ない、人形達の髪を梳かしてあげたいと言うので森宮さん一人を自動残念人形ズの只中に残してしまった訳だが……。
中の情景が恐ろしくなってきたが、覚悟を決めて客間の障子を開ける。ただいま、と言い掛けて僕はぽかんと口を開いた。
そこでは、大袈裟に言うと一人の姫が四体の人形と遊んでいた。
いや、そこまでは概ね良い方の予測どおりだった。しかし、ダッフルコートを脱いで人形どもの相手をしている彼女は、何というか……実に優しい笑顔で、僕に向けられている訳じゃないのは判っていても……その。
うん。なんだ。……ま、いいや。そういうこと。きっと僕は面食いも良いところなのだ。
「あーっ、ジュンなのぉ。お帰りなさーい」「おかえりなさい、マスター」「送り届け乙ですぅ」「お役目大儀かしらー」
「ただいま。いい加減マスターってのよしてくれよ……」
「お帰りなさい」
「……た、ただいま」
頬が熱を持ったのが判る。それも一瞬で。そのくせ顔はにやけてるに違いない。うわあ。俺キモイ。
イケメンさんならフッと微笑んで気の利いた台詞の一つでも言うところなんだろうけどね! それか黙って頷くとかさ!
でも、なんだ。今更カッコつけてもしょうがない。
なにしろ森宮邸の一件やら、その後何度か連れ回されたりして、僕が如何に外見的にも精神的にも非イケメンであるかは疾うの昔に森宮さんにバレてるわけで。
僕はだらしない顔のまま、ちょこちょこと寄って来たツートンを抱き上げた。
「ルミちゃんさんにね、髪の毛まきまきしてもらったのよ」
「おう、ちゃんとしっかり縦ロールになってるぞ。良かったな」
「うんっ! えへへへ」
「僕もボブカットみたいにしてもらったんだよ」
「私もきっちり分けてもらったかしら」
心なしか、コイツ等の態度がいつもと違う。常日頃のこましゃっくれた年齢不詳の台詞でなく、何故か素直な、まるで童話に出て来るお人形さんのような言葉を発していた。
表情も付けられなければ手指も動かないので、仕種といってもそれほどバリエーションがある訳でもないのだが、それでもみんな喜んでいるような雰囲気は伝わって来る。
そうだなあ。赤いのが前に言ったとおりだ。
やっぱりコイツ等は遊んでもらってなんぼの人形なんだな。奇怪な物体であっても、大事にされたり丁寧に扱われればコイツ等なりに嬉しいのだ。
大事なことを忘れていた、って深く反省するほどじゃないが、少し見方を変える必要があるかもしれない、と思う僕である。
しかしそれにしても。
「……気分とか悪くない? その……コイツ等見ても」
「ええ。なんだかずっと居ても大丈夫みたい。ちょうどみんなの髪にお手入れをして上げたところよ」
「良かった。コイツ等が何かやらかして気絶させちゃってたら、なんて余計な気を揉んでた」
「ふふ……。でも、大したことをした訳ではないのよ。巻いただけでお湯で髪型を決めた訳ではないから、あまり長くは持たないのだわ。後でしっかりと整えてあげてね」
「うん……ありがとう。本当にドールが好きなんだな、森宮さんて」
「自分でも思ったわ。これからはアンティークドールも集めてみようかな、って」
「……そっか」
ああ、彼女の優しさが滲み出て来るみたいで、これはこれでなんか良い雰囲気だ……。
なんだか今朝の夢で見たみたいな展開とは違うけど。ああいうズギューンって感じじゃないけどさ。
……そうなのです。
結局僕はあの玩具のバイオリンを買いに行った日、当たって砕けられなかった。
というか、口を開こうとしたとき、森宮さんから先に話を切り出して来たんだよな。
~~~~~~ 先週、商店街外れ、路上 ~~~~~~
「私ね、水島先輩から聞いてはいたの、柿崎さんて人のこと」
「……っあ、あ、そうなんだ」
「凄く元気が良くて、誰とでも同じように接してくれる人だと言っていたわ。心臓が悪くてずっと入院している妹さんに──病状は聞いているはずだし、聞かなくても判る状態だけれど──腫れ物に触れるような態度じゃなく、本当にごく普通に友達になってくれた。それは水島先輩にもできないことだったと……」
「あー、あいつ、そういうヤツだから。アウトローっていうのか、バカって言うのか微妙だけど」
「ふふ……でも、病気で入院してる妹さんには、そういう人が居たことが嬉しかったらしいの。みんなに特別扱いされたら、もう絶対家に戻れなくなるような気がしたのでしょうね」
「なんか、それは判るような気がする……特にあの子は不安定そうだったし、その普通ってのが欲しかったんだろうな」
「ええ。それで前から気になっていたの。柿崎さんって人のこと。だから……」
「いやいやいやいや、あれはそういうタマじゃないよ。悪友ってヤツでさ、ホント。僕が好──」
「──でも安心したわ。これで気兼ねなく会えるもの。柿崎さんに」
「え?」
「その話を聞いた後だったから……柿崎さんには勝てない、殻を破るのは無理なのかもしれないって思ってしまっていたの」
「殻……?」
「……そう、頑丈で巨大な、とても居心地の良い殻……」
~~~~~~ 現在 ~~~~~~
結局森宮さんの言葉はどういう意味なのかよく判らなかった。いや、そりゃーラブコメ的展開つか希望的観測は幾らでも出来ますけどね。ええ。
でもそれなら、なんか別の言葉になると思わん? 殻を破るとか、謎過ぎる。唐突だし。
最初のままだったら幸せ回路が謎ワードにはフィルタ掛けて、色々と夢色の推測を後押ししてくれたんだろうなあ。しかし出鼻を挫かれ、尚且つ冷たい外の風で回路が充分冷却されてしまった僕には、謎ワードの方が気になってしまってしょうがなかった。
ただ、これだけは確実に言える。
ある意味正反対のキャラだから、柿崎に森宮さんが勝てない部分は大量にあると思うが、それは面の皮の厚さであったり下らんところで居直る速度であったり、と概ね碌でもない部分だから気にする必要はない。
僕の恋愛感情に至っては森宮さんと柿崎で100対0の圧勝なのだが、まあそれはこの際どうでも良いか。
そして、殻をぶち壊すならそれが何であれ僕は必ず手を貸すし、力は出し惜しみしない。その程度のことは覚悟できている。
僕はいろいろと足りないパンピーでしかないが、この世の中、勇者や女神様の鍵やマエストロでなければ解決できない事態ばかりじゃない。カネも力も色気さえない僕が如何にかできる事案だってあるはずだ。
まあ、カネも力も色気もない故に、力足らずに終わることは多々あるだろうってのは判ってるよウン。それでも、何かの足しくらいにはなれるだろうし、なりたい。
そんな殊勝なことを考えつつ、している会話の方は俗事もいいところである。
「あのお風呂場に落ちた子は……まだ無理かしら」
「あー、まだかなり湿っぽい。露気が取れたらあったかいところで風送って乾かすよ」
「そう……残念だわ」
「分解して乾かした方が良かったかな。手間は掛るけど確実だし」
「ぶ、分解……? 生きているのに」
「まあ、あんまし気味の良いもんじゃないけど。コイツ等やたらに動くから、テンションゴムが結構伸びたり切れたりするんだ」
「水銀燈がいけないのよー。毎日しゅーげきしてくるから」
「全くですぅ。アイツのお陰でいー迷惑なのです」
「ドサクサに紛れて居ないヤツに責任押し付けんな。どう考えたって日常生活でノソノソ動いてる時間の方が長いじゃねーか」
ついでに言うと、戦闘行為は例のしょぼい念力によるのが普通であり、テンションゴムに負荷はあまり掛らないと思われる。その証拠に、一番ゴムの交換回数が多いのは赤いのである。居間でテレビを眺めていないときは入れる場所なら何処でも侵入して行くアグレッシブさが持ち味なので、各関節の使用頻度やら負荷がでかいのだろう。
一度ピッチピチに張ってやったら、大いに怒っていつぞやのように薔薇の花びらで顔パックの刑と洒落込まれた。とはいえ緩ければ緩いで腕を落っことしそうになるし、中々加減は難しいのである。
そんな話をしていると、森宮さんはくすりと笑った。
「この子達のマエストロなのね、ジュン」
「恐ろしいこと言わないでくれよ……」
「いいえ。才能は重要ではないのよ。壊れたパーツは直せなくても、それ以外のことは何でもできるのだわ」
「いや、そういう意味じゃないんだけど」
「ならどういう意味かしらー? 恐ろしいって何かしらー?」
「いや、なんでもないよ。ウン。なんでもないからその玩具のバイオリンでやたら突っつくのやめて」
まあね。掃除したり、補修したり、なくなった付属品の換えを買ってやったり、それだけでマエストロって言うならマエストロだろうけどさ。
超絶美麗で摩訶不思議な薔薇乙女さんなら、そりゃ腕を繋ぐだけでも誰にでも出来る業じゃないだろう。だがしかし所詮でっかい玩具であるコイツ等のゴムは取替えが利くように作られてる訳だし、掃除は手間の問題だし、付属品は買って来ただけなんだよな。
服に至っては……何というか。実は絵師であるということまで判明した森宮さんの弟くんの方がよほどマエストロだろう。ぱっぱと採寸してしまう手際といい、即座に何枚もラフが描ける才能といい、僕などから見たらどうにも只者とは思えない。
案外その気になったらササッと道具を揃えて、創作人形家に転身できるんじゃなかろうか。そしたら筆名(でいいのか? 芸名か?)で桜田ジュン名義を使って貰っても一向に構わない。今度は間違えられたときに胸張って言えるからな。「あれは知り合いでして……」とかなんとか。
っていうか、あのときは気付かなかったけど、森宮さん家ってまるでローゼンメイデンの桜田さん家だよな。弟くんがジュン君に似てるってだけじゃなく。
中学二年らしい弟くんが居て、高校生の姉さんが居て。森宮さんは相当する人が居ないけど、あれだ。本人があの子そのものだとすれば……。
いやいや。それは幾らなんでも──
「──あらいけない。もう四時を三分も回ってしまったわ」
「あ、ゴメン。長居させちゃって」
「いいえ、私の方こそ……あの金髪の子の分はまたの機会で……ごめんなさい」
「いいよいいよ、全然気にする必要ないから」
「もう帰っちゃうですぅ~?」
「名残惜しいな……」
「ジュン引き留めるのー! 『今晩は帰さないよ』って!」
「え……?」
「無茶苦茶言うな! しかも明日平日だろうが」
つか、意味判って言ってんのかツートンよ。
何気に顔を赤くしている森宮さんに、取り敢えず送るから、と言って立ち上がり、僕はあることに気付いた。
「そういやばらしーは?」
「あれ? さっきまで居たのに見当たらないかしら」
「ばらしーなら、マスターと入れ替わりくらいで廊下に出てったよ」
「なんだ……今日はもうお帰りか」
案外、帰りますと言ったが誰も気付かなかったってなことかもしれん、と思いつつ、森宮さんが支度をするのを待って引き戸を開け、くれぐれもストーブには悪戯するなよと人形どもに念を押して部屋を出る。
廊下を見渡すと、なにやらごそごそと動く白っぽいものが見える。赤いのを干してある辺りだった。
取り敢えず森宮さんを部屋の前に残し、そちらに駆け寄る。人形どもの生顔には慣れたらしいが、ゴソゴソ動いているものとなると話は別である。ここで失神されたらもはや取り返しが付かない気がする。
赤いのが自力で脱出したのか、と思いつつ近寄って確かめると、動いていたのは白いタオルに半分包まるような按配になっているばらしーだった。どうやったのか判らんが赤いのを床に下ろし、横たえてタオルで身体を拭いてやっている。
赤いのの下には一枚バスタオルを敷き、もう一枚のタオルでぶきっちょにごしごしとやっている。不器用なせいかタオルが大き過ぎるのか、自分もタオルに埋没しながらもぞもぞしている姿は、何気に可愛く見えなくもない。
「やっと来たわね下僕」
「ゲボク扱いはやめろとあれほど……水気を取ってやってたのか?」
「はい……」
「まあ、偉いのね」
「えへへ……」
こわごわと近付いて来た森宮さんに頭を撫でられ、ばらしーはご機嫌である。時間に追われているため長いことそうしているわけにも行かないのだが、結構微笑ましい光景ではある。
ばらしーは森宮さんに任せ、僕の方は赤いの(今は服無しのため赤い部分は皆無であるが……)をタオルごと抱え、ストーブの点いている客間に急いで搬入する。ストーブの前、燃えない程度の近場に置き、焼けない程度に乾かすのだぞと言い置いて廊下にとんぼ返りすると、森宮さんは既にばらしーを抱えて玄関に居た。
「あれ、お持ち帰り……?」
「この子も丁度帰る所だと言うから、ご一緒しようと思って」
「おー、そっかそっか。抱っこしてもらえて良かったな、ばらしー」
「……はい」
「ん? どうした?」
「大丈夫だ……心配ない……です」
本人形はそう言うのだが、なんとなく気になる。
というのは、森宮さんは気付いていないらしいが、ばらしーの手が細かく震えているからである。全身カクカクは残念人形どもの十八番であるが、手だけというのはあまり見ないパターンだ。
初めての人に抱かれて緊張してるのだろうか。いや、初見で僕に対してこんな仕種をしてはいなかったし、ついさっき森宮さんに撫でられて喜んでいたばかりではないか。
そうするとなんだ? 赤いのを擦り過ぎて手首とか腕関係の関節が緩くなってしまったのか。
心配なのは山々なのだが、ばらしーはばらしーのお父様の持ち物であり、僕が迂闊に手を出すわけにも行かない。森宮さんの手前あんまりじろじろと観察するわけにも行かず、取り敢えず僕は彼女の靴を揃え、荷物を持って外に出た。
~~~~~~ 二年前、春四月、某所 ~~~~~~
「邪夢君とまた同級生か……。あの二人とは離れたけど、何か複雑な気分だよ」
「いいお友達じゃないですか。それより、先輩に気になる人がいるのです」
「どんな?」
「弓道部の二年生なんですけど、なんというか……似てる、としか言いようがないのです。雰囲気も人柄もぜんぜん違うのですけど」
「それなら僕も一人、同じ学年で気になる子がいる。あれはきっと……」
「室内楽部の先輩からも妙な感じに声を掛けられましたし、もしかしたら全員この高校に」
「有り得るね……」
「ね、ホントはまだ私達、『あいつ』が作った夢の中なんじゃないでしょうか。こんな生活が送れたらいいなっていう、楽しい夢の中」
「だとしたら、例えば邪夢君は僕達の生んだ幻影なのかな。こんな友達が居たら良いなっていう、中身のない幻なのか」
「そんなことはないって思いたいです……邪夢は阿呆で何の取り柄もない奴ですけど、幻なんて考えたくはないです」