なだらかな隆起を作る地平線から、眩しい朝日がサッと夜の闇を払う頃。
朝日がもたらす太陽熱と二月の冷気がビクトリア湖の蒸発霧を発生させ、それが白い煙となって湖を覆い、湖を囲む森林が朝露で濡れる。
目覚めのために息を吸い込むと、泥と湿った緑の爽やかな香りが肺腑に満ちるのがわかる。
さすがに二月の半ばだけあり、空気はひんやりとして冷たい。遠目に見ても、木々が霜が降りて白んでいるのが分かる。
トラックの助手席に乗り込み、頬杖を突いて外の景色を眺めるアスランは、はあ、と白い息を吐いた。
「こんなに乱雑に緑が配置されているなんて……プラントとは違うな」
そのビクトリア森林公園の緑の豊かさと深さに感嘆して呟く。
何故彼がそんな姿をしているのかというと、ザフトの攻撃によって破壊された空調設備や配管を修理するためにやってきた工事業者として入り込むためだ。
ビクトリア基地はザフトの強襲部隊によって大きなダメージを受けたため、ビクトリア周辺――アフリカ各国の建築企業に、基地再建工事の打診をした。
その中には、戦前に起業した隠れ親プラントの零細企業も混じっている。プラントと地球の関係が怪しくなる前に起こした企業で、現地に馴染んでいるために地球軍の目に留まった。
そんな古くからあり信頼がある企業に、アスラン一人だけを数年前から居た社員として偽装するのは容易なことだった。
「もうすぐ検問です。自然体で、なるべく目立たないようにして、言うことには素直に従って下さい。
一応、ゲートを完全に抜けるまではうちの会社の社員ということになっていますから」
「了解、よろしく頼む」
慇懃な態度で注意を訴えかけるのは、本物の配管工事業者の社員である。潜入作戦の旨をクルーゼに伝えた際に、彼が手配してくれたのだ。
隊長は一介の白服のザフト軍人なのに、一体どれほどの人脈を持っているのだろう? アスランは畏敬の念を抱くばかりだった。
トラックがヒビだらけの道路を走り、やがて基地に入るためのゲートが近づく。
ゲートの前には多くのトラックが並び、ゲートの衛兵が一台ずつ身分証明と荷物を確認していた。
ゆっくりとトラックが進み、アスランが乗っているトラックの番となる。アスランは出来る限り緊張していない様子を保ち、ただ視線をちらりと送るだけ。
「身分証明。あと荷物を見せてもらうぞ」
「はいはい。朝礼もうすぐなんで、手早くお願いしますよ」
「いい子に言うこと聞いてたら、すぐ終わる」
運転手がフランクな様子で受け答えし、慣れた様子で身分証明を兵士に提示する。
兵士はそれを受け取り、リストと見比べる。今日ここに工事に来る予定の会社をリストアップしており、それと照合しているのだ。
この会社がリストと一致すると、兵士は身分証明を返す。荷物も、自分達の手で見せるようにと言われてその通りにした。
次に、金属探知。当然金属物は持っているため、全て広げて見せた。作業着のボタン、ペン、コイン、手帳の金具、ライター。
それらを広げて(ボタンは外せないため、そこ以外を探知して)問題ないと判断した兵士は、ゲートに指示をして開けてもらい、トラックが中に入る。
そのトラックの窓から、基地の内部をぐるりと眺めた。
軍用車が行き交い、損壊した建物にシートが被せられている部分を除けば、特に大きな被害は無いように思えた。
基地の奥を眺めると、MSが歩いているのが見える。兵士達が屋内で走り回り、微かだが怒号が聞こえる。
妙に慌しい。防衛に成功したから、次は攻撃に打って出ようとしているのか。
だが防衛戦のダメージが残っているし、部隊の再編成にも時間がかかるはず。この慌ただしさが、潜入する隙を生んでいるはずだ。
(待っていろ、キラ。もうすぐ、俺たちが殺し合わなくて済むようになる……)
アスランが敵軍にいる友人に思いを馳せている間に、トラックは工事車両用の駐車場に停まった。
「では、幸運を」
「ありがとう」
運転手に激励されてトラックを降り、素早く格納庫の陰に忍び込む。
監視カメラの位置を確認。歩哨が真横を通り過ぎたが、こちらには気付かなかった。その間にオレンジ色の作業着を脱ぎ、中に着ていた連合陸軍の軍服姿になる。
後ろ腰に隠していた軍帽を目深にかぶる。階級は少尉ということになっているから、すれ違う軍人の階級を気にしながら移動しなければならない。全く、地球軍の面倒なところだ。
脱ぎ捨てた作業着は、後ですぐにあの運転手が回収してくれる手筈になっている。そこは今は注意すべきことではない。
問題は、キラは一体どこに寝泊りしているのかという話だ。
今は早朝。手に入れた地球軍の一般的なスケジュールでは、朝食が終わり、朝の訓練がそろそろ終わり、休憩時間に入るはずだ。
つまり、軍人一人が多少ブラついていたとしても、不自然でない時間だ。絶好のチャンスと言える。
これなら、自由にキラを探しまわれる。彼らが基地内ではなく、足つきの艦内で生活していたらかなり厄介だが……そこは、キラが艦内宿直の番でないことを願おう。
格納庫の陰から自然な歩き方で出てきて、入れ替わるように運転手が陰に入っていくのを横目で確認してから、兵舎へと足を伸ばした。
まるでハイスクールのような、簡素な造りの兵舎。違いは窓に鉄柵が設けられ、床に一片の汚れも見当たらないことか。練度は高いらしい。
時計を見る。訓練時間が終わって五分経った。あと十分少々しか時間が無い
しかし、あまり無駄に動き回ることはできない。休憩時間はさほど長くないのだ。それ以上の時間は怪しまれる。
(……居ない。兵舎にも、グラウンドにも)
こんな広い基地の中から、個人の力で特定の一人を見つけ出すなど不可能だったのか?
キラの階級は知らないが、彼がどんなに優秀であっても、地球軍の体制からいって佐官にはなっていないはず。だとしたら大勢の軍人の一部として紛れている可能性は大いにありうる。
アスランの焦りをあざ笑うように、時計の針は進んでいく。
(今日中に見つけないと、脱出が困難になる……!)
アスランは作業員として来ているのだ。この厳重な警備の中脱出するには、入った時と同じく作業員として出なければならない。
キラも作業員名簿に載せている。パワーリスト型の短銃身麻酔銃で彼を寝かせ、キラも同じく作業員として脱出させるつもりだ。
彼が一人になると思しき休憩時間は短い。だからこそ、限りある時間の中で効率よく動かなければならない。
渡り廊下で薄着になっている中佐とすれ違い、敬礼をして直立不動になっていると、続いてやってくる喧騒に視線を向けた。
白い軍服に身を包んだ、連合宇宙軍の軍人達だ。……ここは地球軍の基地だから当たり前だが。
陸軍は暗いベージュに近い色の軍服だから、ここにいる宇宙軍といえばアークエンジェルくらいなものだ。
(こいつらを尾ければ、キラを見つけられるか……?)
何にしても、手掛かりがあちらから歩いてきた。ぶらぶら歩きまわるより実りがあるはず。
まずは無難にやり過ごすことにしよう。道を避けて、隅に立つ。
先頭を歩くのは、金髪白人の軍人だ。あの階級章は、少佐。少尉のはるか上官だ。敬礼し、直立不動になる。
「おう! 悪いね!」
その金髪の軍人は、フランクに言って敬礼を返し、大勢を引き連れて通り過ぎていく。
歩き方、身のこなしからして、かなり出来る軍人だ。地球軍のエースかもしれない。
続いて、彼の部下であろう人間が十人以上通り過ぎていく。黒人、アジア系、アラブ系、アフリカ系と、まるで人種のサラダボールだ。
軍人達の列を視線で追いながら敬礼をやめずにいると、その軍人の列の中に、見知った少年を見つけて目を見開いた。
(……キラ!!)
キラ・ヤマト。
彼の生身の姿を見たのは、ヘリオポリス以来だ。あれから乱戦で、地球軍のMSに攻撃されたが、ちゃんと無事だった。
つい懐かしさと、彼が五体満足でいたことへの安心感に、表情を緩めてしまいそうになるが、この場で彼に気付かれたらまずい。
少し顔を伏せて、顔がはっきり見えないようにする。この場は通り過ぎてもらい、後で尾行して一人になったところを狙うとしよう。
敬礼の姿勢を崩さず、団体が通り過ぎるのを待ち、ただ彼等の足元を見ていると……
「……?」
団体の中にいた一人の少女が、幽鬼のように黙って目の前で立ち止まった。
年齢は十歳程度か? かなり小柄で、背丈は自分の胸の下くらいしかない。
自分と同じ緑の瞳。欧州人ともアジア人ともとれる端整な、コーディネイターのような顔立ち。
腰元まである、長い艶やかな黒髪が、東洋人の血筋を思わせる。
いや、それよりも。この少女は見覚えがある。
(フィフス・ライナー……?)
大気圏突入直前、マカリという男と一緒に合流したあの少女。
自分よりも一足先に、諜報か何かで潜入しているのだろうか?
正直、彼女が軍人として潜入するのはかなり無理があると思うのだが、どうやって怪しまれずに潜入しているのだろう。
しかし、困った。二人こうして固まっては、いらない注意が集中して、怪しまれてしまう。
それよりなにより、キラに気付かれてしまう。そうなれば作戦は失敗。彼を拉致するどころか、この基地を脱出することすら難しくなってしまう。
「あの……」
何か伝えることがあるなら、人目のつかない所で合流してからにして欲しい。
それを遠回しに伝えようと、口を開いて沈黙を破ろうとすると、彼女が遮る形で、小さな唇を開いたーー
朝、寝坊しない。起床ラッパよりも先に目を覚ます。それは軍人の常識であり、義務だった。
リナが目を覚ますと、まず感じたのは、頬を包む冷気。空調を個々の部屋で調整できないのが不満なのだが、ここまで寒かったら暖房くらいは点けてくれてもいいものだけど。
時計の針は五時四十五分を指している。窓のブラインドの隙間が、まだ日が登り切らない暗めの光を漏らしている。
ぶるっと体を震わせて、小さな体を丸めながら起き上がりつつ、暖房が点いていない理由を寝ぼけた頭で探っていると、寝がけに聞いたギリアム大佐の言葉を思い出した。
「そっか、空調設備がやられたんだっけ……」
なんとなく、声に出してみる。
その声は、やはり鈴が転がったような幼い少女の声だ。二十四年以上この体と付き合ってるから、もう自分の声だと自然に受け止めている。
受け止めていたとしても、起きたらまずは自分の体を確認する。毎日欠かさずやっている、儀式みたいなものだ。
今までのは全部、『空乃昴』が見ていた夢なんじゃないか。ふと、そう思うことがある。
だけどこれは現実で。……未だに、女の子に転生したのが完全に受け入れられてないのって、適応障害っぽくていやだけど。
それにしても、今夜はかなり寝つきが悪かった。……寝る前に、親父が変な話をしたせいだ。絶対。
枕に顔を突っ込み、ごしごしと顔をこすりつけながらうーんと唸りながら、昨晩の会話を思い起こした――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「シエル大佐……いえ、今は准将でしたか? 昇進、おめでとうございます」
久しぶりに話す親子にしては突き放した口調だ。そう自覚しながら、やや冷めた言葉遣いで彼の昇進を祝う。
この通信がどの程度の次元のものなのかは知らないため、とりあえずもっとも無難な軍人として会話することに決めた。
あの鉄面皮が、少しでも崩れてくれれば儲けものだ。そう期待して「SOUND ONLY」の電子表示の向こうに、父親の顔を想像した。
だが返ってきた返答は、相変わらずの鉄面皮で喋っている声だった。
〔……この通信は、地球軍とは関係ない。ただの親子として、娘であるリナ、お前と話がしたい〕
「…………どういうことですか?」
疑問を口にする。軍用回線ではない。先ほどの意味不明の会話と、何か関係あるのか?
だが父親である彼は、核心のところまでは話してはくれない。
〔察しの通りだ。人一倍聡いお前なら、分かっているのだろう?
今のお前には理解できない命令ばかりきているはずだ。そして、これからも多くの不可解な命令が来るだろう。
疑問に思うな、と言うほうが無理なのは百も承知だ。だが、いずれ分かる。
私達が願う未来に到達するには、必要な手順だったのだ、と〕
「……お父様?」
何を、言ってるんだ……?
私達が願う、未来? 親父がだけでなく、自分も願うもの? 自分が願う未来って、何だ?
自分の疑問の声に取り合わず、デイビットの熱っぽい一方的な演説は続く。
〔私達は必ず、もう一度会う。その時に、私が知っている全てを話そう。
私達が会う頃には、全ての準備が整っているはずだ。私達が望む未来に向かうための準備が〕
「……お父様は、何を知っているんですか……?」
何も知らないまま一方的に話されることに耐えきれず、言葉を挟む。
娘の問いかけに、彼が一息つくのが聞こえ、すう、と息を吸う声も聞こえた。
〔私達が……生き残るための、道だ〕
その声は、まるで敬虔な聖人の祈りのようだった。
聞いた事のない父親の声の迫力に押され、思わず押し黙る。デイビットは愛娘が静かになったので、念を押すように告げる。
〔リナ。私はお前の父親だ。お前は私の、ただ一人の娘だ。
私は、お前を世界で最も愛している。
それだけは、千の虚構と万の偽証であろうと曲げられない、絶対の真実だ。これだけは、覚えておいて欲しい。
……再会を、楽しみにしている〕
言葉が消えると同時、冷たい「SOUND ONLY」の表示が消える。
もう、通信は何も応答しない。試そうという気も起きない。
座席に座ったまま何もせず、呆然と、父親の言葉が耳に浸透してくるのを待っていた。
ようやく、父親の言葉が浸透し、理解すると、ずるっ、と腰が座席からずり落ちて、虚空を見上げた。
「なんだよ、それ……」
言葉も一方的ならば、親子愛の再確認も一方的で。
妙な脱力感を複雑に感じながら、ふらりと通信座席を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「結局、何が言いたかったのかさっぱり分からん……」
枕の中で、愛している、という言葉がぐるぐると頭の中で回りながら、枕に向かって話しかけてるリナ。
あんな話し方の父親は初めてだ。ニセモノじゃないのかと勘繰ったが、あれは本物だと、十八年間一緒に過ごした自分の耳は実に正確に、彼の言葉を父親のものと聞き取った。
長い軍隊生活で、愛に飢えてたのか? ライザとの私闘で、娘が頬にあざを作っても顔を一毛も動かさなかった鉄面皮が、あんなに熱っぽく愛を語るとは思わなかった。
愛を語るならおふくろ相手にしてほしい。おかげで変な夢を見てしまった。
「うぐぐ……」
変な夢が……勝手に……。
「ん~……」
もぞもぞと体を動かして、手が勝手に『ちゃんと女の子なのか』の確認。
温かい太ももの間。布ごしに、しゅる、しゅる……。優しく、擦ってみる。……ないけど、ある。
変な夢が、勝手にぃぃ~~。
確認の儀式をしている間に、枕元に置いていた通信機が甲高い電子音を鳴らした。
「ファッ!?」
変な声が出てしまった。
突然の音に心臓を跳ねさせながら、なんでこんな朝っぱらから通信なんだ、と胸中で愚痴りながら、ごほん、と咳払い。
気分を落ち着かせてから、応答の操作をする。
「……キャッチしました。リナ・シエル大尉です」
〔起きたばかりで申し訳ありませんな、大尉〕
通信をかけてきたのは、珍しい、マードック曹長だ。初めて通信してきた。
彼は日中の整備班の班長で、パイロット達よりも早く目を覚まし、機体の整備を行う。
だから彼の通信の裏で整備の騒音が聞こえてきていた。ご苦労様です。
「別にいいよ、何?」
何かしら呼び出しなのかも。用事を聞きながら、ハンガーに掛かっているピンク色の軍服に袖を通す。
長い黒髪を軽くまとめていたシュシュを髪から引き抜き、サッと髪を払って自然な感じに流す。これでよし。
〔お前さんの新しい機体、もうすぐ届くぜ。第四格納庫に搬入されるからチェックしに来てくれ。
アークエンジェル組のパイロットは全員、午前の訓練課程は飛ばしていいそうだ。朝飯が済んだら、すぐ来いよ〕
「りょーかい」
やった。袖を通しきってから、小さくガッツポーズ。
ついにボクにも新しい機体が。しかし配備されるの早いな。よほど大西洋連邦には余裕があるみたいだ。
あの中将はいけ好かなかったけど、機体をくれるならすごいいい人に思えてくるから不思議だ。とりあえず感謝。
着替えが終わり、朝食も手早く済ませて足早に格納庫に向かう。もう格納庫は、まるで戦闘配備中のような喧騒に包まれていた。
その喧騒を見守っている背中は、アークエンジェルに属するパイロット達。キラとムウとトールだ。
防衛戦のときに組まれていたチーム編成は既に解体されて、それぞれ受け持っていた部下達は元の命令系統に復帰している。
三人が、こっちに気付いて振り向いた。
「おはようございます、少佐。キラ君とケーニヒ二等兵も、おはよう」
自分の挨拶に、キラとトールも「おはようございます」と挨拶を返し、ムゥが軽く手を挙げて応じた。
「おう、来たな。もうプレゼント箱が開いてるぜ。俺にも新しい機体が届くってよ」
「そうなんですか?」
自分に届くのは予め聞いてたけど、ムウにも届いてたのか。
視線を二人に向ける。こっちの二人にも新しい機体が届いたのかな、と思ったけど、キラは困ったように笑い、トールは表情を曇らせた。
「僕は、今までどおりストライクです。でも愛着があるので、いいんですよ」
まあ、ストライクは現時点でも十分高性能機だから、大丈夫なんだろう。
ストライクは、フリーダムやジャスティスという超高コスト機を除けば最高性能の機体。現時点では乗り換えは意味が無いのだ。
それに比べて、トールの表情は暗い。
「俺は変わらず、ストライクダガーですよ。はぁ……いいなぁ」
トール、ご愁傷様。でも当然か。二等兵だし大した戦果も挙げてないし、仕方ないよね。
慰めるようにぽんぽんと肩を叩いて、にっこり笑顔。
「まあまあ。キラ君やフラガ少佐みたいに立派な働きをすれば、すぐに新しい機体がもらえるよ。
そのためにも、これからは訓練の質と量をもっと上げないとね♪」
「え!? い、いや、それは……」
「余裕だねぇ、嬢ちゃんは。自分に新しい機体が来たからって、余裕かましすぎじゃないの?」
墓穴を掘ったトールが脂汗を垂らし、ムウはリナが明らかに浮ついてるのを見てほくそ笑んだ。
リナはそれでもめげず、慌てることもなく、むしろその小さな胸を張って満面の笑顔。
「その通りですよー。確かにストライクダガーが配備された当初は嬉しかったですけど、ザフトもどんどん高性能の機体を投入してきますからね。
ディンやバクゥ相手だと、ストライクダガーでは厳しかったし……より上の機体に乗れると嬉しいのは、パイロットとして当然ですよっ」
そりゃあな、とムウはもういちど作業の現場を眺め、皆もそれに釣られて現場を見た。
作業員が誘導灯を振って、ゴロゴロと轟音を鳴らすハンガートラックを格納庫に誘導して、格納庫の前に停めた。
MSを輸送するハンガートラックの荷台には、やはりMSらしきマシンが、幌を被せられて載せられていた。
それが五台。最後列のトラックが正門通りにはみ出るほどの長蛇。MS不足で悩んでいるユーラシア連邦からすれば、垂涎ものの光景だろう。
「お、来た来た」
リナをからかっていたムウも、やはりパイロットのサガなのか嬉しそうに笑って、トラックに駆け寄る。
そう言うムウも、まるで新しいおもちゃをもらった子供みたいにはしゃいでいる。全く。
リナも苦笑しながらも駆け寄る。やっぱり、自分の機体だから気にならないほうがおかしい。
「あ、少佐に……大尉。まだ搬入作業中です。整備ハンガーに固定するまで近づかないで下さい」
二人の接近に気付いた作業員が振り向き、制止する。
自分に対する反応が遅かったのは、いつものこと。この作業員、大西洋連邦軍人ではあるみたいだけど、アークエンジェルのクルーじゃないし。
でもムウはいたずらっぽい笑みで、作業員の制止を受け流す。
「いいじゃないの。どうせハンガーに固定するまでに、歩かせなきゃいけないんだろ? 本業の俺がやったほうが早いって。
それに、せっかくだから初乗りはパイロットの自分がしたいって心理、分かってくれないかなぁー」
処女厨か貴様。気持ちはわかるし、激しく同意だけど。やっぱり自分でも動かしてみたいというリナは、援護射撃の形でウンウンと頷く。
かなり上の階級の士官、それも二人に迫られてしまい、上等兵である作業員は困惑の表情を浮かべてしまう。
「わ、わかりましたから……すぐに幌を外しますので、作業が終わるまで下がっていてください」
まるで、上官二人に触れることすら侮辱罪にあたると信じているかのように、慌てて作業員が二人から離れていく。
なんで慌ててたんだろう。二人視線を見合わせて、とりあえず作業を見守ることにする。
こちらからの角度では、MSの足の裏しか見えない。一機は……ストライクダガーの色違いだろうか。オーキッドカラーの靴(?)を履いている。
もう一機は、足の前半分と踵が分かれている。陸上を歩くのに具合が悪そうだけど……あんな機体、連合側に無かった気がする。
やたらと肩が広いのか。尖った肩が幌で覆いきれずにはみ出ている。
目の前で幌が剥がされていく。
朝の冷たい風に吹かれて、まるで風を受けた帆のように丸く膨らみ、複数人の作業員の手で引き払われていく。
一機目。ストライクダガーの色違いかと思ったそれは……ムウのパーソナルカラーであるオーキッドカラーの、ストライクダガーっぽい何かだ。
細部が違う。膝の形が丸みのある流線形から角ばったタイプに。腰部スカートが排除されている。
ショルダーがストライクと同形だったものから小型化、違う形に変わった。ムウのパーソナルマークである鷹の羽根が左肩に描かれている。
全体的に、運動性能を重視したタイプだということが分かるそれ。少なくとも、連合vsザフトには無かった。
「? なんだろ……」
「ストライクダガーの改修型か?」
二人揃って、その見慣れない機体に呟く。なんていう機体なのか、あとで教えてもらうとして。次は自分の機体だ。
それも目の前で引き払われ、朝日を浴びて、姿があらわになっていく……?
自分の好きな寒色で統一されたカラーリング。肩には地球とそれにかかる輪と、それを貫く流星が描かれている。パーソナルマーク?
いや、カラーリングやマークはこの際どうでもいい。よくないけど、機体そのものが問題だった。
翼のように突き出たバーニアユニット、全体的に鋭くて斜面が多い、トッキントッキンした攻撃的なフォルム。モノアイカメラ。トサカのようなブレードアンテナ。
……。あれ。これって。
作業員が幌を外して機体を見た瞬間、わぁっ、と歓声やら悲鳴やらを挙げている。
「じ、ジン!?」「いや、これはシグー……あれ!?」
混乱してるなあ。でも実物は初めて見るから仕方ないんだろう。
「……ゲイツ?」
そうだ。ZGMF-600、ゲイツ。
ジンの後継機であり、その性能は……個人的には、ストライクと同列くらいあると思っている。コストは、何故かジンと同程度。ゲルググ的立ち位置なはずなのに。
機体の詳細は知らないけど、ゲーム内では確かヤキン・ドゥーエ戦で初めて出現する機体であり、こんな早期には出てこなかったはず。
おそらく現実もそんなものだろう。だから整備員達も、困惑している。
少し離れたところにいるキラとトールも、驚きで目を丸くしているし、ムウも驚いている。
というより、なにやら呆れてる感じだ。
「やれやれ……ようやく地球軍独自のMSが出来たってのに、今さらザフトのコピーMSかあ?」
「コピー、ですか」
まあ、見たこともない敵側っぽいMSが味方から送られてくれば、そういう感想になるのだろう。
いやいや、それよりなにより。ゲイツっておかしいだろ。時期的にもそうだし、まず陣営的におかしい。
戦場で鹵獲したものを使うっていうんならわかる。だけどこの機体はまだ敵として現れてないはずだ。
あの親父や中将の話と、何か関係があるんだろうか。……なんだか、キナくさくなってきた。
だけどゲイツは現時点ではかなりの高性能機だし、これを使って少しでも生き残れる確率が上がるなら、使わない手はない。ありがたく使わせてもらおう。
それにしても、こんなに違う種類の機体を一つの艦に積んでも大丈夫なんだろうか。主に整備面で。マードック曹長の胃が大変だ。
とりあえず幌が剥がされ、作業員からGOがかけられたので、二人それぞれ、自分のものになる機体に駆け寄ってトラックの荷台によじ登り、多面体の機体に辟易しながらも腹のコクピット部分へ。
作業員が、マニュアルを読みながらの拙い手つきでハッチ開放キーを入力して、ハッチが開けられる。
プシュゥ、と与圧された空気が抜かれて、朝日の陰で真っ黒のコクピットに飛び降りて席に腰を下ろす。
「暗いなぁ……キーは、っと」
ぼんやりと光っているスイッチ類に指を走らせ、起動。
画面には、やっぱり「Z.A.F.T.」の文字と国旗が表示される。鹵獲した機体なのか?
まあ、色々考えてもしょうがない。分からないものは分からないんだし。とにかく起こそう。
モニターに光が灯り、朝日で青と橙に彩られた空が映し出される。操縦桿を握って、そこに配置されたトリガーなどのスイッチ類、コントロールボールを触ってみて、フットレバーやペダルの位置を確認。
……座席のサイズを合わせてるだけならともかく、インターフェースの配置も、ばっちり自分好みにされてる。なんでだ。
ジェネレーターが唸り、モノアイが灯る。その灯った時の音がジンのものだったので、周囲の整備員が怯えて後ずさりした。
ペダルをゆっくりと踏み、操縦桿をごくゆっくりと押し込んで立ち上がらせる。
「うわっ!!」
ズンッ!
コクピットに響く振動。ガキッ、と、重たい金属が擦れ合う嫌な音が響く。
どうやら脚がトラックの荷台を強く踏んでしまったようだ。運転席で待機していたドライバーが悲鳴を挙げた。
窓から体を乗り出し、拳を振り上げるのが見えた。
「気をつけて下さいよ! MS用のトラックは調達したばかりなんですから!」
「ご、ごめん!」
慌てて謝るけど、この操縦桿、遊びがほとんど無い。
操縦桿のちょっとした動きに敏感に反応してしまうのだ。今まで1動かせば2動いていたとすれば、これは1動かせば5動いてしまう感覚だ。
なんてチューニングだ。反応速度がストライクダガーの比じゃない。
ことさら慎重に、ゆっくりと動かす。視界が空から格納庫に変わっていき、起き上がる頃には、もうムウは格納庫の中にダガーMSを歩かせていた。
〔早くしろよ、嬢ちゃん! おやっさんが待ちくたびれて、癇癪起こしちまうぞ〕
うっさい! わざわざ外部スピーカー使って言うな。そして嬢ちゃん言うな!
「はい……はい!」
ややヤケ気味に怒鳴り返しながら、なんとかして起こす。……起こすだけでこんなに苦労するってどうなんだろ。
ようやく立たせることができ、おそるおそるスロットルを開いて歩く。さすがに、歩く速度だけは普通の機体と同じだった。
足元でキラとトールが、まだ驚きの表情を浮かべてる。トールに至っては、近づいてくるザフト製らしきMSに怯えて、物陰に隠れてしまう。
やっぱりこれ、問題あるよな……。
整備用のハンガーに機体を固定し、整備員に渡されたチェックシートをつけていく。
操縦系統よし、OSテスト、動作テスト終了、電子兵装問題なし。あとは装備を確認。
FCSを起動させて、操縦桿についているコントロールボールを転がして装備を変えていく。
MMI-GAU2 ピクウス
MA-M21G ビームライフル
MA-M01 ラケルタビームサーベル
MA-MV03 ビームクロー
EEQ7R エクステンショナル・アレスター
ゲームと違ってビームサーベルがついてる。クローじゃ不足だったのかな? 自分もストライクダガーにバズーカ持たせてるから、そういうこともあるんだろう。
あとは実際に動かしてみるだけ。当然だ。実戦でいきなり初乗りなんて冗談じゃない。しかもこんなピーキーな機体。
ハッチは解放されて、コンピューター周りの整備をしている若い整備員に声をかける。
「この機体、動かせるの?」
「……少なくとも、午前は無理ですね。装甲全部引っ剥がして、総点検しなきゃならないんで」
こちらの言葉の意図を汲み取った整備員は、工具を握る手の甲で汗を拭いながら答えた。
午前は無理か。時計を見ると、もうそろそろ早朝訓練の時間が終わり、休憩に差し掛かる。
チェックシートも全部つけ終えれば、テストまでパイロットがやれる仕事は無い。よし、と呟いて整備用のインターフェースを格納して腰を上げる。
「じゃあ、後は頼むよ。ボク達は休憩の後、研修に参加しなきゃ」
「了解」
自分とムウは新しい機体を渡されたわけだから、それの仕様や簡単な整備方法などを勉強しなければならない。
それはパイロットをやる上で避けられない。パイロットは単にMSを操縦できればいいという職種ではないのだ。
愚連隊揃いの海兵隊パイロットでもない限り、任務内容は操縦三割、座学七割ともいわれており、宇宙軍かつ士官学校出のリナなどは、座学にかなりの比重がある。
リナがコクピットが出ると、横のハンガーに立っているダガーMSのコクピットから、ムウがリフトワイヤーで降りているのが見えた。
「少佐! 研修はどこでやるんですか!?」
「第四会議室だ! マニュアル忘れんなよ!」
はいっ、と答えて、格納庫の出入り口に向かうムウと、それについていくキラやトール、そのほか整備員達を追いかけた。
ぞろぞろと、アークエンジェルのクルーで群れをなして廊下を歩き、会議室に向かう。
先頭を歩くムウの背中を見ながら歩いていると、キラが小声で訊ねてきた。
「……リナさん。あれって、ザフトの機体なんですか?」
やはりキラも気になるらしい。見た目、かなりジンに近いからそう思うのは当たり前か。
他の軍人達は地球軍がザフトのMSをコピーした機体だと思っているけれど、メカマニアなキラはなんとなく感じるものがあったらしい。
周りがザフト製だと知って騒がれるのが面倒なため、彼にならって小声で答える。
「そうだね。大方、宇宙軍が鹵獲したものを使うつもりなんじゃない?」
実際のところ、自分でもよくわからんし。親父と中将に聞いてくれ。
適当に答えたが、キラは何事か思案するように床を見つめた。
「それにしては、予備のパーツが沢山ありましたけど……後でOS見せてもらってもいいですか?」
ふむ、確かにキラに見せるのが一番いいかも。もしかしたら出所が分かるかもしれないし、分からないなら何か裏がある可能性がある。
先頭でムウが誰かに話しかけたのを耳の端で聞きながら、キラに微笑む。
「うん、お願い。研修終わって、テストの後にね」
さすが便利なスーパーコーディネイター。一家に一台あると便利だね。
とりあえずあのゲイツ的なMSのことは心配いらなさそうだ。あとは研修を受けて、本当にゲイツなのかとか聞いてみるだけだ。
心配事の一つを消化できる目途がたって、安心しながら歩いていると、自分達を避けて直立、敬礼の姿勢をとっている若い士官見えて、そちらに答礼する。
キラは見逃したらしく、答礼し損ねて挙動不審になりかけ、真っ直ぐ歩いている。
その直立して、敬礼して集団を見送る若い士官。
目深に帽子を被っていて分かりづらいが、少し青みがかった長めの髪に、エメラルドグリーンの瞳の少年。ちょうどキラくらいか?
あれ? どこかで見た……ん? はっ!?
「……キラ君。ちょっとボク、用事ができた。先に会議室向かってて」
「は? は、はい」
キラが意外そうに反応するも、何かを察して、それ以上引きとめずに歩いて行った。
……トイレじゃないんだけど。いや、それは今はいい。
立ち止まる。その顔。リアルなのでゲームとは少し違う顔をしているが、キラやムウの顔のギャップで慣れてるので、見間違えはしない。
アスラン・ザラ。
あちらも、何やら困惑の表情を向けている。人違いではないはず。
色々疑問が絶えないけれど、まず出てくる言葉。
「……なんで、こんなところに居る?」
出てきた声は、自分でも驚くくらいに低かった。それに対し、アスランが驚きに目を見開いた。
そうだ、なんでこんなところに居る。お前は見間違いじゃなきゃ、ビクトリア基地防衛戦でイージスで出撃していた。
あのまま帰還せずに潜伏していたのか? いや、望遠レンズで、イージスらG兵器の四機が、防空圏内から離脱していくのを確認している。
別の誰かにイージスを操縦させ、アスランは攻撃の混乱に乗じて基地に潜り込んだ可能性はある。だけどまさか、そんな……。
「なんで、と言われましても……」
きょろきょろと周囲の視線を気にする彼。その挙動不審ぶりに、リナは思わず背筋が寒くなった。
こんな所にいるのは非常にマズくないか? 疑問符をつけるまでもなく、絶対にマズい。
「こ、来いっ」
「うわっ!?」
乱暴に手首を掴んで引っ張る。アスラン(仮)は驚きの声を挙げるが、何故か抵抗はしなかった。
とにかく人目につかない場所、リネン室に入る。ここだけは監視カメラが無い。
リネン室は照明は基本切れていて薄暗く、窓も無い。部屋を照らす光は、入り口から差し込む僅かな陽光のみだ。
カートの中に山とシーツや毛布が積まれており、その毛布が音を吸収するためかなり静かだ。密談をするにはうってつけの場所といえる。
そこに連れ込んで向き直り、アスラン(仮)をじっと睨みつける。
「……アスラン・ザラ」
試しに、名前を呼んでみた。名前を呼ぶのはかなり危険と分かっているが、それでも確認しないといけない。
でも、素直に答えるか? 「誰だそれは?」など言って、自分ならとぼけるが……。
「…………」
ん? とぼけることもしないし、無言だ。視線を逸らさずに、真っ直ぐ見詰めたまま黙っている。
その目は、何のことか分からないというより、無言で続きを促しているような雰囲気だ。
もしかしたらこいつ、本当にアスランかもしれない。
「もう一度聞くよ。……なんでここにいる?」
「なんでって……君は、クルーゼ隊長から話を聞いていないのか?」
…………。
「クルーゼ……」
その名前を反芻して、思わず頭がクラッと揺れた。間違いない。本物のアスラン・ザラだ。なんて突っ込みどころ満載な奴だ。一体どこから突っ込んでいいのかわからない。
なんで素直に答えた。ボクのことを君の仲間だと間違えてないか? ボクはザフトに籍を置いたことは――
仲間と間違える、という自分の思考に、ふと一人の顔が浮かんだ。
まさか。こいつ、フィフス・ライナーと知り合いで、あいつと間違えたのか?
あんなに似てるし、そんなに似ている人間がいるなんて思いつかないだろうから、間違えたとしても無理は無いんだろうけど……
その沈黙を、記憶から探っているのだと勘違いしたアスランは、困惑の表情を浮かべて勝手に喋り出した。
「……聞いてないみたいだな。まあ、君は元々クルーゼ隊では客将みたいな扱いだから、知らされていないんだろう。
俺はこの基地のマスドライバーを破壊するために、特殊仕様のMSを近くの森に隠している。
その前に、この基地にいるキラ・ヤマトという少年を連れ出すつもりだ。君にも協力して欲しい。彼の居場所が分かるか?」
続く言葉に、脳細胞のライフポイントがゼロになりそうだった。
キラを連れ出す? 何考えてんだ。どうやって連れ出すつもりなんだよ。戦闘でダメージを負ってるからって、軍の基地の警備は緩くはならないぞ。
いくらなんでもナチュラル嘗めすぎじゃないか? いくらキラと同等の能力を持ってるからって、この基地の警備を、キラを連れて抜け出せるわけがない。
いや、キラがアスランに賛同したとしたら、抜け出せるだろうけど……。
さて、こいつはどうしたらいいんだろう。思わず頭を抱える。
リナの苦悶している様子を見て、アスランは心配げに声をかけてきた。
「フィフス、調子が悪いのか……?」
「い、いや……ボクは――」
大丈夫、と言いかけて、アスランの息を飲む音が聞こえた。
入り口から差し込む光が人影によって遮られていることに、今になって気付いた。
おそらくアスランと同じ顔色になっているであろう、青い顔でそちらに振り向く。
「アス、ラン……?」
入り口に立っているのは。その名の少年が探している友人の声。
「キラ……」
互いに名前を呼び合い、この世界の方向性を決定づける二人が出会う、運命的な瞬間。
その中で、リナは胃の痛みを必死にこらえていた。