バルトフェルド隊との戦闘から六日後。
アークエンジェルはザフトからの散発的な攻撃を受けながらも、特に大きな被害を受ける事なく、ビクトリアへの航路を進んでいた。
それも、ビクトリア基地に対する大規模な作戦の開始が間近に迫っているからだ。新造艦とはいえ、たかだか敵艦一隻のために、念入りに整備された戦力を割き、作戦に支障をきたすようなことがあってはならないからだ。
よって、アークエンジェルに対するザフトの姿勢は「近隣部隊は進行遅延誘発のための牽制攻撃を行え」が基本となっていた。
しかし、同時に疑問でもあった。
連合の新造艦が友軍の攻撃によってこのアフリカの地に落ちてきたのだが、目的地はアラスカであるはずだ。
アラスカは、新型の様々な戦闘データを喉から手が出るほど欲しがっているはずだ。
それがアラスカとは反対方向の南アフリカ方面に移動していくのはおかしい。
「この地球軍の新造艦はどこに向かっているのだ? 度々網に引っ掛かっては、どこか一点を目指して飛んでいるようだが」
「アラスカでもなさそうだな……やはり、ビクトリア基地か」
ザフトの中央アフリカ野戦司令部で、アークエンジェルの動きをトレースした地図を眺めていた司令部の面々は疑問を呈した。
彼らは、始まろうとしている第二次ビクトリア攻略戦のための作戦会議を開催するために召集された作戦要員だ。
地球軍の動向を報告し、それにあわせた兵站の整備、補給路の確保、編成などを行っていたのだが、哨戒部隊からの報告によって敵新造艦が話題に上った。
「そのアラスカが欲しがっている新造艦が、何故ビクトリアに向かう? ……まさか、我々の動きに応じるために向かっているとでも?」
「……我らの動きが、地球軍に漏れている、ともとれるな」
「貴様は我が軍にスパイがいるとでもいうのか? バカな。我々コーディネイターの中にナチュラルが入り込めば、わからぬはずがないわ。
狼の中に羊が紛れ込んで、その匂いを嗅ぎつけられぬような愚昧は我々の中にはおらん!」
眉に皺を寄せた男の呟きを、髭をたくわえた壮年の男が一笑に付した。
その笑み声に、意見を一蹴された男は小さく唸る。その笑み声を止めるように、それよりもやや冷静な男が静かに意見を挙げる。
「それよりも、ナチュラルにいい目と耳を持っている者がいる、と考えたほうが自然ではないかね?
我々は少々、派手に動き回りすぎた……ナチュラルに我々の動きが露呈した以上、コソコソする必要は無くなったわけだ。
もう、作戦開始の日まで時間が無い。戦力の結集と編成を急がせるぞ」
「……わかった」
激昂した壮年の男は、その冷静な男の言葉に冷却されて、怒りを飲み込む。
再び喧騒に包まれる薄暗い司令部を、作戦地図を写すコンソールパネルの光が冷ややかに照らしていた。
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「……よし、ここまでっ」
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございました……」
「……ぜぇ、ぜぇ」
一日の訓練が終わり、キラとトールがリナの号令に、息絶え絶えの様子で敬礼する。
キラもトールも、最後の二時間は真面目に訓練を受けていた。
開始直後は、キラはご褒美欲しさに逸って返り討ちに遭い、トールは基礎訓練の厳しさに辟易して動きが緩慢だった。
だけどキラという身近な存在が居たことで励まされ、徐々に動きが良くなっていった。しかしペースがやはり学生で、まあそのうち慣れるだろう、と思って静観した。
最初から腕立て伏せのスピードを叱るのは酷というものだし、あまりトールのプライドを傷つけないであげよう。
キラはやはり吸収がよく、一日目から、形になるであろうという兆しが若干見えた。
形になるかもしれない、というのを一日目で見えてくるというのは、実際大したことなのだ。ナチュラルなら、その何十倍も時間がかかるはずなのに。
さすがスーパーコーディネイター。MSもこんな感じで乗りこなしたのかな?
「ふう」
リナ自身は少し火照ってしまった身体を、シャツをつまんでぱたぱた振って風を送り込んでる。
そのシャツがばたばたと動くたびに、筋の細い白い腋から、火照って薄く朱が差したふくらみかけの未熟な乳が見えてしまうのだけれど、キラとトールは疲弊で俯いていて見逃した。
「よしっ」
リナは息を整えると、一度大きく背伸びすると、二人に向き直ってにこりと笑顔。
「二人ともお疲れ様。もう部屋に戻って休んでていいよ。
しっかり休んで、いつでも出撃できるようにしててね。もうビクトリアは近いけど、油断しないように!」
「リナさんは休まないんですか?」
体力が回復したキラが、気遣わしげに聞いてくる。トールは寝転がって、リキッドチューブから水分を一生懸命吸い上げていて、そんな余裕はない。
そのトールの疲労困憊した様子を横目で見て、くす、と小さく笑って腰に手を置いて肩を広げた。
「ボクの一日のトレーニングメニューは全然終わってないからね。
君達に教えてたから自分はやらなくていい、なんてことが通用したら軍人は務まらないんだよ。さ、君達は休んだ休んだ」
トールを引っ張り起こしながら、二人をトレーニングルームから追い出していく。
キラは気まずそうにしながらも、大人しくリナに従ってトレーニングルームから出て行く。
「リナさんも、無理しないでくださいね?」
「……部下に気遣われるほど、ボクは落ちぶれちゃいないよ。気にしないで早く行って行ってっ」
「わ、わかり」
プシュゥ。キラの声がハッチの減圧の音で遮られ、リナに押し出されていった。
二人が遠ざかっていくのを確認することなく、ランニングマシンに乗ってコンソールを操作する。
こういうマシンのトレーニングって嫌いなんだけど、今艦内のあちこちで修理作業や対空監視を行っているため、ランニングができない。
「普通にトレーニングできてた頃が懐かしいよ」
ぼやく。メイソンのクルーをやってた頃はただの下っ端だったから、自分のことをしてればよかったんだけど……
今は学生の管理を任されてしまったせいで二人の訓練を見てあげないといけないし、朝と夜に、佐官に昇格するために必要な勉強もしないといけない。
自分は別に尉官のままでいいんだけど、あの口うるさいショーン中佐がいるからサボれない。ムウは戦闘中以外はユルいから、何も言ってこないけど。
腕時計を見る。まだ晩御飯まで時間がある。よし。
コンソールに指を走らせていく。ハードコースで、更に数値を上方修正。ナチュラル向けの設定だから、ハードにしても温いんだ。
「たるんだ分、取り戻すかぁ」
意気込んで、スタートキーを押した。ロックが外れるくぐもった金属音が響いて、足元のベルトコンベアが回り始める。
「はっ、はっ、はっ……」
小刻みに息を弾ませ、ナチュラルが見れば目眩がするような速さで回るベルトコンベアの上を駆ける。
リナのトレーニングメニューは、一般的な地球軍軍人に設定された量を遥かに上回る。
詳細は省くが、あえて基準を設けるなら、スーパーコーディネイターたるキラでさえも途中で音を上げる量だ。
「ぐはぁっ、はぁっ……はっ、はぁっ……」
そんな量をこなせば、いかに並外れた身体能力を持ったリナといえど、疲労で倒れてしまう。
だけど、彼女は決して妥協することをしなかった。
全てにおいて既にナチュラルの領域を逸脱した能力だが、それでも、まるで自分の限界を試すように、何かに急かされるように、リナは研鑽を怠らない。
リナにとって、訓練は存在価値を維持するための“儀式”だ。一般的な軍人のいう、生き残るために己を磨く、とは違う。
転生者の悪癖、いや、弊害とも言える思考。
――自分はチートをしているのだから、常に誰よりも優れていなければならない――
常に聞こえてくる囁き。それがリナの背中を押し、過剰な鍛錬に駆り立てる。
幼い頃からの期待も、その焦燥の一つだが、リナは『昴』の頃から固定観念が強く、そうあるべき、と、自分に規定してしまう性格だった。
悪いことに、それは、自分だけに規定するわけではない。……他人にももたらしてしまうのが、彼女の人格の負の側面だった。
「……キラ君。君なら、ボクの……考えること、理解できるよね」
スーパーコーディネイター、キラ・ヤマト。
彼もまた、自分と同じ悩みを抱えているんだろう。誰よりも優れていなければならない、と。
生まれながらにして超人的な能力を持った彼と自分。周囲の期待。
リナは自分に言い聞かせるように、トレーニングルームの白い天井にキラを投影して手を伸ばし、愛でるように、虚空に映る彼を撫でた。
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アフリカの夜が明ける。
なだらかな真っ黒の山脈の間から白く輝く太陽が昇り始め、黒い平地は陽光を受けて色を取り戻していく。
まるで月の夜明けだな、と、展望フロアの全面ガラスの向こうに見える風景に目を細めながら、キラは感傷に浸った。
手に持っているリキッドチューブに口をつける。……1G下なんだから、別にカップでもいいと思うけれど、と小さな不満がある以外は、快適な朝だ。
このアークエンジェルに乗ってから色んなことがあったように思う。
アスランと再会して、でもお互いの立場のせいで和解する暇もなく撃ち合って。色んな人と戦って、殺されそうになったりもした。
バルトフェルドさんは大丈夫だろうか? 一応機体だけを壊したつもりだけど、中の人が絶対無事とは言い切れない。
あのリナさんにそっくりな人は、なんなんだろうか? 年齢的に考えて、リナさんのお姉さんかもしれない。
そういえば、まだアークエンジェルに乗って三週間しか経っていないんだった。こんなに濃い三週間は初めてだ。おそらく一生忘れられないな。
あれこれと考えながら全面ガラスの壁を見回すと、針路方向の左側ぐらいがぽつぽつと緑が増え始め、灰色の大地に肌色のラインが見えてきた。
街はまだ見えないけど、人が住んでいる気配が少しずつ感じられるようになってきた。
針路方向を覗き込むようにガラスに張り付いて、呟く。
「そろそろ、ビクトリアかな?」
「そうだぜ」
キラの独り言に答えたのは、通路を歩いてきた、軍服を着崩したムウだった。
コーヒーのリキッドチューブを手にしていて、くつろいだ様子だ。
キラの傍に立つと、手摺に体重を預けてキラと同じ風景を眺め、眩しそうに目を細めて感嘆の呟きを漏らした。
「キラは地球は初めてか?」
「はい。コンピューター・グラフィックスや本では見たことがあるんですが、本物は全然違いますね。
奥行きがあるっていうか……リアルです」
ずれた発言をするキラに、あ? とムウは一回聞き返してしまい、プッと吹き出した。
「ははっ! そりゃあリアルだろ。まあ俺も、お前さんにデカイ顔で語れるほど、大自然の光景を見慣れてる訳じゃないけどな。俺もコロニー生まれのコロニー育ちだし」
「ムウさんもですか?」
「地球軍寄りのコロニーだってあるんだ。何も地球出身だけしか地球軍に入れるわけじゃないぜ」
「……僕達も、入れましたからね」
コロニー云々はキラも知識の上で知っていたが、やはりコロニー人口よりも地球人口の方が多いことはたしかだ。
だから――地球軍の軍人のコロニー出身の割合は知らないが、圧倒的に地球出身が多いであろう中でコロニー出身の仲間に出会えただけでも、まるで同じ街の出身に出会えたような親近感を覚えるのだ。
キラの自分を見る目が明らかに変わったの感じて、ムウは『参ったね』と胸中で呟いて頭を掻いた。
「ま、どこが出身だろうと仲間は仲間だ。コロニー出身同士だと嬉しいのは、よく分かるけどな?」
「わ、わかってますよ」
顔に出てしまったかな。心を読まれたようで気恥ずかしくなって、慌てて取り繕った。
「それはともかく、ビクトリアまでもうすぐだ。
ちっと立ち寄るだけだが、念のため客を迎える準備だけはしとけよ」
「客ですか?」
自分がヘリオポリスで助けた住民達とフレイの顔が浮かんだが、すぐに打ち消した。
軍人しかいない基地に行くんだから、一般人が乗り込んでくるわけがない。
キラの想像など知らず、ムウはキラの疑問に答える。
「ビクトリアはユーラシア連邦の基地だから無いとは思うが、非常時だからな。
もしかしたらユーラシアの軍人がアークエンジェルに臨時編成されるかもしれないぜ」
「えっ。でも、僕はその時はどうすればいいんですか?」
「心の準備をしてろってことさ!」
アークエンジェル以外の軍人の参入の可能性に戸惑うキラの背中を、ムウが景気よく叩いた。
「ユーラシア連邦の軍人っていうのは、皆カリカリしててとっつきにくいんだ。
あいつら俺達大西洋連邦のこと、嫌ってる節があるからな。最低限ご機嫌とってりゃいい」
「でも、そんな人達が乗り込んできて、連携とか大丈夫なんですか?」
軍のことはよく分からないけど、例えば会ったばかりの人間と息を合わせて何かをしろって言われても無理な気がする。
こっちにはこっちのルールやリズムがあるし、あっちにはあっちのルールやリズムがあるはずだ。
でもムウは気楽そうな顔をして、肩をすくめるだけだ。
「いらねー心配だよ。俺達はプロの軍人だ。階級が上の人間には従うし、部隊の空気には身体を合わせる。
人間としちゃ少々信頼できねーが、プロの軍人としては信用できるぜ。ユーラシア連邦も優秀だからな」
「そうですか……」
キラはムウの自信のある言葉を受けて、ムウの言葉だから信じてみようという気にはなったものの、やはり不安はあった。
その不安は、メイソンクルーがアークエンジェルに移乗してきた時に感じたものとそっくりだった。
まして、今回はリナのような橋渡し役がいないことが不安を増長させた。ユーラシア連邦の人達は、どういう人達なんだろうか。
ヘリオポリスの時に比べて多少は積極的になったといっても、まだまだ人付き合いの苦手さは拭えないキラだった。
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中央アフリカに、再び大地を漆黒に染める夜の帳が下りた頃。
キラの憂慮は杞憂に終わり、地球連合軍の宇宙への窓口、ビクトリア基地へとアークエンジェルは到着する。
ユーラシア連邦にとって慣れない大気圏内航行艦の到着に、ビクトリア基地はわざわざ滑走路に誘導灯をつけて、アークエンジェルを出迎えた。
それを見て操舵手のノイマンは戸惑って、一瞬舵を持つ手を止めてしまう。
「これに従うのか? ぎゃ、逆に難しいな……」
「レーザー誘導があるわ。コンピューターに任せるのよ」
「りょ、了解」
アークエンジェルの技術顧問でもあるマリューがノイマンに助言して、手動で行おうとしたノイマンはオートパイロットに切り替える。
艦全体に微かな振動があってから、多少のぎこちなさはあるものの、ゆったりとレーザー誘導に乗って着陸態勢に入っていく。
ギリアムは無事に着陸すると予測すると、インカムをとり、艦内放送に切り替える。
〔達する。艦はユーラシア連邦基地、ビクトリア基地へと着陸を開始した。
着陸の際、若干の衝撃があるものと思われる。各員落下物、転倒物に注意せよ〕
艦長の放送が艦内全体に響いたとき、ミーティングルームでアカデミー生達(今は新兵だけど)と喋っていた。
単に雑談をしていたわけじゃなく、もともとはトールに軍人の基本的な知識――基本的な軍紀、階級制度、指揮系統などを教えていたんだけど、何故かトールの仲間達が集まってしまった。
仲間達――熱心に聞いていた順に並べると――サイ、ミリアリア、カズィは、トールを探してここに来たので、丁度いいから、と、リナが全員に教えていたのだ。
案の定、基本知識に疎かった四人に、何度となく叱咤を飛ばしながら教えていただけど、どうやら時間切れのようだ。
リナは放送を聞いて、作戦会議用のモニターの操作端末を置く。
「そろそろ行かなくちゃ。講義はこれで終わり、さあ配置について!」
四人は、はぁ、と、安堵のため息をついて脱力する。
トールなどはペンを鼻の下で挟み、唇を尖らせていた。
「軍人になっても、勉強しないといけないなんてなぁ。MSの操縦の練習のほうが気が楽ですよぉ」
ぼやくようなその言葉に、リナは腰に手を当ててレーザーポインターを指でくるっと回した。
「君達は現地徴用で、最低限の軍紀も知らないんだから、これくらい勉強しなきゃいけないのは当然なんだよ。
軍隊は、知らなかったじゃ済まされない厳しいところなんだから、講義は君達のことを思ってやってあげてるのっ。
ボクなんて君達より、もっともーっと、難しい勉強をしてきたんだからね。君達に教えてるのは、まだまだ簡単なほうさ」
叱ってはみたものの、気持ちは分かる。特に士官学校では大学以上にやたらと難しい授業内容だったから、大学院卒業レベルの学力を持ってた自分でも大変だった。
でもそれを知られたら面子に関わるので、ボクは楽勝だったよーん、とかいう風に振舞う。
そのやり取りに、サイが苦笑しながら割り込む。
「でもまぁ、よかったじゃないか。俺達、シエル大尉の言うとおり軍のことなんて何も分からなかったし。
俺とカズィも、まだまだ怒鳴られてばっかりで大変だったんだぜ」
「そうだよ……俺だってうっかり寝坊しちゃったせいでハリス伍長に殴られて、まだ頬が痛いんだけど」
カズィは修正されたらしい赤くなった頬をさすりながら、不満の声を漏らす。
インドア派らしい彼の態度に、はぁ、と溜息をつく。寝坊は完全に君の責任だろ。でも口には出さない。
「遅刻して殴られるだけならまだマシさ。士官学校で寝坊なんてやらかしたら、そいつだけじゃない。同じ部屋の人間全員が、連帯責任で罰を課せられるんだ。
厳しいよ? 一日中腕立て伏せやグラウンドマラソン、小銃磨きやらされたりするんだから」
ちなみに実体験じゃない。同期の男が実際に寝坊助がどうなるかを皆に知らしめてくれたのだ。
被験者の彼への報酬は、前述のものに加え、皆の冷やかしや生暖かい視線、そして同じ部屋の人間全員からの制裁だった。
「でもアークエンジェルのクルーが優しいわけじゃないよ。今は作戦行動中だからそんな暇が無いだけ。
もし平時だったら、同じ罰を課せられたと思うよ」
「……軍って厳しいなぁ……。スクールなら、体罰だ、って親がすっ飛んでくるよ」
士官学校の厳しい規則にカズィが弱々しく呻く。
「命懸かってるからね。軍人がだらだらしてたら死ぬのは、この二週間でよくわかったでしょ?
さ、行った行った! ボーッとしてたら、また上官の雷が落ちるよ!」
「ちぇっ、自分で呼び止めておいて、よく言うよ」
「まだ朝ごはんもまだなのにぃ」
アカデミー生達より一回り低いリナは、各々の不満を口にする少年少女達の腰を、えいえいと押して、ミーティングルームから追い出していく。
追い出されずに所在無さげに立っているトールが、小さくリナに訊いてみた。
「あの、俺は……?」
「ボクと君はノーマルスーツを着て待機! 資材の搬入出があるだろうからね。
キラ君もそうなんだけど、何処にいるか知ってる? 見つけたら伝えといてね」
「わかりましたよ」
マイペースな返事をして、トールは皆に続いてミーティングルームから退出していく。
……はぁ。自然と溜め息が出てしまう。 トールはまだまだ軍人としては錬成が足りないけど、腰が据わってきたと思う。
バルトフェルド隊を退けた後から毎日課している軍隊式トレーニングと、こうした座学のおかげだろう。
まだ実戦を経験させてないのがマイナスだけど。今回のビクトリア防衛戦が初陣なんて、ツイてない奴だ。後衛に回しておくか。
トールの配置をどうしようかと頭をこねながら、自分もノーマルスーツに着替えて格納庫に集合する。
キラには途中で会えたけど、ムウと一緒にコーヒーを飲みながら、アフリカの広大な大地をメインディッシュにブレイクタイムを満喫していたらしい(主観)。
「ボクは慣れない教鞭振るってトールに講義してたのに、いいご身分だねーっ」
ぷくぷくと、丸い頬っぺたを更に丸くしていじけてみせる。
キラは小さな子供の扱いに困ったように眉を下げながらはにかんで、頭を掻き、すいません、と軽めに謝った。
……態度にあんまり反省が見られないけど、でもまあ相手はムウだし、いいんだけどさ。しつこく怒んないであげよう。
それから軽い衝撃があって、艦全体が上下に小さく振動する。滑走路に着陸したようだ。
「メインハッチ開放! メインハッチ開放!」
「MS搬出準備だ! 各機パイロットは搭乗せよ!」
「搬入車用意!」
格納庫が途端に慌ただしくなり、その喧騒に押されるように三人は自分の機体に乗り込んでいった。
リナはストライクダガーのコクピットに小さな体を潜り込ませると、ハッチを閉鎖して機体に灯を入れる。
点灯するメインモニターに、大きく開いたメインハッチが見えた。ナタルの指示で、ムウに続いてストライクダガーを歩かせる。
コクピットの中が、人工の光とは違う太陽の光に照らされていき、リナは衝動に駆られて、コクピットハッチを開いて自然の風を取り入れた。
湖が近いからだろう。アフリカとは思えないほど涼しい気候。少し空気も湿り気がある。機体は大丈夫なのかな?
黒髪が吹き込む風で揺れて目を細める。バラディーヤや”明けの砂漠”と違って砂塵の量が少ないから心地いい。
コンソールを操作すると、シートが前にせり出して視界が広がった。
「ここが、ビクトリア基地かぁ……」
まず視界に映ったのは、こちらのMSを見上げてくるユーラシア連邦の軍人たち。作業車。
遠くを眺めると、航空基地の広大な土地に並ぶ、さまざまな軍用機が所狭しと翼を並べている。
アークエンジェルの前には、先に着陸したらしい大型輸送機が尾を開いて、まるでガリバートンネルのように縛られた巨人を搬出している。
「あれ? ……ストライクダガーだ!」
リナは思わず、感嘆を漏らして体を前に乗り出した。
間違いなくそれは、目の前を先に歩いているのと同じ、ストライクダガーだ。よく見たら、あの大型輸送機は大西洋連邦の機体だ。
そうか、ユーラシア連邦は大西洋連邦から機体を借りてるか、あるいはもらってるかして、ザフトの攻撃を凌いできたのか。
なるほど、と納得しながらムウに続いてストライクダガーを歩かせていく。シートが前に出ているせいで、上下動がやや大きい。歩く先はビクトリア基地の格納庫。
ユーラシア軍人たちが見上げているのが見えて、大きく手を振り返した。子供が乗ってるぞ、という反応はいつもどおり返ってきた。もう慣れたものだ。
いつまでもシートを前に出していると受けが良くないので、シートを引っ込めて機体の腹の中に潜り、ハッチを閉鎖する。
コクピット内を与圧する音が響いて、また機械に囲まれた。ムウのストライクダガーに従って歩いていくと、大きな格納庫に案内されていった。
最近建てられたようで、真新しい施設。MSの背丈は18m前後あるため、既存の施設ではMSが立って歩いて入ることができないために、急いで作り上げたのだろう。
その建造物の屋根によって、太陽光が遮られ、再び人工の光に照らされる。もう少し外を眺めていたかった。降りたら見に行こう、と心の中で決める。
二人はちゃんとついてきてるかな? と、バックモニターに切り替えると、すぐ後ろにストライカーパックを装備していない、ベーシックなストライクがついてきていた。パイロットはもちろんキラだ。
その肩越しに、ストライクダガーがちゃんとついてきているのが見えた。パイロットはトールだ。決してカガリじゃない。
四機ものMSが並んで歩いている、というのは、今の時期のユーラシア連邦ではめったに見られない光景だ。
ストライクなどのMSの開発は大西洋連邦が主導になって進められていたため、生産されたMSはアラスカやパナマに最初に配備され、ユーラシア連邦への配備は二の次三の次になっていたからだ。
大雑把に配備順を挙げるなら、まずジョシュアに配備、それから大西洋連邦の主要基地や主力艦隊に配備、そしてユーラシア連邦の主要基地に配備、といった順になる。
ザフトの攻撃が近いビクトリア基地だからこそ、MSが配備されたり、大西洋連邦からMSが貸与されたりしているが、他の基地は未だに通常兵器で延命している状態だ。
「だからユーラシア連邦にとっちゃ、ちょうどよく俺達が降りてきてくれたのは、まさしく大天使が降りてきてくれた気分だっただろうぜ」
ビクトリア基地の空き倉庫で、ムウはチーズグラタンをスプーンで混ぜながら語った。
今この格納庫は、アークエンジェルのクルー達の休憩用の空間として用いられており、上級下級問わず士官たちが腰を下ろして体を休めていた。
そのムウの語りを聞いているのは、リナだけだ。二人向かい合ってミールプレートをつつきながら相談しあっていた。
普段ならアカデミー生達はそれぞれの兵科のクルー達と固まって食事をしたりするんだが、今回はアークエンジェルを降りることができたため、特別に仲の良い集まりで食べることができた。
アカデミー生だった新兵達は、その五人で固まって雑談しながら食事をしている。
相変わらずトールとミリアリアはイチャイチャしつつ、彼氏彼女ならありがちな「はい、あーん」をやってる。リア充め、爆発しろ。戦争終わってから。
キラはその四人と雑談しながらも、たまに視線をちらちらと送ってきてる。なんだろ。
「でも、そのザフトの作戦を察知してMSが揃うって、すごいことですよ。かなり以前から、ザフトの動きが分かってたってことですよね?」
疑問を投げかけるとムウは不可解そうに眉を顰め、マカロニを口に放り込んだ。
自分も釣られてマカロニを食べる。……このマカロニ、ちょっと火の通りが悪い気がする。もぐもぐ。塩気強いし。
「……そこなんだが、地球軍がザフトに送り込んだスパイってのが居るみたいなんだ」
「かなり優秀なスパイなんですね。ザフトにスパイなんて不可能だと思ってました」
リナはなんとなく、ダンディズムでやたらと女性にモテる七番目のスパイを思いついてしまった。
「ザフトの重要機密に迫るくらいだから、相当優秀なんだろうな。ザフトの警備網は、地球軍の警備なんて比べモンにもならないだろうからな」
「……そうですね」
ムウの皮肉げな口調に、口を噤んでしまう。
表向き中立だからとはいえ、簡単にザフトの侵入を許してG兵器を奪われてしまったことは、まだ記憶に新しい。
そういえばムウも、守るべきG兵器のパイロット達を失ったんだ。彼の皮肉げな口調は、地球軍上層部への怒りも込められているように感じた。
だからといって、地球軍上層部だけを槍玉に挙げられない。護衛だったムウ、防衛出動した自分も、ザフトに力及ばず、G兵器を奪われてしまったのだ。
だから、地球軍上層部への怒りと、自嘲が綯い交ぜになって、胸中は複雑な気持ちだ。
その複雑な気持ちを払うように、ムウは、声に出して笑い、チキンのホワイトソースがけにフォークを刺した。
「まあ、俺だってザフトの警備事情を知ってるわけじゃないけどな。あちらさんもこっちと大して変わりないんだろ」
「所詮は人間のやることですからね。でも、スパイってどんな人でしょうね?」
「さてな。もしかしたら女を口説いて情報集めしてる、すっげぇダンディな男かもしれないぜ?」
どこの七番目のスパイだ。少年のように目を輝かせながら語るムウに胸中で突っ込みを入れながら、さく、と、デザートのピーナッツバターを塗ったクラッカーをかじる。
相変わらず、日本に比べたらすごい極端な味だ。意外と塩っ気が強くて、甘味と相殺するほどだ。クラッカーは何の味もしない。ほぼピーナッツバターの味だ。
「……?」
食事が終ろうとしていると、喧騒に異変が生じて顔を上げた。ムウもそれに気付いて、そっちに振り向いた。
キラ達アカデミー生の方だ。トールが何かやらかしたのか? と思ったら、騒ぎの中心はミリアリアだった。
立ち上がって、四人の軍人と口論を繰り広げている。何が起こってるんだ?
「私達がどうしようと勝手じゃないですか! 彼女が居ないからって、かみつくのはやめてよね!」
「お、おいおい、ミリィ、やめろよ」
「ミリアリア……!」
「二等兵(プライベート)のくせに、白昼堂々とイチャイチャしてんじゃねえ! 無神経なガキが!」
ミリアリアが叫び、トールとサイとキラが止めて、軍人が怒鳴りつける。周囲からも、その騒ぎに好奇の視線を集めていた。
察するに、トールとミリアリアのイチャイチャが気に入らない軍人が噛みついたようだった。って、そのまんまだ。
そのミリアリアと口論を繰り広げている軍人は、若い。おそらく二十代半ばか。中尉の階級章をつけている。士官学校の出だろう。
赤茶けた髪をつんつんと立てた、人相のよろしくないタイプの男だ。腕まくりして、左腕に鉤爪で引っ掻いたような刺青をしている。
それにしても、二等兵をプライベートと呼ぶってことは、大西洋連邦の軍人だ。彼らは見たことがないけれど……?
ともかく、やめさせないといけない。これ以上悪化すると、最悪懲罰の対象になってしまうし。
「こらこら、何やってんの。こんなところで喧嘩なんてみっともないぞ」
「! ……ハッ、少佐殿!」
ムウと二人で近づくと、その噛みついていた男はムウの階級章を見て背筋を正し、敬礼した。ムウも軽く答礼する。
ミリアリアは敬礼もそこそこに、ムウに矛先を向ける。
「少佐、聞いてくださいよ! この人達、自分が寂しいからって私達に難癖つけてくるんですよ!」
「なっ、てめえ!」
甲高いミリアリアの叫びに、また赤茶髪の中尉が青筋を立てる。ムウは、はぁ、とため息をついた。
「……言い方は悪いが、中尉が概ね正しいと思うぜ」
「えっ……?」
ムウが賛同してくれることを期待していたミリアリアは、愕然とした視線でムウを見ていた。
「ここにゃ、故郷に彼女や奥さんを残して戦場に出てきたやつが、ごまんといるんだ。
そこで人目憚らずイチャイチャされたんじゃ、故郷を思い出して飯も喉に通らねぇ。中尉の言ってることが正しいよ」
「……でも、あんな言い方しなくたって……」
「ケッ。軍隊なめすぎなんだよ、ガキが」
赤茶の中尉がミリアリアに追い打ちをかけ、ミリアリアががくりとうなだれる。
追い打ちをかけた中尉にムウは苦笑して、そちらに向き直る。それに反応して、ざ、と、踵を鳴らしてやや上を向いた。
「中尉も、ちっと口が悪いな。……上官である俺の監督不行き届きだ。俺の顔に免じて、これくらいにしといてやってくれねえかな?
俺から、こいつらにきっちり言っておくからさ」
「……ハッ。少佐殿のランチタイムを邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
敬礼を交わす二人。ふう、一件落着のようだ。
自分もムウの陰から体を出して、中尉は何者なのか気になって問いかける。
「ところで、君達の姓名所属は? 聞いた感じ、大西洋連邦の軍人のようだけど」
「あ? ガキがもう一人――」
更に小さい子供の登場に、その赤茶の中尉がまた口の悪さを発揮、したところで、その表情がみるみるうちに驚愕に染まっていく。
「……てめえ、シエル! こんなところに!」
「え?」
あれ? 知ってる人? 名前呼んだよ? なんでそんなに怒り顔なんだろう。
小首を傾げて、大きな緑の瞳でじーっと見上げる。そういえば、どこかで見たことあるような……
その目つき。記憶がまるで、一点をつまんで全てが引き寄せられていく布のように、記憶がよみがえっていく。
「……あ! ライザ!」
鮮明に脳裏に蘇った、彼の名前を思い出して、口に出して叫んでいた。