「……コール。グリニッジ気象観測センター? 聞こえますか? こちら”アドミニストレーター”。
繰り返す。こちら”アドミニストレーター”。コードRP069A。気象観測センター、応答せよ」
何度かのコールの後、Nジャマーの影響でノイズが混じった通信士の若い女の声が返ってくる。
「…………繋がりました。こちらグリニッジ気象観測センター、気象観測官”サーキット”です。御用をお伺いいたします」
女の声は怜悧で、合成音声に間違えてしまいそうなほどに感情に乏しい。
「忙しいところ申し訳ないが、ソロモン市の4日後の天候を教えてくれないか?
あと、俺の花壇の右から2番目、下から3段目の鉢に水をやってほしいんだが」
「少々お待ちを――ソロモン市の4日後の天候は曇りのち晴れです。
……申し訳ありませんが、花壇の管理をしていた人間が腐らせてしまいました。今お繋ぎします」
「了解」
短いノイズ。ブツリ、と一度途切れ、スピーカーが沈黙する。
ノイズも聞こえてこない、全くの沈黙の後。接続したときの音もノイズもなく、男の声が響いてきた。
「よく連絡をくれた。今か今かと待ちわびていたところだよ、マカリ」
その男の声は、聞く者の心を落ち着かせるような、優しい声。その声が、通信相手の名前を呼んだ。
Nジャマー影響下だというのに、通信相手の息遣いすら聞こえるほどクリアな通信。通信端末はその通信相手からの借り物だが、どういう原理で通信できているのやら。
その通信端末の前にいるのは、マカリ・イースカイだ。
彼は今、狭いコクピットの中、フィフスを膝の上に乗せながらレセップスから離れていくシグーに乗っていた。
フィフスが乗っていたジン・オーカーはバルトフェルド隊からの借り物であったので、乗機の無い彼女はコクピットに相乗りする形になる。
膝の上の彼女は戦闘の疲れもあって、うとうとと瞼が重たそうにしていた。
その揺れる頭を撫でながら、マカリは通信端末と会話している。その表情は嬉しそうに緩んでいた。
「俺も、ようやく実のある報告ができて嬉しいですよ。
……シエル家のリナを発見しました。地球軍の通称”足つき”、アークエンジェルのMSパイロットをやっていました。
まだまだ使い物になるには程遠いですが、もうしばらく熟成させれば一人前になるかと」
「ほう。……デイビット君は約束を守ってくれているようだね。安心したよ。
そうでなければ、貴重なあれを渡したことが無駄になるところだった」
マカリは、その通信相手の言葉に、空々しい、と思う。元々そういう契約で渡したのだし、絶対に反故できないようにしたのは通信相手の男だ。約束を反故にできるわけがない。
無表情に、しかし口調は笑みを含んだまま続ける。
「しかし、そのデイビットは、彼女の本来の”仕事”を教えてはいないようですが……?」
「彼と彼女の立場を考えると、教えるわけにもいかないのだろう。不可抗力とはいえ、少々不都合ではあったが……
アークエンジェルのクルーになるとは、嬉しい誤算だ。キラ・ヤマトにも接触できているだろう。
できれば彼と親睦を深め、信頼を勝ち得て欲しいものだ。そうすれば計画はよりスムーズに実行されるだろうね」
「それは求め過ぎというものですよ。アークエンジェルのクルーになったというだけで奇跡的です」
自分の夢想を語り始める通信相手に、さすがにマカリは苦笑を浮かべた。
「私は有能な人間には、より多くのものを求める主義なのだよ。
まあ、それが無理にしても、しっかりとキラ・ヤマトの能力をインプットして持ち帰ってもらいたいものだ。彼の能力は実に有用だ」
「ずいぶんとキラ・ヤマトのことを買っているのですね?」
「当然だよ」
「彼は未来の覇者だからね」
- - - - - - - - - -
人が住むことのない荒野は、夜になれば星空のみしか明かりの無い、まるで宇宙のような空間へと変わる。
地表には、ハイエナなどの一部の夜行性動物がひっそりと活動しているだけで、至って静かだった。
その静謐に、遠くから轟音を響かせながら近づいてくる巨大な飛行物体。
それに驚き、今まさに獲物に飛びかかろうとしていたハイエナが逃げ去った。ガゼルも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
その飛行物体は、地球連合軍の――クルーゼ称するところの”足つき”、アークエンジェルだ。
アークエンジェルはレーザー核パルスエンジンのノズルから青白い火を噴いて、その巨体を荒野の低空で滑らせていく。
バルトフェルド隊との戦闘から6時間が経過していた。
格納庫では破損したストライクダガーの修理が急ピッチで行われていた。艦の外からはエンジンの音しか聞こえないが、メイン格納庫は騒音の坩堝である。
ストライクダガー3機はMSハンガーに直立し、作業車とクレーンが破損部分の取り外しと、電気、電子回路の修理のために整備班がとりついていた。
それを見上げるのは、整備班の班長、マードック曹長、リナ、カガリの三人。
マードックは損傷報告書のチェックリストを眺め、痛い頭をかりかりと掻きながら、盛大なため息をついた。
「あーあー、派手に壊してくれちまって……」
「……ごめん」
「わ、悪かったと思ってる……」
「思ってくれなきゃ困るんだよ」
しゅん。うなだれるリナ。カガリも珍しく神妙にしていたところへ、マードックが追い討ちをかける。カガリはさらに小さくなってしまった。
一時的に同盟を組んでいたとはいえ、他国籍のモビルスーツの無断使用、そして民間人の戦闘介入。年単位で高い塀の向こうに行ってもおかしくない。
”明けの砂漠”と手を組むと言った艦長だが、モビルスーツを貸与するとは言っていない。しかもキラのように”仕方が無い事情”があったわけでもなく半ば盗んだので、怒り狂った艦長からの沙汰待ちという状態。カガリからすれば詰んだ状態だ。
マードックは怒りを抑え込むように眉間に皺を寄せて、カガリを真っ直ぐ睨みながら、静かに告げる。
「シエル大尉はともかく、カガリの嬢ちゃんは民間人で、これは地球軍のものなんだからよ。勝手してもらっちゃ困るぜ。
壊されるのはいいさ。パーツは足りなくなってきてるが直せるし、結果的に艦は助かったしな。
だが、勝手に持っていかれて勝手に死んじまったら、俺たち整備員はやりきれねえのさ。わかるか?」
「…………すまない」
俯くカガリに、マードックが手を挙げる。びくっ、とカガリの肩が震える。
殴るのか。ちょっと、とリナが庇おうとしたが、マードックの分厚く荒れた手はカガリを打たず、優しく金色の頭頂に置かれた。
「……ふん。まあ、生きて帰ってきたのは何よりだ。もうするんじゃねえぞ、わかったな?」
「わかった……もうしない」
諭すマードック。弱弱しく頷くカガリ。
それを見ているリナは複雑な心境だった。……この前機体壊されて落ち込んでた自分も、あんな感じに諭されてたんだろうか。
うーん、思ったより恥ずかしい。あのテンションだから、ああされて嬉しく感じたんだろうなぁ。今だとクサさしか感じない。
居づらそうに頬をぽりぽりと掻いて、カガリのなでられる様を眺める。なんだか飼い主と猫みたいだ。
「……じゃあ、ボクは休むよ。さっきの戦闘でクタクタだし」
「おう、ゆっくり休んでな」
あまり見てられなかったので、適当な理由をつけてその場から退場しようとする。
さっきの戦闘はちょっと疲れたけど、戦場からアークエンジェルへ帰る途中のわずかな時間で、疲労はすっかり回復していた。
このチートボディ、疲労が溜まるのが遅いばかりか、回復も早いみたいだ。便利便利。
マードックはひととおりカガリを慰め終わったのか、一度軽く頭をぽんと叩くと、いつものように胸を張って堂々とした態度をとる。
「ほら、カガリの嬢ちゃんもだ! お前さんはゲストだからな、ゲストらしく大人しくしてろよ!」
「げ、ゲストとはなんだっ。ふん……」
ゲストという言い方が気に入らなかったようだけど、大人しく従うカガリ。
とりあえず、この場は丸く収まった。
だけど、やっぱり気になるのはMSの修理。補修用のパーツだって無限じゃないのだから、いつかは無くなってしまうだろう。
パイロットは戦闘だけじゃなく、そうした物資の事情も考えなければ一流と言えない。どんなに操縦が優れたパイロットといえど、パーツが足りなければ戦力にならないからだ。
(その点、キラ君は規格外だなぁ)
ストライクには、実弾を無効化する(有限ではあるが)フェイズシフト装甲があるとはいえ、それでも下手な人間が乗れば、そんな装甲があろうとなかろうと同じだ。
キラは今までストライカーパックや武器は失ったことはあるが、四肢のどこかをもぎ取られたことはない。
それも、リナのようにジンやバクゥだけでなく、ラゴゥや、ストライクとほぼ同じ性能のG兵器と戦っても、四肢のどこも欠損することなく戻ってきた。
まさに規格外のパイロットなのだ。肉体の性能は突き抜けているといっていい。
(だけど……)
反面。一軍人としての性能はひどくアンバランスだ。
そういった反射神経、運動神経、思考速度、記憶力、知能等の基礎能力は飛びぬけているのに、銃の使い方は知らない。おそらく、戦い方も知らないだろう。
バラディーヤでの一件で、それがよくわかった。彼にはスピードやパワー、テクニックはあっても”スキル”が無い。
スキルは、知能やテクニックで磨かれるものではない。経験、勘など、ただの優れた人とは違う人種、戦士としてセンスの賜物だ。
体に染み込ませた経験と勘は、人知を超えた能力を発揮する。時にはマシンの反応を上回るほどだ。それほどに、スキルは戦士にとって必要な要素なのだ。
それでもナチュラルの軍人ぐらいなら軽くノせるだろう。彼のスピードやテクニックに反応できるナチュラルは極少数に限られるからだ。
だがコーディネイターのザフト兵相手には厳しい。コーディネイター相手でも多少基礎能力は上回っているだろうが、”スキル”が無ければ勝てはしない。
今までそのスキルの無さを、彼はストライクの性能と本人の性能で補ってきた。だが生身となると通用しまい。相手がエースの赤服なら、出会った瞬間終わりだ。
MS無しで戦うなんてことは無い、という保証はどこにもない。バラディーヤでの一件がそうであったように。
ストライクが、MSがあったら勝てたのに、という言い訳は、棺桶の中ではできないのだ。
「……というわけで、ヤマト少尉、ケーニヒ二等兵。今日から君達に、CQBについて教えようと思う」
「し、CQB?」
「って、な、なんですか?」
リナに突然提案されて、きょとんとするキラとトール。
格納庫でカガリが叱られた次の日の朝。三人は最近人の出入りの少ないトレーニングルームに集まっていた。
そこには四角形のボクシングのリングがあり、そこでレクリエーションとしてボクシングを楽しむことができるようになっていた。
そのリングのすぐ横。キラは動きやすいように、とジャージを着て、トールは普段着から上着を脱いだだけの姿で着た。
リナはといえば、ゆったりとしたランニングシャツに、これまた風通しの良さそうなホットパンツを着用。
「CQBっていうのは、Close Quater Battle(近接戦闘、もしくは閉所戦闘)といって、MS戦とは違って、歩兵の携行火器、ナイフや徒手格闘を用いた戦闘を想定した戦技のことで――」
「…………」
「…………」
ごくり。息を呑んだのはどっちだろうか。
見た目の年齢なりに身軽に動き回り、ホットパンツがひらひらと短い裾を揺らして、腰の幼い肌が見え隠れしている。
おまけにランニングシャツがこれまたふわふたと頼りなげに揺れて、身体をきゅっと小さく回すと、未発達の彼女の肢体がチラチラと見えてしまう。
1G下のおかげで、服は彼女の肌に吸い付かずに重力に振り回され、ちょっと身体を動かしただけで……色んなものが見えそうだ。
それでいて身体の凹凸は乏しいのに、もちもちした肉付きと薄く火照った乳白色の肌が男の性を刺激する。
じぃぃ。もしその視線に熱量があったら、リナがこんがり狐色に炙られてそうなほどに見てる二人。もちろんその集中力に聴力は伴わない。
「……聞いてる?」
一生懸命説明してるけど、何もリアクションを返してこないことに気付いて、じとーっと睨むリナ。
何こっちに視線向けながらボーッとしてるんだ。器用なやつらめ。
キラとトールが、ギクッと擬音を漏らして焦ってる。全く、聞いてくれないと困るぞ。
おずおずと、トールが応えてくる。
「は、はい、聞いてます……えっと、BBQでしたっけ?」
「食べたいのか!? こんがり炭火で焼きたいのか!? 違うよ! CQBだよ!」
「そうそう、そのシーキューブなんですが」
「多方面の人から怒られるよ!?」
「すいません、噛みました」
絶対わざとだろ……
何も悪びれることなく、トールは続ける。
「さっきの大尉の話はわかったんですけど、これから行く所ってMSで戦うんですよね? 今から訓練したって無駄なような気がするんですけど」
「甘いな、ケーニヒ二等兵」
「あ、トールでいいです」
「……トール二等兵。MSが人型だということを忘れてないか?」
ちち、と指を振るリナ。
「MSは自分の手足の延長だ。自分の身体の動かし方もわからないのに、MSが満足に動かせると思うかい?
ストライクダガーはナチュラル用のOSだから、自分の手足のように動く、とは少し遠いけれど、自分の身体の動きの良いイメージを作れなくては、MSの操縦も上達はできないよ」
「そういうもんですかねぇ」
トールはどこか納得いかなげだ。キラは特に何の反応も示さず、ただリナの話をじっと聞いていた。
キラはリナの言うことがわかっていたし、なによりバラディーヤの時、リナとカガリを満足に守れなかったことが随分と堪えていた。
リナに教えてもらうのは、格好がつかないとはわかっているけれど、もっと強くなって、自分の手で守れるようになりたい。だからリナの訓練も、真面目に受けようと思っていた。
リナはリナで、キラがじーっと見てくることに少々照れを感じながらも、トールに視線を向けて指先をすいっとまわした。
「MSパイロットとしても軍人としても先輩のボクの言うこと、少しは信用してもらいたいね。
ボクは意地悪で嘘を教えるほど、暇じゃないんだ。君には少しでもマシになってもらわないと、君もボクも命が危ないからね」
「言ってくれるよ、全く……」
リナの手厳しい物言いに、トールは苦笑する。こうまで言われては、男の面目が丸つぶれである。
ふわっと黒髪を揺らして指で梳いて、ふふん、とリナは笑った。
トールの感じていることはわかる。自分が『昴』の頃だったら、小さな女の子に物を教えてもらうのは屈辱なはず。
それを少しでも晴らそうとする、精一杯の減らず口を叩いたつもりだろう。
「どうとでも言うといいよ。ボクの訓練を真面目に受けるなら、ボクには何の文句も無いから。
今日のために、君達のトレーニングメニューを用意してきたからそれをしっかりこなしてね!」
綺麗に畳んでいるメモをキラとトールに配り、開いて読み始める二人。
自分の作った教育プログラムに相当自信を持ってるのか、リナはとても得意げで上機嫌に幼い声を弾ませながら解説してる。
「地球軍式の新兵教育用プログラムだから、学生あがりでも大丈夫。若い二人なら、きっとすぐについていけるように――」
「あ、あの、あの! ちょっといいッスか!?」
「なんだいトール二等兵、質問は手を挙げてからだよ?」
上機嫌に解説しているところをトールの異議に遮られるも、気分を害することなく促した。
トールはリナとは対照的に、メニューに不満があるのかしかめっ面でリナに叫んだ。
どうしたの? と、キラがトールのメニューを覗く。
「俺のメニュー、キラとだいぶ違いませんか!?
キラは組み手とか制圧術とか実戦用ばかりなのに、俺のは腕立て伏せとか艦内マラソンとか、これじゃまるでクラブ活動ですよ!」
「ほ、本当だ……リナさん、これってどういうことです?」
キラもトールの不満を理解したようで、答えを求めるようにリナを見た。
それでもリナは傲然と腕組みをやめず、むふん、と鼻を鳴らして応えた。
「きみはほんとうにばかだなあ。キラ君とトール二等兵が同じスタート地点だと思うかい?
キラ君は既に身体能力に不満は無いからね。あとはスキルを磨くだけだと踏んだから、そのメニューなんだよ。
それに引き換え、トール二等兵。君の身体能力は一般的な学生と大差無いどころか、まさに一般的な学生なんだよ。まず基礎が出来てないんだ。
だからまずは基礎体力の向上! 体力も無いのに、技なんて身につくわけないじゃないか。何か反論はある?」
「くっ……」
早口にまくし立てると、トールは何も言えなくなってしまった。
なんでトールの身体能力を知っているかというと、トール達が仕官した時に簡単な適性検査をしたからだ。
そのデータは学生達を預かるときに見せてもらったので、充分把握している。それを見た上で、彼はまだ軍人として不満だと思ったのだ。
特に彼はパイロットなのだから、ボクは彼の命に責任を持たなければならない。キラのことは関係なく、リナ・シエル大尉として。
ともかく、納得? した様子のトールに満足すると、えへんと薄い胸を張るリナ。
「さあ、わかったらさっさと訓練! 訓練!
キラ君、はじめに構えから教えてあげよう。こうして、右半身を一歩引いて、左手を前に構えて……」
「は、はい、こうですか?」
「そうそう、そんな感じ! あ、トール二等兵は一人でやる訓練ばかりだから、メニューを勝手にやっててね。さぼっても、ボクは見てるからね!」
「扱い違いすぎじゃないスか!? ……ったく! とんだ貧乏くじ引いちまったなぁ」
ぶつぶつとぼやくトールをよそに、リナは早速キラに手取り足取り教えはじめた。
まるでお兄ちゃんと遊ぶのを楽しみにしていた近所の幼女のように、声を弾ませるリナと、まんざらでも無さそうなキラを見て、トールは、
「キラ……遠くに行っちまったな」
キラは私達とは違うのよ。そういうミリアリアの幻聴を聞いてしまいながら、遠い目で眺めていた。
サボるな! とリナに怒鳴られ、はいはいと疲れた声で答えながら、床に手を突いて腕立てをはじめるのだった。
- - - - - - - - - -
「はぁ、はぁ、ひぃ、ひぃ……」
「トール、大丈夫……?」
初めての軍隊式のトレーニングが終わり、喉が擦れるような喘鳴を漏らして倒れこむトール。それに対し、キラは疲労を欠片も見せず、ケロッとしていた。
トールが何か言いたげに口を動かしているのだけれど、よほど喉が渇いているからか全く声になっていない。
車に轢かれた鹿のように倒れているトールに屈んで、気遣う言葉をかける余裕くらいはある。
「お疲れ。キラ君、トール二等兵」
そこへリナが、三人分のリキッドチューブを持って給水機から帰ってきた。
トールがひったくるようにして受け取ると、頬を凹ませて喉を鳴らし、じゅぞー、と盛大な音を立てながら啜っていっている。
「……っ! っはぁ。……くそぉ、俺だけ、トレーニング、キツすぎなんですよ……」
「そう? 士官学校の訓練より、妥協した内容なんだけど。コロニーっ子だから運動不足なんじゃない?」
「コロニーは関係ないですよ。……まあ、アカデミーにはそういう運動する課程が無いのは確かですけど」
なるほど、だから運動神経抜群のキラ君は、仲間内でパッとしない存在だったのか。
その運動神経を生かせば、アカデミーで持て囃される存在だったかもしれないのに。
「ふぅん。じゃあ運動不足を克服するいい機会だと思って、精々頑張りたまえよ。
もし頑張ってメニューをこなせば、ボクがご褒美をあげるからさ♪」
「ご、ご褒美?」
「り、リナさん!? トール!」
ご褒美、という言葉にトールが食いついて、キラが慌てた。
リナとしては、上官と部下の関係は飴と鞭の使い分けだと思ってるから、軽い気持ちでご褒美と言ったわけで。
単にご褒美って言っただけじゃ効果は薄いかな? と思ったけれど、トールは勝手に想像してくれたようで、なにやらときめきを感じている。
「まあまあ。キラ君と違ってトール二等兵は始めたてだし、体力も君ほどは無いんだし、何かうまみがあったほうがいいかなって思ったんだよ」
そう言うリナの表情はいつもの朗らかであどけないもので、キラとトールが想像するようなものは無いように感じる。
でも、キラはリナの天然ぶりを知ってるから、なにやら落ち着かない気分にさせられる。
トールにはミリアリアがいるじゃないか! と言いたいけれど、それを言ったら自分が変な想像をしてると勘繰られるから、上手く言えない。
「ご褒美って……何スか?」
「それは、メニューをこなしてからのお楽しみってことで♪」
食いついてくるトールに、演技なのか自然体なのか、口に指を当てる仕草をしながら無邪気に答えるリナ。
愛くるしい仕草、とキラは思うのだけれど、何故か純粋に喜べないでいた。
トールは、おぉぉ、と期待に胸を膨らませてるようだけど、面白くない。
無意識に、むすっと唇を尖らせて睨み目になりながら、キラは低い声で唸った。
「……リナさん、僕だって僕なりに大変な思いをしてるんですから、何か見返りを下さいよ」
「ま、まぁな……シエル大尉、キラにも、何かやってくれませんかね?」
キラの低い声に驚いて、トールがおずおずと道を譲る。
キラが怒ると怖い。普段から大人しい子が、キレると変に強くなるっていうのを体現したようなキャラだ。
その変に、という部分がやたら極端なのが彼なんだけど。だから――じゃないが、リナは、うーん、と唸って迷ってみせた。
「しょうがないにゃあ……キラ君も、一つ目標をあげよう。それを達成したら、ご褒美あげよう♪」
「にゃ、にゃあ……?」
「本当ですか!?」
む、渾身のギャグがキラにスルーされてしまった。ちょっとむなしいけど、ご褒美はちゃんと用意させてあげよう。
さて、彼に課す目標は既に考えてある。それを達成すれば、間違いなくボクの目標も達成したことになる。
ま、それでもあくまで第一目標なんだけどね。
「君がどーしてもって言うからねー。……キラ君。君に与える第一の目標。それは、
――徒手格闘で、ボクに勝つことだ」
「……え!?」
- - - - - - - - - -
ずだぁんっ!!
「ぐあっ!」
「まだ動きが大振りだ! ヒットする箇所をガン見しすぎ! 踏み込みも甘い!」
キラに目標を設定してから、二時間。
それを告げてからすぐに、キラは控えめな態度ながらも、かなり自信満々にリナに挑んだ。
しかし、未だに一度も的確な打撃を与えることができない。
先天的に人並み外れた身体能力を持ったリナと、スーパーコーディネイターという唯一無二の超人的能力を持ったキラ。
二人とも特殊な能力の持ち主だが、決定的に違う戦闘能力の違いに、キラは何度も投げ飛ばされていた。
それを見て、トールが青くなっている。トールもキラの能力の高さを認めていたので、その光景に言葉を失っていた。
「……」
「ぼけっとしない! トール二等兵もいつかはこうならなきゃいけないんだから!」
「無理無理っす……」
げっそりした表情で、手を左右にふりふりしてるトール。根性なしめっ。
でももし自分が『昴』だったら、キラに手も足も出ないんだろうけど。まさに「やめてよね」状態だ。
でも今は違う。謎のチートボディーによって身体は嘘のように軽いし、細身の割りに膂力もそこらの男にも負けないくらいだ。
だから軍隊式体術もあいまって、スーパーコーディネイターのキラを地に伏せることができる。とはいえ、この体術を習得するのも結構苦労したんだけどね。
「くは、はぁ……っ 僕のほうが、速いはずなのに、なんで……」
「いくら速くても、来るとわかっていれば受け止められるし、力が強くてもそれを生かせなかったら、ダメージは半減するんだよ。
CQBの重要性がわかった? 体術が終わったら、次は銃撃もやるんだけど……まずは基礎の体術から! OK?」
「お、OK……です……」
結局、トールに続いてキラも地を這うはめになり、震える声で了承せざるを得なかった。
まあ来ると分かってても、速すぎたり怯えたりすれば避けるのも受け止めるのも不可能で、やっぱりこれも相応の訓練がなければダメなのだ。
だから……ビクトリア基地に着くまで時間はないけれど、キラとトールにはきっちり教え込まなければならない。
「ボクと一緒に、頑張ろうね! 二人とも!」
――君達の、明日のために。