「バラディーヤに買出し、ですか?」
「……もっと軍人らしく言ってもらえないかしら?」
リナの間の抜けた言葉に、マリューは苦笑した。
タッシルの爆撃から、一日と半日。
あれからタッシルの難民達をアークエンジェルに乗せて、”明けの砂漠”の前線基地に移送した。
その次の日にリナがスカイグラスパーを飛ばして周辺地域を偵察したり、迷彩ネットの張りなおしをしたり、難民達のケアをしたりで、結局一日を潰してしまった。
早朝、リナが偵察任務から帰ってきたその朝に、幹部会議が開催された。
議題は、物資の調達と”明けの砂漠”との連携。その内容を会議の前半に詰め、後半は物資補給と今後の航海(?)予定についてになっていた。
幹部会議が終わるとリナが会議室に呼び出され、今の会話に至る。
バラディーヤの情報が記された資料を受け取る。数枚にまとめられたレポートをぱらぱらとめくりながら、マリューの話を聞く。
ギリアム大佐は、別室でサイーブと話し込んでいる。この幹部会議の前半で、幹部士官達だけでまとめた連携内容を報告、確認しているのだ。
副長であるマリューが話すことになったのは――身も蓋もない言い方をすると、ただの小間使いの命令に自ら出張るほど、艦長は暇ではないからだ。
「やはりというか……ザフトの占領地ですね」
「アフリカ大陸の大半は、既にザフトの手に落ちているから……それに、ここはそのザフトの勢力圏のど真ん中。地球軍の旗を探すほうが難しいわね」
「おまけに、あそこはあの砂漠の虎の縄張りだ。我々地球軍の軍人が真正面から行くと、まさしく腹をすかせた虎の檻に入ることになる」
マリューの言葉を継いだCIC統括のショーン中佐が、諭すような冷静な声音で、危険を示唆する。
「だが、昔から言うだろ? 『冒険をしなければ何も得ることができない』ってな。俺達は危険を冒してでも、
水も弾薬も生活必需品も、なにもかも現地調達しなけりゃいけねぇんだからな」
「現東アジア共和国の旧国家、中国の故事ですな。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』」
エスティアン中佐が諺を引き、船務長、日系アメリカ人のホソカワ少佐が諺の部分だけを日本語で訳した。
おぉ、懐かしい日本語。最後に聞いたのは士官学校に入る直前、9年近く前になる。まさかここに至って日本語が聞けるとは。
大西洋連邦の施設やアークエンジェルの艦内、どこを見ても英語、英語、英語。懐かしい日本語に触れる機会はほとんどなかったから、郷愁の情がくすぶってくる。
まあ、それは置いといて。
「しかし、ボクもキラも、アークエンジェルの数少ないパイロットの一人です。
お言葉を返すようですが、こんな使い走りは、他の伍長以下の兵にやらせればいいのでは?」
一番の疑問が、それだ。トールが幾分かマシになってきたとはいえ、スクランブル要員にはまだ厳しい。
実質3人しかいない重要な戦力であるパイロットを、2人も買出しなどに出向させるなんて、どういうことだろう? いや、外に出れて嬉しいけどね?
……決して、キラと二人きりで出かけるから嬉しいわけじゃないけどね? 本当だからね。
どこか嬉しそうに頬を緩めてるリナに、マリューは話しにくそうに他の士官に顔を向ける。ホソカワ少佐が、その丸い顔を小さく頷かせる。
彼の団子鼻と丸い顔は特徴的だ。日本人の血が濃いせいか、アメリカ人の血が入ってるとは思えないくらい日本人っぽい。
「俺達が一番気にしているのは、ヤマト少尉の精神状態だ。
彼は現地徴用した学生の中でも、繊細すぎるところがある。それにこの連続の戦闘や出来事で、精神的に参っているんじゃないかと思ってね。
気晴らしに、少し外出させたほうがいい。元々パイロットは、特に危険に晒される仕事だからな」
「……それって、ボクのことも言ってます?」
リナが冗談ぽく言って、ホソカワ少佐が口の端を吊り上げた。水を一口飲み、喉が鳴る。
「自意識過剰だな。君は学生パイロット達の管理を任されているということを忘れるなよ。
それに、君のその小さな身体を利用しない手はない。軍服を脱げば、誰が見たって地球軍の軍人とは思えないから、今回の任務に採用するんだ」
「ぐっ……」
二重で傷ついたぞ、今。自意識過剰って指摘されたし、身体が小さいことも言われた。なんて失礼な少佐なのか、ぷんすか。
実はボクは、この砂漠に下りて次の日に誕生日を迎えた。24歳になったのだ。それに、いつまで経っても小さいと思われがちだけど、次第に胸は膨らみつつある。
今Bの真ん中くらいじゃなかろうか? だから、いつまでも小さいって思われてたら心外だ! 顔立ちも背丈も、まだ10歳くらいなんだけどさ。
……なんて、言えるはずもない。恥ずかしすぎる。
「大丈夫だよ、シエル。これから別行動ってわけじゃないんだ。ほんの少しの時間だけだ。
ちょっとした休暇だと思って、気楽に行ってこい。ま、一番心配なのは、はしゃぎ過ぎて迷子になることくらいだけどな」
ムウがリナの心配を見抜いて、リナの心配を解きほぐすように軽い調子で言う。
ただでさえリナは心配性だから、ムウのように砕けた調子で助言してくれる存在がいると、心が休まる。
ボクは小学生ですか、と、リナとムウが笑いあう。そこにマリューが、話を続けようと咳払いをして割り込んだ。
「コホン……同行者として、”明けの砂漠”のメンバーが一人ついていくそうよ」
「……”明けの砂漠”のがついてくるんですか」
見るからに残念そうに表情を曇らせて、リナが低い声を出した。もちろん自覚していない。
「当然でしょう? バラディーヤに詳しい人間が、一人は必要だわ。大丈夫、同じ年代の人に来てもらうことにしているから。
貴女とキラ君は、名目上は、そのメンバーの護衛ということにしているの。だからよろしくね」
「……はあ」
了解しました、と快諾することもできず。リナは気の抜けた返事しかできなかった。
同じ年代の人? 誰が来るんだろう。ボクと同じ年代といえば、一昨日叩きのめした連中がそれくらいだ。
できれば顔見知りの人が来て欲しいな、と思いながらも、キラに出発を告げるために会議室を後にした。
- - - - - - -
リナが会議室を去り、静かになる幹部士官達。
航行もしていない艦内というのは、極めて静かだ。堅牢複雑な内部構造と装甲で覆われているため、ダメージでも負わない限りは騒音も感じにくい。
暑くて様々な騒音が響く”明けの砂漠”の拠点に比べれば別世界のようだ。まあ、苛酷な環境の宇宙を航行することを主な目的としている艦なら、当然なのだが。
「……一応、己の精神的な脆さは自覚しているようだな」
ショーンが、沈黙に波紋を起こした。
エスティアンはどかりと背もたれに体重を預けながら、ふぅ、と小さな溜息をつく。
「気付いているにしても気付いていないにしても、シエル大尉には気分転換が必要なのは確かだな……」
「そのための外出許可ですな。彼女は数少ないMSパイロットだから、多少の特別扱いは止むを得ない」
ホソカワ少佐が手の中でペンを回しながら呟いて、ショーンの言葉を補足する。
先ほど言ったように、パイロットは他のクルーよりも優遇されることが多い。そのメンタルケアから、物理的なケアに至るまで。
だから、ムウやリナのような比較的格上の士官はともかく、キラにまで個室があてがわれている。艦内の人員再編成が行われ次第、トールにも個室があてがわれる予定だ。
まだトールはパイロット『候補生』という立場ゆえ、艦内での立ち位置は微妙であったりする。
「彼女……何について悩んでるのでしょうか?」
知ってる風の二人の会話に、マリューが呟く。
「彼女はあの軍人家系の良家、シエル家の一人娘であることは知っています。幼い頃から、大きな期待をかけられていたことも、想像はつきます。
ヤマト少尉ほどではありませんが、能力と成績に関してはナチュラルとは思えないほど優秀です。
人間関係も、決して人付き合いが上手いわけではありませんが、良好なように思えます。なのに、何かを思い悩んでいるように感じるのですが……」
ショーンは、よく見ているな……と、マリューの考察に感心する。
マリューは情に厚く、面倒見がいい性格だ。指揮官に必要な素質である、兵士を一つの駒として扱う冷徹な面は欠けているかもしれないが……
もし自分が一兵士として戦場に立ったら、彼女の部下になりたいものだとも思う。個人的な趣味として、女性の上司を持ちたいという願望も含まれるが。
だが、ショーンは彼女に対する答えは持っていなかった。
確かに優秀だ。軍人の家系という優位性を差し引いても、彼女の持つ才能を数えれば、コーディネイターという単語が用意に連想できる。
それほどに多くのものを持っている彼女だが、確かにどこか自信を感じない。その理由は何なのか、明確な理由はわからない。だから、
「俺も、よくわからん。だが彼女も一人前の軍人だ。俺達は、彼女のためにできることは全てやっている。自分で解決するまで、待ってやれ」
「……はい」
ショーンは、それに対する答えを引き延ばした。それに同意するように、他の幹部士官達も無言で頷く。
自分よりも付き合いの長い彼らなら、何かわかっているのではないかという期待があったから、マリューは残念そうに視線を下げる。
数少ない、まるで妹のような年下の女性クルーだからだろうか? マリューはたまに、リナのことが気にかかるのだった。
(あの子には、キラ君と同じ危なっかしさを感じるのよね……なんでかしら?)
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軍用車に揺られること3時間。
バラディーヤの外れで降りた、リナ、キラ、カガリの3人は、送ってくれた幹部士官達に別れを告げていた。
これから幹部仕官達が相手にする、アル・ジャイリーという商人は油断ならぬ闇商人であるとのことだ。
熟練の船乗りのギリアム艦長と、一体どんな駆け引きをするのか見てみたかったけれど……仕方が無い。
「シエルた……」
ん? ナタルが何か言いかけた。大尉、って言いかけたんだろうか。
でも大尉って言ったら、折角民間人に扮して潜入したのが台無しになるんだけど。
じっと見つめ返して、どうするの? って、まるで子犬みたいに首を傾げるリナ。そのいたいけな視線に、ごくり、とナタルは喉を鳴らして――
「――ん。頼みます」
えぇぇぇ……ごまかすために「シエルたん」って言わなかったか、今。
最初の「シエルた」から「ん」までの間が0.5秒しかないから、確実にそう聞こえたぞ。
ていうか間違えて言っちゃったからって、飲み込まずにそのまま続けなくてもいいだろ。律儀すぎる。
「は、ははは……うん、わかったよ」
リナは引きつった笑いを浮かべて、頷き返す。そしてショーン中佐が、少し顔を乗り出して話し始める姿勢をとった。
「この辺りは『治安が良くない』からな。『スリ』には気をつけろよ」
「……はい」
予め決めておいた符丁。『治安が良くない』とは、敵地であること。『スリ』は敵兵だ。
そうした軍事用語は民間の不自然じゃない言葉にすり返られる。予め決められていない単語も、きっちり変換できなければならない。
軍人であることを周囲に悟られずに、軍人としてやり取りするということは不可欠な技能だ。
「『スリの元締め』は、頭が回ると聞いている。『スリ』もあちこちに潜んでいるはずだ。
……いいか、『財布』を見せるなよ。特にあいつらは、ここ最近の『事件』で気が立っているはずだ。
特に多くの『スリ』が張り巡らされている可能性が高い。報告は途切れさせるなよ。
4時間後に帰還するように。何かあったらすぐに連絡をしろ、いいな」
「了解しました」
これは厳命だからな、と告げた後、士官達を乗せた車が去っていく。それを見送って、三人が雑踏に取り残される。
様々な露店が賑わうバラディーヤの市場通り。
通行人は全員―― 一人一人大なり小なり違いはあるものの――”明けの砂漠”とほとんど同じ格好をしている。同じ民族なんだから当然なのかもしれないが。
”明けの砂漠”にも、このバラディーヤの出身者がいるのかもしれない。
その思考を中断しないといけないくらい、匂いがきつい。
砂と香辛料、その他獣や人の匂いが辺りに漂い入り混じり、とてもじゃないが衛生的とはいえない匂いがする。
「けほ、けほっ……すごい匂い……」
都会っ子のリナはその嗅ぎ慣れない匂いにむせて、眉根に皺を寄せていた。
軍人として訓練しているとはいえ、慣れているのは泥と汗と硝煙の匂い。こういった異文化の匂いは嗅いだことがない。
「確かに、良い匂いじゃないですね」
キラは意外と免疫が有るのか、その匂いに少し顔を顰めただけで、特にむせたりはしなかった。
「お前ら、だらしないぞ。ほら、行くぞ! ぐずぐずしてると4時間なんてすぐに経ってしまうぞ」
カガリは元気だ。当然か。いつから居るのかわからないが、自分たちより先に来て、いち早く慣れているだろうから。
それにしても先に来てるとはいえ、お嬢様育ちとは思えないくらい順応が早いな。
粗野な口調といい、某家出姫並みにお転婆なのかもしれない。実際、火気を担いで戦場に出ていたこともあるみたいだし。
それはともかく……
(5年前に買った服が未だに着れるんだなぁ……)
自分の服を見下ろして、複雑な気分になった。
シースルーのキャミソールワンピース、その下は淡いピンクの薄手のシャツを着て夏の装い。
サイズフリーだから助かった面もありそう。ヒラヒラした服って最初はすごい抵抗があったけど、なんだか慣れた。
……それにキラの目もあるし、ダサい服は着てられない。精一杯可愛いのを着よう。うん。
とりあえず、買出しをさっさと済ませよう。さて、リストを見てみると……。
ギリアム:塩味の現地の菓子(無ければ食材を)
ショーン:君に任せた
エスティアン:エロ本と美味い飲み物を買ってこい
ホソカワ:発酵食品
マリュー:甘い物ならなんでもいいわ☆
ナタル:ここにしか無い土産物をよろしくお願いします
思わずリストを見た自分の目を一度疑って、二度見してしまった。
何人かは普通だが……なんだこれは。新入社員いびりか(いや、軍以外で会社に勤めたことはないんだけど)。
下のほうを見ると、アカデミー生達新兵の注文もある。トールやサイは比較的マシだが、ミリアリアはスイーツ、と書いている。スイーツ(笑)
どいつもこいつも注文が大雑把過ぎる。何を買えっていうんだ。この大人数の注文を全部買おうとすると、一日がかりになりそうだ。
カガリとキラも同意見だったのか、明らかに面倒くさいオーラを漂わせた。
「どいつもふざけてるけど、特にこのエスティアンってやつはなんだ?」
「まるで不良学生の使い走りだね……」
なんて的を射ている感想を言うんだ、この二人。どうやってフォローしよう。
「うぐ……た、溜まってるんだよ、きっと」
大して口が巧くないリナが、とっさに切り返した言葉がまずかった。
驚き青ざめるキラ。言葉の意味がわからず、疑問符を浮かべるだけのカガリ。全く対照的な表情を、リナに向けた。
「り、リナさん!?」
「溜まってる? 何がだよ」
え? 溜まって……あ。あ゙ー! 焦ってたせいか変なノリで喋っちゃった!
しかもキラに聞かれたし! うああああ最悪……男性知りません、で通そうと思ってたのに……。
なんとか誤魔化さないと! まだ曖昧な表現しかしてないし、誤魔化せるはずだ!
「す、ストレスがだよ! なに、キラ君は何を想像してたんだいっ?」
「ストレスのことか。キラ、それ以外に何かあるのか?」
キラをじとーっと睨む。あーっ、顔真っ赤になってないかな。でも確認できないし、勢いで押し通してやれ。
カガリは相変わらず真っ白。純粋な瞳がボクを刺し貫くよ……。ズキズキ。
キラは女性二人から三白眼と純粋な瞳を向けられて、表情を引き攣らせた。
「えっ……? いや、その、ぼ、僕も同じことを考えてました。嘘じゃないですよ!
り、リナさんが紛らわしいことを言うから……」
「ボクのせいかい!? ……」
あ、ボクのせいだ。
「ええい、やめやめ! とにかく行かないと時間が無いよ! だべってる暇はないのさ、これは任務だからね!」
「は、はいっ」
「……地球軍の軍人っていうのは難儀なものだな」
うっさいわ。
- - - - - - -
「はぁ……買った買った! やっぱりお金は使うに限るよね、キラ君! ボクは
今、すごく清々しい気持ちだよっ」
「本当だな! なんだかリナに釣られて私もずいぶん買ってしまった! 買い物というのはこんなに面白いものだったんだな!」
軽食店のテーブルの一角で、つやつやとした表情のリナとカガリが朗らかな声を重ねた。
その表情はなんともいえない達成感に満ちていて、まるで数日振りに快便に恵まれたかのようだ。少々喩えがアレだが。
そのテーブルに、ぐたー……と、突っ伏しているのは茶色の毛玉? いいえ、キラです。
「僕は全然清々しくありませんよ! 僕の買い物なんて手のひらに乗る量なのに、いつの間になんですかこの量は!」
力無く倒れていたキラが、がばっと真っ赤に紅潮してる顔を挙げて非難じみた声を挙げた。
キラの両脇には、「これは買い物ではない……仕入れだ」というレベルの買い物袋が山となって鎮座していた。
クルーの注文はもちろんのこと、半分くらいはリナとカガリの買い物で構成されているそれ。30kg以上はありそうである。
キラの非難もごもっともだが、久しぶりに買い物という娯楽に魅了された若い女二人には通用しない。買い物は女を魔物にするのだ。
「こんなの、女の子と買い物に行ったら普通だよ? キラ君は耐性が低いなあ」
「そうだぞ。ここで男の甲斐性を見せなくてどうする? 女にモテないぞっ」
「ぐぬぬ……」
二人からの集中砲火にキラは男女の差をかみ締めて、ぐぬぬ顔を返すのが精一杯だった。
リナとカガリは、一緒に買い物をしていくうちに何故か意気投合してしまった。
カガリは最初はイヤイヤでついてきたが、若い年齢層の人間と買い物をしたのが楽しかったらしく、ずいぶんとストレス発散ができたようだった。
意外に金を持っていたようで、ほとんど値札を見ずに買っていた。さすがお嬢様。大丈夫かお嬢様。
それでも、”明けの砂漠”と一緒に居る時とは別人のように吹っ切れた顔をしている。
リナは、およそ5年間ぶりに口座内の金を吐き出して、100ドル単位の買い物をしてしまった。
なんせ銀行の口座を見たら、100万ドル近い貯金があったから大層びっくりした。
軍に居る間は使い道もなかったし、使う機会もほとんど無かった。人付き合いも多いわけでもなし、節約が趣味みたいなものだったから貯まる一方だった。
リナ自身、緊張の連続で、溜めたものを吐き出す機会を探していたところだった。違う意味で貯めたものを吐き出してしまったが。
「まあまあ、キラ君。今日は奢ってあげるから、それで勘弁してよ」
「……まあ、いいですけど」
でもまあ、彼の気持ちもわかるわけだ。前世もあるわけだし、女の子の買い物に付き合わされたら愚痴りたくなる気持ちも分かるわけだ。
彼も労わってあげよう。よしよし。キラもむすーっとした表情は変わんないけど、少し柔らかくなった気配はする。
「で、カガリ。さっき注文してたドネル……なんとかって、何?」
「ドネル・ケバブだ。焼いた牛肉を削って、野菜と一緒にパンではさむんだ。美味いぞ!」
「へぇ、それは美味しそうだねぇ。ハンバーガーみたいなもの?」
「似てはいるが、こっちは独特の食べ方があるから一味違うぞ……お、きたきた」
話している間に目の前に置かれたのは、そのドネル・ケバブが運ばれた。それを見て、リナは、どっちかっていうとサンドイッチに近いな、と思った。
以前も書いたが、大西洋連邦はアメリカ合衆国を主軸として結成された連邦組織であり、欧米式の食文化を持つ。
もちろん、その大西洋連邦の軍人も欧米式の食文化であり、そのドネル・ケバブは大西洋連邦でも食べられるサンドイッチによく似てる印象だった。
「なんか変なにおいするよ?」
「油のせいだろ。こっちの油は精製が粗いらしいからな。慣れたら気にならなくなる!」
「カガリって、結構豪快だね」
キラが苦笑しながら言ってる。おいおい、それは女の子に対するほめ言葉じゃないぞ。
それでもカガリは気分を害した様子もなく、ぐいっと赤い液体が入った半透明の容器を引き寄せる。
「まあな。繊細だったらこの土地には住めないさ!
まあ食ってみろ。チリソースをかけて食べるのが、通の食べ方なんだぞ!」
既に通なのか。まるでグルメな芸能人ぽい口調で、食べ方を勧めてくるお嬢様。
「へー、チリソースか。確かにそれなら美味しそうだね」
「それがカガリの食べ方かぁ」
チリソースは軍の食事でもよく出てくるから、確かに馴染み深い。
ドネル・ケバブの食べ方がわからないキラも、勧められるまま、カガリから回されたチリソースを手に取ろうとして、
「あいや、いやいやいや待ったぁ!!」
どこの歌舞伎役者だ! そう思って、びっくりして三人が振り返ると……振り返ると、ハワイアンなおっさんがいた。
サングラスにクラシカルな形状のカンカン帽。今時はじめて外国に出た中年でも着ないようなハワイアンシャツのせいで浮きまくってる。
サングラスの横には立派なモミアゲ。なんだ、どっかで見たことあるやつだな……。特にそのモミアゲ。
リナが訝しげに見てる間にも、そのおっさんは声高に主張する。
「ケバブにチリソースなんて、何を言ってるんだ、君は!
違いの分かる人間は、ヨーグルトソースをかけて食べるのだよ。それがバラディーヤ流だ! 分かるかね!?」
「な、なんだいきなりお前は……私の食べ方に口出しするな」
なんという温度差。やたらハイテンションなおっさんに対し、やたらと冷めた反応を返して、カガリはそのままケバブにチリソースをぶちまけた。
うわ。君、対抗心だと思うけどかけすぎだと思うよ? 真っ赤だ真っ赤。かけたからって三倍になるわけじゃないぞ?
それをおもむろに頬張るカガリ。うわ、辛そう! ケバブの味するのか? 絶対チリソースの味しかしないだろ。
しかしカガリは表情を緩ませる。
「うむ、美味い!」
「マジで?」
「マジだ! ほら、キラとリナもかけろ!」
ずいっとソースを押し付けてくるカガリ。それに対し、おっさんは譲らない。
「なんということをするんだ、君は! 神聖なるケバブを一瞬にして名状しがたき赤い物体にしてしまうとは!
神をも恐れぬ所業だ! このヨーグルトソースによって、白く染め上げて食べるのだ! そうしてこそケバブの無念は晴らされる!」
前半はこのおっさんに同意したい。後半は意味がわからんけど。
キラも、一体どっちの食べ方が正解なのかわからず、おどおどして様子を見守っていた。
関係的にはカガリに同意したいところだけど、このおっさんもかなり押しが強そうだし、変に断ると面倒くさそうだというのが、キラとリナの共通見解だった。
よって、キラとリナは二人が火花を散らすのを見守るしかできない。
が、それがまずかった。
何がどう手が滑ったのか、二人のケバブに向かって無造作に、赤い液体と白濁液がぶちまけられる。
「「あ」」
「うわーあー……」
「えぇ……」
キラとリナ、ドン引き。
紅白サンドイッチ? いやいや、めでたくないぞ。いよいよ「名状しがたき紅白の物質」になってしまったケバブ。
チリソースとヨーグルトソースが混じってカオスになってる。組み合わせ的に食べられないこともなかろうが……。
リナの頬が引きつり、キラは呆然と見下ろした。え、食べるの? これ。
「いやあ、すまなかったね。少年少女。神聖なケバブを台無しにしてしまった」
何をいきなりどっしり座ってるんだ、と思いながらも、そのケバブを手に取る。やっぱり食べなきゃいけない流れなのか。
どうしてくれる、と、恨めしげな視線をおっさんに向ける。参った参った、と呟くだけで全くダメージを感じない。おのれ。
「い、いえ、こういうのもなかなか……」
キラはおとなしく食べてる。いやあ、君は偉いよ。立派な芸人になれる。新人いびり的な意味で。
きっと彼は、ソースの味しかしない、とか思ってるんだろうなぁ。そりゃ当然か。特にキラのケバブのソースの乗り方は半端ではない。
ケバブとソースの厚みがほとんど差が無いんだから。あんなもの食べてたら病気になるぞ。
「ま、いいですけどね」
ぼやきながらケバブを口にする。う。ソースのせいでやたら肉厚で、頬張りにくい。
ただでさえ小さな口をしてるから、あんぐ、と思い切り口を開けなきゃいけない。もぐもぐ。
んぐ……ヨーグルトソースの酸味、チリソースの辛味が混然と絡み合い、乳性たんぱく質がチリソースの辛味を中和して……
ねるねる○るねが、ひっひっひ……
「美味い!!」
テーレッテレー
「「「嘘ぉ!!?」」」
おっさんにも驚かれてしまった。
「む、無理しなくてもいいんだよ? さすがに僕も、罪悪感を感じてるし」
「いやいや、ヨーグルトとチリのミックスってこんなに美味しいなんて気付かなかったよ!
チリソースの味の強さをヨーグルトのさわやかな酸味が和らげて、互いに助け合い……味のハーモニーを饗宴してるのさっ」
「マジで言ってるのかい……」
なんかおっさんがげんなりとした顔をしてる。なんて失礼なおっさんだ。お前がかけたのに。
ボクは言葉通りの感動を感じているぞ! 美味い、これは美味い! もっとかけよう。ぶぢゅるぢゅる。
「うぷ……」
おいこら、キラ。その表情はボクをひどく傷つけるぞ。ちょっと頭冷やそうか。
くぬくぬ。キラにヨーグルトソースを振ってると、やめてください、と悲鳴を上げながら逃げ惑ってる。
それを見て、はぁ、と、二人でため息を重ねてるおっさんとカガリ。
――直後。
「伏せろ!!」
最初に叫んだのは誰だったか。おっさんだ。
リナも直前に感じた、まるで鉄の塊のような気配に対して、脊椎反射的に反応して伏せる。
ほぼ同時にキラも、カガリを伏せさせて自身も伏せる。
その頭上を、シュンッ、と何かが空気を切り裂きながら飛翔。店内で炸裂し、様々な破片が飛び散り、悲鳴が飛び交う。
四人は事前にテーブルの陰に隠れたおかげで、無傷。買い物を入れた袋がいくつか裂けたが、まだ持って帰れそうだ。
「無事か!?」
「まあね……テロ屋かな」
おっさんの呼びかけに、少し苦しげに応える。手の中には、咄嗟に抜いた制式拳銃が納まっている。
キラも拳銃を手にしている。彼も撃つのだろうか? 訓練しているところは見たことが無いが。
テーブルを引き倒し、盾にしていると、機関銃の連続発射音がうるさく響いてくる。
突入してきたテロ屋の二人が、銃を乱射しながら何か叫んでる……?
「くたばれ、宇宙の化け物ども!」
「青き清浄なる世界のために!」
げっ! こいつらブルーコスモスか!? 思わずリナはぎょっとしてしまう。
地球連合にも深く食い込んでいる、反コーディネイター団体。地球軍の好戦的な部分は、大半はこいつらが担っているといっても過言ではない。
だからって、こんなところ、こんなタイミングに現れなくてもいいだろうに!
おっさんが物陰から少し身体を出して、銃を撃ち返している。こいつ、銃を持ってたのか。
テロリストがそちらを向いた。その隙を狙い、戦闘不能にさせるために肩口を狙撃。
ぐあっ、とテロリストが身体を傾がせ、そこへまた別方向から飛翔した銃弾が、テロリストに致命傷を与えて崩れさせる。
「なっ……」
そちらに振り返ると、その銃弾を放ったのは店内の客の一人だった。
目の動きと構え、銃口の安定感。こいつ、軍人だ。それもかなり訓練されている。
しかも一人や二人ではない。全員が精鋭クラスの練度をもって、統率された動きと射撃で応戦する。
一体いつから居たんだ? これだけの数の兵士が「たまたま食べに来てました」では納得できない。
ザフトの拠点で大っぴらに武装している人間で、ブルーコスモスと対峙するとしたらザフトしかいない。なぜこんな場所に……
「構わん! 全て排除しろ!」
その声は、おっさんだ。そちらに目を向ける。サングラスが落ち、カンカン帽もどこかに落としている。
先ほどの能天気なおっさんぶりはどこへやら。的確な指示を兵達に与え、たかがナチュラルのブルーコスモスの尖兵を瞬く間に返り討ちにしていく。
厳然たる口調、指揮ぶり、身のこなし。今までなぜ気付かなかった!? リナは、自分の鈍さに頭を抱えたくなった。
こいつは――かの砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドだった。