艦全体が揺れ続ける。
ストライクダガーが収容された直後はほんのちょっとした振動しか感じられなかったが、大気圏の成層圏を越えたからか、次第に激しい揺れへと変わっていく。
MSと艦の装甲を越えて、激しい嵐の音が響いてくる。気流のせいだ。気のせいか、外部音声を拾い上げるスピーカーから、ミシミシと嫌な音が聞こえてる気がする。
この艦大丈夫なのか。こんなでかいものが、本当に大気圏突入なんてできるのか?
それよりも、なによりも。
キラは無事なのか?
「うぅぅぅ……」
リナはストライクダガーのコクピットの中で、膝を抱えて小さくなっていた。
ヘルメットもいやだ。マスクしてるよりは息苦しくないが、圧迫感がある。戦闘中でもないのにつけたくない。
宙にヘルメットを浮かせていたが、揺れが激しくなると、かくんと下にずれて、すぐにごろんと操縦機器の上に落ちた。
今までふわふわしていた身体が次第に重くなり、血液が下半身に溜まって行く。ついに地球の重力圏に入ったのだ。
およそ一ヶ月ぶりの地球。メイソンに搭乗してからここまで、まるで何年も宇宙にいたような気分だけど、今はその感慨にふけっている余裕はなかった。
キラが居ない。艦に戻れなかった。
もしかしたらあのまま大気圏に引き込まれた? いや、フェイズシフトがあるから大丈夫なはず。
大気圏突入の熱を守ってくれるほどフェイズシフトが万能なのか、それはわからないけれど……いや、あれも物理的な作用なら大丈夫! ……なはず。いや、でもビームの熱は駄目なわけで……でもでも。
頭の中で、ポジティブな思考とネガティブな思考がぐるぐると回る。目に光が点らない目で虚空を眺めながら、胸に重たいものを蓄積させつつ艦が大気圏を突入し終わるのをじっと待っていた。
やがて振動が収まる。嵐の轟音も遠のいて、艦全体が静かになっていく。
大気圏を越えたのか。そう思って、コクピットを開放して身体を乗り出した。着いたのか?
〔達する、艦長のギリアムだ。貴君らの活躍により、アークエンジェルは無事大気圏突入シークェンスを完了した〕
格納庫に響くのは、ギリアム中佐の艦内放送だ。本当に地球にやってきたらしい。
その証拠に、今まであった浮遊感は無く、コクピットのハッチに足をかけている今、バランスを崩したら真下のキャットウォークに転落しそうだ。
〔なお、突入の際に索敵が、大気圏に落下するストライクを発見したため、同機を追跡、軌道修正を余儀なくされた。
現在地点は南アフリカ。皆も良く知っているだろうが……ザフトの勢力圏内だ〕
ストライク……キラ君を見つけたのか!
リナは喜びに表情を輝かせる。ザフトの勢力圏内というかなり危ない内容も篭められていたが、そんなことよりもストライクの発見を喜んだ。
追跡したということは、ストライク自体無事、ならキラ君も無事なはず!
キラ君、キラ君!
喜びに小さな胸を弾ませながら、コクピットを飛び降りた。ふわ、と黒い髪が空中にたなびく。
機体の僅かな凹凸を足がかりに、トントンと猿のように身軽に跳ねて、キャットウォークに降りる。
さっきのテンションのリナなら、怖くてできなかっただろうが……キラが発見された嬉しさに舞い上がっていた。
〔取り付いたジンとシグーだが、まだこちらに取り付いたままだ。艦載火器の死角に乗っており、自力で引き剥がすことができない。
シエル中尉はストライクダガーに搭乗、右舷デッキより出撃し、ただちに撃破せよ。
全クルーはただちに白兵戦用意。陸戦科から守備部隊を配置、ハッチを警戒しろ!〕
そうだった、忘れてた!
格納庫にいる人間も忘れていた者が多かったのか、途端に慌しくなる。専任整備士のユーリィ伍長が駆け上がってきた。
「レディ・シエル! ビームライフルの充填は済ませてあるが、役に立たないと思ってくれ!
場所が場所だからな、殴る蹴るの戦いになるかもしれないが、一応ビームサーベルは装備させておいた!」
「て、敵は重斬刀を遠慮なく使ってくるんだろ?」
「だろうな。苦しいだろうが、レディ・シエルの腕次第だ。うまいこと引き剥がしてくれよ!」
無茶言うな、といいたいが、確かに今この艦には適任は自分だけだ。
ムウもいるが、すばやく飛び回り、射撃兵器しか持たないゼロでは、艦ごと撃ち抜きかねない。射撃兵器を使わなければ○ュウさんになりかねない。特攻するだけの簡単なお仕事です。
こういうとき、MSは便利だ。戦車や航空機では真似できない、まさに戦車や航空機にもなりうる兵器なのだ。
まあ、現にそのMSに今襲われているわけで……便利なことばかりなわけじゃないのだ。
「……はあ。ボクも初心者なのにな」
「MSの操縦に関する特別な手当ても出るって、ハルバートン准将も言ってましたよ。頑張ってくださいよ!」
ため息をついて、ヘルメットを被りなおすリナを励ましてくるユーリィだが、正直お金は命の対価にはなりにくい。
リナ自身、大してお金に執着が強いわけじゃない。生前はゲーセンに使う金が欲しかったが、今はゲーセンなんて行けないし。
おしゃれをするのは好きだけど、服や装飾品で着飾ろうにも、戦闘艦勤めではほとんどできないし。軍服改造するか? どこの不良学生だ。
この先の展開はあまり分からないけど、街のステージがほとんど無かったし、きっとこれから半舷休息なんて無いんだろうなぁ。
「はいはい、とりあえずやれるところまでやろっか……誘導よろしく」
「了解! 足元気をつけてくださいよ!」
親指を立てるユーリィを見送ってから、ダガーのハッチを閉鎖。ジェネレーターを再起動。センサーを立ち上げ、モニターに艦内の様子が投影される。
サブモニターにナタルの顔が映る。
「ストライクダガーよりブリッジへ。シエル機、発艦します」
〔発艦を許可します。発艦シークェンスは省略。射撃兵器は禁止とします。ビームサーベルの使用許可が出ていますが、極力避けるように。
以後、甲板要員の指示に従ってください。ご武運を〕
「了解。シエル機、ハッチまで前進。出撃――」
〔!? 待って、中尉――〕
突然ナタルが声を張り上げる。どうした? そう訝った直後、開いたメインハッチに姿を現したのは――ジン!?
そのストライクダガーの姿を見たジンのパイロット、フィフスも、予想外のMSに驚きを隠せないでいた。
「……! ストライクだけじゃ、なかったの!?」
まさか、その量産機であるダガーまで搭載しているなんて知らなかった。こんなはずじゃない!
フィフスは動揺したが、それでも敵機を発見したことに身体が勝手に動いた。スロットルを押し倒し、ジンを動かす。
臙脂色のジンは格納庫に侵入、真正面にいるストライクダガーに素手で拳を振るう!
甲板要員らは、なんとかバーニアに吹き飛ばされないように避難したようだが、今度はリナが危ない。
「くうっ!?」
格闘モード!? 慌てて火器管制モードを切り替えるが、相手の拳のほうが速い。
ガシャアンッ!! 格納庫内にすさまじい激突音が響いた! コクピットにもすさまじい衝撃が走り、シートに何度も身体をぶつけてしまう。
ストライクダガーの頭部が殴りつけられた! ジンHMの質量を全て乗せた拳だったので、機体が整備ハンガーを押しつぶす。
だがジンのほうも無傷では済まなかった。ジンの拳はMSを殴るようにはできておらず、指関節がひしゃげて、ダガーのコクピットに居るリナにも破壊音が聞こえた。
「――この、やろぉ!」
可憐な顔を怒りに歪ませたリナは、格闘モードに切り替え、ターゲットをジンの胸部に固定。操縦桿をトリガーを引かずに押し倒すと、平手がジンの胸を押す。
そしてスロットル全開! バーニアが青白い火を噴いて整備ハンガーを灼き、デッキがあったために推力の反作用が増加。機体は一気に加速し、ジンを押し返す!
「離せ……うぅ!」
「女の子!? だけど、入れてたまるかぁ!」
「なに……子供? うぅ、このっ!」
フィフスとリナは、相手のパイロットの声が接触回線で聞こえてしまった。甲高くて、鈴が転がったような声。どこかで聞いたことがある気がする。だけど、容赦している余裕はない!
フィフスはスロットルを開いて押し返そうとするが、一度体勢が崩れてしまうと、推力が近い以上逆転は難しい。
前進スロットル全開のストライクダガーに、ジンがパワー負けしてじりじりと押し返されていく。
がしゃん!
ジンのボディが変に揺れて、謎の異音が響く。足元を見た、フィフスとリナ。――出撃時にMSの足に履くリニアカタパルトだ。
フィフスは一瞬、それの正体がわからなかったが……リナはすぐに判断した。
「ブリッジ! リニアカタパルト、射出を! 早く!」
「カタパルト!?」
まずい。フィフスは咄嗟の判断で、コクピットを開放。ハーネスを外すと、コクピットから跳躍!
リナはそのジンがカタパルトから逃れないよう、必死に掴み続け――
「出ていけぇぇ!!」
ごうっ!!
ジンがリニアカタパルトに引っ張られ、すさまじい勢いでカタパルトを滑っていく!
そのまま射出ポイントでリリース。ジンの巨体がぐるぐると玩具のように上下に回転しながら空に落ちていく。
もしフィフスが乗っていたら、あの機体は落下スピードを押さえきれず、地表に激突していたことだろう。そうなれば、軽量紙装甲かつ宇宙戦闘を前提に開発されたジンHMなどひとたまりも無い。
フィフスも、10m近い高さから飛び降りた。それはそれで、このまま落下したらひとたまりも無い。
しかし上手くストライクダガーの足に飛び移ることに成功した。ぷらん、ぷらん、と小さな身体が足にぶらさがり……
がんごんがんっ!!
「ひっ……」
ストライクダガーの足に、小銃の弾丸がいくつも爆ぜた。身体をぶらーん、とダガーの足から離してかわすフィフス。
その発射された先を見ると、整備員と陸戦隊がフィフスにいくつもの銃口を向けているではないか。
いくら優秀なザフトレッドといえど、こんな無防備にMSのスカート部分にぶらさがってる状態で抵抗できるはずもない。
「……こ、降参……」
短い腕を思い切り振って、武器を持っていないことをアピール。それでも油断無く銃口を向けるクルー達。船務科の人間も銃を取っている。
リナはMSを整備ハンガーに戻そうとしたが、潰された上にバーニアで焼いてしまったため、原型を留めていない。
フィフスがスカート部分に引っかかっていることに気付かないリナは、とりあえずダガーをその場に跪かせて、安定した体勢をさせようとして……
〔うわ、あわわっ〕
「?」
接触回線で声が聞こえる。おかしい。さっきジンは外に突き飛ばしたはずなのに。
どこから聞こえるんだろう、と思って、サブモニターのカメラを切り替えていく。バックカメラ、足元を見るカメラ、肩のカメラ。
そして、コクピットハッチの真下を見るためのカメラに切り替えると、スカートの左端にちょこんと引っかかってるザフトのノーマルスーツが……
「げっ」
まさか、咄嗟に飛び出したのか。もうちょっと身体を曲げると、掴んでいる隙間が完全に閉じるところだった。危なっ!
少し身体を起こして、隙間を閉じないようにしてやる。ほっ、と明らかに安心しているザフトレッド。
コクピットの中で拳銃を手にして、ハッチを開放。さっ、とハッチの上に乗り出すと、そのぶらさがってるザフトレッドに銃口を向ける。
「動くな!」
「……動きたくても……動けない……」
どこかで聞き覚えのある声で、残念そうに呟くザフトレッド。こいつ、よく見るとかなり小さい。
自分と同じか、やや大きいくらいか。そのぶらさがってるザフトレッドも、こちらを見てびっくりしているようだ。
当たり前か。10歳くらいの小さな子供がコクピットから出てきたら誰だって驚く。ガンダム主人公史上最年少のウッソだって13歳だぞ。
とりあえず、その後は作業員にクレーン車を持ってこさせて、そこに下ろさせる。
下ろしてみるとやはり小さい。クレーンで下ろすところを見てると、高いところから降りられなくなった子供を抱っこして助けた、みたいな格好だ。おい、両脇を掴んで下ろすな。
「ヘルメットを取ってもらおうか?」
船務科の科長であるホソカワ大尉が低い声で、床に降り立った赤いノーマルスーツに命令する。
それに対して、大人しくヘルメットを取るその子供。ふわ、と長い黒髪が散る。あの髪も、どこかで……
そのやり取りを見ながら、ハッチの裏にある昇降用のワイヤーで降りていくリナ。ヘルメットを取ると、自分と同じく黒髪の頭が見えた。角度的に頭のてっぺんしか見えない。
が、皆の激しく動揺する顔ははっきり見えた。そして、一斉にこっちを見てくる。
「どうしたの?」
「…………シエル中尉!?」
「だからどうしたの」
こっちと足元のパイロットを交互に見ながら名前を呼んで来るだけで答えない。少し苛立って声を出して、皆と同じ高さに降り立つ。
そのパイロットの後ろに立つと、皆が一段と騒がしくなりはじめた。ゲンガー? という言葉が聞こえた。ポケモン扱いか?
後ろから見ると、なるほど、艶々とした綺麗な黒髪だ。まあ、自分には及ばないけどな。主観だけど。
「おい、こっち向け」
「……気に障る言い方」
ぼそぼそと喋るやつだな、と思いながらその少女を振り向かせる。肩を掴むと、ノーマルスーツごしでもわかるくらい細い肩だというのがわかった。
くるっ、とその少女がこちらを向いた。自分と同じ黒い髪、碧の瞳。
「!?」
「!!」
二人が、同時に驚いた。髪も瞳も同じ色なのは、まだ驚くまでもないことだけど、これはどうしたことだ。
同じ唇、頬、鼻、眼、――同じ顔。
「誰だ、お前は!?」
「君は……っ!」
全く同じ声で叫びあう二人。
特徴的な相違点といえば、リナよりもフィフスのほうが5、6cm上背ということだろう。顔立ちも身体も、リナが2年ほど成長すれば、フィフスのようになるのではないか。
傍観しているクルーも目を回した。双子というには歳が離れているようだし、双子としても似すぎている。
今はザフトのノーマルスーツと、地球軍のノーマルスーツを着ているという大きな違いがあるので、見分けることはできるが。
同じ服を着て別々に会ったら、まず見分けはつかないだろう。
驚き合っていると、フィフスが途端に表情を緩めた。いや、緩めたと表現するには生ぬるい。
不気味な笑いを、浮かべたのだ。
「……見つけた」
「ヒッ……」
その笑顔に、リナは全身に冷たいものが走った。
見覚えがある、この笑顔。あの夢。まさか、こいつ。
はっきりとはわからないが、こいつとは会ってはいけなかった、という予感だけが己の中を侵食していく。
何より――まるでそっくりの人間がこうして目の前にいること自体が異常で、生理的に受け付けない。
じり、とリナは怯えた表情で後ずさりをする。こいつに触れたくない。
そのとき――
〔後部艦橋より緊急連絡! 取り付いたシグーのパイロットが侵入した! ただちに応戦を!〕
忘れていた、シグーもいるんだった! その場に居る全員に緊張が走る。その放送に聞き入っている瞬間――
ガッ!!
「つっ……!?」
目の前の少女が、目にも止まらぬ体捌きで回し蹴りを放ってきたのだ! 手の甲を衝撃が走り、拳銃を叩き落される。
後ろのホソカワ大尉らも、慌てて小銃を少女に向けるが、その長い銃身では、近距離の彼女にすぐに狙いを定めることができない。
「うがっ!」「ぐあっ!?」「げっ!」
頭と肩を軸に、まるでカポエラのような身軽な動きで強烈な回し蹴りを放ち、次々と警備兵と船務科の軍人をし仕留めていく。
しかも顎を的確に一撃ずつ。脳を直接揺さぶられた軍人達は目をくるんとむくと、その場に崩れ落ちていく。
さすがに、ザフトレッドである。両手首を後ろに縛られている状態でも格闘ができる訓練を受けていたのだろう、ナチュラルとは動きが違いすぎる。
あの最もガタイのいいホソカワ大尉も沈められた。誰一人、銃を一発も撃てずに全滅してしまった。
リナはその動きに圧倒されるが、まだ自分は動ける。こいつはここで仕留めないと! 闘志を奮い立たせ、拳を握り締めた。
「このっ!」
「そうだ、ボクに対抗できるのは君だけだな!」
フィフスは、立ち向かってくるリナに嬉しそうに声を張り上げ、振りかぶってくるリナの拳に対し半身を反らして避ける。
パッ、とフィフスの長い黒髪に拳が当たった。それだけだ。続けざまに拳を突き出していく。このチートボディならではの、素早いジャブだ。
ナチュラルが相手なら、このワンツーで確実に地に伏せることができる鋭さを持っている。だが、フィフスは踊るように身をかわし、最小限の動きでかわしていく。
両手を後ろに回されているはずなのに、この動きは!?
「なんだ、焦ったのかい? これはゲームじゃないのに、そんな真っ直ぐな拳が当たるわけないだろ」
「!?」
ゲーム、だと。
頭がカッと熱くなって、残像が生まれるような速さで屈み、同時に足払い。フッ、フッ、と消えて見えるようなメリハリのある素早い動きだが――
トン。軽い音がして、フィフスが小さく跳ねていた。読まれていた!?
頭上から、嘲りにも似た声が響く。
「そんなんじゃ、ゲームクリアできないよ。……ふふ、もっと実戦を知ってから出直してきなよ」
言葉が先か、脚が先か。フィフスの爪先が視界を埋めて――
ガヅッ
鈍い音。強烈な眩暈。意識が遠のく。
「じゃあね、『リナちゃん』」
「……っあ……」
何言って……んだ……。
ゴトッという音も、床に頭を落とす痛みも、なんで名前を知っている、という怪訝な思いも。
全てが意識と同じように遠のき、真っ暗な闇の中に眠りに落ちた――