「フィフス」
「んぅ……」
名前を呼ばれた気がする。優しい声だ。小さな身体を優しく包み、安らぎを与えてくれる声。水の底に沈殿している飴のように泥濘している意識を、ゆっくりと解かして目覚めていく。
眠気に翳むエメラルドのような緑の瞳を開けて、声の主を探す。誰だっけ? ボクの名前だ。
靄がかった頭が少しずつ晴れてきて、思い出した。彼の顔を見る。優しげに微笑んでくれているのは、自分の隊長であり保護者である、マカリだ。
フィフス・ライナーはヴェサリウスの個室で目を覚ました。羽織っている赤服の袖で、ごしごしと瞼を擦って、ふわ。小さな口を目いっぱい開けて欠伸。
むにゃむにゃ。未だ寝ぼけて、口をむぐむぐと動かしながら、篭った声を喉の奥から出す。
「……今、何時……?」
「朝の5時。よく眠れたようで何よりだよ」
寝起きの耳にも障らない、優しい口調。彼の口ぶりからして、もしかしてずっと寝顔を見てた?
「……むぅ」
恥ずかしさに目を逸らして、目元を掌で隠してしまう。むーっと唇を尖らせて、ほんのりと頬を赤らめた。
プライマリ・スクールの少女が、見たかったドラマの途中で寝てしまった後のような拗ねた表情。
その様子をマカリはほほえましく眺めて、少し広めの少女の額を、さらさらと撫でる。
「よく眠るのも、優秀な軍人の証拠……ってことだよ。さ、そろそろ出撃が近いから、眠気を飛ばしておけよ」
「ん……」
マカリは人の心情を察するのが上手く、自分が話をかわしたいときに路線変更してくれるし、フォローも上手い。
もっとも、必要事項であるがために言ったというのもあろうが、それを持ってくるタイミングが上手い。一部隊の隊長の器としては充分である。
もともと素直になれず意地っ張りな性格を持つフィフスは、軍人かくあるべし、という理由からすぐさま起き上がって、自慢の黒髪を手で撫でながら個室の扉に歩み寄る。
「マカリ」
「何だい?」
扉の前で立ち止まり、振り返った。その瞳は、言うべきか否か、という迷いに揺れていた。
マカリは、笑うことも顰めることもせず、ただ静かに続く言葉を待った。暫しの静寂の後、フィフスが薄紅色の小さな唇を開く。
「……ボクは……地球に、行きたい。……君は、”最後まで送り届けてくれる”……よね?」
会いたい人がいる。会わなければいけない人がいる。そのためには、いつまでも宇宙にいるわけにはいかないから。
それはわかっているが、微かに震える声。自分たちに地球へ行くという命令は無い。下手をすれば敵前逃亡とみなされるかもしれない。
彼もそれを知らないはずがない。今の地位と名声、財産、友人……全てを捨ててでも、自分を送ってくれるのか?
彼から言い出したとはいえ、途中で翻さないだろうか? そうしても可笑しくないほどに、リスクの大きいことをしようとしているのだ。
マカリはフィフスの不安を知っているように優しい表情を浮かべて、胸の前に拳を置いて騎士のごとく、高らかに宣言する。
「全てに代えてでも、送り届けよう。”お嬢様”」
彼の言葉に、頬が赤くなるのを自覚する。顔がほんのり熱い。それがばれないように、ふい、と顔を逸らして扉に真っ直ぐ向いた。
そんな彼だから、彼の言うとおりに従おうと思えた。そんな彼だから……素直になれない。
「……覚えておくから、ね」
ぽそりと呟くように言って、ハッチの開閉スイッチを押した。
〔敵艦隊群、接近。距離5000。方位1-0-4。コンディションイエロー発令。MS部隊出撃準備せよ。各員持ち場に着け〕
二人が個室を出ると、戦闘用意が艦内放送で下令される。壁に設置された移動用のグリップを握って、通路をロッカールームに向けて流れる。
角まで流れていくと、先頭を黒髪の少年、続いて銀のおかっぱ頭、褐色肌の金髪、緑の髪の優顔の少年が続いて合流してきた。
「目が覚めたか? よく眠れたみたいだな」
「フン、貴様らが出張らなくとも、俺達だけで充分なんだがな。せいぜい足を引っ張ってくれるなよ」
「小さいお子様とご同道か。言っておくけど、俺はお守りはやらないぜ?」
「お二方、よろしくお願いします」
それぞれ個性のある挨拶をしてくれた。フィフスは彼らの自己紹介は聞いていないが、名前は知っている。
先頭からアスラン・ザラ。イザーク・ジュール。ディアッカ・エルスマン。ニコル・アマルフィだ。一緒に同じ方向に流れながら、四人をじっと眺める。
名前もおおまかな姿も知っているが、実際に肉眼で見るのは初めてだ。珍しさも手伝って、ついじっと見てしまう。
アスランはその視線が気になり、そうか、名前を教えてなかった、と思いついて口を開いた。
「……そういえば、俺の自己紹介をしていなかったな。アスラン・ザラだ。G兵器の一つ、イージスのパイロットをしている」
「イージス……アスラン・ザラ。……ボクは……フィフス・ライナー……ジンのパイロット」
アスランは少女の、おっとりとしているのにボーイッシュな一人称に、おやおや、と笑みを浮かべた。
そのちぐはぐな言葉に、やはりプライマリ・スクールくらいの子なのかな、と思い込む。いつ仕官したのかわからないが、最近に違いない。
「君は何歳なんだ? 君みたいな年頃の女の子が戦場に出るなんて……」
「…………」
フィフスが表情をムッと顰めて、唇を尖らせた。何か悪いことを言っただろうか……? 子供扱いがそんなに気に食わなかったのか。
アスランは、まあいいか、と言葉を続ける。
「相手は地球軍の智将ハルバートン率いる第8艦隊だが、こちらは二個艦隊で攻撃をかける。第8艦隊を10回は殲滅できる戦力だ。
イザークじゃあないが、君みたいな子供が出る必要は無いよ。俺達に任せておいてくれないか?」
彼女が戦士であるプライドを養っているのであれば、その言葉は侮辱以外の何者でもないが、こんな小さな子が戦場に出て、死んでしまうよりマシだとアスランは思っていた。
それに、生き死にだけを考えているのではない。こんな小さな子が命のやり取りを覚えるのは良くない、と人並みの良心から出た言葉だった。
しかし、アスランの良心は空振りに終わり、フィフスはますます不機嫌の気配を全身から発散させている。
やはり小さいとはいえ戦士、プライドを傷つけたかな? と、アスランは勝手に考えていた。
話し込んでいるうちにブリッジに到着し、ブリーフィングを開始する。
画面の前に立つのはクルーゼ隊の隊長クルーゼと、艦長のアデス。全員が整列すると、今回の作戦内容が説明される。
第一戦闘目標は、足つきの撃沈。第二戦闘目標、敵艦隊の殲滅。
実に単純明快だ。この作戦に参加するザフト艦隊の目的は足つきで、地球軍第8艦隊の目的も足つきだからだ。
アスランは密かにブリーフィングに並ぶ面々を眺めた。
まずは、同僚であるヴェサリウスクルー。イザーク、ディアッカ、ニコル、マシュー。この四人はいつもの顔ぶれだ。
そこに、元中隊長であったマカリ・イースカイ。MS隊の最年長だ。年齢は聞いていないが、落ち着き方と顔立ちからして20代前半であろう。
事実上隊長の座から転落したというのに、常ににこやかで余裕のある大人という印象がある。
もう一人は、フィフス・ライナー。マカリとどういう関係なのかはわからないが、常に傍にいる。ザフトレッドだが、緑服のマカリに付き従っているように見える。
12歳かそこらに見えるが、当然のようにブリーフィングに混じる。クルーゼのブリーフィングを聞く姿は落ち着いていて大人びた印象だ。
そしてラキ・エズロー。クセの強い赤髪に黄金色の瞳、褐色の肌。中東系の顔立ちをしている少女で、先ほど合流した。
小惑星を利用した対艦攻撃で第8艦隊の先遣隊を殲滅し、足つきに一定のダメージを与えたことで議会から一目置かれている。
ある一定の功績がある二人と、ザフトレッドを一つの隊に集めるということは、いよいよ議会も足つき撃沈に本腰を上げたのだろう。
足つきを沈めれば、キラを今度こそこっちに引き込むことができる。アスランは新しく入ってきた三人を信用することに決めた。
「足つきを逃がせばG兵器のデータが地球軍に回収され、将来に禍根を残すことになる。
所詮はナチュラル、と侮っていては足元を掬われるぞ。諸君の慎重で勇敢な奮闘に期待する」
クルーゼが激励でブリーフィングを締めくくり、敬礼をする。全員が一斉にブーツの踵を鳴らし、「ハッ!」と威勢のいい声が上がった。
ブリーフィングを締めたと思ったクルーゼは言葉を終わらせず、解散しようとしたパイロット達の足を縫いとめた。
「最後に、MS隊の最年長であるフィフス君から、何か意見を伺いたいな」
「……特に、ありません。ただ……皆の生還を、望みます」
それを聞いて、アスランは耳を疑った。
いや、フィフスの言葉に対してではない。クルーゼの言葉にだ。
最年長? 最年少の間違いではないのか。
「全く、フィフスも何か言えよ。せっかくクルーゼ隊長から振られたのに」
「……作戦とか……考えるの、苦手だし……」
「…………最年長だと?」
元祖クルーゼ隊のメンバーは誰もが目を丸くしていたが、最初に異を唱えたのはイザークだった。
他のアスランを含めた赤服3人がイザークを視線で牽制したが、彼の言葉は3人の内心を代弁していた。
「おい、イザーク……」
イザークの良き相棒であるディアッカが、彼を窘める。が、その相棒を振り切って言葉を続ける。
「クルーゼ隊長。さっきから気になっていたのですが、この子供は何なのですか。
我々は足つきを沈めるという重要な任務のために出撃するのに、子供の面倒まで見切れません」
イザークは棘っぽい口調でクルーゼに詰め寄るが、これでもイザークは努めて和らげているほうだ。
アスランやニコル、一度は制止するそぶりを見せたディアッカも、イザークを本気で止めることはせず静観していた。
「イザーク、私の話を聞いていたかね? 最年長、と言ったぞ」
「その意味が分かりかねます。どう見てもプライマリ・スクールくらいの子供ではないですか」
クルーゼはあくまでイザークをなだめるように言う。だがイザークも譲らない。
どうしたら彼を黙らせることができるだろうか、とクルーゼは密かに悩みながら、事実だけは告げてやろうと思い、口を開いた。
「彼女は私と同期なのだよ。それが幼いはずがあるまい」
さらりと告げられる事実。
「……は?」
その間の抜けた声を漏らしたのは誰なのか。
「にゃにぃぃぃ!?」
その絶叫は確実にイザークのものだったが、自分の叫び声も混じっていたんだろう。
アスランはどこか冷静な頭で、そう考えていた。
- - - - - - -
アークエンジェルのブリッジのフロントに、地球が一杯に映る。
地上は今真昼のようだ。はるか真下に平原と緑が広がるその光景は、おそらくアメリカ大陸のどこかだろう。
そしてこのアメリカ大陸の北部のどこかに、地球連合軍統合本部「ジョシュア」がある。
その光景を、ギリアムとマリューは眩しそうに見つめていた。それは地球光だけのせいではあるまい。
危険な長い宇宙の航行をしてきて、心身共に疲れているのだ。早くジョシュアを目指したい。それはアークエンジェル全クルーの総意だった。
「ようやく地球ですね……!」
ノイマンが嬉しげな言葉を呟く。少々はしゃぎすぎだな、と、ギリアムは彼の若さに内心微笑む。
「うむ、長く危険な旅だったがな……第8艦隊の方々がお迎えに来てくれたようだ」
「ハッ。……3時の方向、距離8200。上弦12度。艦数約30。第8艦隊本隊です」
索敵のトノムラが、明るい声で艦隊の位置と数を告げる。それを聞いて頼もしげに、ギリアムは目を細めた。
30以上もの艦を率いた艦隊が、この1隻のために出向いてくれたのだ。恐縮すると共に、ギリアムは代行とはいえ、艦長として喜ばずにはいられない。
やがて艦隊の距離が近づいてくる。Nジャマーの影響の薄い距離まで彼我の距離が縮むと、頃合か、とナタルに目を向ける。
「さて、あの智将ハルバートン閣下に、挨拶をせねばな……回線を開いてくれ」
「了解しました。メインモニターに投影します」
すぐさまナタルが応じ、通信回線を開く。Nジャマーが散布されておらず、クリアな映像が映し出された。
モニターに映るのは、金色の髪に同色の髭を蓄えた、精悍な顔立ちの壮年の男。ハルバートン提督の顔だ。
「おう、長い船旅ご苦労だったな……諸君。元気そうで何よりだ」
柔らかな笑みと物腰。フランクな口調で話しかけてくるハルバートン。それに対しギリアムが、ピシッと折り目正しい敬礼を返した。
「第8艦隊所属特装強襲艦アークエンジェル級一番艦、アークエンジェル艦長代理、フィンブレン・ギリアム中佐であります。ハルバートン閣下も、息災のようで何よりです」
「そう堅苦しくならんでもいいよ。先遣隊は気の毒だったが……せっかく味方と再会できたのだ、楽にいこうではないか」
緊張するギリアムに、朗らかに笑って緊張をほぐそうとするハルバートン。
ギリアムは敬礼を解き、破顔する。ギリアムとて、決して好きで肩肘張って、格式ばった軍人をしているわけではない。
だからハルバートンの砕けた物言いは好感が持てた。ハルバートンはギリアムが表情を緩めたことに安心したように、目じりを下げる。
「うむ、いい顔だな。笑顔は大切にしなければならん。……あと、アークエンジェルといえば、ラミアス君も同乗しているのではないかね?」
「はい、ここに居ます。ハルバートン提督、お久しぶりです!」
マリューが嬉しそうに表情を緩めて、声を張り上げる。ギリアムは、既知の仲なのだろうかと二人を見比べた。
ハルバートンも、気の置けない仲間と出会えたかのように、ギリアムに向けたものとは別の笑顔になった。
「おう、ラミアス君! 君も元気そうでなによりだな。ヘリオポリスでの一件は残念だったが、君の元気な顔が見れて私も嬉しい。
まだ作戦行動中の君達だが、時間はあるはずだ。航行中の記録など、込み入った話もある。直接会って話をしないかね」
「はいっ、喜んで。では後ほどお会いいたしましょう」
「ああ、待ってるよ」
そうしてメインモニターが再び地球の地表に変わり、ギリアムは腰を下ろした。
ギリアムは、ハルバートンと顔を合わせるのは初めてだ。まして、マリューとハルバートンが既知の仲だったとは知らなかった。
マリューがギリアムの視線を感じて、問いかけられる内容を悟る。
「ハルバートン提督は同じ艦隊の直属の上官でありますが、かつての私の教官なんです」
「なるほど。……いや、二人の会話が、まるで親子のようだったのでね。何なのか、とは思った」
「申し訳ありません、内輪話をしてしまいまして」
上官を立てることをすっかり忘れていたマリューは、すまなさそうに眉を下げる。
「気にするな。旗艦”メネラオス”に接舷する。両舷停止! 面舵60、上弦ピッチ角20! 艦首をメネラオスと並べろ」
「了解、両舷停止、面舵60! 上弦ピッチ角20!」
艦長の号令をクルーが復唱し、アークエンジェルの巨体はメネラオスと並ぶようにスムーズに動いていく。
- - - - - - -
アークエンジェルにメネラオスが接舷し、メネラオスから発したランチがアークエンジェルのメイン格納庫に着艦する。
各部署の科長、副長、戦闘隊長のムウ・ラ・フラガ。連合で正式採用予定の量産機で敵機と戦い抜いた数少ないパイロット、リナ。
連合にとって重要なデータを数多く採集したであろうG兵器のパイロット、キラ・ヤマト。これらの人物がハルバートンと会見するために、メイン格納庫に集合した。
どの人物も連合にとってはザフトに勝つ上で重要なデータを持った人物であり、ハルバートンでなくとも話を聞きたがるであろう。
「まず諸君らの、ここまでの航海を労いたい。ご苦労だったな」
ランチから降り立つ、ハルバートンとその副官のホフマン。それに対し最初の軍隊作法に則った挨拶のあと、幹部士官らを眺めてハルバートンはそう切り出した。
ちなみにアカデミーの学生の少年少女達は、ここには集まっていない。それぞれ担当部署に配置されていて集まる暇がないのだ。
ハルバートンはマリューらとプライベートな会話をして、表情豊かに雑談する彼は、実にチャーミングで人間味溢れる人物だと、ギリアムは感じた。
「これまでの戦闘で、クルーに少なくない死傷者も出しただろうが……生き延びた君達に敬意を表する。
G兵器、棒にも箸にもつかないMA、先行量産機など、まるで試験艦のような扱いに色々と不平不満もあるだろうが、アラスカに着くまでの辛抱だ。堪えて欲しい」
「いえ、こうしてハルバートン提督自ら第8艦隊を率いてお迎え下さっただけで、これまでの労苦が報われる思いです」
ギリアムが生真面目な表情で応える。
「うむ、そう言ってもらえると、私も迎えに来た甲斐があったというものだ。さて、君達のこれまでの航海の話を聞かせてくれまいか」
「はい、では……ヘリオポリスでの襲撃からお話いたします」
- - - - - - -
「……ヘリオポリスが崩壊し、第7艦隊の先遣隊、第8艦隊の先遣隊も全滅。特装艦とG兵器を守るためとはいえ、高い代償だな?」
そう皮肉っぽく告げるホフマンの目は、無能どもめ、と言っていた。マリューとギリアムはそれに対し、何も反論しない。
地球軍の中では奇跡的な健闘だったのだが、ギリアムとマリューは上官を死なせたことに責任感を抱いていて、言い返すことなどできなかった。
「だが彼らがストライクとアークエンジェルだけでも守ってくれたことは、いずれ必ず、我ら地球軍の利となる。正規採用された量産型MSの運用も含めてな」
それを聞いて、リナがぱっと表情を明るくした。自分が誉められた!
「アラスカは、そうは思っていないようですが……」
「ふん! 奴らに宇宙での戦いの何がわかる。ギリアム中佐らは私の意志を理解してくれていたのだ。問題にせねばならぬことは何もない」
「……痛み入ります」
ギリアム中佐が、ハルバートンの言葉に救われた思いがして、目を伏せる。
「コーディネイターの子供の件についても不問ですかな?」
「!」
ついにホフマンがキラについて触れた。リナは反射的に、キラを隠すように動く。といっても彼のほうが頭二つ分は大きいから、前にちょこんと立っただけだけど。
「リナさん……」
リナが自分を庇うような立ち方になったことに、キラが声を漏らす。
一介の中尉の自分が、大佐や准将の非難を退けることなんてできない。けれど、彼は絶対にボク達の味方だ。
そしてボクも、絶対に彼の味方だ。だから、無駄だとわかっても彼を庇う。それは曲げない!
ギリアムとマリューがキラのほうに視線を向けたとき、リナが小さな身体で精一杯ホフマンを威嚇していることに気づき、複雑な表情を浮かべた。
「……キラ・ヤマトは、友人を守りたい。ただその一心でストライクに乗ってくれたのです。我々は彼の力なくば、ここまで来ることは出来なかったでしょう」
「ラミアス大尉の言うとおり、彼はナチュラルを友人とすることができる心優しい人物です。決して、悪意からナチュラルを蔑視したり敵対視する少年ではありません。
この航海の中、ヤマトがクルーと触れ合う姿を見て、信頼できる人物だと分析しました。……今のシエル中尉が、何よりの証拠です」
ギリアムが冷静な口調で、キラを庇護して、リナを見た。
リナはギリアムに視線を向けられ、黙って見返す。ホフマンとハルバートンは、その二人を、ハルバートンが興味深げに見ている。
「……シエル。ほう、シエル准将の娘というのは君か」
「……はい。地球軍第7艦隊所属、リナ・シエル中尉です」
ブーツの靴底を鳴らして、ぴしっと背筋を伸ばしてハルバートンに名乗る。
先ほどの会話から、地球軍の高級将校としては、話の分かる人物だとわかるが……コーディネイターに対する価値観となると別だ。
もしかしたら、反コーディネイター団体「ブルーコスモス」かもしれない。それがリナを警戒させた。
しかしその姿は、黒い毛並みの子犬が、小さい身体を張って精一杯威嚇しているようないじらしい姿に見えるだけで、迫力など欠片も無い。
ハルバートンはその姿に苦笑し、ひらと手を振る。
「そう警戒するな。私は彼をどうこうするつもりはないよ。敵味方の判別くらいはつくつもりだ」
「しかし、このまま解放しては……」
ホフマンが執拗に異を唱える。そこにナタルが何かを言おうとしたところで、キラが、リナの身体を避けて前に出た。
意外そうに、キラを見上げるリナ。キラの表情は、意を決したように引き締まっていた。
「キラ君?」
「確かに、最初は自分のやってることがわからず、ただ成り行きで乗っていました。戦うのが嫌だったこともありました。
でも、今は自分の意志で戦っています! フラガ大尉に、自分のできることをやれ、と言われ、リナさんには、戦う理由を教えられました。
だから、僕はみんなを守るために、戦います……!」
キラの力のこもった言葉に、その場にいた一同が唖然とする。
ハルバートンやホフマンはおろか、アークエンジェルの面子も度肝を抜かれた。キラがこんなにはっきりと物事を言えるとは思わなかったのだ。
リナは、何か言ったかな……と、記憶を探していた。まあ確かに言っていたけど、戦う理由なんて教えたかな?
リナが記憶を巡らせている間に、ハルバートンが皆より少しだけ早く我に帰り、真摯な表情でキラを見据えた。
「それは、自分が軍人として戦うということだぞ。それでもいいのだな?」
「……はい。そう取っていただいて、構いませんっ」
軍人になるということ。それに僅かな時間の躊躇があったが、決意して頷いた。
「その友達がこの艦を降りても、君は艦を降りられないぞ。いいのか?」
「……っ」
その忠告に、さすがにキラが返事を躊躇う。
ハルバートンとて、彼を苛めるために言っているわけではない。彼が選択したことに対し、後悔させたくないからだ。
そしてこの選択をして後悔した者は、どこかで均衡を崩し、破滅を迎える。多くの軍人を見てきたハルバートンは、この場に居る誰よりも知っていた。
だから確かめたいのだ。キラの決意を。ハルバートンは、キラの表情をじっと観察していた。
「そのことですが、准将」
「ギリアム中佐、何か?」
ギリアム中佐が割って入る。ハルバートンは特に気分を害した様子もなく、彼の言葉を促した。
「彼の友人は、艦内維持の見習い生として各部署に配置されています。若いために覚えも早く、既に艦の任務を覚えつつあります。
彼らも、現地徴用兵ではなく正規兵として、階級を与えてはいかがでしょうか」
「彼の友人を、かね」
「彼の友人とヤマトを引き離すのは忍びないし、彼の、戦いたいという意志を尊重したい。それに、友人ら四名からは正規の軍人になるという誓約書に、署名も書いています」
いつの間に。リナとマリューとキラが、驚きに目を丸くしている。
ギリアムの提案は、傍から聞けば合理的なように思えるが。要するにキラの戦う理由をこちらで作る……友人を人質をとるようなものだ。本人を前に、よくも言えるものだ。
リナは、大人って汚いなー、と考えながら、そっとキラの顔を盗み見る。
キラはそのやり取りを、何も口を挟むことなくじっと聞いていた。会話の内容を理解しているかどうかは、彼の表情からは読み取れない。
ハルバートンは少しの間目を伏せ、考え事をしたあと、キラを真っ直ぐ見据えた。
「……キラ君。いや、キラ・ヤマト」
「はい」
「デュエイン・ハルバートン准将の権限を以って、本日1740時、キラ・ヤマト並びにその友人ら四名を、正式な大西洋連邦軍の少尉として任命する。本部にも打診するゆえ、追って通達があるだろう。
……このような事態ゆえ、少々粗い形式になってしまったが……これで、君達は正規の軍人となったわけだ」
「は、はいっ、よろしくお願いします」
「よろしく頼むよ。期待している。キラ・ヤマト少尉」
「はい!」
そのやり取りを、リナは不思議なものでも見るかのように眺めていた。
この短い航海の中、彼の中で何かが変わった。守るべきもの、戦うべき理由。それは何なのか。
戦う理由の多くは、変わっていない。だが、キラ自身が変わった。何が大きなきっかけだったのだろう?
どれでもあり、どれでもなさそうだ。でも、彼の決意の表情に迷いは無く、その心配は杞憂のようだった。
リナは安心して微笑みを浮かべ、
(リナさんと一緒に居たい……守りたい!)
彼の中の守りたい人々の顔に、リナが加わったのだ。ムウではなくリナを加えるあたり、キラも男の子だった。
ハルバートンは、彼の返事が快いものであったことに気を良くすると、うむと頷いて表情を緩める。
「これで、彼についての問題は丸く収まったようだな。
差し当たってのアークエンジェルの航行についてだが、これから諸君らにはアラスカ本部に降りてもらう。
メイソンの正規クルーも加わっていることだし、人員については問題なかろう」
「しかし、避難民については……?」
「避難民については、こちらで降下用のシャトルを用意した。彼らには一足先に早く地球に下りてもらう」
よかった、と、ギリアムとマリューは胸を撫で下ろした。
口には出さないが、避難民は重荷でしかなかった。食料や用水の消耗を早めるし、作戦行動中は、彼らの目を気にしながら遂行せねばならない。
それがようやく下ろせるというのだから、特に艦の指揮運営をする二人にはありがたいことだろう。
「では避難民の脱出を急がせるように。以上だ」
「敬礼!」
ハルバートンが言葉を締めくくる。ホフマンが号令し、全員が敬礼し、遅れてハルバートンが敬礼を返した。ホフマンが直後に、解散、と告げる。
ギリアムが全員に、避難民を乗せるシャトルの手配と人員の選出、それ以外の人員の担当配置について命令を下していると、ハルバートンは立ち去ることなく、キラとリナの方へと歩み寄ってきた。
「ヤマト少尉、シエル中尉。話がある。こっちに来なさい」
「は、はい」
「……ハッ」
なんだろう? リナは疑問に思いながらも口を挟むことなく、彼の手招きに応じて歩み寄っていく。
ハルバートンは二人が歩いてくるのを見て、自身はMSのハンガーに流れていく。
准将の会見があったので整備の手は止み、静かになっている第1格納庫。そこにはストライクとその先行量産機、ストライクダガーが並んでいた。
第2格納庫で、第8艦隊から補給された機体があるようだが、ハルバートンに呼び出されているために見に行けない。
三人は人気の少ない格納庫で、機体のに立ちながらハルバートンと会見することになった。
「シエル中尉、君のお父上のことは良く知っている。私の同期でね。まさかその娘と、こうして軍人として会い見えようとは……」
「シエル准将と同期、ですか?」
なんだと。それは初耳だ。まあ、会う機会があるとは思ってなかったろうし、言う必要も無かったのだろうが。
しかし、新しい人間と会う度に親父の名前が出される。どれだけコネクションが広いのだろうか。ただの士官学校の校長のはずなのに。
まあ智将と敵味方から認知されているハルバートンと同期で、しかも同じ階級なのだから、有能で知られているのだろうけど。
「うむ、彼は実に先見の明に長けていて、彼の助言が無ければ、ここまで早くMSの量産にこぎつけることはできなかった」
「おや、……シエル准将が、MSについて助言を?」
驚きのあまり、親父、と言いそうになって取り繕う。それをハルバートンは朗らかに笑った。
「知らんのも無理はない。これは極秘中の極秘だったからな。家族にも話さないのがあやつらしい。
……だからこの機体に乗れることを、誇りに思うといい。MSの操縦はまだ慣れないだろうが、ここまで生き抜いてきた君なら、なんとかなる。私はそう期待したいね」
「ありがとう、ございます」
また、あの親父に問い詰めないといけないことが一つ増えた。リナは胸中で頭を抱える。
明らかに狼狽しているシエル中尉に、やはり子供だな、とハルバートンは横目で見ながら次はキラに視線を移し、コーディネイターのこと、キラのことについて話し始めた。
G兵器にコーディネイターが乗る。これがどれほど恐ろしいことか、アークエンジェルが身をもって体験していることだ。
敵としても、味方としても。そしてキラがこれからどんな立場に置かれることになるか。キラには覚悟してほしい。ハルバートンにはその意図があった。
「閣下! メネラオスから、至急お戻りいただきたいと」
話している最中に、士官が割って入る。ゆっくりと話すこともできん、と愚痴を零しながら、士官のほうへと流れていくハルバートン。
流れながらも、見送る二人にハルバートンは振り返った。
「君達は、今まで地球軍の体験していない様々なことを体験してきた! G兵器の運用と先行量産機の運用による一定以上の戦果。
これが良い方向に転ぶばかりではない。これからあらゆる意味で、その戦果が様々な苦境に立たされる原因になることだろう。
だが、少なくとも私だけは君達の味方だ! それを覚えておいてくれよ! また会う時まで……死ぬなよ!」
「はい!」
ハルバートンの、心から気遣うような激励にキラは胸を打たれ、笑顔でハルバートンに返事を返す。
リナも彼の温かみのある言葉に感激すら覚えた。長いセリフを言うためにゆっくり漂っていたせいで、下士官に二度目の催促が飛ぶ。
その二人がランチに収容され、発艦していく姿を見送りながら……リナは彼の言葉が、自分達の行く末の黙示ではないのかと感じて、一人胸騒ぎを覚えるのだった。
※03/21 感想で指摘があり、二等兵にする意味と変化について考えてみましたが、
階級に関する原作からの変化とその意味はあまりないと感じたため、キラを二等兵から少尉に改訂しました。
ご指摘アリガトウございます。
※04/10 感想で指摘があり、メネラオスをメネラウスと間違えて覚えて書いてしまったため修正しました。
ご指摘ありがとうございます!