『今日初めて、僕はペンを握る。今まで指が文字を書けるように器用に動かせなかったので、これが記念すべき日記の一ページ目だ。
この世に生を受けてすぐ、生前の記憶がうすぼんやりとしてしまってタダの赤ん坊になっていたのも、日記が書けなかった原因の一つだ。
昨日あたり、ようやく自我に目覚めたというか、物心ついたので『昴』の人格が蘇ってきた。
だからこの日記には終わった昴の人生じゃなく、もう一度始まった人生のことを書いていこうと思う。
さて、先に『前回』と『今回』の違いについて挙げていこう。
まずは、国が違う、
ここは日本じゃない。これは生まれてすぐ分かった。医者が、ナースが白人だったし、病院内に躍る文字は全部英語だった。
英語圏内のどこかだろう、と検討をつけていたら、病院名が「シアトル・ジェネラルホスピタル」だったので、アメリカだった。
でも母親は日本人だった。中国人の可能性も……と思ったけど、名前は日本人風。ちょっと安心。前も日本人だったしな。
父親もかな、と思って見てみたら、メタルな歯車の蛇さんを彷彿とさせるような、渋めで彫りの深い白人のおっさんだった。
何人かはわからないけど、アメリカ人だろう。軍服っぽいの着てたし。
ということは、自分は日本人とアメリカ人のハーフだ。美人になれたらいいな。ベッ○ーみたいな自分を想像してみる。
で、しばらくして病院の中を動き回れるようになってから、病院全体がやけに未来的だったのにはちょっとびっくりした。
ちょっと未来に来ちゃったんじゃね? と思いながらワクワクしてると、ニュースで、宇宙に浮かぶいくつもの砂時計型の巨大な衛星? が映っていたので度肝を抜かれた。
自分が大好きな連合vsザフトに出てきたプラントに激似だ。意外にもあの世界観って現実見据えてたんだな……と思ったら、プラントの住人はコーディネイターなのだそうで。
直後に、大西洋連邦のお偉いさんがプラントの動向についてコメントしていたので、まさかまさかと考えてしまう。
プラントだのコーディネイターだの大西洋連邦だの。ここって、ガンダムSEEDの世界なんじゃ。
ガンダムSEEDはあくまでゲームやアニメの世界。現実にはありえないはず。
……それこそ、現実逃避か。目の前にあるものが真実だ。もしかしたら限りなく近い世界なのかもしれない。
僕はリナ・シエルと名付けられ、この世界で生きることになった。
リナ。日本人っぽい名前だし悪くない。母親が日本人だからだろうか。
赤ん坊時代が終わり、ようやく幼児くらいの年齢になると、周囲の環境がよく分かるようになった。
シエル家というのは大西洋連邦の軍人の家系なのだそうだ。
なかなか古くからある家柄で、この国がアメリカ合衆国という名前だった時代からあるらしい。
あと、家には微妙な違和感がある。
なんというか、子供用のアイテムがやけに使い込まれた感があるのだ。
子供服も、誰かが着ていたかのような中古感があるし、積木には微細な傷がいくつもついている。
完成した絵のはずなのに、パズルの一ピースが足りないような空白が、この家にはある。
まるで自分以外に子供が居た、いや、居たかのようだ。
もしかして、自分の前に子供が居たんじゃないだろうか。それも女児。同じ女の子用の服ばかりだから間違いない。
それとなく、お姉ちゃんが居たらいいな的なことを言ってみたら、両親は見事に反応してくれた。
親父は知らんぷりをしたが、いつもよりも返答にごく微妙な間があったし、おふくろに至っては悲しげな表情で空返事をした。
やっぱり、前に子供が居た。それも、おそらく事故かなんかで亡くしている。
そして自分と同じ歳くらいの、小さい子だ。小児用のアイテムしか無いのがその証拠。
どんな子だったのか気になったけれど……詮索はやめておこう。
両親が、子供を亡くして悲しむ表情を見るのはもう嫌だ。
それに、亡くした兄弟のことを考えると、憧れだったつばさ姉ぇのことを思い出す。
もうこの話題には触れないでおこう。せめて、両親から話すまで。
暗い内容はここまでにして。
今の暦はC.E.(コズミック・イラ)51。
ここがガンダムSEEDの世界なのだとしたら、原作のストーリーが始まる二十年前だ。
シエル家が軍人の家系で、僕も軍人になるとしたら、いい感じの年齢で原作のストーリーが始まることになる。
今から鍛えといた方がいいのかな……と自分が懸念するまでもなかった。
とにかく、家はやたら厳しい。三歳の僕にいきなり中学生レベルの学習と基礎トレーニングを課した時は正気を疑った。
馬鹿じゃないだろうか。生まれる前の記憶がなかったら完全に無理だろ。
逆に言えば、今は大丈夫ということだ。ただ、問題文が全部英語なので、その辺りがかなり苦労した。ここはアメリカだから当然だけど。
偏りのある賢さで不思議がられた。でも今は読み書きと日常会話はできるようになったので、お互いに一安心。
くそ、南蛮の言葉は分からんけぇの。生前関西人だったけど』
- - - - - - -
まだ幼い……少年と少女の区別すらつかないような小さな幼児が、
大人なら蹴躓きそうな高さの乳児用のテーブルにペンを置いて、ノートを畳んだ。
日記だ。あれから昴――もとい、リナは、毎日トレーニングで地味に疲れても、欠かさず日記を書いていた。
日記にも書いてあるとおり、『昴』を忘れないためだ。
それ自体が、彼女にとってのプライドというか意地になっている。
(指が短くて動かしづらい)
あどけない顔を微かに歪ませて胸中でぼやいているが、指先も、年齢にしてはかなり器用に動いている。
字はお世辞にも綺麗とは言えないが、自分さえ読めればいい。誰かに読まれても困るし。
ちなみに日記は日本語。ここはアメリカ、いやさ大西洋連邦なので、この家の中で数少ない日本語の書物といえる。
(! 親父かっ?)
近づいてくる気配。慌てず、すぐに日記を隠した。
日本語は母親が自分に話しかける時にしか使っていないので、英語漬けの三歳児が書けるわけがない。怪しすぎる。
「リナ。この計算ができるかね? リナならできるのではないかと思うのだが」
父親の低くて厳かな声が背中から響いてくる。
平静を装い、くるんと、癖の無いストレートの黒い髪が揃った大きな頭を動かし、くりんとした丸い翠の瞳を向けた。
すぐ近くに鉄面皮のような厳格な表情の顔が迫っている。
父親、デイビット・シエルは、歴戦の勇士であることを思わせる非常にいかつい顔と体格をしている。
鍛え抜かれたナイフとでも言うか。前にお風呂に入れてもらったときには、実の娘なのに惚れてしまいそうなしなやかな体つきをしていた。
顔もしかめっ面をしているのに怒ってるように見えないという特殊な長所を持っている。
そんな顔が、今とても近くにいる。鼻息が聞こえる距離だ。ゲルマン系の父親は、顔は彫りが深くて近いと迫力がある。
「どの、けいさん、ですか? おとうさま」
それでもリナは鈴が転がったような、舌足らずなのに澄ました言葉で問いかえした。
- - - - - - -
(ああ……可愛い、可愛いよリナたん……
大人びてるけど、くるんとして小動物っぽくて、そのギャップがイイ!
もう全部がいいよー! 食べちゃいたいよ!
リナ!リナ!リナ!リナああああああああうわあぁぁんクンカクンカ! スーハースーハー! いい匂いだなあ……
リナたんの黒髪をクンカクンk(ry))
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「……おとうさま?」
(いかつい表情のまま無言で見つめないでほしい。……怖い)
「……ああ、すまない。これだ。」
広げて見せるのは、付近にあるシニア・ハイスクール――高校の一年生の数学の教科書だ。
前世の記憶を持ってる彼女からすれば、できなくはない。高校二年生だったのが良かった。
もし二年生の教科書を出されたら、ちょっと危なかった。『昴』は決して成績の良い方ではなかったのだ。
「かしてください、おとうさま」
安心して短い手を伸ばして受け取り、さらさらと公式を書いていく。
手は止まることなく、解にたどり着く。それを置いたまま彼に見せる。
「おとうさま、あってますか?」
「うん? もうできたのか。どれ……」
デイビットが相変わらずのしかめっ面で解を読んでいくと、彼の顔が更に厳しくなっていく。
顔に深く刻まれた皺に、リナは、間違えたか? と戦々恐々であった。
しばらくしてテキストから顔を引いて、重たげに口を開いた。
「素晴らしい」
そう一言呟いて、去っていった。その大きな背中をじっと見送る娘の視線。
(……相変わらず、何考えてんのかわからん)
デイビットは、滅多に感情を露わにしない鉄面皮だ。
生まれて初めて顔を合わせた時もニコリともしなかったし、母親が重い病気に罹っても、顔面に一筋も皺を寄せなかった。
……でも家族の一大事には必ず駆けつけるくらいだから、実は相当アツい人間なのかもしれない。
不可解そうに考えたが、すぐに興味を、午後から小学校の友達と遊びに行くことに向けて、嬉しそうに準備を始めるリナだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『C.E.58――
親父の要求がもとの精神年齢に追いついたのは、三年前か。
そろそろ神童から凡人になろうとしていたが、結構なんとかなった。
いつかは要求が精神年齢に追いつくのは目に見えていたから、勉強していたのだ。
今はもう高校を卒業し、大学二年か三年くらいの勉強をしている。
十歳の身体で何故できるのか? それは僕にもわからないが、年齢を追うごとに加速度的に頭が冴えてきて、自分で言うのもなんだがかなり物覚えがいい。
身体も、十歳とは思えない身軽さとパワーを感じる。体操選手や猿よりも動ける自信がある。
が、目立つのは嫌いなので、平均よりちょっと上くらいの水準を保つことにする。
ただでさえ、ナチュラルとコーディネイターは不仲なのだ。コーディネイターと間違えられたらたまらん。
なにせ、S2インフルエンザが大流行して、それがコーディネイターの仕業だってことで、ナチュラル間でのコーディネイターへの感情が最悪になっているのだ。
それはS2インフルエンザがプラントでは流行らず、地上でだけ流行ってるからだという理由だ。
それに関して詳しく調べるつもりは無いけれど、自分は罹らなかったのでよかったよかった。
でもうちの学校でも、同じクラスの児童が三人死んだ。そのせいで、クラスの中でコーディネイターへの感情がまじでやばい。
その中で、もしコーディネイターだなんて思われたら……。
それこそ楽しい学校生活は終わりを告げて、村八分の苛められっ子生活を迎えることになるだろう。それはイヤだ。
韜晦は結構大変だ。
見せ付けたい、褒められたい、そういう誘惑に駆られそうになる。
教え方がヘタな先生に当たろうものなら地獄だ。教師を張り倒して、代わりに教壇に立ちたい気分だ。
だが楽しい学校生活を送るためだ。目立たない、ちょっとした優等生という地位を保っていこう。
ただ、大人びてるということで頼られることが結構ある。できるからって褒められても微妙な気分だ。
だって、僕はズルをしているのだから。できれば記憶なしで知識だけだったらいいのに……無理か』
- - - - - - -
――プライマリー・スクール教室の一室
「シエルさん、この問題わかる?」
「うん? どれどれ、見せて。……うん、これはこうで、こうだよ」
「へー! すごい! やっぱりシエルさんは頼りになるな!」
「……はは、ありがと」
- - - - - - -
phase:リナの同級生
(シエルさんって本当にすごい!
なんでもできるし、たよれる。かおもすっごくカワイイし、なんだかあこがれちゃう。
でもほめると、なんだかかわいた笑顔になるんだよね。なんでだろ?)
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『C.E.63――
プライマリー・スクールとジュニア・ハイスクールは、まあまあの成績で卒業した。
言ってしまえば上の下というところだ。優れているが、嫉妬を買うことも少ない……そんな位置を保ち続けた。リナ・シエルは静かに暮らしたい。
飛び級という日本人には馴染みの無い制度があったが、僕には縁の無い話だ。それこそ嫉妬が雨あられだ。
いくら授業の内容が簡単すぎるからといって、それを飛ばさず行くしかない。
そうして、他の学生と同じように一年一年学年を重ねていくのは大変な苦行だったが、なんとかやり遂げた。だが次はシニア・ハイスクールが待っている。
またあの苦行が続くのか……と思ったが、僕はそこに進まなかった。
親父が止めたのだ。
僕の成績と普段父親に見せる優秀さを比べて、何か思うところがあったらしい。
まさかの中卒。何すんねん。まあ、知識量はもう大学卒業くらいのものは持ってるし、いいか。
いざとなれば親父の後光があるしな、HAHAHA。……なんか前の人生よりダメになった気がする。
僕はそのまま、十五歳という若さで士官学校の入学届けを出した。
何故か? ……親父が士官学校の校長で、無理矢理ねじ込んだ。それが、ハイスクール入学を止めた理由だ。
なんかレールが敷かれた人生だ。でも、僕は別に軍に入るのもいいかなと思っている。
空乃昴だった頃は、もし頭が良くてスポーツ万能だったら自衛隊に入りたいと思っていたくらいだ。軍事には元々興味があったし。
筆記試験は……ちょっと難しかった。でもまあ言ってみれば大学入試みたいなものだ。
親父の厳しい指導というか半分虐待的な英才教育が、ここにきて役に立った。
問題は面接だ。うわ…どうしよ。僕はアガリ症のケがあって、面接や大勢の前で話す時になると頭の中が真っ白になる時があるんだ。それでバイトの面接に落ちたことだってある。
筆記はともかく、面接はお断りしたい気分だ。そろそろ面接のアンチョコを作っておこう』
カリカリカリ……
『何故軍に仕官しましたか:私が愛している家族を守りたいと思ったからです』
『学校生活で何を学びましたか:人と繋がる素晴らしさを…云々』
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――面接会場
「リナ・シエル君。ジュニア・ハイスクールの成績はほとんどランクB+。綺麗に揃ってるね?」
「はっ、ありがとうございます」
(……なんか含みあるけど、気にしないどこう)
「……ふむ。リナ君はデイビット・シエル大佐の娘さんだそうだね。お父様から何を学んだのかな」
「はっ、……」
(はう!? アンチョコにない質問じゃねーか!)
「……軍人ってカッコイイということを学びました!」
「……」
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phase:その日の夜のリナの日記
『/(^o^)\
オワタ……絶対落ちた……しかも高校ももう入試時期終わったし。高校浪人とかマジ欝なんですけど。
僕のアホ……カッコイイってなんやねん。ありえん……。
バイトでも探そうかな……なんで海岸掃除の募集ばっかりなんだよ。地球に優しくしろよ……僕にも優しくしろよ……。
このナンテコッタイ/(^o^)\も、もうすぐオワタ\(^o^)/になるのか。世知辛い世の中やね、ほんと』
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phase:翌日のリナの日記
『C.E.63――
受かった。何故? って、絶対親父テコ入れしただろ。士官学校の校長だしな。汚いなさすが親父きたない。
まあとりあえず、めでたしめでたしということだ。素直に嬉しい。親父も何食わぬ顔で祝福してくれた。タヌキめ。
母さんは心から祝福している、という感じではなかった。
まあそうだろう。よりにもよって一人娘が死ぬかもしれない軍に仕官するというのだから、諸手を挙げて賛成はできないのが普通だ。
でも母さんには悪いが、僕は僕の道を歩みたい。というか軍に仕官しなければ、これまで厳しい教育を施されて育ったのはなんだったのか。
ここで親父の教育方針についてちょっと触れることにする。
十二年前にやたら厳しいと書いたが、その厳しさは明らかに軍に入隊するためのそれだった。
起きる時間、寝る時間、食事の時間、軍人マナー、基礎体力向上訓練、CQB技術練成、銃器の扱い、果てはシャワーの時間まで。
全部が全部、以前の生活とはかけ離れたものだった。はっきり言ってこのチートボディーじゃなかったら耐えられなかったと思う。
CQBは親父が用意した現役軍人のトレーナーすら瞬殺できるレベルまで強くなったのに、まだまだ親父は満足してくれない。
僕に一子相伝の暗殺拳でも仕込むつもりか? どこを目指してるんだよあんた……。
だけど、そういう厳しさを乗り越えたら、士官学校なんて楽に感じられるだろう。
きっとそれを見越して厳しくしたんだろうな。なんか洗脳されてるような気がしないでもないが、親父に感謝しとこう。
さて、春から僕は軍人だ。どんな厳しい環境なのかも気になるが、問題はMSに乗れるかどうかだ。
どうやらこの世界、ゲームと違って連合にMSが無いらしい。というかロボットっぽいものはプラントにあるが戦闘用ですらない。なんじゃそりゃ!!
じゃああのストライクガンダムはどうやってできたんだよ。ストライクダガーは? そのうち開発されるのか? それともガンダムSEEDとは本当に違う世界なのか?
それまで生きていけるのか。それが問題だ。とにかく優秀な軍人やってたらいつかはMSに乗れるだろう。頑張ろう。
あと些事だが――いや、重大な問題だが、十五にもなってブラジャーが要らないとかどういうことだ。
バストサイズは日記にも書きたくない数値だ。Aと言えばわかるだろう。
それに身長が伸びない。測ってみたら一三〇cm。おまけにロリ顔。どんだけ。
チートボディの代わりに肉体年齢が著しく低い。天は二物を与えずっていっても極端すぎる。
明らかに誰かの作為を感じるんだが……それはいくらなんでも考えすぎか』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ざり。
リナが春風に長い黒髪をたなびかせ、ボストンバッグを肩にかけゲートの前に立って、眺めるのは四角く白い士官学校の校舎。
大きめの施設までは結構な距離があり、近くには小さなMPの詰め所があるだけ。
顔を引き締めて、直立不動で立っているのはMPだ。がっちりとした体格で、そこに立っているだけで迫力がある。
そんな軍人達が立っていると、自分が今軍隊というところに入ろうとしているという実感が湧いてくる。
春先の桜の香りを乗せた風が頬を撫で、まだ冬の残滓を感じさせる空気が肌を適度に冷やした頃、よし、と小さくガッツポーズ。
……その姿は、中学校に入学する、幼気な新入生に見えなくもない。
(今日からこの学校の学生か……いや、軍人か。
こっから気引き締めていくか!)
「ちょっと、君」
「え?」
立ちふさがるのは、親父とはまた別の厳つさをもったMP。リナからすれば見上げるほどの上背だ。
せっかくの新たな旅路の出発に水を差されて、リナは何事かと見上げていると、MPは猫撫で声で話しかけながら、おまけに屈んで視線の高さを合わせてきた。
「どこの学校の子だい? ここから先は軍隊の人がいっぱいいるから、おうちに帰りなさい。
それとも迷子? お父さんの名前は?」
「…………」
ぶん投げてやろうか。こいつ。
ぴりっとした殺意を覚えながら、ボストンバッグがずりっと肩からずれた。
- - - - - - -
「それは災難だったな」
「シエル大佐、あいつをクビか異動してください……ありえません」
「まあそう怒るな。そんなことにいちいち目くじらを立てていたら、この先もたんぞ」
「……」
リナと、親父――デイビット・シエル大佐は校長室で話していた。
あれから身分を証明するために、身分証明書と合格通知、果ては親のコネまで使ってようやく入れたのだ。
そのコネを使ったおかげで、士官学校の校長である親父が出張ってきて、こうして面接という名の親子の雑談をしている。
リナは小学生扱いをされて端整な顔を不機嫌そうに翳らせ、頬を膨らませて、ふっくらとした唇を尖らせていた。
そのうえ短い足をぱたぱたと動かしながら座面を両手で突いて、上目遣い気味に父親を睨んでいる。
父親のデイビットは書類を整理しながら、その様子を鉄面皮で見返していた。
「……」
- - - - - - -
phase:親父
(うわはあああああリナリナ超可愛いマジ可愛い食べたい。
リナのためなら死ねる!世界の中心でリナへの愛を叫ぶ!
目に入れても痛くないっていうレベルじゃねーぞ!クンカクンカしたいお!ペロペr)
※これ以降の文章は地球連合軍情報部によって削除されました。
- - - - - - -
「……仮にも上官であり校長である私を睨むな。お前は既に軍人で、ここは軍の施設なのだ」
「……失礼いたしました」
「よろしい。とりあえずMPの件に関しては保留にしておく。
今日の午後から通常の課程が始まるから、朝議が始まる前にクラスに帰るように。では、解散」
一方的に話を切り上げられ、リナは不平を漏らすことなく――ただし、無言で見本のような敬礼をして、ささやかな抗議を表した。
……その後、校長室でリナの可愛い怒り方を思い返して悶えているデイビットであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『C.E.66――
僕は無事士官学校を卒業して少尉となった。リナ・シエル少尉だ。名前のあとに階級がつくとむずがゆい。すんげぇ嬉しい。
士官学校は長いようで短かった。
親父の教育のおかげで、これまでどおりの生活をキチンとこなしていれば、だいたい大丈夫だった。
だけど、問題は他の士官候補生との人間関係だった。
僕が校長の娘ということ、この見た目と実年齢の若さに対して少なからぬ嫌悪の念を抱いていると感じた。
教師は親父の口添え(多分)で平等に扱ってくれたが、士官候補生に関してはそうもいかないらしい』
- - - - - - -
「シエル! ここにゃアイスクリームは置いてないぜ? キョロキョロすんなよ!」
「シエル軍曹殿! おしっこに行きたくなったら案内させていただきます!」
「シエル軍曹! 戦場じゃお前のお父さんはお手手つないではくれんぞ!」
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『などなど、例を挙げればきりが無い。物理的な手段には訴えてこないから可愛いもんだ。
物理的な手段に訴えれば、それこそ親父が黙ってないだろうしな。七光り万歳。うはは。
……思い出したくないが、たまに椅子が妙に湿っぽいことがあるんだ。なんでだ? 想像したくない……。
まあ色んなことがあったが、僕は士官学校を卒業して無事、正規軍人となったわけだ。
配属先は宇宙軍。最近ザフトが不穏な動きを見せているということだ。まじで?
待てよ、今66年で、確かあのゲームはC.E.71って言ってたな。…やべえ、あと5年じゃねーか!
そういえば士官学校が終われば、本格的にMAの操縦訓練が始まるって言ってたな。
よーし、このチートボディーと、連合vsザフトの全国大会優勝の腕前がようやく発揮できるぜ!
見てろよ、とっととエースパイロットになって、MSに乗ってキラ(笑)っていうレベルになってやろうじゃん。
楽しみで今夜眠れそうにないぜ! 明日の操縦訓練が楽しみだのう!』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
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phase:初めての操縦訓練が終わった後の夜、リナの日記
『C.E.六十六――
/(^o^)\……。
げ、ゲーセンと全然違う……思わずナンテコッタイが復活してしまった。
なーんじゃこりゃ! ボタン多すぎ! Aボタン、ガチャレバプリーズ! 覚醒ゲージ無いの!?
なんで右にレバー倒したら機体がくるくる回るんだよ! おかしーだろ!
その上オートロックじゃないから狙いつけづらいのなんのって! 当たんねーかわせねー思った方向に機体が行かねー!
ぎゃー! もうやめたくなってきた! こんなんじゃ戦場出て一発であぼんじゃねーか!
で、でもメビウスなんて、所詮あれだろ。コスト一〇〇もいかないよーなザコ機体だろ。
ストライクとか乗れば、そりゃもう無双できるだろ。断言できる! 僕が悪いわけじゃない! 機体が悪いんだ!
くそ、こうなったら絶対メビウス使いこなしてエースになって、ガンダム乗ってやる! 見てやがれ!
今日から特訓だ! 新しいアーケードゲームが入荷したと思えばいい!』
- - - - - - -
phase:シミュレーター管制室の士官達
「シエル少尉、あれからずっとシミュレーターにかじりついてるな」
「もしかして、最初の訓練課程で上手くいかなかったからムキになってんのか?」
「冗談。初めて動かしたにしちゃ、上等も上等だったぜ。真っ直ぐ飛んだだけでも大したもんだよ、ダウト」
「ハズレだ。ほれ。……ったく、シエル少尉は子供だね。長い目で見ろって感じ」
「あ゛ー! ……だからこその特訓かもな。ったく、親父様のご威光をフルで使ってくれるね。シミュレーターだって本当は決められた時間しか使っちゃいけねーってのに」
「ま、自分に厳しくするためにっていうのは、嫌いじゃないね、俺は。あ、それダウト」
「……ダウト? 本当にダウト? おいおい、もっとよく考えたほうがいいぜ。ダウトじゃないかもよ」
「ダーウート」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『月面よりお送りします。リナです。
宇宙に来るなんて『昴』の頃は考えもしなかったが、その月面に来るなんて更に斜め上だった。
特別に選抜され、訓練を重ねた宇宙飛行士しか来れなかった現代と違って、このコズミック・イラでは宇宙への門戸は広い。
科学技術の進歩のためか、人類そのものが進歩したのか。煩雑だった機械操作や制御も簡易化してるし、宇宙服――ノーマルスーツだって、まるでウェットスーツみたいに薄い。とにかく動きやすく、地上で着ながらCQBをやってみたら、まるで着ていないみたいに動けた。
宇宙に出るコストだって、海外旅行よりちょっと高いくらいに収まっている。かがくのちからってすげー!
月面に移住するのはさすがにかなりの金額と手間らしいけど、国の金で住めるなんて、軍人やってて良かったと思う。
あとこの体、地上よりも宇宙のほうが動きやすい気がする。
体が小さいのも効いてるのかもしれない。宇宙に住んでたんじゃないかってくらい、無重力への適応が早いのだ。
それに無重力空間が落ち着く。本当なら、宇宙空間にずっと漂っていると、宇宙酔いや、酷くなると精神がおかしくなる場合もあるらしいけど、全然そんなことはない。
むしろ水面を漂っているような落ち着いた気分になる。それを教官に言うと首を傾げられまくった。
まあ、それはいいや。優秀ってことで、宇宙軍の月面基地に配属されたし。
C.E.70――
ザフトとの戦争が始まって九ヶ月が経過した。
連邦政府を統合した「地球連合」が樹立したので、自分の中の”腑”がストンと落ちた気分だ。
やっぱり、ここはガンダムSEEDの世界だ。生まれて二十三年目にして、ようやく確信することができた。
ということは、あのキラ・ヤマトもヘリオポリスにいる。ガンダムがあそこで作られている。
でも、どうやってあそこに行く? もしゲーム通りに展開するなら、来年の一月には一ステージ目のヘリオポリス戦がスタートする。
ガンダムのパイロットになるには、自分がヘリオポリスに配属されないといけない。襲撃されるけれど、うまいことガンダムに乗り込めればいいはずだ。
でも今のボクの所属は、プトレマイオス月面基地の第五〇二警戒中隊。しかも配属されたてで、そのうえまだ前線に出されていない。
上層部にどんな意図があるのかは知らんが……メビウスで実戦に出されなくてホッとしてるのが正直なところだ。
それなりに慣れてきたつもりだが、ジン相手にあれで戦って生きて帰る自信が無い。
でも逆に言うと、ガンダムに乗れるだけの手柄も立てれていないということ。
まずい。このままじゃガンダムはおろか、ストライクダガーのパイロットにだってなれるかどうかすら怪しい。
今ボクはメビウスのパイロットをやっている。メビウスっていったら、連合vsザフトでもちらっと出てきたオブジェだ。
あれは最初、民間の航空機かミサイルだと思ってたけど、どうやら戦闘機だったらしい。
これの操縦は、慣れてくると大して難しいもんじゃなかった。ゲーマーとしての感覚が生きてたからか、今じゃ追従性の悪さにイラッとくることが多い。
MSと違って足が無いから振り向くのも遅いし、腕が無いから狙いをつけるには機体ごと動かさないといけないし。
おまけに装備しているリニアガンは、相当上手いこと狙わないとジンの装甲を貫けないらしい。なんだそりゃ。
こりゃ早めにヘリオポリスに配属してもらって、ガンダムに乗せてもらうしかない。
とはいえ、ただの下っ端尉官が自分の思い通りに配属されるなんてことはなく、ここには親父の七光りも届かない。
ああもう、軍なんか入らずに、留学とかいってヘリオポリスに引越しすればよかった。
あれ? でもヘリオポリスってどこにあr』
「ん?」
リナが机に向かってノートに筆を走らせていたら、ドアからノックが聞こえた。
すぐさまノートを机の引き出しに放り、鍵をかけて立ち上がり、ドアに向かう。
時間を見ると、既に二十二時を回っていた。誰だ。
下着姿であった自分を思い出して、慌ててシャツとズボンを穿いて「今開けます」と軽く声をかけ、ドアを開いた。
ドアの前に立っていたのは……軍の略式正装を身に纏った士官だった。襟には中尉の階級章。書簡を手に持っている。まさか。
「地球連合宇宙軍第五〇二警戒中隊所属、リナ・シエル少尉」
「ハッ」
タン、と踵を鳴らして揃え、背筋を伸ばして折り目正しい敬礼を返す。
書簡を開き、丸く巻いた命令書を開いてみせた。重要な書類や命令書は、通信端末からではなくこうした紙媒体で知らされる。
どれだけ科学技術が進もうと、やはり最後は紙だ。通信だと傍受される可能性もある。
士官がその紙を開き、読み上げた。
「連合参謀本部より指令。
リナ・シエル少尉。貴官に一月二十日、二二一二時を以て宇宙軍第五〇二警戒中隊より第七機動艦隊への転属を命ずる」
「了解しました。リナ・シエル少尉、第七機動艦隊への転属命令を拝領いたします」
「よろしい。移動方法と日時は追って暗号による通信で知らせがある。心して待つように」
「ハッ」
機械的に答えながら、言葉を思い返す。
(はー、第七機動艦隊か。かっこいい名前だな。
……でも、ヘリオポリス所属じゃないのか。ヘリオポリスって、確か第八機動艦隊だし。
惜しいなぁ……あ、でも、ここの艦隊で手柄を立てればいいか)
命令書を受け取り、軽い気持ちで考えながら使者を敬礼で見送ってから扉を閉め、軍服をハンガーにかけるとベッドに寝転がる。
天井を眺めながら、どうやって手柄を立てて配属先を変えてもらうか、その算段を練っていた。
このときの彼女に、この転属命令が本当の己の転機だとは、このときの彼女には知る由もなかった。