軍隊というものは、暴力装置だ。如何なる形容詞で美辞麗句を施したところで本質は代えようもない。故に、その構成員に対する信頼の度合いに関わらず、首輪が必ずつけられる。皇帝の軍隊、帝国の防人、民族の先鋒、護国の御盾。そのように称賛され誉め称えられる帝国軍とてその例外ではない。帝国の臣民が誇りに思う軍人。だからこそ、そこからの逸脱は厳しく咎められる。帝国軍部は一つの規範として、模範であることを望む。一介の兵卒ですらだ!であるならば、名誉ある士官は品行方正たれと強く求められる。ある意味、平時であれば軍人としての資質よりも重視された程だ!故に、帝国軍の軍部は規則を偏執的なまでに愛した。そこからの違反にはすべからく軍法会議を用意するほどだ。一つの社会階級として帝国軍士官は軍法会議にかけられることそのものを恥じる。だが、これは平時であればの話だ。名誉を重んじ、大義を尊ぶ平和な時代は過ぎ去った。今や戦時。軍法会議が開かれる小法廷の雰囲気はただならぬものがあった。一触即発の張詰めた空気。そこでくりひろげられているのは、審理というなの政治である。「デグレチャフ少佐、本法廷は貴官に対する審理を棄却する。」法務担当士官は世界最高のアルビオン料理を三夜連続で振る舞われるフランソワ人のような表情で手元の判決に等しいペーパーを読み上げる。「中立国艦船に対する攻撃、及び撃沈は不幸な事故であった。」親の仇でも睨み付けるように傍聴席で拳を硬く握りしめていた外務省の人間に至っては、形容しがたい顔色で被告人席で悠然とする幼い少女を凝視している。彼らの脳裏は煮えたぎっていることだろう。「所定の規定に従ったデグレチャフ少佐に過失は認められない。」愉快げな表情を浮かべていたのは、渦中の本人位だろうか。いや、感情の乏しいデグレチャフ少佐が喜びの顔であったかなぞ、誰にもわからない話だ。「以上の理由により、デグレチャフ少佐に対する拘禁措置は解除となる。」そして、前線が欲して止まない優秀な魔導師は身柄を解放される。…まさしく参謀本部の思惑通りに。ライン戦線は急を要するのだ。使える魔導師を政争で足留めされては堪らない。砲弾や物資は優先的に大陸軍に割り当てられるとしても、魔導師は別?それで戦争が出来れば誰も苦労しない。もっと魔導師を!一人でも多くの魔導師を!そう豪語される時に、勲章持ちのネームドを遊ばせる余裕は何処にもない。あるはずがないのだ。そんな余裕があれば、戦争など遥か昔に決着がついていたに違いない。だから、必要だから。仕方がないから。そういう理由だけで、結論は決まっていた。いや、或いはデグレチャフ少佐に何か過失があれば違っていたかもしれない。だが、完全に軍法と国際法に基づいた攻撃による連合王国潜水艦撃沈。ルールに基づかない、或いは逸脱した潜水艦にルール通りに威嚇。不幸にも、潜水艦を想定して立案されていなかったルール通りの威嚇射撃が招いた事故だ。何かひとつでも過失があれば、外交担当者らの懇願通りに重い厳罰もまだ出せた。しかし、何一つ過失がない場合は?これでデグレチャフ少佐の処分を強行するならば、ルールを起草した内務省や陸海軍関係者もろとも外務省の人間まで巻き込んだスキャンダルに発展しかねない。さらに、デグレチャフ少佐の功績が事態を厄介にする。銀翼突撃章保持者にして将来有望な士官。内々ながら、陸軍鉄道部と戦務課、それに技術局から圧力がこれでもかとかけられていたのだ。軍法会議に持ち込まれたことそのものが、法務担当士官らの苦心の成果だった。よくやった。 そう評されてよい。だが。それは所詮組織内での話にすぎない。圧力に組織内の人間が抵抗したところで、外部の人間にしてみれば結論は変わらないのだ。公的には、話がついている。不幸な事故だった、と。では、納得ができるだろうか?軍艦を撃沈されて死者まで出ているのだ。そう簡単に収まりがつくとは思えない。…いや、言葉を選ばずに言えば、連合王国は喜び勇んで煽動している。『残虐な帝国軍』地政学を解する人間にしてみれば、帝国が並みいる対抗勢力を打倒すれば何が起こるか自明なのだ。国民が戦争に乗り気でないならば、乗り気となるような煽動を始めておかしくない。そんなところに、誤爆とはいえ格好の題材が飛び込んできたのだ。いくらあざとかろうとも反帝国を叫んで止まない。そして、法学的な細かい議論は煩雑かつ難解である。公的には、通信機材と航海機材が整備不良により故障した連合王国潜水艦が帝国領海に迷い混み、警戒行動中の帝国軍魔導部隊からの呼び掛けに気が付かないで定時訓練の一環として潜航訓練を開始。これに対して、戦時国際法に基づく威嚇射撃が行われた結果、潜水艦の外殻に多大な水圧がかかり、圧壊寸前となり緊急浮上。帝国軍魔導師らによる人命救助活動が行われた結果、多数の負傷者を帝国軍病院にて加療するも、重傷者は救命活動も虚しく死亡。また、潜水艦は応急措置が間に合わず浸水により沈没。故に、厳密には撃沈ではなく、むしろ海難事故に近い。だが、簡潔に分かりやすい構図が描けるのだ。『帝国軍、連合王国艦艇を撃沈』これだけで、十分すぎる起爆剤となる。いや、既に燻っているところにガソリンを注ぐような行為。帝国外務省は、これ以上の事態悪化を憂慮してやまない。いや、正確には誰もがわかっている。むざむざと帝国の独り勝ちを許して覇権国家の誕生を招くか?それとも、勢力均衡策に基づき断固阻止するかだ。そのための口実。それ以上でも、それ以下でもない。だから、実のところ誰もが覚悟しているのだ。常識的な判断力があれば、自明である。帝国だろうと連合王国であろうと、お互いによくわかりきっている。そう、連合王国と帝国の激突は時間の問題でしかないと。なればこそ、デグレチャフ少佐という一介の魔導士官の処分は然程も重視されない。勿論、誰もが口を塞ぐが。要するに政治だ。ただ、結果的に彼女の存在は微妙なものとならざるを得ないのも事実。だからこそのライン送り。参謀本部は戦果を期待して。外交担当者らは、二度と問題を起こさなくることを期待して。(叶うことならば、その地ではててくれることすら期待して。)法務担当らは、厄介ごとから距離をとるため。ともかく誰も彼もが彼女らをライン送りにすることを切望した結果として、ラインの悪魔が嘲うこととなる。そして、事態はライン戦線をさらに地獄とした。おはようからおそよう迄。あなたがたのすぐ隣で寝ている死体は早めに片付ける事を推奨します、ターニャ・デグレチャフ魔導少佐です。ごきげんよう。元気に戦争をしていますか?塹壕では、気を抜くと大火傷しかねませんからね。ニコニコ笑って精神を健全に保って、健康に気を付けましょう。特に、アルコールは適量を心掛けること。煙草は狙撃兵に狙われたくなければ、諦めましょう。まあ、酒も煙草もやらない健康な方には関係ないですが。いやぁ、ライン戦線は愉快です。医療費がかかりそうな喫煙者がことごとく禁煙してくれます。いっそのこと、皆で健康増進運動でもどうでしょうか?一番穏やかな日でも雨時々砲弾日和。狙撃兵と嫌がらせの擾乱射撃を除けば、まあ湿度と泥にまみれながら塹壕でゴロゴロしていてもよいでしょう。我々魔導師は後方でつかの間の休養と洒落こみます。晴れの日なぞ射界良好につき血を血で洗う大激戦。一日に飛び交う砲弾だけで、某島国の軍隊ではない軍事組織が一年間に使う弾薬の何倍か想像もつかない規模です。砲兵が耕し、歩兵が前進するとは、よくいったものでしょう。物資と人材をこれ程無価値に扱うのは、ちょっと他に思い付けないほど盛大に浪費しています。いくら私でも、もうちょっと人材は大切に扱うものですが。全く信じられないコスト感覚ですよ。赤紙一枚で兵隊を召集したって、訓練に装備に各種給費がかかるというのに。まるで一山幾らのように使い捨てるとか、株主総会で叩かれたいのだろうか?砲弾なぞ、グルップル社からいくらリベートを受け取っているのかと小一時間問い詰めたいほど盛大に乱射する始末。弾幕は重要ですとも。勿論、今更ご高説を拝聴せずとも理解しています。ですが、せめてコストカットはすべきでしょう。何で列車砲だけで規格の違う7,8種類もあるのやら?20センチとかはともかく、何で運用に千人単位で必要な80センチ列車砲迄豊富な種類があるのか。技術者に対して、ろくでもない経験がある身としては連中作りたいから、取り敢えず作ってみたのではないかと疑っている程。量産性の欠片位希求すべきではないだろうか?いやはやです。まあ、こんな光景を見れば軍産複合体が戦争をプリファーするのも納得というもの。一次大戦時に日本が好景気になるわけだ。朝鮮特需もしかり。こんな恐るべき勢いで物資を浪費する消費者がいれば、売り上げが延びないはずがない。正に需要と供給の関係というやつ。いっそのこと、民間軍事会社でも起業したくなるほど魅力的な市場ということになるのでしょう。ああ、無情。こんなに無駄遣いできるならば、給与の引き上げでもしてほしいものだ。一発幾らするかもわからない砲弾を湯水の如く共和国へ撃ち込む金があるのだから、福利厚生とて考えてほしい。とまあ、ごく普通の被雇用者として物思いに耽っていたターニャの思考は、事務連絡を持参した部下の声によって遮られた。「少佐殿、補充魔導師らが方面軍司令部に。」「補充魔導師? 結構だが、私の大隊に損耗はないが。」損耗なし。正に、この狂ったライン戦線でも最もコストパフォーマンスの良い部隊マネジメントをしているつもりのターニャにとって見れば、補充魔導師と自分達の関連性がわからない。そもそも、補充を要請していないのだが?そう困惑すらしてしまう。まさか、司令部が気をきかせて用意してくれるはずもない。部隊はすでに増強大隊。増員も考えにくい。「…面倒ごとかね?」というか、厄介ごとの予想しかできないのは何故だろうか?これ程善良かつ丁寧にコストを意識しつつコンプライアンスの遵守に努めているにも関わらずだ。運命というやつがいるのならば、救いがたい奴に違いないと断言できる。…まあ存在Xの同類だろうと思うが。「いえ何でも、我々に教導隊の真似事をやれと。」案の定、我々に求められることは厄介なことだ。戦地慣れしていない補充要員に対する教導任務。大方、補充要員の損耗率に遅蒔きながらも誰かが気づいたのだろう。それは結構な事であるが、どうしてそのような結論に至ったのだろうか。「教導隊?それでは、我々に戦地で新人研修でも行えと。」部下の一人が信じられないとばかりに鼻をならすが、全くその通りだ。新人なぞ、戦場においては自分の弾除けにすら使えないお荷物でしかない。はっきり言えば、駆逐すべき対象に近い連中である。足を引っ張られたくないというのに、補充要員を教導せよ?率直に言えば、そんなことが可能かどうか一度現場に来てみろと叫びたい程である。「信じられませんな。連中、御子様たちのお守りしながら戦争が出来ると信じているらしい!」「我々に弾除けとなれと?全く馬鹿げた話です!」というか、私の部下は臆面もなく口にしていた。まあ、正直な連中である。最もこの程度は多少なりとも、塹壕で震えた経験者ならば誰にでもわかると思うのだが。パニックに陥った新任の面倒さよ。砲弾に惨めに耐えることができなくなってしまえば、狂うしかないのだが。よりにもよって塹壕内部や基地の宿舎で騒がれた日には頭を抱えたくもなる。 まだ基地なら後送して軍医に押し付けるが、そんな余裕のない前線でパニックになられたらお手上げだ。何より、パニックは伝染してしまう。端正なお顔をぐじゃぐじゃにして、耐えている健気な連中まで騒ぎ出したら手の施しようがなくなる。最悪の場合、シャベルが沈黙を生む。全く塹壕で、基地で、墓場でと便利なことだ。「落ち着け諸君。」とはいえ、命令は命令だ。「研修というならば、現場を見せてやれば良いか司令部に照会しておこう。」精々無理のない範疇でやることにしよう。何も手取り足取り丁寧な新人研修を期待されている訳でもない。貴重な人材の浪費は忌むべき愚行。まあ、我々の負担にならない程度にやれる研修を行うことにしよう。「わかりました。きっと、一発で現実を理解出来ると思いますよ。」与えられた任務とは、要するに現場に馴れさせろということだ。ならば手っ取り早く最前線一歩手前で見学させれば良い。ついでに大隊が危険なところに突っ込まされない分ましだと思うことにする。それに最前線というやつは百万の言葉よりも遥かに雄弁に現実を語る。部下も賛成してくれているらしい。さてさて、研修のスケジュールを組まなくては。「諸君、ようこそライン戦線へ!」司令部が仕事をてきぱきとするときは、マトモなことではない。補給が滞り、増援が遅延するのに厄介ごとだけはスムーズにやって来る。つい先程教導任務について聞いたばかりなのにもう押し付けられた。似合わないとわかっていても、お顔をしかめて不機嫌にもなろうというものだ。しかもある程度予想していたとはいえ、補充要員が悉く新兵とは。「私は、諸君の教導を行うデグレチャフ魔導少佐である。」こんなことなら、中央で教導隊になんか所属するべきではなかった。技研もマトモな職場ではなかったし、エレニウム95式は頭痛の種だが。「知っての通り、ラインは地獄だ。言うなれば、墓場だ。」補充要員がことごとくパタパタ死んでいくのは考えものだ。もう少し、実態に適応できる訓練でも受けていればましなのに。…いや、そう考えたからこその教導任務か。「もっとシンプルに言えば、駆逐すべきどんな無能でも二階級は昇進できる素敵なラインだ。」其れにしても、ライン戦線の消耗率の高いことよ。私は一介の少佐だが、着任時は売るほどいた先任がばたばた昇進し、稀に運良く後送されるか転任する程度。気がつけば、少佐の中では上から数える方がはやい先任である。いやはやライン戦線は市場も真っ青の競争空間だ。ダーウィンが見たらなんということだろう?「故に、英雄志望の諸君は狙撃兵とでも戯れたまえ。」言っても聞かない馬鹿には話すだけ時間の無駄というもの。長引かせて貴重な補給物資を消耗させるだけもったいない。其れよりは、さっさと敵狙撃兵の弾丸を消耗させるに限る。「それ以外の諸君。せいぜい邪魔にならない程度に頑張りたまへ。」まあ、指示通りに動くならば弾除けくらいにはなる。「さてさて、諸君。短い付き合いだろうが仲良くやろう。」こんなところか。さて、給料分は働くとしよう。後書き①諸般の事情によりPCではなくスマートフォンで書いて投稿しています。スマートフォン、名前通りにスマートかと思いきや(-_-;)②次の更新いつよ?→多分、今月中には…③コメントありがとうございます。頑張っていく所存。ZAP