やあ、宗教に寛容という名の無頓着なみなさまごきげんよう。随分と御無沙汰してしまって本当に申し訳ない。ええ、本当に申し訳ないと感じているのですよ?改めて、ごあいさつを申しあげましょう。狂気は十分ですか?神を讃える覚悟はおありですか?あるいは、神を信じない御覚悟はおありですか?自分という物を信じられるのは何故ですか?貴女の、貴方の寄って立つ理性は健在ですか?遺憾ながら、小官はそこまで、傲岸不遜になれるほどには愚かにも自惚れ得ない凡人であります。故に、どうしても理解しがたいのです。だからこそ、知りたくてたまらない。お伺いしたくてたまらないのです。どうか、どうかご無礼をご容赦いただきたい。貴女は、貴方は、あるいはあなたは、何故自分が正常だと確信できますか?確信できているとすれば、そのあなたの精神は、誰が保証してくれますか?あなたが狂っていないと誰が保証してくれますか?実は、あなたを含めた誰もかれもが狂っていて、単純に気がつかずに済んでいるだけではありませんか?だから、救いをもたらす信仰が必要ではありませんか?神は必要ではない?それは、結局のところ、自己欺瞞ではありませんか?あるいは、救いなど欺瞞で神なぞ存在しないと豪語できますか?一つの孤立した個として完結できるほどに完成した種なのですか?教えてください。どうか、お願いです。教えてほしいのです。かつて、狂った狂人が問いかけました。“私の狂気をあなたが肯定し、認定してくれるとしよう。”“では、そのあなたの正常は誰が認定してくれるのだろうか?”と。其れに対して、私は答えましょう。神が、その神意を表すことによってであると。あるいは、神が存在していないことが証明であると。祈りましょう。声が神に届くように、ひたすらに声をそろえて祈りましょう。そして、神の御旗のもとに、進みましょう。神に逆らわんと欲する連中は蹂躙してのけましょう。或いは、神なぞ存在しないのかもしれません。それでも結構です。神に刃を向けんとする異端者を、神から遠ざけましょう。少なくとも、行動の主観性など無意味ではないでしょうか。私が、神の存在を信じようと信じまいと他者には本質的に意味がないのです。神を信ずる者にとってみれば、私は悪夢をばら撒く災厄の使者となりましょう。神を信じない者に対しては、神の鉄槌を下す殲滅の使者となりましょう。行動には両義性があり、くだらない定義にはさほども重要性がありません。故に、事態を簡潔にするためにも仮定で話すことをお許しいただきたい。いやなに、重要なのは私は少なくとも神と名乗る存在を知っているという事。それを神と定義するかどうかはともかく、客観としては神なるものの尖兵というわけである。つまり、皮肉な見方をしなければ使徒とも言える。いや、使徒だろう。敬虔な信徒の一員にして、信仰を同じくする仲間と歩みながら、信仰を深める巡礼の最中ということになるのだろう。とはいえ、聖務の途上ではあるものの、皆様にごあいさつ申し上げる時間は有る。と、まあこれくらいにしておこう。信仰の在り方は人それぞれだから、まあ懐疑的になるという私のような存在があることも理解してほしい。最も、私自身、戦場という地域で、熱烈に信仰されているある宗教の一派に帰依している身だ。公平を期すために言っておくと、敵味方わけ隔てなく信仰されている普遍的なものである。さて、ごきげんよう。帝国軍、西方方面司令部直轄機動打撃群第七強襲挺団、第205強襲魔導中隊所属ターニャ・デグレチャフ少尉だ。ちなみに、火力戦の信徒であり、運動が大嫌いにもかかわらず否応の無い運動戦の権化であり、ついでに魔導師である。あなたは、神を信じるだろうか?信仰は、貴方に救いをもたらす。それは、前線で、塹壕で、火力陣地で、うずくまっている全ての敬虔な信徒に、神の啓示を約束してくれるのだ。私も、これまで特定の信仰を奉じたことはなかったが、近頃宗旨替えをし、敬虔な信徒の一人となった。唯物論者や、無神論者とて、おそらく私と同等の経験をすれば、同じ結論に足るだろう。少なくとも、砲兵隊の突破粉砕射撃なり、一斉射撃なりを直視すれば、異論は文字通り粉砕されるはずだ。おお、神を讃えよ。そは、砲兵。そは、戦場の神なり!我らが、無線で請願し、神は呼びかけに応じる。有象無象を、突破部隊を防御部隊を、敵砲兵を、すべからく神は粉砕する。諸君はお気に召さないかもしれない。だが生き残りたければ、神に祈りたまえ。さすれば、砲兵隊は実にすばらしい加護を諸君にもたらす。というか、砲抜きの戦争などもはやありえない。砲抜きの戦争など、アルコールのないビール並みで無意味に等しい。あるいは、湿気たマッチだ。突撃前の準備射撃は心強い味方だ。擾乱射撃がなければ、敵集団とまともにぶつかり、大きな犠牲を払うことになる。突破破砕射撃で敵の戦意ごと粉砕する時など、思わず神を賛美してしまうだろう。頑強な防御陣地に閉じこもった鈍亀共を、80サンチの巨砲で押しつぶす時など、形容しがたい喜びだ。神の御業を模倣せんとする異端者どもを、対砲兵戦射撃で粉砕するのは、信徒の喜びである。ああ、誠にすばらしい。ただ一つ、この喜びと信心に対抗し得るものがあるとすれば、それは朝のナパームくらいだろう。だが、結局それとて砲兵の支援にとって代わるには不足なのだ。なにしろ、ここはジャングルなどないのだ。海に面していないことはないこともないのだが・・・。誠に残念だが、私はサーフィンはさほどに好きではないし、私の部下にサーフィンが上手い軍人もいない。だが、その精神には敬意を示し、素晴らしい波がとある中佐殿にはあることを祈ってやまない。何れの分野であれ、求道者には相応の敬意を払ってしかるべきだ。少なくとも私はそう思う。「小隊、撃ち漏らしを狩るぞ?用意は良いな?」双眼鏡越しに眺めていた戦局は、いよいよ弱い者いじめの態を示しつつある。つまりは、正しい戦争のやり方に準拠しているということ。撃てるところから崩していくのは、間違った方法ではない。むしろ、奨励されているとすらいえよう。「拠点内部でぬくぬくと給料泥棒も悪くないが、たまには仕事をしないと追い出されるからな。」「違いありませんな。」例えば、目前で崩壊寸前のボロボロの敵前衛。これを的に待ち構えていた砲兵隊が演習以上に活躍するのもありだろう。ついでに、我々のような機動打撃部隊が楽しい楽しい御挨拶をかねてピクニックとしゃれこむのもよいかもしれない。お弁当と演算宝珠を抱えて、御歌を楽しく歌いながらのハイキング。ライフル片手に突撃軍歌を謳いながら、陽気に吶喊するのが戦場の作法。「まあ、ハイキングだ。美容と健康のためにも適度な運動を積むとしよう。」「ああ、少尉殿は身だしなみに気を使われるのですな。」「当たり前だ。社会人のマナーだぞ?」確かに敵は戦線全般で驚くべき敢闘精神と攻勢精神を発露している。おかげで、本来は拠点で陣地防衛に従事し、塹壕構築にこき使われて、擾乱射撃の的である我らも出撃できる始末だ。最悪、拠点で敵侵攻部隊に蹂躙されるという事態は回避できるが、しかしこき使われているとも言う。まあ、運動不足にはならない。加えて、給料分の労働もしているのだ。社会人として最低限度の勤務を果たしていると思えば、仕事をきっちりとやらねばならぬ。個人的には、危険手当と残業手当も欲しいところなのだが。「我々は、顔なのだ。」「顔、でありますか?」そう、我々は戦場の顔なのだ。我々の任務は逆襲部隊。この種の任務に従事するのは精鋭である。つまりは、どこでもかしこでも投入されるのだ。言い換えれば、会社の顔に等しい。そして、会社の顔とは営業や渉外の担当者のこと。少なくとも一番お客様に接するのは彼らなのだ。よれよれの営業担当者なぞ信用されない。頼りない雰囲気の交渉担当者なぞ、使いたくもない。むしろ、リストラするのが正しい解決策だ。ネゴシエーターを外注するのは望ましくはないが、一つの解決策なのだ。首にされたくなければ、顔はきっちりマナーを守らねばならない。「軍の精鋭だと自覚を持て。ここでは我々が、軍なのだ。」最も今回は、比較的楽であるし、おまけのようなものである。砲兵が、耕し、歩兵が前進。まさに、古典的な展開である。個人的には食べ残しのおこぼれをもらうのは、不本意とまではいかないが、あまり気の進まないことだ。しかし、せっかくのパーティーを集成軍団砲兵がやってくれているのだ。ご招待を蹴り飛ばすのはマナー違反にもほどがある。ビジネスで言えば、契約書を持っていくだけで纏まるような子供でもできる仕事だ。今日は彼らの良き行いを讃えるとしよう。遮蔽物もない平野をのこのこと行軍している所に、集中砲火を浴びた残敵だ。中隊どころか、私の小隊ですら過剰戦力と思えるような残骸でしかない。「アイ・マム。しかし、120㍉の集中砲火とは壮観ですな。」「全くだ。しかし単なる猟犬役はつまらない。できれば、もっと別の方が良いのだがな。」大人しく華役に収まるしかないとはいえだ。営業担当にしても、渉外担当にしてもきっちり仕事をするのは重要だ。たまたま、敵が不用意にも火力陣地付近にのこのこと現れるものだから今回はそこに誘導するだけで済んだ。機動打撃部隊の仕事は、本来側面強襲だから、まあ楽と言えば楽なのだが。しかし、逆に言えば、今回は戦功を稼ぐこともできないのだ。きっちり仕事をするのは、もちろん、評価はされる。だが、相応にだ。なにしろ、集成軍団砲兵が、120㍉で吹っ飛ばした残敵掃討など、片手間でできる仕事だ。パートでも済むような仕事を正社員が頑張っても、なかなか費用対効果は上がらない。つまり、評価も微妙。いい加減、練度抜群と見なされて後方で温存されるほど重視されたいのだが。「少尉、貴様ならそう言うと信じていたぞ。」「中隊長殿、いかがされました?」しかし、うちの中隊長は良い人だ。ほどほどのリスクで、そこそこの評価を得られる場をわりと優先して回してくれる。おかげで、ぼちぼち功績が溜まりつつある。もう少しすれば、部隊錬度も向上したとみなされ、本格的に拠点防衛から解放されるはずだ。上司で言えば、上に引き立ててくれるような堅実なタイプ。下としては、割と付いていきやすいタイプである。「仕事だ。友軍支援になる。」「友軍支援?この戦域で友軍に支援を行うのは、まずもって砲兵では?」集成軍団砲兵が展開している地域だ。我々魔導師が飛んで急行するよりも、120㍉で吹き飛ばす方が確実に速い。なにより、せいぜいが中隊規模の魔導師よりも砲兵隊の方が圧倒的な火力を投入し得る。統制射撃が保たれ組織的戦闘が可能な砲兵隊は、戦場の支配者である。「弾着観測班が、敵魔導師中隊にまとわりつかれている。我々は、其の援護だ。」「おや、人事ではありませんなそれは。」ああ、それでは仕方ない。確かに、我々魔導師の出番だ。飛行目標に対する砲兵部隊の命中率などお寒い限りだし、なにより友軍ごと吹き飛ばしかねない。そして、割と至急の支援を必要とするものでもあるだろう。それは、統制射撃を維持するためにも、早急に対処が必要な問題だ。なにしろ弾着観測は、敵にしてみれば実にうっとおしい存在だ。当然、魔導師か戦闘機部隊が出張って来て、叩き落とすなり、空域から排除するなりするだろう。我々だって、敵の観測要員がうろうろしていれば、即刻叩き落とせと叫ぶのだから、お互いさまと言えばお互い様だ。友軍の航空優勢が確立された戦域で観測せよと言われるならばまだしも、混戦状態にある戦場での観測は死亡率筆頭グループだ。別名、二階級コース。にもかかわらず、弾着観測が求められるのはそれほどに重要だから。目をつぶって砲撃するよりも、リアルタイム観測があるほうが絶対良いにきまっている。「ああ、そう言えば、貴様は以前北方で経験していたな。」「はい、二度と御免ですが。」砲兵隊の支援任務に就くということは、要するに敵魔導戦力の的になるということだ。よく言っても、せいぜい護衛になるかということぐらいしかないのだろうか?いつもいつも敵観測要員を叩き落とさんと意気揚々な共和国なり協商なりの魔導師とじゃれるのは疲れること極まりない。本格的に残業手当の増量を要求したいところである。加えて、危険手当も増やしてもらう必要があるだろう。これは、現状ではさすがにあまりにもローパフォーマンスすぎる費用しか支払われていない。もう一度行けと言われれば、抗命寸前まで粘りたい。二度とごめんというのは、嘘偽りない言葉だ。「ならば、援護は貴官に任せよう。我々は、残敵掃討だ。」「よろしいのですか?まだ、突撃許可は出ておりませんが。」さしあたり、苦労を知っているだけに、早々と助けに行けと?まあ、苦労している観測班人の支援というのは、悪くない。功績としても悪くない種類だし、心情的にも同情しているのだから悪くない。少しばかり、問題点があるとすれば、上からの許可が下りていないことだ。「なに、私の裁量権の範疇だ。なにより、砲兵隊からも要請が来ている。」だが、これが話せる上司というものだ。悪くない。本当に、後ろから発砲など考える必要すらない。全くもって、今回は付いているとしか形容できない。MADの次が常識人ということで、世界のバランスは保ち得ているように思えてならん。これが円環の理というやつだろう。「では、いた仕方ないですね。」そういう人物からの命令だ。さっそく正しい理屈に従って、戦争を再開しなくてはならない。今なら、まがいモノの神ではなく、砲兵隊という真なる神のために戦えることでもある。ハレルヤを今なら謳ってもいい気分である。いや、まて。・・・ハレルヤを謳いたいという概念は刷り込まれたものではないだろうか?つまり、存在Xに対する心理的抵抗感が減衰させられているという危機的状況ではないだろうか?人間は、追い詰められた状況では少々心理的に弱くなるという。もしや、これがその症状ではないかと心配になる。これは、のちほど検討するべき課題だ。つまり、現状では考えても仕方がない。帰還後に軍医にでも聞いてみるほかにない種類の問題だ。「ぶちのめして、よいと。」「そういうことになる。」いい笑顔を浮かべる上官殿。きっと私も素敵な笑顔。つまりは、みんな笑顔で今日もハッピー。うん、笑顔は重要だ。笑う門には福来たるということであるし、笑顔を忘れるわけにはいかない。さあ、笑顔をばら撒きに行くとしよう。「はっ、デグレチャフ少尉、ただちに救援へ赴きます。」「糞ったれの情報部め!何が、この地域が最も手薄だ!?」ひらりひらりと。傍目には優雅に。実際には文字通り懸命に回避行動を取っている帝国軍魔導師に向かって、光学系干渉式を光の雨さながらに撃ち込む。これで、ようやく4度目だ。先ほどから、ばらばらに動きまわっている敵観測手を落としているが、敵の砲撃は精度にいささかも動揺をきたしていない。砲声から察するに、120㎜の重砲だろう。下手をすれば、180-240クラスもあるかもしれない。戦域から全速で離脱しようと試みる友軍地上部隊は、混乱し、良いように撃たれてしまっている。なまじ、突破速度を優先した編成であるために、撃たれ弱いのが完全に裏目に出ている。直掩の魔導師が突破優先のために増強されているのが唯一の強みだ。しかし、泣きたくなることに管制まで手が回っておらず、迎撃効率は頭を抱えて適当に撃っているに等しい。今でこそ、単独行動中の敵観測手を各個撃破してはいるものの、警報が発されたのは間違いないだろう。通信妨害を維持するにも限界がある。すでに、相応の迎撃部隊か、即応班が上がっていると見ざるを得ない。そうすると、我々は地上軍援護どころか、自分達の退路すら断たれることを覚悟せざるをえなくなる。「口が動く余裕があるなら、さっさと手を動かせ!この馬鹿野郎!」だから、ともかく友軍の後退を支援するためにも敵砲兵の無能力化は何としてもやらざるを得ない。問題は、その方法。砲兵隊を叩くのが一番シンプルではある。しかし、規模からいって集成砲兵クラス。師団や大隊付きの砲兵ならば、犠牲覚悟で懐に潜り込める可能性は無くはないが、集成砲兵となれば対魔導師戦闘も十分に考慮されている。ならば、次点の観測手狩りしかない。しかし、こちらは手間がかかる上に効果が出るには時間がかかる。「アイサー。ええい、光学系のみでは限界があります。爆裂系の使用許可を。」空間まるごと爆裂術式で吹き飛ばせば、地表で隠蔽や欺瞞している観測手も吹き飛ばせる。光学系でいちいち地面を走査していては時間が足りない。高度をある程度落とさなければならない上に、見落としを警戒して何度もやらなければならないのだ。最初は空を無防備に浮かんでいるところを狙えるが、敵とて愚かではない。すぐに警報が発せられると想定しないのはアホのすることだ。こちらの襲撃はすぐに知れ渡り観測手らはただちに隠れていることだろう。当然、こいつらの発見には恐ろしい労力が必要となる。「このペースでは、半数も狩れません!」だから、怪しい区画を丸ごと吹き飛ばすというのは、方法論としてはなかなか有望なものとされる。実際、対砲兵戦の前哨戦はお互いに、位置を探り合いながら、相手への妨害として観測手を吹き飛ばす。しかし、それは一定以上の火力が現存する時に限られる。要は、魔導師中隊の瞬間的な最大火力を常時叩きつける程度が最低限でも求められるのだ。その消耗は、はっきり言って増強されたとはいえ、現在の前衛集団直掩部隊には荷が過ぎる。地面を焼き払う規模ともなれば、継続戦闘に深刻な悪影響を及ぼす。「論外だ。長期的には結局索敵にさし障る。」だが、長期的、というには彼らは本当に付いていなかった。「高魔力反応!敵増援と思しき魔導小隊、急速接近中!」「ああ、畜生!観測狩り中断!迎撃用意!」分散し、疲労が蓄積した状況。本来の教典は、戦闘の回避を強く推奨している。だが、理屈という物はとにかく実戦では無用の長物なのだ。『それができれば、苦労しない』ということである。二個増強魔導中隊?つまりは、通常ならば手強く単独で仕掛けようとは微塵も思わない相手である。通常ならば。ポイントは、彼らが疲弊しきっており、ふらふらということだ。直掩部隊ということは、長距離をわざわざ警戒進軍で疲労しきっていることだろう。帰路の事を思えば、全力など大凡だせないということだろう。さらに言うならば、正確な位置さえ特定できれば砲兵隊が勝手に処理してくれる状況である。熟練のFACならば、それだけで料理できるだろう。少々難しいのは、我々は観測手ほどの装備ではない上に、敵は死兵になりかねない状態ということだ。さすがに、死兵ともなってしまうと厄介である。油断しているどころか、手負いもよいところだろう。ただ、最後のデータリンクによれば、かなり分散して掃討戦を行っていた。密度で言えば、戦域には高々小隊規模しか存在していない。「小隊諸君、誠に遺憾だが、敵は二個中隊。つまり、私が一個。君たちは残りものだ。」つまり、こうして各個撃破兼スコア稼ぎができる大変おいしい職場である。稼ぎ時だ。仕事ができるということを示すには良い機会である。どうしてもやばくなったら、砲兵隊に力任せでぶっ放してもらうのもありだろう。幸い、集成砲兵様々が後方にはおわしますのだ。多少の余力はあるということ。聞けば、散弾をわざわざ用意しているという。完璧ではないか。「小隊長殿だけ、エース願望でありますか?」「いやなに、あと10機も落とせば規定で恩給と恩賜の休暇だ。そろそろ、休みが欲しいのだよ。」撃墜スコアが50の大台に乗れば、特別な休暇がある。具体的には、2週間の恩賜休暇と、ボーナスに加えてベースアップ。勤務時間もフレックスタイム制が導入される独立行動裁量権が部分的に導入可。5機落とせばエース。50機落とせばエース・オブ・ザ・エース。つまり、勝ち組。なにより、この戦果は戦争犯罪の訴追対象にはならないのが素晴らしい。戦後を見据えても全く問題がないとはこれいかに。つまり、殺人は犯罪でも大量殺人は叙勲される功績なのだ。一般論とは矛盾するが、経済学的にはありなのだろう。倫理と経済学は必ずしも一致しないとシカゴ学派が以前証明したはずだ。要は、効率性の追求は道徳感情による抵抗感を克服できるということだろうか。可能であれば、大学で博士号を取る時にでも研究したいと思う。「そして、休みでゆっくりとグルメを極めるつもりだ。悪いな、諸君。」「なんともお羨ましい。」全くもってその通り。実にすばらしい。ベリーグッド。恩賜休暇中の勝ち組は、後方で美味いご飯すら食べられるのだ。さらには、企業の経営陣と会食する機会もある。要するに、人的社会関係資本の構築には最適な環境である。繰り返しになるが、実にすばらしい。「貴様らには相済まないが、まあ早い者勝ちだ。」まだ、戦争にもかかわらず我々には余力がある。言いかえれば、まだ、後方に下がることができる時期なのだ。ここで、後ろに下がっておかなければずるずると前線に張り付けられて摩耗し、後は愉快な収容所ライフ。それだけは、絶対に嫌だ。だから、戦争に勝つことを目標にしつつ万一に備えなくてはならない。・・・勝てるだろうか?確かに、帝国は精密無比な戦争機械だ。私の知るドイツ同様に、おそらく一国ならば必ず勝てる。二正面も、戦えないことはない。しかし、それらは帝国の強大さを物語っても勝利を約束するものではない。なにしろ、一対世界だ。問題は、世界大国を何カ国まで相手取れるかということに集約される。勝てるか?はっきり言って、厳しいだろう。「戦争は、勝っているうちに楽しむものだからな。」「おや、少尉殿ほどの方ならば、絶望的な防衛線をもお好みになるかと思いましたが。」・・・出世できるなら、少しは考えないでもないけどね。はっきり言って、奇跡を一度!じゃなくて、奇跡連発!は無理だ。95式は呪いの塊だし、そもそも使いたくないものを使っても勝てるかどうか微妙ですらある。「軍人だよ。命令があれば行くがね。」業務命令に総合職は従わねばならない。仕方がないことである。望んで士官になったと世間的には見なされるのだ。国家に忠誠を誓わねば、契約違反となってしまう。「お好みになるわけではないと?」「言うまでもないことだがな。さて、彼らが殿軍を楽しんでくれるとよいのだが。」誰が、好き好んで銃など担ぐものか。呪われている世界に、災いあれ。或いは、私以外の全てに災いあれ。せめて其れが不可能であるならば、私には災いがありませんように。「ほう、どうされるおつもりで?」「せいぜい、歓待してやるさ。鉛と魔力光は私のおごりだ。」官費なのだ。もちろん浪費すれば評価が下がるが、営業努力で資源を投じるのは業務の一環である。交際費が経費として認められるのは、それが必要だから。つまり、必要とあらばガンガン使っても結果を出せれば問題が無い。死体の量産ができるのであれば、鉛玉を乱射しても文句ひとつでないだろう。唯一の懸念材料は、財務官の胃だ。彼らの心労を慮ると、実に申し訳ない気持ちになる。本当に申し訳ないと思う次第であり、ぜひとも担当者には財務官の精神的な健康回復に貢献してほしいと思う次第だ。私は、経費を使うのが仕事。財務官は、経費を捻出するのが仕事。メンタルケアは、専門のサポート要員の仕事。つまり、みんな自分の仕事をきっちりするのが、あらまほしき世界である。秩序を賞賛するべきだ。あるいは、分業の行きつく先を予見した経済学の先見を賞賛するべきかもしれないが。「ついでに、パスポートをお持ちか確認してみますか?」「よし、そうしよう。」確かに、戦時交戦規定は入国管理法を無効化するものではなかったはずだ。当然のことながら、我が帝国が国境線と主張する地域を越境した連中相手となれば入国審査は不可欠だろう。部下に言われて気がついたのは少々うかつだった。「では、それがスタートの合図ですね。どうせなら競技にでもしますか?」「ふむ、では撃墜数で競うとしよう。私に勝てたら、中隊長殿秘蔵のワインでもがめてやろう。」以前テントを覗いた時、場違いなほどよいワインが秘蔵されていたのを記憶している。大方は、カードで手に入れたのだろうが中隊の財産を功労者に渡すことに同意させるのは難しくない筈だ。駄目ならば、穏便に手に入れることを諦めればよい。「なんともはや。では、小隊長殿独り勝ちの際は、我ら揃って本日の手当て返上ですな。」「うむ、悪くない。悪くないな。その賭け乗ったぞ!」小便はすませたか?神様にお祈りは?部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK? さあ、お仕事の時間だ。こっそり、投稿中。+ZAP中です。ZAP+ZAP