「天晶暦886年……獣人勢力の活性化が目立つも闇の王の影はいまだ見えず、冒険者の時代は今始まったばかり、か」
床に座り込んで読んでいた新聞をばさりとたたんで、なにを見るわけでもなく天井に視線を向ける。
シンプルな部屋だ。広さは12畳ほどで、床には絨毯が敷いてある。その他にはちょっとした作業台と、後はタンスとベッドがあるばかり。暖炉の火が赤々と揺れているレンタルハウスの一室である。
メルの借りていたレンタルハウスにはヴァナ・ディールトリビューンと題された新聞のバックナンバーが完備されていた。
現実世界──便宜的な言い回しだ──ではゲーム内で発行されている新聞という設定で刊行されていたが、やはりこの世界でも違わず存在した。世界情勢を知るにはもってこいである。
トリビューンを読む限り今はまだ辺境航路もコロロカの洞門も開いていない。むしろコンシュタットやラテーヌにやっと出張チョコボレンタル所が設置されたなんて記事が掲載されているほどだ。
つまりほぼFF11サービス開始当初の情勢と見て相違ないだろう。
三国ミッションに始まりジラートミッション、プロマシアミッション、アトルガンミッション、そしてアルタナミッション。そのどれを匂わせる記事も書かれていない。いつかは起こるのであろうが、MMO内の時間経過などないに等しい。ストーリー的には884年で時間が止まってるようなものだった以上、いつか起こりうる以上の推測は無意味だ。ゲーム内時間としての天晶暦は、正式サービス開始の時点で895年であったことからも分かるとおりあくまでタイムカウンター的なものでしかない。
それにあまりミッション方面に首を突っ込む気はないし、冒険者は俺だけじゃない。俺の第一目標は元の世界に関する手がかりなわけで、世界の危機はこの世界に根付く冒険者に任せるとしたものだろう。頑張れ名も知らぬ主人公たち。
っていうかプロマシアミッションとかマジモンの神様とのガチンコ勝負だ、なにそれ怖い。プリッシュには会ってみたいが。
それはともかく、ひとまず最優先事項としてはウィンダスのアノ人にコンタクトを取ることであろうか。
誰あろう"連邦の黒い悪魔"と名高いシャントット女史のことだ。
ぶっちゃけヴァナ・ディール最強と目されるうちの1人で、聞いた話になるが少し前に追加されたシナリオでは自力で異世界への扉を開いたとかいう。FFシリーズオールスターのディシディアはおろかFF14にさえ出没していると言われるお方だ。相談相手としてはこれ以上ないだろう……と思いたい。
ウィンダスへ到達するだけなら大して難しい話ではないが問題はシャントット博士が話を聞いてくれるかどうかだ。なんか下手に接触すると呪われそうな気がしてならない。いやむしろ呪われるくらいならまだマシだ。ブチ切れられたら人生終わるのは確定的に明らかである。
なので慌てて会いに行くより、最低限こちらに興味を持ってくれる程度に冒険者として名声をあげておくのがいいのではないか、という心算だ。
さてそう上手くいくかどうかなのだが……。
「に、してもな……どうにも気持ちが悪い」
シャツ越しに自分の腹に触れてみる。割れている。
胸板をつついてみる。肉厚だ。
力瘤を作ってみる。固い。
明らかにゲームが趣味の貧弱サラリーマンの体ではない。
先ほど完全に俺の意思を無視して条件反射で動いた肉体は、風呂では気づかなかったのだが意識して触れてみるとやたらと鍛えられて引き締まっていた。
いや間違いなく俺の体だ。盲腸の手術痕や膝にある小さなほくろは、見慣れたもの。しかしどうしてか、まるで歴戦の戦士のような体つきに変貌してしまっているのだ。
そして、剣を振るための知識と記憶。盾の効率的な使い方。
あたかも厳しい修行の果てに備わったかのような戦いの記憶が体に刻み込まれている。
剣の他にも斧、弓あたりは何とか使えそうだ。黒魔法や盗みの技、果ては踊りの記憶も多少あるものの、この辺は実践に足るものではない。
異常はそれだけではない。
そもそもここは異世界、日本はおろか地球ですらないのだ。ヴァナ・ディールの共通語は日本語でも英語でもない。
にもかかわらず、俺は新聞を読めた。メルと会話が通じていた。
読み書きできるなんてレベルではなく、ほぼ日本語と同列にヴァナ共通語の知識が脳内に刷り込まれていたのだ。ヴァナ共通語が第一言語になっていることに気づいたときには愕然とした。
なんでこんなこと、酒場でメニューを読めた時点で気づかなかったのか。冒険者登録で書類を書いたときに気づかなかったのか。それほどまでに違和感がなかった。
一応、想像できる理由がないわけでもない。
それは俺の使っていたFF11のキャラクター。
前衛ジョブを中心に育てていたデータが肉体に反映されているのであれば、俺のこの体も覚えのない知識も道理は通る……が、納得はいかない。
仮にキャラデータが反映されているにしても若干腑に落ちない部分がいくつか残る。習得しているはずなのに使えないジョブとか。
「だぁ! もうわけ分からん!!」
ついさっきここはゲームのFF11とは無関係の独立した異世界ではないかと思い始めたばかりだというのに、俺の体にはゲームのデータが中途半端に反映されている。
理不尽に理不尽が重なってもう意味不明だ。考えるだけ無駄な気がしてきた。
ともかく今は剣で戦う知識と記憶が一番深く備わっているとだけ覚えておけばいいか。
「どうしたんだいリック、そんな大声出して」
「っと、お帰りメル。まあ、ちょっと考え事をな」
タルタルにはだいぶ大きな扉を押し開けて、部屋の借り主が戻ってきた。
モグハウスについたところでメルはなにやらモグ金庫から荷物を取ってくるといって部屋を出ていたのだ。
モグ金庫といっても、物理的にでかい倉庫がモグハウス棟に併設されていて、メルの契約しているモーグリは今そっちで金庫番をさせているらしい。部屋においておくと気が散るからだそうだ。まあ、確かに。何の用もないのにずーっとぷかぷかういてるしなあいつら。
あとモグハウスを借りない……つまりバストゥークにもともと住んでた冒険者も金庫だけ借りることができるらしい。
というのもモグ金庫はモーグリ独自の転移魔法で他国からでも荷物を引き出せると言う非常に便利な機能があるからだ。これも冒険者支援の一環で、国家間の冒険者の行き来を活発にしている一因だろう。
ちなみに手紙や荷物の配送にもモーグリを使うことが多いそうだ。でかい荷物は無理らしいが。そういえばFF9にモーグリの郵便屋ってあったなあ。
で、戻ってきたメルはなにやらうんとこよいしょと両手で剣を抱えていた。刃渡りが自身の身長ほどもありそうなものだ。
「うぉっと、またいきなりなにを持ち出してきたんだ」
慌てて駆け寄って受け取ってやると、ずっしりと鋼鉄の重みが手にかかる。模造刀ではない、真剣の重みだ。刀身には鞘ではなく布が巻きつけてある。
「ずっと仕舞いこんだままだったんだけど、ちょっと持ってもらえるかな。その、両手剣」
「両手剣……」
触ってみた感じ肉厚な刃に長めの柄は確かに両手剣ぽいが……刃渡りが60センチそこそこでは長剣というにもいささか心もとないわけで。
ひょいと片手で持ててしまう。
「両手剣」
「…………悪かったねタルタルサイズで」
「あー、なんというか、これメルが使ってたのか? てっきりメルは白魔道士かと思ってたんだけど」
「ボクは白魔道士だよ。その剣は……まあ昔ちょっとね。それよりボクのほうこそ君は戦士の心得があると踏んでいたけれど、剣は使えるかい?」
「なんとかなる、と思うけど」
確証はないが振れない気もしない。俺の体にナイトの記憶が宿っているのであれば片手剣はお手の物だ。
「ちょっと振っていいか?」
「いいけど、周り気をつけてね」
メルに了解を取って巻きつけてあった布を取り払う。下から出てきたのは鋼の刃だ。刃幅は指4本分ほどで黒金色に輝いている……が、その輝きは鈍い。刀身は曇って多少の錆が浮いている。ずっと仕舞いこまれていたというのは本当だろう。
柄に巻いてあるのは革か。合成のレシピによく動物のなめし革を要求されたのはこれだろうか。
「やっぱりずっと放りっぱなしだったからだいぶ曇っちゃってるね」
「柄がちょっと細いけど布でも巻きつけて何とか……」
軽く振ってみる。ひゅんと風を切る音。無意識に体が構えを取る。
やっぱり、体が剣の振り方を知っている。
「うんうん、見込みどおり。さまになってるよ、リック」
「そうか? けど分かるもんなのか、俺が剣士かどうかなんて」
「足運びとか筋肉のつき方とか見ればなんとなくね。それにさっきの立ち回りも」
そういえば自分の記憶にはないのだが、俺はあの青い髪の少女のナイフを寸でで見切っていたらしい。ホントに自覚ないのだが。
「実際どうなの? リックは実戦経験とか」
「……いや、ない。なんというか知識はあるというか、ずっと素振りだけでレベル上がっちまったような」
「なにそれ。とりあえずは明日、その剣でリックの実力を見てみようか。それから剣と鎧を買いに行こう」
「え、この剣じゃダメなのか? 錆も落とせばまだ使えると思うんだけど」
「だめだめ、こういうのは体に見合ったものを使うべきだよ。間に合わせでやってると痛い目見るんだから」
実戦経験をつんでるであろうメルが言うならそれは多分真実だ。ゲームじゃないんだから、タルタルの鎧をガルカが着ることや、数年放っておいた生ものが腐らないことはありえない。
そして結局メルからの借りが雪ダルマ式に増えるという寸法である。剣や鎧ってどれくらいの金額になるんだ……っていうかそんなにひょいと買ってあげるとか言えるあたりメルは実はめちゃくちゃ高名な冒険者だったりするのだろうか。
そうと決まれば早く寝よう。と促すメルにしたがって天井からつるしてあるランプの火を吹き消す。煌々と燃える暖炉の火だけがちらちらと瞬いている。こっちは放っておいてもモーグリが消しに来てくれる。
メルはその体には多少広すぎるベッドに、俺は毛布を借りて絨毯の上に寝転がった。本当は逆にしようと言っていたのだが、俺はこの方がいいといって押し切った。この上メルからベッドまで奪っては申し訳がなさ過ぎる。
けどなんというかこれは……外国にホームステイしているような気分だ。外国どころじゃないが。
「そういえばさ、メル」
「ん、なに?」
寝転がったまま聞くと、メルもベッドの中から答えた。
「メルって冒険者になって長いのか……?」
「5年くらい、かな……こういう生活を始めたのは。冒険者って職業として認められたのはつい最近だけど」
そういえば世界的に冒険者が公認になったのは天晶暦884年だから……つい2年前のことになるのか。
「じゃあ今世界は冒険者ブームってわけだ」
「ぶーむ? まあ、流行の仕事にはなってるね……どれほど残るか知らない……ふぁ、けど」
メルの声がむにゃむにゃぽわぽわとしてくる。今ベッドに入ったばかりだというのに、寝つきのいいことだ。
半分寝ぼけた声でメルはぼそっと呟いた。
「リック」
「なんだよ」
「いっしょに冒険……しようね……」
それきり、静かな細い寝息が聞こえてきて、返事をしたかしないか、俺もすぐにまぶたを閉じた。
ぎょろり。
硬いうろこの隙間からのぞく無機質な瞳に剣呑な光が宿り始める。発達した後ろ足2本で立つロックリザードは、目に力を溜めるかのように体を震わせた。
「石化の邪眼だ、気をつけて!」
背後から聞こえたメルの声に慌てて目をそらす。視界の端でロックリザードの目が光を放ったように見えたがどうにか体に影響はない。
しかし敵はまるで最初からそれを狙っていたかのように体当たりを仕掛けてきやがった。
────この、トカゲ野郎の癖にッ!
慌ててひきつけた盾に重い衝撃が走る。
腕どころか体全身がしびれそうだが、ありがたいことにチートっぽい下駄を履かされた俺の体はそのくらいでは崩れたりしなかったし、メルのかけたプロテスが衝撃から身を守ってくれる。
体当たりを受け止めた盾でそのままロックリザードの体を押さえ込み、右手の剣を叩きつける。
ゥゥグルルル!
重量で叩き斬ることに重きを置いた肉厚の刃が大トカゲの足を引き裂き、憎々しげなうめき声を上げさせる。
トカゲは俺から距離を取ろうとするが、今の傷のせいで足に力が入っていない。チャンス!
「おら!!」
思い切りトカゲの頭を盾で殴りつける。
今度こそ体勢が、
崩れた!
その瞬間を狙って下から掬い上げるように剣を振るう。
狙い違わず刃は大トカゲの首筋、体と頭の鱗のちょうど継ぎ目を深々と切り裂いた。
ォォォオォン……。
それが断末魔の悲鳴だった。トカゲの短い前足では傷を押さえることも出来ず、がくりと足を踏み外して地面に倒れこみ……そのまま幾度か痙攣して、トカゲはついに動きを止めた。
で、ついでに俺もそのままへたり込んだ。
「ふぅぅぅ……」
大きく息を吐き出す。無意識に息を止めていたような気がして、大きく何度も深呼吸。
心臓が早鐘のように脈打っている。体温が跳ね上がって背中に汗が吹き出る。
肉体的な疲労はない、ダメージも大して負っていない。
だが生まれてはじめての"戦闘行為"が精神に大きく負担をかける。手にかかる剣と盾の重み、肉を切り裂く感触、あふれ出る血の匂い。
なにより……自分の実力が分からないというストレス。
理屈では大丈夫だと思っていても、実際剣を振るうのは怖い。体より心が疲れた。
「お疲れ様、リック」
もしものときに備えて後方で見守っていたメルが水袋を差し入れてくれる。ありがたい。ありがいが……このタルタル、結構スパルタだった。
朝食後、居住区の広場で剣の素振りをしてみたところ、案の定馬鹿みたいに体が良く動いた。するとメルは言いました。「思ったよりいけそうだね、外出てみようか」と。
んでもって俺たちはバストゥーク港の門から出て街道を外れて歩くこと2時間ほど、北グスタベルグの荒野でトカゲ狩りにいそしんでいるわけである。俺たちって言うか主に俺だが。ちなみに盾はクゥダフが使っているもので、これもメルが倉庫の肥やしにしていたものだ。服も当座のしのぎということで、普段着にも使える厚手の生地に綿をキルティングした綿鎧を古着屋で調達した。
これで倒したトカゲは5匹だか6匹。ペースは、多分早い。
「にしても本当に実戦は初めてなのかい? とてもそうは思えない、ここら辺のクゥダフくらいなら余裕で相手に出来るんじゃないかい?」
「勘弁してくれ、正真正銘素人なんだ。それに動物相手と獣人じゃ勝手が違うだろう」
動物は本能に任せて攻撃してくるだけだが、獣人は違う。やつらはしっかりとした知性を、文化を持ち、1人1人がれっきとした戦士なのだ。
にわか仕込みの駆け出し冒険者には荷が重い。
「うーん、まあ確かに……。それにリックの動き、剣筋も見切りもいいのに時々変に動きがずれたり遅れたりしていたね」
メルの指摘には思い当たる節があった。
何のことはない、昨日と同じだ。俺の意思を無視して体が勝手に動きやがるのだ。
目は敵の動きを捉えている、体もすばやく反応する。認識だけがそれに追いつかない。染み付いた記憶、身に覚えのない経験によって反応する肉体が、一瞬とはいえ意識的な制御を離れてしまうのだ。
無意識の反応を考慮に入れた上で動けるのならば問題ないのだが、そうではないがために自分の行動が把握できなくなる。結果対応が遅れるわけだ。
まるで自分の体ではないような気分だ。今の俺には高すぎるスペックに振り回されている。これは克服するためには何とか肉体を慣らしていく必要があるだろう。
けど。
「くく……」
「? 何笑ってるのさ、リック」
「いや、なんでも」
けど、少しだけ楽しい。
ついこの間までただのサラリーマンとして退屈な日常を送っていた俺が、剣と盾を構えて荒野のモンスターを狩っている。
あまりに現実離れしていて、そんなことありえないと思いながら、だが常に心のどこかで夢描いていたことが実現してしまったような気がして心が躍る。
そんな場合じゃないってのは理解してるんだけど、な。
「さてと、とりあえず捌いちゃおうか」
「あ、俺にもやらせてくれっていうか、やり方教えてくれよ」
「いいよ、覚えておいたほうがいいだろうしね」
荒野に巣食う生き物たちも、もはやシステムに管理された敵ではない。倒せば死体は残るし、捌かなければ素材になることもない。クリスタルだけはホントにぽろりと零れ落ちるのが不思議ではあるが。
鱗の薄い腹からナイフを滑らせて皮をはぎ、錬金術の素材になる尻尾も切り落とす。手に入れた品物はギルドや合成を生業にする冒険者に売ることになる。
肉は硬くて食えたものではないのでそのまま大地に転がしておく。こうしておけばまた別の生き物の糧になるわけだ。
解体はちょっと腰が引けるが、やらないわけにはいかない。こっちの都合で命を奪ってるわけで……命を奪う、改めて考えると重い言葉だ。ここはゲームじゃあない。
メルがかばん(ゴブリン謹製のあれだ。見た目よりたくさん入るが、さすがにベッドは無理だった)に戦利品をつめているのをぼうっと見つめていると、視界の端に人影が映った。
「ん?」
この街道からも離れた荒野で人を見かけるのは珍しいなとそちらに視線を向けると、そこにいたのは人では……正確にはヒュームではなかった。
若い女が1人、なにやらきょろきょろと周囲に顔をめぐらしながら歩いている。
彼女は黒地に銀の意匠が美しいダブレットと呼ばれる軽装の服を身に纏っている。頭には羽飾りのついたベレー帽を乗せ、矢筒と弓を背負っている。どうやら狩人のようだ。
しかし何より俺の目を引いたのは、その後ろ腰からひょろりと伸びてゆらゆらと揺れる尻尾だった。
彼女はミスラなのだ。
ミスラは総じて華奢でしなやかな女性の肉体に、猫のような耳と尻尾を持つ種族で、バストゥーク近辺ではあまり見かけることはない。大半がタルタルと一緒にミンダルシア大陸の南端、ウィンダス連邦に住んでいる。
男もいないわけではないのだが極端に数が少ない上に、南方のオルジリア大陸にあるミスラの本国からあまり出てこないため、中の国での男女差は非常に極端で人によってはミスラは女しかいないと思い込んでいるほどだ。実際プレイアブルキャラクターとしては女性しか選択できなかった。
「何か探し物かな?」
2人でその姿を眺めていると、ぴくんとミスラの尻尾が揺れて、彼女は俺たちのほうに振り返った。どうやら見ていたのを気づかれたらしい。
ぴんと背を伸ばして機敏に歩く姿は颯爽としていて、見ていて気持ちが良い。が、こちらに近づいてくる顔はあまり爽やかなものではなかった。端正な造りの顔には不機嫌そうなしわがくっきりと刻まれている。
ミスラは俺たちの傍に立つと、それほど大きくはない胸を張ってこう言い放った。
「さっきからじろじろ見ていたけど、そんなにミスラが珍しいかしら」
なんだか面倒なのにつかまった気がする。というのが正直な第一印象だった。
「あー、悪い。バストゥークじゃあんまり見なかったからな、気に障ったなら謝る」
「まあ……別にそれはいいわ。慣れているし……そんなことよりあなたたち」
自分から振っておいてそんなことときたか。
「冒険者、よね。バストゥークの人かしら?」
座り込んでいる俺と小さなメルに視線を合わせようと、腰をかがめてずいと身を乗り出してくる。
きょろきょろとした大きな目、動物っぽい黒い鼻、血色よく薄桃に染まった頬、つるりとした唇に彩られた小さな口。美人と称して偽りない顔立ちだが、そのつりあがった眦のせいで酷く愛想がない。
しかしどう答えたものだろう。冒険者は冒険者だが俺はまだシグネットを受け取っていないし、バストゥークの住人とも言いがたい。メルはバストゥークを拠点にしていると言っていたがウィンダスの所属だ。
「まだ俺は認印をもらってないから正式には違うけどな」
「なんだ、あんた駆け出し? じゃあ聞くだけ無駄ね……」
ぶつぶつと1人で結論付ける狩人ミスラの言い草は失礼極まりない。身なりを見れば分かるだろうに。
女の言葉に眉をひそめたのはメルも同じだった。
「ずいぶんな口ぶりだね。人にものを尋ねる前にまず名乗ったらどうだい?」
「ふん……いいわ、あたしはジジ。ジジ・ヅェミーよ」
「そうかい。ボクはメル、それに彼はリックだ。それで君は、何を聞こうと思ったんだい?」
「なんでもないわよ、どうせ知りっこないでしょう」
つっけんどんな言い草には刺があるというより、どっちかというと強く諦めを含んだ響きに聞こえた。しかしそういわれると気になるのが人の性というものだ。
「聞かせろよ、気になるだろう」
「しつこいわね、いいって言ってるでしょう」
「君はさっきから何か探していたようだったけれど、そのことかな? それにここで分からなければ他をあたるしかないんだ、可能性は捨てるものじゃないと思わないかい」
捲くし立てるメルに気圧されたか、ジジは言葉に詰まり、やがて深くため息をつきながら首を横に振った。さっきとはまた違う諦観の様子だ。
「分かった、言うわよ。あなたたち、グスタベルグの荒野のどこかに古い石碑があるのは知っている?」
「石碑?」
「ええ、荒野の南部と北部に1つずつあるそうよ。南の方では既に見つけたんだけれど、北のものがどうしても見つからないのよ。もう3日は探してまわっているのに」
観念して話しだしたジジの表情には、確かに疲れの色が浮かんでいる。3日もこの荒野をか……その心中は察して余りある。俺もつい先日まで似たようなものだったわけだし。
しかし石碑、石碑か。俺の想像が正しければその石碑ってのはたぶん……。
「もしかしてそれ、グィンハム・アイアンハートの遺した石碑のことか」
「あんた、知ってるの?」
ジジは目を剥いて食い入るように俺を見つめている。知ってるも何も、設定好きの冒険者にとっちゃ常識みたいなものだ。
グィンハムは元船乗りであり、50代にして転身して以来ほぼ独力でこのクォン大陸の地図を書き上げたヴァナの伊能忠敬と名高い冒険家だ。彼自身は志半ばで倒れるも娘のエニッドがその意志を継ぎ、お隣ミンダルシア大陸の地図を完成させた。ちなみにエニッドは公式に確認されている2人のハーフエルヴァーンの1人でもある。
今現在大陸で利用されている地図は、そのほとんどがアイアンハート親娘の作ったものを基にしており、その功績はサンドリアのオルデール卿と並び今日まで称えられている。
彼らの足跡は世界中に石碑として残されており、かくいう俺も一時夢中になって石碑めぐりをした1人だ。彼女の探す石碑も、そのうちの1つだろう。
「教えてちょうだい、その石碑ってどこにあるの!?」
「待て待て、教えるって」
よほど諦めかけていたのか、ジジはものすごい勢いで食いついてきた。俺の胸倉に掴みかからん勢いだ、と言うよりもほとんど俺の上にのしかかってきている。
不用意に近づいてきた顔に思わずどぎまぎとしてしまう。くそ。
「少し落ち着きなよ。そんな格好じゃ話せるものも話せないよ」
「え、あ、やだ!」
自分から乗りかかってきたくせに、彼女は自分の格好に気づくとすごい勢いで飛びのいた。やだ、とは失敬な。
やれやれとため息をつき、身体の埃を払いながら下ろしていた腰を上げた。そうして立ち上がってみると、ジジは頭が俺よりも丸一個分は低い位置にある小柄な少女だった。ミスラというのはやはり華奢な身体をしている。
鋭く睨みつけるような視線で俺の顔を見上げていた。
「それで……どこにあるの?」
無愛想と言うか、ずいぶん険の強い女だと思ったが……かすかに頬が赤くなっている。なんだ照れ隠しか、と俺は1人納得しながら、俺の知っていることを話してやることにした。
「臥竜の滝は知ってるか? この北グスタベルグにある大きな滝なんだが」
「ええ、コンシュタットからこちらに来るときに見たわ。あたし、あんな立派な滝を見るのは初めてだった」
「その滝壺に下りると、滝の裏に小さな洞窟が隠れてるんだ。石碑はそこにある」
あくまでゲームの知識が正しければ、だが。保証はしかねるので聞いた話だけどな、と付け加えておく。
俺の言葉を聞いたジジの反応は、いかにもうさんくさげなものだった。
「滝の裏の洞窟? あんた、あたしがこの辺りのことに詳しくないと思って適当なこと言っていない?」
「疑うなら好きにしてくれ。ただもし嘘をつくならもう少しそれっぽい嘘にするけどな」
ジジは腕を組むと深く考え込んでしまう。時折俺のほうをちらちらと見ながらなにやらぶつぶつと呟いているが、小声なので内容までは聞き取れない。
やがて顔を上げると、しぶしぶと言った様子で頷いた。
「いいわ、どうせ他に当てもないし、信じるわ。それで滝壺に下りるにはどうすればいいの?」
「直接は下りられない。滝壺に行こうと思うとダングルフの涸れ谷を経由しないといけないんだ……よな、メル?」
実は別に下りる道があったりすると恥ずかしいのでメルに振ると、彼は突然のパスに若干面食らいながらも頷いてくれた。
「あ、うん、そうだね、ボクもちょっと前に滝の水を汲んできてくれって言われたことがあるから、そこは間違いないよ。リックの言う洞窟も見たと思う……ただその中までは入ったことはないけれど」
「なによそれ、すごく面倒ね。それにダングルフの涸れ谷ってどこにあるのよ」
「北西にあるダングルフ火山の麓の渓谷のことだよ。すごく入り組んでて、地図がないとまず迷う場所なんだけれど」
「地図? そんなの持ってないわ!」
どうしよう、とジジの視線が俯いてしまう。尻尾もてろりと垂れ下がり、折角入手した情報に湧き上がっていた気持ちはすっかり萎えてしまったようだ。強気につりあがっていた眉がハの字を描き、意外に表情が豊かなんだなと俺は全く関係のない感想を抱いた。
にしても、目の前で参ってる様を見せ付けられて放っておくと言うのも忍びない。
横目でメルの様子を伺うと、メルも俺のことを見ていた。
「なあ、悪いんだけどさ、メル」
最後まで言い切るより先に、メルは深々とため息をついて苦笑を浮かべた。
「そう言い出すんじゃないかと思っていたよ、リック。まあさっきの様子なら、君を涸れ谷に連れて行っても問題ないだろうし」
それからメルは、何のことかと首をかしげるジジに向かって笑いながら言った。
「良かったらボクらが案内するよ。地図はボクが持っているし、涸れ谷に1人で向かうのはそれなりに危険だからね」
ジジはいくらか渋る様子を見せていたが、結局は他に頼れる相手もいないからと向こうから折れた。
内心で俺はそれを喜んでいた。俺自身が臥竜の滝の滝つぼに、そしてアイアンハートの石碑に心惹かれ始めていたからだ。
こうして、俺たちの最初の冒険の行き先が決まったわけである。