蒸気の羊亭を後にしたその足で向かった冒険者登録は、なんかやたらと待たされた。で、待ち時間の割りに手続き自体はそう時間はかからず、終わってみたら認印の発行に一両日程度かかるとか言われた。くっそう、お役所仕事め。
まあやはり俺自身の身分証明がなく、保証人になってくれたメルが他国の所属だったことが発行までの時間を長くしているらしいが。
ところで認印って何かと思ったらシグネットのことだった。ゲームじゃかけてもらうと敵を倒したときにポイントが入ったりちょっとしたボーナスのもらえる魔法程度の認識だったのだが、メルに見せてもらったそれは乳白色の宝石をあしらったネックレスのようなものだった。
シグネット自体はヴァナ・ディールを構成する重要な要素であるクリスタルの欠片で出来ており、魔法の認印として内部に名前や所属国などなどの情報が書き込まれているらしい。本人確認も可能で、他人が使っても活性化しないので国際的な身分証明にもなり、入出国をはじめ競売やモグハウスなど各種施設の利用には必須のようだ。
また一定期間ごとの更新が必要で、更新の際には活動の証明としてクリスタルを提出しなければならないとのこと。無届で連続して更新をサボると登録抹消されることもあるそうだ。加えてクリスタルは余剰があれば納入することで戦績点に換えることが可能で、それを使って官給品の装備などと交換が出来るという寸法だ。これはコンクェスト政策にも直結しているので積極的に活用するようにと登録のときに言われた。
ここで言うクリスタルはただの水晶ではない。世界を構成する最も根源的な八属性の力をこめた結晶は、合成や飛空艇の動力にも使われる重要な資源なのだ。
生き物が死ぬと時折その体から零れ落ちることがあり、つまり冒険者には獣人や危険なモンスターとの戦闘を奨励しているということだ。あと個人レベルの譲渡はともかく、クリスタルの売買は国営のショップ以外禁止だそうだ。これもまたゲームにはなかった決まりである。普通に競売で売ってたのになあ。
コンクェストについては……別の機会にしよう。
さてここまで聞いて思ったのだが。
どうもこの世界は俺の知っているFF11の世界そのままというわけではないようだ。まあアレはゲームの世界なので当然といえば当然だろう。全体的にゲームの世界を現実にマッシュアップしているような印象が強い。街や荒野の広さも然りで、ゲーム中には出てこない村や集落もありそうだ。
冒険者として活動するにはゲームの知識だけでは戸惑うことも多そうだが、そこはありがたいことにメルという頼れる先輩がいる。この出会いには感謝してもしきれないだろう。
ついでに言えばメルは割と説明好きのきらいがあるらしく、シグネットについても事細かに教えてくれた。そういう意味でも彼とは気が合いそうだ。何せ俺はただの冒険者にあらず、根っからの卓ゲ者で設定好きなのだ。
さておき。
手続きは大工房……正確にはその屋上で行った。屋上はちょっとしたグラウンドほども広さがあり、大統領官邸をはじめとする各種国家機関にお役所が集まった最重要機関でもある。
建物内部には鍛治ギルドに火薬研究所、そしてシリーズのおなじみキャラ、シドの研究室を初めとする各種工房が集まっている。
バストゥークは技術に秀でたヒュームと力に秀でたガルカによって築かれた技術大国だ。アルタナ四ヶ国において常に最新の技術を発信し続けるバストゥークの開発力の高さは、工房内に設置された巨大な水車や昇降機、鍛治ギルドの炉にも垣間見ることが出来るだろう。
一方でいまだ年若いこの国には建国当初から何かと影が付きまとっていたりもするのだが……今は蛇足だろう。
見学させてもらった鍛治ギルドの炉や実際に乗った昇降機は感動モノだった。生粋のバス国民だった俺は何度となく利用した施設だが、モニタの向こうに見るのと自分で乗るのとでは大違いだ。
さすがに用もないのにシドやプレジデントに会うことこそ出来なかったが……ただ大統領官邸の門番してたのは、あれ多分ナジだ。やっぱり門番だったかと何気に一番感激してしまった気がする。おかげで変な目で見られた。
そんなこんなで大工房を後にし、軽く街を案内してもらうと、時刻は既に夕方になっていた。
夕食にと工房にある職人食堂で購入したソーセージロールを食べ歩きしながら、俺たちはバストゥーク居住区へ向かっている。駆け足気味に冒険者登録まで済ませてしまったがぶっちゃけそろそろ疲れがピークに達している。ただ精神的な疲労というべきか、はしゃぎ疲れたというべきか……体はまだなんとなく動けそうな気がするから不思議なものだ。
ともかく身の回りのもろもろはゆっくり揃えればいいだろうということになり今日の寝床に足を運んでいる次第だ。
寝床……つまりモグハウスである。大都市の一角にこしらえられたこのワンルームマンションは、なんと冒険者に無償で貸与されており、それだけでも各国が冒険者支援にどれほど心血を注いでいるのかうかがい知れるだろう。ちなみに所属国以外で借りるとレンタルハウスと名前が変わる。
バストゥークのそれの見た目は総石造りの2階建て安アパートといったところか、それが5棟は並んでいる。ゲームじゃ市街地のゲートから部屋に直結だったからこうして外から見るのはなんか新鮮だ。
ちなみにこれまたFFシリーズおなじみの獣人、モーグリたちがハウスキーピングを勤めているのが名前の由来……なのだが、メタ視点から見ると実はFF7の中にあったミニゲームが元ネタではないかと言われていたり。
「全部で200室ってところか?」
もぐりと最後の一口を押し込んで咀嚼する。
目算なので多少前後するだろうが、大体そんなものだろう。
「そのくらいだったかなあ。ウィンダスやジュノも同じくらいだったし、サンドリアもそう変わらないんじゃないかな」
総じて1000人分ということか。1つのサーバに3000人以上が登録していた感覚からするとちょい少ない気もするが……現実に1人1室となるとこんなものだろうか。考えてみたら最初からバストゥークに住んでたらモグハウスは要らないだろうし、レンタルハウスだって常に契約してるわけじゃない。
「しかし、よくまあ土地が確保できたもんだな」
実際面積だけ見れば結構な広さの土地を占拠している。居住区の一角が丸々モグハウスになっていると言って過言ではない。
これだけの土地、徴用したりすれば住民の反発も相当なものだろうし、新たな地区を開拓するにしてもバストゥークは周囲を山に囲まれた盆地だ。そう簡単に出来ることではあるまい。
じゃあどうやって用意したのか……。
「水晶大戦さ」
ぽつりと、傍らを歩くメルが小さく呟いた。
「え?」
「これだけの用地を確保できた背景には、20年前の大戦が絡んでるんだ」
平坦な声は囁くような、ともすれば聞き逃してしまいそうなか細さだったが、それで合点がいった。
20年前。
FF11のストーリーの根幹を成す重大な出来事があった。
それが水晶大戦、あるいはクリスタル戦争と呼ばれる大戦争だ。
その戦争はヴァナ・ディール中西部にある2つの大陸、俺たちが今いるクォン大陸とその隣のミンダルシア大陸では世界全土を巻き込む大規模なものだった。
創世神話において女神アルタナに生み出されたとされる人間、つまり地球人と変わらぬ姿のヒューム、メルたち小さな民のタルタル、笹の葉のような耳が特徴的な長身痩躯のエルヴァーン、猫のような耳と尻尾を持つミスラ、熊と見まごう体格のガルカの5種族と、男神プロマシアに生み出されたとされる獣人たちが総力を挙げて激突したのである。
人間と獣人との関係は決して良好とは言えないながらも、それまでは細々とした交流がないわけではなかった。だがあるものの登場が両者の関係を決定的なものにしてしまう。
『闇の王』とそれに率いられた『闇の血族』の出現である。歴史に突如として姿を現した闇の勢力は、力と恐怖によって瞬く間に獣人たちを支配し、『獣人血盟軍』の旗を掲げ人間たちの殲滅を謳った。
緒戦、各個に独立して対抗していた人類は苦戦を強いられ各地で敗退が続いていた。このままでは敗北は必至と見た国々はついに協力してこれに当たることを決意、バストゥーク、サンドリア、ウィンダス、そしてジュノの4ヶ国からなるアルタナ連合が結成された。この音頭をとったのがジュノ大公カムラナートである。
その後戦況は一変、アルタナ連合は攻勢に転じ、ついにクォン大陸の北限の地ザルカバードにて闇の王を封印。かろうじて終結を見たのである。
水晶大戦では多くの被害が出た。各国はいずれもその首都まで獣人たちの侵攻を許してしまったことさえある。
そして……終戦から20年たった今なお、その傷跡は埋まらない。獣人たちとの戦いも終わってはいない。
つまり、モグハウスの建設はその傷跡をどうにか埋めようと……あるいは覆い隠そうとあがいていることの証でもあるのかもしれない。
「そもそも冒険者って、戦後復興のために立ち上がった市民兵が始まりでもあるんだ。彼らのために建てた仮宿舎が、モグハウスの原型なのさ」
俯き加減で話すメルの顔はフードの陰に隠れてしまってうかがえない。彼自身、20年前の大戦に何か思うところがあるのだろうか。
気にはなる、だがかけてやれる言葉もない。俺の言葉なんて望んでいるとも思えない。
「なるほどなあ……色々詳しいなあ、メル先生は」
だからわざとらしく明るく話を逸らすしかなかったが、幸いにも彼もそれに付き合って笑いながら答えてくれた。
「先生はやめてよ。せめて先輩がいいね」
「はい、じゃあメル先輩質問。ここ冒険者じゃなくても借りられるの?」
「残念ながら冒険者専用。けど借主に同伴する分には問題ないから、今日はボクのところで我慢してよ」
「我慢だなんて滅相もない」
屋根があるところで寝られるだけでも万々歳である。いつまでも転がり込んでるのも悪いし、受けた恩はさっさと返したいので早いうちに認印が届くのを期待するばかりだ。
西の空に傾いた太陽がバストゥークを取り囲む山並みの向こうに沈み、夕焼けの空に夜闇が忍び寄る。立ち並ぶ家々の窓に段々と灯りが点り、煙突からは煙が、窓からは夕餉の香りが漂ってくる。
住宅街からは子供たちの遊ぶ姿が消え、家路を急ぐ人々が忙しなく通り過ぎる。
一方でモグハウスを出る冒険者たちの姿も。彼らはこれから外食なのだろう、酒場が本格的に運転を始め、街は夜の活気に賑わい始めるわけだ。
ふと、そんな人の流れが集まる先があることに気づいた。
丁度モグハウスと住宅街の中ほどに、一際大きな建物がある。意匠は宮殿かあるいは劇場か何かのようにも見えるが、ちと住宅街には似つかわしくない。
「なあ、あれって何だ?」
「ああアレ? 公衆浴場だよ、って言ってわかるかい?」
「こうしゅうよくじょう……って風呂か! おお、風呂あるのか……」
風呂があるなら是非入りたい。今の俺は一昼夜荒野をさまよってすっかり埃だらけだ、風呂好きの日本人としてはさっぱりしたいと思っていたところだ。
「バストゥークも面白いこと考えるよ、ウィンダスじゃみんなではいるでっかい浴槽なんてとてもじゃないけど思いつかない。そもそも桶にお湯を張って中に入ること自体稀だよ」
なんて言いながらメルはうんうんと感心した様子で頷いている。サンドリアの冒険者も最初は驚いてたよ、なんて。
その辺りはお国柄というものか。
バストゥークは鉄鉱や工業によって成り立つ国だ。文字通り汗水たらし、泥と油にまみれる鉱夫や技師の疲れを癒す施設が強く求められていたのだろう。
それに周囲に森や草原などの豊かな自然があり、それに裏づけされた綺麗な河川が豊富な二国と比べるとバストゥークの環境は割と苛酷だ。乾いた土と岩ばかりの荒野に取り囲まれ、流れる河川は工業排水によってお世辞にも綺麗とはいえない。市内を流れる川が黒灰河なんて呼ばれているほどだ。
住人たちが共同で使える大浴場が設置されるのも自然な成り行きに思える。
で、気になるのは……。
「有料……か?」
「ぷ、くっくく……」
何故笑われたし。
「だ、だって、そんな物欲しそうな顔するんだもの……くくく。あそこも国営だから、そんな高いもんじゃないよ、はい」
くすくすと笑いをこらえながら、メルはポーチからいくらかギル硬貨を取り出して俺に寄越す。なんか、子供にお小遣いをもらっているような気分になるなこれ。
畜生こいつもいつまで笑ってやがる!
「メルは行かないのかよ」
「ごめんごめん、そんな不機嫌な顔しないでくれよ。ボクはほら、荷物があるから先にモグハウスに置いてくるよ。出たところで待ち合わせしよう」
そういえばメルはずっと大きな背負いかばんを身につけていた。酒場では尻に敷いていたが、多分それがゴブリンのかばんなのだろう。
出たところでっていうか俺が中で待ってればいい気がするのだが、とりあえずメルとはその場で別れて俺は公衆浴場へ向かった。
浴場の受付をしていたのはモーグリだった。
「ここの管理もモーグリなのか……」
「クポ? お客さん初めてクポ、それならいくつか決まりがあるからよく聞くクポ」
小銭を渡すとモーグリはタオルを二枚寄越し、クポクポいいながら説明を始める。
明らかに航空力学を無視した小さな羽根でぷかぷかホバリングしており、いちいちくるくる回ったりするものだからどうも要領を得なかったが、ようは中に入って服を脱いだらまずタオルで汚れを落としてから湯に入れ、荷物は目の届くところに置くこと、盗難にあってもモーグリは責任を取れない云々。
非常に残念ながらコーヒー牛乳はなかった。あとフルーツオレも売ってない。いつか持ち込んでやろう。
中の広さはかなりのものだ。25m四方はある建物の中は、その面積のほとんどを床を掘り下げた形の浴槽が占めている。熱気がこもらないようにか天井はなく夜空が見えていて、どちらかというと高い壁に囲まれた露天風呂のような感じだ。何か魔法の力でも働いているのか肌寒さは感じないのは徹底している。混浴ではないため壁で仕切られた隣にもう一個同じ設備があるわけだ。
受付から直で風呂場なのには少し戸惑ったが周りの客に習って俺もその場で服を脱ぎ、専用に別の湯が用意されている洗い場で汗と泥を落とす。それだけでもだいぶさっぱりした。
浴槽には20人ほどの男たちが浸かっていたが、みんな端のほうに寄っている。荷物からあまりはなれないためと、その辺りは内に向かって階段状になっていたからだ。そこが腰掛けるのに丁度よく、なるほどこれならタルタルも利用できる。
けど今のところタルタルの客は1人しかいない。メルではなく。その他にはエルヴァーンが2人いたが、あとは全員ヒュームとガルカだ。バス国民以外にはやはりなじみがないということだろうか。
そして気づいたのだが、ヒュームとガルカが浴槽の真ん中あたりで綺麗に左右に別れている。
バストゥークに住む両種族の間には深い確執があるという設定だったが……なるほど、どうやら事実らしい。
ため息をつきながら俺も浴槽に入る。場所はヒュームとガルカの丁度中ほど、一番深いところで下腹あたりまでの湯の中で腰を下ろし、肩までじっくりと浸かる。
あぁぁ……至福のとき。生き返るとはまさにこのことよの。
口から魂が出て行きそうなほど深く息を吐く。
ぐぐっと背伸びをして肩や背筋をほぐしながら空を見上げると、見えたのは満面の星空だった。青く輝く月の回りにちらちらと星々が瞬いている。
今日は水曜日だろうか。ヴァナの1週間は8日だ。火、土、水、風、氷、雷、光、闇の曜日が日ごとにめぐり、月もそれに合わせて色を変える。曜日と属性は無関係ではない。火曜日(ひようび、だ。水や土も同じく訓読みをする)には火の属性の力が高まり、例えばファイアの威力が増したりする。月の色によって世界の属性が高まるのか、高まった属性によって月の色が変わるのかまではわからないが。
余談だがヴァナ・ディールで使われる天晶暦は1ヶ月30日、12ヶ月で1年のシンプルなもの。対して月齢が84日周期で巡るため太陰暦ではないということになる。
そんなことをつらつらと思い出しながら星空を眺め続ける。北の天頂に一際黄色く輝く星、あれがオーディン座のスレイプニルかなあ、なんて考えながら。
やはりここはファンタジーな世界だ。
街を照らす角灯の明りはやわらかく穏やかで、大都市といわれるバストゥークが灯すそれでさえ星空をかき消すにはいたっていない。
日本じゃ、少なくとも東京じゃ見られなかった空だ。今更のように自分が異世界にきているのだと実感させられる。
────異世界、か……。
口の中で転がした言葉の現実味のなさに我がことながらどう反応するべきか迷ってしまう。
グスタベルグの荒野を彷徨っていたときには理不尽さを愚痴に零しながら心を不安と絶望に支配されていた。それがメルに助けられて、ここがヴァナ・ディールだと分かってからはどうだろう。俺は妙にはしゃいでいた気がする。メルの言葉に乗せられたとはいえ、あっさりと冒険者登録なんてしてしまうほどに。
多分……不安を誤魔化しているのだ。メルに助けられてもう大丈夫だと、ここはあんなにも愛したヴァナ・ディールなのだと自分に言い聞かせて。
そのメルもメルだ。勢いづいて彼の世話になりっぱなしだが、荒野で拾った男を自腹切って世話をすると断言するなんて、あんまりにお人よしが過ぎるだろう。
かといって、俺は彼が差し伸べてくれる手を払うことは出来ない。今の俺にとってメルだけが唯一のよりどころなのだ。彼から離れてしまえば、俺はまた1人になってしまう。
メルがいなかったらと想像して、熱い湯に浸かってるにもかかわらずぶるりと震える。
荒野に独りぼっちだった時間に感じた孤独……ただの二晩にもかかわらず、あの孤独はまるで鑢をかけるかのように俺をじりじりとすり減らしていった。
アウトポストに案内してもらったその夜、俺の足にケアルの魔法をかけて部屋を出て行こうとしたメルに、思わずすがり付いて「行かないでくれ」なんて言ってしまうほどに。多分、あの時俺は泣いていた気がする。メルはそんな情けない俺を笑いもしなかった。小さな手に優しくなだめられながら、俺は泥のように眠った。
思い出すだに赤面ものだが、それほどにあの時はくたくただったのだ。
あの孤独をまた味わうことだけは、ごめんだ。
だがメルのことを何も知らないというのも事実だ。
メルは冒険者で、フードのついたローブ──鮮やかな白地に胴部や裾、袖に青をあしらった意匠はおそらくリネンクロークあたりか──と腰に差していた短杖から察するに多分、白魔道士。ケアルつかってたし。
チョコボに乗っていた様子や言動から察するにそれなりに経験をつんでいるのだろうとは思える。
が、分かるのはその程度でそれもほとんど推測。そしてそれは向こうにしてみても同じはずだ。
にも関らずなぜこんなに親切なのか理解できない。どう考えてもちょっとおかしい。それが冒険者というものなのか、それとも。
「なにか、知ってるのか。俺になにが起きたのか……?」
やめろ。彼が俺を裏切るはずがない。
だってもしそんなことになってしまったら。
俺は……──。
じゃぶんと隣に誰かが入ってきて、我に返る。
隣にいたのはガルカの男……というかガルカには男しかいないが……だった。
皆一様に巨体を誇る彼らの例に漏れず、その男も俺より頭1つ2つ背が高く、何より広い肩幅と鍛え抜かれた隆々とした肉体が更に彼を大きく見せる。
その岩のような体にはいくつも傷をこさえており、中でも獅子の鬣のような剛毛にぐるりと縁取られた顔の中央、額から鼻筋を通って右のほおまで走る傷が印象的だ。
戦士、だろうか。だとしたらかなりの歴戦のつわものといった風情だ。
むっつりと湯に浸かるガルカにじろりと睨まれ、慌てて目を逸らした。
ええと、なに考えてたんだっけ。そうそう、冒険者になんかなるって決めちゃったけど大丈夫なのかってことだ。
そもそもこの世界、最初はFF11の……つまりゲームの世界に迷い込んでしまったのかと思ったけどそれもちょっと怪しい気がしてきた。
大工房でも思ったことだが、この世界は全体的に現実とマッシュアップされているイメージがある。
言い換えれば、だ。
このヴァナ・ディールは酷く現実的なのだ。
それを最も強く感じたのは、登録手続きのあと競売所を案内してもらったときのことだ。
FF11の市場はこの競売で成り立っていた。
プレイヤー個人個人が露天のように物を売るバザーとは違い、競売はアイテムの売買を指定の窓口で一括して行っている。競りの方式はやや特殊で、売り手が設定した価格以上の金額で入札すれば即落札となる。価格の目安は落札履歴で一覧できるという仕組みだ。
譲渡不可の属性を持つ一部のアイテムを除き、武器、防具、アクセサリー、薬品、素材、料理、果てはペットの餌と、ありとあらゆる品がこの競売に出回っていた。物を売ろうと思えばまずこの競売に流すのが基本で、つまりFF11の経済は冒険者たちがまわしていた。
当然だろう。
FF11はMMOだ。世界の主役はあくまで冒険者……プレイヤーキャラクターたちであり、街の住民たちはみなNPC、システムの一部に過ぎない。
だが案内された競売所は俺の知っているものとは全く違った。いやむしろより本来の意味での競売がそこでは行われていたのだ。
建物の中は30人ほどが収容できる部屋がいくつか並んでおり、その中で武器や防具などのカテゴリごとに競りが行われている。今日行われた競りは5件で、俺たちが行ったときには既にすべて終了していた。
競りの会場のほかには鑑定所もあり、専門の資格を持った鑑定士が勤めている。競りにかけられるのはその鑑定所で10万ギル以上の値がついたものに限られているという。
更にメルが言うには、競売に出回るのはおおよそ30万ギル以上のもの。それ以下のものは競りで値段を吊り上げるより商店などに売ってしまったほうが早いからだそうだ。
驚いたのは、競りには冒険者以外も多々参加しているという話だ。
例えば武器や防具ならそれを扱う商人や商店店主が、あるいは珍しい品物であれば金持ちの好事家が。
俺はメルに聞いてみた。武器も防具も薬も、冒険者が冒険者同士で取引をする大規模な市場はないのか? と。
それに対する返事がこうだった。
「なに言ってるの、そんなものがあったら世界の経済が破綻しちゃうよ」
それでわかった。
この世界において冒険者は時代の立役者かもしれないが、決して世界の主役ではないのだ、と。
街を歩く人々は、鉱夫も主婦も商人も旅人も子供も大人も老人も、決してシステム的なNPCなどではない。生きた人間だ。
冒険者は経済活動に参加こそすれ、その全てを担っているのではない。むしろ世界的に見れはほんの一部に過ぎない。
そういう酷く"現実的な"世界なのだ、俺が今いるこのヴァナ・ディールは。
そんな現実的な世界で冒険者は、今日もどこかで命を落としている。
敵に倒されたら戦闘不能になって、いくらかのペナルティだけでホームポイントに戻ってこれるなんてことはありえない。
冒険者になるということは、死と隣り合わせになることなのだと、やっと気づいた。
そう考えるとメルは酷い奴かもしれない。そんな冒険者になるように勧めるだなんて。
けど、辞めるつもりもなかった。
メルと離れたくないというのもあるが、元の世界に帰る手立てを探すにはほかに方法がないと思ったからだ。
もっと言えば全く当てがないわけでもない。ヴァナ・ディールで異世界の存在が観測されていることは前にも述べたが、実は1人いるのだ。異世界への扉を開いちゃうような人が。
だがぺーぺーのままでその人に話を聞いてもらえるかどうかわからないし、それにメルに頼り続けるのもいやだ。
せめて自力でその人のところにたどり着ける程度の実力は身につけたい。そう思い始めていた。
「どうなるかな……」
ぶっちゃけ俺、貧弱一般人だし……。
呟きながらぼんやりと星空を眺め続けていた。
とりあえず、メルの部屋に行ったら闇の王とかがどうなってるのか確認しないとな。そんなことを思いながら。
ゆすゆす。
「おい」
ゆすゆすゆす。万力みたいな手で肩を揺さぶられている。ゆすゆす。
「起きろ」
ふぁい、起きます起きます。すみません仕事中に転寝して。昨日新人引き連れて俺式ヴァナ・ディール観光案内なんてやったのがいけなかったんですすみません部長。
しかしそのせいか妙な夢を見た。俺がヴァナ・ディールの世界に迷い込んでしまうなんて愉快な奴だ。
助けてくれたタルタルのメルとその後どんな冒険をするのか、もうちょっと続きが見たかったななんて思いながら目を開けたら。
部長がヤクザ面の熊になっていた。
「ぅどぉうわぁ!?」
「やかましい」
岩石みたいな手で小突かれて頭がぐわんぐわんする。
待て待て、どこだここは。アンタ誰よ!?
混乱して辺りを見回す。そこはでっかい浴槽の中だった。頭上にはお星様が煌いている。
────あ、あー、夢じゃなかったか。残念なような安心したような。
さっきまでと変わらずそこはバストゥーク居住区の公衆浴場だ。どうやら転寝してしまっていたらしい。
「のぼせるぞ」
それを隣に座っていたスカーフェイスのガルカさんが親切に起こしてくれたようだ。
「あ、いやどうも、ご親切に」
「構わん」
そういってガルカはざばぁと浴槽をあがりのっしのっしと出て行った。
むう、渋い。そしてクール。
腹の底に響くいい声だったぜ……ってなんかこっち来てから男にばっかり見入りすぎじゃないだろうか。やだ、そっちのケはないわよ俺!!
とか馬鹿なことを考えながら1人で身悶えてみたのだが、周りの客に変な目で見られるだけだった。ハッテン場ではないようで安心である。
しかし。
再度当たりに視線を巡らせるもののメルの姿は見当たらない。というより全体的に客の姿も少なくなってきていた。
さっきまで1人だけいたタルタルの姿もない。
やっべ、どれくらい寝てたんだ?
メルは先に上がってしまったのだろうか、だとしたら待たせていることだろう。
慌てて浴槽を出て体を拭き、ちょっと躊躇ったが着替えもないので同じ服を着て外に飛び出した。
果たしてメルはご立腹でお待ちかねであった。
「遅いよ、なにしてたのさ! 全く、湯冷めしちゃうところだったじゃないか」
「悪い悪い、うっかり風呂ん中で寝ちまってさ。つか起こしてくれりゃよかったのに」
外で待っていたメルは、先ほどまで着ていたのと同じ形だが褐色がかった綿で織られたコットンチュニックを着ている。もちろんフードもすっぽりだ。多分寝巻きなんだろうけど……クローク系好きだなあ。
ぷりぷりと頬を膨らませて、まータルタルって卑怯ね! って感じの可愛らしさで起こっていたのだが、俺が寝ていたと聞くやふぅん、と目を細めた。
何かしらその猫のような顔は。ミスラかお前は。
「寝てたんだ、それは悪かったね。大丈夫? のぼせて頭痛くなったりしてない? ほら、体冷やすからちゃんと乾かして?」
「てめ、ここぞとばかりに子ども扱いするなよ!」
「おや、そういうこと言うのかい? 誰だったかなあ、歩哨小屋でボクにすがり付いて泣きながら、」
「おおおあぁあだぁ! 言うな馬鹿! 悪かったよこの通り!!」
「素直でよろしい」
なんかもう既に頭が上がらなくなってる俺。
むしろ現在進行形でメルからの借りは雪ダルマ式に増えているわけで……へ、返済できるのかなあ。
先行きに不安を感じながらモグハウスへ向かっている最中。それは起きた。
「きゃぁ!?」
悲鳴!?
通りの角から聞こえた女性の悲鳴に思わず体が硬直する。
「な、なんだ!?」
「行くよ!!」
足元から飛び出した小さな影に我に返り、慌ててその後ろを追う。
現場はモグハウスの立ち並ぶ一角だった。既に何事かと冒険者たちが集まりだしている。好奇心旺盛なことだ。
メルのあとについて駆け込んだ俺の目に飛び込んできたのは、2人の人影が決闘のように対峙している姿だった。
「ちょっと、落ち着いて! 私は何もしないわ!」
相手をなだめようとしているのは、先ほど悲鳴を上げたと見られる女性で、冒険者らしくハーネスと呼ばれる軽装鎧を纏っている。
上背が俺と並ぶか超えるかと見える長身痩躯で、つんと尖ったエルフ耳が頭の横に張り出している。エルヴァーンの女性だ。
「…………」
対するのはヒュームの少女だ。軽装鎧の女よりも幾分背が低く、まだあどけなさの残る表情をしている。夜風にふわりと揺れる青い髪が印象的だ。
だがブラウスにスカートという学生風の姿には、右手に握っているものがあまりに不釣合いだった。
おそらく先ほどエルヴァーンの女性に悲鳴を上げさせたのはそれだろう、物騒な大ぶりのナイフだ。
「ね、大丈夫だから、それを返してちょうだい?」
「近寄らないで」
女性が落ち着かせようとするものの、少女のほうは取り付く島もない。牽制するようにナイフを突き出して、女性を睨みつけている。
しかしその表情に浮かんでいるのは……焦り、いや困惑?
そうしている間にも段々と人が集まり、2人はすっかり野次馬に囲まれている。
少女が瞳に宿す光は剣呑で、ともすればその場にいる全員を敵に回しかねない勢いだ。
一触即発の状態がどれほど続いたか。
じり、と動いたのは女性でも少女でもなかった。野次馬の中の1人が、少女を取り押さえようと後ろから忍び寄る。
もうあと一歩で手が届くかという距離で、しかし動いたのは少女のほうが早かった。
「あッ!」
叫んだのは誰だったか。
ナイフをふるって後ろから近づいていた冒険者を振り払った少女は、その場を逃げ出そうとナイフを構えて野次馬のほうへ……。
「危ない!!」
まっすぐ。
こちらに突っ込んできた。
少女と目が合った、気がした。
深く、昏く、敵意をむき出しにした蒼い瞳。一瞬、その瞳が揺らいで見えた。
「え?」
……何した、俺?
ほうけた声を出したのは俺だ。
記憶に空白が、自分の体がどう動いたのか思い出せない。
気づいたら少女は地面に引き倒され、俺はその細い腕を掴み、手からナイフをもぎ取っていた。
「…………ッ!!」
「どぁ!?」
呆然とした隙に少女の足が跳ね上がり俺の鳩尾をえぐる。
激痛にしりもちをついた俺を尻目に、少女は猫のように飛び起きてそのまま夜の住宅街に走り去ってしまった。
「いっつつつ……」
腹をさする。体重の乗っていない蹴りだったからそれほど後には引かないだろうが。
「大丈夫? ごめんね、まさかあんなに勘のいい娘だとは思わなかったわ」
「リック、怪我はない?」
助け起こしてくれたのはメルと、先ほど後ろから忍び寄ろうとしたヒュームの女だ。
シーフの彼女は気配を絶つ術には自身があったそうだが、あの少女は思った以上に鋭かったようだ。
「俺は大丈夫だ。それよりあの娘は……?」
「逃げられちゃった。けど私ちょっと探してみるわ、このあたりは庭みたいなものだし」
俺が無事と見るとシーフの女は「んじゃね」と言い残してその場を後にした。
それを騒ぎの終わりと見て取ったのか、野次馬たちも三々五々に散らばっていく。
一方メルは、騒動の中心にいたエルヴァーンのほうに話を聞いている。
「じゃあ本当に突然?」
「ええ、なんだか迷子みたいだったし、鉱山区のほうに迷い込みそうだったから声をかけたのよ。そしたら私の顔を見るなり血相を変えて……突然で私も油断したのね、ナイフを取られちゃって」
「なんだろう、それはずいぶんと妙な話だね」
意識の外でそんな会話を聞きながら、俺は手に残ったナイフを見つめた。
あの一瞬。
俺の体は、完全に俺の制御を離れて動いていた。
いったい何なんだったんだ……?
無骨なナイフは、答えを教えてくれたりはしなかった。
==
ヴァナディール編の1を加筆修正しました。
リックがグスタベルグに現れたあと彼は2日ほど荒野をさ迷っています。
>ゼンドリック漂流記ということは全ジョブ盛りの……!?
イヤソレハナイ。