ファイナルファンタジーXI。
有名RPGシリーズの第11作目が国内初のコンシューマ対応オンラインRPGとなったことでその話題を耳にしたことのある人は多いはずだ。2002年に正式サービスを開始した本作は現在追加ディスク4枚にダウンロード販売の追加シナリオと今なお広がりを見せ続けている。
発売当初こそブロードバンドユニットやらなにやらでやたらと高かった敷居も、デフォルトでインターネット接続機能のあるXbox360版や日々スペックアップを続けるPC版の登場でだいぶ手を出しやすくなっている。
先ごろ同社の大規模MMO第二段となるファイナルファンタジーXIVが発表されたものの、根強い人気が続いている。まあFF14が予想の遥か斜め下を行く出来栄えとの評判も無関係ではないだろうが……。
かくいう俺も、もう足掛け8年このFF11の舞台となる世界、ヴァナ・ディールを駆け回ってきた冒険者の一人である……。
街に着いたのは日が沈んでもう一度上ってからだった。
まああの滝……臥竜の滝を横目に大地の裂け目にかけられた橋を渡ったところで俺の足の裏も限界に達しており、無理くり騙し騙しでどうにかその先の歩哨小屋に辿りついた所で動けなくなってしまったというのもあるのだが。
結局俺たちは夜はそこで明かした。そう、俺たち2人は、だ。
例の亀の化け物から助けてくれた小人──いや、どっちもより正確な表現を使おう。獣人クゥダフとタルタルだ──は、俺の姿を見るや、
────君は冒険者、には見えないね。旅人かな? それにしてもそんな格好でグスタベルグをうろつくなんて正気じゃない……やぁ! どうしたんだ、裸足じゃないか! 靴はどうしたんだい、失くしたのか、それとも君はそういうなにか信仰でもあるのかい? とにかくとにかくこの辺りも最近は危険だよ。君はこれからバストゥークに向かうのかい? それならちょうどいい、ボクも街に向かっているところなんだ。良かったら君の護衛を引き受けさせてくれないかな。そうと決まれば先を急ごう、歩哨小屋に立ち寄れば履き物も融通してくれるだろうさ。
そんな感じで黄色い鳥(これも言わずもがなだろう、チョコボだ。ゲームをしない奴でも名前くらいは聞いたことあるだろう)をその場で降りて俺を街まで案内してくれた。
タルタルって奴は文字通り小人のような小さな体に笹の葉のような尖った耳と子犬のような黒い鼻を持ち、生涯を子供のような姿で過ごす種族だ。
メルと名乗った彼も例に漏れず俺の腰にも届かないような体躯で、なのに俺には今まで出会った誰よりも心強く思えた。
「さ、ついたよ。ようこそバストゥークへ、と言ってもボクはウィンダス国民だけどね」
そう言ってメルは小さな両手をいっぱいに広げて俺を歓迎してくれた。
山肌をくりぬいて作られたゲートの向こうは、とにかく広かった。
切り出した石を組んで作られたバストゥークの街は周囲を山に囲まれた盆地に築き上げられているはずなのだが、そんな閉塞感を微塵も感じさせることはない。
ゲートを潜った先は橋の様な通りが続いており、それぞれの看板を掲げた店舗が軒を連ねている。そしてその向こうに見える噴水広場と、さらにその向こうの巨大な建築物。多段構造の打ち上げられた船のような形をしたそれは、バストゥーク名物の大工房だろう。ぶっとい煙突から煙が絶えず立ち昇っている。
大筋で俺が知っている通りの街並みだが、それがとにかく広い。ゲート前の広場はちょっとした公園ほどもあるし、武器・防具・雑貨屋の三軒並びと呼ばれたゲートから続く商店の並びにはもっとたくさんの店が並んでいる。通りを行きかうのは鎧やローブを纏った格好からして旅人や傭兵……ではない、この通りを賑わせているのは冒険者たちだ。
ゲームでは省略されていた世界が現実になるにあたって拡張されたような、そんな印象を受けた。
とにかくご飯にしようご飯に、というメルに連れられて街へと歩き出す。確かにアウトポストでは疲れがピークに達していてたどり着くなり意識を失ってしまったから、食事は朝にもらった干し肉を食べただけだ。腹が空腹を訴えている。
三軒並び(三軒じゃなくなってるが)を抜け噴水広場(確か炎水の広場だったか)を通り、大工房の前を通り過ぎて港区へ。ここまで行くと俺にも行き先はなんとなく分かっていた。
たどり着いた先は案の定『蒸気の羊亭』だった。看板女将のヒルダというNPCの営む酒場だ。
店に入ると中は昼前という時間もあいまってか既にそこそこの人入りだった。中には既にジョッキを傾けているものの姿もある。
2人で奥のテーブル席に腰掛けると、メルが給仕を呼び止めた。
「ボクはベークドポポトとソーセージ、あとメロンジュースにしようかな。君はどうする?」
首を傾げて尋ねるメルについ金持ってないぞ、と言ったらおごりだよ、と微笑まれた。
子供にたかっているようで気は引けるが空腹には耐えがたいし、メルも振る舞いを見るに子供という年齢でもないのだろう。見た目では判断がつかないし、声音も子供っぽいというかともすれば女の子っぽい高さだが、タルタルはそういうものだと思うし、どうも受ける印象が年上っぽい気がするのだ。ならばここは素直に甘えておくとしよう。
注文は決めていた。蒸気の羊亭といえば、頼むものは決まっている。
「じゃあソーセージと……あとブンパニッケルはある?」
「はい、今朝ザルクヘイムのほうからライ麦が届いたので、焼き立てですよ」
なるほど今のところバスはコンクエ1位か、などと考えてしまうがバス国民でないと買えないはずなのでその辺はフレーバーなのだろう。
あと何か飲み物を、と思ってメニューを見せてもらう。
メニューには酒類にジュースがいくつか載っているがコーヒーはなかった。昼間から酒を飲むのも食事と一緒に甘いものを飲むのも趣味ではないので、結局水で妥協する。
「ふぅん……」
給仕が下がるとメルが妙な目で俺を見ていた。
「な、なに?」
「いや、なんでも。それより……一息ついたところで色々聞いてもいいかな? リックのこと、結局道中じゃはぐらかされっ放しだったからね」
ヒューム(地球人と同じ姿の種族のこと)サイズの椅子とテーブルがゆえに、椅子の上にずっと背負っていたかばんを置いてさらにその上に座ったメルが、今度こそ逃がさないぞ、という口調で問いかけてくる。
リックは俺のことだ。もちろん純粋日本人の俺の本名じゃあない。昨日アウトポストで眠気と戦いながら交わした自己紹介をどう聞き取ったのか、彼はずっと俺のことをリックと呼んでいるのだ。
まあ違和感はない。なんせお袋はやめてくれというのにこの年まで俺をりっ君りっ君と呼んでいたし、そのせいで幼友達はみんなそう呼ぶ。更に言えばFF11での俺のキャラの愛称でもあった。
閑話休題。
バストゥークに来るまでの道すがら、メルの質問をかわし続けていたのはなにも答えられないと思ったからではない。むしろ俺自身が逃げ続けていたのだ。
「リックは、いったいどこから来たんだい?」
その疑問から。
まさか、と思い。
そんな馬鹿な、と否定して。
亀野郎やメルに出会ってそれでなお、俺は答えを出すのを避け続けていた。
だがしかし。クゥダフ、グスタベルグ、バストゥーク、チョコボ、ここはタルタル、君はウィンダス。
ここまで出揃えばもう覚悟を決めるしかない。
俺はどうやらFF11の世界に迷い込んでしまった、ということらしい。おかしいのはこの状況か、俺の頭か。
壮大などっきりを期待したがクゥダフもチョコボもメルもどう見てもCGなどではなかったし、バストゥークのゲートハウスには熊のような巨体のガルカがつめていた。尻尾ももちろんあった。
あえて言うがFF11が感覚投入型のバーチャルゲームになったなんていう話は聞かないし、そもそもそんなSFな技術はまだない……と思う。少なくとも発表はされていない。
ではすべて夢なのだということにしてしまいたかったが、その可能性は俺自身が最初に否定してしまった。
どうするにしろ、そろそろ覚悟を決めないといけないだろう。
「その前に聞かせてくれないか? なんでメルはここまで俺に良くしてくれるんだ。言っちゃなんだが俺って相当怪しいと思うぞ」
思えばクゥダフから助けられてからこちら、彼はずっと俺に好意的だ。
わざわざ借りていたチョコボを放してアウトポストに案内してくれただけでなく余っていたブーツを融通してくれるように頼み込んでくれ、あまつさえこうしてバストゥークまで付き添ってくれて飯をおごってくれる。とてもじゃないが行きずりの男に対する施しにしては行き過ぎている。
困っている人を助けるのは冒険者の義務だなんて嘯いていたが、それなら街で放り出したって構わなかったはずだ。
そう言ったら、メルは笑った。
「君から匂いがしたんだ」
「におい?」
「そう、何か面白そうなことがありそうな匂い、冒険の匂いと言ってもいい。そしてボクは冒険者だ。好奇心のない冒険者なんて死んでるようなものだ」
そんなことをのたまうメルは、ちびっこい癖になんだかやたらとかっこよかった。
不覚にもその表情に見入っていると、いたずらっぽく笑って付け足した。
「それに、あの時君はまるで帰る家をなくした子犬みたいな顔をしていたよ。荒野に放り出していくのはあんまりに寝覚めが悪かったからね」
と。
「はい、ベークドポポトとマトンのロースト、それに自慢のソーセージが二皿です。黒パンはどちらかしら?」
料理を運んできたのは店主のヒルダだった。看板女将の名は伊達ではなく、30代は過ぎているであろうに若々しく、おっとりと優しい顔をした女性だ。
確か亡夫の遺したこの店を女手1つで切り盛りしているという設定だったはずだがなるほど、昼間から鉱夫や技師と見えるおっさんどもが入り浸っているのも頷ける。
テーブルに並べられた食事に手をつけながら、俺はぽつぽつと口を開いた。
「まず、恩を仇で返すようで悪いんだけどな……全部話せるわけじゃない、というか俺自身理解できてないことだらけなんだ」
前置きするとメルはふむ、と先を促した。
「そうだな……とりあえずまず、俺は自分がどこから来たのか分からない」
「記憶喪失、というわけじゃなさそうだね」
「ああ、自分がどこにいてどんな暮らしをしていたのかとかは分かってる。けど気づいたらあの荒野にいたんだ。右も左も分からないまま歩いてたらクゥダフに襲われて……」
「ボクがそこを助けたと……」
「ちなみに最後の記憶じゃ俺は自分の部屋のベッドに潜り込んで寝るところだったはずなんだけどな」
それで裸足だったのかい。メルは納得したように1つ頷く。
「間の記憶はすっぽり抜け落ちてる。本当に寝て起きたらあそこにいたんだ……信じられないかもしれないけど」
「そうだね……とても荒唐無稽な話だけれど、嘘には突飛過ぎる。少なくとも君の認識している限りではそれが真実なんだろう」
「そういってくれると助かる」
「じゃあ次、君はどこに住んでいたの?」
来た。一番聞かれると面倒な質問だ。
別の世界から来た、と言ってしまうのは簡単だ。ヴァナ・ディールでもいくつか異世界は観測されているし、信じてもらうことは難しくないだろう。
しかしそれらはいずれもヴァナ・ディールと密接に関係する異世界であり、ここがゲームの世界でそれを遊んでいた現実世界から来たと言っても信じられないどころかまず理解が及ばないだろう。
どう答えるべきだろうか。
出来れば嘘はつきたくないが、真実は説明するに出来ない。
「…………遠いところだ。帰り道も分からないくらい」
結局こんなあいまいな言葉で逃げざるを得ない。
「そこは、聞かれたくないところ?」
「まぁ……そういうことにしておいてくれ」
「そういうなら。つまるとこ君は、正真正銘の迷子だったわけだ」
いや、深く突っ込まないでいてくれるのはありがたいのだがそのまとめ方はいかがなものか。そんでもって否定できない辺りが悔しい。
行くも帰るも分からないとなれば、それは確かに迷子といって差し支えないだろう。
「他にも聞きたいことはあるけど……ひとまず君、これからどうするつもりだい?」
「……どうしたもんかな。帰る手立てを探したいところだけど、当てもなければ金もないんだ。頼れる相手もいないし」
はぁ、とため息1つ。
ここまで絶望的だと嘆くも喚くも通り越してただただ途方にくれるしかない。これなら外国で身包みはがされたほうがまだマシだろうに。
場所が異世界では駆け込む先も泣きつく相手もいやしない。
いや、1つだけ。
ここがヴァナ・ディールであるなら、元の世界に戻る方法を模索するのにうってつけの身分がある。
これが別のゲームの世界だったりしたら目も当てられなかっただろうが、ここでなら1つ、俺の持つヴァナの知識がある程度役に立つだろうし、情報を集めるのにも独自のネットワークが使える職業。
けれどどうしてか、二の足を踏んでしまう。その道を取れば、俺が本当にこの異世界に染まってしまうような気がして。
踏ん切りが、つかない。言い出す最後の一歩を躊躇ってしまう。
しかしその一歩は、背中を押される形で踏み越えることになった。
「冒険者になる、なんていうのはどうだい?」
冒険者。
依頼さえあれば子供のお使いから傭兵家業、未開の土地の探索に果ては世界の危機をも救うどっちかというと荒事が得意な何でも屋。
その生活形態は一定ではなく、自らの手を商品に、各々が求める"冒険"を報酬に日々を暮らしている。あらゆる国や民族、組織に囚われることなく好奇心や欲望を原動力に世界を駆け回る風来坊たち。
アルタナ四国と呼ばれるヴァナ・ディール中西部に位置する四カ国では国際的にその活動が認められており、いずれかの国に所属することで様々な優遇を受けることが出来る。
もっとぶっちゃけてしまえばMMOとしてのFF11におけるプレイヤーキャラクターたちの総称であり、一番馴染みのあるポジションといえる。
どうすれば登録できるのか分からないが、確かに半ば行き当たりばったりとはいえそのくらいの行動方針があったほうがこの先……何もせずにただ絶望しているだけということにはならないような気はする。
「市民登録や身分を証明するものがない場合先任冒険者の紹介が必要になるけど、そこはボクが紹介者になるしさ。まあウィンダスの所属だから時間はかかるかもしれないけど、どうだい?」
冒険者紹介システムか、なんて胸中で苦笑する。
まあ国の金で部屋を提供したりしているのだ、どこの馬の骨とも知れない相手をほいほい冒険者にするわけにもいかないだろう。全国民に戸籍や住人登録がある世界ではないだろうから半分形式的なものとはいえ、なければないで色々面倒なのだそうだ。
メルは身を乗り出して俺に道を示してくれる。けど、な。
「俺は戦う術を何も知らないんだ」
俺には剣を振って戦う腕っ節もなければ、魔法を使うための術も知らない。そんなんで冒険者になる、なんて口で言ってもどうにかなるものではないだろう。
「誰かに師事するにしてもツテもないし金もない。1人で街を飛び出したってまた荒野で野垂れ死ぬだけだろ? せっかく助けてもらった命でそんな賭けはできないさ」
そうだ。
この命はメルに救ってもらったものなんだ。思いつきでリスクの高いギャンブルをするわけにはいかない。それはメルに対してもあまりに申し訳ない。
だからやっぱり前途は暗い。一寸先は闇だ。
がっくりとテーブルに突っ伏していると、つんつんとフォークで頭をつつかれた。いてぇ。
「なにするだ」
「あのねえ……なんでそこで真っ先にボクに頼るって選択肢を思いつかないかなあ」
「え、いやそりゃ悪いだろういくらなんでも」
「悪いことなんてないさ、そもそも言い出したのはボクだ。君が一人前になるまで世話するくらいの責任は負うさ」
「いやけどな、さっきも言ったけどほんとに文無しなんだ。ここの飯代だって返せやしないんだぞ……あ、いやもちろん出来るだけ早く稼いで返すつもりではあるけど。それに一人前になるまでって、どれだけかかるんだよ。お前バストゥークに何か用事があるんじゃないのか?」
「ないよ。商隊の護衛から帰ってきたところだから時間はたっぷりある。にしても君は本当に律儀というか、むしろ頑固だ。融通が利かないといってもいい」
「むか」
なんでそんな呆れた調子で首をふられにゃならんのか。
まあ俺としてはここでの好意を受け取るほかないのも確かなのだが、これ以上は本当にメルの負担になるばっかりだ。それはあんまりに忍びない。
が、それはそれとしてここまで言われて黙ってちゃ故郷の母ちゃんに面目が立たない。
「お前はお人よしだな、馬鹿みたいにお人よし。あとちょっとおせっかい。誰かにいい人カモって言われたことないか?」
「言ってくれるなあ」
ううん、とメルがうつむいて首をひねると、フードを被ったままなものだから布の塊がごそごそ動いているようにしか見えない。というか食うときくらいフード脱いだらどうなのか。
にしても彼は妙に俺にご執心のようだが、俺のなにがそこまでコイツを惹きつけるのかさっぱりだ。匂いがどうとか言ってたが……袖口を嗅いでもわからない。当たり前か。
やがて顔を上げるとぽんとひとつ手を打った。何か思いついたらしい。
「こういうのはどうだろう。これは取引だ」
「取引ぃ?」
「そう、さっきも言ったけど君からは何か面白そうな冒険の匂いがする。だから君の面倒はボクがみる、その見返りに君はボクに"冒険"を提供してくれ」
悪くない話だろう?
そういってメルは1つウィンクした。
なにコイツ、なんでこんなにカッコいいわけ。惚れるっつーか俺コイツに掘られてもいいわ。とか思ったのは墓まで持っていく秘密である。
あとで出来た仲間にいわれたことなのだが、このとき彼が俺をカモにして詐欺にかけようとしているとか、そういう可能性を俺は一切考えていなかった。思いつかなかったとも言う。
思えばこのときからもう、俺もメルも互いにすっかり入れ込んでいたのだろう。
正直に言って、俺はこのやたらと男前なタルタルと別れずに済むことを心の奥底でこっそりと喜んでいたのだから。
結局俺は、その場で冒険者になることを決意したのであった。