むにゃむにゃと胡乱に目を覚ましたルイズが感じたのは、妙に暖かくてやわらかい圧迫感だった。
なにか、と思って目を開けるとそこには丸くてやわらかいものが2つ。
触ってみる。手のひらから多少こぼれるがむにゅむにゅと素敵なさわり心地。以前いたずらに捕まえたリーチ(丸くてぷにぷにした生き物。ヒルらしいがルイズには信じがたかった)をもうすこしやわらかくした感じだ。
丸いものの頂には表面を包む布の下にちょこんと他とさわり心地の違うふくらみがある。そこを触ると、もぞもぞと丸いものが震えた。
「ぅん……あ、ん……」
鼻にかかったような女の声がする。
頂をつつくと聞こえてくる声は艶のある割に可愛らしく、もう少し聞いてみたいのと直接触ってみたいので手は布の切れ目を探し……。
「…………なにしてるの?」
「うひゃぃ!?」
後ろからかけられた声に飛び起きる。
何事かと首をめぐらすと、声をかけてきたのはタバサだった。ネグリジェ姿でベッドに身を起こしている。自分を挟んでタバサの反対側にいるのはキュルケだ、やはり寝巻き姿で幸せそうな寝顔を浮かべている。少し頬が赤いが。
な、なんでこいつらと一緒に寝てるの?
混乱気味の頭から記憶を呼び起こす。
昨晩はやっとのことで魔法学院に帰還したあとルイズの部屋に集まって……それからそうだ、もういい時間だからと3人で湯浴みに行った。寝巻きに着替えてまた部屋で雑談に興じて……そのまま3人で寝てしまったのか。
いやまてしかしそれより問題なのは私は寝起き何をもみしだいていたのか。
いまだ夢の世界にいるキュルケを恐る恐る盗み見る。その体に実ったたわわにゆれる2つの……。
考えるな考えるな思い出すな私!
ぶんぶん頭と手を振ってけしからん感触を記憶から追い出す。
「目、覚めた?」
ずっとその様子を見ていたタバサの表情には相変わらず何も浮かんでいないように見えるが、しかし間違いなく呆れられているなと確信できる程度には頭も冴えてきた。
「え、えぇ、大丈夫……今何時?」
「おそらく6時を回ったところ」
「う、またずいぶん早く目が覚めちゃったわね」
ベッドから乗り出して窓の外を見れば、まだ太陽も昇りきっていない空は群青に染まっている。
授業の時間までは……確かまだ1時間以上あったはずだ。ここにいた頃はもっと遅くまで寝ていたように記憶している。
とはいえ"向こう"にいた頃は早寝早起きも習慣のようなものになっていたわけだから、今朝は相当に気が緩んでいたということなのだろう。キュルケに至ってはなおも爆睡中だ。
憎たらしい顔で眠っているこの女を蹴りだすかどうするか悩んでいると、ベッドを抜け出したタバサがごそごそと着替えを始めていた。
何故ここで着替えると思わなくもないが、装備一式はかばんに詰めてこの部屋に持ち込んでいるのでわざわざ自分の部屋に戻るのが面倒なのだろう。ここで洋服ではなく装備と考えてしまう辺り、ルイズの思考はすっかり貴族のそれではなくなっている。
手早く身支度を整えたタバサの身を包むのは綿鎧だった。鎧というといかつい印象を与えるがこれは布製の生地に綿を詰め込んだものなので私服としても通用し、ことに前あわせを体の右側に寄せ金具で留める左右非対称のデザインや大きなカラーを持つガンビスンは洒落た一品としても知られている。
何かと青を好むタバサは、蒼く染め上げられたアクトンと呼ばれるガンビスンをよく街着や運動着として着用していた。
「どうするの、タバサ?」
「体を動かす」
そう言ったタバサの手に握られているのは二振りの曲刀。素振りでもしにいくのだろう。
「なら私も行くわ。ちょっと顔をゆすぎたいもの」
タバサについていったのはまだ手に残る感触を洗い流したかったからではない、決して。
2人で並んで外に出ると、まだ陽の差しきらない学院の庭は肌寒く、ルイズは思わず羽織ってきたマントの前をあわせた。
清涼な空気が眠気を洗い流していく。人々が起き出すほんの一瞬前。夜と朝の狭間にある薄暗がりの澄んだ空気は、向こうの世界で覚えた素敵なものの1つだ。
井戸のあるほうへ歩みを進めながら、ルイズは久しぶりに袖を通した制服に目をやった。
ちょっと前まで着慣れていたはずのそれは、妙に落ち着かない気分にさせる。
ブラウスとスカート、それにマントを羽織っただけの服装は妙にすーすーとして心もとない。それもこれも向こうでは厚手のダブレットやローブばかり着ていたからなのだろうが、当初は逆にそれが落ち着かないと思っていた気がする。人間の適応力と慣れというものは恐ろしい。
益体も無いことを考えながら井戸の洗い場に先客がいた。
黒のドレスに白いエプロンとヘッドドレスの出で立ちはこの学院に使えるメイドのものだ。大きな洗濯籠に山と詰まれた洗物をせっせと消化している。
袖まくりをした腕が洗濯板の上を上下するたび、肩口で切りそろえた黒髪がさらさらとゆれる。
その腕は色白でほっそりとしているが、その実しなやかな筋肉が育っているなとルイズは見て取った。よく似た筋肉のつき方をするものを見たことがある。あれは確か……。
なんとなく熱心な仕事ぶりを見つめていたが、メイドのほうがそれに気づいて顔を上げた。ルイズ達の姿を認めるとはじかれたように立ち上がって深く腰を折った。
「お、おはようございます、申し訳ありません! 私、夢中になっていて気がつかなくて……」
「あ、う、うん、いいわよ別に。熱心にやってるわねと思ってみてただけだから」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
いたく畏まられむしろルイズのほうがしどろもどろとしてしまう。
そういえば貴族と平民の関係はこうだったと思い直す。ヴァリエール公爵家としての誇りを忘れたつもりはなかったが、貴族も平民も無い異世界の思考がすっかり染み付いていたようだ。メイドに傅かれるのも久しぶりだ。
「と、とりあえずお邪魔でなければ顔を洗ってもいいかしら」
「あ、はい、すぐに片付けますので!」
「そのままでいいから! あなたはあなたの仕事を続けてちょうだい」
「はぁ……」
どこか納得のいかない表情で仕事に戻るメイドに見えないように、はぁとこっそりため息をついた。
何だってこんな朝から押し問答しなければならないのか。やっと元の暮らしに戻れたはずなのに落ち着かないことばかりだ。
うなだれるルイズを尻目に、タバサは「じゃあ」と一言だけ残してその場を離れる。鍛錬のためだろう。
その背中に「後でね」と声をかけ、ルイズも井戸に向かった。
水をくみ上げ(これもメイドがやろうとしたので必死に押しとどめた)手をつけるとひんやりと刺すように冷たい。それを我慢して顔をすすぎ、メイドが手渡してきたタオル(こちらは素直に受け取った)で拭うと、すうっと頭の芯が冴えたように感じる。
「ふぅ……さっぱりした」
頬をなでる風もいっそう涼やかだ。
いくらかその感触に身をゆだねていると、ふと下から見上げてくる視線に気づいた。
「どうかしたの?」
「あ、い、いえそのすみません……!」
「あのねえ……別に怒ってないわ。私の顔に何かついてた?」
「えっと、その……」
「ん?」
「ミス・ヴァリエール……ですよね?」
「え?」
おずおずと切り出しにくそうに尋ねられ、思わずぽかんと口を開けてしまった。
果たして自分はこのメイドと面識があっただろうか? いや、あったかもしれないが正直覚えていない。向こうだっていくら仕える相手とはいえ学院の生徒全員を覚えてるわけでもあるまいに、名指しされるような覚えは……。
────ああいや、1つあったわね……。
ルイズは魔法学院の中でもひときわ悪目立ちしているのだった。本人もすっかり忘れていたが。
自分たちにとって使い魔召喚の儀式から今日までは8年の時が経っているが、他の人々にしてみれば昨日の今日だ。メイドたちの間にも"ゼロ"の二つ名は浸透していたということだろう。
手を止めたメイドは腰を下ろしたままながら顔色を伺うようにしている。
「そうだけど、なに?」
「ええと……お体はなんともありませんか? 昨日その、噂で聞いたんです、ミス・ヴァリエールやミス・ツェルプストーが使い魔召喚のゲートに飲み込まれたって」
「ああそのこと。この通りぴんぴんしてるけれど……それとも他に何かもっと噂になっていたかしら?」
「い、いえ、そんなことは!」
簡単に引っかかってわたわたと手を振るメイドの姿に、思わず噴出さないようにこらえるのは一苦労だった。
「だから怒らないってば。ねえ、教えて? どんな噂になっているの?」
「それは……でも……」
貴族に自分たちの悪口を言えと言われてはいと言える平民は少ないだろう。そういう意味でこの反応は至って普通、というよりもルイズのほうがやたらと鷹揚なのだ。
「私もキュルケもタバサも怒らないし、誰が話してたかも追求しないわ。杖に誓って」という言葉に押されて出たメイドの答えに、ルイズは今度こそ耐え切れなかった。
「…………ミス・ヴァリエールたちはその、召喚のゲートの向こうで魔物に取って代わられたんじゃないか、って口さがない人たちは言ってます」
「ぷっ、やだなにそれ……くくっ……笑わせないでよもうっ」
なるほど、得体の知れないゲートに消えたと思ったらけろっとして戻ってくれば、そんな風にも見えるかもしれない。
しかし魔物に取り付かれたときたか。自分たちもそんなような依頼を請け負ったことがあったが、何せ長年異世界で暮らしていたのだ、発言には気をつけないと異端にたぶらかされたくらいには疑われるかもしれない。
実のところルイズにこそ当てはまらないものの、魔に取り付かれているといって差し支えのない人物はいるのだ。それが妙におかしかった。
ってここでこんなに笑ってたら余計怪しいわね。ほら、メイドが怪訝そうな顔をしてる。
「あの、ミス・ヴァリエール?」
「くすくす……ご、ごめんね、でも安心して。私たちは魔物に取って代わられてもいなければ悪魔にも取り付かれてないわ。でも……ねえ、あなた名前は?」
「え、あの、シエスタといいます」
「そう、教えてくれてありがとシエスタ。これ以上変な噂が立たないように気をつけるわ」
「は、はぁ……」
気づけばそろそろ朝食の時間が近い。
狐につままれたような顔をしているシエスタをおいて、ルイズは一度寮に引き返した。
「ああぁぁぁぁ……お腹が重たい、あとでもたれそう……」
「太った……絶対太ったわ……」
「…………」
朝日も昇りきった頃、教室に向かうルイズ達は青い顔でお腹を抱えながら教室に向かっていた。
というのもこれまた失念していたのだが、学院生徒たちが利用する食堂で出される食事は、揃いも揃って無意味に豪奢でとにかく量が多いのだ。ほとんどの生徒は自分の食べたい分だけ手をつけて大半を残していくところを、長年の冒険生活で食べれるときに食べるべしの精神が染み付いていたルイズらはうっかりそれをすべて平らげてしまった次第だ。
朝から鳥のグリルが出てくるメニューもたまったものではないが、なんだかんだで食べきってしまう自分たちというのも大概ショックだった。
そんなわけでルイズらは絶望的な面持ちで教室への道のりを歩んでいるわけである。唯一タバサだけが平然としていた。
「誰かハラヘニャーかけてくれないかしら……」
「やめなさいよ、アンタ一度はらピーゴロで酷い目にあったの忘れたの?」
キュルケの言葉に思い出したくない記憶を掘り返されたルイズはさらに顔をゆがませる。
あの時はつい食べ過ぎたパイを消化してもらおうとして……いや、ダメだ、これ以上はとてもではないが。
「それにしても……」
つぶやきつつ、キュルケはしきりに制服の襟や裾を気にしている。
「久しぶりに着るとなんだか生地が薄くて落ち着かないわね、制服」
「考えることは同じねぇ……」
上等な生地ながらひらひらと頼りないブラウスは、肉体を保護することに重きを置いた向こうの服とは比べ物にならないほど心もとない。
向こうにもこの手の服が無かったわけではないが幾度となく死線を潜る生活の中ではそんなものに袖を通す余裕は無かった。
「まあ、お気に入りの装備は持ってこれたからいいわ。こんなときは自分が戦士やナイトでなくて良かったと思うわぁ」
「なによそれ、服のために魔道士になったわけ?」
「鎧だったらかばんにつめるのも一苦労って話よ」
ゴブリンのかばんは見た目の大きさに比べて内容量は驚くほど多いが、それでも何でも入るというわけではない。
当然のことながらかばんよりも大きなものは入れようがないし、無限の容量があるわけでもない。向こうにいる仲間にもよく状況に合わせたさまざまな装備を持ち歩くのに仕舞い方に四苦八苦しているものがいた。
当のルイズたちもこちらに帰ってくる際に何を持っていくかでだいぶ悩んだものだ。結局消耗品の類はほとんど入れず、いくつかのローブや装束、装飾品を持ち込むにとどめた。
ちなみにルイズは今もその中から数点の装備を身につけている。
両手にはめたミトンに、その下にはリングを1つ。背には杖を一本。先端に拳ほどもある宝珠をあしらったデザインの杖はキュルケの背負うそれとおそろいだが、ルイズのものは宝珠が白に、キュルケのものは赤に輝いている。
これらはすべてルイズの足元をちょこちょこと歩いている霊獣カーバンクルを喚び出しつづけるためのモノだ。
その本体を異界に置く彼ら召喚獣は、分身を限界させておくだけでも使役者の魔力を消耗させていくのだ。強い魔法の力を持った装備でそれを抑えることによって、やっとカーバンクルは他の使い魔と同じように振舞うことが出来ていた。
「そういえばアンタたちの使い魔はどうだったの? ええと、サラマンダーに風竜だっけ?」
カーバンクルを見て思い出したことだったが、自分たちが帰ってこれたのは2人の使い魔の存在あってのことなので気にはしていたのだ。
こちらも主に付き従うように歩いていた尾に火をともす大柄なトカゲが、キュルケの使い魔のサラマンダーである。名はフレイムといったか。
「この子は平気よ、私のことを忘れている様子もないしちゃんとラインも繋がってる。今更だけど間違いなくもとの時間に戻ってこれているってことね」
「タバサのほうは?」
綿鎧から制服に着替えた青い髪の少女の使い魔は幼くも竜だ。その巨体ゆえに屋内には入れられず、今は主の命を待ちながらどこか外で気ままに過ごしているだろう。
「問題ない。ただ……」
「ただ?」
「私は私でも、さっきまでの私ではない……そう言っていた」
「そう……」
それは間違っていない。いくつかの意味で。
タバサの使い魔シルフィードは風竜、いや人語や魔法を操る風韻竜だという話は聞いていたが、やはりそういった感覚には鋭いのだろうか。
使い魔が主の不利益になるようなことを吹聴するとも考えられないが、既に妙な噂が立ち始めていることも事実だ。気をつけてしかるべきだろう。朝方シエスタに聞いた話は、伝えたほうがいいか。
「私たちが魔物と入れ替わったとか悪魔に取り付かれたとか、その手の噂が出回ってるみたいよ」
「まぁ早晩そうなるとは思っていたけれど……ね」
がらり、と。
教室にたどり着いたキュルケが戸を開けると、中にいた生徒たちの視線が一斉にこちらを向き、逸らされた。
既に昨日あった出来事は学院中に広まっているのだ、食堂でもちらちらと盗み見るような視線やひそひそと囁きあう気配を感じていた。それを誤魔化すように食事に没頭していた部分は否定できない。
教室に漂う空気もそれと同じものだった。
探るような、異質なものを見るような視線は慣れがたいが、こちらと目が合えば慌ててそっぽを向くような連中の目など、獣人たちの憎悪に満ちた目に比べれば何のこともない。
割り切ってしまえば態度はむしろ堂々としたもので、3人は颯爽と通路を抜けて最前列の席に並んで腰掛けた。後ろに座るのはなんだか逃げたようで癪だからだ。うっかり隣の席になってしまった少女がルイズが座ったとたんにびくりとすくみあがったもので、にっこり微笑みかけてやればぷるぷると震えだした。失敬な。
「全くもう、失礼しちゃうわ」
ちょこんと机の上に乗っかったカーバンクルを撫でながら口を尖らせる。まるでデーモンに睨まれたかのような反応だ。
「大差ないんじゃないかしら。きっと彼女は子供にこう言い聞かせるわ、悪さをしたらルイズがやってきて失敗魔法で吹き飛ばすぞって」
「なーんですって……?」
「日ごろの行い」
「タバサまでっ」
他愛も無い話をしているうちに教師が入ってきて教壇に立った。
二つ名に"赤土"を冠するシュヴルーズという名の中年女性は土属性を専属にする教師であり、そのふくよかな体躯は確かに豊穣といった言葉を連想させる。最も本人に農耕の知識は無いだろうが。
「みなさん、春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュヴルーズ、こうして新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」
教壇に立つシュヴルーズはそう言うと一度言葉を切り、室内を一巡。その視線がすっとルイズの元で止まった。
「ミス・ヴァリエールも素敵な使い魔を召喚したようですね」
探された。直感的にルイズはそう感じたが、おそらく間違いではない。
つまり教員たちの間でも自分たちはある程度マークされているということなのだろう。考えていなかったわけではないが、こうまで露骨だと辟易せざるを得ない。
というかそういうのはもう少し隠すべきじゃないかしら。シュヴルーズは声音こそ平静を保っているが今の一言が完全にぼろである。
内心がっくりと項垂れながらも顔には笑みを貼り付けて答えた。
「はい、おかげさまで」
「その子が貴女の使い魔ね? なんだかとても不思議な……子犬、いえ、大きなリスかしら……?」
「カーバンクル、と申します。今年の使い魔ではタバサの風竜にも引けをとらないと自負しておりますわ」
気取った口ぶりにキュルケが小さく噴出すが黙殺。カーバンクルはシュヴルーズに向かって首をかしげている。愛想のいいことだ。
「まぁ、可愛らしい」
「へ、どうせその辺から連れてきた子犬に仮装させてるんだろう。それとも盗んできたのか? "ゼロ"のルイズにそんなものが召喚できるはずが無い!」
野次を飛ばしたのは少し後ろのほうに座る太った少年だった。
この空気の中でそんな口をきけるというのは、彼も案外図太い大物なのか飛びぬけて空気が読めないのか……多分後者だ。常からルイズをゼロと嘲ってきた彼にはその成功や周囲の注目が気に食わないのだろう。
シュヴルーズも少年をいさめようとしているが上っ面で聞き流しているのが丸分かりだ。
野次を聞いて分かりやすく腹を立てていたのはカーバンクルだった。険しい表情でクルルルル、と唸っている。
自分が……あるいは主が侮辱されたからか。
霊獣は決して召喚士の従僕ではないが、互いに誠意を抱き強い信頼関係で結ばれている。少年の言葉はどちらにとっても気分のいいものではない。
カーバンクル、と小さく声をかけると、エメラルド色の獣は心得たとばかりに少年のほうへ駆け寄っていく。人懐こい子犬のように。
そしてぴょんとその太った体に痛くない程度に爪を立ててしがみついた。
「うわ、な、何だよこいつ……」
「ずいぶん懐かれたみたいね、ええと……マルリンコルリン……?」
「マリコルヌだ!!」
「そうそう、マリコルヌ。でも気をつけてね、カーバンクルの爪には毒があるから」
「んなっ!?」
さらりと言った言葉にマリコルヌがさっと顔を青くし慌ててカーバンクルを振り払おうとするが、カーバンクルのほうも心得たものでちょこちょこと背中のほうに駆け上ってその腕をかわしている。
「は、離れろこいつ! ぁ痛! いま爪、爪立てたぞ!!」
「あははっ……もういいわよカーバンクル。安心してちょうだい、私が指示しなければ毒を出したりしないわ」
「何てことするんだ、全く!!」
主の一声にさっと身を引いてまたルイズの机の上に戻るカーバンクル。
シュヴルーズはそのまるで長年連れ添った相方同士のような以心伝心ぶりにしきりに感心している。
「とても賢い子ですね。でもダメですよ、お友達を驚かすようなことをしては」
「気をつけますわ」
内心誰のせいだと思いながら腰を下ろすと、一連の様子を笑いながら見ていたキュルケがひじでつついてきた。
「自重するんじゃなかったかしら?」
「う……い、いいのよこのくらい。ああいう手合いは少しくらい怖い目見たほうが……」
「余計な噂が立つ」
「うぐっ……す、すみませんでした。っていうかそう思うなら止めなさいよ!」
「ミス・ヴァリエールも。もう授業を始めますよ」
そんなこんなでようやく授業が始まった。
この時間は教師がシュヴルーズであることからも分かるとおり土の系統、錬金の講義になる。
「まずはおさらいです。魔法とは4つの系統からなるものであり……」
『火』『水』『風』『土』の四大属性がこれにあたる。また伝説に謡われる『虚無』を足して五系統とする場合もあるが、基本的には四系統魔法、あるいは単に系統魔法と言って間違いがない。
これらは通常独立しており、下位の呪文と系統に依らないコモンスペルを除けばメイジ自身の系統に沿った呪文しか使うことが出来ない。ただし下からドット、ライン、トライアングル、スクウェアとメイジの階位をあげることによって複数の属性を足した呪文を唱えることも可能となる。
属性自体の強弱関係は立証されておらず、系統の異なる同位の呪文の優劣は術者自身の力量によるというのが一般的な見解……ではあるが、メイジは皆自らの系統が最も優れてると信じて疑わない。
シュヴルーズもまた土系統に対する賛美を交えながら講義を進めた。
万物の組成を司る土系統は、農耕、製鉄、建築土木と様々な分野で広く活躍している。講義の主題となる錬金の呪文もまた然り、これは形状のみならず物質の組成そのものを変換して別の物質へと変換してしまうという反則的な呪文だ。合成職人が聞いたら卒倒すること請け合いである。
久しぶりの授業を新鮮な思いで聞きながらつい、比べてしまう。
「四大系統、懐かしい言葉ね。私は火の系統に特化していたから"微熱"だったかしら」
「アンタのは色ボケからついた名前でしょうに。タバサは"雪風"だったっけ?」
「そう」
「そしてルイズは"ゼロ"よ」
「うるさい」
向こうでは属性は8つあった。火、水、風、土、雷、氷、そして光と闇だ。
属性に関しては4が5でも結局は分類の問題なのでたいした違いは無いだろうが、重要なのはハルケギニアのメイジは自らの属性の魔法しか操れないという点だ。これは向こうとの大きな違いだった。
そもそも向こうにおいては八属性というのは魔法の分類ではなく世界を構築する最も根源的な要素とされていた。魔道士たちはそれぞれの属性を司る精霊から力を引き出すことによって魔法を行使する。天候や曜日に左右されるほど魔法は自然界と密接に関っていたのだ。
変わってハルケギニアのメイジは自らの魔力のみで魔法を行使するゆえに、自身の系統に関しては応用が利く割に他の系統が不得手になり、総じて視野が狭くなってしまうのだろう。
これは魔法のみならずメイジ全体の意識にも直結する。
魔法とは始祖ブリミルから賜った恩寵。それが常識だ。
だから今あるもの以上に開拓しようとはしないし、4つの系統から外れるものはすべて先住魔法として異端の烙印を押す。
6千年、人々が停滞し続けるだけのことはあるというわけだ。
つらつらとそんなことを考えているうちに、シュヴルーズは教壇に置いた石ころに錬金の呪文をかけて真鍮に作り変えていた。
「杖を落としてきちゃったばかりに系統魔法は使えなかったし……向こうで杖をもらってからは使ってる暇なんか無かったし、まだ系統魔法使えるかしら」
「私は別にどっちでもいいわ。使えなくても"ゼロ"のままなだけだもの」
「なに拗ねてるのよ。あなたも腕利きの白魔道士なんだから錬金くらい……あぁッ!」
「ちょ、な、なによキュルケ?」
「失敗したわ、オリハルコン……いえせめてアダマン鉱を持ち込んで複製すればぼろ儲けできたんじゃ……ッ」
「ばッ、アンタねえ。大体オリハルコンもアダマンチウムもこっちじゃ流通ルートないでしょうが」
「そんなのウチでいくらでも開拓できるわよ!」
のたまうキュルケの実家はゲルマニアでも有数の豪商だ。確かにやってやれないことはないだろう。
しかしそもそもハルケギニアでは価格や品質安定のためにもメイジが練成した金属類は大手の取引ルートにはほとんど乗らないのだ。ついでにルイズら3人には高位の土系統のメイジもおらず、実行しようとするとまずそこから探さなければならなくなる。
そんな危ない橋を渡るのは真っ平ごめんだ。
で、加えて言うならば今は授業の真っ最中なのである。
「こら2人とも! 今は授業中ですよ、私語は慎みなさい!」
「は、はい! すみません!」
「おしゃべりしている余裕があるなら……そうですね、ミス・ヴァリエール。こちらに来て錬金の実演をして御覧なさい」
瞬間、教室中が凍りついた。
恐る恐る手を挙げたのはモンモランシーとかいう縦にロールした髪型が特徴的な少女だ。
「あ、あの、やめておいたほうが……危険ですから」
「危険?」
恐怖におののく生徒たちと、いまひとつ分かっていないシュヴルーズを尻目にルイズは「やります!」と意気込んで立ち上がった。
「ちょっとルイズ、アポロスタッフでやるつもり? そんな装備で大丈夫なの?」
「大丈夫よ、問題ない」
キリッとした顔で力強く受け答えるが、これはどう考えても……。
「確信犯」
「分かっててやってるわね、全く……」
そそくさと机の下に避難するキュルケとタバサ。ついでにカーバンクルも引っ張り込んでおいた。
やめろ止めろと口々に騒ぐ生徒たちはしかし力ずくの手段に出る勇気もなく。
「錬金!!」
例に漏れず石ころは教壇ごと盛大に吹き飛んだ。
生徒たちは「やはりゼロのルイズはゼロのルイズだった」と結論付けた。
==
習得ジョブ
○ルイズ:白魔道士、召喚士
○キュルケ:黒魔道士、学者
○タバサ:赤魔道士、青魔道士