──伝説は、こうはじまる
すべての起こりは「石」だったのだ、と。
ゲームは、そんな語りから始まった。
気づいたら見知らぬ場所にいるというのはなかなか出来る体験ではないし、っていうかぶっちゃけしたくもない体験だ。
健全な男の子の夢としてある日突然超能力とかサイヤ人とかに目覚めないかなあなんて夢想していた時期は俺にもあったが二十代も半ばをまたげばそんなのは黒歴史だ。全うなオタクとして妄言と現実の区別はつけて生きてきた。
しかしその現実として、俺は気づいたら人気の無い荒野に一人たたずむ羽目になっていた。最後の記憶は会社から帰って飯食って風呂かっくらって寝巻きでベッドに倒れこんだところだ。ああいやその前にネットを徘徊していたか。
ともかく目が覚めたら外で、しかも荒れ野に着の身着のままというのは、ちょっと尋常な事態じゃない。着ていたのが長袖のTシャツに綿のパンツというそのまま外に行ける格好で助かったなんて考えられるのは、異常すぎてむしろ冷静になってしまっているからだ。
「いや、しかし……ホントにどこだここ」
呟いても返事はない。
携帯も手元に無いので誰かと連絡を取ることも出来ず、仮にあったとしても電波が通じてるのかどうかさえ怪しい。何せ見渡す限り枯れた大地と岩ばかり、ところどころに朽木がぽつんと立ち尽くしているのが唯一の景色の変化で、あとは遠目に山の連なりが、あるいはもう少し手前に切り立った岩壁見えるばかりだ。むしろ日本なのか、ここは。
全く持って途方にくれることしか出来ない。誰か人をとっ捕まえて襟首引っつかんでここはどこだと聞き出したいものだが、辺りに人の姿は無い。移動しようにもどっちに行けばいいのか見当もつかないし何より……。
足元を見て大きくため息ひとつ。
寝ていたのだから仕方ないのだが、ハイパー裸足タイム中なのであった。
どれほど歩いたのか分からない。
足の裏が痛い。
結局俺は悩んだ挙句、裸足のままに歩き始めることにした。当てはない。方角も分からない。だが突っ立っているよりはマシだろうかと思ったからだ。
けどそれも早くも後悔しはじめている。
道もない荒野は前後左右どこを向いても同じに見える景色が続き、自分が本当に先に進んでいるのかさえ怪しくなってくる。
実際、一度巨大な岩山を迂回しようとして気づいたらぐるりと岩山の周りを回ってしまっていたこともあった。
何度目になるか、両足を投げ出して岩の上に腰を落とす。
足の痛みと進展を感じられない状況にたびたび休憩をいれ、それがまた余計に状況を遅々として進歩させないでいるようで苛立ちが募る。
空腹を訴える腹が疲労に拍車をかける。
────俺はいったいどこにいるのだろうか。
日が斜めに傾いてからは早かった。一気に黄昏を過ぎ、明かり1つない荒野に漆黒の夜が訪れる。
石を枕にして眠るのは初めての経験だった。すべてが夢でありますように、でなければせめて何か進展がありますようにと祈りながら。
夢ではなかったが、進展はあった。
夜が明けてどれほどが歩いた頃、道にぶつかったのだ。
最も道といってもコンクリートで整備されたようなものではなく、ただ大地に人が歩き続けた結果できた街道のようなものだがそれでもないよりマシだ。影の動きから考えるに南北に伸びる街道だが、道があるということはどちらに向かうにせよ人がいるところに繋がっているはず。そんなわけで俺は南に向かって街道を辿っている。
が、しかしである。
たとえ道があったとしても代わり映えのない景色にどこまで続くかも検討のつかない道行きというのは人を消耗させる。
裸足のままというのも疲れに輪をかける。昨日はシャツの袖を千切って即席の靴にしようかとも考えたが、吹きすさぶ風の冷たさと夜の寒さに断念している。
「くそ、ホントに何なんだよ。北か? 俺も拉致被害者の一覧に入ったりしちゃうのか? 遊んでんじゃねえよ日本政府……」
話す相手もいない、八つ当たりするものもない。わけのわからない状況にぶつくさと愚痴がこぼれ、自分でも心がすさんでいくのが感じ取れる。
ただ1つ、脳裏を掠める妙な違和感……というよりも既視感というべきだろうか。
何故か俺はこの代わり映えのない景色をどこかで見たことがあるような気がしてならないのだ。
「なんだったかなあ……グランドキャニオンか……? いや、あそこはもっと赤っぽいっていうか、この辺灰色って感じだし……いや勝手なイメージだけど」
道を見つけて、愚痴を零せるだけの余裕が出てきたのだろうと自分を納得させながら、俺はまた歩き始めた。
また、無言でただただ足を進めるだけの時間が続いている。
道はある。けど終わりが見えない。周囲にも何の変化もない。獣の一匹も見当たらない。
意識が磨耗する。ぼんやりと歩き続けて、気づいたら盛大に道を踏み外していて慌てて探しに戻ったりもした。
休憩中にぷっつりと意識が途絶えることも度々あって、もう時間の感覚もない。意識している限りで夜を越えたのは1度だが、もしかしたら半日以上気を失っていたときもあったのかもしれない。
何故か足を前に動かす体力だけは尽きないのが不気味だ。
体が震える。
寒さではない。恐怖だ。
────俺はどうなるんだろう。
それとも、どうにもならないのか。このまま野垂れ死ぬしかないのか。
世に理不尽な死は多々あれど、その中でもコイツは飛び切りに酷い。まるで拷問のようだ。道具のたった一つも使わずに、ひたすら俺の精神を削り取っていく恐ろしい拷問。
けどちょっとだけ笑ってしまうこともある。
丸一日、まあ多分だが、丸一日荒野に放り出されただけで俺はここまで追い詰められてしまうのだ。
わけのわからない状況に、飯も水もなく、靴さえも履かせてもらえない。足の裏はもう見たくもない。体は埃にまみれ、にじむ汗が泥に変わる。
たった1日だ。それだけの時間で浮浪者もかくやという姿だ。
そして……無性に湧き上がる寂しさ。
誰かと話したい。声をかけてもらいたい。せめて一目誰かの姿を見たい。ここに人間がいると確かめたい。
俺は存外に寂しがり屋だったらしい。
もう一度夜を越えて歩き始め、太陽が真上から差し始めた頃。
不意に、荒野に初めての変化が訪れ俺は俯かせていた顔を上げた。
はじめに聞こえたのは音だった。
大地を鳴り響かせるかのような腹の底に響く途切れることのない重低音が、道の先から聞こえてきた。
やがて進むにつれて音は大きくなり、鼓膜を、そして体全体を打ち振るわせる。その頃には音の正体も見え始めてきた。
荒れ野にでんっと腰を下ろす巨大な鏡餅のような岩山を迂回すると、その先には切り立った崖と、その上からひと筋流れる白い線が見えた。いや違う、アレは滝だ。それも馬鹿にでかい!
疲れも忘れて思わず駆け出す。
滝まで50mほどはあろうかというところで、既に自分の呼吸音さえ意識しなければ聞こえないほどの轟音が響き渡っている。
街道の先は大地が途切れ、差し渡し10mほどの深いクレバスのようになっており、滝壺はその底にある。
知らず体が震える。今までに見たこともない雄大な景観だった。
クレバスは底を流れる川が気の遠くなるような年月をかけて作り出したものだろう。滝の流れ落ちる岩壁のてっぺんから滝壺までゆうにビル10階分ほどはある。
壮大で、遠大で、今までに見た何よりも力強く、なのにどうしてだろう。何故俺はこの滝の名前を知っているのだろうか。
その今までに見たこともないはずの景色はしかし、これまで以上に強い既視感を植え付け、俺の脳裏に1つの"まさか"を生み出した。
「まさかそんな、出来の悪い二次創作じゃあるまいに……やっぱ夢……じゃ、ないよな……」
体の疲れが逃避する気力も湧きあがらせない。
そんな馬鹿なとそれを否定する材料をずっと探す。
大地の裂け目には橋が架かっており、滝から続く流れと丁度交差している。裂け目はそのまま延びていき、滝のある反対側でまたそびえる岩壁の中に続いていく。
丁度ここは渓谷になっているようで。
それはやはり酷く見覚えのある光景で。
ありえないと唱える俺の思いは、無慈悲に打ち砕かれるのであった。
ぱきり。
小石を踏み潰したような音に振り返り、
「うぉあぁ?!」
思わずたたらを踏んで盛大にしりもちをついてしまう。
いつの間にか背後に忍び寄っていたのは、亀だった。しかも直立歩行する亀の化け物だ、某ミュータントな忍者も真っ青だ。
背の丈は俺とそう変わらないだろうに、そのずんぐりとした鈍重そうな体躯が何倍にも体を大きく見せる。その亀野郎は右手に長剣を、左手に盾をはめて俺をねめつけていた。
まずい、襲われる。
反射的にそう思った。こいつらは人間に容赦しない、なぜならこいつらは人間たちを憎んでいるからだ。
亀の化け物が長剣を振り上げたのを見て、とっさに横に転がり生きながらえる。俺がつい一瞬前までいたところに刃が叩きつけられた。
ぐげげ、と亀が喉を鳴らす。
こいつ……嘲笑いやがった。
カッと頭に血が上り、俺は脚を振り上げて後転の要領で体を起こした。火事場の馬鹿力とでも言えばいいのか、このところ運動不足だったはずの体は思いのほか良く動いてくれた。あるいは嗜む程度にかじっていた合気道のおかげか?
だがそこから先につなげようがない。こっちは丸腰で、向こうはリーチのある長剣。よしんば懐に飛び込めたところで奴の体はあの堅牢な"鎧"が覆っている。素手で殴って痛い目見るのはこっちだ。
じりじりと間合いを取ろうにも、向こうも離れた分だけ詰めてくる。一気に押し込んでこないのは……遊ばれているからか。
どうする。むしろどうすればいい。逃げるか、いや逃げられるのか。
やたらと体温が上がり粘っこい汗が背中に浮かぶ。頭の中を意味を成さない言葉が飛び交い、今の状況に集中できない。にもかかわらず目だけは相手に釘付けだ。
パニックを起こしかけた頭が結論を出す前に、亀のほうが動いた────ッ。
担い手の見た目に反してよく手入れされている長剣が振り上げられ、刃が陽光にきらめく。そしてそのまま俺の脳天めがけて振り下ろされ………………なかった。
「やぁ!! やぁ、やぁ!!」
どこからともなくダッカダッカと荒い足音を立てて俺たちの間に割り込んできた巨大な黄色い鳥が、亀に向かって威嚇するように声を張りながらくちばしを振り下ろしている。
ぐげぐぐ……。
苛烈な鳥のくちばし攻撃に恐れをなした亀野郎は、恨めしげな視線を投げよこすとほうほうの体で逃げ出しはじめる。確かにあのくちばしでえぐられては堪ったものではないだろう。
やがて亀野郎が岩陰の向こうに消えると、それを威嚇するようにクェッと啼いていた鳥もようやく大人しくなった。
「ふぅぅ……追い払ったかな。君、怪我はなかったかい?」
そして鳥が俺のほうを見て話しかけて……いや、話しかけてきてるのはその背の鞍にまたがった小さな人影だ。あんまりに小さいものだから半分羽の中に埋もれてしまっている。
羽の中から顔をのぞかせたのは、フードつきのローブを纏った小さな子供……いや、小人だった。
「それにしてもクゥダフがこんな街道まで出てくるとは、運がなかったというか。それとも君、アイツに何かしたのかい?」
ああ、やっぱあれクゥダフだったのか。
命が助かったという安堵にへたり込んだ俺は、なにを考えるよりもまず自分の考えがあたっていたことに納得してしまっているのであった。
伝説は、こうはじまる。
すべての起こりは「石」だったのだ、と。
遠い遠いむかし、
おおきな美しき生ける石は
七色の輝きにて闇をはらい、
世界を生命でみたし、
偉大なる神々を生んだ。
光に包まれた幸福な時代がつづき、
やがて神々は眠りについた……。
────世界の名は、ヴァナ・ディール。
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一人称書きやすい。
本作は逃げ男氏の『ゼンドリック漂流記』、検討中氏の『ログアウト』、黄金の鉄の塊氏の『Atlus-Endless Frontier-』に強い影響を受けているような気がします。