暗闇の中でもうどれほどつるはしを振るっただろうか。
明かりの届かない深い穴倉の中で長時間を過ごしてみて、人間の感覚はこんなにも日光に依存しているのかと実感する。すでに今が朝なのか夜なのかもよく分からなくなっていた。
そりゃあ以前は一日中部屋にこもってゲームをプレイし続けたこともあるが、それでも外の明かりを感じない時間はなかった。
やはり俺たちは穴の底で生きるのには向かないようだ。
そして体の疲労以上に、心が疲れてきている。
いまだにミスリルの鉱石がただのひとつも見つかっていない事実に。
「くそ、ホントに枯れちまってるんじゃないのか……?」
スニークが切れ、小休止をはさんだタイミングで思わずぼやきがもれる。
「…………」
タバサは何も答えない。だがその表情に、少なからず疲労の色が浮かんで見えた。
彼女も肉体労働こそ俺に任せきりなものの、何度もスニークをかけては瞑想して魔力を回復させている。精神的な消耗は俺以上のはずだ。
まったく考えが甘かった。
確かにゲームの中では、パルブロ鉱山からミスリルを採掘してくる程度、裸一貫つるはしだけ持っていけばいいようなお手軽な仕事だった。
そう、それがゲームの中なら。
この世界がゲームの世界ではないとあれほど思い知っていたはずなのに、ほいほい採掘なんて引き受けた結果がこれである。
クゥダフがすでに鉱山を掘り返してしまったのか、それ以前から枯れていたのか、あるいはそもそも俺の掘っている場所が悪いのか。
意味のない問答を心のうちにしまいながら、筋肉のこわばった腕を揉み解そうとして、しかしそれすら億劫になって俺はその場に腰を落とした。
今は無造作に立てかけてあるつるはしは、すでにバーベルよりも重く感じられる。
これまで感じていなかったはずの鎧の重量とあわせて、肩はここいら岩肌のようにがちがちにこわばっていた。
水をかけたようにびしょ濡れの下着が肌に張り付き、不快感がいっそう増す。
「きっつ……」
今までは。
何をするにも、どこまで足を伸ばすにも、自分がヴァナ・ディールで冒険しているという事実がどんな疲れをも上回っていた。
ダングルフの蒸し暑さも、獣との戦いも、その体を捌いて皮や肉を手に入れるなんていう慣れない仕事も、全て好奇心と冒険心で乗り越えられた。
しかし、この闇の中で、敵の気配に神経を尖らせながら終わりの見えない重労働を長時間続けるという行為は、そんな俺のやる気を加速度的に削っていく。
ちょっとばかり調子に乗っていたのかもしれない。
ヴァナ・ディールのことなら今この世界の誰より詳しい気になって、すっかり伸びきっていた鼻を思い切りへし折られている気分だ。
一方で納得している心もある。こんな仕事やりたがる冒険者はそうそう居やしないだろうな、と。
この仕事、やり遂げられればアイゼン一式くらい胸を張って受け取れる。
だが……。
「…………そろそろ」
「ん?」
「諦めることも考えるべき」
タバサの言葉は、俺の脳裏にちらついていた言葉そのものだった。
パルブロ鉱山に侵入してからの正確な時間の経過はわからないが、体感的にはもう半日程度は穴を掘り続けているはずだ。
これ以上採掘を続けるのは、体力的にも物理的にも厳しいものがある。
食料も水も、それほど量は用意していないし、この場所でキャンプを張る気にもなれない。見張りを立てることを考えると、2人では落ち着いて体を休めることは望むべくもない。
ゲンプから引き受けたこの仕事、放り出すにしろ一度戻って再挑戦するにしろ、そろそろ潮時だろう。
いずれを選んでも、今回の冒険は失敗に終わる。その決心をする時期が近づいてきていた。
「くそ……」
正直言って、悔しい。情けなくもある。
ゲンプの前であれほどえらそうな口を利いておいて、その顛末がこれだ。素材収集なんて冒険の片手間にやる仕事と侮っていたと言わざるを得ない。
せめて仲間を募って人手を増やすか、あるいはもっとこの鉱山に詳しい人間を案内につけるなりしていれば、話は違っていたかもしれないのに。
今ならああすればこうすればと出てくる案も、出発前の俺には微塵も浮かんでこなかった。
笑える話だ。
舐めてかかって仕事を失敗するなんて、駆け出し冒険者のいいお手本じゃないか。
つまり、俺は結局その程度の冒険者でしかなかったというわけだ。
────引き上げよう。
自嘲しながら、そう決めた。
もう少し、もう一度スニークをかけた分だけでも続ければ、そんな考えも脳裏をよぎったが、その下手な博打に賭け金を出すのは俺だけではないのだ。
「……そうだな、今回はここらで切り上げよう」
澄んだ瞳をじっとこちらに向け、終始黙って俺に従ってくれていたタバサに、申し訳なさが膨れ上がる。
「悪い、俺の見込みの甘さで無駄足踏ませちまって」
彼女はただ静かに首を横に振った。
「……もう一度挑めばいいだけ」
……どうやら、タバサもなかなか負けず嫌いらしい。
思わず笑みが漏れる。
依頼を失敗に終わらせるつもりはないらしい彼女の言葉に、俺の沈みかけていた闘志も首をもたげてきた。
冒険者たるもの、1度や2度の失敗でくじけてはいられない。何度敗北したって笑って次に備える、それが俺たち冒険者だったじゃないか。
「そうだな、次こそミスリルを見つけてやる」
拳を握り締めた俺の言葉に、タバサは、やはり静かに頷くだけだった。
ずし、と低く響く足音と、岩を転がしたようなうなり声が聞こえてきたのはそのときだった。
「……ッ!?」
俺たちのいる袋小路の出口に、ずんぐりとしたシルエットが姿を現した。
右手に長剣、左手に盾を携えたクゥダフの戦士だ。
まずい。
休憩を取っていた俺たちにはいま、スニークの魔法はかかっていない。逆に今から呪文を唱えれば、その声を聞きつけられる可能性が高い。
だが幸いなことに、通路の入り口できょろきょろとあたりを見回しているクゥダフは、どうやら俺たちの存在にはまだ気づいていないようだ。
この距離ならばこちらが大人しくしていればそのままやり過ごせるかもしれない。
万が一に備えて右手を剣の柄にかけながら、左手でタバサにじっとしているように合図する。
視界の隅では、タバサも剣に手をかけていた。
(このまま立ち去るまで待とう)
口の動きだけで伝えたが、タバサはきちんとそれを読み取ってくれたらしく、ひとつ頷いてじっと息を潜め続ける。
クゥダフは何かを探しているのか、それとも巡回の途中なのか、しきりに視線をあちらこちらに動かしている。
ずん、と一歩こちらに踏み出してくる。
鼓動がひとつ高鳴る。早鐘を打つ心臓の音を聞きつけられやしないかと、いやな汗が背中を伝う。
しつこく通路の中を見回しているクゥダフは、しかしその低い視力では俺たちを見つけられないでいる。どうにか音も届いていない。
やがて、そいつは興味を失ったのか、ふいと首をもと来た道へと向けた。重苦しい動きで振り返り、亀の甲羅のような鎧の背をこちらに向けた。
まだ安堵の息を吐くのは早いが、それでもどうにか騒ぎは回避することが出来そうだ。
自然、肩から力が抜ける。
無造作に壁に立てかけられていたつるはしが床に倒れたのは、その次の瞬間だった。
バランスを崩したのが何の拍子だったのかは分からない。
ただその鉄が石を叩く甲高い音は、壁に天井にと跳ね返り、鉱山全体に響いたのではと思えるほどに大きく反響した。
ぶわりと、背中に尋常ではない量の冷や汗が浮かぶ。あれほど汗だくになったというのに、どこにこれほどの水分があったのか。
────ぐぐぅ……?
立ち去りかけたクゥダフが、ぎょろりと光の灯らない瞳を通路に向けた。
先ほどのように忙しなく顔を動かす様子は見られない。じぃっとこちらを見つめている、いや、耳を澄ませている。
頬を伝って落ちた汗が一滴、顎の先から地面へと垂れた。
それは何の音も立てず、地面に吸い込まれていった。そのはずなのに。
────ぐげげげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
「援護しろタバサ!!」
背後に向け叫び、剣を抜き放ちながら駆け出す。
一歩目を踏み出したのは俺とクゥダフのどちらが早かったか。だがあの図体で押し込まれては厄介だ、特に後ろに魔道士を庇いながらでは。
足の速さでは俺に軍配が上がった。クゥダフの戦士がこちらに詰め寄りきるより早く、俺は剣を上段に振りかぶり、刃を叩きつけた。
だがその一撃は、クゥダフの掲げた盾によって防がれた。代わりに返ってくるのは横薙ぎの刃。
「……ッ!!」
避けた、というよりも首をすくめたら剣がその上を通り抜けたような感じだ。
やばい。
率直にそう思った。
何しろダングルフの涸れ谷での一件を別にすれば、獣人と……剣を持った相手との戦いはこれが初めてだ。
明確な殺意を持って振るわれた刃に、俺の心は一瞬竦みあがった。
クゥダフはその一瞬を見逃さなかった。
こちらの動きが止まった刹那に、大きく一歩二歩と踏み込みながら、立て続けに長剣を振るう。
防戦に追い込まれると、余計にその刃が恐ろしく感じられ、俺はひたすらに避け続けるしかなかった。
クゥダフの振るう剣は思いもよらぬほど鋭い。剣筋も、そして磨き上げられたその刃も。
体を捻って刃をかわす度に空気を引き裂く音がする。切っ先を剣で受け流す度に、白く火花が散った。
鈍重な亀のような姿をしていても、こいつはいっぱしの武人だ。高い冶金技術によって鍛えられた剣も断じてなまくらではない。
一方で俺は、剣も盾もメルのおさがり。心は冒険に舞い上がっていたずぶの素人。
くそったれ、クゥダフがちょっとしたトラウマになってきやがった。
どうもヴァナ・ディールに来てからというもの、こいつらにはろくな目にあわされていない。
だがここで挫けるなど、もってのほかだ。
「《プロテス》」
白い光が俺の体を包み込んだ。タバサの放った魔法が、凶刃から俺の身を守ってくれる。
そうだ、もう分かっていたはずだ。
後ろに護るものがいる限り、ナイトは決して倒れてはならない……!!
「舐めんなカメ野郎……!!」
袈裟懸けに振るわれた刃を盾で弾き、負けじと剣を振るう。
がむしゃらに繰り出した一撃はクゥダフの鎧に阻まれたが、それでもそのままよろめかせる程度の威力は籠もっていたようだ。
「あの時驚かしてくれた恩は忘れてねえぞ……!」
かなり八つ当たりが入っていることは自覚していたが、それで俺の闘志はどうにか持ち返した。採掘の疲れと恐怖に痺れていた右手に、力が戻ってくる。
先ほどのように一方的に攻め込まれることを許さず、覚えている限りの技をもって刃を繰り出す。
だがクゥダフもさるもので、俺の攻撃の隙を縫っては果敢に攻め返してくる。
お互いに決め手にかける剣戟の応酬が続く。
今はまだ拮抗している。しかし長時間の重労働に削られた俺の体力は、おそらくクゥダフより長く保つことはない。
せめて採掘に精を出す前なら……。
いや……問題ない。
浮かびかけた弱音はすぐに振り払われた。
鋼の打ち合わされる音の合間、囁くような詠唱が背後から聞こえてくる。
俺は守りの盾だ、攻めの刃は後ろにいる。
もう幾ばくもなくタバサの呪文がクゥダフに襲い掛かるだろう。その判断を誤る少女ではないと、不思議な確信があった。
それまで耐え抜けばこちらの勝ちだ。とどめの一撃に備えて闘気を練り上げながら、その瞬間を待つ。
大上段で振るわれたクゥダフの刃を、盾を掲げて受け止める。
重い……けど耐えられない重さじゃない……!
両足に力を込め、力任せに押し込もうとする刃をどうにか堪える。
もうすぐだ、もうすぐ決着がつく。
────…………!! ぐぎぃ……! ぐげ、ぐぎぃ、ぐぎぃぃぃぃぃ!!
……なんだ?
突然クゥダフの様子が変わった。
暗闇に慣れ、わずかにしか光を映さない目を大きく見開き、つばを撒き散らしながら何かを喚いている。
「うぉっ!?」
そして剣を引いたかと思った刹那、始まったのは力任せの猛攻……先ほどまでとまったく剣筋が違う!
まるで怒りに任せたかのような苛烈な攻撃に、俺はまたしても防戦を強いられる。
一撃一撃を盾で受け止めるたびに走る衝撃が、急速に腕を痺れさせる。
そしてまるで、盾で受け止めるごとにその力が増しているような……。
(頼む、急いでくれ……!)
だが、悪いことは重なるものだった。
猛攻を続けるクゥダフの向こう、袋小路の入り口。目の前に迫る姿と同じ、丸みを帯びた亀のシルエット。片手には杖を握っている。
冗談じゃない、いつの間に……!!
「まずいタバサ、もう1匹来てる!! 魔道士だ!!」
思わずそう叫んだのは、間違いなく失策だった。
詠唱に集中していたタバサは、突然の言葉に状況を確かめようと顔を上げ、そして呪文の詠唱を中断してしまった。
当然ながら魔法の呪文というものは、途中から唱えなおすというわけにはいかない。
タイムリミットは引き伸ばされた。そして目の前の戦士の猛攻は、いまだ留まるところを知らない。何がこいつをここまで駆り立てているのか……。
どうする? どちらを先に仕留める?
逡巡するが、俺がこいつを釘付けに……いや、こいつに釘付けにされてる以上、戦力を分散させるのは悪手だ。
「戦士から潰すぞ!!」
「…………!」
タバサが再び詠唱を始める。
だがそのときにはすでに、後から来たクゥダフの魔道士が詠唱を始めていた。戦士クゥダフの肩越しに、魔力が渦巻くのを感じる。
タバサがどれほど素早く詠唱出来るか分からないが、このタイムラグはあまりに大きい……!
戦士の剣戟をいなし続ける俺の周りに、魔力の光がきらめき始める。
タバサの唱えたもの……ではない!
輝きは吸い込まれるように地面に落ちる。
一瞬の後。
「ぐぅッ……!?」
ぼごり、と音を立て俺を襲ったのは、足元や周囲の壁の中から飛来した無数の拳大の石ころ。つぶての呪文か……ッ!
四方から飛び出た石つぶては、腕に胴にと容赦なく突き刺さる。
「が……はッ…………!!」
肺の奥から無理やりに空気が押し出される。
まるで何人もの相手に囲まれて袋叩きにされている気分だ。魔法と鎧に守られていてなお、耐え難い痛みが体中をえぐっていく。
間髪入れず襲いくる魔法の暴力を避けようと体を捻り、
「う、わ……!!」
俺は脚をもつれさせ、盛大に尻餅をついた。
「ちぃ……ッ」
慌てて起き上がろうとして、気配を感じた。
這いつくばった俺の前に立つ大きな影。いっぺんの慈悲も無く剣を振りかざすクゥダフの戦士。
目が逢った。
何の色も灯さない瞳を見上げる。
いや……違う、そこには確かに感情の色がある。ある1色に塗りつぶされた瞳を見上げ、俺の中でかちりと何かがはまった。
振り上げられたその刃、体を覆う背甲。
俺とヤツの腕にはまっているもの。
(そういうことかよ……)
クゥダフの戦士を駆り立てていた感情……その"憎しみ"の意味に気づき、俺は臍を噛む思いでただ振り下ろされようとする刃を見つめた。
「《エアロ》!!」
────げぐッ! げぇっげげぐげぇぇぇ……ッ!!
見えざる刃がクゥダフの肉体を引き裂いていく。ひゅんひゅんと音を立てながら渦巻く魔法の風は、無防備に晒されていたクゥダフの喉や動脈を、無慈悲に切り裂いた。
憎悪に我を忘れ、執拗に俺の命を狙っていたクゥダフは、風の刃から身を守ることもままならないまま体中をズタズタにされ、断末魔の悲鳴を上げて崩れ落ちた。あるいはそれは、呪いの言葉だったのかもしれないが。
戦士の絶命を見届けた瞬間、とっさに体が動いたのは我ながら上出来だったと思う。
剣は取り落としていない。闘気はまだ体の中に渦巻いている。
前衛が倒れたことに狼狽しているクゥダフの魔道士に駆け寄りながら、滾る闘気を練り上げ、剣へと流し込む。刃が赤熱する。
苦し紛れに杖で殴ろうとした魔道士を、あらん限りの力を込めて盾で打ち付け、バランスを崩したところに剣を振りぬく。
振りかざした剣で袈裟懸けに斬りつける瞬間、あふれ出た闘気が炎となって刀身から噴出し、クゥダフを手ひどく切り裂き焼き焦がした。
紅蓮剣……!!
決着は一瞬。
魔道士はその一撃で、苦悶のうなりを上げて息絶えた。
「………………っは! はぁッ、はぁッ……!」
剣を振りぬいた姿勢のまま、無意識に止めていた息を大きく吐き出した。
いつから止めていたのか自分でも分からないが、ずいぶん久しぶりに呼吸をした気がする。
肩を喘がせるほどに、すっかり息が上がってしまっている。
疲労よりは、緊張で、だろう。
芯から相手の死を願う強烈な憎悪、そんなものに曝されたのは言うまでもなく初めての経験だ。
あのにごった瞳にありありと浮かんでいた憎しみの炎は、息絶えるその最期の瞬間まで決して衰えることは無かった。
魔法の風に切り裂かれながらなおも俺に向けられていた憎悪の念は、しばらく忘れられそうにない。
確かに人間……バストゥークの民はクゥダフたちの強い恨みを買っている。その要因こそ今俺たちがいるこの場所にある。
もともと、ここパルブロ鉱山はバストゥークのものだったが、15年ほど前にクゥダフに奪われ……その事件はこう呼ばれている。"パルブロの復讐"と。
なぜ"復讐"なのかって?
それは、さらにさかのぼって元を正せば、パルブロ鉱山はクゥダフたちの聖地だったからだ。
だが、そこにミスリルの鉱脈を見出した当時のバストゥーク人が、先住民たるクゥダフたちを、文字通りただの1匹も残さず殲滅し、奪い取った。
その日のことを彼らは"赤き炎と血の日"と呼んでいるそうだ。
だからクゥダフはバストゥークの民を強く憎んでいる……けれど。
物言わぬ屍となったクゥダフの戦士を見つめる。
大きく見開かれた瞳に、背筋が粟立つ。いまだにその瞳には俺への怨念が浮かんでいる気がした。
そう、このクゥダフが抱いていたのは"人間への"恨みではない。"俺への"憎しみだ。
「……様子が変わった」
近くに寄ってきたタバサが、やはりクゥダフの屍を見下ろしながら言った。
彼女にも豹変した戦士の様子が見えていたのだろう。
「多分、こいつのせいだろうな」
左腕に握っていた盾を、亡骸のそばに放り投げる。
メルに譲ってもらった甲羅の盾を。
「あ」
タバサも気づいたようだ。
この盾はメルがクゥダフから入手し、それを譲り受けたもの……そんなものをつけてパルブロ鉱山をうろつくなど、クゥダフたちの神経を逆撫でする行為に他ならなかったわけだ。
きっとあの戦士の目に映る俺の姿は『過去の虐殺に飽き足らず、仲間を殺し、その装備を身につけ、聖地を荒らして回る怨敵』というところだろう。
そりゃあブチ切れるというものだ。もしそんな奴がいたら俺だって冷静でいられる自信は無い。
まったく、ここに来るまでそんなことにも気づかないとは、間の抜けた話だ。
「いろいろ勉強になるよ、今回の冒険は……」
声色から疲労は隠せないが、本当に学ぶことは多かった。
敵も無機質なNPCではないのだ。そうそうあるわけではないが、もう獣人由来の装備はあまり使いたくないな……。
「ふう……ともかく、早いところここを離れよう。今の騒ぎを聞きつけられたら……」
言うが早いか、来た道の向こうからどすどすと響くいくつもの足音が、こちらに向かって近づいてきていた。
「言わんこっちゃない……行こうタバサ……タバサ!?」
振り返ってみると、傍らに居たはずのタバサの姿が見当たらなかった。
と思ったら、何を思ったのか彼女は、先ほどまで戦闘を繰り広げていた袋小路に屈みこんで、何かを拾い上げていた。
暗がりで何を手にしていたのかは分からないが、今それを言及している暇は無かった。
「急げ、逃げるぞ!!」
角灯の薄明かりを頼りに、手に持った何かをためつすがめつ見ているタバサはなかなか立ち上がろうとしない。
迫る足音はひとつやふたつではない、とてもじゃないが2人で対処できる数じゃないってのに。
くそ、こんなときにマイペースさを発揮しなくてもいいだろうに!
仕方なしに、タバサに駆け寄りその腕をつかむ。
はっとこちらを見上げる彼女だが、それで言いたいことは察してくれたのか、さして抵抗することなく立ち上がった。最初からそうしてくれ。
袋小路を抜け出し、そこからはひたすら鉱山の中を逃げ回る羽目になった。
暗闇の迷路で終わりの見えない鬼ごっこだ。出口へ向かう道は最初にクゥダフたちに塞がれてしまったため、奥へ奥へと向かわなければならなくなったのも痛い。
背後から迫る足音から逃げながら、時折曲がり角などで不意にすれ違うクゥダフをやり過ごし、休む間もなく必死で走り続ける。
ごつごつした地面に足を取られそうになった回数はもう覚えていない。曲がった先の道が格子戸で閉ざされていて肝を冷やしたりもした。
自分たちがどこを走り回っているのかなど、とうの昔に見失ってしまった。
これは、本格的にまずいかもしれない。
どうもさっきから、逃げ回るにつれてどんどんと足音が増えている気がする。まさか生身でパルブロ伝統の亀トレインを体験することになるとは。
色んな意味で怖すぎて後ろを振り返りたくもない。
つないだ手に感じる少女の存在だけが、どうにか俺にこの逃亡劇を続ける気力を与えてくれる。こいつだけでも無事に逃がさなければと。
だがアリの巣状に広がる鉱山は、どちらを向いても同じような岩肌が続くばかりで、出口はおろか、自分たちが先ほどと同じ場所を走っていないという保証さえ得られない。
ただとにかく、なるべく敵の気配がしないほうを選んで進むしかない。
ああくそ、また分かれ道だ。
立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。
しかし一度立ち止まってしまったせいで、両足にどっと疲れがたまる。膝が痛む。はぁはぁとうるさい音は、自分の吐息だ。
「く、そ……どっちだ……」
「音」
「はぁ……はぁ……なに……?」
「水音、右手から」
水……?
川でも流れているのだろうか、この鉱山の奥底で。
だが川に出たところでどこに繋がってるかわからないようじゃ何の助けにも……。
「いや、待て……そうだ、繋がってる」
それが俺の知っている通りの川なら、それは間違いなくこの窮地を脱する唯一の突破口になる。
パルブロ鉱山の奥に流れる川は、その下流がバストゥーク国内に拓かれたツェールン鉱山まで続いているからだ。
けれどそれは、あくまでゲームの知識だ。もしも違うものだったら……あるいはたとえ繋がってたとしても、船が無かったら?
様々な可能性が浮かんでは消える。
背後に迫る鈍重な足音たちは、選択肢を吟味する時間を与えてはくれない。
川に出て逃げられるかどうかは、賭けだ。だがこのまま鉱山の中を逃げ続けるのは、もっと分の悪い賭けだ。
「リック」
タバサの眼鏡越し、青い瞳がじっと俺を見つめていた。
「決めて」
そのひと言に押され、俺たちの命運を賭ける道を選んだ。
「川に向かうぞ、上手くいけばここから抜け出せるかもしれない」
頷くタバサの了承を確認して、再び走り出す。
道を曲がると、開け放たれたままの格子戸がひとつあった。
そして扉をくぐった先には、木を組んで作られた桟橋と、その向こうに横たわる黒い流れ。
さあさあと緩やかに流れる川は、確かに存在した。
果たしてそこに船は……あった。
桟橋にロープでつながれたいかだが、流れに揺られながら俺たちを待っていてくれた。
「タバサ、ロープを!」
駆け出すタバサを見送り、視線を背後に移す。
走り抜けてきた暗闇の向こうから、どすどすと重たいいくつもの足音が迫ってきている。
蝶番のさび付いた、重たい格子戸を閉める。少しでも時間を稼がないと。
だがかんぬきが無い。咄嗟に自分の体で扉を押さえた。
直後。
ずんっ!
「ぐぉ……ッ!!」
一体どれほどのクゥダフが押し寄せてきているのか、吹き飛ばされそうなほどの衝撃が背中に叩きつけられた。
格子戸がもう少し軽かったら、たちまち吹き飛ばされていたかもしれない。
必死に両足を踏ん張り、戸を開けさせまいと押さえつける。
がりがりと背中を引っかかれる感触がした。格子戸の隙間からクゥダフどもが腕を伸ばして来ている。
げぇげぇと不愉快な声がすぐ真後ろから聞こえてくる。
タバサは、まだか……!?
見れば、彼女は剣でロープを切り落とし、いかだに乗り込んだところだった。
その視線が俺を見る。だがまだダメだ。
「出せ! 今行っても追いつかれる!」
その言葉に彼女の瞳が一瞬揺れたように見えた。
迷いはごくわずかだった。
タバサは即座に桟橋の脚を蹴り、いかだを川の流れに乗せた。
緩やかな速度で徐々に下流へと進み始める。
まだだ、まだ距離が近い……。
クゥダフどもが体当たりをし始めた。だんだんと扉が押し開けられる。とがった爪を持つ腕が、扉の隙間にねじ込まれた。
川の中ほどまで流れたいかだの上で、タバサが振り返る。
来て、と唇が動いたように見えた。
「くぉ、の……!!」
腰に佩いていた剣を引き抜き、扉をこじ開けようとする腕に叩きつける。
ぐげぇ、と甲高い悲鳴がひとつ聞こえ、挟まっていた腕がぼとりと落ちた。
いまだ……!
あらん限りの、そして最後の力を振り絞って格子戸を押し戻す。火事場の馬鹿力というやつか、開きかけていた扉が一瞬、閉じた。
その瞬間を見逃すわけには行かない。
咄嗟の判断で俺は、手にしていた剣をかんぬきの代わりに扉のフックに差し込んだ。
駆け出す。
いかだは順調に川を流れていく。
桟橋との距離が開いていく。
間に合え。
それほど長い距離ではないはずなのに、100mも200mも遠くに感じられた。
腐りかけた木の板を踏み越える。
桟橋が終わる。
タバサが手を伸ばし、こちらに差し出しているのが見えた。
踏み切った瞬間は覚えていない。
気づけば俺の体は黒い水の上にあり。
「うおぁッ」
いかだの上を転がり、危うく反対側から川に落ちるところだった。
に、逃げ切った……?
いかだは俺が飛び乗っても沈む様子はなく、いっそのんびりさえ感じる速度で桟橋を離れ、下流に向かっていく。
「…………無事?」
声は仰向けになった俺の胸の上から聞こえた。
俺を受け止めようとしたタバサは、そのまま俺と転がってしまったようだ。
潰さずに済んで本当に幸いだ。
「無事だよ、おかげさまで」
疲労困憊だが、肉体は無事だ。
「あちこち痛むけどな」
「そう」
クールな娘だ、それだけ言うと胸の上から退き、俺の手を取って上体を起こしてくれた。
背後で、べきん、と何かがへし折れる音。
視線をやると、桟橋には扉を破ったクゥダフたちが殺到している。川を下っていく俺たちに向け、悔しげなうめき声を高々と上げていた。
どうやら、間違いなく逃げ延びたらしい。
俺たちはその光景を、見えなくなるまでじっと見つめ続けた。
水路には明かりが灯っておらず、やがて真っ暗な中で水流の音だけが聞こえるようになった。
タバサが腰に下げていた角灯に火を灯し、ようやくいかだの上の様子が見て取れるだけの明るさが訪れる。
このまま下流に向かえば、ツェールン鉱山へたどり着くはずだ。どれほど時間がかかるか分からないが、行きよりも短い時間で帰れることは間違いない。
「まったく、とんだ冒険になっちまったな……」
かばんから取り出したパンをかじりながら1人ごちる。
獣人という奴の生の姿を目の前にしたこと、剣と剣の戦いや、黒魔法をこの身をもって体験できたこと。
そして冒険という奴はどんなに簡単に思えても、侮ってかかってはいけないことなど、学んだことは確かにいろいろある。
だが実質的な収入は今のところゼロだ。
いや、旅費や、メルから譲り受けた剣と盾を両方とも失ってしまったことを換算すれば立派な赤字である。
このまま帰ってまた新しい装備を調達しようと思ったら、俺の懐は相当にお寒いことになるだろう。
もちろんゲンプの鎧も手に入らず仕舞いだ。
「やれやれ……いちから出直しだな」
分かっていても落胆は禁じえない。
心が折れそうだ、である。
っていうか考えてみると、パルブロで採掘できるミスリルってあくまで砂金であって、鉱石は出るんだっけか? もうはっきり言ってその辺はうろ覚えだ。
いかん、パルブロの鉱脈が枯れているとしたら本気でゲンプの依頼を解決するのが難しくなる。
ギルドや店売りで入手する目処が立たないから俺に頼んできたわけで、ここがダメだとなると他で入手するのは相当厳しい。
グスゲン鉱山はすでに枯れていることが名言されているし、あとはムバルポロスくらいか……?
どっちにしろ現状でそこまで足を運ぶのは難しいという事実に頭を抱えていると、タバサがなにやらごそごそとかばんをあさり始めた。
「これ」
「……? なんだこれ」
タバサが差し出してきたのは拳大の、なんというか、どう見ても石ころだった。
おそらくあの袋小路で拾っていたものだろうが、これが一体どうしたというのか。
彼女の意図がまったくつかめないまま、差し出された石ころを受け取る。
どこから見てもそれは、何の変哲もないただの石ころ……じゃ、ない?
「お、おい、まさか……」
まさか。
そんな馬鹿なという疑いと、もしかしてという期待を込め、その石ころにわずかな魔力を流し込む。
"それ"を覆う表面の土を透かして見える、かすかな白銀の輝き。
ミスリル。
元々は『灰色の輝き』を意味する魔銀の鉱石が、今手の内にあった。
「タバサ、お前これ、なんで……」
「クゥダフの魔法で飛び出てきたもの。ひとつだけ輝いていた」
なんてこった。
あのときクゥダフの魔道士が放ったストーンの魔法、それに操られ俺に突っ込んできた石つぶてのひとつが、まさに俺たちが捜し求めていたミスリルだったって言うのか。
そんな偶然があるのか、あっていいのか。
あるいは信心深い者なら、これこそアルタナの導きとでも言うのだろうか。今なら俺もうっかりそれを信じてしまいそうだ。
「あ、あは、はははは……あははははははははは!!」
「………………」
もう心中をどう表していいかも分からず、俺は無性に可笑しくなってしまい、ただただ笑いながらタバサの手を取ってぶんぶんとシェイクハンドを繰り返した。
タバサは終始無表情で、しかしどこか満足げな面持ちで、ただされるがままにしているのであった。
「おかえり、メル」
「ただいまリック。やぁ、ずいぶん立派な格好になったね」
後日、コロロカから戻ったメルを迎えた俺は、白銀の鎧に身を包み、たいそう自慢げな顔をしていたそうだ。
===
白===
赤====
ただいまー>為=== ナ===
シ===
戦===
・すみません帰ってきました。ヴァナでまた冒険したくなったので。
・新生エオルゼアやりたいけど出来ないとかは無関係です。
・結局南極本編中にタバサが復活しました。シルヴィアごめん。
・言い訳にしかなりませんが、もともとゼロ魔のクロスも現実転移も両方書きたいと思って始めたことだったのを思い出したので、その路線に戻します。
・リックにとってはタバサらはあくまで冒険者仲間であり、ゼロ魔側の事情に踏み込む予定はなし。
・番外編ではタバサやルイズのヴァナでの冒険を書く……予定かも、しれない。
・ゲンプの依頼内容を変更しました。パルブロ鉱山内ではスチームスケイルを着ています。
・新生エオルゼアやりてぇなー!!!