ジジがバストゥークを発ったのはその翌日のことだった。
「少しお金も出来たし、これ以上セルビナの町長さんを待たせるのも悪いもの」
朝方に俺たちの部屋を訪れたジジは、すっかり旅支度を整えた格好でそう言った。荷物の中にはもちろん、俺たちと写しに行った碑文の刻まれた粘土が入っている。
商業区の門の前、俺たちは一時の仲間だった彼女を見送りに来ている。チョコボに乗れないジジはここから徒歩でセルビナを目指すことになるわけだ。セルビナから船に乗り、また歩いて……ウィンダスまでは早ければ5日ほどの道のりになるだろう。
「本当はメルも来れればよかったんだけどな」
「仕方ないじゃない、あんたが送り出したんでしょう」
「そうなんだけどな……今日出るならそう言ってくれりゃいいのに」
この場にメルはいない。彼は昨日話題に上がったミッションに……おそらくはコロロカの洞門の調査隊に参加するためにまだ夜も明けきらないうちにモグハウスを出たからだ。
昨日の時点ではメルに参加の意志はなかったのだが、その理由が「リックが行けないから」だったために俺が半分押し出す形で参加させたのだ。メル自身少なからずコロロカの洞門に興味を持っているようだったし、俺もいつまでも彼に付きっ切りでいてもらうわけにも行かない。ここらでしばらく1人で活動するのはいい経験になるはずだ、言わずもがな俺にとって。
これがメル1人でとなると逆に俺が心配になってしまうところだが、そもそもこの話を持ち出してきたユーディとレオンハートの2人がバストゥーク民としてながら参加すると言うことなのでそのあたりの心配は無用だろう。どちらかというとこの2人に心配性なメルを押し付けたというのが正しいかもしれない。その代わりに俺も押し付けられてしまったものがあるわけだが……。
しかしジジがバストゥークを離れてしまうというのに見送りにも来れないというのは、少しタイミングが悪かったと言わざるを得ないだろう。
「全く、見送りなんて必要ないって言ってるでしょう」
「だからって一時は仲間だったのにはいさようならって訳にはいかないだろう」
「大げさ。それに……あんたも、ウィンダスを目指すのよね?」
「まあ、身の回りの支度ができたらになるけどな」
それからジジは、歯切れ悪く口の中でもごもごと何かを呟いてから、やがてまっすぐこちらを見据えて言い放った。
「だったら、また会うこともあるわ。あたしたちは冒険者なんだから」
確かに。
そうなったらそれは、実に冒険者らしい巡りあわせというべきだろう。俺たち冒険者の道は、決して一本ではないがしかし、必ずどこかで交じり合っているものだから。
「ただし、ウィンダスでのんびり待ってるつもりはないわよ」
「言ってろよ、すぐ追いついてやるからな」
突き出した拳を打ち合わせたのを合図にして、ジジは踵を返して歩き出した。その背中になんと声をかけようかと思ったが……ここで言うことなんて1つしかないだろう。
「またなジジ、よい旅を!」
俺の声に、無愛想なミスラは尻尾を振って答え、バストゥークの門を駆け出していった。
「さて、と」
ジジを見送り、クラウツ橋を戻りながら俺はこれからどうしたものだろうかと頭をひねった。
ミッションに向かったメルたちは短くとも3日は帰ってこないはずだ。その間は1人で資金稼ぎなりなんなりしなければならない。
いや……。
正確には1人ではないか。
朝からずっと、ジジを見送るときも無言で傍にいた"押し付けられた荷物"に目をやる。
「…………」
青銀の髪のヒューム、タバサ。
何故彼女がここにいるのかと言えば、つまりユーディの言っていた任せたいものというのがタバサのことだったわけである。
もともとコンビを組んで活動していたユーディとレオンハートは、やはりこのミッションにも2人で参加するつもりだったが、しかしここに来てタバサという面倒を見なければならない相手が出来てしまった。レオンハートはガルカとして、ユーディはバストゥークに住む者として、何より2人とも冒険者としてこのミッションに参加しない道理はなかったが、しかしいくら本人が問題ないと主張していても、タバサを1人にすることも、かといって一緒に連れて行くことも出来ない。
そこでユーディが目をつけたのが俺と言うわけだ。こっちとしては1人でどうにかやりくりしようと考えていた矢先のことだし、俺自身も冒険者としては駆け出しだからと断ったのだが、気づいたらユーディのよく回る口に押し切られていた。「リックになら任せられる気がするのよね」と我が物顔でのたまう彼女は、単にお荷物を押し付けたかったのではないかと邪推してしまう。
本当のところはこっそりジジを当てにしていたのだが、それもご破算になってしまった。これからの数日間、俺はこの無口な少女と2人でやっていかないとならないということだ。
「どうするかなぁ」
「…………」
ちら、と視線を向けてもタバサは無言で歩みを進めるばかり。閉じた貝だってもう少しくらい口を開くだろうに、彼女の口数の少なさはサイレスでもかけられてるのではないかと思わんばかりだ。レオンハートも寡黙な男だったが、お互いに前衛職ということもあってか会話に困る相手ではなかった。対してタバサの沈黙は、昨夜は気づかなかったがどことなく人を拒む気配を持っている。
「……酒場でも行くか」
ため息混じりに呟いた行き先は、もちろん昼日中から酒を煽ろうという意味ではない。
酒場には街に住むもの、旅人、そして冒険者、あらゆる人々が集い、そして酒の肴に雑談や噂話を交わしていく。同時に街の人間にとっては冒険者を捕まえるのに最も適した場所でもあり、冒険者からしてみれば「仕事と情報が欲しければ酒場に行け」と言われるほどのいわば情報の駅になっているわけだ。加えて蒸気の羊亭では店の仕事の一環として仕事の斡旋も行っている。まあ斡旋と言っても小銭程度の手数料で店に依頼の案内を張り、仕事を探す冒険者にそれを紹介している程度だが、それでもあるとなしとでは双方にとって利便性が段違いであり、非常にありがたいことに変わりはない。
つまるところ仕事を捜しに行こうといっているのだが……仕事を捜しに酒場に行く、現代人の感覚からするとかなりアレな言霊だ。
しかしタバサはといえば、俺の言葉を聞いているのかいないのか、相も変わらずに無言を貫いている。
「聞いてるか? それとも他に行きたいところでもあるのか」
「…………」
分かった。俺わかった、これは無視されてるんだな。
そっちがそういうつもりなら好きにしろ、と言ってもいいのだが、俺としても任された仕事を放り出すのは気が引けるし、それに彼女は……どこか異邦人の気配がする。この土地に慣れていない、というタバサを1人では行かせられないだろう。
「何が気に食わないか知らないけどな、シカトするなら俺はこのままお前に付きまとうぞ」
「…………」
小さな背中に声をかけると、タバサはやっとこちらを振り向いた。
「…………必要ない」
「うん?」
「子守は必要ない」
そう言うタバサの目は、よく見るとどことなく怒っているような、いやどちらかというと不満げな色が見え隠れしている。
ああ、そうか。
俺は得心して胸中で頷いた。
あけすけにお荷物扱いで置いていかれ、子ども扱いで保護者をあてがわれては誰だって不機嫌にもなろうと言うものだ。というかそれを一番露骨に表情に出していたのは俺かもしれない、失敗だ。
タバサはそれだけを言い捨てるとまた俺に背を向けてすたすたと歩き始める。心地足早になっているが、そこはコンパスの差だ、すぐに追いついた。
「ちょっと待った、悪かったよ。俺も1人じゃ心細いんだ、一緒に行ってくれないか?」
「…………」
「お前だってこの辺りには不慣れだろう? ならパーティ組んでいこうぜ」
「…………パーティ?」
「ああ、えーと、仲間かな。俺たちは2人だから相棒でもいい」
もともと徒党を意味するパーティは、MMOにあらずともRPGをプレイすれば一度は耳にする言葉だ。おおよそ3~6人の集いを1単位として数えるこの言葉は、ヴァナ・ディールでは冒険者が徒党を組む際の最小構成単位として通用されている。人数的に指揮や連携に難のない6人までというのが一般的で、この上に複数パーティが集まって構築するアライアンスと言う言葉もある。
冒険者の間に広く浸透しているこのパーティスタイルだが、起源を辿ればクリスタル戦争当時に存在したとある特殊部隊の行動様式に端を発している。そう、あの多国籍教導部隊、ハイドラ戦隊のことだ。
「まだ赤魔道士になったばかりなんだろう? 赤魔道士がいくら多彩だって言っても、まだ1人で行動するのは難しいぜ」
レベルが上がるにつれて多様なスキルを使いこなせるようになる赤魔道士は高レベルNMにソロで挑めるほどの能力を有するとはいえ、初期の頃はちょっと魔法が使える戦士程度の扱いだ。彼女がどれほどの実力を持っているのか分からないが、1人で何でもこなせるほどの行動バリエーションはまだないだろう、赤魔道士が本領を発揮するのはリフレシュを覚えてからだろうし。
それに俺のほうにもタバサと組んでおきたい理由がある、というか今思いついた。
まだ俺は黒魔法を見たことがないのだ。いかなゲームの知識を持っているとはいえ、その効果のほどや詠唱の速度などはやはり自分の目で確かめておきたい。単一で戦況を覆せるほどの能力を持つものはそう多くないとはいえ、味方につけるにしろ敵にまわすにしろ魔法は重要なファクターなのだ。今後魔道士とパーティを組むときの練習と言ってもいい。
「俺はタバサの疑問や質問には答えられるだけ答えるし、もし危険が、戦いが必要なら俺が壁役になる。その代わり俺はお前さんから黒魔法の知識を得たい、どうだ?」
「知識はそれほどない。使えるだけ」
「問題ない、どれくらいまで使える?」
「六大元素の精霊魔法はサンダー以外。ケアルはIIまで」
「強化魔法は?」
「インビジやスニーク、それに代筆屋で扱っていたものは全て使える。それ以外は魔法書がない」
ヴァナ・ディールで魔法と言えば魔法のスクロールを使って覚えるものだ。スクロールは店で購入するなり、敵が落とすのを回収するなりして手に入れることになる。それぞれの魔法にはそれぞれのスクロールがあり、それを入手するのが魔道士の最初の課題ともいえるだろう。後半になると段々これが大きな壁になるのだがそれは置いておくとして。
ちなみに代筆屋というのは、商業区に店を構えるいわゆる魔法屋だ。タルタルのソロロが経営する店だが、実は治安維持上の決まりでバストゥークでは大っぴらに店を構えて魔法を売ることはできない。そこで客の要望を承って代筆をするという形で法の隙間をくぐって営んでいるわけである。バストゥークにある唯一の魔法屋だが、精霊I系や強化I系は大体ここで揃うのでこの街で魔道士を始めた人は一度は世話になったことがあるはずだ。
話を聞く限りタバサは25レベルくらいか。エン系やバ系、それにスパイクはこの辺りじゃ手に入らないだろう。逆にインビジやスニークを持っているのは強みだ、おそらくユーディたちが持っていたものだろうが、これがあればだいぶ活動範囲が増える。
ん? 待て、この辺りじゃ手に入らない?
「なあ、それもしかしてこの数日で一気に覚えたのか?」
まさかと思って聞くと、タバサは無言で頷く。
俺はてっきり以前属していた特務機関がどうのこうのと言っていたのでそっちでも赤魔道士をやっていたのかと思っていたが、聞いてみるとそちらでは全く別の魔法を使っており、それは今は使えなくなっているという。
参った。つまり彼女はたった数日で25レベルまで上げた、いや、最初から25レベル近い素養を持っており、20以上ある魔法を一気に覚えてしまったということか。何よりタバサは自分に、赤魔道士に使える魔法やその効果をほぼ把握しきっている。ユーディもレオンハートも魔道士ではなかったから、他に誰か師がいたのかあるいは独学かはわからないが、すさまじい才能と集中力だ。もしかしたらタバサは天才的な魔道士なのかもしれない。
「……なに?」
驚嘆半分呆れ半分で思わず呆然としていると、怪訝そうな顔でタバサが見上げてくる。ううむ、見かけで人は判断できないな。
「いや、それだけ使えればそれなりに出来ることの幅は増えるな。タバサはこれからどうしたいんだ?」
「…………お金がいる」
「資金稼ぎか……同じだな、俺も懐事情が苦しい。けどこう言っちゃなんだけど、ユーディたちに融通してもらえないのか?」
「頼りきりには出来ない」
まあそれはそうか。俺も似たようなものだ、いつまでもメルに頼りきりというわけにはいかない。今はそれで良いとしても、いずれは1人で活動しなければならないかもしれないのだ。ならば今のうちから資金を調達しておく必要はある。
「それに俺はまず装備を整えないとならないしな」
「そう」
どうやらその辺も彼女は同じらしい。冒険者としてやっていくなら、着の身着のままで荒野に出るのは自殺行為だ。
「なんにしろ仕事を探さないとどうにもだな。とりあえず酒場にでも……」
行くか、といいかけたところで不意にタバサが俺のほうに向き直った。
何だ?
タバサはじっとあの色のない目でこちらを見つめている。
「聞きたいことがある」
「ん?」
「"闇の王"、」
だがタバサの言葉を最後まで聞き取ることは出来なかった。
「ねえ、お兄さんたち」
横から突然声をかけてきたのは、子供だった。
いや、子供、と言っていいのかどうか分からない。その小さな人影は、ずんぐりとしており、顔は小熊のようだ。太い尻尾が生えている。小さなガルカだった。
子供だと言い切れないのは、彼らガルカは非常に長寿だからだ。200年近くを生きることもある彼らは成長が遅く、20歳を超えても子供と見分けがつかないことがある。
ただそれでもガルカの中では子供とされているのだ、ここは子供と言ってしまっていいだろう。
「お兄さんたちは、冒険者?」
ガルカは俺たちの傍まで寄ると、顔を覗き込むようにしながら首をかしげた。
「そうだけど……なんだ?」
「お兄さんたちは仕事が欲しくて、ついでに武器や鎧が欲しいんだよね?」
少年はいかにも訳知り顔で俺たちの顔を覗き込んでいる。
「立ち聞きか、あんまり良い趣味じゃないな」
「聞こえちゃったんだよ、ごめんね。でもそれなら丁度良い話があるんだけど、どうかな」
どうかなと言われてもな。
タバサのほうを見ると、突然現れたガルカに少しばかり警戒している様子だ。もしかすると意外と人見知りをするほうなのかもしれないが。
「丁度良い話ってのはなんだ?」
「知り合いが人手を探してるんだ。手伝ってくれたら、鎧をあげられるかもしれないよ」
鎧を、ねえ。
願ってもない話ではあるが、いかんせん唐突すぎる上に話が曖昧でまだ頷く気にはなれない。
「もうちょい具体的に話してくれないか。そんなんじゃはいともいいえとも言えないぞ」
「ああそうだね、ごめんごめん。その人は鍛冶職人なんだけれど、人手を探してるんだ。もし引き受けてくれるなら、その人に鎧を融通してもらえるように話してあげてもいいよ?」
それはまたあつらえたような話だ。
「信用できるのか? その、そいつの腕前は」
「うーん、それは自分で確かめてもらうのがいいと思うんだけど……じゃあちょっと着いてきてくれる? 会ってみれば、たぶんその保証もできるから」
そう言ってくるりと背を向けたガルカはそのまますたすたと歩き始めた。こちらを振り返りもしないのは、来るか来ないかは好きにしろということか、それともついてくると確信しているのか。
どうする、とタバサに顔を向ける。
彼女はじっと離れていく後姿を見つめていたが、ややあって無言でそのあとを追いかけ始めた。なら俺もそれに付き合うとしよう。
ガルカは慣れた様子ですたすたと商業区を抜けていく。クラウツ橋を抜け、炎水の広場を突っ切る。人いきれの中で子供の背中を追いかけるのは意外と面倒で、時折見失いそうになったものの、何度も通った道なので行き先は大体分かってきた。
「大工房に行くのか?」
「そうだよ、鍛冶ギルドの人だから」
この少年にどんなコネがあるのかは知らないが、それなら依頼人の身元はしっかりしているということか。
大工房に入りまっすぐに一番奥へ行くと、巨大な炉が煌々と熱い火を灯している。バストゥークの誇る先進技術の一つであり、鍛冶ギルドの本部でもある。余談だがサンドリアにももう1つ鍛冶ギルドがあり、両者は互いをライバル視しているそうだ。
工房の中ではあちこちから鉄を鍛える音が響いてくる。炉から溢れる炎と、飛び散る火花、そして鎚を振るう男たちの熱気で内部はとにかく暑い。ゆれる炎が壁を赤く照らしているのも、体感温度を上げる理由のひとつだろう。
少年は男たちの間を迷うことなく進み、木のテーブルに図面を広げているエプロン姿の頭の禿げ上がったガルカの元に歩いていった。
ってちょっと待て、あれってもしかして……。
「こんにちはゲンプさん」
「うん? 何だ坊主か、どうしたんだ」
やっぱりゲンプか!
彼は鍛冶ギルドのギルドマスターであり、かつては傭兵として大戦に参加しながら鍛冶職人として軍需工場を監督していたという来歴を持つ男だ。甲冑への造詣が深く様々な新型鎧を考案し、実際にゲーム中にも彼が製作した防具が優良装備として市場に出回っていた。また優秀な冶金技術を持つクゥダフの鎧に興味を示し、それを冒険者に持ってこさせるほどに技術開発には余念がない。江戸っ子気質で豪快な、いかにも頑固な職人肌といった性格だったと思う。
「ゲンプさん、腕の立つ人を探していたでしょう? このお兄さんたちにお願いしたらどうかな」
「なに、このヒュームの小僧たちにか?」
俺はもう30も遠くないんだが……ガルカからしてみれば30が40でも小僧同然か。
ゲンプは俺たちの前にずいと歩み出ると、品定めするような無遠慮な視線をぶつけてくる。でかい。ガルカの図体に加えて、腕を組んでむっつりと黙り込んで相対しているゲンプの姿は一際大きく見える。頭から足の先までこうもじろじろと見られると落ち着かないが、ここはうろたえた様子を見せるべきではないだろう。出来るだけ毅然とした態度でその視線を受け止める。
俺とタバサの間を行き来していた鋭い視線は、やがて俺のほうに定められた。
不意に、その大きな拳で胸を小突かれた。突き飛ばされるほどではなかったが、危うくよろけそうになるのをどうにかこらえる。
そんな俺の様子を見ながらゲンプはふぅむ、と1つ頷いた。視線が首から提げているシグネットに向く。
「冒険者か。そっちのお嬢ちゃんはともかく、お前はそれなりに鍛えているようだな」
「タバサは魔道士だよ。そこは勘弁してやってくれ」
ナイトと赤魔道士と言うことを差し引いても、成人男性と少女じゃ体のつくりに差がありすぎる。とはいえ俺の身体もゲンプやレオンハートらガルカと比べればもやしみたいなものだし、訓練の末に手に入れた肉体じゃないのでまだ微妙な違和感が残っているのだが。
俺の内心を知る由もないゲンプは満足げに何度も頷いている。
「なりは貧相だが全くの駆け出しというわけでもなさそうだ。坊主の知り合いか?」
「たまたま、ね」
答える少年はしれっとしたものだ。つい今しがた道端で捕まえてきたくせによく言う。
「いいだろう。小僧、名前は?」
「リッケルトだ、リックで良い」
「ようしリック坊主、こっちだ」
小僧が坊主にシフトチェンジしたのはある程度認められたと考えていいのだろうか、ゲンプは1つ奥の部屋へ俺たちを案内する。
見上げるほどの広い背中について部屋に入ると、そこはテーブルの周りに金槌やら鍛冶台、中には裁縫道具などが所狭し置かれた工作室のようなところだった。テーブルには図面のようなものや、鎧の一部だろうか、細かな鉄板のような部品が雑然と広げられている。
その中に唯一、ひと目でそれと分かる形にまで組み上げられた鎧が、テーブルの中央に鎮座していた。
白銀の板金を張り合わせて作られた鎧は、よく見ると要所以外には堅いなめし革が用いられており、着用者の動きを阻害しない機能的な、それでいて見た目にも鮮やかな洗練されたデザインになっている。ハーフプレートアーマーとでもいうべきかも知れないが、俺はその鎧の見目に覚えがあった。
「試作のアイゼンプラッテアーマーだ。板金には鉄や青銅、革は大羊とダルメルのものを重ねてあわせてある」
「全身板金鎧よりもだいぶ軽いだろうな……けどそれだけじゃないだろう」
金属部分も革の部分も、一様に部屋の明かりを照らし返して輝いている。鉄や革だけではあの輝きを出すことは出来ない。確か合成にはもう1つ必要なものがあったはずだ。
するとそれまで黙って話を聞いていたタバサが一歩近寄り、そっと鎧の表面を彩るレリーフに指を這わせた。
「これは、銀?」
「目ざといじゃねえか。そいつはただの飾りじゃあない、わざわざ魔道士にデザインさせたもんだ。身につけた者を守る呪いさ」
「なるほどこれは……」
アイゼンプラッテアーマーは低レベル向けの白銀の鎧だ。29レベル装備にして30後半装備にも並ぶ防御力のみならず、AGIやVITを上昇させる優良装備であることに加え、合成素材や必要なスキルが多岐に渡ることから同レベル帯ではやや高額で取引されていた代物である。とはいえ抜きん出てレアな素材を使うわけでもなく、多少資金に余裕があれば容易に揃えられるお手軽さもあいまって装備可能な前衛はこれを好んで着用しているものが多かった。
この鎧の人気の理由に、もう1つ上のレベルの装備として共和軍の官給品である鎖帷子が出回っていたことも背景として挙げられている。こちらもまた優秀な防御力に能力値ブーストを兼ね備えており、さらに装備可能ジョブが広かったことから前衛は軒並み鎖帷子という時代が続いていた。そこに他いくつかの装備とあわせて登場したのがこのアイゼンプラッテアーマーである。鎧としての堅固さを持ちながらも優美な意匠は見目にも鮮やかで、ヴァナ・ディールのファッション事情に一石を投じ、さらにはバストゥークは防具の国であると言うイメージを確固たるものにした立役者ともいえるだろう。
追加ディスクも増え、世界も広がり、レベルキャップの解放と共に様々な装備が実装された現在においては、多くのプレイヤーにとってこの鎧もただの通過点に過ぎない。しかし今の俺にとっては、あるのかも分からぬアーティファクトよりも価値があるものに思えてならなかった。
白銀の鎧はヴァナ・ディールの歴史に深く刻まれている。
しかし、今ここにあるこの鎧は、まだ何の傷も持たぬ生まれたばかりの存在なのだ。いずれ量産され広く市場に出回るとしても、それはまだ起こっていない、起こるかも不確かな未来のことだ。この鎧の歴史はまだ始まっていないのだから。
更に言えば。
設定上とはいえアイゼンプラッテ・アーマーを開発したゲンプ手ずから作り出されたひと揃えを目の前にしているのだ、これはもしかしなくてもとんでもなく幸運なことだろう。
「共和軍歩兵向けの設計から始まったものだ、サイズはヒュームにあわせてある。うむ、お前の体格なら丁度無理なく着れるはずだ」
「しかしいいのか? 共和軍の最新の鎧っていったら機密扱いでもおかしくなさそうだけど」
「問題ない。大戦の終結で軍向けの生産は潰れちまったし、今は半分俺の趣味でやってるようなものだ。完成品はギルドを通じて広く売り出すつもりでいる」
なるほど、それを今この時期にと言うことは、冒険者特需に乗っかればそれなりの収入は見込めるという魂胆もあってのことだろう。豪胆なようだがこの地位にいるだけの計算高さもあるらしい。
「それでどうかなゲンプさん。このお兄さん、丁度良い鎧がなくて困ってるんだって。もし良かったら仕事の見返りにその鎧を融通してもらえないかな」
「なに、コイツをか?」
ガルカの少年の提案にゲンプは渋い顔を見せる。それはそうだろう、何をするにしてもアイゼンプラッテ一式というのは割高すぎる。
案の定ゲンプは重々しく首を振った。
「悪いがそいつは出来ない相談だな」
「そりゃそうだ、いくら何でも割に合わないだろう。何か別の、」
「そうじゃねえよ、こいつはまだ未完成品だ。最後にひと手間加えてやって完成するんだ。報酬に欲しいってんなら、その完成品をくれてやる」
なんだって?
思わず耳を疑ってしまう。
「丁度良い鎧がないとか言っていたな。今は何を着ている?」
「え、ああ、間欠泉トカゲの皮を使った鱗鎧を……」
「ほう、ダングルフの間欠泉トカゲか。悪くはないが確かにお前さんには見合わないな。いや、この鎧でも実力に追いつかないかもしれないな」
確かにゲームの数字で見ればこの鎧は俺の装備できる最高のものより20は位が下がるが、それは俺の正当な評価ではない。高い身体能力と魔法を持っていても、実戦経験はまったくの素人なのだから。
「その鎧が見合わないなんて、そんなことはない。むしろ俺のほうが着るに値するか不安なくらいだ」
「なら、それをお前さんが自分で確かめてくればいい。最も、俺の仕事をきっちりこなしてこれたらの話だがな」
本当にいいのだろうか。
どんな仕事をすることになるのか分からないが、なんだか話が上手いこと行き過ぎているような気がする。
にわかに不安になって俺たちをここまで案内してきた少年に目をやると、にっこりと笑って頷かれた。
タバサのほうを見やる。彼女は何も言わず、じっと俺の顔を見つめていた。
腹を決めるべきか。
それに報酬が高くてしり込みするなんていうのは、ちょっと情けなさすぎるというものだ。
「よし、なら具体的に何をすればいいか教えてくれ。それだけ立派な報酬なんだ、どんな難題を突きつけるつもりだ?」
そう言うとゲンプは、また満足げに大きく頷いた。
/*/
遅くなりました。
脳内で展開を悩むシーンって、書き始めてみると以外に進んだりして困る。
ところでシーン転換が多くてぶつ切りな印象だったりしないかが最近の悩み。
もしかして:モンハンやりすぎた。