もともとはバストゥーク唯一の繁華街であった鉱山区の市街地は、目抜き通りこそその面影を持っているものの、ゲームで見たような一本道の大通りではなかった。
国をわかせたゴールドラッシュの名残は、半地下の下層と張り出しでできた上層という二層構造や、おそらくはろくな計画性もなく増改築を繰り返された結果であろうやたらと入り組んだ細い路地など随所に見受けられるが、今となってはそのどれもが迷路じみた猥雑さを織り成しているばかりだ。
酷いところはもう半分スラムと化しているのだろう。メインストリートの鉱石通りは埃っぽくもまだ綺麗なほうだ。裏通りにはもう何が住んでいるやら。
そんな通りの1つをひょいと無造作に曲がった少女を追って路地に入った途端、出迎えてくれたのはガルカの岩石のような鉄拳だったというわけだ。
参ったな、これは。
「……ずっと尾けていたな」
ガルカの声はは決して大きなものでも荒げられたものでもないが、その響きはずっしりと腹に重い。額から目の間を走る傷が特徴的な大男だ。
出会いがしらの一撃の割には理知的な印象を受けるが、おそらく最初の一撃もただの威嚇だったのだろう。いや、本気だったとは考えたくない。全身板金鎧に身を包んだガルカの鉄拳をまともに食らってたら俺の顔面なんかつぶれたトマトだ。
「知った顔か?」
ガルカは背に庇った少女に問いかけているが、少女は無言で首を振る。くそ、刺し殺しそうになった相手の顔くらい覚えておけっての。
疑惑を深めた視線が俺に向く。
せめても冷静な話し合いにもっていこうと口を開き、
「待て、ちょっと待ってくれ。別に尾行していたわけじゃない、俺はただ……」
はたと気づく。
年端も行かない少女のあとを追いかけ、相手が人気のない路地に入ったと見るや声をかけに行く男……つまり俺。
いかん、無意味に怪しい。時が時なら確実に職質ものだ。
そこまではまだいいとしよう。良くはないがもうこの状況に陥ってしまった以上そこはどうしようもない。
しかし俺が彼女を追いかけていたのは……。
「ただ………?」
「その子に用があって……」
用、というのか。
半ば反射的に飛び出してきてしまったようなものなのだが。俺は彼女が何者かなんて知らないし、知らないからこそ追いかけてきたのだが、こうして問い詰められてしまうとなんと返したものか答えに窮する。
「その用、とやらが」
「え?」
「往来で胸を張って言えるものならば、聞こう」
────先日彼女にナイフでぶっ刺されそうになったので一言物言いに来ました。
………………ないな。
俺が向こうでもそれはない、新手の詐欺か人攫いに違いないと確信できる。しかし下手なごまかしが通用する雰囲気でもない。頭から説明するしかないか?
そもそも、ちょっとビビッてテンパっていたが考えてみればこっちには何もやましいところはないんだ。だったら全部話しちまったほうが早いだろう。
…………いや、もしこのガルカが彼女の仲間だったら、こっちもちょっとヤバイ奴なんじゃ……。
「………………」
「ちょ、落ち着け、こっちこそ往来で刃傷沙汰は二度とごめんだ!」
考えてる傍からこれだ!
俺が話しあぐねいているのをどうとったか、ガルカは背負っていた大斧にそっと手を伸ばした。とてもじゃないが俺には使えそうもない、タルタルくらいなら押しつぶせるんじゃないかってサイズだ。
こっちは丸腰なのだ、あんなもの抜かれたら堪ったものじゃない。ええい、ままよ!
「そいつがこの間居住区でひと悶着起こしてたんだよ! その場に居合わせて俺も危うく怪我するところだったんだ、だから気になって追いかけてきただけだ!」
「なに……?」
「…………」
ガルカの顔つきが変わった。疑いの色は変わらないが、どちらかと言えば怪訝な表情をして少女を振り返っている。どうやら知らなかったようだ。
少女のほうはあまり表情を変えていないが、何かを思い出すようにじっと俺の顔を見つめていた。
何とか穏便に話を出来そうな方向に流れが変わり、ほっと胸をなでおろす。
「別に謝罪しろとかそういうわけじゃない。けどあの場から姿を消してそれきりだったから、な」
「…………事実か?」
「……」
こくり、と少女が頷く。
それを見てガルカがうめくように呟いた。
「……聞いていないぞ」
「…………それは、」
「ちょっと、何してるのよ!?」
少女が何か口に仕掛けたとき、鉱石通りに新たな闖入者の声が響いた。どうやらジジが追いついたらしいが、そこにメルがいたかどうかはこのときは確認できなかった。
何が悪かったのかと言えば。
おそらく全員が悪かったのだろう。この状況を作った俺も、突然響いた新たな声に咄嗟に斧に手をかけてしまったガルカも、それを見て早とちりしたジジも、そもそもの発端になった少女も。
「リック、下がって!」
「あ、おい、待て!!」
ばねの様に飛び出た彼女を止める暇もなかった。
牽制するつもりだったのか、応戦するつもりだったのか、いずれにしろ無謀にも眼前に躍り出てきたジジに、ガルカは斧を抜かなかった。代わりにその丸太のような腕を横なぎに振るってジジを追っ払おうとしたのだ。
ジジの体が丸太の直撃を受けて吹き飛ぶ…………そんな光景はありえなかった。
トン、と。
軽い音を立ててジジの体が視界から消える。
跳んでいた。ガルカの腕を蹴り上げ、彼女はその大柄な男の肩の上で天地を逆にして宙を舞っている。軽やかに、軽やかに。飛ぶ鳥に挑む猫の跳躍のごとく。ふわりと彼女のトレードマークのベレー帽が宙に漂い、しかしそれが地に着くよりもジジがトンボを切って着地するほうが早かった。
けど彼女は気づいていない。目まぐるしく変わっていく状況に驚いたのか、その後ろにいた青髪の少女が、腰に佩いた剣を握っていたことに。
「よせ、ジジ!!」
ジジもまた、腰の短剣を引き抜こうとし。
少女がジジに向かって剣を振るおうとし。
ジジを、そして少女を止めたのは俺の声ではなかった。
平手を打ったような、それよりももっと乾いた甲高い音が、立て続けに薄汚れた通りに響き渡る。
「きゃっ!?」
「ぬう……ッ?」
「………ッ」
三者三様の反応を返しながら動きを止め、そして俺を含め、全員があたりの様相の変化に目を疑った。
花びらが舞い上がっている。
ひらひらちらちらと、赤や薄桃の花弁が全員の視界を埋め尽くしている。俺はそれに良く似たエフェクトを見たことがあった。
「な、なにこれ……?」
「桜花爛漫……花火か? でも誰が……」
また別の声が聞こえてきたのはそのときだ。喧騒から一歩離れていたはずの鉱石通りが、妙に騒がしくなってきたものだ。
「こらぁアンタたち!! なーに天下の往来で大立ち回り演じてるの!!」
声は、上から聞こえてきた。
見上げると、上層の通りにヒュームの女が立っていた。見事な仁王立ちだがそれが妙に似合っている。小脇には何故かメルが抱えられていた。
空いている手で弄んでいた花火を懐に仕舞うと、女は「よっ」と簡単に手すりを乗り越えて俺たちの丁度真ん中に飛び降りる。こちらもまたジジに引けを取らぬ身軽さだ。付き合わされたメルは青い顔をしているが。
「久しぶりね、お兄さんも」
「ああ、あん時の……」
降りてきた顔を良く見れば、それはあの夜の居住区で銀髪の少女を取り押さえようとしていたシーフの女だった。
彼女は脇に抱えていたメルを下ろすと、ガルカと少女に向き直った。
「で、何してたのあんたたち。弁解は?」
「いや、俺は……」
「するの?」
「…………しない」
弱いなガルカ……というか強いなこの女。させてやれよ弁解、と思うが俺もここに口を挟む勇気はなかった。
ぬぐ、と苦虫を噛んだような表情のガルカに対して、少女のほうは無表情なまま、なのだがどこか不満そうにしている気配がする。
「私は何もしていない」
「同罪よ、というかそもそも全部発端はアンタでしょうが!」
完全に説教に入ってしまった女に、ガルカも少女もたじたじになっている。
置いてけぼりにされる形になったジジがこちらに寄ってきた。ゴブリンのときといい、こんなのばっかりだな。
「ねえ、どうなってるの?」
答えたのはメルだった。こっちは完璧に呆れ顔になっている。
「リックもジジも人を置いてどんどん行っちゃうからだよまったく。ボクがたまたま彼女を見かけてなかったらどうなってたか」
「おかげで助かったって言うべきか、どっちかと言うとジジが一番突っ走ってくれたおかげで話がややこしくなるところだったんだがな」
「あ、あたしは…………悪かったわよ。てっきりあんたがあの戦斧で真っ二つにされるところかと思ったんだから」
それもまた愉快な想像である。
ただおそらくあのガルカは最初から斧を使うつもりはなかったのだろう。何か過敏になっていたようではあったが、見たところ彼は終始理性的だった。
「それで、あの子はなんなの? あんたが追いかけていたの、あの青い髪の娘でしょう?」
「涸れ谷に向かう前のことになるけどな」
バストゥークに到着したその日のことを思い出しながらジジに事のあらましを説明する。公衆浴場からの帰り道で起きていた騒動、エルヴァーンの女と対峙していた少女、取り押さえようとしたシーフの手を逃れて俺のほうへ向かってきた瞬間。そして……そのとき初めて気づいた肉体の異変については、胸のうちに収めておいた。
話しながら思い返すに、どうもバストゥークの街に着いてからこちら落ち着きという言葉と無縁になってきている気がする。なんて言い出したらヴァナ・ディールに来てしまった時点でもう平穏とはすっかり疎遠なのだが。
「それはまたずいぶん、あんたも奇妙な縁に恵まれてるものね」
「全く同意するがお前が言えたことか」
どういう意味よ、と睨みつけてくるジジにはあえて答えず、俺はいまだにお小言を続けているシーフのほうに声をかけた。後ろでなにやら文句を言っているが、それよりも気になることがあるのだ。
「お取り込み中悪いんだけどな」
「おっとと、どうしたのよお兄さん?」
振り返った女は多分俺と同い年くらい。ダークブラウンのショートヘアを後ろで軽く結っており、どちらかと言えば幼い、快活な印象を与える。その一方で腰に手を当てて胸を張った毅然とした立ち姿も様になっており、頼れる姐さんという言葉が脳裏をよぎった。
「出来れば事情を説明してくれ。言い方は悪いがこっちは危うく刺し殺されるところだったんだ、あんたが、ええと?」
「ユーディットよ。ユーディで良いわ、お兄さん」
「なら俺もリックでいいよ、そっちにお兄さんなんて呼ばれるほど歳は離れてないだろう。で、ユーディが彼女を追いかけて行ったあと、何があったんだ?」
「何があった、って言われるというほどのこともないんだけど……」
「分かった、聞き方が悪かった。彼女一体何者だ? この間の大騒ぎは結局なんだったんだ?」
問いかけなおすと、ユーディは言いよどむように口の中で言葉を転がす。その視線が少女のほうに向く。話すべきか話さざるべきか、そんな様子だ。少女はただ無言で視線を返すばかり。
言える範囲でいいぞ、と念を押すと、ユーディはひとつ頷いて話し始めた。
「私がこの子を捕まえたのは見ての通りだけど……あのことは全部、そう、誤解だったのよ」
「誤解?」
「そうそう」
ユーディの話によると、だ。
問題のヒュームの少女、タバサというらしいが、彼女はあの時著しい記憶の混乱状態にあったらしい。というのも彼女は、何者かによって心と記憶を乱す強力な呪いをかけられており、ここがどこだかも何故あそこにいたのかも、それどころか自分のことさえもあやふやな状態だったらしい。そこに突然声をかけられて動転してしまった、と。
ユーディたちに保護された今では、かろうじて自分の名前と、どこかの特務機関に属していたらしいと言うことまでは思い出したものの、それ以外のことは何から何まで一切合財分からないそうだ。仕方なしに今はユーディたちの世話になりつつ、冒険者として身を立てていこうとしているところだとか。
「と、いうわけなのよ」
「なるほどな、納得したよ…………で、どこから嘘だ?」
「半分くらいかなー」
やっぱり分かる? なんて舌を出している。ぬけぬけとよくもまあ。
いちいち少女のほうを見やりながら悩んで悩んで話す様子を見れば、どんなアホだって感づくというものだ。
じとっとねめつけていると、半分は本当よ、とユーディは悪びれもせずに笑った。
「タバサがあの時暴れたのは混乱していたからっていうのは本当。今は私たちが面倒みてるっていうのもね」
「ユーディット」
ぺらぺらと話す口をガルカが止めようとするが、逆にユーディがそれを制する。
「今は右も左もわからない子だけどね、そこにつけこもうとするなら……」
そこで言葉を区切った彼女は、口元にこそ笑顔を浮かべているものの、瞳に映しているのは決して穏便な光ではなかった。
「痛い目見るわよ。氷で指を切りたくはないでしょ?」
それは、ユーディが黙っていないと言う意味だったのか、あるいは少女を比喩したものだったのか。
どちらにしろ、どうしてこう怖い女ばかりなのか。
「穏やかじゃないな。安心しろとはいえないけど、そんなつもりはないさ。あとさっきの話は本当だってことにしておくよ」
「そうしてくれるとありがたいわ」
一通り話をつけて、ユーディは少女たちのほうに戻っていく。俺もメルたちのほうに戻りながら、やれやれと内心肩をすくめた。
ちょっとばかり普通じゃない境遇にいるのは自分だけかと思っていたが、世の中には想像以上に色々な人がいるようだ。タバサと呼ばれていたあの少女に何があったのかは分からない。だが、それなりに面倒な身の上であることは確かなようだ。俺も人のことは言えないが。
ともかく、完全に納得ずくというわけにもいかなかったが、これであの夜の話は終わった……というよりも俺のあずかり知らぬところでひとまずの決着はついていたのだろう。ならもうこれ以上無理にかかわることもない。
「悪かったな、引っ張りまわしちまって」
改めて2人に頭を下げる。
まだしもメルはあの場にいたからある程度事情を飲み込めていただろうものの、ジジはまったくわけもわからずに走り回らされたようなものだ。事態をかき回してくれたことは別にして、その点はすまないと思っている。
「それは別に良いわよ。けど次……からは突然走り出すのはやめてちょうだい」
「心がけるよ」
「ボクとしては置いていかれるのが勘弁してほしい限りだな。君たちに追いつくのは本当に大変なんだから」
「次からは俺が抱えていくことにするよ」
荷物扱いでなければね、とメルは笑った。
いつの間にか6人にまで増えていた俺たちは、なんとなく一緒に通りを抜け、そのままなんとなく一緒に居住区に向けて歩いていた。
ジジとユーディ、メルが3人でなにやら話し込み、その後ろにタバサが無言で続いている。俺はガルカのおっさんと一緒に、一番後ろからその様子を眺めていた。
ガルカは物静かな男だった。むっつりと黙り込んでいる姿はいかにも恐ろしいが、不思議と威圧されるような気配を感じることはない。ただ静かで、大岩を思わせる雰囲気だ。
「お前とは、前に会ったな」
「え?」
その大岩が突然口を開いて、一瞬自分が話しかけられているのだと分からなかった。
ガルカはタバサとユーディの後姿に目を向けたままで、聞き間違いかと思ったが、ちらりとその瞳が俺のほうを向いたのでどうやらそうではないらしい。
思わずしげしげと横顔を見つめてしまう。ええと、前に会った?
大柄で、熊のような顔を縁取る毛がたてがみのように立派で、額に走る傷が特徴的な……。
「もしかして、風呂で俺を起こしてくれた人か?」
そうだ、丁度例の騒ぎがあった直前に、公衆浴場で転寝していた俺をゆすり起こしてくれたガルカ。この人だったのか。
彼は頷きもしなかったが、否定もしないのでおそらくは間違っていないはずだ。参った、全く気づいてなかったな。
「俺は、レオンハートだ」
危うく噴出しそうになったのをどうにかこらえる。俺の不審な様子に気づいたのか、じろりとした視線が飛んでくるのを、なんでもないと笑って誤魔化した。別に名前を笑うつもりはなかったんだ、本当に。
だって、その顔でその名前はあんまりにはまりすぎだ、往年のFFシリーズファンなら誰だってわかるだろう。
残念なことにこの世界にガンブレードはないけれど。
それはともかく、レオンハートと言うのはガルカ名ではないな。
バストゥークのガルカには名を2つ持つものがままいる。本名とも言えるガルカ名は他の民には発音しづらいらしく、ヒュームがあとから勝手に名をつけるのだと言う。両者の歪んだ関係がここにも現れている。
当然あとからつけられた名を忌避するものは多い。しかし彼は、レオンハートはいやいや名乗っているようには見えないし、レオンハートという響きは……決して蔑称としてつけられた名ではないのだろう。
それはかすかに誇らしげに名乗った彼の様子からも一目瞭然だった。
「いい名前だな」
「ああ」
今度はすぐに頷いた。
「リッケルトだ。リックで良い」
お返しに名乗り返すと、レオンハートはもう一度頷いて「覚えた」と低く呟いた。
「先ほどはすまなかったな」
「いや、俺も迂闊だったよ。あんた、あの子の面倒を見るように言われてたんだろう? 俺みたいなのが近づけば敏感にもなるさ」
なんとなくだが。
彼は多分小さな子供の面倒でも見るようなつもりでいたんだろう。ところが彼女はふらふらと1人で鉱山区の人気のないところを歩き、後ろからは見知らぬ男。過敏な反応も頷けようというものだ。
ただレオンハートの心情は別として、これは俺の見立てだが彼女はそう過保護にするほど子供でもない気がする。なりは小さいが、あの居住区での立ち回りや俺を貫こうとしたときのためらいのないまなざし、どうも見た目とは不相応にそれなりの場数を踏んでいるように思える。
「わたしも、謝る」
いつの間にこちらに寄ってきていたのか、少女が俺を見ていた。
やはりその瞳は、透き通った感情の薄い色をしている。
「それこそもういいって。誤解ってのは分かったし、俺もなんともなかったんだ。それよりあの時思い切り投げちまったけど、そっちこそ怪我しなかったか?」
「……背中を打った」
「う……その、悪い」
「いい」
そのまま彼女は何も言わずに歩き続ける。レオンハート以上に寡黙な娘だ。
「…………」
「………………」
「……………………」
右をタバサ、左をレオンハートに挟まれ俺はただただ無言で足を運ぶ。何を話しているのか知らないが、前のほうで談笑しているジジたちとはえらい落差である。
と言っても別に俺は喋ってないといられないわけでもないし、気まずい雰囲気と言うわけでもない。単に話題がないのだ、お互いに。レオンハートも、少女も、話す必要を感じなければ話さない、そういう性格なのだろう。多分……会話を拒絶されているわけではない、と思いたい。
お互い冒険者という程度にしか接点のない俺たちは、どちらもそれをきっかけに会話を盛り上げるような性質ではなかったということだ。
しかし意外にも先に沈黙を破ったのは少女のほうだった。
「タバサ」
「え?」
「私は、タバサ」
「ああ、名前か。俺はリッケルト」
コクリと頷く少女、タバサ。その反応は奇しくもレオンハートとそっくりだ。
「お前も……タバサも冒険者になったんだって?」
「そう」
「そのなりからすると……」
身にまとっているのは誰でも着用できるチュニックなので参考にならないが、腰には剣を佩いている。しかし戦士を生業にするには彼女は力不足と言わざるを得ないし、ユーディに倣ってシーフとするには得物が大ぶりすぎる。
だとしたら。
「赤魔道士か?」
「……」
タバサがかすかに目を見開いてこちらを見た。ふむ、正解か。
レオンハートもこちらを見ている。そう注目されると面映いものがあるが。
「よく分かったな」
「そんな大したこっちゃない、タバサからは少し魔力も感じるしな。けど昨日今日魔法を覚えたって印象でもないから……そのどこだかの特務機関での経験か?」
今度こそ、彼も大きく目を剥いた。そんなにおかしなことを言っただろうか?
「ひゃー、すごいねリック。あなたって魔法の心得もあったのね」
前を歩いていた3人もいつの間にか歩みを止め、俺たちの話を聞いていたらしい。ユーディが感嘆の声を上げて俺をしげしげと眺めた。
「お前も赤魔道士……いや、体のつくりが違うな。ナイトか?」
「ああ、まあな」
「へぇ、只者じゃないとは思ってたけど……ねえレオンハート、彼になら任せてもいいんじゃないかしら?」
「む、いや、しかしだな……」
何の話だ?
「今メルたちと話してたんだけど……リック、あなたこの間発布された任務のこと知ってる?」
「ミッション? いや、俺は聞いてないけど」
ミッションといえば国から正式に依頼される仕事のことだ。町の人々から受ける依頼よりも確かな報酬が約束され、また国内での名声を高める一番の近道だとされている。その分重要なミッションは信頼のある人間にしか任されることはなく、今回俺のところに報せが来ていないのも俺が駆け出しだったからだろう。コンクェストやアウトポストへの物資輸送などで貢献して、初めて国の信頼を得るわけだ。
「内容はまだ公表されていないわ。でもいま国内にいる有力な冒険者には軒並み声がかかってるらしいの」
「実はさ、ボクのところにもウィンダス領事館から呼び出しがかかったんだ」
「何だって?」
メルが懐から取り出したのは一枚の羊皮紙だ。確かそれは、モグハウスを出るときにメルが読んでいたものだった気がする。
しかしバストゥーク国内の有力冒険者にミッションが出されたのと同時に、ウィンダスの冒険者にも声がかかる? それもメルの話では1人2人ではないようだ。
「サンドリアからは?」
「あたしもまだ駆け出しだもの。でも噂じゃやっぱりサンドリアの冒険者にも何かしら呼び出しがあったって話よ」
「重要なのはこの任務、発布したのが工務省……それも鋼鉄銃士隊なのよ」
鋼鉄銃士隊、工務省街道護衛局下に設置されたバストゥーク共和軍団のいち部隊だ。
彼らの主要な任務は通商ルートの確保と護衛とされているが、その実態は対獣人戦のエキスパートだ。クゥダフ対策に主に駆り出される鋼鉄銃士隊は、みな共和軍団から引き抜かれたエリートで構成されており、隊員にはその名に恥じぬ鋼鉄製の最新装備が支給されている。その任務内容から実戦経験も豊富であり、戦闘能力は共和軍団内においても郡を抜いて高い。
だが彼らが関わるミッション自体はそう珍しいものでもないはずだ。冒険者が台頭してきている現在では、国の正規軍が彼らの力を借りることもままある。正規兵たちのプライド問題は別にして、だ。
問題はそこに他国まで関わってくるということだ。クゥダフを相手にするだけであればウィンダスやサンドリアが興味を示すのはおかしい。
いや待てよ。工務省の管轄下にあるものに1つ、他国が食いついてきそうなものがある。
「まさか……」
────コロロカの洞門。
「ええ、皆同じ結論に達したわ」
鉱山区内から通じるツェールン鉱山の一角には、数百年に亘り閉ざされ続けていた門がある。その先に広がる巨大な地底トンネルこそ、コロロカの洞門だ。
天然の海底洞窟であるこのコロロカの洞門は、ザフムルグ海の下を潜り、クォン大陸南西に位置するゼプウェル島へと繋がっている。大半を砂漠に覆われたこの島は周囲を断崖と岩礁に囲まれ、船や飛空艇での渡航は困難なため、コロロカの洞門が大陸と繋がる唯一の道となっている。そしてそのことがアルタナの民にとって救いとなっていた。
ゼプウェル島はかつてガルカたちが暮らしていた島であった。だが今現在彼らに取って代わりゼプウェル島を支配しているのは獣人アンティカたちだ。ガルカはその昔、アンティカに島を追われ多数の犠牲を出しながらコロロカの洞門を通り、グスタベルグの地へを逃げ落ちたのだ。そこでヒュームと協力してバストゥーク峡谷に町を築きあげた。コロロカの洞門はそのときから閉ざされ続けている。アンティカがあまりにも恐るべき敵であったから。
アンティカはそのすべてが生まれながらにして兵士であり、極限まで突き詰めた全体主義を持つ彼らは驚異的な軍事社会を形成している、アリのような獣人だ。彼らは誕生する前から既に役職や階級を定められ、生後数ヶ月で成体となった後は集団における歯車として機能し続けることになる。その死後までも。彼らに個は存在しない。個が形成する総体こそがアンティカそのものであり、全体が単一の意志によって統率されているのだ。
20年前の大戦時においては、先述のように本土との連絡路がごく限られていたことが影響し、アンティカたちは稚拙な海上輸送によってごく少数の部隊が上陸するにとどまっていたものの、もし彼らの全軍が大陸に到達していれば大戦の結末は一変していたであろうというのが各国共通の見解である。
コロロカの洞門がいつか冒険者たちに向けて開かれること自体は知っていたが、まさかこんな早くにその名前を聞くことになるとは思ってもいなかった。
「開くのか? コロロカの洞門が?」
「それはなんとも言えないけど、開くにしてもすぐにってことはないでしょうね。多分この先何度も調査隊が組まれることになると思うわ、今回はその始まりに過ぎないでしょうね」
「けれど、何だってこの時期に? 最近はどこも獣人たちが活発になっているっていうのに」
「この時期だから、だろう」
腕を組んで鼻を鳴らすジジの疑問に答えたのは、レオンハートだった。
「闇の王の復活が噂されている今だからこそ、どの国もアンティカたちの動向を確かめたいのだろう」
────闇の王の復活。
その言葉に。
俺たちの間に、重い沈黙が横たわった。