三日目 早朝 日本国床主市郊外 『大東亜重工業 第八資材倉庫』
「さてさて、どうしたものですかね」
目を覚ました俺は、決して離さないように俺を抱きしめつつ眠っている本田を眺めつつ、起こさないように小声でぼやいた。
既に日が昇り始めており、二階の窓からはうっすらと明かりが差し込み始めている。
「んん、あさ、なの?」
俺としたことが、気をつけていたのに起こしてしまったらしい。
「ああ、すいません、起こしてしまいましたね」
普通ならば相当に甘い状況なのだが、俺も彼女も、そういう気持ちは持っていないだろう。
ああ、ひょっとすると彼女のほうは少しあるかもしれないがな。
「えっと、ごめんなさいね?」
昨夜はアレほど盛大に体力を消耗したというのに、最初こそ寝ぼけた様子だったが、彼女は意識を覚醒させている。
流石は自衛官ということなのだろう。
素早く起き上がり、何も身に纏っていないことを思い出したのか慌てて脱ぎ捨てた服を探している。
随分と精神の再構築が進んでいるようだ。
やはり説得ではなく寝ておいて正解だったな。
「ちょっと見回りをしてきます。
大丈夫だと思いますが、死体には近づかないで下さいね」
返事を待たずに服を手に取り、二階へと上がっていく。
ああ、ボタンが幾つか取れてしまっている。
直すの面倒だが、念のためでソーイングセットも回収しておいてよかった。
「おー、今日もいい天気だな」
本日は快晴、雲量は1から2といったところか。
ちらほらと地上から空へと伸びる筋が見えるということは、事故車の炎上や失火が複数件発生し始めているということだ。
床主市の行政組織はもう完全に崩壊したということだろう。
まあ、車両も無線も使えないのであれば、警察も自衛隊も自分を守ることしかできない。
消防に至ってはポンプが使えないのであれば、人力に頼った破壊消防しかできない。
空自の基地であればあるいはEMP対策を施した消防車を持っているかもしれないが、それを基地の外へ安全に送り届けることは不可能だろう。
「本日の予定も回収と陣地構築。
頑張るとしますかね」
もう何度繰り返したか忘れた朝の一人朝礼。
確認は大切だ。
「それと救助活動、でしょ」
ああ、そういえばそういう設定だったな。
最低でも一回ぐらいは救助活動のふりをした物資回収に行ってやるか。
必要な物だけ回収したら、あとはバンバン撃っていれば直ぐに奴らが押し寄せて撤退となるだろう。
「もちろんですよ。
でも、やはり朝礼というやつは大事なんですね。
当たり前のことであっても、こうして口に出すことでしっかりと目的を再確認できますから」
俺の言葉に彼女は表情を引き締めた。
俺たちは山奥の別荘に旅行に来たカップルなどではない。
地獄から一時的に逃れられただけの生存者なのだ。
「確かにそうね。
それで、具体的には今日は何をするのかしら?」
朝食もまだなんだが、まあ、せっかく仕事をする気になってくれているのだし、話を進めてしまおうか。
「まずは昨日の彼を表に出し、そのあとで清掃。
昼までにはそれらを終わらせ、物資の回収に出ます。
今日行くのは近くにある通販の物流センターと、造船所です」
ここからも見える巨大な倉庫を指さす。
造船所は更にその先なのでここからは見えないが、物流センターは目に入る。
「まだ集め足らないの?
今ある分だけでも結構あると思うんだけど?」
彼女としてはできるだけ多くの人を助けたいのだろう。
その気持ちはわからんでもないが、だからといって食料をかき集めることを怠ってはならない。
カロリーだの栄養素だのという面倒な事は抜きにして言うと、日本人は一日に三度の食事を摂る。
今はそんな事を言ってられない非常時なので食事を二回にしたとして、それでも一日に二食分の食料が必要だ。
それ以上に切り詰めると、生存のために必要な食料捜索やバリケード構築すらできなくなってしまう。
とにかく、最低限に減らしたとしても、一人あたり一週間で14回分の食料を消費する。
二人ならば28回、五人ならば70回分の食料が必要だ。
例えば俺達が原作メンバーと合流したとすると、9人×2回でなんと一日に18回分、一週間では驚きの126回分の食料が必要になる。
ここに飲料水を加え、トイレ用の排水は川から組み上げておき、と、ただ生きているだけでもこんなに必要なのだ。
停電していることから冷蔵庫などは使用できないし、レトルトカレーやシチューをカセットコンロを用いて作り置きしたとしても、気休めにしかならないだろう。
さらにここに、体力を維持するために必要な栄養素やカロリーの計算が加わり、精神面から考えて少量なりとも嗜好品も加える必要がある。
まだまだあるぞ、衣服、医薬品、食器やコップ、女性がいるから生理用品、洗濯用の水、生活環境を拡張するための作業だって忘れてはいけない。
「全然足りませんよ。
ああ、一年や十年という意味ではなく、一週間やそこらという視点での話ですよ」
その言葉に彼女は脳内で試算を始めたのだろう。
ほどなく納得の表情を浮かべる。
「確かに、助けてから食料を探しに行くというのは正しい行動とはいえないわね。
それで、造船所というのは何?沖合の空港まで逃げるとかそういうこと?」
二日目までであれば、それは選択肢の一つとしては成り立つ。
停電から自衛隊の救助までの時間を何とか生き残ることが出来れば、しばらくは楽しい船旅と洒落込める。
しかも、豪勢なことに護衛艦隊のエスコート付きだ。
「お忘れですか?EMPで船も全滅です。
それに、船が出せたとしても、搭載無線機も航路のビーコンも死んでいる状態では大航海時代と変わりません。
多分GPSも受信機どころか衛星本体がやられているでしょうから、ちょっと潮に流されるだけで遭難確実ですよ」
船旅というのはとても危険なものだ。
専門の教育を受けた熟練の船乗りが、整備の行き届いた最新の大型貨物船に乗り込み、水上レーダーに加えてGPSや無線標識による支援を受けても遭難することがありえるのだ。
これは大げさにすぎるとしても、EMPを喰らった後で整備をしたわけでもない船舶で出航することは避けたい。
「非常食やその他役に立ちそうなものを回収するためですよ」
何も言われないことを良いことに、適当に会話を切り上げる。
時間は有限だ。
自分以外の誰カト会話を楽しんでいるような時間は無い。
三日目 床主市倉庫地区 アブラカタブラドットコム床主物流センター
「いやー警報機が死んでくれたお陰で仕事が楽に進みますね!」
正面玄関を叩き割って堂々と侵入した俺達は、この地域最大の物流センターを歩き回っていた。
台車には既に載せきれないほどの便利な品々が積み上げられており、それはさらに増加する一方だった。
「ほら、見てくださいよ。
どこぞのマニアが戦闘糧食を箱単位で買い込んだようですよ?
お陰で私達の仕事が楽になる。発注者に会ったらお礼を言わないといけないですね」
あとで見つけやすいように、ダンボールを通路の真ん中に置く。
床主市だけではなく、ここから近県に配送されていく様々な商品が集められているだけあり、この場所には何でもあった。
昨日までは無人警備の各種システムが生きているおかげで侵入不可能だったが、EMPがそれを全て解決してくれている。
防犯カメラは死んでいるので顔を晒しても問題ないし、動体センサーやウィンドウセンサーも動いていないので、気兼ねなく廊下を歩けるし、侵入にあたっては正面玄関を遠慮無くぶち破れた。
「保存食のたぐいはこれでいいとして、次は水ですかね。
ああ、これって緊急避難ってことで逃げ切れますよね?」
浮かない表情を浮かべて後ろを付いてくる本田さんに尋ねておく。
もちろん緊急避難は成り立たないのだが、これだけの状況だ。
恐らく減刑ぐらいは狙えるかもしれないが、いや、難しいかな。
「私は警務隊じゃないから刑法はよく知らないけど、難しいと思うわよ」
そうでしょうね。
昨夜に比べると別人といっていいほど随分と落ち着いてくれたようだ。
もう少し実務的な話題に移っても大丈夫かな。
「今日のところは見つけられた範囲の食べ物と水だけで満足しておきましょう。
これだけの広さです、多少の略奪者が現れたとしても全部持ち出すことなど不可能です。
とりあえず回収作業はここまでにして、荷物を運び出してもらっていいですか?」
荷物が山と積まれた台車を見やり、彼女はとても嫌そうな顔をした。
「一応聞いておくけど、貴方は何をするの?」
それに答えず俺はここで発見した手斧を取り出す。
「誰かがここを見つけても入ろうと思えない仕掛けを少々。
とても質の悪いイタズラなので、女性にお任せするのは気が引けまして」
おっと、この言葉は禁句だったのかな。
とても面白くなさそうな表情に変わってしまった。
「参考までに、何をしたいのか聞いてもいいかしら?
貴方を馬鹿にしているわけじゃないけど、自衛官を務めるからには、それなりに色々なことができるのよ」
面倒くさい人だな。
こういうところは減点になってしまうな。
一回寝るくらいで精神の均衡を取り戻せるというのは大きなメリットなんだが。
「ああ、それじゃあちょっと見ていてもらいましょう。
付いてきて下さい」
俺は内心を悟られないように笑みを浮かべると、一台だけカートを押しつつ彼女をこの施設の入り口へと連れて行った。
そこには、逃げ遅れたのか職務に忠実だったのかは不明だが、とにかく部署を守って殉職したらしい警備員の成れの果てがある。
本当にどうでもいいことだが、この地域は作業員や警備員が非常に多い。
大抵は工具や警棒を持っているので、細々とした武器の回収には事欠かない。
とにかく入り口に到着した俺は、警備員の死体の近くにカートを蹴り倒すと、彼に手斧を振り下ろした。
「何をしているの?」
傍から見れば狂っテイるようにしか見えなイだろう。
俺ハ正常だ。
狂イタくても狂えないんだからな。
「まあ見ていてくださいよ」
相変わらず笑みを浮かべつつ、俺は蹴り倒したお陰で積荷が散乱してしまっているカートから、塗装用の刷毛を取り出した。
切り刻んだ死体から流れ出る血液をタップリと含ませ、壁をキャンバスにしてお絵かきを始める。
「危険、奴らをたくさん閉じ込めた。近寄るな?」
俺の作業を黙ってみていた彼女が呟いたのが聞こえる。
うむ、きちんと他の人も読み取れるようにできたようだ。
不思議そうな声である理由はよく分かる。
これだけの規模の施設であれば、それなりの人数が働いているはずである。
内部への侵入にあたって、確認は念入りに行なっていた。
警備装置は全部死んでいるので防犯モニターは使えなかったが、タイムカードの打刻を確認したことである程度の確認はとれている。
誰か判断能力に優れている人物がいたのだろう。
この施設は事件発生の早い段階で臨時休業となり、従業員たちは全員が帰宅していた。
つまり、ここには恐らく誰もいないのだ。
「これを見て、入口前に転がる商品を見て、それでも試しに入ってみようという人はいないでしょうね」
俺の言葉に彼女は散乱した積荷を改めて見る。
この台車だけは自分でやりますと俺が引き受けたそれには、とても色々なものを載せていた。
カーナビ、液晶テレビ、ホームシアターシステム、デスクトップパソコン。
恐らく売価で言えば総額で100万円ぐらいにはなるかもしれないそれらは、平たく言えば燃えないごみでしかない。
この倉庫の事を思い出してやってきた人々は、この正面玄関に心奪われる事だろう。
禍々しい血文字で描かれた警告、腹の足しにもならない機械の残骸。
それを見た後で、もしかしたら無いかもしれない食料を求めて、奴らがたくさん閉じ込められているかもしれない倉庫に入れる人は何人いるだろうか。
何も知らずに俺がここにきたとしたら、絶対に入ろうとは思わない。
ここには食べ物が無いかもしれない、奴らがたくさんいるかもしれない、ここまでして物資を独占しようとする危険な人間がいるかもしれない。
これだけ危険な『かもしれない』が満ち溢れているのだ。
封鎖されているこの区画まで辿りつけた人であれば、絶対に入ろうとは思わないだろう。
まあ、車が使えない以上、略奪されても放火さえしなければ別に多少持っていかれても困らないんだがな。
「適当な間隔でこの建物のできる限りの場所に塗りつけておこうと思います。
まあ、ここはあまりにも巨大ですから、本当に一部だけになりますけどね」
耳なし芳一じゃあるまいし、思いつく限り全部の場所に文字をびっしりと書くなどという事はできない。
作業時間は限られているからな。
「運搬を一人でお願いするのはその間だけですよ。
さすがにこんな気の滅入る仕事をいつまでもしていたくはないですからね。
ああ、それで、交代します?」
彼女は心の中が実にわかりやすい人物だ。
何なら荷物を全部倉庫まで運んでおいてもいいわと言ってくれた。
うん、説明を省いてしまったのは失敗だったな。
俺としたことが、大崩壊後のニンゲンを無意識に信用しテシまうトは、やハり昨日の今日で疲れていタんだろう。
「それではよろしくお願いします。
ああ、内部はある程度は確認しましたけど、警戒は怠らないでくださいよ」
笑顔のまま別れ、施設の周囲に警告文を書き込んでいく。
まあ、結論としては十一箇所ほどに血文字を書き込むことが出来た。
刷毛が乾くたびに何度も往復するのが面倒になったので、途中で死体を手頃なサイズに解体するのには面倒だったが。
奴らを潰す時にはもっと簡単にできるのに、どうしテニンゲンってのは解体シヅらいんだろうナ。
三日目 夕刻 日本国床主市郊外 『友鶴造船株式会社床主造船所』
「非常食はわかるけど、こんなの何に使うの?」
造船所に侵入した俺達は、在庫を大量に運び出していた。
ああ、車が使いたい。
「ヘリコプターや車両を見かけた時、大声で叫んでも無駄です。
でも、信号弾や発煙筒を使えば随分と変わるじゃないですか」
俺の言葉に彼女は素直に感心してくれたらしい。
まあ、極限状態を何度も何度も何度も何度も何度も経験すれば、救助ヘリに見つけてもらえないことも、その対策を知っている人物と行動を共にすることもある。
別に俺の頭の回転が速いというわけではない。
「なんかの映画で見た受け売りなんですけどね。
でも、要救助者を探している時に照明弾が上がれば何事かと見に来るでしょうし、発煙筒が焚かれていればそこに誰かがいたと思うでしょう。
大した手間ではないし、使って見る価値はありますよ、きっと」
価値があるどころではない、これらの品は救助隊と合流するためのいわばキーアイテムだ。
絶対に回収しておく必要がある。
「救援なんて、あるのかしら」
帰ってきた答えは、驚くほどに平坦な声音で、暗いものだった。
日が沈み始めたせいなのだろうか、彼女のメンタルは再び不安定なものになりつつあるらしい。
「どんなに悲観的に考えても、偵察の一つぐらいは来ると思いますよ。
今回の事態はあまりにも素早く進んでしまったので、自衛隊や警察が完全に消耗し切る前に、行動を決断でき人間が弾薬を握っているはずです。
自衛隊はなんだかんだといっても軍隊ですから、ある程度の戦力の洋上脱出ぐらいはしているでしょうし、護衛艦であればEMP防御くらいは施しているはず。
警察には機動隊もSATもあるわけですし、どこかに立てこもって反撃の機会を窺うぐらいはするはずです。
悲観的な思考は今のような状況では大切なものですが、意図的に希望を捨てるのは好ましくないと自分は思いますよ」
そう、時間が経てば、救援らしいものが来ないわけではないのだ。
断片的な情報を集めると、この災厄は世界規模で同時多発的に発生しているそうだが、それでも完全に全世界の軍隊が全滅するわけではない。
銃社会アメリカは全面核戦争を今でも覚悟している国家だ。
彼らは絶対に滅ぶことなく、ある程度の戦力は維持できているだろう。
対抗のロシアもそうだ。
彼らには広い国土と強大な軍隊がある。
経済危機と内部の腐敗によって酷いことにはなっているだろうが、それでも世界で上位の軍隊だ。
お隣中国もそうだろう、韓国も、ひょっとしたら北朝鮮もそれなりに国家を維持できるかもしれない。
欧州だってそうだというか、人類はとてもしぶとい生き物だ。
他の地域に目を向けてみても、そうそう容易く滅んだりはしないだろう。
「でも、私達が生きている間に来るなんていう保証はないでしょ?」
ああもう、面倒くさいな。
確かに彼女の言うとおりで、他国軍はもとより自衛隊や警官隊だって、今日明日は自分たちを維持するので精一杯だろう。
他所の地域に救援に来るなどというのはだいぶ先になるはずだ。
その時まで、俺達が生存できているという保証はどこにもない。
「だから、こうして生きていられる時間を伸ばしているんじゃないですか?
今すぐ諦めても、私達だけで一ヶ月は生き延びられます。
保存食ながらも種類が豊富な食事を好き嫌いしながら楽しみ、お菓子やジュースを味わい、浴びるほどの酒を毎日飲んで、窒息するほどタバコを吸いまくって一ヶ月。
ご希望とあれば、睡眠不足で衰弱死出来るほど大量の本を仕入れることも可能です。
住んでいる場所は無反動砲でも持ち出さない限りは突破可能なコンクリートの要塞。
警戒を怠らないのであれば、どんなに気を抜いても大丈夫な天国ですよ、ここは」
ダラダラと喋りながら台車を押す。
明日辺りから車を何とかできないか部品を探してみるかな。
ひょっとしたら、一台ぐらいは動かせる車があるかもしれない。
「随分と楽観的なのね。
出会った時からそんなのだったかしら?」
やけに突っかかってくるな。
この場で泣きわめいて、おれはもうおしまいだーとか叫んであげたほうがよかっただろうか。
「だって、こんな素敵な女性と一緒に頑張れるんですよ。
死ぬ気でがんばろうという意欲ぐらい湧いてもおかしくはないでしょう?」
気障っぽいことを言ってみたが、どうやら外したようだ。
彼女は目を丸くして無言でこちらを見ている。
やれやれ、人がせっかく気を使ってみればこれだ。
次に面倒な事を言い出したら即座に射殺しよう。
これだカラニンゲンは嫌なんダ。
三日目 深夜 日本国床主市郊外 『大東亜重工業 第八資材倉庫』
「起きて!」
夜中に突然の呼集とは困ったものだ。
俺は寝入る直前まで体力を消耗させられており、今も疲れが抜けていないというのに。
「奴らですか?」
腰の拳銃に手をやり、それが確かにあることを確認する。
続いて枕元の散弾銃とライフル。
うん、予備弾薬も含めて確かにそこにある。
「ライフル持って、上に来て!急いで!」
どういうわけだ?
何か余計なことでも仕出かしやがったのだろうか?
内心では今すぐ殺すかどうかを悩みつつ、誘導されるがままに二階へと駆け上がる。
「こっち!外よ!」
おいおい、非常口が開けっ放しじゃないか。
この女、何を考えたのかドアをきちんと閉めずにいたらしい。
開けたら閉める、基本だろうが。
奴らが入ってきたら、こいつを殺したぐらいじゃ収まりがつかない話になるんだぞ。
「ドアはきちんと、おお」
飛び出した彼女に続いて踊り場に飛び出した俺は、驚くべき光景を目にした。
川の対岸、そこにある建物の一階が燃えている。
大火災というほどではないが、このまま放っておけば良くないことになるだろう。
そこに、奴らがいた。
暗いのでよくわからないが、少なくとも数十体はいるのではなかろうか。
炎をものともせずに建物へと押し寄せている。
「またすごい光景ですが、これが何か?」
周囲全てが燃え盛る市街地から何度も逃げ出そうとしていた俺からすれば、火災などというものは対して目新しいものではない。
川というか運河を挟んでおよそ200mはあるだろうか。
あの辺りの建物が全部燃えたとしても心配はいらないだろう。
奴らもたくさんいるが、別に百体やそこら集まったとしても、あのクソ重いコンテナをどうこうすることはできないだろう。
「どうせここまではこれませんよ。
まあ、念のため収まるまでは見ておくとしても、そこまで気にすることはないでしょう」
心配をして損をしたな。
まあいい、警戒を怠らないのは大切だ。
例え体力を消耗する結果になったとしても、油断して死ぬよりは余程ましだ。
「よく見て!二階!向かって左の窓!」
なんだようるさいな。
俺の内心の呟きに答えるようにして、聞き慣れた銃声が耳に届く。
少なくとも三丁、恐らく拳銃。
身を伏せ、ライフルを構えつつ状況を確認する。
なるほど、燃えている建物の二階に銃火が見える。
「生存者ってわけですね」
どういうわけだか立ったままの本田に尋ねる。
こちらを狙っていないとは限らないのに、随分と呑気なものだ。
「あれは間違いなく生存者よ!直ぐに助けに行かないと!」
今にも階下へ向けて突撃しそうな彼女の腕を掴む。
一人で勝手に死んでくれるのはありがたいが、この場所がわかるような真似をされては困る。
「落ち着いて、もっとしっかりと状況を確認しましょう」
その間に死んでくれるとありがたいのだが。
この状況下に百人の人間を送り込めば、きっと全員が俺の意見に同意してくれるはずだ。
俺は間違いナク正常ナ考えをシていルし、つまり絶対に狂っテなんかイナいぞ。
「何言ってるの!ああもう!貴方はそうしていなさい!」
何を血迷ったか彼女は傍らにおいてある散弾銃を掴むと、俺の手を振りほどいて非常階段を駆け下り始めた。
おいおい、いくらこの辺りは掃除してあるとはいえ、何も考えずに飛び出す奴があるか。
俺が呆れている間に彼女は下の非常扉を開け、暗い道路へと消えていった。
さて、どうするか。
このまま見捨てるもよし、ついていって英雄的行動を取るもよし。
だが、見捨てるにしても、彼女が復讐に戻ってこないように、きちんと最後を見届けるか、引導を渡してやらなければ危険か。
「まったく、こんな夜中に動こうとするなんて、俺もドこか狂っちマッたのかネ」
自分の正気を疑うという冗談を楽しみつつ、俺は予備の散弾銃を取りに戻ってから階下へと駆け下りていった。
非常扉を開けてストッパーをつけると、念の為にガムテープで開閉の有無をわかるように簡単に縛り付け、彼女の後を追うために駆け出す。
「誰か!誰か!誰か!」
突然現れた人影に散弾銃を向ける、誰何には当然だが応答は無い。
上半身を狙い発砲、月明かりと対岸の火災ぐらいしか光源はないが、明らかに頭部を吹き飛ばしたことを確認できる。
「あーもう、まだ排除完了できないか」
まさかとは思うが、俺が見落としている別の場所から入ってきたりはしてないだろうな。
銃声に心惹かれたのか路上に人影らしいものがいくつか見える。
「人間なら俺の方に向けて走れ!それ以外は全部発砲するぞ!」
応答はなし、全部奴らか適切な行動が取れないほどに怯えきった人間だ。
つまり、全部やっつけてしまっても問題はないだろう。
手短な二体に向けて発砲。
暗いとはいえこの距離で散弾を外すようであれば俺も引退だ。
何から引退するかはわからないが、一時的に確保できた前方の空間に退避しつつ再装填。
左右と後方の安全を素早く確認し、再び前進を再開。
コンテナまでは直ぐだ。
「そこの人!こっちよ!コンテナのところ!
援護するからフェンスを乗り越えて!」
余計なことをしてくれる。
彼らか彼女たちかは知らないが、拳銃で武装している連中が真っ当な生存者である保証がどこにあるというのだ。
銃火器で武装した暴徒を殺すのは大変なんだぞ。
内心で怒りに燃えつつも、俺はコンテナまで到達する。
「登りますよ!」
声をかけつつ立てかけたままの梯子を駆け上がり、登り切るなり梯子を引き上げる。
コンテナの上に彼女以外の人影はなし。
「勝手に動くな!あの連中が正常な人間だと何故わかる!」
こちらに向けて笑顔を向けてきた彼女を怒鳴りつける。
万が一にでも連中が正常な人間であると困るため、今この場で射殺する訳にはいかない。
「そうは言っても来てくれたのね!ありがとう!」
この女、恐怖か絶望で気が狂ってしまったんじゃないだろうな。
何をどう考えればこんな危険な行動が取れるんだ。
糞、狂ったんであれば一人で静かに首を吊ってくれよ。
「話はあと!まずは安全確保!」
心の中で罵りつつ、コンテナに近い奴らに散弾を喰らわせる。
上から撃っただけあり、散弾は固まっていた二体の上半身を破壊する。
次、次、よし、再装填だ。
「弾は持ってきてくれた!?私はもう残りがないの!」
ああもう、予備弾薬も持たずに散弾銃片手に駆け出すとか止めてくれよ。
「背中のザック!全部散弾です!」
怒鳴るなり彼女は俺の背中に手を伸ばす。
できるだけ動かないようにしつつ狙いを付け、装填したばかりの銃弾を発射。
こんな調子で撃ちまくったらあっという間に弾切れだぞ畜生。
「撃つわよ!」
糞が!こんな至近距離で外しやがった!
もう勘弁してくれよ!俺も我慢の限界だぞ!
「ああもう!どうしてこっちに来てくれないの!?」
それ自体はとても喜ばしいことだというのに、彼女は怒りを隠せない声で苛立たしげに喚く。
確かに、これだけ盛大に撃ちまくっているのにどうしたことだろう。
俺たちも危機に瀕した生存者だと思われているのだろうか。
まあいい、こういう使い方は想定外だが、一応奥の手は持ってきた。
腰のポーチに手を伸ばし、筒状の物を取り出す。
そのまま空に向け、底部の紐を引く。
炸裂音、飛翔音、そして閃光。
さすがは救難用照明弾だ、きっと遭難中に打ち上げたとしても同じように安心感を与えてくれただろう。
M257のように100万カンデラとかいう狂った明かりはだせないが、この近隣一体の人間がこの光源を目にしただろう。
気がつけば銃声は収まっており、微かにだが怒鳴り声のようなものが聞こえる。
足元も綺麗になったことだし、次はライフルの出番かな。
「こうなれば助けますよ。
周辺警戒は任せました」
警戒も忘れて空を見上げる彼女に一言告げると、俺はライフルを構えた。
スコープの向こうに見えてきた生存者たちは、警察官の格好をしているように見えた。
やれやれ、あの連中、この時間まで生き延びていられたのか。
俺は微かに笑みを浮かべると引き金を絞った。
今までに出会った助けるに値する人物は、恐らくだが全部記憶している。
その記憶が確かならば、彼らは有能な仲間として役に立ってくれるはずだ。