- 11月1日 越前北ノ庄(柴田勝家の居城) -
「三七の馬鹿が」
織田家筆頭家老を持って自任する柴田修理亮勝家は、杯を呷りながら忌々しげに吐き捨てた。
馬鹿と吐き捨てた三七とは他ならぬ岐阜城主の織田信孝であり、旧主信長の息子を勝家は平然と呼び捨てにしている。
かつて信長に叛いたこともある老将は、たとえ主家筋とはいえども36以上も年下の、しかもろくに実績のない若者に対して、一人酒を飲む時にまで敬称をつけるほど大人しい人物ではなかった。
-早すぎる
勝家はじりじりとした焦燥感に追い詰められていた。
今の彼にはいくつも不安の種があった。
政敵であるハゲネズミの策謀
柴田派であるはずの織田信孝や滝川といった諸将の不甲斐なさ
そしてかつての同盟国の道理も何もあったものではない侵略行為等々。
しかし今最も老将の心を不安に駆らせるのは-
その時、軒先がミシリとしなる音が聞こえ、勝家は露骨に舌打ちをした。
勝家を始め雪国の人々にとって見れば、まさにそれは天から降る白い悪魔以外の何者でもなかった。
雪である。
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いそしめ!信雄くん!(信意は準備を命じた)
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「時間が-時間がない」
北ノ庄で勝家が一人呟いていたのとちょうど同じ頃、山城の山崎城(天王山城)では羽柴秀吉が千宗易を相手に愚痴りながら茶を立てていた。
だが雪に神経をとがらせる勝家とは異なり、秀吉はそれを待つ立場にあるという違いはあったが。
越前から近江に繋がる北国街道は12月には雪に閉ざされる。
つまり柴田勝家は12月になると、柴田領の飛地である近江長浜、そして三法師を擁する織田信孝の美濃岐阜城との連携が取れなくなる。
秀吉はそれを待っていた。
待っていたが故に、勝家と同様に苛立ちを隠せずにいた。
「草の知らせでは雪はまだ一尺ほどしか積もっていない。
今、岐阜や長浜を囲むのは容易だが、それでは勝家に背後を衝かれる」
「若狭の丹羽様や越後の上杉様はいかがなされております」
「五郎左(丹羽長秀)殿は私を支持してくれてはいるが、あの御仁の性格ではな。牽制がいいところだ。
かつての上杉と今の上杉は違う。佐々相手にも苦戦する有様で、まして勝家相手ではな」
秀吉が乱暴に立てた茶を、宗易は顔色一つ変えずに飲み干した。
主人である秀吉の顔を立てるためといえば聞こえはいいが、今や織田家中最大の権力者となった秀吉に媚びているようにも受け取られかねない。
しかし彼の行動や仕草にはそうした卑屈なものを、秀吉は何一つ感じることはなかった。
「貴殿は悪人だな」
「私は所詮は商人。織田家を乗っ取ろうとする羽柴様ほどではありません」
その言葉に秀吉は声を上げて大笑した。
「まったく、宗易殿にはかなわんな。それで此度はどんな土産話を聞かせてくれるのだ?」
「近日中に能登の前田利家様、越前大野の金森様、そして不和彦山(勝光)様の3名を代表とする使節団が上洛します。目的は羽柴と柴田の和解」
宗易好みという黒茶碗を撫でるように両の手で抱えながら、茶人は何気なく重大な事実を口にした。
宗易がその茶碗を、まるで女子の肌を撫でるかのように慈しみながら触れるその手に秀吉はなにやらおぞましいものを感じたが
同時に彼の頭脳は、利休の言う情報について素早く考えをめぐらせていた。
日ノ本一の商都・堺には全国から様々な情報が集まる。
そして商人の値打ちはその情報の真偽を確かめる真偽眼と、商機をかぎわける嗅覚、そして決断力の三つである。
利休のもたらす情報はいつでも正確であり、秀吉はその点に関してはこの茶人に対して絶対の信認を置いていた。
「焦っておられるのは柴田様も同じこと。前田玄以様のことで秀吉様が岐阜城を攻めるのではないかと考えておられるようです。
しかし北国街道には既に雪が積もり始めている。
後方の退路や補給路も定まらずに出陣するのは避けたいのが本音のご様子」
「それで又左(前田利家)か。勝家も芸がない」
そう勝家を嗤った秀吉だが、その顔にも深い疲労が刻まれている。
無理もない。本能寺の変以降、肉体的にも精神的にも走り詰めなのだ。
ましてあと数ヶ月の内に、自分の手喉解くところに天下が近づいている今は。
それゆえ秀吉は待てない。
あと1ヶ月、これから北国街道に雪が積もるまでの1ヶ月は、この小男には誰よりも長く感じられることだろう。
-この小男に勝ってもらわねばならない
それは宗易のみならず堺を治める有力商人の共通した見解である。
堺はこのたびの羽柴と柴田の争いにおいては表面上の中立を保ちながら、羽柴の勝利を期待していた。
理由は簡単。旧織田家の中国方面軍司令官であった秀吉とは繋がりがあり、北陸方面軍の柴田勝家とは商いの伝が薄いからだ。
とはいえ戦は商いと同じく水もの。気の利いた商人は両方に掛け金を掛けていた。
そして宗易は掛け金を多少秀吉に多く掛けていただけの話だ。
そのため秀吉の不安となっているもう一つの懸念についても、宗易は調べがついていた。
「北畠中将殿ですが-」
その言葉に、茶道具を片付けていた秀吉は明らかにこれまでとは違う反応をした。
じろりと宗易を見据え、普段はあれほど姦しい口を開こうともしない。
宗易が意図したわけではないのだが、秀吉の手には先ほど乱暴に茶を立てた『茶筅』が握られていた。
「北畠中将は家中の不和を何よりも案じておられます」
「不和、だと?」
「今回尾張を獲得され、家臣団が急増したことによって北畠家としての一体性が薄れることを恐れておられるのです。
このところ木造具政や岡田長門守ら、旧北畠一族や織田家からの付家老と積極的に面談しておられることは、いわば不安の裏返し」
「……織田に復姓することで旧北畠家臣と織田家出向組の家臣との間で亀裂が生じるかもしれない-というわけか。
あれだけ一族や家臣を粛清した信意殿とは思えないな。
いざとなればもう一度、粛清なり追放なりをすればよいではないか」
「強行策の利点と欠点を経験しているからこそとも言えます。
衰えたとはいえ、いまだに北畠具親が反信意勢力として健在しているのも事実でございます」
宗易は黒茶碗を畳の上に置いた。やはりこれは茶室でも映える。
たとえ黄金の茶室といえども、この茶碗の存在感が揺らぐことはないだろう。
元瓦職人が創ったとは思えない茶碗の出来栄えに満足しながら、悪人は極悪人に語りかけた。
「茶道具は所詮茶道具でしかありません。その使い方を知り、価値を知るものが持たねば、たとえ高麗井戸といえども雑器と変わりありません」
「それくらいわかっておる」
秀吉はその小柄な体からは信じられない握力で、竹で出来た茶筅を握りつぶした。
「しかしあれは何なのだ?」
*
- 11月8日 近江国安土城 摠見寺(石垣修復工事の普請監督所) -
「すっごく、おおきいです」
運び込まれた巨石を前に恍惚とした表情で呟いた信意に、石垣修復工事の監察役である土方勘兵衛は「仕事の邪魔です」と冷たく言い放った。
最近、部下の扱いがどんどん雑になっているような気がする。
土方、お前清洲に帰った覚えてろよ。
あれ?津川、お前何時からそこにいた。
「最初からです」
「それなら何か言ってくれないか?」
津川にも黙殺されました。
これ以上騒ぐと、気の荒い穴太衆の石工職人に蹴り出されそうなので自重するか。
「それにしても金かかるよなぁ」
いったいどれだけついたのかも忘れたが、信意はため息を漏らした。
石垣修復だけでもどれだけ金が必要なのかわからないのに、籠城戦で焼けた二の丸御殿(三法師の住居になる予定)修理まで考えると、頭が絞られるように痛くなる。
これで史実通りに廃城になったら俺は暴れるぞ。拗ねるぞ。そうなると面倒だぞ!
………自分で言っておいてなんだが、大変空しい。
町を焼かれた住人-中でも裕福層は伝を頼り、近隣の都市や商都に転出してしまっている。
安土がかつての繁栄を取り戻すのはかなり難しいだろう。
そして本格的な都市再建のための費用を出すほど北畠家は裕福ではない。
「羽柴殿がかつての石山本願寺跡に城を築くという話もあります。そうなればここは用済みですな」
「滝川ぁ!不吉だからそんなこと思っていても言うな!!」
付家老の滝川三郎兵衛雄利の、的外れでもない未来予想図に信意は情けない声を上げた。
彼は名前からわかるようにかつての織田家関東管領の滝川一益の養子(娘婿)であり、一益没落の原因となった神流川の戦いにも従軍している。
いわば織田家からの出向組だが、彼は北畠氏一門の木造氏出身でもあり、信意は北畠・織田融合の象徴として期待している人材である。
「それで、津川に滝川。雁首そろえて何の用だ?」
「はっ。実は柴田と羽柴の和睦交渉についてですが-」
「あ、それ。ないない。絶対ない」
まるで明日の天気を予想するかのような軽い調子で断言した主に、津川と滝川は共にあんぐりと口をあけた。
「柴田は北国街道が雪解けになり、軍勢が動員できるようになる来年の4月頃まで戦いを延期したい。
そのための時間稼ぎだ。
そして時間稼ぎであることは羽柴にもわかっている」
チート知識(未来知識)万歳。てか、これがなかったら俺は確実に野垂れ死にだろう。
知識も何もなく、実際の信雄みたいにやれる自身はないし。
途中で秀次の代わりに粛清されるかもしれない。
そんな未来は断じて嫌だ。
「では羽柴様は何故?」
「待っているのだ、雪が降るのを。
断言しよう。秀吉殿は街道が雪で閉ざされるのと同時に岐阜を囲んで三法師を取り戻すぞ。
飛地の近江長浜や-三郎兵衛を前にしていうのは気が引けるが、滝川殿などを個別撃破するつもりなのだろう」
顔が曇る三郎兵衛。信意は三郎兵衛に命じて一益への呼びかけを続けさせていたが、一益は娘婿の誘いを受け入れる気配がない。
同じ中途採用組みの秀吉の下に立つのが耐えられないのだろう。
関東管領としての権勢を誇った頃が忘れられないのだと嘲笑することは簡単だが、それは若者の傲慢だ。
何より「明日はわが身」である。
「とにかく12月になれば事態は動き出すだろう。
それまでに尾張の検地を終えておきたいから、叔父上(長益。尾張検地奉行)には急ぐように伝えてくれ。
それと津川」
「はっ」
「仮に秀吉殿が動けば信包殿(伊勢津城主)と協力して(津川は松ヶ島城主)北伊勢の神戸領と伊勢長島城の滝川を牽制しろ。
いざとなれば長島城を包囲してもかまわん。とにかくそのつもりで軍備を整えておいてくれ。
尾張の兵でも牽制ぐらいはできるが、動員となると難しいだろうからな」
てきぱきと指示を下す信意は、先ほどまでとはまるで違う人物のように三郎兵衛には思えた。
*
- 同時刻 山城 山崎城 -
不思議な男である。これほど欲望の多い男が、これほど無邪気な笑い方をする。
「如何でございました」
「上々。又左は相変わらずいい男だ」
羽柴秀吉はそういうと大きく笑った。
この笑いが自分に些か大胆な賭けをさせているのだと、千宗易は自分の中の美意識に釈明をした。
美こそは彼の神の名前であり、それを広めるためには命すら惜しくはないと彼は考えていた。
確信犯であるだけに、ある意味狂信者よりも性質が悪い。
秀吉は上機嫌で茶室へと入ってきた。
柴田家の使者-前田利家、金森長可、不和勝光との会談で望むものを得ることに成功したようだ。
「又左はいいやつだ。勝家からの和平の申し入れにわしが賛成すると言うと、喜んでわしの手を握りおった」
友情と親父殿への義理の間で揺れていた槍の又左殿はさぞや安堵したことだろう。
いうまでもないことではあるが、宗易は秀吉に念を押した。
「約束を守らない商人は信用されません」
「何、又左の顔を潰すようなことはしない。約束は守る。
だが、停戦期限について向こうは来年までと考えているが、こちらは半月先までだという考え方の相違はあるがな」
秀吉は口を押さえ、堪えきれないという様子でくっくっくと低く笑った。
北陸道-中でも越前は全国有数の豪雪地帯として知られているが、それは軍を動かすことが困難になることを意味している。
あと半月すれば、勝家は美濃や北伊勢で何か起ころうとも軍を動かすことが出来なくなる。
織田信孝が前田玄以を岐阜城より追放したという知らせは、秀吉を大いに喜ばせた。
信孝の行為は、羽柴・柴田の対立を苦々しく思っていた中間派諸侯に対する格好の大義名分になりうる。
「三法師様を政争の具にした信孝殿には、もはや後見役の資格はない」とでもいいながら岐阜を囲めば、三法師の身柄は抑えたも同然。
既に西美濃衆への切り崩し工作は順調に進んでいる。
あれほど待ち遠しかった時間が、天が自分に味方する感覚を秀吉は味わっていた。
「ところで秀吉様。北畠中将殿のことですが-」
宗易の立てた茶を口に運ぼうとしていた秀吉は、眉間にしわを寄せてその手を止めた。
持て成しとは茶を美味しく味わう環境を整えるということ。
宗易は未だその環境を秀吉に提供できているとは考えていなかった。
そして秀吉は
宗易の持て成しに、満面の笑みを浮かべながら茶を喫した。
これより半月後の12月2日。羽柴秀吉は総勢5万の大群を率いて近江へ出兵。柴田勝家の甥である柴田勝豊が城主を務める長浜城を包囲した。
ここに賎ヶ岳戦役が幕を開ける。