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No.24299の一覧
[0] いそしめ!信雄くん![ペーパーマウンテン](2013/10/05 23:53)
[1] プロローグ[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:54)
[2] 第1話「信意は走った」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:54)
[3] 第2話「信意は言い訳をした」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:55)
[4] 第3話「信意は織田姓を遠慮した」[ペーパーマウンテン](2013/09/26 21:03)
[5] 第4話「信意はピンチになった」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:56)
[6] 第5話「信意は締め上げられた」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:56)
[7] 第6話「信意は準備を命じた」[ペーパーマウンテン](2013/09/26 21:07)
[8] 第7話「信意は金欠になった」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:57)
[9] 第8話「信意はそらとぼけた」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:57)
[10] 第9話「信意は信孝と対面した」[ペーパーマウンテン](2013/10/05 23:52)
[11] 第10話「信意は織田信雄に改名した」[ペーパーマウンテン](2013/09/26 21:13)
[12] 第11話「信雄は検地を命じた」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:58)
[13] 第12話「信雄はお引越しをした」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:59)
[14] 第13話「信雄は耳掃除をしてもらった」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 08:59)
[15] 第14話「信雄は子供が産まれた」[ペーパーマウンテン](2013/09/22 09:14)
[16] 第15話「信雄は子守りをした」[ペーパーマウンテン](2013/10/05 23:53)
[17] 第16話「信雄は呆気にとられた」[ペーパーマウンテン](2013/09/27 19:30)
[18] 第17話「信雄は腹をくくった」[ペーパーマウンテン](2013/10/10 19:40)
[19] 第18話「信雄は家康に泣きついた」[ペーパーマウンテン](2013/10/10 21:52)
[20] 第19話「信雄は方向音痴だった」[ペーパーマウンテン](2013/10/18 23:34)
[21] 没ネタ[ペーパーマウンテン](2010/12/04 14:15)
[22] 没ネタ・その2[ペーパーマウンテン](2011/03/27 16:09)
[23] 没ネタ・その3[ペーパーマウンテン](2013/04/14 12:48)
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[24299] 第17話「信雄は腹をくくった」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:151a2b73 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/10 19:40
合戦において前衛部隊、すなわち先鋒の果たす役割というのは非常に重要である。
先方が敗れればその余波は後陣にまで波及し、戦局は一気に悪化する。
逆に相手の先鋒を打ち破れば、相手方の本陣目掛けて駆けることが可能となるわけだ。
本来ならば最も戦上手なものを選ぶのが望ましいが、それでも陣中によほどの戦上手がいない限りは
危険ではあるが最も功を立てやすい先鋒を希望するものが絶えない。
こうした無用な争いを避けるため「合戦場に最も近いものが先鋒となる」という不文律が存在する。

たしかに合理的ではある―本来最も重視するべきであるはずの部隊の強弱を除けばだが。

そして森長可はおそらくこう考えたのではないか?

「先鋒は自分をおいてほかにはない」と

その領地である美濃兼山は予想された合戦相手からは、先鋒としてはおかしくはないほどには近く
領主である森長可といえば旧織田家中において戦上手で知られていた。
確かにこれだけならば何も不都合なことがなかったのである。

問題があるとすれば、森長可が誰の許可も取らずに合戦を始めたことであろうが。

中和田哲男『犬山合戦』より抜粋

*************************************

いそしめ!信雄くん!(信雄は腹をくくった)

*************************************

織田信張とは如何なる人間なのか。

尾張守護代織田氏、その家老である織田大和守家にはいわゆる織田三奉行と呼ばれる家があり、彼はその「藤左衛門家」当主である。
弾正忠家(信長の系統)と同格であったが、当主の早世が相次いだため早くから弾正忠信秀に、そして信長に仕えた。
信張はこの7歳年下の義理の従兄弟によく仕えた。
近江浅井攻めや比叡山焼き討ちなど、信長の赴くところにその姿が確認できる。

信張を一言で言うなら「戦争屋」である。

長島一向一揆との戦いでは一子信直を失いながらも、その粘り強い戦ぶりが評価され、天正5年(1577)からは紀州雑賀攻めを命じられた。
紀伊の国人衆である雑賀は海運業等でなした莫大な財力、そして莫大な鉄砲で武装した精強な傭兵を備えていた。
信長自身彼らによって何度も苦汁をなめさせられ、その畿内戦略の修正を迫られている。
この雑賀攻めを命じられた信張は、あくまで正攻法で攻略にかかった。
5年近くもの長きにわたり粘り強く合戦と交渉を繰り返した結果、雑賀衆の活動を抑え込むことに成功したのだ。
この功績により岸和田城主として和泉半国守護に任ぜられる。
その兵力は本能寺の変まで信長の直轄軍として位置づけられており、その配下も「信長の近衛師団」に相応しいものであった。

しかし信張には政治的才覚というものがまるで備わっていなかった。
本能寺の変により発生した一揆鎮圧に追われる中、山崎合戦に従軍した蜂屋頼隆に和泉方面軍の地位を奪われている。
そして続く賤ヶ岳の戦いにおいても厳正中立を保ったことから秀吉に疎まれ、岸和田城を羽柴家の中村一氏に明け渡して尾張へと帰国する。

この時すでに56歳。すでに引退してもおかしくはない。
この尾張小田井城で隠居していた老将を、わざわざ犬山城代に引っ張り出したのが尾張国主織田信雄である。
ブランクのあるベテラン(中川重政)に融通の利かない戦上手(織田信張)を組み合わせようとする意図であったのはすでに述べた。


つまり織田信張という老人は人生のほとんどを戦場で、それも厄介な相手ばかりと戦い続けたプロの戦争屋である。


「信濃や美濃の豪族相手に粋がっていた小僧がわしの相手をしようなど、10年早いわ」

散々に打ち負かされて我先にと退却する森武蔵守の軍勢を見ようともせず
信張は床几に座ったまま何事もなかったかのようにぷかりとタバコの煙をふかしていた。

深夜兼山城を出陣した森家の軍勢は木曽川沿いを下るように行軍。
攻撃部隊は夜明け前の奇襲を狙っていたが、下流に位置する要所犬山においてこの動きは察知するのは容易であった。
まして上流の城主があの何をするかわからない森武蔵である。警戒しないでいる方がおかしい。

この犬山城攻略を図る森長可の軍勢に対して、信張のとった対応はきわめて単純なものである。
軍勢を犬山城城下までおびき寄せる―そこで伏せていた部隊と城からの兵で挟撃。
言葉にするとただそれだけなのだが、突発的な事態に「それだけ」の事を何事もなく成し遂げるのがいかに難しいことか。
深夜の行軍で神経を疲弊させていた森の軍勢は、奇襲という絶対優位性が崩れたことで士気が瞬く間に崩壊。
これに徴用した船で川の上からもさんざん鉄砲を打ちかけたため、さすがの鬼武蔵も軍勢を立て直すことができず退却していった。

「本当によろしかったのでしょうか」と孫の信氏が不安げな顔で尋ねるが、老将の答えは明確であった。

「先に噛みついてきたのは森武蔵守ぞ。火の粉を払ったまでのことよ」

なるほど「そもそもあの狂犬相手に話し合いなんぞ出来るわけがなかろう」という言葉には同意する。
とはいうものの「躾のなっていない犬は叩いて躾けてやらねばな」と笑う祖父ほど信氏は楽観的ではいられなかった。
戦場においてはこれほど頼りになる存在はないが、この祖父は畳の上では全く頼りにならない。
一流の戦術家ではあっても戦略家としては二流であり、政治家としては三流以下。
織田信長という一流の戦略政治家の下での方面軍司令官であればそれでよかったのだが。

経験の浅い自分でさえ思い浮かぶ先行きへの懸念が、この祖父には考慮の端にすら上らないようだ。
羽柴派の森家の軍勢を織田信雄の家臣が撃退した―これが何を意味するのかを。
美味そうに煙草を吹かす祖父から視線を外すと、信氏は判断に迷う。
考えるまでもなく結論は分かり切っていたが、それでも一応は判断を仰がねばならない。

「これは大きな合戦になりますな」

そして信張は「それは楽しみじゃ」と大笑する。
ああ、この人は本当に目の前の戦のことしか頭にない人なのだ。
夜明けを知らせる鴉の鳴声のもと、信氏は乾いた笑い声を立てた。



「忠三郎が…」

ようやく発した言葉は、自らの咳き込みにより掻き消えた。
近江日野城主・蒲生賢秀は昨年末より病の床についていた。
息子が入れ替わり立ち替わり京より呼び寄せたという薬師はこれで何人目だったか。
どれもこれも口をそろえて「寒さにより体調を崩されたのでしょう」と、自分ではなく息子の顔色を伺いながら言うばかりだ。
医師など呼ばなくとも体調のことはほかならぬ自分自身が誰よりもわかっている。
おそらく自分は時を置かずして右府様(信長)のもとへと向かうことになるのだろう。

その息子はというと、最近は自分の元へ姿を見せようとしない。
あれが何をしようとしているかは大体想像がつく。

(また勝手なことをする)

森武蔵守の犬山城攻撃とその失敗は、凪いだ湖面に巨大な石を投げ入れたかのごとき波紋を広げた。
秀吉殿や信雄殿が望もうと望むまいと、これで佐久間の一件での政治的解決はなくなったといってよい。
もはや事態は『織田信雄』と『羽柴秀吉』の合戦がいつ始まるかに焦点が移りつつある。
ここで下手な妥協をすることはすなわち、戦国大名としての全てを失うことだ。

病床にありながらも、賢秀は事態の推移をほとんど正確に把握していた。
六角から織田へ、そして羽柴へ。
水が低きに流れるように権力も移ろいゆくものだ。
たとえ信雄殿にその資格があろうとも、川の流れを押しとどめることなどできるはずがない。
そして水の流れ行くさきにあるのは羽柴秀吉。

(しかしそれだけでは人はついてはいけない)

事実上秀吉殿が最高権力者であるとしても、織田三法師政権というファンタジーは誰にとっても都合がよい。
かつての同僚である秀吉殿を首班に仰ぐ旧織田家の連合体ではなおさらである。
そしてこのファンタジーは織田一族の人間が認めてこそ成り立つ。
これに最大のお墨付きを与えていたのが信雄殿だ。

信雄殿があくまで三法師政権を認めないとする立場なら話は簡単だったのだ。
三法師様に逆らう謀反人として叩き潰すことも可能であったろう。
しかし信雄殿はあくまで三法師政権を認めた上で、むしろ後押ししてきた立場の人間。
信雄殿と戦うことは、すなわち織田と羽柴のあいまいにしていた関係を強制的に清算する事に他ならない。
三法師様に首を垂れるのとはわけが違う。
あくまで羽柴家に、それも秀吉個人に臣従するか否か。

当然ながらこれでは旧織田家諸侯の意気が上がるはずもない。

確かに今の羽柴家ならば最終的に信雄様を押しつぶす事も可能であろう。
だがその場合は羽柴家の損害は大きくなるし、旧織田諸侯のサボタージュも予想される。
そうなれば現政権における羽柴家=秀吉の求心力は低下を免れない。
とはいえここまできて戦わずにいては、それこそ秀吉殿の威信を落とすことになる。

『いかにすれば旧織田諸侯の結束と世論の支持を得られるか』

秀吉殿も、おそらく息子もそれを考えている。

(丹羽、前田、筒井、それに中川清兵衛の嫡男か)

信雄殿が多くの織田家子女の後見役として保護している以上、彼女たちの支持を得ることは難しい。
しかし娘婿ならどうか?
自分を含めたこれらの家は嫡男に「信長の娘」を迎えている。そして織田信雄殿との距離はそれぞれ異なる。
ここで信長の娘婿たる忠三郎が明確な羽柴支持を打ち出せばどうなるか。
すくなくとも世間一般の「旧主を滅ぼそうとする家臣」という悪評は多少なりとも薄れるであろう。
そして北陸の前田や幼少の中川の嫡男よりも、最前線に立つことになる大和筒井、そして南近江の蒲生の影響はより大きくなる。

あれは自分を頼むところが強すぎる男だが、それでも自分の価値というものをよく知っている。
おそらく息子はそれを秀吉殿に売り込んでいるはずだ。
丹羽殿のように旧主への憐憫の情など持ち合わせてはおるまい。

(それにしても丹羽殿ともあろうお人が、なんとも馬鹿なことをしたものだ)

後瀬山の丹羽長秀殿は森武蔵守の犬山攻撃を聞き、すぐさま家臣団を集めて『出兵拒否』を宣言したという。
この状況で信雄様に味方するわけでもなく、まして秀吉殿から何か出陣の要請を受けたわけでもない。
おまけに仲裁も拒否して武装したまま居城に引き篭もるというのだ。

(要するにあの御仁は拗ねておられるのだ)

昨年お見かけした際にもしきりに腹を抑えておられたし、病が重いというのは嘘ではあるまい。
それに今の自分も棺おけに片足を踏み入れているので、なんとなくではあるが丹羽殿のお気持ちもわかるのだ。
自分の人生をかけた仕事がたった一日でもろくも崩れ去った。
その『織田家』はもうないのに、かつての同僚はみな派閥抗争や生き残りに必死。
丹羽殿にとっては秀吉殿も信雄様も同じに映るのだろう。
それが気に入らない-だから拗ねている。
いい年をした大人がだ。

今丹羽殿にそれが許されているのは、彼が『丹羽長秀』だからだ。
秀吉殿の先輩であり、旧織田家中の古参の重臣だからこその中立なのである。
自分亡き後の丹羽家が如何なることになるのか、それを理解していたらこのようなこと出来るはずがない。

(それとも全て理解しておられるのか?)

理解していて、なおかつ自分の憤懣を晴らすことを優先したのか。
だとすると丹羽家中やご嫡男には気の毒なことだ。

「お家よりも自分を選んだか」と賢秀は思わず独語する。
六角家の家老から織田家の一家臣へ「お家」のために膝を屈したかつての自分とはまるで正反対。
しかしそれも悪くはあるまい。
たった一度の人生なのだ。
死に際ぐらい好きに振舞っても罰はあたらないだろう。

「殿」襖の向こうから小姓が声を掛けてきた。
どうやら息子が帰ってきたようだ。腹は決まったらしい。
それならば会う必要などあるまい。

「こちらへ通さなくともよい。好きにすればよいと伝えよ」
「は?それはどういう…」
「勝手にしろと言うたのだ」

「好きにすればいい」もう一度そう呟いて賢秀は瞼を閉じた。

これからはもう親として尻は拭いてはやれんのだから。



なーんでこうなるのかねえ…

せっかく秀吉に媚び諂って「あんたが大将」と叫び続けてきたというのに。

それもこれもあの森の馬鹿野郎のせいだ!
あの野郎、態々攻めてきやがって!そのくせさっさと負けやがって!
誰かあの狂犬に鈴付けとけよ!

不機嫌な表情を隠そうともせずに、織田信雄は長島城を闊歩していた。
飛び込んでくるのは国境沿いにおける羽柴方の不穏な動きばかり。
すでに旧信孝派である北伊勢諸侯の一部からは離反の動きが出ているという。
蒲生と血縁関係にある関一族なんぞはおおっぴらに兵糧の搬入を始めているという。
お前らそんなに戦がしたいのかよ!

それならばと旧織田諸侯に取りなしの依頼をしてみれば、ほとんどが黙殺された。
まあそれはしょうがない。俺でもそうするだろうから。
でも池田の爺は許さん。
あのくそ爺、使者の髷を切って帰しやがった!
俺のかわいいかわいい水野くんになにしやがんだあの爺。
絶対に許さん。

それでも丹羽や前田、蒲生の親爺なんかは親切に「さっさと御免なさいして降伏しろ」と忠言してくれた。
なるほど確かにそのとおりだ。実現不可能という点に目を瞑れば。
森の先制攻撃で皆頭に血が上ってピリピリしているのに、当主の俺がそんなこと言い出してみろ。

俺が後ろから刺されるっつうの!

かといってこのまま本当に秀吉と戦うというのか?

清州において秀吉が一度だけ見せた無機質な目玉の色を思い出し、背筋が震える。

山崎の合戦以来、勝利の女神の一方的な偏愛を受けているとしか思えないあの男に勝てるわけがない。
だからこそこれまでずっと尻尾をふりまくってきたのだ。
それもあの森の馬鹿野郎のせいで…

……なんだ官兵衛?どうかしたか?

大方殿様が呼んでる?



「官兵衛を責めるのは酷だとは思わんか」

仏頂面の秀吉は、ぐるぐると手元の黒茶碗を撫で回した。
好き好んでこのような地味なものを使いたくはないが、それでも不思議と手にはしっくり来るのだから仕方がない。

「上様(信長)ですら御することが出来なかった汗馬ぞ。
官兵衛ごときの策など平気で破る男だ」

ぼつぼつと呟く様にかたる秀吉を、千宗易は湯を沸かす釜から立ち上る煙を挟んで眺めていた。
そうするとなにやら目の前の男がこの世のものとは思えない存在に思えてくる。
しかし茶室にあるからには貴人であろうと卑しかろうと一人の客でしかない。
宗易が益体もないことを考えているのを知ってか知らずか、秀吉は続ける。

「佐久間の問題で戦をせずに屈服させようという発想そのものは悪くはない」

「しかしそれは矢玉なき合戦なのだ」と秀吉は続けた。

「無論、あやつとてその意識はあっただろう。
しかしあれは信雄の態度を見て決して逆らわないだろうという侮りがどこかにあった」

知恵者と呼ばれる人がよく犯す間違いといってよいだろう。
世間に住まう人間のすべてが理性的であれば戦など起こるはずがない
あれは軍師でありながら、どこか『人間』という存在そのものを信じているところがある。
有岡城の地下牢に押し込められただけでは学習が足りなかったか。
それが足軽からのたたき上げである自分と、家老の息子という生まれながらの武士の子としての違いなのかもしれない。

「あれだけの頭脳と戦の才を持ちながら、あの瘡頭めはその使い方を知らん。
そこが官兵衛とわしとの決定的な差だ。
戦の何たるかを誰よりも知りながら国の何たるかを知らぬ。
視野が狭いとまでは言わぬが、些か物足りぬと思うのも事実でな」

「何時までも播州小寺の家老気分では困るのだ」と、あえて辛辣な批評をする秀吉。
それだけ件の人物を評価しているのであろう。
茶の湯嫌いとのことだが、一度招いてみるかと宗易は思いついた。


「以前、秀長様と御一緒であれば良き仕事をすると」
「いつまでも二人で一人前では話にならぬ。
それにあの二人を一緒に行動させるほど、我が羽柴家は人材が豊富というわけではない」

秀吉はやれやれと首を振ると、黒茶碗の縁を親指と人差し指で拭った。
些細な仕草にその人物の本質が出る。まして狭い茶室なら尚の事。
この小男はやろうと思えば貴人以上に貴人らしく振舞える。
宗易はこの男の能舞台を何度か拝見したことがあるが、役へのはまり方が尋常ではなかった。
あれは演技などという生易しいものではない。
そこには、あれだけアクの強い『秀吉』と言う個が存在していることを、一瞬であるが忘れさせられた。
度の過ぎた華美を好むなど、自分とは相容れぬ部分が多くあると宗易は感じていたが、それ以上に秀吉という希代の人物を認めてもいた。

「さてどうしたものか」

黒茶碗を手に再び考え込む秀吉に、宗易は床の間にかけられた掛け軸に目をやった。

作者不詳のそれには、朝焼けの中で鮮やかに咲く赤い木瓜(ぼけ)の花が5つ描かれている。

釜がひとつ高い蒸気の音を立てた。



大方殿様-むしろ土田御前といった方が通りがよいだろう。
この老女は織田信長の生母、つまり信雄の祖母にあたる。
家督を相続したばかりの織田信長と弟の勘十郎信勝とのお家騒動では、信勝派の後ろ盾として暗躍したことは知らないものがない。
すでに古希を過ぎているはずだが、背筋は竹を指したように伸びており矍鑠としたものだ。
脇息にすらもたれ掛からないというのだから徹底している。
そんなに張り詰めていてしんどくないのかといつも思うが、本人はこれが楽というのだからどうしようもない。

むしろ周りが-というかこっちが疲れるんだよなあ…

五徳にしても安土様(濃姫)にしても、よくこの婆さんと一緒で疲れないな。
その二人はそれぞれ大方様の両脇に控えて、これまた行儀よく座っている。
……狛犬みたいと言ったら怒られるだろうか?
織田家三世代のうるさ型が揃い踏み、さて何の話やら……

「お忙しい中よくぞいらっしゃいました」

ババ上様もお元気そうで何よりです。

……お婆様ごめんなさい。失言でした。

ところでなんか用ですか?知っているとは思いますけど、意外と忙しいんですよ。

「勝てますか」
「勝てません」

勘違いしてもらっては困るので、これだけははっきりとさせておく。
そして「しかし負けることもないでしょう」と続けると、妹の五徳だけが怪訝そうな表情を浮かべた。
安土殿と大方殿様はといえば、反応を返すどころか表情筋の一つも動かそうとしない。
……顔まで老化現象ですかと訊ねたらたぶん殴られるから黙っておこう。

「どこまで譲歩するつもりです?」

なるほど、全部お見通しというわけか。
亀の甲より年の功、さすがに織田家の勃興期を見続けてきた経験は伊達ではないということか。

「腹は切りたくありません」

ならばここは正直に語って協力を求めるとしよう。

「老後の蓄えもないので隠居もしたくありません」

……協力を得られるとは限らないが。

「あと出来れば領土の割譲もしたくありませんし、謝罪したくもありませんし、佐久間の引渡しもいやです」

大方殿様はため息をつき、安土様は頭を押さえ、五徳は口を抑えた。
おいこら五徳、肩震えてんぞ。

「……私はどこまで譲歩するのかと訊ねた筈ですが?」
「最初から結論ありきで交渉するほど阿呆ではないつもりです」

交渉の席に着く前に、どこぞの阿呆が机をひっくり返してくれたのだ。
席の設定から手札からすべて最初からやり直し。
それならば切れる手札は多ければ多いほどよい。
無論、少なくなる可能性もある。しかし増えない可能性もないわけではない。
………限りなく低くはあるが。

「……そのような虫のいいことが通るとお思いで?」

安土殿を見据えて「通させます」と断言する。
張ったり半分で、もう半分は本気だ。
せめて気持ちだけでも秀吉に負けたくはない。

しばらく視線を落としていた大方殿様はモゴモゴと口を動かしていたが、ようやくそれを口にした。
入れ歯でもずれたのか?

「いざとなれば貴方が腹を切ればよろしい」

………あの婆ちゃん。俺の話聞いてた?

だから俺はハラキリなんかしたくないの!
切りたくないから一生懸命なんですけれども!
むしろそれ約束してくれるなら土下座でもなんでもするつもりなんですけれども!

「死にたくない死にたくないと思っていると本当に死んでしまいますよ」

ねえ、この婆さん何言ってんの?

あのな婆ちゃん。そりゃ俺だって死にたくはないけどさ。
俺だけの問題じゃないんだよ。
何千という家臣と、何万という領民と、あと俺の嫁と息子と、側室も関係する話なの。
むろん浅井三姉妹に織田家の婦人たるあんたらもだけどね。


大方殿様はぽつりと呟いた。

「あの子もそうでした」

「あっ」と小さな、それこそ声にもならないような呟きが出ていた。

「あの子は、勘十郎は最後まで死にたくありませんでした」
ただひたすら死にたくない、死にたくないとそればかり。
結果、柴田や林にも見捨てられ、最後はあのような結果となりました」

もごもごと口ごもりながらも語り続ける大方殿様。
それが出来るようになるまでに、どれほどの時間が必要であったのか。
そして安土殿や五徳にはどれほどの時間が必要となるのか。
想像すらすることが出来ない。

「失礼いたします」そう言いながらいつのまにか来ていた雪ちゃんが横に座った。
その旨にはあいかわらず間抜けな顔をして眠るわが子百介。

あーあー、でっかい涎たらしてよー

まったくお前はお気楽でいいよなー
指でうりうりと頬を突くが、目を覚まそうともしない。
親がこれだけ苦労しているって言うのにさ。


「親が苦労するのは当たり前です」

そりゃそうだよな婆ちゃん。親が苦労するのは当たり前か。

……うん、確かにその通りだ。

じっとわが子の寝顔を見つめていると、雪ちゃんが小さな声で問うてきた。

「決心はつかれましたか?」

気付けば婆ちゃんも義母ちゃんも妹もこちらをじっと見つめていた。
………まったく、女という生き物は秀吉よりも怖いわ。
さっさと相談しておけばよかったよ。


「わかったよ畜生!」


やりゃいいんだろう、やりゃあ


やってやろうじゃねえか畜生!


戦だ!合戦だ!戦争だ!



「御本所様!九鬼水軍が離反を宣言しました!南伊勢沿岸部を襲撃しております!」
「関万鉄入道が亀山城にて決起!」


………やっぱりなしってのは駄目?


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