応仁の乱以来およそ百年にわたり続く乱世。
いつ果てるとも知れない戦禍に誰しもがうんざりとしていた。
なぜ自分たちはこんな時代に生まれてしまったのかと。
しかし彼-森長可は今の時代に生まれたことを感謝していた。
強いものが勝つ。
これほど単純にしてわかりやすいことがあるだろうか?
それに大儀だの、名誉だのと理屈をつけようとするから戦乱が長引いてきたのだ。
ほしい物を奪い取り、気に入らないやつを殺す。
当たり前のことではないか。
それが道義的に問題であるかはどうでもいいことである。
今のところ神罰や仏罰とやらは当たったことはない。
俺が気に入らないのなら、俺を討てばいい。
出来るものなら-だが。
本能寺の変の一報を聞いた長可は、天を仰いだ。
どこまでも青く晴れ渡る青空に、思わず笑いがこぼれる。
内心の歓喜が全て爆発したかのような、嬉しくて仕方がないといった笑みを。
「下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
亡き信長の好んだ敦盛を口ずさむ。
彼の背後では長可へのありったけの恨みと絶望を述べながら、信濃国衆の人質達が斬首されている。
愛馬百段に跨りながらその音色に耳を傾けていた長可は、再びその端正な顔をほころばせていた。
信長様が死んだのは確かに悲しい。弟達もおそらく生きてはいまい。
しかしそれ以上に大きな解放感を味わっていた。
あの信長様ですらあっけなく死んでしまった。
しかし幸いにして自分はまだ生きている。
ならば後悔することがないように、やりたいことをやり、したいことをしてしまおう。
生きたいように生きてやろう。
俺にはそれが出来るのだから。
百段に一鞭くれ、単騎駈け出す長可。
信長様亡き後、世は再び乱れるだろう。
もう一度あの単純な論理が支配する時代がやってくる。
さて、ほしい物を奪いにいこう。
気に入らないやつを殺しにいこう。
乱世が再び終わる前に、可能な限り上り詰めてやろう。
「ああ、なんとよき時代なのか!」
森勝蔵長可-乱世に恋した『鬼武蔵』と呼ばれた男である。
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いそしめ!信雄くん!(信雄は子守りをした)
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-天正12年(1584)1月2日 安土城本丸 大広間 -
こんなことが許されてよいのかと、丹羽長秀は屈辱に身を震わせていた。
現在の安土城本丸は篭城戦の損傷激しく、一度解体された後に北畠家の手によって再建築されたものである。
全国各地から三法師様への年賀の礼のための使者が押し寄せ、大広間は人があふれんばかりとなっている。
遠方や病気療養を除くと、そのほとんどが当主自らが出仕していた。
これはつまり三法師様、その後見役である羽柴秀吉の権勢を象徴しているといってよい。
(それで十分ではないか!)
大広間に詰め掛けた諸侯を代表するかのように、織田信雄がまず呼び出される。
秀吉の甲高い声に応じるように上座へにじり寄る。
長秀を初め、誰しもが息をのんで信雄の次の所作を待った。
両のこぶしを畳につけ、額や両の肩もそうせんとばかりに深く頭を下げて年頭の挨拶を述べる信雄。
それを広間の一段高いところから三法師様と、それを抱いた秀吉が見下ろしていた。
(あの男は……ッ!)
瞬間、長秀は自らも驚くほどの激情に奥歯が砕けんばかりに歯を噛みしめていた。
長秀は清洲会議から今まで、織田家と秀吉の橋渡し役として融和に尽力してきた。
政権権安定のためには織田家を秀吉主導の体制に再編するしかない。
そう考えたからこそ息子を羽柴秀長の養子としてやり、「丹羽は羽柴の家臣か」と揶揄されながらも羽柴派の多数派工作に尽力した。
そして秀吉は本能寺の変によりそのまま消え去るかと思われた織田家を存亡の危機から救ってみせた。
柴田勝家を打倒し、自らの主導のもと新たな政権運営に乗り出そうとしている。
自分はそれに協力もしてきたし、それは何も自分のためだけではない。天下万民のために間違いではなかったはずだ。
ならば今のこの自分の感情は何だというのだ?
腹のしこりとはまったく別の、このどうしようもない不愉快な感覚。
秀吉が信雄に笑いかけるたびに、それが自分の中で澱のように蓄積されてゆくのを感じる。
むしろ長秀は政権の結束をアピールするため信雄に出席を求めていた立場である。
だから年賀の儀に信雄が出席すると聞いて喜んだし、この程度のことは予想していた。
そして今、それが目の前でそれが行われている。
―織田家の支配者が誰かということを満天下に示す―
何も秀吉は間違ってはいない。
自分もそれに納得していたはずなのだ。
(……そういうことか)
唐突に長秀は自らの激情の理由に思い至った。
かつての部下であり同僚である男に臣従の礼をとる。
勝家や一益には耐えられなかったようだが、それは長秀にとってはどうでもよかった。
織田家のためならば誰にでも頭を下げてやろう。
それこそが織田家のためであり、丹羽氏のためでもあるのだから。
しかし『織田』が秀吉に頭を下げるのだけは我慢がならないのだ。
元々は旧尾張国人出身の尾張生え抜きである長秀は、織田弾正家が尾張の一勢力の時代から仕えてきた。
信秀に、そして信長に従い戦場を駆け抜け、織田家の拡大に貢献してきたという自負がある。
まさに織田家こそが長秀の全てであり、織田こそが長秀であった。
その織田が今、自分の目の前で秀吉に頭を下げている。
長秀は自分のこれまでの生涯がすべて否定されたかのような感覚に陥った。
自分は今まで織田家のために戦ってきたのだ。
断じてこの小男に天下をもたらす為ではない。
握り締めた両手を震わせながら、長秀は視線を落とす。
(だからといって、いまさら何が出来るというのだ?)
右手を腹の上に置き、痛みを感じた部分をさすった。
この病を抱えた体でいったい何が出来るというのか?
いまや押しも押されぬ存在となった秀吉。
その存在に押し上げたのは他ならぬ自分なのだ。
勝算がなくとも挙兵して一矢報いるか?-いまだ幼い息子や家臣をあたら死地に追いやることが明らかなのに?
長秀は再び腹をおさえた。
(そのようなこと、出来るわけがない)
ならば自分のこの気持ちはどうすればいい?
このやりどころのない澱を胸のうちに抱えたまま死んでゆけというのか?
長秀の視線の先で、再び信雄が大きく拝をした。
臓の腑に三度、耐え難い痛みが走った。
*
-天正12年(1584)1月5日 山城 京 下京百足屋町 茶屋屋敷 -
店者が行燈の油を変えに来たことに、ようやく夜も更けてきたことに気がついた茶屋四郎次郎清延は眼鏡を外して眉間をもんだ。
彼の前には各地の店舗を任せている番頭からの報告書や資料が乱雑に拡げられている。
為替、米価、建築資材、そして材木に火薬等々。
様々な指数は大体共通した傾向を示している。
-今年は大きな戦はない-
『四国や紀伊の雑賀を除けば、畿内において反羽柴勢力は存在しない。
安土において織田信雄が年賀の儀に出席したことから、旧織田家は羽柴秀吉により一本化された。
紀伊征伐や四国への遠征が考えられるが、常識的に考えれば今年の上半期の羽柴氏は大坂築城を始め国力増強策に専念する』
多かれ少なかれ、畿内の商人や各種の座はそのように考えているはずだ。
昨年の琵琶湖北岸のような長期対陣を強いられる戦はそう起きえない。
(どうにも気に入らないな)
茶屋はそうした見通しに懐疑的であった。
何か確証があるわけではない。しかし自分の商人としてのカンが何かを感じているのだ。
例えば建築資材はどうか。
一事期の冷え込みから一転して大坂築城とそれに併せた京と大坂城下の再開発をにらんで各地で上昇を続けている。
人足需要も引く手あまたであり、口入業者は笑いが止まらないという。
そして人足は足軽に、建築資材は野戦陣地にへと転用できるのだ。
少なくとも羽柴がなにか公式見解をしめしたわけでもないし、まして武装解除をしたと見るのは早計だ。
いつでも、それこそ明日にでも四国遠征が発表されてもおかしくないというのが茶屋の見立てである。
ではこの「戦がない」という噂は一体何なのか?
(あえてそうした噂を黙認しているのか?)
これとよく似た感覚を自分は最近経験している。
あの時も市場はよく似た動きを見せ、直前までまったく動きを見せなかった。
(本能寺)
一瞬、脳裏をよぎったその単語にすぐさま馬鹿馬鹿しいと首を振る。
どこの誰が今の秀吉を相手にそんなことを出来るというのか。
それとも羽柴に本当に戦をする気がないのか?
筆を置き、温くなった白湯を口に含む。
羽柴ほどの勢力となれば、戦をするにしても膨大な事務作業が必要となる。
軍事作戦に基づき数万に及ぶ軍兵の糧食と運送計画を立て、人足や馬の徴用を行わなければならない。
これらのすり合わせは今日明日の準備で出来るようなものではない。
しかし不可能ではないのも事実なのだ。
かつての織田家はそれが可能であった。
信長の作り上げた兵農分離の常備軍が一年中兵力を好きな所に動員できたのも
この膨大な事務作業を事前に準備し、いつでも軍事作戦に従い実行に移せた出来た優秀な事務官僚がいたからである。
しかしこうした事務官僚のほとんどは本能寺で戦死した。
(はたして羽柴にそれが出来るのか?)
空になった湯呑を文机の上に置くと、茶屋はごろりと寝転がり天井を睨む。
確かに秀吉は優秀な男だ。配下も粒ぞろいの人材がそろっていると聞く。
秀吉の率いた中国方面軍は足掛け10年弱にも及ぶ毛利との戦いにより鍛えられている。
しかし一方面軍とは何もかも違うのは、うっすらとした市場の流れでしか知らない茶屋ですら推測できる。
堀秀政や長谷川秀一ら、生き残ったわずかな事務官僚の協力を得たとしてもうまくいくのか?
(…うまくいかなければ)
出来たばかりの秀吉の政権は案外脆弱なものであると茶屋は考えている。
問題はこれをどう本業に生かすかだ。
とはいえ、さしあたっては報告書をつくることが先決であるが。
(さて、家康様になんと報告するべきか)
徳川家の御用商人である彼は、ひとつ大きな欠伸をしてから文面を考え始めた。
*
-天正12年(1584)2月10日 伊勢長島城 -
「べろべろべろ~ヴぁ~あ~」
「ふぇああああああ!!!!!」
けたたましい赤子の泣き声に、雪姫は無言で信雄の頭を殴った。
「な、何をするんだ!」
「どう控えめに見ても子供を食べようとする鬼にしか見えませんでしたので」
雪姫は信雄を見もせずに木造殿から赤ん坊-百介を受け取る。
するとわが子はそれまで泣いていたのが嘘のようにきゃっきゃと笑う。
このガキ、いい根性してるじゃねえか。
息子相手にしょうもない意地を張る信雄の頭をもう一度殴る雪姫。
「いやはや」
仲がいいですねと、佐治一成はさわやかな笑みを浮かべた。まったく今の世には珍しい素直な子である。
海賊少年とその妻は、婚儀の際に「いつでも遊びにこいよ」と言った信雄の言葉に従い長島まで遊びに来ていた。
それにしても婚儀の時も思ったんだが、なんだか二人が並ぶとままごとの夫婦みたいで可愛いな。
「お名前は百介様ですか」
「俺が名前付けたんだ。百歳まで生きるようにってな」
「三介の息子で百介。安易ね」
「茶々、そんなこというけどよ」
じゃあ俺とかその兄弟みたいな幼名のほうがよかったのか尋ねると、一人大きく頷く茶々以外の全員が視線をそらした。
やっぱりあれはねえよなと思ってたんだな。
兄貴(信忠)の奇妙丸はまだいい。自分の子供を奇妙と呼ぶセンスもどうかと思うが。
俺なんか茶道具だぞ?何を考えたら茶筅ってつけようと思うんだよ。
信秀の大洞(おおぼら)に、弟の小洞(こぼら)もよくわからないけど
その下の酌(しゃく)なんて完全に母親の御鍋の方(信長側室)とセットじゃん。
「……確かに『人』はないですよね」
そうだろ一成君!人(信長9男)なんか『人』だぞ『人』?
自分で喋っていてもわけがわからないよ!
犬に『犬』と、猫に『猫』と名付けるようなもんだぞ?
「可愛いじゃないですか」
茶々、お前はもう少し空気を読もうな。
ちなみに長島城には信長の成人していない子供が多数居住しているため、さながら保育園のような様相を呈している。
信雄は「何もすることないなら何かしろ」という腹いせ含みでその世話を織田ババ3衆(土田御前、濃姫、五徳)に押し付けた。
最初こそぶーぶー文句を言っていたが、最近ではまあ楽しそうにしているのでよしとするか。
ところでこの赤ん坊。おそらく将来の秀雄だと思われるのだが本来の幼名は『三法師』という。
さすがにそこまで地雷を踏むつもりはない信雄は、自分の三介から一字をとり
早死にしたこの子が少しでも長生きできるように「百介」と名付けた。
その百介は小督に抱かれてすやすや寝ている。
ぎこちないながらも抱っこしている小督がなんだかとても可愛い。
しかしこいつは女が抱っこすると絶対泣かないんだよな。
女なら誰でもいいのかこいつは?
……なんでみんな俺を見るんだ?
「ねーねー、一成君は小督とドコまでいったの?ていうかヤッたの?」
お初、お前後で説教な。
「今回の長島城がもっとも遠出したところですね。いつか一緒に京へ行ってみたいのですが」
一成君。あとでこっち来なさい。雪ちゃんがいろいろと教えてあげるそうだから。
ん?どうした土方?血相変えてさ。
清州から浅井田宮丸が来たって?何かあったのかな。
まあいいや、一成くん。聞いてたと思うけどちょっと用事が出来たから席を外すから。
ゆっくりしていっていいからね。小督ちゃんも。
「さ~て、パパはお仕事行ってくるからね~、いい子にしてるんだよ~」
親馬鹿丸出しの緩んだ表情で、髪の毛の生えそろわない息子の頭をなでると、信雄は書斎を出て浅井長時の待つ部屋へと向かった。
*
おう、またせたな田宮丸。
清州はどうだ。重政は元気にしてるか?
なんだ?どうしたんだよ?そんな難しい顔をして…
「佐久間玄蕃を清州にて捕えました」
「…………は?」
え?何で生きてるの?
いやいや、斬首されて………あれ?そういえばあいつ捕まってない?
え?どういうこと?
「…………………は?」