・第6話
◆
学校から帰宅したボク達はランドセルを置き、うがいと手洗いを済ませて互いにエプロンを装着する。ボクが青色で桜はピンク色、細やかな刺繍の施された同じ柄のデザイン。一年くらい前に買ったおそろいで――ボクは内心、若干の気恥ずかしさがあって着けたくないと思っているのだけれど、桜は気に入っているみたいで何も言えない。
どうでもいい軽口を叩きつつ、冷蔵庫から牛と豚の合い挽き肉、玉ねぎ、パン粉、タマゴを取り出して用意を始める。そう、今夜のメニューはハンバーグ。メインシェフとして腕をふるうのは桜で、ボクの役回りは細かなフォローと付け合せのポテトサラダの作成。
ペリペリと皮を剥いた後、トントントンッとリズムよく幼馴染の包丁が動き、あっという間に玉ねぎのみじん切りの出来上がり。どう? と得意げに無い胸を突き出す桜。
そしてカチャンとガスが点火したと思ったら、フライパンがガシャガシャと舞うように動き、パラッと玉ねぎが炒め終わる。実に手早く、どんどん料理を進めていく彼女。うれしそうな笑顔で軽やかな鼻歌さえ聞こえてくる。あわててボクもジャガイモを丁寧に洗い、出来上がりに遅れないようポテトサラダを作成していく。
そしてハンバーグの形成が終わった頃、ちょうど母さんが帰宅し仲良く三人でハンバーグを焼いていく。ふっくらとしてかつ、旨みを逃さないよう丁寧、だけど表面はカリッとジューシーに。更に肉の焼き上がりにタイミングを合わせ、桜が綺麗な目玉焼きをつくる。
焼き上げた後のフライパンに残った肉汁を使って特製ソースを作成。ハンバーグの上へ置いた目玉焼きの黄身から、トローリとそのソースをたっぷりかけて、仕上げに黒こしょうをパラリとほんの一振り。
肉汁のジューシーな香りが漂い、皆に思わず笑顔が浮かぶ。最後に付け合せとして、ボクの作ったポテトサラダを皿の横へちょんとのせ……完成。
サラダとして、パリッと新鮮なレタスをざっくり手でちぎり、歯応えの良さそうな瑞々しいキュウリの輪切り、真っ赤に熟れたミニトマトをボウルへ盛り、母さん手作りの和風ドレッシングをかけダイニングへ運ぶ。
テーブルにいそいそと食器を並べていく幼馴染の姿、お椀にご飯を盛る母さんの姿を見つつ、ボクも皆の湯飲みにジャスミン茶を注ぎ……、家族団らんの楽しい夕食が始まった。
「いただきます」
カリッと香ばしく焼けた表面へ箸を入れた瞬間、ハンバーグの中から大量の肉汁があふれ出す。コショウとナツメグ、デミグラスソースと肉の香りが混じりあい、口の中が唾液で一杯になる。焦る気持ちを抑え、とろける黄身をタップリ絡めてから大き目の欠片を口へ放り込む。
熱々のハンバーグから口中に広がる肉汁の旨み、ピリッとしたスパイスの刺激、黄身の濃厚な味わい、デミグラスソースが絶妙に肉の美味しさを引き出し、いくらでもご飯が食べられそう。あまりの美味しさに舌鼓を打ちながら、ボクは無我夢中でハンバーグとご飯をかき込んでいく。
「にししっ、兄さん。美味しいでしょ?」
「……」
勝ち誇った笑顔を見せる桜。瞳を細め、ニヤリとした感じで唇を歪めている。あまりの美味しさに思わずコクンと頷きたくなる……けれど、下手に調子に乗られても困る。ボクは無言のままで箸を動かす……が、母さんの笑みを含んだ声が響く。
「ふふっ、アキラの食べっぷり……すっごく美味しいのね。こーんなに可愛くって料理上手。ふふっ、桜ちゃんと結婚する人は幸せだわ。ね、アキラもそう思うでしょう?」
「さあ、どうかなぁ? 桜は外見はともかく……性格がさ。きっと苦労するよ、結婚する人は」
「に、兄さん、先生の前でヘンな事は言わないで貰えます? ……そ、それに、何でそんなに他人事なのよっ…………」
顔を真っ赤にして小さくブツブツと呟いている桜。なにかを幼馴染に耳打ちする母さん。ボクは相づちを打ちながら、夢中でハンバーグを食べていく。
――響く笑い声、皆で箸を進めながら様々なことを話す。学校であった今日の事、友人の話、帰宅途中に咲いていた花の名前。
それは、はっきり言えばどうでもいいような内容なんだけど、家族というのは、こんなどうだっていい会話さえあらゆるテレビ番組より楽しく、料理の味だってどんな一流レストランよりも美味しいと感じさせてくれると思う。穏やかに微笑む母さん、笑ったり怒ったりコロコロ変わる表情豊かな桜、ボクは何故かこの平凡な時間がとても嬉しくて、何度も声をあげて笑う。
それはきっと平凡、どこにでもあって、けれど……かけがえの無い日常風景なのだと『ボク』は強く思った。
◆◆
楽しい夕食の時間はあっという間に終わりを告げ……食後の勉強の時間がやってくる。
ボクの個室に置かれた二つの小さなテーブル。そこで桜と二人、それぞれの机へ参考書を広げて勉強――予習、復習――を行う。と言っても、ボクは小学校の勉強は終わらせているため、もっぱら中学生~高校生用の参考書を解いている。が、やはり簡単すぎて意味がない……と判断。
ため息をついて参考書をたたみ、少し離れた隣の机でカリカリとノートに鉛筆を走らせている桜の姿をチラッと見る。真剣に考えている表情……、薄紅色の唇を少しだけ噛むようにしながら、可愛らしい顔をしかめている幼馴染。細く整った眉の間にわずかなシワ。
桜の解いている問題も小学5年生のレベルを超えている。最近では、ボクが4年生くらいの時に使っていた中学一年用の問題集を解いている所だ。彼女も自分なりの目標があるんだろう。勉強をやっている桜の姿には、うかつに声をかけられない真剣さが感じられた。
(負けていられないな……)
医療道具が無いから……とまさに無いものねだりをしていても仕方ない。少しでも医学に役立ちそうな事をしようと決意を固め、方眼ノートを開きしっかりと鉛筆を握り深呼吸。突然、ボクが得た知識……それを確実に自分の物へ出来るように、やれることをやる。
集中した直後、脳裏にくっきりと浮かび上がってくる人体解剖学の知識。それに導かれるまま、様々な臓器と関連した血管等のデッサンを始める。最初は細部、しだいに全体へ広がるように。芸術として描くのではなく、臓器の特徴、血管の場所を『ボク』へ確認させるように、解剖学の正確さを重視する。
――そして休む事無く動く鉛筆により、その絵は我ながら恐怖を覚えるほど正確に描かれていく。
「……ッ」
いや、『ボク』に正しい人体解剖学の知識など無かったんだから、それが本当に正確なのか判断できるはずは無いのだけれど……。けれど、深い確信があった。この絵は間違っていないと。が、驚きはそれだけでは終わらない。真に驚愕すべきなのは指先の器用さだった。必死に驚きの声を押し殺す。
脳裏に浮かぶ様々なイメージ……それはドクドクと血管が脈打っていたり、一部が欠損していたり、創傷があったりもしたが、ボクの指先は脳に浮かぶイメージを正確にトレースするように動き、書かれる絵にいささかのブレも無い。動いて欲しいと思うとおりに指は動き、方眼ノートへと正確な解剖学の図形が凄まじいスピードで増えていく。若干の恐怖さえ覚えるほど、描かれていく絵は凄まじすぎる。
――これはどういう事なのか、区切りよい所で鉛筆を止めたボクは、桜に気付かれないように深呼吸を繰り返しつつ考えをまとめ始める。
(指が、指が凄すぎる。精密機械みたいだ)
想像を絶するほど、ボクの指先は繊細で正確、何よりも凄まじい速度で動いた。知識は『オレ』から譲られたモノだとしても、異常としか言えないこの器用さは何だ? そりゃ『ボク』はもともと手先が器用で、ある程度はソツなくこなせるタイプだった。習字やリコーダーなどの楽器、当然、絵画もソコソコ出来て結構好きだったけれど……。
――だが、これは決して有り得ない。こんなに上手に絵が書けたことは無いし、そもそもレベルが桁違い。遙かに上だと一目でわかる。
これは、何度も何度も頭の中で立体的に人体をイメージする練習を積み重ね、完璧に覚える為に手を動かしてきた人が書いた絵だ。つまり『オレ』から贈られた『技術』だと思う。
一体……未来の『オレ』はどれほどの修練を己に課してきたんだろう。どれくらいの経験を積み、固い覚悟で練習を繰り返せば、こんなにくっきりと人体がイメージでき、思ったとおりに指先が動くようになるものだろうか?
そして……ボクは決意を新たに固める。『オレ』から送られたこの知識と技術を決して無駄に出来ない、衰えさせる事は出来ないと。なるだけ早いうちに医療器具を手に入れ、ボクも負けないように練習を積み、受け継いだこの『技術』を更に磨かねばならない。
――そうしなければ、この技術と知識を手に入れた未来の『オレ』に申し訳が立たない。
「ふぅ……」
ため息を一つつきノートをランドセルへ片付ける。軽い頭痛……そして、いつの間にか冷や汗をかいていて全身が冷たく、無性に喉が渇いて仕方なかった。
「ボク、牛乳飲んでくる。桜は?」
「ん……じゃあ、紅茶が飲みたい。ありがと」
集中しているのだろう。鉛筆を動かしつつ、ぼんやりとした返事を返す桜を見ながら1階へ降りようと腰をあげた。幼馴染の背後を通るが、彼女は微動だにせずノートへ向かい腕を動かし続けている。華奢な背中なのに、それははっきりとした決意を感じさせる。
その集中を乱さぬように、ボクは足音を立てずゆっくり階下へと降り立った。
「あれ……母さん?」
シーンとして物音一つない居間にボクの声だけが響く。この時間……、母さんはこの部屋で医学書を読んでいたり、パソコンで調べ物をしたりしている事が多いけれど誰もおらず、一枚のメモだけがあった。
(ああ……また急患か)
テーブルに置かれたメモには、PHSに急患の連絡があって診療所へ向かう……と書いてあり、最後に『勉強、無理をしないで』と小さな字。そのメモ用紙からは、ツンッと鼻につく消毒液の匂いがした。
◆◆◆
ボク達の住むこの町はけっこうな田舎で、あまり胸を張って町外の人へ自慢できるようなモノは無い――新江崎家関連の施設を除く――のだけれど、何事にも例外というものはある。
その例外の一つが『アレルーヤ』という店名を持つ、赤レンガ作りでオシャレな外見をしたケーキ屋さんだ。
かつて東京の某一流ホテルでパティシエをしていた経験を持つ、40代のご主人と若い奥さんが仲良く経営していて、その奥さんの実家――この町に住む農家だ――で採れる新鮮なタマゴ、地元の畑で育てた小麦、近くの牧場から仕入れた牛乳などの地域食材を使った焼き菓子とケーキが売り物。
お菓子のデザインや味わいは素朴でシンプル、しかし奥が深く飽きないと評判で、わざわざ東京なんかからもよく取材を受ける有名なお店。もちろん、町の子供から大人まで皆が大好きだと言っていい。
どの商品も美味しいのだけれども、中でも特に人気なのがロールケーキ。朝採れタマゴをたっぷりと使用した柔らかなスポンジは、口の中で雪のようにフワリと溶け、新鮮な生クリームはくどくなくサッパリとした甘さ。季節ごとのフルーツがたっぷりとあしらわれ、いくらでも食べられる一品。
けれどそれ故に、遅くとも一ヶ月前から予約しないと買えない超人気商品でもあるんだけど……。
「あうぅ、食べたい。ねっ、兄さんっ、食べようっ! 食べようよ!! ふわぁ……ほらっ、すっごくいい匂い、うぅぅ」
「もうっ、落ち着け」
――時刻は夜の10時。
ボクの家、居間のテーブルに置かれているアレルーヤの箱へ子猫のように顔を寄せている幼馴染。グロスを塗ったように潤んだ唇から、たまらない……といった感じで、吐息混じりの声が漏れていた。夕食後の勉強時に見せた真面目な表情は影も形もない。
彼女の目前、アレルーヤの光沢がある白い厚紙で出来た箱の中には、名物のロールケーキが一個入っていて、甘いものが大好きな幼馴染を狂喜乱舞させ続ける。
風呂上りの髪をツインテールにまとめた桜、我慢できないって感じで鼻を寄せ、クンクンと香りを嗅いではうっとりと目を閉じる動作を繰り返す。ニコニコした上機嫌の笑顔を浮かべ、ボクの隣に座ってはしゃぐ。
「そりゃボクだって食べたいけどさ……。でも、さすがにこの時間からは無茶だよ。明日の朝まで我慢」
「えぇっ、生殺しだよ。少し、ほんの少しならいいじゃん、ね? ね? ね?」
お気に入りのピンク水玉のパジャマ姿のままで、今にも箱を開け中身へむしゃぶりつきそうになっている桜。その華奢な肩を背中から掴み、ボクは無理矢理にテーブルから引き剥がす。
普段、どちらかといえば聞き分けの良い桜だけど、甘い物――特にアレルーヤのロールケーキ――には目が無い。ボクの両手で背後から抱かれるようにしながらも、幼馴染の視線はアレルーヤの箱から離れようとはしなかった。『猫にまたたび』なんてことわざが脳裏へ思いつくほど。
食べた時の事を想像してるんだろう……二重の瞳は熱にうかされたようにトロンとして、唇はちょっとニヤケ気味。普段ボクの前ではしっかりしている感じの幼馴染の顔が、年齢相応、いや、下手をするとそれ以下に幼く見える。桜のことを好きな男子――恋から聞いた噂だと、学校で桜はカナリもてるらしい――が見たら、幻滅しちゃうかもしれない。
「朝まで我慢しよう? な」
「ううっ、兄さんがいじわるする。ちょっとだけだからっ、お願い! ママも先生もケーキ好きじゃないじゃん。少しなら食べたって平気だよ、ね?」
全く……どうしてこんな状況になってしまったんだろう。桜の華奢な体を背後から羽交い絞めしながら、ボクは学校から帰宅してからの事を思い出していく。
――学校から帰宅、途中まではボクと桜の二人で、そして最後は帰宅した母さんと三人で料理し、焼き上げたハンバーグを食べた。それから食後に休憩のち予習、復習を終わらせ、手際よく入浴を済ませる。いつもだったらそこから10時くらいまで3人で軽く雑談して、桜は就寝、ボクは2時ごろまで勉強というのが普段のパターン。
けれど今夜は急患が入り、母さんは診療所へと出かけていた。
が、その急患というのが件の『アレルーヤ』の奥さんで、診療所へ妻を運び終えたご主人の店主が、応急処置が終わった後、家族団らんを邪魔したお詫びに……とロールケーキを持ってきてくれたのだ。そう、たまたま試作品として作っていたという新商品のロールケーキを。
5月に旬を迎えるフルーツとして、宮崎県産のマンゴーという名前の果物をたっぷり使っている香りは、箱の中に閉じ込められてなお、濃厚な甘い幸せを予感させる。
去年の五月にこのマンゴーロールケーキが発売された時は、皆ほとんど聞いた事の無いマンゴーという珍しい果物だったことも手伝って、一瞬で販売予定数が売り切れ。口コミで伝え聞いたその美味しさは、とろける濃いオレンジ色の果肉と生クリームが絶妙に絡み合い、まさに天にも昇る……といった感じらしい。
そして、母さんは念のために点滴を行なうという事で、まだ診療所にいる。つまり、当然ながらロールケーキが食べたいと暴れまわる桜を、ボクが一人で抑えなければいけない状況で……。
「ぅぅぅ。ねぇ兄さん?」
単純な我儘は通じないと感じ、泣き落としへ作戦を変更したのか、くるりとボクの正面へ向き直った桜。突如、その細い腕がスッ……と首へ絡みつき、抱きつくようにスリスリと体を寄せ、熱っぽい瞳で見つめてくる。
紅潮しているすべすべした頬、形の良いピンク色の唇に――ケーキの味を想像しているのか――真っ赤な舌がチロチロと覗く。ボクの顔ギリギリまで迫る顔、まるで泣きそうにうるんだ真っ黒い瞳。熱くて柔らかなカラダ……ほのかに香る幼馴染のどこか甘い体臭。黒髪のツインテール。
そして……桜の濡れた唇がゆっくりと動き、透明な唾液、真っ赤な口の中が見え、ほのかなミルクの香りと共に言葉が溢れる。
「……兄さん、お願い。わたし、我慢できない」
「――――ッッ!! バ、バカ桜、離れろよっ」
滅多に見ないしおらしい表情に内心、少しだけドキリとするが、表情にあらさないようにしてはっきりと断る。でも、幼馴染は離れてくれない……それどころか、首にまわした両手へと更に力を込めたのか、キュッ……といった感じでボクに体重を預けてくる。メチャクチャに熱く、柔らかいそのカラダ。
ボクの鼻先には、真っ赤に染まった桜の細い首筋があり、洗いたてのシャンプーの何とも言えない甘い香りが立ち昇る。テーブルの前に座ったままのボクたちは、抱き付き合った格好で膠着を続ける。
「や、やめ……」
「やぁーだ。ふふっ、兄さんがいいって言うまでこのまま離れない。ね……どうする?」
「バ、バカッ、やめろ! な、何を訳わかんないコトを」
囁き声とボクの耳たぶへ桜の唇が触れる感触。幼馴染が、くちゅ……という唾液を飲み込む音まで聞こえた。なんだか……背筋へゾクゾクするようなヘンな感覚が腰の奥から湧き上がってきて、咄嗟にボクは両腕に力を込め桜の熱いカラダを引き剥がす。
「やだー、諦めません」
が、離れたのもつかの間……まるで猫のように素早く、ボクの背後へまわり首筋へしがみ付いてくる桜。そのまま、カプッとボクの耳が……。
「うわわぁ……ちょっ、な、何を……」
「ふふっ、どう? くすぐったいでしょ。ね、諦めてケーキ食べよっ」
くすぐったい……ような、それ以外のような……形容しがたい生まれて初めての感触が全身を電撃のように駆け抜けた。ボクの右耳が幼馴染の唇で甘く吸われ、そして歯でカプリと優しく噛まれていく。更に……チロチロと耳たぶの上を動く柔らかくて濡れた舌。
思わず口からヘンな声が漏れそうになる。何だ……この感触……。
「やっ、やめろバカ桜っ」
「あれ? くすぐったくない? 兄さんって我慢強いね。むうっ、ならこれでどうよ?」
「――――ッッッ!!」
ベロリ……と耳の裏から首筋にかけ、何かとてつもなく柔らかくて濡れたモノが這う。その熱さ……桜の吐息、幼馴染の黒髪から立ち上る甘い匂いでクラクラと眩暈がする。――声、変な声が喉の奥から飛び出しそうになって、ボクは思わず両手で口を塞いでしまう。
――やばい! 何がやばいかわからないけど、このゾクゾクした感覚は危険だと本能的に察する。ボクの様子がおかしいのか、楽しそうにクスクスと笑ってる幼馴染。ゾクゾクした痺れが首筋から指先まで広がって堪らない。
そして胸の奥、くすぐったいような、それとは違うような……そんな訳の解らない感覚と恥ずかしさが、桜の無邪気な声に突如、反撃しろ……と囁き始める。
「えへへっ今のは効いたっぽい。降参でしょ? って、にゃっ、に、兄さんっ!? ひゃうっっ」
「バカ桜ッ! メチャクチャなことしちゃって。ヘンな感じじゃんか、このっ」
ドキドキと激しく脈打ち続ける心臓と、未だにビリビリとした感じが沸き起こる腰の奥。その熱を誤魔化すようにボクは桜の腕を取り、無理矢理にカーペットへ押し倒す。あれ以上、桜にヘンな事をされていたら絶対にやばかった。荒くなりそうな呼吸を抑えつつ、ボクの体の下で驚いている幼馴染を見つめる。
「ったくいっつもヘンな事思いつきやがって。何か、ぞわぞわーって感じだったんだ。お返ししてやるから」
「……に、兄さん!? う、嘘っ、やっ、待っ、あっ……、ちょっ、やっ、きゃうっ、んんん」
桜の右耳へボクは容赦なく唇を押し当て、軽く息を吸い込みながら舌を動かしていく。耳の外側、上の部分を唇で挟み込みチロチロと舌で舐めつつ、ゆっくりゆっくり耳たぶへと向かって移動。
元々耳が弱い桜の事……きっとたまらなくくすぐったい筈。ボクはもっと強くされて大変だったからいい気味だ……と思いつつ、桜の腕が痛まないよう優しくカーペットへ押し付ける。
けれど唇は休めずに動かし続けていく。耳たぶへ到達した舌先を、今度は耳の内側へと向かって移動させる。もちろんボクがやられたように耳を舐め、時折やさしく歯で噛みながら。
「あっ、これ、バカッ、だ、駄目っ、んっ……あ……。ちょっとヘ、ヘンな――っっぅぅぅぅんんんんっっ!! あっ、あっ、兄さんっ、兄さんっ、や、駄目っ、あっあっ兄さん」
必死で笑いを堪えてるのか、顔を真っ赤に染めて熱い吐息をついている桜。ボクの腕からのがれようとして、クネクネと幼馴染の華奢なカラダが動く。その影響で桜が着ているピンク色のパジャマ……その襟元のボタンがプツンと音を立てて外れた。
――ボクの目に飛び込んでくる真っ白な首筋と、鎖骨が浮かんだ綺麗すぎるくぼみ。誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、ボクはフラフラと唇を押し付けてしまう。
「に、兄さん……あ……だ、駄目……。わ、わたしヘンだよっ! あっ駄目、ダメダメダメダメッッ! んんんっっ、あっ……、あああっっ」
唇と舌を肩へ這わせる度、幼馴染の細いカラダがピクンッピクンッと痙攣していく。ぎゅうううううっっっとボクの頭を強く腕で抱き締めて離さない桜。細い両足がボクの腰へ回され、ガッチリとしがみ付くように固定。ボクも両手を桜の腰へまわし、無我夢中のまま互いに力いっぱい抱きしめあう。
火傷しそうなほど互いの吐息が熱くって……、ボクは桜へ聞かせるようにクチュクチュと音を立てながら舌を伸ばし、真っ赤に染まった耳を再び舐める。
「どう桜、ぞわぞわーってきたろ? 反省した?」
「ああっっ……兄さんっっっ……んんっ、うんっ、桜のカラダ中、いっぱい、いっぱい、ぞわぞわって……うう」
唇から漏れる桜の声……、それには今まで聞いた事の無い甘い響きがあって、つま先から脳までが燃えるように熱くなってしまう。至近距離から、うるうると熱っぽく真っ黒な瞳でボクを見上げる幼馴染。荒い呼吸を繰り返している唇が真っ赤に濡れていて、不意にひどく……いけないコトをしてる感じがした。
咄嗟にボクは、強引に桜の熱いカラダを引き剥がす。絶対、絶対にダメなコトをしちゃってた……これ以上はダメだって、半ば頭痛のように感じる、が……。
「……やだ。離れるのやだ。兄さんっ、もう1回ぞわぞわーってしてよぉ」
熱に浮かされているように紅潮した桜の顔、泣きそうな瞳、今まで見たことが無い……ボクの胸をドキドキさせる表情。桜の指がおずおずとボクの指へ触れ、怒られるのを怯えるようにゆっくりと指先が絡みついてくる。
とても拒否なんかできない。今まで意識した事がない、なにか不思議な――まるで痛みのような――甘い感情が胸の奥からあふれ出す。呼吸さえ苦しく、ボクはただ桜と見つめあう。
自然にカラダが動く……互いが磁石のように、引き合うように徐々に僕らの距離が縮まって……。ボクと桜、互いの赤く濡れた唇が……ゆっくりと近づいて……。
「ただいまー。アキラ、桜ちゃん。喧嘩なんかしてないでしょうね?」
「――――――ッッッッ!!!」
遠く玄関が開く音と共に聞こえる母さんの声……、文字通り飛び上がるように驚愕するボクたち。触れ合っていた手がすごい勢いで離れる。
一体、何をしようとしてたのか? 怪しげな雰囲気は一瞬で霧散し、目を白黒させながら必死でパジャマについたシワを整えて、何気ない声で返事を行なう。
「お、お、おかえりっ」
「おかえりなさい、先生っ」
あまりに恥ずかしくって、ボクはまともに幼馴染のほうを見ることさえ出来ない。けれどそれは向こうも同じみたいで、視界の端に映る桜は、顔を真っ赤にしてパジャマの裾を整えながら、あらぬ方向をツンとすまし顔で見つめていた。
トントンと近づいてくる母さんの足音。ボクは何度も深呼吸を繰り返し、いつもと同じように振舞おうと気持ちを整えていく。
「……兄さん。また今度、ぞわぞわってしようね」
その瞬間、背後から桜の悪戯っぽい小さな囁き声が聞こえ……、ボクは大きくツバを飲み込んでしまった。
◆◆◆◆
裏 第六話(桜とゾワゾワごっこその後)※ ここから下はR-15 ※ 本編関係ないオマケです
◆
「あれ? 兄さんったらどうしたの、具合悪い?」
「さ、桜、ちょっと近、いや……。な、何でもない」
湯船の中、ボクの真正面へ向かい合わせて肩まで湯につかっている桜が、心配そうに真っ黒な視線を向けてくる。お湯で温まっているのか、頬っぺたは赤く染まり、濡れた黒髪は邪魔にならないようポニーテールの髪形、濡れた唇はピンク。
もうもうと湯気が立ち昇る風呂の中、ボクはだけど、どうしてもそれ以上は幼馴染のカラダを直視できず、すぐあちこちに視線を彷徨わせてしまう。それもこれも全部、昨日の『ゾワゾワごっこ』が元凶だ。
あの後、何食わぬ顔でベッドで眠り、朝起きて登校。普段と変わらず昼間の学校を過ごしたけれど……、二人っきりの夕食後、幼馴染と一緒にお風呂に入っているのが恥ずかしくって仕方ない。
いつもと何一つ変わらないはずなのに、胸の奥はドキドキと鳴り、腰の奥がなんだかゾクゾクと熱い。何か理不尽な、何か、よくわからないモノがカラダに溜まっているような……言葉に出来ない息苦しさがある。
「どうしたの? ふふっ、兄さんたらお顔が真っ赤だけど。ほら、すっごく熱い」
「ば、ばか桜。触るなって」
「あははっ、やだよん。ソッチに行く」
突然頬を触ってきた幼馴染が、ニヤリとした笑みを浮かべながらネコのようにカラダを擦り付けてくる。水中だっていうのに、桜のカラダ、皮膚の表面がやばいくらいスベスベで綺麗だと手触りで理解できてしまって……、口から心臓が飛び出そうなほどドキドキしてしまう。
「も、もう出るから、離れろバカ桜」
その動揺をなんとか顔に出さないよう必死の努力を続けながら、勢い良く湯船から飛び出す。なのに、そんなボクの腕を掴み一緒に立ち上がる幼馴染。真っ白な肌、ペタンコの胸と華奢なカラダ、スラリとした長い手足が目に入る。
「私も出るっ。兄さん、抱っこして?」
「バカ、何をふざけ、――っっ! さ、桜っ!? ちょっ」
当然断ろうとしたボク。けれど桜は余裕の笑み――どこか子悪魔っぽい、意地悪な微笑みだ――を浮かべながら、首へ両手を回してくる。湯船の横、タイルの上でまるでダンスをしているように互いの熱い体が密着。柔らかくて熱い幼馴染のカラダから、どことなく良い香りが立ち昇ってきてクラクラする。
「あはっ、兄さん。ひょっとして照れてる? やだっ、耳が真っ赤だよ? ふふっ、優しい桜がペロペロッて舐めて冷やしてあげる」
「ばっ、何を……、うっ、ああっっ」
浴室の壁へもたれかかったボク。その耳が桜の真っ赤な唇に挟みこまれてしまう。「くちゅ……」という唾液の音、そして幼馴染の舌が、チロチロとからかうように耳の外縁だけを這う。ゾワゾワとした感じが全身に広がって、ボクは両目をぎゅっっと閉じる。
「ねぇ力抜いてよ。兄さんの耳、もっと、もっといっぱい舐めたいんだから。……ねっ、大人しく首を傾けて」
「や、やめ……、あっ、ああっっ、んんっ」
足がカクカクと震えて立っていられず、くたりと浴槽の縁へと腰掛けてしまう。そんなボクの頭を抱くようにして、幼馴染が唇と舌を伸ばす。熱い吐息と唾液を飲み込む音、そして柔らかな舌がニチャニチゃと音を立ててボクの耳朶を舐めしゃぶる。
チロチロチロと細かく動く舌先が、ときどき首筋をベロリと舐め、再び耳へ戻ってきて這い回る。
「あ、ああっ、んんっっ……ああ」
「んんっ……兄さん、んっ、そんなに声をだしたら、先生がいないっていっても、ふふっ、家の外にまで聞こえちゃうよ?」
「だ、だって……んんんっっ」
ゾワゾワした感覚が頭部を支配し、勝手に声があふれ出す。泣きたいくらい恥ずかしくて堪らないのに、容赦なくこの不思議な感覚が襲ってきて、桜のカラダへしがみ付いてしまう。
くすくすと嬉しそうな幼馴染の笑い声。目の前、ボクの唇の先ギリギリには桜の可愛い胸があって、それを見てしまうと心臓が破裂しそうに脈打つ。
「ふふっ、兄さんったら可愛い」
「ば、バカ、や、やめろ……」
「ふふっ、だーめ。それじゃあ本気で舐めますから。必死で声を我慢してね……兄さん」
「そ、そんなっ、や、やめっ、――――ッッッッッ!!!」
ベロリと熱い舌が耳を舐める。今までと全然違う勢いでボクの耳が咥えられ、クチュクチュクチュクチュと容赦なく舐めしゃぶられていく。脳が、脳が沸騰して真っ白になってしまいそう。それと同時、ボクの口の中へ桜の指が入ってきて、からかうように舌が細い指先でくすぐられる。
クスクスという嬉しそうな桜の声をぼんやりと聞きながら、圧倒的なゾワゾワの感覚に支配されていく。声がひとりでに喉からあふれ出し、どうにかなってしまいそう。
「――うあああああっ、あっ、あっ、あああっっ」
「ああっ、兄さん。すっごく可愛い。もっと、もっと舐めちゃう。ごめんね」
甘い声に合わせ、桜の舌がボクの耳のありとあらゆる部分を舐め、唇はチュッ、チュッと音を立て吸い上げてくる。全身に電流が流れているようで……ボクは無抵抗のまま、幼馴染のカラダへしがみ付く。気が狂っちゃいそうな感じ……。ボクの全身は火がついたように熱く、何かが出口を求めて荒れ狂っている。
「お願い、兄さんっ、我慢しないで、もっと声だして。ね、声聞かせて」
「――ぅっっうっ、桜、桜っっ、ああああああっっ」
完全に桜の為すがまま、クチュクチュと耳を舐められ続け、ボクはドロドロに溶けていく。今まで知らなかった『何か』がカラダの奥にあふれ、不思議な欲望が満ちてくる。
このまま、完全に堕ちてしまいそうで……しかしその直前ギリギリ、その訳の解らない欲望に押されるように、ボクは両手を桜の裸――陶磁器のようにスベスベとした手触り――へと這わせた。
「やっ!? んんっ、兄さんダメっ。そこだめっ、へ、変なトコ触らないで、舐められなくなっちゃ……や、んんっっ」
もはやボクの脳はほとんど役に立ってない。あまりのゾワゾワに麻痺し、呆然としているだけの状態。だから、ボクの両手が動いているのは無意識だと言っていい。この両手……我ながら恐ろしいほど精密で繊細な指先が、ボクも自覚できないようなスピードと柔らかなタッチで動いていく。
声を必死に我慢するように、真っ赤な顔をボクの耳から離し、ビクッ、ビクッと全身を痙攣させている桜。ぼんやりとした視界の先で、ボクの両手……指先だけが、何かに導かれるように幼馴染のカラダ中を這い回る。
「やっ、あああっっ、に、兄さんっ。あっ! あっ、だ、ダメっ、あっ、ご、ごめんなさいっ、あああっ、や! だ、だめっっ、んんんっっっ、そこ、ソコはっ、あああっっ!」
もうもうとした湯気の中、いつの間にか完全に攻守が入れ替わっている。ボクの両手にカラダのあちこちを触られたのか、桜はとろけたような目つきのまま口元を手で必死に抑え、声を押し殺していた。
ボクは夢見心地で、自分の両手が一体どんな動作をしているのか? を全く認識できない。ただ、ボクの指先に色々な場所を触られ続けている桜は、まるで泣きそうな、けれどそれでいてトロンとした表情を浮かべて声を上げ続けている。
「あああっっ、ダメっ、桜のカラダ、カラダ中がぞわぞわって、ま、またぞわぞわになっちゃう。ダ、ダメ、ダメダメだめだめっっ。見ないでっっ、あああっっ、ぞ、ぞわぞわキちゃうっっ、ああああっっ!!」
お風呂の中、幼馴染の甘い叫びがこだましていく。口元を必死で押さえつつガクガクを痙攣を繰り返す桜。濡れたポニーテイルは解け落ち、黒髪が華奢なカラダを覆うように流れている。
そんな幼馴染へボクの両手は容赦なく襲い掛かっていく。カラダのあちこちを触るたび、甘い叫びと共に全身を痙攣させていく桜。
「――ッッ!! やっ、あああっっ、こ、こんなのっ、あああっっ、兄さん、ああっ、んんんっぅぅ、あああっっ、ダメ、だめっ、ああっっが、我慢できない、我慢できないよぉ」
ほとんどすすり泣きのような状態で床に這い、甘い声を上げ続け、なすがままになっている幼馴染。その姿を見ていると、何か危険すぎる欲望があふれそうになる。言葉に出来ない、知識にも無いはずの『何か』。
その時……、
『ピピピピピピピピピピピ……』
「――――!? んぁ? はぁぁああっっっ!?」
けたたましく電子音を鳴らし続ける目覚まし時計。ボクはそれを叩き壊すような勢いで押しとめた。全身をダラダラと流れる冷や汗が止まらない。何か、ヤバイ、とんでもなく危険な夢を見たような気が……。
落ち着け……、確かに夢と同じように、昨夜は幼馴染と一緒にお風呂へ入った。そして耳を軽く舐められたけど、強引に逃げ出したんだ。うん、間違いない。
「ふぅ……」
ベッドへ横たわったまま、ボクは安堵のため息をついて……何か、とっても熱くて柔らかなモノが抱きついている事に気がついた。いや、それだけじゃない。このベットリした感触は、……間違いない。
「起きろ、バカ桜! お前は毎朝、毎朝、どうしてそう涎をっ、しかもボクのパジャマや枕にばっかりっっ!!」
「ん? ふぇ!? あ、あれ? 兄さん あれっ、お、お風呂は? えぇぇぇ? 」
「な、何をバカな事言ってんだよ、とっとと起きろ」
むにゃむにゃと瞳をこすりながら、バカな事を呟いている桜。コイツのしがみ付いていた部分、ボクの胸周辺のパジャマは涎でベトベトに湿っていた。だが一向に悪びれた雰囲気もなく、ポリポリと頭部をかいている幼馴染。
しかし……と、ボクは考える。今、桜は風呂の夢を見ていた……とか言わなかったか? まさか、同じ夢を見ていた?
……いや、そんな事はあるはずがない。脳裏に浮かんだ危険な空想を忘れるように、ボクは深いため息をつきつつ、大切な幼馴染の姿を見つめていた。