「っっっ…………っくあぁー!!」
「ファイトだ……ファイトだ、俺」
封印の遺跡入口。
太古に作られた遺跡に相応しい石塊のモニュメントが立ち並ぶ草っぱらに、エルクの奇声とジーンの絞り出すような声が響く。
湿っぽい遺跡内から出た彼らを眩いばかりの日光が照らすが、彼らの気を晴れ晴れとさせることは一切ない。
むしろ蒸すような熱帯特有の茹だる様な暑さに、慣れているはずのジーンでさえも鬱陶しさを感じるほどに辟易していた。
彼らを疲弊させる原因は、疲れて座り込んだ両人が背に預けている赤錆びた鉄塊。
どことなく人型を思わせる形をしたソレは、エルクたちが目的としていた機神『ジークベック』であった。
といっても今はエルク達によって引き摺られるだけの動かないガラクタ。
そもそもパワーユニットさえあればあの壁より出ることが出来ると言ったのはどこの誰だったのか。
無論エルク達が何かを仕損じたわけではない。
遺跡最下層にて襲いかかってきた魔物を蹴散らし、その奥に安置されていたユニットを見事回収。
その足でジークベックの埋もれる中層に戻れば、当初の話通りにジークベックは壁より自力で這い出たのだ。
しかしその後がどうにもかっこの悪いことになってしまっていた。
七英雄がどうだの、古代の機神がこうだのと意気揚々に這い出たはいいものの、所詮は機械。
長い期間埋もれていたせいか、すぐにジークベックは機能を停止させてしまった。
「だ、大丈夫?」
「あぁ……いや、まぁ、女の子には無理させらんないさ。ははは……」
「…………」
一人乾いた笑いを浮かべながら空を仰ぐジーンの言葉に、どことなく罪悪感を滲ませつつ心配するリーザ。
どちらにしてもこの『ガラクタ』と化した物を運ぶには、リーザの腕力は心許ない。
此処まで辿り着く道中でもリーザは何度も彼らに声を掛けていた。
そんな二人のやり取りの隣では、エルクがパンディットを恨みがましそうな目つきで睨んでいた。
当のパンディットは呑気に後ろ足で頭を掻いており、エルクの視線など意に介していない。
いくら魔獣とはいえ、四足歩行のパンディットに物を運べと言うのは少々意地汚い。
ロープでもあれば別だったが……どちらにしてもエルクの奴当たりめいた視線に意味はなかった。
「村から応援でも呼んでそいつらに持ってってもらった方がいいんじゃねぇのか?」
「駄目だよ。これは私達が受けた依頼なんだし。ほら、えと、エルク、ハンターだし」
「ちぇっ。このポンコツ……転がしていってやろうか」
疲れたままに拳を振り上げたエルクは、一瞬何かを考えてそのままジークベックを蹴り上げた。
鈍い音立てたものの、ぐらりとも揺れずに相変わらず動かない機神。
これでは胡散臭い骨董品どころか、情けない鉄くずの過ぎないのではないだろうか。
ジーンもまたうんとも寸とも言わない機神の姿をジト目で見つめていた。
そんな機神運搬の休憩中。
コレを村まで運ばなくてはならないことに一向にやる気も出ない彼らの下に、村の方から走ってくる人影が見えた。
まだエルクとリーザは村でお世話になって数日程度。その人物が何者かまでは分からない。
ジーンから見れば、その人物は時々助手と称してヴィルマーの研究に首を突っ込んでくる変わった村人だと分かった。
名はポポ。
ちょっとだけ寒そうな頭といかつい顔つきに似合わず中々にファンシーな名前の男。
わざとらしいくらいに肩を上下させて現れた彼は、息を整えるなりジーンの肩を掴んで緊迫した表情を見せた。
「ジーン! たいへん! たいへん!」
「ちょっ、まっ、落ち着けって!」
そのままジーンの肩を激しく揺らしながら涙目まで見せるポポの姿に、ジーンは冷や汗を浮かべつつも何とか彼を抑えようと努めた。
中年の男が涙目でたどたどしい口調を話すのは中々に厳しい。
エルクは二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていた。
しかしポポの口から語られたその『たいへん』なことを聞いた時、エルクの表情は一変した。
「はかせのところにへんなやつらきた! なんか、くろいふくきてるやつら」
何故。
エルクとリーザは困惑の表情を浮かべ、それを見たジーンは即座に察した。
こんなポンコツを運んでいる余裕などないと。
◆◆◆◆◆
ヴィルマー。
彼はロマリアのとある研究所で生物学と機工学を嗜む一介の博士に過ぎない男だった。
元々偏屈な性格ではあったものの、良心や常識を忘れず研究に没頭する良き科学者であった。
科学者としての博識な頭脳こそ一線を画するものを持っていたとしても、ただの科学者にしか過ぎない男。
そんな彼が、闇に飲まれかけたのはいつの話だっただろうか。
ロマリアが闇に飲まれた時か。
彼がその科学を手放すことが出来なかった時か。
それとも、ガルアーノという男がやって来た時か。
何にせよ、ヤゴス島で平和に過ごすこのヴィルマーという男には、決して孫娘には話せない秘密があった。
「止めて! おじいちゃんをいじめないで!」
ヴィルマー博士の家の地下。
あのヒエンの修理工房と化した大広間に、リアの金切り声が響いた。
苦しそうに膝を突くヴィルマーを庇うように、その小さな身体で侵入者達を真正面から睨みつける。
しかし侵入者である黒服の男たちはそれを鼻で笑い、憤怒と苦悶の入り混じった様な表情を浮かべるヴィルマーを見下ろした。
「博士、探しましたよ。随分とね」
「ぐっ……帰れ! 貴様らに用などない!」
「そういうわけにもいかないのですよ、博士」
震える声を荒げるものの、黒服の男たちはどこまでもその醜悪な笑みを崩さない。
ヴィルマーの意思など元々聞く意味がないというのに、ねめつける様にして言葉を連ねるだけだった。
そんな中、恐怖に折れず大きく手を広げて黒服の男達の前に立ちふさがるリアの行動は、少なからず黒服達を苛つかせた。
その笑みをさらに歪ませ、黒服の一人が懐より銃を取り出しリアにそれを向けた。
何をするのか、何を言いたいのか。
さっと顔を青ざめたヴィルマーがそれを察するのは早かった。
「止めろ! 止めてくれ! リ、リアには、手を出すなっ!」
「さて、止めるにはどうすればいいか、分かりますね?」
「ぐっ……この、外道共が!」
「ふん……ああ、それともう一つ。サンプルJ、ジーンはどこにいるのですかねぇ?」
せめてもの反抗と吐きだした言葉に黒服はさも楽しそうに嗤った後、目的のもう一つを切りだした。
強張りながらも、その可能性を思いついていたヴィルマーは内心で舌打ちをしながらも眉を顰めるだけで留めた。
予期していた事態だった。
あの『施設』から逃げ出し、その過程で託された一人の子供。
あの子供を、ジーンを見る度に自分の罪を見せつけられるようでヴィルマーは苦しんだ。
この孤島に逃げ込み、全ての闇を忘れて生きるのに、あの風の子供は自分を苦しめる罪の具現でしかなかった。
それでも、ジーンという男は笑顔を忘れぬ男だった。
やがてリアという孤児を引き取り、孫として共に過ごし、新たな生活に生きて行く中でそんな自分の弱さと向き合う事も出来た。
何一つ罪もない子供に憎しみをぶつけようとする自分の弱さを認め、彼もまた大人が守るべき子供なのだと。
守るべき息子なのだと。
震える身体に鞭を打ち、黒服達を睨みつける。
戦う力など持っていない。
罪から逃げ出した男。
それでも、愛しい子供たちを守ることだけは、その誓いだけは違えない。
「…………そんな男、知らん」
「それはおかしい。おかしいですねぇ……あなたが組織から逃げ出した時、サンプルJを連れて行ったことなど分かっているのですよ?」
「知らん。サンプルJなどという者など知らんし、そもそもこの島にそんな男などいない」
「……強情な老いぼれめ」
「もう一度言う。儂はそんな者など知らん。ただ、大切な者を守りたいだけだ」
眼の前で足を震わせながら立つ小さな身体を抱きしめ、もう一人の子供の顔を思い出す。
どこまで能天気で、どこまでも笑顔を絶やさないおかしな子供。
戦う手段を覚え、爺さんを守ってやるんだと頼もしい笑みを浮かべたあの息子。
罪と向き合う機会をくれた、あの、大切な――――。
ヴィルマーはゆっくりと立ち上がり、一歩、黒服たちの前に進み出た。
「儂の大切な者に手を出してくれるな……そちらに、行こう」
「おじいちゃん!?」
「くく……最初からそうしておけばいいのですよ、博士」
苦笑を浮かべ、リアの頭をその無骨な手で何度も撫でた。
惜しむように、愛しむように、優しく撫でた。
すまない。
ヴィルマーは、今はこの場にいない一人の息子に声を届け――――。
「風の刃よ! 全てを切り裂け!」
「なっ……ぐあああ!」
ヴィルマーと対峙していた黒服達の一番後ろ。
大部屋入口に最も近い所に立っていた男が、突如現れた竜巻に切り刻まれながら地面に叩きつけられた。
竜巻を唱えた声はどこまでも届くほどに澄み渡り、なおもその声色に烈火のごとき怒りが込められていた。
「おにいちゃん!」
「……どこの誰かは知らないが、家族に手を出すっていうのなら容赦はしない」
リアの言葉に、低くその意思を露わにしたのは銀色の髪を靡かせる男。
未だ竜巻の余波を受けて靡くその長髪の奥に、深緑の瞳を湛えた一人の息子が立っていた。
◆◆◆◆◆
サンプルJ。
その言葉を聞いた瞬間に、ジーンの頭に雷鳴のような衝撃が走った。
ヴィルマーの危機にこの大広間へと掛け込み、遠くに見えるヴィルマーとリアを視界に収めたその瞬間のことだった。
しばし様子を見ながら絶妙のタイミングで横合いから殴りつけるか、それともまず二人の安全を確保する為に特攻するか。
5人の黒服が背を見せる光景を前にして、ジーンは少しばかりその駆け足の歩を緩めたはずだった。
広間に続く廊下の一角に重ねられた木箱を影にして黒服達の様子を見やる。
ヴィルマーの危機に頭が瞬く間に沸騰したせいか、既にエルク達のことなど気にせず村の真っただ中を突っ走っている。
故に未だジーンの傍にエルクはおらず。
自身の愚かさに唇を噛んだジーンであったが、それと同時上階よりエルク達と思われる足音がかすかに聞こえてきた。
(5人……エルクたちと一緒なら、やれる)
腰にぶら下げた短めの剣の柄に手を掛け、おそらくは碌な話をしていないだろうと予期される黒服達の声に意識を傾けたその時だった。
サンプルJ。
ズキリ。
あからさまなほどに視界がぶれ、こめかみに痛みがはしる。
眼を絞り、苦痛に歪めたジーンの表情には確かな困惑があった。
フラッシュバック。
あるはずの光景が、失ったはずの光景がぶつ切りにその深緑の瞳に映る。
海辺でエルクと話した時と同じ、エルクとの関係がギクシャクし始めたあの時と同じ違和感。喪失感。
(くそっ……何だよ、何なんだってんだよ、これはっ!)
今すぐ叫び声を上げたくなるほどの痛みが、切なさが心を苛ませる。
すぐ目の前では大切な家族が虐げられているのではないのか。
家族を救うために此処へ来たのではないのか。
なのに、何故、こんな、見知らぬ少年と少女の姿が――――。
「ジーン」
「っ! あ、ああ……来てくれたのか」
気がつけば物影で蹲る自分の肩に、心配そうな表情を浮かべたエルクが手を掛けていた。
その後ろには同じく心配そうに顔を歪めたリーザと、黒服達のいる大広間の方に静かに静かに唸り声を上げるパンディット。
既にジーンの頭の痛みは消え去っていた。
「ヴィルマーさんは?」
「あそこだ。黒い服着た奴らもいる」
「あいつら……やっぱり」
どちらにせよ、この人数ならば、エルクと共に剣を振るえるのなら突撃しても構わない。
腰から抜き去った剣と、仄かに魔力を帯び始めたジーこそがその相図だったのだろうか。
凛々しい瞳で敵を射抜き、一つ頷けばリーザとエルクもまた頷いた。
詠唱。
ジーンの放った魔法は、確かに一人の黒服を吹き飛ばしたのだ。
◆◆◆◆◆
「なぁ、じいさん……あいつらは」
「…………」
既に黒服達はエルク達によって速やかに撃退され、その残骸すら灰になって消えていた。
怒りに燃えるジーンの力故か、それとも現れた黒服との関係に力が入るエルクの力故か。
どちらにしてもその人型の身体をモンスターへと変えて襲いかかってきた黒服など、ほとんど彼らの相手にならなかった。
瞬く間に葬ってくれたお陰かヴィルマーにも大した怪我はなく、今は泣きじゃくるリアを抱きしめながら一人俯いていた。
ジーンの問いかけにヴィルマーは沈黙を続けるだけだった。
そして、エルクとリーザの視線にも。
何故ガルアーノの手先である黒服達が此処に居るのか。
誰も彼もがヴィルマーの言葉を待っていた。
「博士。あいつらは……ガルアーノの手下だよな?」
「…………」
「答えてくれ。何故あいつらがアンタを狙っているんだ」
思いがけない所で現れたガルアーノの影。
幸か不幸か。
偶然に不時着したはずの孤島にて見つけたガルアーノへの手掛かり。
エルクの問いかける口調にも力が籠っていた。
「奴らは……キメラ研究所の者たちじゃ」
苦しそうに歯を食いしばりながらも答えたヴィルマーの言葉に、エルクとリーザ――――そしてジーンが目を剥いた。
再び意味不明な光景が過るジーンは、頭を片手で押えながらも後に続くヴィルマーの言葉をひたすらに待つしかない。
この心の痛みは何だ?
この光景は何だ?
この、記憶は何だ?
すでにジーンの表情には常の軽薄そうな笑顔などどこにもなかった。
しかしヴィルマーがポツポツと話していく数多の真実は、エルクにとってもジーンにとっても看過出来ぬ事ばかりだった。
キメラ研究所。
モンスターの力を軍事運用することを前提に発足した、ロマリアの研究機関。
その研究は人としての倫理観など既に崩壊しており、その過程で主となったのは『人とモンスターの合体』という狂気染みたものだった。
人には魔物にない特別な力がある。
精霊に干渉する古い部族の血筋が為せる業。
古来より伝わる鍛錬にて鋼のような肉体と闘争に優れる人種。
伝承に伝わる神とも魔とも言われる御業の数々を行使する人物。
そんな人間特有の異能に眼を付けたキメラ研究所が人間とモンスターの合体に手を出すのは道理であった。
たとえそれが多くの屍を生み、数えきれないほどの悲劇を生みだすとしても。
既にそのようなものを悔いる価値観などこの機関には存在しない。
「ワシは……研究員の一人としてそこにいたんじゃ」
「爺さんが、か?」
「ああ」
まるで懺悔するかのように途切れ途切れに零される真実の中、ジーンの悲しげな声が落ちた。
そんな非道な機関に、自分のかけがえのない育ての親が。
気難しいながらも優しかった自分の親が。
――――キメラ研究所と言う言葉を聞くたびに過る嫌な予感が。
その全てがジーンに影を落としていた。
「だが儂は……そんな研究の非道さに気付き、そして逃げ出したんじゃ」
言いながらヴィルマーはジーンの顔を見つめる。
言うべきか、紡ぐべきか。
既にそのような選択肢など取れなかった。
一度首を横に振ると、決心したかのように未だ戸惑いを見せるジーンに告げた。
「ジーン……お前も、そのキメラ研究所の、白い家に拉致されていた子供の一人だった」
「…………」
「白い家……白い家だと!?」
真実に口を真一文字にしたまま押し黙るジーンに代わって、声を荒げたのはエルクだった。
ヴィルマーの傍に足早に駆け寄り、力強くその老人の肩を掴みながら先を促す。
一つ一つ。点と点が繋がっていく。
「そうだ……白い家……博士! 俺は其処に居たんだ!」
「お主が?」
「ああ。俺だけじゃない……もっとたくさんの子供たちが掴まっていて……ジーン!」
勢いよくエルクが振り返った先。
未だ黙ったままのジーンに今度はエルクが声を荒げた。
「お前だって居たはずなんだ。俺たちは……クドーとミリルもいた!」
「クドー……ミリル……」
「俺は、俺は思い出したぜ……あいつらが、ミリルが待ってる!」
叫ぶエルクの声が徐々に遠くなっていくのをジーンは感じていた。
その闘志を燃やす様に深紅の瞳を輝かせるエルクを前にして、多くの真実を認めようとする自分がいた。
キメラ? 白い家? 記憶喪失の理由? クドー、ミリル?
単語と共にぐるぐると廻る失ったはずの光景。
その光景すらも徐々に黒で埋め尽くされ、意識が遠ざかっていく中、ジーンは懐かしい少年の声を聞いた。
――また皆で笑えるといいな、ジーン――
そのままジーンは意識を手放した。