五年前。
キメラプロジェクトの糧となる能力者を集める白い家には、一人の少女がいた。
施設の目的に違わず、強力な異能を持って暮らしていた彼女がガルアーノの眼に止まるのはそう遅くはなかった。
どこに住んでいたのか。家族は。その幸せな記憶は。
白いに家に攫われた次の日、彼女はその一切を奪われた。
なんと残酷な話だろうか。
なんと惨いことだろうか。
しかしその少女は記憶を失う前と変わらず、いつだって笑顔を振りまいていた。
自分を世話してくれる担当者の心を和ませたこともあった。
同じ境遇に苛まれる子供を拙い言葉で慰めたりもした。
悲劇の中に居ながら、その笑顔に影はなかった。
そんな少女と特に仲が良かった者がいた。
炎の子と、風の子と、闇の子。
最初に仲良くなったのは闇の子だった。
そもそも闇の子は白い家で暮らす子供たちの中で、最初から此処にいる子供らしく、様々なことを知っていた。
そして、誰よりも絶望に濡れた瞳をしていた。
次に仲良くなったのは風の子だった。
白い家に来た当初は、自分の記憶がないという現状に少しばかり困惑したのは当然だった。
しかし、記憶が消されても風の子の楽観的な性格は変わらなかった。
笑顔が二つ。風の子と少女が仲良くなるのは早かった。
最後に炎の子が来た。
少女や風の子と同様に記憶を消され、炎の子はそのことに悩み、そして悲しんだ。
そして荒れもした。
そんな暴れん坊を少女が放っておくわけがない。
怒りに任せ荒れる炎の子を、少女はゆっくりゆっくりと優しさで包んでいった。
記憶を消され、攫われた。
そんな惨たらしい事実の中、4人は『友達』になった。
そしてある日。
炎の子と少女が、真実を覗いた。
◆◆◆◆◆
ガルアーノと二人で並び、目の前に聳え立つ鉄の巨人を見上げる。
鉄臭い倉庫のような大部屋に配置されたその巨人は、所々にパイプやらコードやらが飛び出ており、どことなく鈍重そうな印象を思わせる。
所詮『彼女』を繋ぎとめる棺のようなもの。
空想のように空を自由に飛び周る機能など付いていない。
「……未だサンプルМは眼を覚まさない、か」
「…………」
腕組みをしたまま渋面を浮かべるガルアーノの視線は、その巨人の頭部に向けられていた。
その頭部にはひと際多くのコードやら何やらが繋がっており、その装甲も肩部や胸部と比べると遥かに厚い。
白銀色をした頭部の奥はコックピットのようになっており、そこには一人の生体動力が組み込まれている。
生体動力の名はミリル。
巨人の名はガルムヘッド。
白い家に配置された最新の迎撃兵器のようなものである。
「宝の持ち腐れとは言わぬが……ただコアにするならば他に代用が利く」
濃い顎鬚をなぞりながらガルアーノは独り言のように呟いた。
ガルアーノの言う通り、ガルムヘッドを起動させるには強い魔力を宿した人間が必要である。
となれば白い家でも最強の能力者として知られるミリルはそれに合致する人材だろう。
しかし、ガルムヘッドはミリルを使うほど重要な兵器でもない。
宝の持ち腐れ。確かにその通りだろう。
わざわざ物言わぬコアになるよりも、俺と同じように人型のままの兵器となる方がミリルの価値は上がる。
だがそれは出来ない。
「五年前、だったか……エルクが逃げ、ミリルが意識を閉じたのは」
「は」
倉庫の外から聞こえる研究者たちの声や足音を聞きながら、ガルアーノの話に相槌を打つ。
相変わらずこの施設にいる研究者たちは寝る間も惜しんで研究に勤しんでいるらしい。
害悪にしかならない、狂気に囚われた研究者たち。
果たして元は人間だったのか。それとも元々魔物だったのか。
どちらでもいいか。
「エルクとジーン。これは別にいい。所詮小僧である奴らなど儂の手からは逃れられん」
「問題はミリル、ですか」
「コアとして使用するならこのままでも構わん。限界までガルムヘッドの性能を引き上げればいいのだからな」
カツリ。
一歩ガルヘッドに近づけば、鉄製の床が音を鳴らした。
「だがミリルの力はそれ以上のものがある。こんな鉄くずでは収まらない力がある」
「……意識の覚醒方法に心当たりが」
「ほう……言ってみろ」
初めてガルアーノの視線が此方を射抜き、その瞳に宿る期待に内心でほくそ笑んだ。
俺がやらなければならない、最も重要なこと。
それを遂げるには、どうにかしてガルアーノに俺の方法に賛同させなければならかった。
ジーンが抜けた穴。
狂った歯車をそのまま回せねばならない。
止まることだけは許されない。
「やはりミリルの意識化にあるのはエルクの存在かと」
「友情か? どちらにしてもくだらん要素に過ぎん」
「いえ、愛情でしょう」
「……くだらん」
ガルアーノが俺に寄せた期待は一気に霧散した。
だが引き下がるわけにはいかない。
さもつまらなさそうに懐に手を入れたガルアーノに構わず、言葉を連ねる。
彼が懐から出したのはやはりというか葉巻であった。
――――兵器庫である此処で火を使うのか、こいつは。
「まだ材料として管理されていた頃、二人の関係は私やジーンとのものとは明らかに違いました」
「いよいよもってくだらんな。正義の味方が来るのを待っているとでも思っているのか?」
「白馬の王子様、といったところでしょう。事件当時のレポートにも記載されていました」
「何だと?」
「『エルクが必ず助けに来てくれる』。錯乱する彼女を保護した警備兵が聞いています」
俺の発言に少々考え込むようにして黙りこくるガルアーノ。
静寂が広がる倉庫内において、この男と二人でいるのは心が擦り減る。
視線をガルムヘッドに向けた。
見上げた先に居た巨人は、当たり前ではあるが動く気配さえ見せない。
「…………それで?」
「現在、エルクの記憶もほとんど覚醒しかけているといっていいでしょう。故に彼がガルアーノ様に近づく目的というのも」
「ミリルを救うためか? ……ふん。所詮お前の推論でしかないな、クドー」
「ならば確かめますか?」
「ほぉ……」
紫煙一吹き。黒一色で染まる倉庫内に灰色が漂う。
ガルアーノの興味がミリルから俺の案へ動く。
「どちらにせよ、エルクとリーザを捕獲し、エルクをミリルの前にでも突きだせば結果は分かるでしょう」
「…………」
「それでなくとも、逆にエルクたちをこの白い家に誘い込むのも一つの手かと。リスクの高い手ではありますが」
ガルムヘッドに向けていた視線をガルアーノに戻せば、彼は既に悪巧みを巡らせる瞳をしていた。
どこまでも濁った黒い瞳。
サングラス越しでも理解できるその邪悪に、しばし震えた。
「……ミリルの改造は既に終わっているな?」
「はい。意識さえ覚醒すれば洗脳して自由に使役出来る上、個体の特性を失わない程度の強化を受けています」
「ククッ……ククク、ハハハハハ!」
嗤うガルアーノを、俺は嗤う。
心で。
心の奥で。
「クドー」
「は」
「エルクとリーザを白い家におびき寄せることは可能か?」
「彼らは既に小型の飛行艇を所有しています。ある程度の情報を流せば此処に来ることは可能でしょう」
「そうか、そうか!」
喜ばしいことだ、ガルアーノ。
俺も、お前と共に嗤ってやりたい気分だ。
「クドー、貴様が案内人になってやれ。手段は問わない。白い家に辿り着く道を用意しろ」
「……その過程でエルクを捕獲することは?」
「駄目だ。奴には足掻いて足掻いて、此処にその足で来てもらわなければならん。それこそくだらん愛情やら正義感やらに誘われて、な」
「…………」
変わらない。この男は本当に変わらない。
他者の苦しみや悲しみに愉悦を見出し、その上で踏みつぶすことを至上の喜びとする。
どこまでも小悪党の、それでも俺達の命を握っている怨敵。
まぁ……何にせよ歯車を回すことはどうにか出来そうだ。
本来の流れであったのかもしれない『斬り裂きジーン』。
その代わりに動く必要があったのはかなり前から懸念していた問題だったが、この流れならば不安はない。
ガルアーノから下された命令は容易い。
ただエルクたちを白い家に案内すればそれでいい。
おそらくは今頃ヤゴス島に辿り着いた俺の部下を蹴散らし、ヴィルマーの話から大よその記憶を取り戻すだろう。
その後にアルディアに戻ってきた彼らを俺が誘導すればいい。
果たしてジーンは。
それだけが唯一の不安要素であるが、それに反して一つの期待もある。
ひょっとすればジーンも、エルクの傍で戦ってくれるのではないのだろうか。
再びジーンとエルクとミリルが共に笑い、隣り合って戦う日が来るのではないのだろうかと。
どちらにせよ、もう少し時が経てば次第に分かることだ。
それ以上に俺にはやるべきことがある。
シャンテ。
再び彼女を利用し、大きな流れに巻き込むことになる。
いや、彼女もまた勇者の一人だったか。
再びガルムヘッドの頭部を見つめる。
直接見るには久しいミリルの姿がそこにはあるのだろう。
もう少し。
もう少しだ。
◆◆◆◆◆
東アルディア首都、プロディアス。
女神式典で起こったアークによる女神像破壊事件による騒動も鳴りを顰め、人々がそれぞれの日常を取り戻しつつあった。
それでも空港ジャックやアーク襲撃などの事件が続発したせいで、ハンターズギルドは警戒態勢を保ち続けている。
プロディアス市警という犯罪に対する公式の組織が存在するものの、腕っ節の強さや対応の速さはハンターの方が優秀だ。
先の空港ジャックの事件とて、寝起きのエルクがそのまま解決に迎えるフットワークはたいしたものだろう。
金さえ払えば即座に対応すると言う評判は確かなものである。
そんなハンターズギルドプロディアス支部の建物内に、一人の中年男性が足を踏み入れた。
何やら胡散臭そうな人相と片眼鏡が特徴的なその男の名は、ビビガ。
エルクのアパートの大家にして、あのヒエンを改造したりして過ごしている変人であった。
ハンターでもない彼がギルドに踏み入れたことに、ギルド内で屯していたハンターはしばしその眉を顰めた。
何せハンター内におけるエルクの評価は真っ二つに二分されるのだ。
力任せではあるが事件の解決率に価値を見出す者。
所構わず炎を撒き散らすその戦闘やら、単純な思考に嫌悪感を抱く者。
そんな後者の評価を下す者からすれば、エルクの関係者であるビビガに向けられる険しい視線は当然のものかもしれない。
しかし当のビビガはそれを知ってか知らずか鼻歌を歌いながら飄々と歩を進めるのみ。
周りの視線など柳に風と言った感じにギルドの受付に声を掛けた。
「ちょっと聞きたいんだが」
「人探しの依頼か?」
「……わざわざハンターの消息くらい依頼でなくてもいいだろうに」
勝手知ったるが如く。
ビビガの質問を聞いてか聞かずか、受付の男は唐突にそう切り出した。
世間話さえ始めた本題に少しばかりうんざりとした表情を浮かべるビビガに、眼鏡をかけた青髪の受け付けは一つ息を吐いた。
そもそもハンターギルド側とて、ビビガの依頼内容におけるハンターの消息に頭を痛めているのだから。
無論そのハンターとはエルクのこと。
何せ彼は空港ジャックで行方不明になってみたり、ヒエンに乗ったまま行方不明になったりで此処最近は本当に酷い。
基本的に一人のハンターが消息を絶った所で気にはしないギルドであるが、問題の人物がエルクというならば話は別だ。
「うちのヒエンを持ってったままどっかに行きやがってな。ひょっとすればあいつだけでも帰ってきてるとは思ったんだが」
「いや、インディゴスの方にもそう言った話は来てないな……そういえばシュウもいなくなったって話も出てるんだが」
「あぁ? シュウの奴もいないのか……ったく、おじょうちゃん連れたまま何処行ってんだあいつ」
ぼやくようにして受け付けのテーブルに肘を突いてぼやけば、受付の男は白い眼でビビガを見ていた。
ただ管を巻くだけならさっさと帰れということなのだろう。
といってもやはりビビガはそんなことなど気付かずにあーだこーだと、エルクについて愚痴を零しているのだが。
「俺がせっかく調整してやったヒエンを勝手に持って行きやがって……しかもそん時に俺を高圧電流の金網に突き飛ばしやがるしよ」
「高圧……? 何やったんだアンタ」
「うちのヒエンに手を出す奴は許さねぇ、って話さ。ま、エルクのことがわかったら教えてくれ。暇でしょうがねぇ」
手をわきわきと動かすビビガに受付の男は気味の悪いような物を見る目で見送った。
何でもビビガの趣味は機会弄りらしく、大家として暇を持て余している時間は大抵それらを手にしているのだとか。
ヒエンの改造もその一環なのだろう。
兎にも角にもエルクの消息を知りたいのはギルド側も一緒。
彼のような手練がいないせいで討伐されていない指名手配者も多くアルディアに潜んでいる。
ふとギルドの壁に貼り付けられ手配書に眼を向けた受付の男は、ギルド出入り口の扉に手を掛けたビビガに声を掛けた。
「最近じゃあ何だか奇妙な殺し方をして世間を騒がす奴もいる、用心しとけよ」
「はん、このビビガ様に勝てる奴なんていねぇが……どこのどいつだ?」
「『血溜まり』って呼ばれてる奴だ。まだ姿も見られてなくてな。殺された人間は揃って床一面に血をぶちまけている」
ピクリ。
ビビガの肩が少しだけ上がった。
「……ご、護身銃くらい持ってくか」
「そうしとけ。趣味の改造でも以って強力な奴をな」
少し小走りで去っていくビビガの背を見ながら、受付の男はもう一度手配書を見る。
血溜まりと記載された手配者の写真は、未だunknownを表す黒一色のままだった。