ガルアーノの屋敷にて俺に宛がわれた一室で、ただ黙々と書類に目を通していく。
自分の身体に関するレポート。キメラ強化された部下達の統括。これから行われる作戦の概要。
ファイルに綴じられた多岐にわたる書類を捲っていけば、俺の眼に止まる草案が一つあった。
といってもそれは前々からガルアーノ本人に提案されている案件である。
それは俺の身体をさらに機械化させるという試み。
元々キメラとしては極限まで強化され、今現在も命をストックすべく様々な魔を取りこんでいるこの身体。
はっきりいってしまえば機械の入り込む余地はないようなものである。
こんな状態でさらに身体を改造すれば一体どうなるのか。
(……まぁ、いい結果にはならないだろうな)
パチパチと明りが点滅する蛍光灯に視線を上げ、少しだけ気だるくなった首筋を伸ばす。
スペック上では不死を誇る身体だというのに、ただの人間だった頃の記憶が疲れというものを感じさせる。
所詮気分的なものだった。
どちらにせよガルアーノが何故俺にこの案を出してきたのかは容易に想像できた。
確かに俺は奴の望みを須らく叶え、さらにその右腕として十分な結果と信頼を得てきている。
しかしガルアーノは満足しない。するわけもない。
さらなる結果を望むその姿は、欲望の尽きぬ人間のようだった。
ガルアーノが元々魔族に連なる者なのか。それともキメラに影響されて堕ちた人間だったのか。
なんとなく他の四天王からの評価を見るに、後者の様な気がしてならない。
興味のない話ではあるが。
兎にも角にもガルアーノの提案を突っぱねるか、それとも一連の望みを託して受け入れるか。
俺の身体が壊れるから、などと言ったところで奴は納得などしないだろう。
説得するのならば、はっきりとメリットとデメリットを提示した上で納得させなければいけない。
貴重な配下であるだろう俺にそんな綱渡りをさせるのは……まあ、エルクやミリルがようやく手に入るだろうという事実に興奮気味なのだろう。
――――それとも、彼らが手に入れば俺は用済みか?
その考えに至れば、無意識に俺の顔が凶悪に歪むのを感じた。
声を出さぬように肩を震わせて笑い、手に持ったファイルがしきりに揺れた。
どこまでも楽観的な奴だと笑い飛ばしたくなる感情に囚われる。
宝物を前にしてはしゃぐのはガルアーノも俺も同じだった。
執着していたものが成就される瞬間を待ち侘び、高笑いの準備をしているかのように唇を舐める。
俺は、俺たちは、この世の全てが自分の思い通りになると信じている。
数多の失敗を経験し、数えきれぬ挫折を思い知りながら自分自身を盲信している
阿呆と呼べばいいのか、小悪党と呼べばいいのか。
ファイルの中に綴じられているエルクに関連する情報を纏めながら、俺はやがて機械的にそれらを眺め始めた。
◆◆◆◆◆
エルクを取り巻く物語の流れは様々な変化を伴いながらも、ある程度は本来のそれと同じく流れているといっていいだろう。
ジーンが彼らと共にアルディアへとやってきた事実に、胸を弾ませたり微妙な気持ちになったりとはしたものの特に変更はない。
ジーンが戦う理由もエルクのそれと同じなのだろうか。
そこらに廃棄されたガラクタの間を縫うようにして崩れかけたビルの中を進む。
明かりとなるのは煌々と照る夜空に浮かぶ月だけ。
いくら廃墟とはいえ多少は切れかけた街灯でもないのかとも思ったが、そんなものはこの廃墟の街に存在しない。
ここはいつも通り血と鉄の匂いを漂わせたままだった。
≪我らの為すことは全て神によって認められているのである!≫
≪……何だそれは≫
≪ピエール・べロニカの真似。旦那の記憶じゃあこんなことを言ってなかったか?≫
≪くだらん≫
内で響く声に耳を傾けながら、その話題の本人に会うべく周りを探る。
部下から回された情報とシャンテからリークされた話を聞けば、この廃墟の街にエルク達が来るのは確定済みだろう。
エルクがとある依頼をハンターズギルドで受けたというのも既に確認出来ている。
廃墟の街で邪教を広める宣教師となったピエールと、それをいぶかしんだ依頼人の依頼を受けて此処にくるエルク一行。
他に誰の目も入らない場所で俺と彼らが接触するには、この廃墟の街はこれ以上ない場所だった。
ここならば他の邪魔は入らない。
やがて辿り着いたビルの一室。
盛大にひび割れたガラス窓から大通りを見下ろせば、確かにそこには7、8人の妙な集団と、それと相対する三人と一匹の姿があった。
エルク、リーザ、パンディット……そしてジーン。
穴が開かんがばかりに眼を広げ、その姿を瞳に映す。
エルクと似たような衣装を黒く染めた、どちらかというとシュウ寄りの格好をした少年の姿。
どこまでも目立つ銀色の髪が風に靡き、そこから垣間見られる顔は絶世の美少年とも言うべきそれ。
ただ記憶の中に残っているあの幼い少年の影を少しばかり残しつつ、あの銀の髪だけは変わっていない。
どんな声を上げるのだろうか。
どんな心を持っているのだろうか。
……あの頃のようにニヒルに笑ってくれるのだろうか。
出ないはずの涙が出そうになり、しばし自分の為すべきことなど忘れてその姿だけを茫然と眺めていた。
やがて始まる彼らの戦闘も、ただひたすらに俺は眺めていた。
エルクの槍裁き、舞うように切りつけるジーンの剣舞をただ……眺めていた。
≪……やりやがる≫
≪主よ。シュウの時もそうだったが、単独では手加減のしようもないぞ?≫
≪来たりて≫
それぞれの声に引き戻されるようにはっとすれば、既に眼下で行われている戦闘はエルク達の圧勝に終わっていた。
なにやらへこへこと頭を下げる宣教師たちと、その取り巻き。
どことなくうんざりしたような表情を浮かべるエルクと、その様子をげらげら笑っているジーン。
――――ジーン、そのような人間だっただろうか。
ふと浮かんだ疑問など即座にどこか遠くに投げ飛ばし、俺は胸元に装着された真っ黒な刀身のナイフに手を掛けた。
そして一声、心の内へ吐き捨てる様に命じた。
「シャドウ、アヌビス。出番だ」
≪ケケケッ、久々に身体を動かせるゼ≫
≪御意≫
俺の足元から真っ黒の霧が流れるようにして滲み、やがて影とも呼ばれるほどに色を濃くしたそれは、魔物の形を取り始めた。
霊魂のように影そのものを宙に浮かべ、両手に鋭い刀身を光らせる魔物、『ブラックレイス』。
黄金のフレイルを手に持ち、その顔を犬のような面で覆った人型の魔物、『ウルフアンデッド』。
双方共に自ら勝手に名乗り出した名を呼べば、どちらも嬉々として身体を震わせた。
シャドウはただ単に戦いを味わえるからか、アヌビスはエルク達に興味を持っているからか。
どちらにしても俺の命令通りに動くのならば問題はない。
「シャドウ。もしも余計なことを口走れば即座に喰い消してやる。いいな?」
「ケケ。こんな面白ェことなんてやめられねェからな。旦那の命令には従うぜ」
一応のため釘は指しておくが、シャドウはそれに憎たらしくのっぺらぼうの顔を歪めて応えてみせた。
どこまでも鬱陶しい奴。
隣でただ黙って佇むアヌビスを見習うつもりはないのかと半眼を向けた。
まぁ、どちらにしてもただ誘うための戦闘だ。
本腰を入れて戦うことなどなく、そもそも俺がエルク達を傷つけることなどあり得ない。
ガラスの破片が散らばる窓に足を掛け、俺は依頼を果たして家路に着こうと踵を返したエルク達の前に降り立った。
◆◆◆◆◆
着地点に散らばっていた車の部品を踏み抜き、羽織っていた外套を翻せば、既に俺の目の前には驚愕に眼を丸くしたエルク達がいた。
すぐさま戦闘の用意に槍を向けたのはエルク。
やがてパンディットとジーンがリーザを守る様にしてこちらを睨み、リーザが俺の姿を見るなり息を飲んだ。
あのハイジャックの時に相対していたことを覚えていたのか。
どちらにしても今は彼女に興味はなかった。
「てめぇ……」
槍の穂先を下ろすことなく月の光を受けた鈍色をこちらに向けたまま、エルクは低く呟いた。
アレ以来久しく聞いていなかった彼の声はまだ幼げなものを残しつつも、どこまでも通るような声の中に獣染みた鋭さを感じさせる。
正しく戦士の声だった。
ばさばさとけたたましく靡く外套を鬱陶しく感じながらも、その中に隠していた右手をだらりと下ろす。
その手に握っていた黒のナイフを晒せば、彼らは呼応するかのように武器を構える。
このパーティを組んでから一カ月か、半月か。
そう時間も経っていないというのに、彼らは長年付き合ってきたような雰囲気を感じさせた。
ジーンに関して言えば、彼らと合流してから一週間経ったかどうかだろうに。
「あの人……空港で」
「リーザ?」
「思い出したぜ。お前、あの時の黒服に紛れてた包帯野郎だな?」
徐々に此方の正体に当たりを付け始めたエルクとリーザの声を聞きながら、俺はいつこの右手を振り上げればいいのか迷っていた。
長く彼らと顔を突き合わせていたい。
例え敵と味方で分かれようとも、成長し、戦う術を覚え、今運命に立ち向かおうとする彼らの傍にありたい。
ただそれだけが俺の手を固く留めさせる思いだった。
情けない。
俺は一度深く息を吐き、わざとらしく首を振るとゆっくりと口を開いた。
「早々に此方に下ってくれると面倒がなくていい」
「へっ。あの時みたいにだんまりかと思ったが、ただの魔物じゃねぇみたいだな?」
「ガルアーノ様に仕えさせて頂いている者なれば、当然。ただのキメラではない」
キメラ、という単語に如実に顔を歪めさせたのはリーザだった。
暗がりの中でも見える、悲しみと怒りに歪んだような表情。
エルクとジーンも似たようなものだったが、彼女のそれは常人以上にその所業を近く感じている節がある。
同調するようにパンディットもまた唸り声を上げていた。
「何しに来たっていうのも馬鹿な質問だよな?」
「……ふ」
「何がおかしい」
なるべく気障に、なるべく醜く鼻で笑って見せる。
あまりに気の長い方ではないエルクがそれにこめかみをヒクつかせるのは早かった。
「貴様たちは此方に聞きたいことがあるのではないのか?」
「何だと?」
「白い家。サンプルМ…………いや、ミリルだとか言う実験体の救出だったか」
「……どこでそれを聞いた」
意外にも俺の言葉に反応したのは、今までただ沈黙を守ってきたジーンだった。
一歩こちらにじり寄り、手に持ったソードを向けながらその視線は揺れることがない。
エルクの燃える様なそれとはどこか違う、心の芯から凍えさせるような冷たい瞳。
こと目的のためならば非情になれることを知っているのはジーンの方だったのだろうか。
「さて……虫が、な」
「…………?」
「ここ最近ガルアーノ様の周りを飛び回っていた虫の話だ……いい声で歌いそうな女だったな」
「まさか」
暗にシャンテのことを匂わせてみれば、エルク達の顔に蒼いものが浮かぶのは早かった。
直に苦虫を噛み潰したように此方を睨みつけるエルクとジーン。
ここまで来ればもはや話すことなど双方あるわけもない。
激昂したかのようにこの場の温度が上がった感覚を覚え、エルクの方を見れば彼は既に呪文の詠唱に入っていた。
そして俺の足元巻き上がる嵐のような炎の奔流。
周りの廃棄物を巻き込みながら全てを灰にしてゆくその炎に戦々恐々しながらも、俺はすぐさま何歩か跳びながら回避に移った。
感情によってその威力を増減させると言われるエルクの炎だったが、ただの怒りでここまでの力を持つのだから恐ろしい。
やがてその炎の揺らめきを挟んではっきりとしていくエルクの姿を捉える。
相も変わらず槍を構えたまま此方を睨みつけるその姿に、俺はしばし魅入っていた。
紅の嵐を携えながら赤茶の髪を逆立たせ、深紅の瞳で此方射抜く一人の英雄。
まるで英雄譚の挿絵からそのまま持ってきたような勇ましい光景に、俺は内心逸る心を抑えられそうにもなかった。
確信。
彼ならば、必ず上手くいく。
やはり彼ならば、必ずミリルを助けることが出来る。
俺が避けた時に幾分かの包帯があの炎に巻き込まれたのか、虚空を彷徨う包帯の切れ端がエルクと俺を挟んだ間で赤に消えた。
否が応でもなく高まる戦闘の空気。
それに応える様にリーザとジーンの背後で真っ黒な影が蠢いた。
「っ……パンディット!!」
リーザの声に魔狼が応える。
身を竦ませるような遠吠えの後に吐かれた蒼く冷たい吐息に、その影達は即座に散開して見せた。
黒の影のままに佇む異形はジーンの前に。
威風堂々の様を見せる武装した人影はリーザとパンディットの前に。
「リーザ! ジーン!」
「心配するな。殺しはしない」
「ちっ……覚悟しやがれ!」
戦闘開始。
だが、もはや結果などどうでもよくなっている。
目的などどうでもよくなっている。
ただ、彼らと共に踊りたい。
再会を、祝したい。