ジーンが意識を失ってその場に倒れ伏した時より数刻後。
瞳を閉じたまま魘されるジーンをベッドに眠らせ、それを囲むようにしてエルク達は沈黙を保っていた。
隣のベッドでは黒服達の襲撃で心身を疲弊させていたリアも寝息を立てている。
二人の子供を眺めていたヴィルマーも、一つ安心したようにして息を吐いた。
とりあえず一人の怪我人も出さずに事を収めたものの、未だ多くの疑問が残っている。
いや、疑問と言うよりは問題だろうか。
ジーンの出生、過去。
ヴィルマーが隠していたキメラ研究所との関係。
完全に思い出したエルクの記憶。
そして、これから。
考えなければならないことなど無数にあった。
そんな多くの問題に思案していたのかしていないのか。
ただ黙ったまま虚空を眺めていたエルクが独り言を呟くように口を開いた。
「白い家では……いつも4人で一緒にいた」
「?」
「俺と、ミリルと、ジーンと、クドーと……みんなガキだった」
首を傾げたリーザとただ視線を向けただけのヴィルマー。
エルクは照れくさいのか頬を指で掻きながらも、まだまだ子供だった頃の記憶を語り始めた。
懐かしさに少しだけ声も柔らかに。
「ミリルはお節介だし、ジーンは生意気だし、クドーはなんか根暗だし……」
「でも、仲がよかったんでしょ?」
「わけのわかんねぇ場所だったけど、あいつらと居る時は本当に楽しかった」
エルクが思い出したのはどの場面だったのか。
一度首を横に振ると、エルクは眠っているジーンの顔を見つめ、しばし言葉を失った。
いや、その表情は怒りに満ちていた。
「そんな中、俺とミリルは……仲間の子供たちがモンスターに変えられる所を、覗いちまったんだ」
「子供を……モンスターに」
「…………」
そのおぞましい事実に身体を震わせたリーザに、足元にいたパンディットが安心させるようにその身体を押し付ける。
ヴィルマーは苦虫を噛み潰したように顔を歪めたまま、無言で掛けていた老眼鏡を上げた。
「まだまだガキだった俺達は動転して、すぐに逃げようって話になったんだ。ジーンとクドーも連れて」
「…………」
「でも隠れてた俺達はすぐにばれて、ジーン達を連れる余裕もなく……俺を逃がすためにミリルも囮になって」
気付けばエルクは無意識のままに固く拳を握りしめていた。
肩を震わせたまま俯き、自分だけ助かってしまったことに自分自身に怒りを抱いていた。
助かっておきながら、今の今まで記憶を失いのうのうと生き続け。
しばし後悔に身を震わせ、強く強く歯を食いしばる。
次に顔を上げた時、エルクの顔にはただ一つの決意が浮かんでいた。
「博士。俺は白い家に行かなくちゃならねぇ。まだあそこには助けを待っている奴らがいる」
「…………」
「ジーンを助けてくれたことには感謝する。過去を忘れていたいのも分かる」
「…………ワシは」
「だけどっ! 俺は、もう……逃げてらんねぇんだ」
既にその瞳に後悔はなく。
既にその瞳には深紅の炎が燃え上がり。
これを勇気と呼ぶのだろうか。
彼を勇者と呼ぶのだろうか。
「教えてくれ。白い家ってのは何処にあるんだ?」
「…………」
「博士っ!」
一度ジーンの方をちらりと見たヴィルマーは肩を落としたまま、エルクの声に応え始めた。
「西アルディアの何処か。移転してなければ今もその場所は変わらないじゃろう」
「西アルディア……」
「ただ詳しくはワシも知らん。もっと詳細を得るためには」
「ガルアーノの野郎に直接聞けってわけだな!?」
両手の拳をガシリと叩き合わせたエルクは、ようやく道が開けたと獰猛な笑みを浮かべた。
その様に思案した面持ちで黙り込むヴィルマー。
リーザもエルク同様目的の輪郭がはっきりしてきたことに喜ぶが、どことなくヴィルマーの態度に違和感のようなものを感じていた。
まだ何か、隠しているような、そんなものを。
「ヴィルマーさん……その、まだ何か?」
「ジーンのことだがな……こいつが記憶を戻したら、おそらくは」
「ジーンがどうかしたのか?」
「お主らについていくだろう。友を助けようとするだろう。そういう奴じゃ」
魘され、少しばかり息苦しそうにしていたジーンもようやく落ち着いたのか。
リアと同じように胸を上下させながら安らかな寝息を立てている。
ヴィルマーはそのゴツゴツとした手で、ジーンの頭をクシャリと撫でた。
「正直な話……ジーンはとある人物から託された子供なんじゃ」
「とある、人物?」
「クドーじゃよ」
「クドー……って、どういうことだよ!?」
唐突に明かされた事実にエルクは声を荒げてしまった。
当然の如く眠りついていたリアはぐずり、今にも起きてきてしまいそうに身体を捩らせた。
しかしエルクの驚きも当然であり、リーザもまた話の要領がつかずに首を傾げていた。
「えと、クドーくんって、エルクと同じ白い家に入れられてた子供じゃないんですか?」
「リーザの言う通りだ。あいつは俺達と同じ子供で……どうやってあいつが博士に」
「どこから嗅ぎつけたのか知らんが機関から逃げ出そうとするワシに、眠ったままのジーンを押し付けてきたのが、あやつだった」
「……どういうことだ?」
未だ子供で、研究員であるヴィルマーに近づく術もないはずで、そもそもジーンを連れてくる過程も不明。
エルクには何が何だか、一体クドーが何をしているのか分からなくなっていた。
「ワシが白い家に派遣されてきたのは、おそらくお主が脱走した後なのじゃろう。必要以上に施設の警備が厳重にされておった」
「それは……そうかもしれないけどよ」
「ミリルという存在も直接関わることはなかったが知っておる。無論クドーという男も」
「じゃ、じゃあ、クドーは何してたんだ?」
既にエルクに冷静さなど欠片もなかった。
縋る様にしてヴィルマーに詰め寄り、早く先を話せと急かす。
ただその態度と裏腹に、ヴィルマーはただひたすらに悲しそうな眼を浮かべていた。
「ガルアーノ直属キメラ部隊所属。個体名『プロト』」
「…………あ?」
「いや、そもそも彼はキメラじゃない。彼はもっと別の……」
「……ふざけんなよっ!!」
ただ悲鳴にも似たエルクの怒号が響き渡るだけだった。
◆◆◆◆◆
遠い記憶。
暗がりの中に居た俺は、ただひたすらに現状を理解することに躍起になっていた。
前世か。憑依か。転生か。転移か。
ありとあらゆる可能性に思いを馳せ、そして諦めた。
身に覚えのない部屋。
身に覚えのない身体。
身に覚えのない他人。
ここが俺の知る物語の世界と知ったのはいつだったか。
研究員が俺に向ける視線の歪さに気付いたからか。
申し訳程度に渡される絵本の内容を曲解した時か。
そこらに散らばる単語が俺の知識に引っ掛かった時か。
どちらにせよ、死にたいと思ったのは早かった。
元々俺が入れられていた部屋は、多くの子供たちを遊ばせるような大きなものではなかった。
むしろ何処となく牢屋を思わせる様な簡素すぎて味気ない部屋。
ベッドと、机と、あとは――――あまり覚えていない。
ただこの世界における『俺』という存在は、研究員のそれらから見ても歓迎されないものだと理解した。
食事を運んでくる係員と言葉を交わすこともなく、定刻に合わせて検査に来る白衣の男の態度もそっけない。
孤独。
この施設で行われるであろう惨たらしい実験よりも、そんなことに心を削っていた気がする。
やがてある程度の時を無駄に過ごし、係員に連れられていったのはあの知識にあった大きな部屋であった。
そこでようやくにして俺は、本来の物語の流れよりも早くに存在しているのだと察した。
次々に部屋に入ってくる虚ろな目をした子供達。
誰も彼もが記憶を失い、そして研究員に名前で呼ばれることはない者達だった。
俺は知っていた。子供達の大まかな立場を。
君たちは強い力を持っていて、悪者に攫われて、記憶を消されて、直にモンスターに変えられてしまう実験体なんだよ。
未だ俺という存在がキメラプロジェクトにとってどういう立ち位置にいるのか理解出来なかったが、子供たちの中で最古の者だということは理解できていた。
自然と、頼られることになった。
絵本の朗読。描かれた絵を褒める。転んで泣いた者を宥める。
それが続いたのは一週間か、それとも一カ月か。
それだけで『孤独』というものを克服したのだろう。
既に俺は新たな贅沢に味をしめ、何故こんなことになったのだと今更に現状を恨み始めた。
子供の世話なぞしていられない。
このままじゃキメラにされる。
誰か俺を助けろ。
……何故転生?
転生云々の不満が最後に来てしまう自分に、失笑する時もあった。
無論その全てを解決することの出来る手段というものも存在する。
すなわち、自殺。
食事の時に渡されるフォーク辺りを首に突き刺せば、おそらくは死ねるだろう。
だがやらない。
だって、あんな尖ったものを首に刺すなんて、怖いじゃないか。
血は出るだろうし、即死出来ないから痛いだろうし、そもそも死ねるかどうかも微妙だし。
――――俺は未だ、平和な世界に生きていた人間のままだった。
鬱鬱とした中でしばらく無意味なままに生きてきた俺は、ある日、唐突にして思いついた。
物語にあった勇者たちの話。
おそらくはもう少し時が経てばこの施設に連れられてくるだろう子供達のことだった。
エルク。ジーン。ミリル。
どのような過程で白い家に運ばれてくるのかなど知らないが彼らは来る。
前世で得ていた知識通りになるかなど分かったものではないのに、俺はとにかく彼らの来訪を盲信した。
そして彼らは来た。
俺は一体どれだけ喜んだことだろう。
どれだけ狂喜したことだろう。
彼らと共に居れば、エルクと仲良くなれれば、エルクと共にいれば――――。
やがてこの忌まわしき施設から逃れられるチャンスが来る。
人間のままで、辛いかもしれないけど、この世界で生きることが出来る。
まずは身の安全を。
おそらくは不可能かもしれないけど元の世界に戻る方法を気ままに探すのもいいかも。
どこが一番平和だろうか。
やはりエルクというキャラクターに半ば寄生する形で生きるのも。
いや、そうなれば物語に巻き込まれる可能性が……。
――――未だ俺は、プロトと呼ばれることに疑問はなかった。
◆◆◆◆◆
エルク。
ジーン。
ミリル。
そして俺。
俺達が白い家で過した時間はそう多くない。
互いに同じような悲劇を有したまま、笑顔を失くさないように日々を過ごしただけ。
時に喧嘩をするジーンとエルクを俺が窘め、それを聞きつけたミリルが頬を膨らませて怒る。
眠れないと駄々を捏ねるミリルに俺が絵本を読み、それを悔しく思うエルクが文字を習い、それをジーンがニヤニヤ笑う。
ミリルのことをエルクが好いているという事実をジーンが察し、それに俺が苦笑し、エルクが顔を赤くし、ミリルが首を傾げる。
仲の良い、4人だった。
しかしその友情は、俺にとってただの手段に過ぎなかった。
自分が救われるため。
自分の安全を確保するため。
生き延びるため。
前世からの経験で嘘をつくことには慣れていたこともあってか、彼ら3人の中に紛れ込むのは容易いことだった。
子供という生き物の鬱陶しさに我慢しながらも表で暗い笑顔を振りまき、ただひたすらに運命の日を待ち続ける。
子供たちの純粋な優しさに時折胸が締め付けられるようなことがあっても、俺の目的は変わらなかった。
未だクドーと名乗らず、プロトと名乗っていた頃の話。
与えられた不可解な名前を名乗ることに疑問がなかった頃の話。
俺は、とある研究員から真実を告げられた。
その真実は、俺が目を背けていた様々なことが叩きつけられる、全ての『答え』だった。
何故俺はプロトと呼ばれる。
何故俺は初期の頃から此処に居る。
俺も何かしらの異能を持った一人なのか。
アイデンティティの消滅。
根本の崩壊。
そして、開き直るきっかけでもあったのだろう。
既にエルク達を踏み台に生きることなど眼中から消え失せた。
その結果、ただ何もかも失った俺をヒトとして繋ぐものが、エルク達と紡いだ偽りの友情しかないのだと気付いた。
あまりに皮肉な、そして笑える事実。
それと同時に怒りを覚えた。
ただ一つ執着出来る彼らとの友情が、そう遠くない未来、エルクを残して完全に破壊されるのだということに。
キメラとして改造されるジーン、ミリル。
しかも二人揃ってエルクの前で非業の死を遂げると来た。
それで?
傷つきながらもエルクは立ち直って?
結局生き残ったのはエルクだけで?
ああ、ふざけている。
全くもってこの世界は、物語はふざけている。
世界の危機。
死んでいく人々。
破壊されていく環境、精霊。
そんなものどうだっていい。
ただ唯一、俺が執着出来る存在が死に行く運命など、認められるわけがない。
ジーンをヴィルマーに託したのも、別にジーンのためではない。
ミリルが救われるように動くのも、別にミリルのためではない。
エルクに救う機会を与えることも、別にエルクのためではない。
その全ては、俺がクドーとして、何かを成し遂げられたという結果を得るためのもの。
ただひたすら自分の願いのために、欲望のためだけに動く。
成程。
確かに俺は、光ある世界に生きる人間ではなく、闇に生きる魔物なのだろう。
魔物。
何のことはない。
俺とは、プロトとは。
キメラプロジェクトの前身として行われた研究で生み出された――――。
人間の女性に産ませた魔物の子だった。
単純でより力のある『合体』という手段が主流になるより前。
魔と人の混血を生み出すという実験で生まれた半人半魔。
多くの犠牲者と廃棄される胎児の中で唯一生き残った存在。
それがプロト。
故にプロト。
――――認めない。
あんな醜悪な存在と俺が同義などと。
ただ誰かを傷つけることしか脳のない、闇に蠢く者などと。
故に俺は求む。
人間である証として、ただ一つこの世界で作り上げた偽りのモノを。
迷う必要などない、甘ったるく、分かりやすい友情を。
他の何を犠牲にしてでも、あの子供達と紡いだ縁を守り抜いてやる。
ただ俺が人間だと思いこむためだけに。
人間であるが故に、何一つ生死の境を彷徨う世界に生きていなかった故に狂っていく俺の心。
人間である証を望む。人間『らしい』心を、縁を。
しかしそれを望めば望むほどに俺は生き残る術として魔を取り込み、人を殺し、世界を操ろうと画策する。
ヒトを、離れていく。
矛盾。
ただコントローラーを握り、この世界の行く末に一喜一憂していた俺はどのくらい残っているのだろうか。
いつ俺は、俺でなくなるのだろうか。
もはや親の名など覚えていない。前の世界にあったであろう友人たちの声など覚えていない。
エルク。
ジーン。
ミリル。
絶対に死なせはしない。
死んでも、守ってやる。
軽々しく死ぬなどと、この俺が許さない。