マザリーニとの出会いから半年が経った。
ロバートはベッドの中で身を起こした。
「ああ~、なんか久しぶりにあの日の夢見たな」
ある意味で記念日、ある意味で厄日。
あの日はロバートにとって異世界に来た最初の日であると同時に、自分のとは言ってもロバート自身には実感はないのだが、母だったらしい女性の死んだ日でもある。
「まさか、憑依が現実に起こるとは…事実は小説より奇なりだな」
それもまさか創作物の世界だとは、とひとりごちる。
「ゼロの使い魔か」
長年の病院生活の間に読んだ本の世界に来るとは思ってもいなかった。
しばらくはただの憑依だと思っていたのだが、流石に生活を続けていると嫌でも気付かされる。
ベッドから出て服を着替えながらロバートはこれまでの生活を思い返していた。
始めは何が起こったのかもわからないし、もちろん一緒にいた母親のことも分からない。
そのうえここはどこだとか、日本に帰してくれとか騒ぐロバートは周囲の人々をひどく困らせたのだが、最終的に『精神的なショックで錯乱状態にあり記憶も失っている』ということになった。
まあそのまま騒ぎ続ければ狂人扱いを受けたかも知れないが、一週間もすれば自分に起きた現象に気づき、次第に受け入れ始めることもできたためそんなことにはならなかった。
マザリーニの調べによると、共にいた女性はロバートの母親に間違いないということらしい。
ティアレス・ド・アーネンハイツという名前だったらしい。
マザリーニが言うには、ロバートの母ティアレスはアーネンハイツ男爵家当主の妾だった。
市井のメイジであった彼女は妾になった後数年でロバートを身ごもった。
しかし、その時本妻は未だ子どもができておらず、嫉妬と焦り故かティアレスに厳しく当たっていた。
そしてさらに時が経ち、本妻もようやく子どもを身ごもり、これでティアレスへの対応も柔らかくなるだろうと思われていたのだが、本妻は流産してしまった。
それだけならまだしも、流産により二度と子どもができない体になった。
本妻は悲しむとともに、このままでは自分に代わり本妻となるであろうティアレスに怒り狂った。
本妻は金で雇った傭兵のメイジ数人をティアレスに差し向けた。
一応はメイジであったティアレスは必死に抵抗しながらロバートを連れて逃げるも、元々が市井のメイジであり戦いなど経験もしたことのない彼女は大怪我をして街道で倒れた。
そこを偶然通りかかったマザリーニに発見されたのだが、彼女自身は事切れた。
こういうことだったらしい。
ただ、彼女が幸運だったのは死に体ながらもなんとか傭兵を撒いて街道まで逃げることができたことだ。
そのおかげでロバートは今こうして生きている。
ロバートは彼女が母であるということを実感することはできないが、感謝の念を持っていることは確かだ。
服を着替え終わると、ロバートは朝食を食べに行こうとドアを開いた。
「そういや、これってオリ主ってやつか?」
病室に持ち込んでいたパソコンで読んだ二次創作の知識から適当な言葉を拾い上げた。
オリ主という言葉にわずかだが高揚を覚えた。
食堂のドアを開けると、すでに席についている男がいた。
痩せこけた体、まさしく鳥の骨のマザリーニだった。
「おはようロバート」
マザリーニはカップを手に持ち、ロバートの方を向いて声をかけた。
「おはよう親父」
ロバートにとって最大の幸運は、マザリーニに引き取られて義理の息子となったことだろう。
死にゆくティアレスにロバートに頼まれたことをブリミル様が導いてくださったに違いない、とマザリーニはロバートを引き取り義理の息子とした。
そのまま放り出されていたらロバートは今頃野垂れ死んでいたに違いないのだから。
―あの頃、私は厚顔無恥にも自らのことをオリ主だと思い込んでいた。あの頃の自分に出会えるのなら、諭してやりたいものだ。自分はオリ主ではない。もっとふさわしいやつがいる。やつの前では所詮自分は脇役に過ぎない、と―
後年に発見されたロバートの手記の一節だが、オリ主と言う未知の言葉に誰もが頭を悩ませ結局答えは出なかった。
メイドの運んできた料理を食べ終わるとロバートも紅茶を飲み、マザリーニと話を始めた。
これは最初は引き取ったばかりのロバートのことを理解しようとマザリーニが始めた朝の習慣だが、今なお慣性により引き継がれている。
「そう言えば、魔法はどの程度使えるようになった」
マザリーニはロバートに家庭教師をつけて魔法を学ばせていた。
ロバートも魔法を使いたいという願望は当然あり、マザリーニの提案を快諾した。
「系統魔法の初歩の初歩。土系統だってさ」
中身はそれなりに既に20も近くなっているためか、魔法を覚えるのは人よりも少しだけ早かった。
もっとも自分自身の才能の限界というものがあるため、今はいい調子で進んでいてもいずれは頭打ちになるのだが。
血筋を見ても世辞でもいい血筋とは言えないため、まかり間違っても烈風カリンのようにはなれないだろうと,魔力に関してはロバート自身大して期待していなかった。
「そのまま研鑽するといい」
マザリーニは頷き、紅茶を一口飲むとキッと目を鋭くしロバートを睨んだ。
「ところで、お前は座学の方はサボりがちだと聞いているぞ」
座学はロバートにとって苦痛でしか無かった。
魔法理論などに関しては興味もあるためきちんと学んでいたが、他のことには大して興味もわかなかった。
歴史や宗教や地理などは、いくら夢の溢れる異世界のこととはいえどうしても興味がわかなかったのだ。
枢機卿であるマザリーニとしては、ブリミル教に全く興味がないという点がもっとも嘆かわしかった。
「まったく、そんなことでは成人したあとはどうするつもりだ。確かに算術に関しては商人も顔負けだ。その手の職ならば今からでも歓迎されるだろうが…」
どうやらハルケギニアではまだ数学と呼べるほどには算術が発展しておらず、商人ですらも一々算盤を弾きながら計算している。
複雑ではなければ暗算で計算でき、四則計算も確立されたものを学んでおり、算盤が無くとも『筆算』というものを知っているロバートは算術の天才と呼んでもいいレベルにあった。
しかもこの体は10歳そこそこのため、周囲から見れば文句のつけようもない神童である。算術のみだが。
ロバートは誰かに筆算や数学を教えたりはしなかった。
この世界の文化への影響などを考えたわけではなく、もしも教えてみんなができるようになれば相対的に自分の価値が下がるし、算術でいざという時の職の潰しがきかなくなったら嫌だという理由からだった。
「親父が死んだら遺産を食い尽くしながら暮らそうと思ってる」
「残念だったな。私が死ねば遺産などは一切合切を孤児院に寄付するようにしてある」
「今までお世話になりましたマザリーニ枢機卿」
「お前にとって私は財布でしかないのか」
椅子から立ち頭を下げるロバートにマザリーニは嘆息した。
もちろん本気ではないためロバートはまた座りなおした。
「まあそれでも土のメイジならどっかに就職先あるし」
道の舗装や橋の建造、畑の整備など領地の管理のために土のメイジはどこかしら就職先がある。
例え就職とまではいかなくても、臨時での募集はいつもどこかしらで行われている。
ロバートとしてはそうしたことを引き受けて日銭を稼ぎながら異世界を旅いてみたいとも思っていた。
そのためにも魔法の腕に関しては磨いておこうと思っているのだ。
「そういえばデムリ財務卿にお前のことを話したら、成人したら是非雇いたいと言っていたな」
「パス」
流石にせっかく異世界での第二の人生だというのに毎日計算ばかりして人生を送りたくはない。
よほど切羽詰ったり、自分には他に道はないというのなら考えるが、ここに来て日も浅く未だ自分自身の限界すら見えない状況でそんな夢のない就職先は嫌だ。
「わがままなやつめ…」
魔法学院にはいれたら一番いいのだが、養父のマザリーニは枢機卿だが貴族ではない。
男爵家以上が条件の魔法学院に入るのは不可能だった。
ロマリアに行けば話は別なのだろうが、原作を知っている身ともなればロマリアには抵抗がある。
「む、もうこんな時間か。では私は王宮へ行くのできちんと勉強に励むように」
「気が向いたら」
「まったく、どこで育て方を間違えたのやら」
ため息を突きながらマザリーニは屋敷を出て行った。