0.
『お前の、勝ちだよ』
彼女のストライカーがあるべき姿に戻っていく。彼女にはもう戦う術はない。銃は破壊したし、通常兵器はとうに残弾なし。最後の手段も今撃ち抜いた。
『笑いなよ。……まあ、お前は優しいから、泣いてもいい』
それだけではない。振り絞っていた魔力も尽きたようで滞空さえ覚束無くなっている。
『……その顔は、可愛く、ないよ。敵の、前でもさ?』
彼女の体が傾いていく。体力も限界だったのだろう。出血も激しかったはずだ。体がくの時に折れその顔が見えなくなっていく。
『ごめん、先に――。』
楽になる。そう言ったような気がした。
冬の海へ落ちていく彼女を見る、自分の鮮明な視界。その端に入ってきた黒と赤の、甲羅に包まれたような震電。銃を手放そうとしない自分の手。
それら全てが私を責めているような気がして、でも涙も笑顔も出なかった。
この感情をどこにも吐き出してはいけないと思っていたから。
これこそが彼女たちが私に残してくれた唯一だと信じていたから。
1.
ストライカーの形成する飛行機雲が、良く晴れた空を裂きながら遠ざかっていく。こっちは、とてもまだ一年内の経験とは思えない軌道で後ろからの追撃を良く躱している。その姿が自分の物であった時には余裕が無くて、あまり自分の事を評したことは無かったけど、今なら言える。私は天才だ。それまで触ったことも無かったストライカーを起動し、空を飛び、そして戦った。才能以外の言葉で片付ける事は、多分できない。ウィッチの多く、特に501部隊クラスのエースとなれば、その殆どが不断の努力を続けているもので、それを覆すには努力だけでは絶対に足りないはずだ。これはもう、天才だと褒め称えるか、もしくは、まるで自分の為に誂えたようだ、と現実を自覚しなければならない。結果はどうあれ、そこに至るまでのヒントとして自分の存在があったことは恐らく間違いない。完全な事は、私にも分からずじまいだったけど。
ルッキーニちゃんの機体がこっちの私に迫っていく。しかし、こっちの私はそれを不安定ながらも風を利用し逆に後ろに着く。詳しくは覚えていないけど、ハルトマンさんの技を見よう見まねで使ったんだと思う。たしか、 私はそんな風に記憶している。5つの点の動きが止まる。多分、リーネちゃんが撃墜判定を出したんだ。私が、撃墜したはずだ。
「もう2,3か月もしたらエースを名乗れるかもしないな、宮藤は」
まあ、二人の油断もあったようだが。坂本さんは黒に近い茶褐色の目で今終わった模擬戦闘の方角を見ながら、喜びを隠しきれない声で言った。魔眼は使っていないはずなのに、まるで全てを見届けたかのように今回の結果を評する。少し強い風が吹き、坂本さんのそのしなやかな髪を揺さぶる。坂本さんは煩わしそうに髪を後ろに撥ね退ける。
「私の魔力は、もう減退期に入っている」
坂本さんはこちらを見ずに、こっちの私達の帰還を見守りながらそう言った。自分は、もうそう長くは飛べない、とそういう意味の言葉を私に向けて放った。私にはそれがどういう意図で言ったものなのかは理解できなかった。隊の仲間を故意に不安にさせる人ではない。それは良くも悪くも、私の知る限り変わらない。
「でも、まだ飛ぶんですよね」
「……ああ。私はまだ空にやり残した事がある」
私が水を差すような言葉を口に出すと、坂本さんはそれを肯定した。まだ終わっていない。そう言った。それが、戦いのへの未練なのか、それとも残してきた雛鳥達の事なのか、それすら、私には分からなかった。……、いや、きっと分かる方がおかしいのだろう。逃げる為に戦い続けた私とは違って、確固たる意志と目的を持って空を飛び続ける坂本さんを理解できるはずがない。もしかしたら。今、この基地に向かって飛行している雛鳥の私になら、その答えが分かるのかもしれないけど。
「私にはまだ、翼がある」
坂本さんはそう言い切った。こんな話を私にするのは、私があの夜あの話を聞いてしまっていたからだろうか。不安にさせまいとここに来たのだろうか。もしそうなら逆効果でしかない。私には坂本さんのその言葉の一つ一つが、怖い。そのボロボロの翼でどうしてまだ空に手を伸ばすのだろうか。無理だ。きっとできない。それは前の私が証明している。犠牲にしてしまった、私が。
「無理だと、思います」
止められるなら、止めないと。もしここで坂本さんを止められるなら、それはきっと間違いじゃない。きっと坂本さんは多くの優秀なウィッチを鍛え上げ、そしてそのウィッチ達は多くの命を守るはずだ。例え空を飛んでいなくても、坂本さんは十分に何かを守れるだろう。だけど、
「すまんな。空を飛ぶことは、私の誇りなんだ」
だけど、坂本さんの守りたいものはそこにはないのだろう。
坂本さんは謝ってるくせにほんの僅かの反省もなく、そう言い切った。分かってはいたけど、私にはこの人は止められない。
もちろんその結果がどうなるのか分かっているし、もしそうなってしまったら私は今無理やりにでも止めなかったことを後悔するだろう。
(でも)
信じたくなる。この人なら、私の知っている全ての過去を台無しにして、新しい未来を作ってくれるんじゃないかと、期待に心が揺らいでしまう。
ただ、何となく。何となく、今度こそ信じていい気がした。今日の事で後悔する日はこないような、そんな気がしてしまった。
坂本さんはそこまで言うと、私に背を向けて歩き出した。その足がどこに向かっているのかは、多分、私の所だろう。
「風が強い。お前も早く戻れよ」
どの道、坂本さんが進退窮まるのは、もう少し先の話だ。いま考える事じゃない。
2.
坂本さんに言われた通りベランダを後にして、格納庫に向かう。もうすぐ、ウォーロック関連のいざこざで格納庫が閉じられてしまう事を今更ながら思い出し、何とかできないかと考えての行動だった。もっとも、格納庫が閉鎖されてしまう、という話は聞きかじりでしかないけど。
格納庫に着くと、シャーリーさんとルッキーニちゃんが既にストライカーを起動させ始めていた。
「あー! ヴィーネ!」
入り口近くでストライカーに乗っているルッキーニちゃんと眼が合う。それでシャーリーさんも気づいたようで、挨拶を返してくれる。
「何してるんですか?」
確かに今日はネウロイが来る日だけど、それは私だけが知っている私の世界の話に過ぎないはず。本当にその通りに事が進むかどうかは完全に未知であって、シャーリーさんやルッキーニちゃんがここで戦闘準備している理由にはならない。
「私は見てなかったんだけどルッキーニが」
「芳佳とペリーヌが飛んでっちゃったー」
「……って言うからさ。そしたら本当にストライカーが無くて。しかも、実銃を持って行ってるみたいなんだ」
誰にも何も言わずに実銃を持って二人で飛行訓練。……確かに傍から見たら心配されてもおかしくないような行動だ。
(そっか。ペリーヌさんとの決闘)
少しだけ、懐かしい。後から聞いた話だと私に坂本さんを取られそうな気がしていたらしい。確かに、私は坂本さんに特別目を掛けて貰っていたしね。
私も行かないと。私が行けば、坂本さんが被弾することは多分防げる。それは、前と同じ地点では、という意味ではあるけど。行かないよりは良いだろう。
シャーリーさんに私も行くという旨を伝えて、準備に取り掛かる。
「ヴィオレーヌ。お前……それは」
「……もしそうだった場合を考えてこちらも実銃を持っていくべきです」
逃走の可能性。ネウロイ達の絶望を前にして逃げ出したウィッチたちとそれを追う私たち。その過程で呼びかけに応じないようであれば……、なんてまあありえない可能性。
もちろん本当はただの子供っぽい喧嘩の延長戦でしかないわけだけど。ただ、ここで実銃を持たずに出撃されると、困る事になるかもしれないから、一応、実銃の携帯を促す。
「それだけは無いと思うけどね」
私がそう言うとシャーリーさんは大したことは無い、といった口調で否定を返したが、それでも銃を手に取った。
そこで、警報が鳴った。
耳に良く響く聞きなれた音が過ぎ去った後、ミーナさんから館内放送が入る。
『グリッド東23地区、単騎よ。ロンドンに向かうコース……』
「……なんだ?」
「途切れちゃった」
しかし、その放送は途中で止まってしまう。恐らく、こっちの私かペリーヌさんかが通信を入れて、ミーナさんがそっちに切り替えたのだと思う。
この後もしばらく音沙汰が無かったがすぐにバルクホルンさんが来て私達に待機を命じた。更にその後坂本さんがやってきて、現在の状況とこれからの作戦についてを話した。その内容としては、敵の詳しい位置、速度、そしてこっちの私が先行してしまった事、それを今から追跡するとのことだ。
「どうやら敵ネウロイはガリアに向かっているようだ」
宮藤を取り戻す。坂本さんはそう言って私達を誘導し始めた。
3.
(未来はそう簡単には変わらない)
良い意味でも、悪い意味でもそうだ。
(そもそも、私はそうであって欲しいの?)
未来が変わり、私の予想をいい意味で裏切って欲しいと本当に私は願っているのだろうか。
そもそも私の考えるハッピーエンドとはなんだろうか。争いもなく、ネウロイもなくみんなで笑って暮らせる世界が欲しい?坂本さんが居て、私が居て、リーネちゃんが居てこれから先に出会うはずの人たちがみんないて、みんなが穏やかに暮らせる世界を望んでいる?
それは幸福だろう。でもそこに現実感はある?長い長い終わらない戦いを経て、それでそんな幸せを私は幸せだと思うのだろうか。悲しみのない世界は幸福なんだろうか。
私は断じれない。戦いだけが私とみんなを繋ぐ絆だったから。どんなに離れていても敵であっても味方であっても。この戦場はいつか繋がっていくんだとそう信じた過去があるから。こうでなければ出会えない幸福がたくさんあったから。戦場以外で彼女たちとの絆のつなぎ方を知らないから。
今の私程空虚な存在は無いだろう。あっちにフラフラこっちにフラフラ、守りたいという気持ちではもう立てなくて、でも座り込むこともできなくて、結局流されるだけ流されて、そしてまた戦場にいる。
(本気で未来を変えたいと思うなら、もっと別の方法はあった)
悪い方にしろ、良い方にしろ転ばすだけならいくらだって。
でもそれを実行できなかったのは、きっと空飛ぶ彼女たちの姿を何より貴いと思うから。
彼女たちの翼が何より美しいものだと知っているから。あるいは、その翼が折れる事にさえ。
(激情が欲しい)
全てを忘れて激情に駆られて生きていられたら、それはきっと間違いじゃないのに。そうなるにはきっと、知りすぎたんだと思う。死に際すら美しいなどと思っているのに、ただ生きていてくれさえすればいい、だなんて自己完結は出来るはずもない。
(ただ)
一つ思うのは、私は幸せじゃなかったからもう一度この舞台に居るんだという事。
戦って、失って、閉ざして。そうして逃げて、いきついた先で私は未練がましくこの世界とこの時間を想ったという事。
(『お前にしかできない事があるだろう?』)
ああ、この言葉だけが私の蜘蛛の糸。意味わからなすぎて半分呪いなんだけど。
答えが欲しい。
「宮藤だ。宮藤を発見した」
インカムから入る声に現実の世界を思い出す。シャーリーさんの声だ。ペリーヌさんとの合流を図る本隊と分かれ私とシャーリーさんだけが先行している。宮藤芳佳を助けるために。
こんな時でも冷静なシャーリーさんはやっぱり場数を踏んでいるのだと感心する。ネウロイの三地同時襲撃の時もそうだったけど、戦いに関わる限りは冷静さを崩さない、内心は相当に焦っているのだろうけど。
「待て!……様子が変だ」
二人の姿を完全に目視できる距離まで来て、シャーリーさんは私の動きを制した。もちろんそれは向こうからも感知できる範囲であるという事。こっちの私はこちらに完全に背を向け気づいていない。人型ネウロイの方は気づいているはずだが、現状こちらに向かってのアクションは起こさない。
(インカムはノイズを入れられてるんだっけ)
私自身は気づいていなかったが、あの人型ネウロイにはそういう能力もあったらしい。
『どういうことだ?交戦中ではないのか!?』
シャーリーさんのインカムに坂本さんが返す。
「分からない……。が、交戦中にはとても見えない。……散歩しているようにも、見える」
更にシャーリーさんが返事を返す。シャーリーさん自身も戸惑っているようでおぼつかない返事だ。散歩というのはもちろん字面どおりの意味ではなくて、初期の訓練や任務後の帰還時間などにウィッチ達がお遊びの飛行をすることを指す、俗語だ。本来通信で使われるべき言葉では無いだろうが、冗長で丁寧な表現よりもシャーリーさんは分かりやすさを望んでこの言葉を使った。
坂本さんからの返答は一瞬言葉に詰まったような間が空いたが、はっきりとしたものだった。
『宮藤の安全が最優先だ。どうなっているかわからないが、まず保護しろ。もし交戦が始まったら全力で回避。本隊が追い付いてから戦闘を開始する』
知らない展開だな、と思う。私が私の時には一番先に駆け付けたのは坂本さんだったし、あの時は相当焦っていたようにも思ったけれど(それどころじゃなくてあんまり記憶がないのはそうだけど)、インカムを通してだからというより、シャーリーさんを通したからだと思う。
「了解」
「了解です」
私とシャーリーさんの声が重なる。何はともあれ目の前の事に集中しよう。考えることから逃げられるならこんなに楽なことは無い。
「ヴィオレーヌ、サポートしてくれ」
「了解」
「……よし、行くぞ」
シャーリーさんは私の状態を一瞬確認すると叫んだ。
「宮藤!シールドを貼れ!!」
言うが速いかシャーリーさんは固有魔法をかなり強引に使って急加速した。私たちの行動に反応したネウロイがこっちの私に攻撃するのを恐れたんだと思う。
「っ!」
もちろんそれに遅れる訳にいかない私も外部加速を展開して急制動を図る。直進するシャーリーさんに射線を潰されないよう一番最初は斜め45度左へ、その後はターゲットに向けて直進する。
とはいえどんなに急いでもようやく声が届くような位置から一瞬で保護できる位置までは至らない。私たちが辿り着くまでの数秒を自身で凌いで欲しかったが――。
「シャーリーさ、ファルシネリさんこの子は、――」
危ない子だな、と思う。今の私からすればなんてことない話だけど、当時この立ち位置に居た人たちは我慢ならなかっただろうな、とは思う。
「っ」
私とシャーリーさんから突き付けられた銃口を見て、まるで宮藤芳佳を庇うかのように彼女から離れた人型ネウロイを見てシャーリーさんの口から息が漏れた。が、
「任せた!!!」
シャーリーさんはそう叫ぶとシールドを貼り発砲しながら更に際限なく加速した。人型ネウロイは反撃の為に腕を翳したが、自爆じみたシャーリーさんの突進に判断を変え回避を開始した。人型ネウロイはシャーリーさんの突進(というか本当は捨て身タックル。もしネウロイもシャーリーさんも避けなければシールドと銃を盾代わりにしてもかなり深い怪我を負っていただろう)をギリギリで躱しつつ旋回し両手からビームを放つが、シャーリーさんはそのくらい織り込み済み言わんばかりに加減速と垂直移動だけで躱し、思いっきりストライカーを前方に向け楕円を描きながら180度方向転換、それでいて速度は殆ど落ちず。
まさにエースと言わんばかりの高技術にネウロイも呼応するように速度を上げる。
「宮藤さん!」
「ファルシネリさん!」
私は兎にも角にもこっちの私を保護。見上げればシャーリーさん(シャーリーさんだけの思惑ではないにしても)はここから遠ざかるように高度を上げながらドッグファイトを開始する。
「ファルシネリさん!違うんです!あの子は!」
「うん。でも」
「きっと、分かり合えるんです!だから」
「うん」
私の腕の中でこっちの私が私に詰めかける。何故止めたのかと。このままならきっと分かり合えたのにと。
きっと私たちとネウロイとの平和の懸け橋になってくれるに違いないと、そう思っているのだ。
(ああ……)
しかし、そこに答えは出せない。少なくとも私の知る限りあの人型ネウロイが平和の懸け橋になった事はないから。むしろその逆、彼女は人類がネウロイを超克する最初の切り札。
(ストライカーのネウロイ化)
彼女はその答え。彼女は私の為にその命を削ったのだ。
「でも、ごめん。彼女はここで殺すべきだと思う」
今日を後悔しない為に。
・ひっそりと
・なので、前は反感くらいそうで怖くて出せなかったオリ展開を。