「昔、アリとキリギリスのお話をしたの、覚えている?」
斜めに傾いた優しい陽光が、キッチンの小窓から私を照らす。
ケトルに火をかけ、お湯を沸かす。彼女の好きな緑茶と、私の好きなの紅茶。それらを用意する為だ。
そんな、水を煮沸するまでの僅かな間に、キッチンに居座る彼女はそう問いかけた。
彼女は何の脈絡もなく、思い出したように私に声を掛ける。
「……いいえ、覚えていません」
彼女が私の世話をする時に、多くの昔話や童話を話してくれた。
数え切れないほどの御伽噺は、きっと世界中から集められたのだろう。それは、私に集積されていった。
その中の一つだったはずだ。少なくとも、それぐらいの認識しか、その単語からは読み取れなかった。
「構わないわ、何度でも話してあげる……毎日、せっせと働くアリ達がいたの。春も夏も秋も、ずうっと働き、家に食料を運ぶその姿は、一生懸命で、そして代わり映えのしないものだった。
そんなアリ達の姿を、一匹のキリギリスは嘲笑するの。そんなに必死に働いて何になるのかと、こんなにも朗らかな季候で歌を歌わず、生を謳歌しないのは損だと、キリギリスは言った」
彼女の話す二つの事柄は、あるものを例えていると感じられた。それは労働の必要性であり、自由の素晴らしさだ。
私には、労働と自由の両方を、賛美しているように聞こえた。
「そんなキリギリスに、一匹のアリは忠告するの『今はそれでもいいかも知れない。でも冬が来れば、食べる物がなくなってしまう。君だって、例外ではないよ』
キリギリスはそのアリの忠告を聞き入れなかった。これだけの豊穣の実りと、暖かな太陽が失われる事が、キリギリスには信じられなかった」
「そうして、せっせと働くアリたちを尻目に、キリギリスは自由を謳歌した。僅かな季節の変化を見逃して」
あぁ、ここまで話してくれれば、私にも結末は見えてくる。
童話には、こういった戒めのような内容の物が含めれている事は、珍しくない。
御伽噺とは、読み聞かせる子供達に教訓として、解りやすい形に留まっているに過ぎないのだろう。
「そろそろ冬が来る。冷たい北風が吹くと、アリ達は冬の気配を感じた。働くのは、雪が降るまでだ。雪が降れば、彼等は外には出れない。
家に篭り、春が訪れるまで、ゆっくりと身体を安め、来年の為の英気を養う。アリたちがそう思っていると、空から雪が降ってきた。
本格的な冬の到来を目の当たりにし、アリ達は家に篭り、蓄えた食糧で寒い冬を乗り切ろうとしていた。雪が降り積もり暫くすると、寒さと飢えに震えるキリギリスがアリ達の家を訪ねてきた」
ケトルから、ぐつぐつという音と共に湯気が立ち上るのを肌で感じた。きっと、水が沸騰したのだ。私は作業の続きをしようとするが、何かが私を阻む。
彼女がこんな長い話をする時には、いつもその裏に隠された意味がある。それを聞き逃して失敗してしまう、という事は、御伽噺の数ほどではないが、良くある事だった。
この話を無視してはならない。それはお茶汲みなんかよりも重要であり、且つ、彼女が何を言いたいのか、真意を読み取る為に頭を働かせなければならない。
私の中に蓄積された経験が、警告を発していた。
「『食料を分けてくれ』そう言うキリギリスに、アリ達は目もくれない。朽ち果てる運命にあるキリギリスを横目に、嘲笑う者もいた。嘗ての自由の代償は、こうしてキリギリスの身に降りかかった」
言い終わると、彼女は手元の書物に目を移した。分厚い辞書のような本だ。タイトルは「帝国移民計画案と実験体考察」。
その重厚な紙の束は、彼女の小さな手に余るように見えた。
「それで、おしまい?」
「えぇ、これで終わりね」
彼女は、本を読みながら返事を返した。もう、語り部は興味を失ったようだ。
私はメイドのするようなお茶汲みの作業に戻り、彼女の前に目的の物を差し出した。
緑色で、新緑の森の香りがするような、東洋のお茶。
私にはどうにも口に合わないが、彼女はこれを好んで飲む。
「キリギリスは死んでしまったの?」
私は、直接疑問をぶつけてみることにした。彼女の真意が、未だ見えてこないからだ。
「さぁ、どうなったのかしら?」
のらりくらりと、はぐらかす。知っているのに、教えてくれない。
「キリギリスにならない為に、アリのように働けって言うの? 女王蟻の為に働く、兵隊蟻のように」
だから一つの仮定を示す事にした。女王蟻である貴女の為に、毎日世話をする兵隊蟻の私。
自由を謳歌する事のできない、雁字搦めの私が込めた、少しの皮肉。
そんな皮肉が通じたのか、彼女はくすりと笑うと、綺麗な青い瞳を私に向けた。
「世間的には、貴女が女王で私は兵隊なのだけど……まぁ、蟻には違いないわ。私も、貴女もね」
彼女はそう言うと陶器製のコップを掴む。私のマグカップには取っ手があるが、彼女それには取っ手が無い。
彼女は側面を掴み、底に掌を当てて啜るようにお茶を飲む。これがその国のマナーらしい。
啜るのは行儀が悪いと思うが、彼女は頑として譲らない。
「貴女はどう思ったの? 蟻と自称する貴女から見て、キリギリスはどのように映った?」
「私は……」
彼女の意趣返しの質問に、返答に困ってしまう。
多くの人は、自業自得と言うのではないだろうか。アリとキリギリスに与えられた時間は聞く限りでは平等だった。
それをどのように扱うのか。先に自由を謳歌して、後に後悔するのか。先に苦労をして、後に蓄えた財産を活用し生きるのか。
決めるのは、自分だ。そしてその責任は全て、自分に跳ね返ってくる。
自由に生きたキリギリスを、話の中のアリ達のように、愚か者と笑う人もいるだろう。
しかし……それでも、できることなら、助けたい。手を差し伸べて、救ってあげたい。
「愚者は際限がない。一度助けたとしても、三日もすれば忘れる。果してそれで、救ったと言えるのかしら?」
それは、私には肯定できない。それを認めてしまえば、私は彼等の事を忘れてしまったと言っているようなものだ。
彼等の恩を私だけは忘れてはいけない。そう、私だけは。あの子は忘れてしまった。その記憶はもう二度と戻らないだろう。
だからこそ、彼女の代わりに、私だけは覚えていなければならない。そして、思い出させるような事も又、あってはならない。
「私は……」
言葉の続きを言い澱んでしまうと、会話が途切れてしまった。彼女は、私の気持ちを知ってか知らずか、再び本に視線を戻した。
ずずずと、お茶を啜る音だけが、部屋に木霊した。
「忠告したアリがいたでしょう?」
ぱらりとぱらりと、一ページ、二ページ。何枚の紙を捲っただろうか。暫くして、彼女は一言発した。
私は、彼女の続きを黙って聞くことにした。
「アリは何故キリギリスに忠告したのかしら? キリギリスの為に、大事な仕事の手を止めてまで。
これは私なりの解釈だけど、忠告したアリとキリギリス、彼等は友人だったのよ。
アリはキリギリスの自由な在り方に憧れていて、キリギリスはアリの真面目に働く姿に、自らに無い考えを持つ彼等に興味を持った。
二匹は互いに正反対だったからこそ、その存在を意識せざるにはいられなかった。
……互いの間柄の仮定は、知り合いでも友人でも親戚でも家族でも何でもいいけれど、さて、そう考えると、少し話が変わってくると思わない?」
私には、彼女の真意は分からない。しかし、私の心臓は今も尚、激しく鼓動している。
さながら、心臓が耳の隣まで移動してきたかと思うほど五月蝿く、嫌な胸騒ぎは、収まる気配を見せない。
「赤の他人ならば、見捨てる事もあるでしょう。しかし、それが自分に所縁のある者の場合なら話は違う。
普通なら、それを助けようと必死になるはず。知り合いのキリギリスを助けたいと、多くの人は思うんじゃない?
それは赤の他人と認識しているよりも、深く、強く、願うはずよ。私が言いたいのは、そういう事」
彼女の湯呑みは、既に空っぽになっていた。行儀の悪い不愉快な音はいつの間にか、風が窓を叩きつける音へと変わっている。
さっきまでの麗かな青天は、分厚い雲に覆われて、暖色だった窓は、暗く冷たい色に変貌していた。
彼女――私の従者を気取っている、大戦の英雄アンジェラ・アルトリアは――窓に視線を向けた。
「もうすぐ、冬が来るわ」
№36「訪れ」
午前三時。この時間から私の一日が始まる。
静かにベッドから降り、着替えを済ませる。上段、下段と二つに分かれる二段ベットの真下には、私の同居人である近衛このかがいる。
このかを夢から覚まさない為にも、息を潜め、ベットの梯子が軋む音にまで気を使う。
彼女を怒らせると怖いからとか、私達の仲が悪いからという理由ではない。どちらかと言えば、その逆だ。
学園長の孫娘であるこのかは、私のクラスメイトであり友人でもある。
きっと親友と言い換えても、このかは否定したりしない。はにかんだ柔らかい笑顔で「もう~てれるやんか~」と訛りの効いた故郷の方言を聞かせてくれると、私は信じている。
そんな彼女に、私は頭が上がらない。朝早くから起きて新聞配達のバイトに向かう私を、このかは嫌な顔一つもせず、寝る前には「いってらっしゃい」と言ってくれる。
最近は私よりも早く起きていて、直接その言葉を言われる日もある。そこまでしなくても良いと言う私に「私が勝手にやっとることやから」とこのかは譲らない。
帰ってくればご飯だって作ってくれるし、勉強で追いつけない所も、解りやすく教えてくれる。お偉いさんの孫だからって高慢な態度を見せたこともない。
いつも笑顔で送り出してくれる、かけがえのない友人に出会えた事で、私は一生の運を使い果たしたのではないかと考えてしまう。そんなことはないんだろうけど、そう思ってしまうほど、このかは、優しい少女だった。
毎朝新聞、東麻帆良店。優しい夫婦が経営する毎朝新聞社の支店こそが、私のバイト先だ。
朝日が昇る前には到着し、雀が目を覚ます頃には配達に向かう。斜め掛けにしたバックに詰めた新聞は、ずっしりと重い。
これを、走って配達するのが、私の主な仕事だ。
束ねた紙がこんなに重くなるなんて、このバイトを始める前には思いもしなかった。悪戦苦闘しながら、地図を片手に配達をしていた時期が懐かしい。
ずうっと続けているから、もう辛くない。……そんな事を言ったら嘘になる。毎朝早く起きるのは、勉強にも影響が出る。睡眠不足は勉強の天敵だ。どうしても、興味の湧かない授業というものはある。
そんな時は、やっぱり睡魔に負けてしまう。無理を言ってバイトをさせてもらっている身なので、バイトと勉強は両立しなければならないと思ってはいるが、どうにも上手くいかない。
この鞄にしてもそうだ。いつもおっちゃん達に、中学生の女の子がそんなに無理するなと言われ、気を使われる。
おっちゃん達の不安は、私の不安と同じものではなく、不思議と私は、体力だけは人並み以上には備わっているようで、この鞄一つくらいの新聞を配るのは苦にはならない。苦にはならないけど、疲れは溜まる。
やっぱり、その疲れが授業の時に思い出したように発揮されるのが、悩みではある。
そう考えると、私って何もかも上手く行っていない。私が今、普通に生活できているのは、多くの人の優しさに甘えているからだと思う。
このかであったり、学園長であったり、高畑先生であったり、ガトウさんであったり、バイト先の皆だってそうだ。
みんなの優しさが私を支えてくれている。いくら馬鹿だ馬鹿だと言われる私だって、わかっている。甘えているだけじゃ、ダメだってことぐらい。
だから、私は私のできる最大限で、それを返すつもり。
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃい! アスナちゃん!」
奥さんの元気な声が、私の全身に漲る。
私の行ってきますの声に、ここでも、返事を返してくれる人がいる。
いってらっしゃいと言って、私の背中を押してくれる人達がいる。
朝早く起きるのは辛いけど、少し勉強についていけないけど、生まれてから今まで親と呼べるような人がいないけど、そんなものが吹き飛んでしまうような、満足感。
この「いってらっしゃい」で、私は救われた気になってしまう。そんなことだから、みんなに単純だと馬鹿にされるのかもしれないけど、それでも、私は今、幸せだ。
「学園生徒のみなさん。こちらは生活指導委員会です。今週は遅刻者ゼロ週間です。
始業ベルまで十分を切りました。急ぎましょう――」
麻帆良学園中央駅を出て、すぐに聞こえてきたアナウンス。しかし、悠長に耳を貸す人間はこの場には一人もいない。
大音量で流されているアナウンスが、聞き取れなくなるほど、駅周辺の事情は混沌と化していた。
駅の改札が、競馬のスターティングゲートのように一斉に開かれる。遅刻ー遅刻ーと嘆きながらも全力で今を駆け抜ける生徒達。
あっという間に、数え切れないほどの人数になった。整備された道路を踏み締める怒涛の音が、アナウンスを掻き消す。
それは、海だった。人の波がつくる、うねり。一つ一つの流れが行き着く先は違うはずなのに、まるで共通の意志を持っているかのような動きで進む。
そこにルールや規則なんて大げさな決まりは存在しない。あるのは、遅刻すればペナルティが与えられる。ただそれだけ。
その結果が、これだ。
路面電車に乗り遅れないよう、駆け込み乗車する者。その路面電車の手摺りに手を掛け、スケートボードで追走する者。
移動購買部の幟旗を持って、アメリカンバイクでタンデム。お客さんらしき学生は「おばちゃん焼きそばパン」の注文と共に小銭を投げつけた。
疾走するバイクの上で、空中で舞い踊る代金を受け取り「あいよ」の掛け声でラップに包まれた商品を後方に放り投げる。
そんな風景が、麻帆良の普通だ。斯く言う私もその普通の中で生きていて、他人から見れば、少し異様に写るであろうことは、間違いなかった。
「アスナは、ほんま足速いよなー。私はこれやのに」
このかが自分の足元に視線を向ける。その視線の先にある物が、このかの問いを代弁していた。
二つと二つの車輪が、軽快な摩擦音を上げて私に問いかける。よく追いつけるな、と。
「悪かったわね。体力馬鹿で」
このかのローラースケートは、かなりの速度が出ていた。
それこそ、遅刻を免れようと本気で走る生徒達を、ごぼう抜きにできるほどに。
その速度が私には苦にならない。このかが関心を抱くほど、私の足は速くできていた。
それは毎朝、新聞配達に精を出している成果で、結果だと思う。それを知っているこのかの問いかけは「また速くなったんちゃう?」という意味のもので、決して嫌味とかそんなものではない。
その証拠に、このかは毎日のようにこの話を振ってくるし、その時は常に笑顔だ。それに、美空と一緒になって、私に良く陸上部に入らないのかと勧誘してくる。
美空はまだわかる。けれど、このかが何故そんなに拘るのか、疑問に思った事がある。それとなく聞いてみた時に、このかは確かにこう言った。
「アスナは走っているときな、めちゃくちゃ幸せそうやねん」
自覚なんて、勿論ない。詳しく聞けば、体育祭で美空と最後まで競り合っていたときに、そう見えたのだと言う。
応援席からトラックまで、結構離れていると思うけど……。
ま、このかがそこまで言うのなら、疑う余地なんてないけどね。
このかとの会話に気を取られていると、ふわりと風を感じた。それなりの速度で疾走しているのだから、当たり前なんだけど、なんといえば良いのか。違和感があった。
例えて言えば、行く手を阻む向かい風が全部なくなって、後方からの追い風だけが、私の背中を押してくれるような感覚。あったらいいなと誰もが思う、そんな都合の良い風。
地面を踏み締める音じゃない、軽やかで、跳ねるような靴の音が、このかとの会話に勤しんでいた私の、意識の外から聞こえた。
反射的に、私も、このかも、その音の正体を見た。そして、言葉を失った。
普通ではない異様が其処にはあった。
単純明快で単刀直入に説明するなら、それは外国人の少年だ。
襟足を結んだ赤い髪と小さな丸眼鏡。大きな瞳をキラキラと輝かせて、笑顔で走っている。
その出で立ちはアンバランスだった。軽快に躍動する姿は、決して無理をしているようには見えない。
でも、その背中に抱える荷物は、悲鳴を上げている。金物なのか、壊れ物なのか。金属なのか、ガラス製品なのか。
がちゃりがちゃりと、荷物の中身が擦れあい、背負った鞄は上下に暴れている。まず間違いなく、この荷物を紐解いたとき、彼の笑顔は曇る事になるだろう。
その他にも、布に包まれた杖? 水筒に、壺らしき物を備えた少年。外見だけを盗み見ても、その小さな背中に背負った荷物の重さが、軽いものではないことが窺える。
そんな不思議な格好の子供と、ちらっと視線が重なった。少年は、私達以上の速度で生徒をごぼう抜きにして、私達の隣まで並ぶと、あっという間に追い抜いてゆく。
一瞬のおかしな出来事。ちらりと言い切るまでの間には、少年は前だけを見て、私は、その背中を目で追っていた。
少年の背中が遠のくと、向かい風が戻ってきた。さっきまで私を支えてくれた追い風はどこにもいなくなり、その行方は通学風景に溶け込んでしまった。
「ほな、うちお爺ちゃんに呼ばれとるから、また後でな、アスナ」
「うん。またね、このか」
今日、このかは学園長に呼ばれているのだとか。
なんでも、新任教師のお出迎えを頼まれているらしい。そしてその新人教師とは、学園長の知り合いでもあるらしい。
大方、今度のこのかのお見合い相手なのだろう。もしかして期待の新人とかかな? あの学園長がこのかを指名するあたり、優秀な教師なのかも。
まぁ、優秀だろうとそうでなかろうと、無駄に終わるだろうけど。準備に掛けるお金やら、相手の面子やら考えれば、無駄なんだからもう諦めれば? と言いたくもなる。
これは憶測だから実際には違うのかもしれないけど、内容はそんなに変わらない、クダラナイ物なのだろうと思う。
私は、走り去るこのかの背中を見送った。このかの目的地は、何故か女子校エリアに設置された学園長室。
「さてと」
このかは、学園長の趣味である“孫のお見合い”に辟易してる。
学園長は、年端も行かない孫娘に、何歳も離れた大人を紹介するのが趣味らしい。
それも一度ではなく、暇さえあれば、その都度セッティングしていると言う。
このかの人生はこのかの物だ。
お見合いをするのかしないのか、それを決めるのもこのかだ。
ただ、押し付けるように未来を決め付けるのは、冗談でもやめてほしい。
いい加減、きつく、きつーく言い聞かせないといけないかも知れない。
このかを守る騎士ように学園長の前に立ち塞がり、学園長に敵対する自分の姿を妄想する。
簡単にだが思い浮かべて見れば、結構在り得そうなシチュエーションだ。
想像ではなく、実際にそうなるかもしれない未来図に、自然と掴んだ手に力が入る。
「おはよー!」
勢い良く、教室の引き戸を開ける。
気合いを入れすぎて、レールに乗った扉が壁にぶち当たり、陸上のスターターピストルにも負けない大音響を響かせた。
朝礼間際に教室に着いた為か、殆どの生徒が登校している。そんなクラスの皆の視線が一時、私に集まり、一瞬だけクラスが静寂に包まれる。
それぞれ、呆気に取られる顔、笑いを我慢できないといった含みのある顔、『またか』と言った呆れ顔など様々な反応だ。
し、しまったー!?
「アスナさん。あなたは何度この教室の敷居を跨いでいるのですか? そんな力を込めなくても、扉は開きますわよ?」
黒板に書かれていた白線を消しながら、いの一番に突っ掛かってきたクラスメイト。
長い金髪を惜し気もなく靡かせ、凛とした立ち振る舞いを見せる凡そ中学生には見えない同級生。
背景に薔薇でも咲かせそうなこの女は、事実、雪広財閥当主の次女で正真正銘のお嬢様。
このクラスの委員長で、初等部の頃からの腐れ縁。
「まぁ、あなたのド低脳のお味噌なら、そんな事も覚えられないのでしょうけど」
雪広あやかと書いて、犬猿の仲とも読む。
「な、なんですってぇええ!?」
半ば、条件反射のように身体が反応した。
背後でこそこそと動いている美空から強引に黒板消しを奪い、金髪バカに投げつける。
無駄に優雅で、余裕をもって黒板の字を消している所為か、今日の反撃は綺麗に決まった。
黒板に向き合っている、彼女の横顔に。
白い粉が教壇を包んだ。委員長は手で顔の辺りの粉を振り払い、咽かえる。
暫くパタパタと手を団扇代わりに風を起こし、新鮮な空気を求めていた。
その姿を見て、溜飲が下がった。さて、自分の席に戻ろうかと思い、脚を運んだところで、
「このっ、暴力女!!」
委員長と取っ組み合いになった。
「何よ! 綺麗に化粧できたでしょうが!」
ぎゃーぎゃー騒ぎながら、あっちこっちを引っ張り合い。
回りの人や机を巻き込んで、大暴れ。
クラスメイトは私達の半径三メートルを維持して、さりげなく、机や椅子を引っ込める。
そんな私達の、毎日の、おかしな喧嘩で、これが日常。顔を合わせばこうなってしまう間柄。
「このショタコン!」「このオジコン!」
「「んなっ!?」」
それはそう、正しく、犬猿の仲と呼ぶに相応しい。